Do you love me?
「何故殺さない」
 開口一番はそれだった。
「嫌だから」
 僕も簡潔に答える。
「その少年はね、使徒なのよ!」
 初号機の目の前で、ミサトさんは銃口を向けて来た。
「同じ人間なのに?」
 僕と、綾波と、カヲル君は並んだ。
「違う、使徒だわ!、わたし達の敵よ!」
 ケイジに響くミサトさんの猛り。
「わたしと同じ、ヒトなのに?」
「そうよ!」
 激昂したミサトさんは、もう切れる寸前になっている。
 綾波にさえ銃を向ける。
 ミサトさん、父さん、アスカ、リツコさん。
 僕達はこの構図で対峙している。
「だから殺すの?」
「そうだ、でなければわたし達が死ぬ、みなが死ぬ事になるのだ」
「だから殺すの?」
 僕も苛付く。
「それで補完計画?、あんなのも同じじゃないか!、殺しても殺さなくても、同じことになるなら、何もしない方がいい」
「虚無へ戻るわけではない……、全てを始まりへ戻すに過ぎない」
 父さんが本音を喋った。
「この世界に失われている母へと還るだけだ、全ての心が一つとなり、永遠の安らぎを得る、ただそれだけのことに過ぎない」
「それが補完計画?」
「そうよ、わたし達の心には、常に空白の部分、喪失した所があるわ」
 リツコさんが父さんに並んだ。
 それが心の飢餓を生み出す。
 それが心の不安、恐怖を生み出す。
 そんな当たり前のこと!
 気付くならまだしも、確認してるだけで!!
「人は誰しも、心の闇を怖れ、そこから逃げようと、それを無くそうと生き続けているわ」
「人である以上、永久に消えることはないのにね?」
 だからだと思う、カヲル君は嘲った。
「ちょっと待って!」
 ミサトさんが割り込んだ。
「だからって、人の心を一つにまとめ、お互いに補填し合おうと言うわけ!?、それも他人が勝手に!、余計なお世話だわ!!、そんなの、ただの馴れ合いじゃない!」
「だけど、あなたもそれを望んでいるんでしょう?」
「望んでなんて!」
「ではなぜ、加持君に縋ったの?」
「それは!」
「あなたは加持の寝顔に安らぎを求めていたのよ、温もりに安らぎを求め、腕の中に父親を求めていたのよ」
「そうよ!、あの時、加持君の中に自分の父親を見付けたわ、だから逃げ出したの、彼から!!」
「わたしと、同じ……」
「綾波?」
「そう、わたしは逃げ出した、司令から」
「レイ……」
 父さんの目に揺らぎが見える。
 でももう綾波は怖れていない、父さんを怖れはしない。
「さあ行こう、今日、この日のためにお前は居たのだ、レイ」
 たぶん、それは最後の泣き付きだ……、でも。
「嫌です」
「なに?」
「わたしは、あなたの人形じゃない」
 綾波はその絆を断ち切った。



第弐拾伍話「終わる世界」



 僕は初号機の手を開いた。
 カヲル君はその上に立ち、ポケットに手を入れたまま振り返った、あの巨人に。
「……アダム、その魂が僕の中にあり、碇ゲンドウの元に肉体があるように」
「そこにあるのは、リリスの肉体」
「綾波!?」
 振り仰ぐ。
「碇君……」
 綾波の悲しげな瞳があった。
 赤い瞳が、涙に濡れて、揺れている。
「そしてその魂は、君の中だけにある」
 僕は直感的に悟った事をカヲル君に継いで口にした。
「……でも心は?、綾波は人形じゃないって言った、カヲル君は寂しいって訴えてた、……それは綾波も同じだけど」
「そう、ココロもまた、希望と同じ数だけあるのかもしれない」
「その魂が、常に一つであるように」
「なら……、なら壊すよ?、必要ないよね?、これは」
「そうだね?、僕達アダムより生まれし魂達は、アダムへと還るべくここを目指した、けれどもアダムは既になく、そしてそれでも僕はこうして生きている……」
 なら綾波だって、これに関係無く生きられる!
 僕は槍を一気に引き抜いた。
 そしてそれを突き立て、引き裂く。
 崩れ落ちた亡骸が、その血の海へと沈んでいく。
 リリスより生まれし生物の行き着いた先が僕達人類。
 そしてアダムのさ迷っていた魂が、使徒と呼ばれる生物になっていた。
 だから同時には現われなかったのか。
 そしてその使徒、魂の形も、僕達と同じ所に行き着いた、カヲル君という人の形に落ちついた、なら、僕達はやはり同じ物なんだと思う。
 同じ人間なんだと思う、だから!
 僕達は分かり合えると確信できる。
 それが僕達の選んだ道だった。


「恐かったの、まるで、持ち主として扱うような態度が、所有物を見るような目が」
「綾波……」
「でもほんとは嬉しかったの、それが快感だったの、たまらなく心地いい瞬間だった、でも嫌だった、それはわたしではない誰かを求めていたから、かつて従える事のできなかった、けれども酷く求めてしまったものを、再び手に入れ、手放す事を怖れていた、それだけの人、心だった、だから逃げたの」
「……この黒き月に囚われていたリリスは骸へ返りました、あなたの望んだものは永遠に失われた」
「なに?」
 父さんはカヲル君を睨み付けた。
「かつてあなたが白き月でアダムの還元を計ったように……、くり返しますか?、ここで、黒き月で」
 白き月、か……
 それが南極の地下にあった空洞の秘密なんだろう。
 卵にまで還元できるというのであれば、あるいは綾波も元に戻される可能性が?
「カヲル君……」
 そんな僕の不安を見抜いたのか?、カヲル君は微笑んでくれた。
「アダムより生まれしものはエヴァ……、でもこの地で生まれた零号機と初号機が何の複製なのか?、わかるかいシンジ君」
「そんな……、だってエヴァはアダムのって!」
 かつての想像が蘇る。
 地下のリリス、エヴァの墓場、最初の複製、複製から株分けされた……、初号機!?
「そう弐号機以降はね?、それが初号機で無ければならないわけさ」
 じゃあ零号機は、その、大本!?
 そして……、とカヲル君は父さんを嘲るように見た。
「初号機には既に魂が込められている、碇ゲンドウ、あなたは彼女の夢を断つ存在なのか……」
「なに?」
「もう気付いてもいいんじゃないのかい?、綾波レイが、碇ユイの叶わなかったもう一つの夢だと言う事に」
(例え五十億年経って、この地球も月も太陽すらなくしても……)
「エヴァは無限に生きていけるんだ……」
「そう、その中に宿る人の心と共に……」
 綾波も呟いた、何かを思い出したように。
「そうだよ、母さんは言ってたんだ、とても寂しいけど生きていけるならって、副司令だって聞いたはずだ、父さんだって聞いたんでしょ!?、人の生きた証しを永遠に残したいって、でも母さんは!」
「……寂しい、のね」
「そう、だから人としての生を夢見た碇ユイの幻影でもある君は、寂しさを感じなかった」
「知りたくなかったのね、わたし」
「でももう知ってしまったからね?」
 二人の視線に、僕は頷いた。
「好きだと言う言葉と共に……」
 暫くは全員が口をつぐんでいたけれど、静寂は副司令の声に遮られた。
『碇、老人から呼び出しが来ているぞ』
「わかった……」
 父さんは背を向けた。
 その後に付き従うようにリツコさんが続いた。
 なんだか、とても寂しそうだった。
「シンジ」
「なに?、父さん……」
 迷っているような声。
「シンジ君が恐いんだね?」
 カヲル君……
「人の間にある、形も無く、目にも見えない物が恐くて、自分が傷つく前に世界を拒絶している」
「……その報いがこのありさまか」
「父さん……」
「すまなかったな、シンジ……」
 父さんはゼーレとかってのに呼び出されて行ってしまった。
 僕達のことについては保留、最後の使徒がここに居る以上、まだ補完計画が発動されることは無いから。
 僕は気が抜けたようにへたり込み、綾波と、アスカと、ミサトさんに名前を叫ばれながら気を失った。


「碇君……」
「大丈夫だよ、もう……」
「そう、よかったわ」
 綾波は自分のことのように言ってくれた、表情はあまり変わらなかったけど、でもそれでも嬉しくなった。
 変かな?、よかったわねって、心配されるよりもほっとしてくれた事に嬉しくなってるなんて……
 僕はベッドに寝かれされていた、もう二日も。
 ネルフの病室、慣れてしまった場所、でも今は居心地良く感じる……、なんでかな?
 そう……、よかったわねって言ってもらえた時も、そうだ、綾波にさよならって言われて落ち込んだ時もそうだった。
 最初、なんだか暖かかったんだ、だから突き放されたようで寂しくなったんだ……
 心配してくれる人が居るって言うのは、とても嬉しい事なのかもしれない。
「綾波、ほんとうにもう大丈夫だから……」
「そう、でも寝ていて……」
 お願いだから。
 そんな風な目に見えたんだけど、気のせいだったんだろうか?
 いいや違う、違うと思う。
 でないとカヲル君はこんな話を始めなかったはずだ。
「君はどうして、綾波レイなんだい?」
「みんなが、わたしを綾波レイと呼ぶから」
 わかってないと、カヲル君は首を振った。
「君は偽りの魂を碇ゲンドウと言う人間によって作られた、人の真似をしている、偽りの物体だよ、ほら、君の中には暗くて何も見えない、何も分からない心があるだろう?」
「カヲル君!」
 二人はお互いに違う目で、でも僕に黙っているよう伝えて来た。
「本当のわたし?」
「でも君は君だよ、君はこれまでの時間と、他の人達との繋がりによって、君になった」
 カヲル君は僕に微笑んだ。
「僕がシンジ君と触れ合い、僕になったようにね?」
「ココロ?」
「そう、ココロ、人の持つもの、人のみが持ちえるもの」
「他の人達との触れ合いによって、今のわたしは形作られている」
「人との触れ合いと、時の流れが、君と、僕の心の形を変えていくんだ」
「それが絆?」
「そう、綾波レイと呼ばれる、今までの君を作った物、これからの僕を作る物」
 それが絆か……
「でも、本当のことから目を背けちゃいけない、見たくないからと言って避けてはいけないんだよ、知らない内に避けていけないんだ」
「人の形をしていないかもしれないから?」
「今までの僕が居なくなるかもしれないからだよ、僕は使徒で、そして使徒であるからこそシンジ君と分かり合えた」
「恐いのよ……」
「自分が居なくなるのが?」
「自分が消えてしまう、それは悲しいかもしれない」
 恐いでしょ?っと、綾波は尋ねる
「……嬉しかったわ、わたしは死にたかったもの、欲しい物は絶望、無へと帰りたかった」
「でも?」
「でもだめ、無へは帰れなかった、あの人が帰してくれなかった」
「まだ帰してくれないのかい?」
「あの人が必要だから、わたしは居たの」
「でももう終わりなんだろう?、いらなくなる以前に、君があの人を捨ててしまったから」
「その日を願っていたはずなのに、今は、恐いの……」
 綾波は僕の上に覆い被さって来た。
「綾波……」
「この温もりが絶えてしまう、感じられなくなる」
 僕はもどかしかった、シーツが被されていたから、綾波を抱き返せなくて。
「存在理由、レゾンテートル……、君がここに居てもいい理由が欲しいんだね?」
「そう、そうかもしれない」
 僕は不意に思い尋ねてみた。
「だから、僕に縋るの?」
「そう」
「でも僕はまだ綾波の、カヲル君のことを良く知らない」
「寂しい……」
「寂しいの?」
「いえ、碇君の心が叫んでいる、寂しいって……」
「そうかな?」
「僕達じゃ、ダメなのかい?」
「そんなわけないよ!、ただ僕は、好きと言う事に慣れてなくて……」
「あんたバカァ?、結局、自分のためじゃないの!」
「アスカ!?」
 部屋に押し入る赤い髪って言うか、なに怒ってるんだろう?
「あんた好きって言わせたいんじゃない、結局!」
 どかぁ!
 僕は問答無用で蹴り転がされた。


 なんだ、この感触、前に一度あったような……、自分の形が消えて行くような、気持ちいい、 自分が大きく広がっていくみたいだ、どこまでも……、どこまでも……
「それって、出血多量で意識が遠のいているんじゃないのかい?」
「うう、カヲル君、助けて……」
「すまないね?、僕も命が惜しいんだよ、僕にはここで見てる事しかできない、僕と彼女の力は等価だからね?」
「うう、見捨てるんだ、父さんと同じに僕を見捨てるんだ……」
 ドクドクと血が流れていく。
「何事なの!」
 駆け込んで来るミサトさん。
「シンジはあたしに好きって言ったのよ!」
「そ、よかったわね……」
「裸だって見られたんだからぁ!」
「だから、なに?」
「きーっ、ばかシンジの癖にぃ!」
 あう!
 また何か飛んで来た……
「あ〜、シンちゃん、頼むから痴話喧嘩はもう少し静かにやってくれないかしら?」
「好きでやったるんじゃないよぉ……、でも仕方なかったんだ」
「だからキスしたのかい?」
「キぃスぅ!?」
「したんだろう?」
 ポッと綾波の頬が染まった、しかもリアクションに困って隠しもしないで。
「こんのバカシンジィ!」
「わぁお、シンちゃんやるぅ」
「お願いだから誰か助けてよ!」
「で、どんな感じだったんだい?」
「碇君は、とても激しくわたしの口を吸ったわ」
 カヲル君、そのマイクは何処から……
「シンちゃんったら、おっとなぁ!」
「僕に教えてくれたの、ミサトさんじゃないですか!」
「なんですってぇ!?、ミサト!」
「ちょ、ちょっと待って!、あたしそんなことしてないわよ!」
「それも未来の記憶なのかい?」
「あ、うん、まあ……」
「きぃいいいいい!、それでも許せないわぁ!」
「そんなに、キス、したいの?」
「ち、違うわよ!」
「したいのね?」
「違うったら!」
「そう、じゃあしてあげる」
「え?、あ、むぐぅ!」
 おもむろにアスカの口を塞いで……、あ、アスカの頬、内側から動いて……、うわぁ……
 ぬちゃとか、ずるとか、変な音してる……
 僕もあんなことしたのかなぁ?
「ぷは……」
 ペタンとアスカが腰を落とした。
 あ、泣きそう……
「ふ、ふえええええん!、あたしの、あたしのファーストきすがぁー!」
「アスカ、まだだったんだ」
「あっちゃー、さすがにレイにやられたとあっちゃねぇ?」
「……なぜ?、碇君にされた通りにしてあげたのに」
「……今ひとつ、君と言う女の子が分からなくなったよ」
「そう?」
「そうだ、するならカヲル君がするべきだったんだ!、男の子の方がいいに決まってるのに、カヲル君がするべきだったんだ」
「んなわけないでしょうがぁ!」
「じょ、冗談なのに……」
 頭が痛いよ……、踏ん付けないでよ、アスカ……
「み、ミサトさん、行こうよ」
「え?、どこに?」
 うう、ニヤニヤしてないでさ。
「……僕達がどうなるのかを聞かせてよ」
「わかったわ」
 ミサトさんもやっと表情を引き締めてくれた。


 僕達に関しては保留だそうだ、ゼーレの老人とかって人達は、国連へ脅しをかけて逃げる時間を作っているらしい。
 こちらにはカヲル君が居る、ゼーレに作られた使徒、これ以上の証拠は無いのかもしれない。
「それで、僕の処遇は決まったのかい?」
「ん〜、とりあえずはねぇ」
「恐いのかい?、僕達が」
「あったりまえでしょうが!」
 カヲル君は、そんなミサトさんの態度を苦笑で受け流す。
「って言っても人類も同じ使徒だって言うんなら、親戚みたいな物だって思うしかないわよ……」
 そんな風にミサトさんが付け足すからだ。
 頭では分かってるんだと思う、がむしゃらに恨みを晴らそうとして来た使徒ではなく、本当に恨みを晴らすべき相手はその老人って人達や、父さんなんだということは。
「あ、そうそうシンジ君?」
「はい?」
「あなたの言った戦略自衛隊を使っての侵攻作戦、そのプランテキストは出て来たわ」
 ……これでまた僕が未来の記憶を持っているという話しが証明された。
「で、これからどうなるの?」
「さあ?」
「さあって……、あなたねぇ」
 呆れないでよ、でも僕ももう気楽に構えてしまっている。
「僕が知っているのはそこまでですよ、後はわかんないし……、でもそれが当たり前なんですよね?」
「当たり前?」
「だってそうじゃないですか」
 僕は突っかかり合う綾波とアスカを想像して頬を緩めた。
「幸せが何処にあるのかわからないけど、曖昧な物で護魔化したとしても、僕は前に進むって、そう決めたから……」
「曖昧にすんじゃないわよ!」
「はう!」
 あ、アスカ、パンプスは反則……
「あんたあたしとレイ、どっちにするつもり!?」
「ど、どっちって……」
「あんたも頬染めて勝ち誇ってんじゃないわよ!、かーっ、むかつくぅ!」
 きーって……、綾波も、向こうむいたまま照れてないでさ……
 うう、確かにほんとにこれで良かったんだろうか?
 でも、みんなが苛立ってないで笑みを浮かべていられるんだから。
 僕は穏やかな空気に包まれている事に気がついた。
 これはこれでいいのかもしれない。
 ミサトさんと目が合った。
(あたし許さないからね、一生あんたを許さないからね!)
 最後の言葉が蘇る、でも、今度は怒られないですみそうだった。



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