The Beginning and the End,or ”knockin' on Heaven's Door”
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ベートーヴェン、第九、二短調、作品百二十五、合唱……
それはカヲル君が口ずさんでいた歌だった。
僕はカヲル君に会える事を期待して、ヘッドフォンから流れるその曲に身を任せて目を閉じていた。
いま、その音楽はこの小さな部屋を静かに満たしている、いや、いた、のに……。
「だからあたしを見て!、シンジ!!、ってなんであんたがここに居るのよ!」
「なに?」
と言う二人によってぶち壊されちゃった……
第弐拾四話「最後のシ者」
何を叫んでたんだろう、アスカ?
妙にハイテンションで駆け込んで来たんだけど、綾波を見るなり怒り出しちゃった。
それだけじゃない、あれから……、アスカが出ていってから入れ代わりに綾波が転がり込んでるって知って……
「ちっ、これだから前科持ちは!」
って怒られた。
なんだよ、前科って……
「あたしを抱きしめたくせに!」
張り手一発、その後は綾波とケンカし始めたんだけど……
矢継ぎ早に喋るアスカと、ええ、そう、よくわからないの三連呼を続ける綾波。
よくあれでコミュニケーションが成り立つよなぁ……、ってそれは僕も同じか。
アスカは結局、怒って何処かへ行ってしまった。
「何処に行ったんだろう、アスカ……」
でも会ってどうするんだ、綾波の話でもするのか?
トウジやケンスケとも……、アスカは仲良くやってるらしい。
友達は……、友達と呼べる人は、たくさん作れたみたいだ。
部屋には戻れない、その勇気が無い。
どんな顔すればいいのか分からない。
アスカ……、ミサトさん、母さん……、僕は、僕はどうすればいい?
「僕は……、最低だ」
何だか知らないけど、そう言わなくちゃいけない気がした。
逃げ出すように部屋を出て、暫くぶりに地上に上がる。
残ったんだ、この街が。
まだどうかは分からない、みんなが殺されちゃった時、天井は無かったから。
これから壊れちゃうかもしれない、つじつまを合わせるために。
僕はそれでも、行き交う人波と仲のいいカップルなんかに頬を緩めて、適当な百貨店に入った。
綾波は色々な事を教えてくれた。
リツコさんが父さんに僕のことで注意を促していた事や……
しばらくターミナルドグマに閉じ込められて、僕から引き離されていたこととか。
その屋上で、子供達が遊戯用の車に戯れる声を聞きながら、僕はミサトさんの言葉を思い出した。
(違うわ、生き残るのは、生きる意思を持ったものだけよ?)
そうだね……
だから僕は生きてる。
(彼は死を望んだ、生きる意思を放棄して、見せ掛けの希望に縋ったのよ)
希望、か……
カヲル君にとっての希望ってなんなんだろう?
街は残った、アスカは変わった、綾波も死んでない。
だけど、これから起こる事を変えられないのなら。
拳を握り込む。
歌が聞こえた。
歌?
歌だ……
歌が聞こえる。
とても耳に残る歌声が……
「歌はいいねぇ、歌は心を潤してくれる、リリンの生み出した文化の極みだよ、そう感じないか?、碇シンジ君」
隣に、いつの間にか柵に持たれている『彼』がいた。
「カヲル、渚、カヲル君」
「おや、僕の名を?」
「知っているよ、渚カヲル、僕と同じ仕組まれた子供、フィフスチルドレン、だよね?」
「カヲルでいいよ、碇君」
「僕も……、シンジでいいよ」
思い出す、沢山のこと。
嬉しかったこと、悲しくなったこと、辛過ぎたこと。
「一人なのかい?」
「あ、うん……、最近はそうでも無いけど、大体いつも一人だよ」
「最近は違うのかい?」
「うん……、あんまり帰りたくないんだ、この頃」
でも綾波のことを考えるとそうも行かないんだけど……
それでも綾波がいるから、帰るとまずい雰囲気になりそうで逃げてるんだよな?
「帰るべき家、ホームがあるという事実は幸せに繋がる、よいことだよ?」
「そうかな……」
「君とは……、もっと話がしたいな、いいかな?」
「え?」
「時間だよ……、暇なんだろう?」
「う、うん……」
「だめなのかい?」
「そういうわけじゃ、ないんだ」
「じゃあいいんだね?」
「うん……」
僕は肩から力を抜いた。
まだ力を入れる必要は無い。
身構えたままだと何も言葉を吐けないから、僕は肩から力を抜いた。
僕達以外誰もいない。
高台にある公園で、僕達はオレンジに染まる街を眺める。
「カヲル君は……、綾波に似てるね」
(僕に似てたんだ、綾波にも……)
「ファーストチルドレンだね?」
「うん……」
「綾波、レイ……」
「綾波は、君と同じだね」
「……なぜ、そう感じるんだい?」
なんて答えればいいんだろう?
喉の乾きから、唾を飲み込む。
「……一時的な接触をくり返すね?、君は」
「え?」
「恐いのかい?、人に踏み込むのが」
「何を考えてるか分からないもの……」
「だから距離を置くのかい?」
「……その方がよく見えるもの」
「人の心が?」
「自分が傷つくより、人を傷つけた方が心が痛い事を知っているから……」
「でも他人を知らなければ裏切られる事も互いに傷つく事もない、でも、寂しさを忘れる事もないよ」
「だから傷つけ合うの?」
「人間は永久に寂しさを無くすことは出来ない、人は一人だからね?、ただ忘れることができるから、人は生きていけるのさ」
(楽しい事だけ数珠のように連ねて生きていけるはずが無いんだよ……)
「でも人には忘れちゃいけない事もあるって、そう教えてもらったんだ」
そうだ、父さんは、そう言っていた。
なにを間違ったんだ?、父さんは……
不意に街が動き出した。
「時間なんだ……」
「凄いね、ビルが生えていくよ……」
カヲル君も少しだけ感動を表してそれを眺めてくれる。
「科学の街だからね」
「人の作り出したパラダイスかい?」
「臆病ものの街さ、敵だらけの世界から逃げ込むための」
「嫌いなのかい?、この街が」
嫌いだ、と言おうとして言えなかった。
「……好きじゃなかった、でも好きになれるかもしれない」
「慎重なんだね、君は……」
自嘲してしまう。
「僕は痛がりだからね……」
「心が、かい?」
そう、それは教えてもらった言葉だ。
「……常に人間は心に痛みを感じている、心が痛がりだから、生きるのも辛いと感じる」
「一度はもう嫌だって思ったんだ、……でもまだ生きてるなら、しっかり生きてから死ねって言われたんだ」
「だから、生きるのかい?」
「うん……、僕は僕が生きていたい事に気がついたから」
「脆く、でも強いんだね、君は」
「そう?」
はにかんだ笑顔が痛かった。
シンクロテスト、カヲル君は暫定的に弐号機でテストしたけど、その結果は……、教えてもらえなかった。
ただみんなが何か焦っていたのは感じられた、まあいいと思う、そんなもの、カヲル君には意味が無いんだし。
お風呂……、誘ってみれば良かったかもしれない。
でも僕は恐いんだ、結末が。
「ありがとう、感謝の言葉、あの人にも言ったこと無かったのに」
ポツリと、綾波が突然漏らした。
「わたし、なぜここにいるの?」
ベッドの上で声がした。
「わたし、何故まだ生きてるの?」
僕は横を向く。
下に寝ていた僕からは、ベッドの上の綾波はよく見えない。
「何のために?」
「わからない……」
「誰のために?」
「自分じゃないの?」
「フィフスチルドレン、あの人、わたしと同じ感じがする……」
「……そうかもしれない」
「どうして?」
僕はそれに答えられない。
「……綾波は、僕になにを聞きたいの?」
返事が無い。
「綾波は、なにか僕に伝えたい事があるんじゃないの?」
綾波はやはり答えてくれなかった。
「シンジ君、どうしたんだい?」
「カヲル君……」
僕達は本部横の、湖で顔を合わせた。
早朝で、朝もやも晴れていない。
偶然にしては出来過ぎかもしれない。
「散歩、眠れなくて……」
「綾波レイに会ったよ」
座り込んだ僕の横に、カヲル君は歩を進めて来た。
「この星で生きていくために、同じ体に行き着いた……、似ているのは当然だね?」
「なら、僕は死なせるべきだったの?」
「物騒な事を言うね?、君は……」
「だって、カヲル君と同じだって言うなら、そうなるんじゃないか!」
「君は……、何を知っているんだい?」
「え?」
「僕に聞きたい事があるんだろう?」
どうして、そう穏やかにしていられるんだろう?
過去みんな、僕の言葉で戸惑わなかった人はいなかったのに。
そう思って顔を眺めると、カヲル君は微笑んでくれた。
はっとして、僕は顔を逸らした……
「色々あったんだ、ここに来て」
そして護魔化すように口にする。
「……来る前は、先生の所に居たんだ、穏やかで、何もない日々だった」
もう一度、聞いてもらいたくて。
「ただそこに居るだけの」
言ってもらいたい言葉があるから。
「でもそれでも良かったんだ、僕には何もする事が無かったから」
「人間が嫌いなのかい?」
「別に……、でもどうでも良かったんだと思う」
「悲しいね……」
「でも今は好きになれるかもしれないって、思ってるんだ」
「傷つけ合うためにかい?」
「それが……、僕の望みだから」
(あなたは、なにを願うの?)
カヲル君は、驚いたような表情の後に、ゆっくりと笑みを広げてくれた。
でも、……僕の聞きたかった言葉は。
僕達は今、ケイジにいる。
目の前には弐号機がある。
「行くの?」
「そのために僕はここに来たんだからね……」
「でも僕は止めなきゃいけないんだ」
「わかっているよ」
僕達は向かい合う。
「……偽りの継承者である黒き月よりの我らの人類、その始祖たるリリス、そして正当な継承者たる失われた白き月よりの使徒、その始祖たるアダム」
「アダム……」
「そのサルベージされた魂は、僕の中にしかないんだよ……」
「だから行くの?」
「でも再生された肉体は、既に君のお父さんと共にある……」
「何を……、カヲル君、君が何を言っているのか分かんないよ、カヲル君」
「君のお父さんも、僕と同じと言う事さ……」
「でも、綾波は違う、カヲル君だって!」
「全てはリリンの流れのままに、さ……」
(全ては流れのままにですわ)
はっとする、カヲル君が、母さんに重なって……
「おいで、アダムの分身、そしてリリンの僕……」
カヲル君がブリッジから踏み出すと同時に、僕は走った。
背中に、カヲル君の視線を感じながら。
慌ただしく動き出す。
『使徒?、あの少年が!?』
『いかなる方法を持ってしても、目標のターミナルドグマ侵入を阻止しろ』
『エヴァ初号機、ルート二を降下、追撃中!』
『シンジ君!?』
そう、僕は指示を待たずに動いていた。
(生き残るなら、カヲル君の方だったんだ)
あの苦しみをくり返さないために、僕は底の見えない竪穴に跳び下りていた。
「カヲル君!」
「待っていたよ、シンジ君」
「アスカ、ごめんよ!」
傍らに弐号機が居る、でもどうして?
今度はどうして、どうしてまた?
「エヴァは僕と同じ体で出来ている、僕もアダムより生まれしものだからね?」
カヲル君は、僕の疑問に答えるように言葉を紡ぐ。
「魂さえ無ければ同化できるさ、この弐号機の魂はいま自ら閉じこもっているから……」
「でもどうして!」
弐号機がナイフを振りかざす、僕はその側面をナイフで貫いて受け止めた。
刃先がカヲル君の方へと流れる、光り輝く、金色の壁。
「ATフィールド!」
そう、カヲル君は心の壁で受け止めた。
「ATフィールド、君達リリンはそう呼んでるね?、何人にも犯されざる聖なる領域……、心の光、本当はリリンも分かっているんだろう?、ATフィールドは誰もが持って居る心の壁だと言う事を」
「アスカがそれを身に纏ったから!」
大人になったから?
「そう、弐号機の魂は彼女を見失ってしまったのさ」
「うわ!」
油断した隙に、弐号機が胸にナイフを突き立てて来た。
「この!」
お返しに首筋に突き刺す。
「エヴァシリーズ、アダムより生まれし人間にとって忌むべき存在、それを利用してまで生き延びようとするリリン、僕には分からないよ」
カヲル君から何かが膨れ上がる。
心の障壁、拒絶する何か。
だからどうしてなんだよ!
なんでそこまでこだわるのさ!
「どうして一人になろうとするんだよ!」
「人は無から何も作れない、人は何かに縋らなければなにもできない、人は神ではないのだから」
「君だって神様じゃないじゃないか!」
「だからだよ……」
だから死を選ぶって言うの!?
人だから!?
独りだから!?
縋るものが何処にも無いから!?
「そんなのわからないよ!」
「でも、神に等しき力を手に入れようとしている人が居る、再びパンドラの箱を開けようとしている人達が居る、既に箱は開けられているのに、そこにある希望が現われる前に、箱を閉じようとしている人が居る」
「父さんのこと?、希望!?」
「希望は人の数ほど存在するのさ……、希望は人の心の中にしか存在しないからね?、でもあの人の希望は具象化されてしまっている」
「そんなの分からないよカヲル君!」
『エヴァ両機、最下層に到達』
『目標ターミナルドグマまで、後二十』
「人の定めか……、人の希望は悲しみに綴られていると言うのに……」
カヲル君の壁は絶対のものだった、あまりにも悲しくて、突きつけられたそれに僕は泣きそうになってしまった。
「くぅっ!」
最下層に着いてしまった、僕と弐号機はもつれ合うように湖に落ちる。
「カヲル君、待って!」
でも弐号機が足を掴んで離してくれない。
「カヲル君、やめてよ!、どうしてだよ!」
答えてくれない?
行ってしまう!?
その時、カヲル君から吹き出している圧力をたわませる何かを感じた。
「なんだ!?」
この感じ……
「綾波!?」
ごめん!
僕は誰かに謝って、弐号機の顔面にナイフを突き立てた。
「アダム、我らの母たる存在、アダムより生まれしものは、アダムに帰らねばならないのか……、人を滅ぼしてまで」
カヲル君が浮かんでいる。
槍の突き立った、あの巨人の前で。
「違う、これはリリス!、そうか、そういうことかリリン……」
「カヲル君!」
「シンジ君……」
ゆっくりと振り返ったカヲル君に、僕は弐号機の亡骸を放り出した。
(ありがとう、シンジ君……、弐号機は君に止めておいてもらいたかったんだ、そうしなければ、彼女と生き続けたかもしれないからね)
不意に思い出す……、そうだ、あの時アスカは心を閉ざしてた。
カヲル君と同じように……、だからなの?、アスカは死ななかったかもしれないの?
初号機の手を伸ばし、僕はカヲル君を捕まえる。
「カヲル君、どうしてだよ……、なんでこんなことをするのさ?、なんで……」
「僕が生き続ける事が、僕の運命だからだよ、結果、人が滅びてもね」
「独りで生き続ける事だとしても!?」
「でもこのまま死ぬ事も出来るんだ、生と死は等価値なんだよ、僕にとってはね?」
でも僕にとっては違うんだよ!
「自らの死、それが唯一の絶対的自由なんだよ」
カヲル君が居るのといないのとじゃ違うんだ!
(遺言だよ……)
今なら分かる……
「おかしいよそんなの!」
「さあ、僕を消してくれ」
独りは寂しいから死のうとするの?
「そうしなければ、君等が消える事になる、滅びの時を免れ、未来を与えられる生命体は一つしか選ばれないんだ、そして君は、死すべき存在ではない」
「そんなの勝手に決めないでよ!」
カヲル君は勝手だ。
「生と死が等価値だなんてそんなの嘘だ!」
だって、だってカヲル君は。
「独りが嫌だから死のうとしてるくせに!、僕が独りだから、みんなを残してくれようとしてるくせに!」
それは、君の心じゃないというの?
「……ガラスのように繊細だね?、特に君の心は」
「それはカヲル君のことじゃないか……」
「好意に値するよ」
「でも僕は君を殺したくないんだよ!」
苛立ちが手に力を入れさせる。
「……カヲル君にだって、君達にだって、未来は必要なんだ!」
「その結果、人が滅びるとしてもかい?」
(でも、僕の心の中に居る君達はなに?)
「……希望、なんだ」
「希望?」
「そうさ!」
僕は心を爆発させる。
「好きだと言う言葉と共に、分かり合えるかもしれないって……、人間だってそうじゃないか!、お互いを拒絶し合う悲しい存在だけど、でもそれでも分かり合えるんだ!」
「だから僕に、生きろと言うのかい?」
「そうさ!」
「それが滅びへの道だとしても?」
「好きなんだ……、カヲル君が、この手で好きな人を、希望を、夢を、全部を握り潰すくらいなら、死んだ方がいい」
好きなんだ……、カヲル君が。
「シンジ君……」
「お願いだから僕を助けて!」
溢れ出す。
「お願いだから僕を捨てないで!」
想いが。
「お願いだから一人にしないで!」
辛くて。
「もう嫌なんだよ!、また殺さなきゃいけないなんて、カヲル君を二度も殺さなきゃいけないなんて!、そんなのもう嫌なんだよ!」
「……シンジ君、君は」
「補完なんて嘘だ!、自分も他人も無い、何もかもが曖昧で、何もかもが弱くて、ただ傷つける人がいないだけのあんな世界になんの意味があるんだよ!」
そうさ。
「僕は、ただっ、誰かに、いて欲しかった、だけなのに!」
カヲル君が何か言ってくれたような気はしたけど、僕は泣いてしまっていて気がつかなかった。
ただハッとして顔を上げると、カヲル君は微笑んでくれてた。
「ありがとう、シンジ君」
「カヲル君……」
「君に逢えて、よかったのかもしれない……」
「カヲル君!」
あの大好きな微笑みを見せてくれた。
また!
「僕は君に会うために生まれて来たのかもしれない」
「カヲル君……」
「好きって事さ」
そうだ、ヒトは分かり合えるかもしれないんだ。
今進んでいるのが、例え滅びの道だったとしても、僕は僕が楽しく、幸せになれる道を選びたい。
幸せがまだどこにあるのかわからない。
だけどここに居て、生まれて来てどうだったのかはこれからも考え続ける。
自分が自分で居るために、僕は当たり前のことを考えていきたい。
好きになれるかもしれないから、好きと言う、言葉を伝えたくなって来たから。
だから僕は、当たり前のことに気付いていきたい……
好きと言う、言葉と共に。
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