いつものようにクラスメートが転校していく。
しかし教室の、絶対に居なくなるはずのない人間の席が空いていた。
「碇君、どうしたのかしら?」
綾波レイ、彼女がパイロットなのだと言うことについては、既に周知の事実であった。
多くの人間がネルフの公用車へと乗り込む姿を目撃している、それでも疑わない者はいないだろう。
その身分違いの行動が、レイに対しての遠慮のような雰囲気を生み出していた。
またシンジの平凡な登校が、より格差を感じさせていると言っても過言ではない。
だからミーハーなファンは、こぞってシンジの後を追いかけていた。
しかしそれも今は鳴りを潜めている。
委員長である少女が話しかけた少年、相田ケンスケは、もう一人の友人のことを気にかけていた。
先日、自分達は自業自得とも言える軽率な行動から、危うく死んでしまう所だったのだ。
(あのロボット…、碇、なんだよな?)
確かに自分達の存在に戸惑っていた。
だが最後には戦いを優先したのだ。
それは正しい選択のはずだ。
(悪いのは…、俺達なんだよ)
洞木ヒカリ、この人の良い委員長を訝しむ。
(どうしたのか、だって?)
怪我をしたトウジとケンスケ、そしてその二人が抜け出したことと、戦闘が行なわれたこと。
自然と怪我の原因はシンジだと言う結論に向かい、揚げ句、市民病院が負傷者で溢れ出している事も手伝って…
「そう言えば…」
ヒカリはレイを見やった。
「やっぱり、気になるのかしら?」
(そりゃそうだろうさ…)
そっと溜め息を吐く。
レイはいつもの窓では無く、じっとシンジの机を見つめていた。
「同じパイロットだもん、そうよね…」
(違うと思うけどね)
「今日ね…、学校が終わったら行ってみようかと思うの」
「碇の家にか?」
「うん…、それでね?、綾波さん、誘ってみようかと思って」
「なに?」
「ひっ!?」
突然の声に驚く。
「あ、綾波、さん」
レイが鞄を持って背後に立っていた。
「帰っちゃうの?」
まだ授業はあるのにと続けようとしてやめる。
「あの…」
「…なに?」
ふと目に入ったのは、やはり痛々しいばかりの包帯だった。
「それ…、ロボットの操縦してて、怪我したの?」
赤い目は何も語らない、それどころか、感情も浮かべてはくれなかった。
かかる緊張感に生唾を飲み下す。
「ご、ごめんね?、大変に決まって…」
「次は、わたし?」
「え…」
教室中の人間が、二人のやり取りに注目をした。
「さよなら」
「あ、ちょっと待って!」
だがレイは無視した。
相手をしたくなかったのは、腹が立ったからかも知れない。
人付き合いの苦手な自分にも分かるほど、少女の言い様が癇に触るものだと知れたからだ。
このような視線に曝されて、誰が待てと言われて居続けられるものだろうか?
シンジが逃げたのはだからだろう、少なくともケンスケはそう考えている。
そしてレイもそうだった。
(何処に…)
行こうかと考えて、レイはそう多く選択肢を持っていない事に気が付いた。
今まで学校は孤独を感じられる空間だった。
できればその状態にまで戻してもらいたい物だが、それは無理と言う物だろう。
『碇シンジ』と言う『接点』が、その壁に穴を開けてしまっているのだから。
(碇君)
その名を思い浮かべると、胸に不快なものが沸き上がって来た。
理不尽とも言える苛立ちが募り始める。
彼は彼女を注目されるような存在に仕立て上げてしまった、間接的にではあってもだ。
なのに責任も取らずに逃げ去ってしまっているのだから。
(でも…)
レイにはシンジよりも、クラスと言う集団の中からシンジを弾いた彼らこそ、許せない存在であると感じていた。
許せないのは同じ、どちらにも苛立ちを感じる、何よりも居心地のいい空間を壊した両者に対して。
そして原因と引き金はシンジであるのに。
「何故?」
レイは下駄箱の前で立ちすくみ、その視線の先をシンジの上履きへ向けていた。
答えを求めて、さ迷って。
第四話「雨、逃げ出した後」
自分はどうかしてしまったのだろうかと、レイは深く思い悩んでいた。
シンジの話になると妙な苛立ちを感じて落ちつかなくなってしまうのだ。
気分が悪い、吐き気を催す。
だが考えてしまうのだ、それでも。
やはりあのエヴァンゲリオンの中で咆哮する、シンジの姿を見たからかも知れない。
(だからなのね…)
シンジは逃げた、彼らにぶつけず。
クラスメート達に対して溜まった鬱憤や苦悩は、あの幼い少女に対するものとも同じなのだろう。
そしてそれらは、ああして吐き出される時を待ちわびているのだ。
そう考えれば今のシンジがどれ程嘆き悲しんでいるのか理解も出来ようと言うものだった。
シンジの中にある屈折した憤懣やる方無い想いを自分は感じ取っている。
だから気持ち悪くても心配してしまうのだ、とレイは自分の心をそう判定付けた。
メディカルチェック。
レイはこの診療で、心も見てもらえるなら彼も受ければいいのにと横になっていた。
「十四歳だもんねぇ、人類の存亡を背負わせるには、やっぱ酷よね?」
ミサトはコーヒーを手に治療を受けるレイを見ていた。
「でもわたし達はエヴァの操縦を、十四歳の子供達に委ねざるを得ないのよ」
治療とチェックを行なっているのはリツコだ。
(そう、子供なのにねぇ…)
それは二人が持っている共通の違和感だった。
(そりゃ学校に行きたくも無くなるだろうけどさ…)
ミサトは当然のようにシンジのクラスでの立場を把握していた。
生贄を求めるのは子供も大人も同じだろう。
それがネルフでは無く、シンジに向かってしまったのは、彼らの手の届く場所に居るからだ。
(重いのかしら?)
肩書きが、エヴァのパイロットと言う名称が。
その重圧に囚われたくなくて、誰も自分のことを知らない場所を探して、ふらふらと遊び歩いているのかもしれないと想像してみる。
(子供らしくないか)
妙に冷めていると感じてしまうのだ。
諦めも良過ぎるように思える、だが苛めにあった子供のように、卑屈になっている部分は見受けられない。
「で、シンジ君の様子は?」
「それがさっぱり」
「さっぱり?」
「この間の戦闘の後の話、したわね?」
「ええ」
「あの子にとって、エヴァに乗る事が何なのか…、わからないのよ」
そう、わからなかった。
正確には分からなくなってしまっていた。
ミサトの危惧していた通り、シンジは選択として友人の安全を放棄したのだ。
そして死にたくないと泣くように喚いた。
あれほど冷めていながら、それでも死にたくないというのだ。
(どうだっていいって言葉は無いのかしら?)
自分の過去に当てはめる。
(頼る人がいないから、強くなるしか無かったというの?)
それだけでは推し量れない何かがある。
「でも、いま一番使えるパイロットなのよ」
「そうなのよねぇ…」
使える、と言う意味では確かにそうだった。
だが手に余るのも事実であるのだ。
ミサトは手に馴染まない道具に苛立ちを感じていた。
「サードチルドレンの訓練は予定以上に進んでいます」
「そうか…」
そんなミサトの苦悩を知った上で、リツコはレイと共にゲンドウに付き従っていた。
「零号機の再起動実験の如何に関わらず、サードには使徒迎撃を担当させる」
「いいのですか?」
「マルドゥク機関の報告によると、フォースチルドレンはまだ見つかっていない」
「パイロットの入れ替えは利かないと言う事ですか」
(シンジ君を捨てるつもりね…)
リツコは小さく頷いた。
何か不穏なものを感じさせるのだ、シンジは。
どこかこちらの意にそぐわない部分をひた隠している。
そんな気がする。
(この人に必要なのは…)
駒なのだ、部品であって、人間ではない。
『綾波、レイ』
結局、シンジのあの呟きを報告することは出来なかった。
聞き間違いだったのかもしれないが、それ以上に時と共にレイを温存しようとするゲンドウには話したくない事になってしまっていた、心情的に。
そんな二人の会話を耳にしながら…
(何故、彼の想いに気が付かないの…)
レイは物言いたげな視線を、二人の背中に投げかけていた。
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