「ミル55d輸送ヘリ!、こんなことでもなけりゃ、一生乗る機会なんてなかったよ、ほぉんと持つべきものは友達って感じ、なぁ、シンジぃ」
「はぁ?」
空母へと向かうヘリの中、ミサトはそんな皆の様子に微笑んでいた。
(なんだかねぇ…)
思わせぶりな言動につい何かあるのではないかと疑ってしまいがちになっている。
しかしこうしてはしゃいでいる姿を見ている分には…
(やっぱり普通の子供なのよねぇ?)
だがだからと言って、これまでのことを忘れられるはずも無い。
(最初の頃のあれは何だったのかしら?)
最近、不登校をやめて学校に戻ってからと言うもの、まるでそれまでの退屈を埋め合わせるかの様に精力的に遊んでいる姿を目にしていた。
昼は学校で馬鹿な話しをし、ネルフの行き帰りには本屋やレンタル店を物色、家に帰ってからは溜め録りしたテレビを視聴、次の日にはそれをネタにまたくだらない話をくり返している。
(普通の、ほんとに普通の中学生なのよねぇ…)
だがそれは本当に楽しくてやっている事なのだろうか?、と不安を感じずには居られないのだ。
どこか必死で、それも「型通りの中学生」を真似ているように思えてならない、ポーズやスタイルを演じている様な…。
(まさか、ね・・・)
まるで失われた時間を取り戻す大人のような必死さを感じてしまう。
だがまだそのような焦りを抱くには早過ぎる年齢だろう。
ではなんなのか?
(じゃあやっぱりあれかしらねぇ?)
『それともシンちゃん、レイといちゃついてた方がいいのかなぁ?』
『なにぃ、碇ぃ!』
『きっさまぁ!』
それはあまりに駄々をこねるので、ヘリ搭乗寸前に放った爆弾であった。
第八話「アスカ、来日」
「来たわね」
その少女は空の一点に染みのように浮かんだ黒粒に対して呟いた。
ニヤリと猛禽類のような瞳で舌なめずりをする。
整った容姿のわりには余りにもすさんだ印象が伺えた。
着艦するヘリ。
空母の上に降り立ち、二人の少年ははしゃぐように飛び出して行く。
(ほんと、落ちついてるわね?)
傍らの少年は何か気負っているかの様な緊張感を漂わせていた。
(サードチルドレンの自覚ってとこかしら?)
周囲の目を気にしてくれているのかもしれない、と考えて苦笑がこぼれた。
他二名によって、それは無駄に終わっているからだ。
空母の乗務員達の忍び笑いが聞こえて来る。
(さてと…)
ミサトは先程から待ち構えている少女に目を向け直した。
「ヘロゥ、ミサト!、元気してた?」
馴染みのある声に、ミサトの顔がわずかにほころぶ。
そのためシンジの微妙な変化に気付けなかった。
「紹介するわ?、エヴァンゲリオン弐号機の専属パイロット、惣流・アスカ・ラングレーよ?」
風が吹いた。
(わぁお…)
パン、パン、パン!
景気の良い音が鳴った。
「なにすんねん!」
「見物料よ?、安いもんでしょ」
「なんやてぇ!、そんなもん、こっちも見せたるわい!」
(ずりって…、並みの下か)
妙にリアルな評価を下す。
「で、噂のサードチルドレンはどれ?、まさか…」
「違うわ?、この子よ」
「ふぅん…、冴えないわね?」
(そうかしら?)
アスカは外見を言ったのだろう、それはわかる。
だが物怖じせず、それどころか親しみさえ浮かべているその表情は何なのだろうか?
(気に入ったのかしら?)
「薄いブルーか…」
(やるわね?)
もう一発平手を貰うその姿に、ミサトはうんうんと頷いていた。
「ではこの書類にサインを」
「まだだ!」
(ま、そうこなくちゃね?)
彼女、惣流・アスカ・ラングレーは得意になっていた。
それはそうだろう、二つの組織が自分の所有権をめぐって争いをしているのだから。
だが彼女は気付いていない、それは「使い走りにされている」ことに対する意地であって、彼女の価値を論じているわけではないのだから。
「なに嬉しそうにしてるのさ?」
(なっ!)
だからシンジの問い掛けにはムッとした。
瞬間沸騰湯沸かし器を上回る、まさにポジトロンライフルで芦の湖を撃ち抜いたような加熱ぶりだった。
「あんたバカぁ?、このあたしと、弐号機を運ぶためだけに太平洋艦隊が動いてるのよ?、ミサトも言ったでしょうが!、重要度を考えなさいって」
(あんたなんかと違うんだから!)
そのやり取りをミサトは背中で聞いていた。
(重要度…、そうかしら?)
それを考えるのならばシンジがここに居る事の方が余計におかしい。
なぜ同行させる様に指示が出たのだろう?
(初号機とシンジ君…)
その組み合わせはまさしく最強のはずだ、その手駒をわざわざ崩す、全く理由が分からない。
「はいはい…、どうせ僕なんてヘリ一機でほいほい運ばれるようなチルドレンですよ」
(彼もそう思っているのね…)
シンジの言葉に確信を抱く。
シンジは確かにどこかで疎まれているのかもしれない。
(恐いから?)
十四歳の子供の何を恐がるというのだろうか?
(あるとすれば…)
初号機の存在、チルドレンにのみ操れるエヴァ、そして…
(レイとは違う)
想い通りには操られない、賢しい子供。
そこまで辿り着き、自分が何処かリツコのようにシンジを同格に見ている事を知って愕然とした、が、そのショックはすぐに別のものに塗り変えられた。
「相変わらず凛々しいなぁ」
(ぬあっ!?)
知っていると言えば余りにも聴き慣れた声にのけぞる。
そこに居るだけで体臭までも思い出せる相手に、ミサトの思考はブレーカーが落ち、完全に停止してしまったのだった。
「今、付き合ってる奴、いるの?」
「そそそれが、あなたに関係あるわけ?」
(さいってぇー)
頭が痛かった。
何よりも子供達の視線が痛い。
「彼女の寝相の悪さ…、治ってる?」
「「「えええー!」」」
「それよりは胸放り出して歩き回るのやめて欲しいですね」
「「なにぃ!、碇ぃ、きさまぁ!」」
「そそ、そんなことしてないでしょう!?」
「冗談ですよ…」
(こ、このガキャ…)
思わずアルミのカップを握り潰してしまう。
「はは、相変わらずか、碇シンジ君」
「ええまあ…」
「噂通りか、シンジ君は?」
「噂?」
「この世界じゃ有名だからね、なんの訓練も無しにエヴァを動かした、サードチルドレン」
一瞬、ほんの一瞬でミサトの手から力が抜けた。
外の噂についてはミサトも気にしていたのだ。
本部にいれば全てに携わっている分、さほどに思うことは無い。
(でも、ね…)
アスカの目つきを見ても分かるだろう。
突然現われ、初起動でほぼ限界と思われるシンクロ率を叩き出し、揚げ句に反撃も許さぬほど完璧な戦闘を行なったサードチルドレン。
それがどれほどの驚異に値するのか?
(本部付きでよかったわ…)
でなければ今頃、シンジの情報を集めるために奔走させられている所だろう。
実際支部方面の諜報部は、かなり活発に活動している。
だがシンジの返事はそんなミサトの心配を全て杞憂にしてくれた。
「…動くのは分かってましたからね」
(なんですって!?)
目を剥く。
O9システムと呼ばれるほどの起動確率で、どうして確信が抱けるというのか?
「偶然じゃないと?」
「才能とも違います、リツコさんにでも聞けば分かりますよ、教えてくれるかどうかは知りませんけど」
(リツコが!?)
ちらっとだけ加持の様子を窺う、狡猾なものが目に窺えた。
(加持、あんた…)
ミサトはその隠し切れない冷徹なものに、加持がただの随伴ではないと確信をした。
(ま、それはそれとしてよ!)
「シンジ君!、あなたね!?」
まだ残りの少年達の視線が痛い。
「み、ミサトさんの…」
ううっと、頭を抱え込む。
健康な青少年の妄想…、と頭では分かっていても、女性としての嫌悪感がそれを許さないのだ、鳥肌が立つ。
まさか殴りつけてまでやめさせるわけにもいかない、相手は子供なのだから。
(でもね!)
シンジは違う、どこか計算を感じるからこそ対等に言い合える。
ミサトは気付いていない、そのことが心を軽くしてくれている事に。
それでも、時折次の様にドキリとさせられる事がある。
『監督日誌、ちゃんと片付けた方がいいですよ?』
シンジの台詞に顔色を変えざるをえなかった。
「いいですよ、ミサトさんだから」
それは許される事ではないだろう。
裏切りと取られても仕方の無い事のはずなのだ、なのにシンジは良いと苦笑して許してくれる。
(不思議よね?)
大人なのだ、やはり、何処か落ちついていて。
「サードチルドレン!」
(はぁ…)
ミサトは溜め息を吐いた。
(でもアスカには逆効果なのよねぇ?)
超然とした態度は格下に見ている、舐めているのと同じだと彼女は思っている。
それを知っているからこそ、ミサトはシンジとアスカが決して交わらないものだと確信していた。
「赤いんだ、弐号機って」
シンジの呟きに得意になり、アスカはふんぞり返る様に胸を張った。
「これが実戦用に作られた世界初の本物のエヴァンゲリオン!、所詮本部にあるのはプロトタイプとテストタイプ、訓練もしてないあんたにいきなりシンクロしたのがその良い証拠よ!」
(そうよ、でなきゃあんたなんかとシンクロするもんですか!)
アスカは完全に見下していた、何よりもシンジよりキャリアは遥かに長いのだ。
それだけ慣れているし、知っている事も多い…、とアスカは信じ込んでいた。
正式タイプとして調整されたエヴァンゲリオンは特化している、それだけに誰とでもシンクロするような事はあり得ない、とも。
「ねぇ、君はもうシンクロできてるんだよね?」
「当ったり前じゃない!」
だからその言い様には腹が立った。
(あたし以外の誰がシンクロできるって言うのよ!)
「ちょっとあんた、聞いてんの!?」
しかしシンジは無視するようにぼうっと見上げている。
(なによこいつ!?)
「ちょっと!、なにボケボケッとしてるのよ!」
ゴォン!
アスカは食って掛かろうとして、襲いかかって来た衝撃にバランスを保つので精一杯になった。
「水中衝撃波!、爆発が近いわ」
慌てて駆け出す。
ひとまずシンジのことは置いておく、優秀な者として状況の判断によって気持ちを切り換えるくらいのことは学んでいた。
「使徒」
「使徒、あれが!、本物の!?」
(ちや〜んす…)
アスカは思った。
あれが本物ならば、この何も分かっていないバカに何が正しいのかを教えられると。
理由はそこに存在するのだ。
(現場の判断って奴ね!)
アスカはシンジの手を引いた。
彼女はシンジの、微妙な表情は見ていなかった。
錯綜する悲鳴が艦内を飛び交ってる。
アスカは走りながら毒づいていた。
(もう!、なんなのよこいつ)
焦るでも無く、恐がるでも無い。
いま使徒に襲われれば間違いなく死ぬだけなのだ。
(なのに、なんでよ!)
彼は落ちつくどころか、何かの確信を抱いているかの様に笑みまでこぼしている。
やがてアスカは、丁度いい隠れ場所を見付けた。
「ちょっとここで待ってなさいよ!」
振り返って怒鳴り付ける。
「着替えるの?」
かっと赤くなった。
「覗くんじゃないわよ!」
つい気恥ずかしさから怒鳴ってしまう。
(なんてデリカシーが無いのよ、こいつは!)
しかしシンジは取り合わなかった。
「そうじゃなくて、君が乗るならミサトさんの所に戻ろうかなぁって…」
(こっ)
怒りに歯を噛み締める。
(こいつは!)
まさしく激怒だ。
「あんたバカァ!?、女の子だけおいて逃げようっての?」
「恐いの?」
瞬間、手を振り上げる。
「いいから!、あんたも乗るのよ!」
「はいはい…」
まるで効かなかった、頬を張ったというのに驚くでも恐がるでも無い。
(こっちの手の方が痛いって言うのに)
ひりひりと彼の頬ほどにも赤くなってしまっている。
「じゃあプラグスーツ貸して」
「あたしの着ようっての?、この変態!」
「あのねぇ…、パーソナルデータも入ってないのに、プラグスーツもインターフェースも無しにどうしろってのさ?」
「なんとかなるわよ」
「ならないよ、異物を入れたからってシンクロ率が落ちるだけさ」
(なんでこいつ、そんなことまで知ってるのよ!?)
相手の予想外の一面を知ってアスカは動揺した。
(ただのガキじゃないっての!?)
侮れない、と、アスカは心のメモに一行加える。
「わかったわよ!」
引き下がるしかない、理にかなっている以上、それを否定するのは愚かな事だ。
鞄に手を突っ込みしぶしぶ予備を押し付ける。
「変な事考えないでよ?」
「なにをだよ?」
「なにって、この…、変態!」
「まったくもぉ…」
(ひっ!)
アスカは全身を総毛立たせた。
「あんたなにやってんのよ!?」
「なにって…、シャツを脱ごうかなぁって…」
「バカァ!、無神経!、何考えてんのよ!、エッチぃ!」
「惣流さんが早く下に行って着替えればいいんだよ」
「わかってるわよ!」
(信じられない!)
『薄いブルーか』
『なに嬉しそうにしてるのさ』
『それよりは胸放り出して歩き回るのやめて欲しいですね』
あまりにも無神経過ぎる。
(違う?)
相手にされてない、というような気がしてカッとなった。
子供の相手をするように、まるであやすような受け流し。
(バカにしてるの!?)
再び感情が爆発する。
(ばかにして!)
わからさなければいけない。
果たして、どちらが上なのかを。
「アスカ、行くわよ…」
信念と思いを込めて、アスカは自分に呟いた。
それ以上に複雑な思いをシンジが抱いているとは気付きもしないで。
とにかく肝心なのは余裕の態度。
焦ってはいけない、相手に見透かされてはいけない。
「さ、あたしの見事な操縦を見せてあげるわ?、邪魔はしないでね」
そんなアスカの高慢な態度も、次の一言に崩された。
「…先に言っておくけど、ドイツ語出来ないからね?」
「出来るなんて思ってないわよ!」
いきなり仮面は剥がれ落ちる。
(なんでこいつってこう!)
神経を逆撫でにして来るのだろう?
しかも的確に、針で突くように刺激してくれるのだ。
それはまさに才能とも呼んでもいいのかもしれない。
しかしそんな考えも、このやり取りの中で消え去った。
『構わないわアスカ、出して!』
『勝手は許さん!』
『こんな時に段取りなんて関係無いでしょ!』
「ミサトさん…」
驚くほど低く、重みのある声だった。
(加持さん?)
似ているわけではない、ただ自分の知っている中で一番似ていたと言うだけにすぎない。
凄味が、違った。
「前にも言いましたよね?、こっちが恐い思いしてる時にケンカなんかしないでよ!」
言っていることは子供のそれと同じだが、込められている感情が余りにも違い過ぎていた。
(恐いの?)
アスカはそれを考えた事が無かった。
戦うということは命をかけると言う事だ。
今の今まで華麗に戦い、使徒を倒し、誉められる。
自分の価値が認めれ、人からは誉めはやされるようになる、と、単純に信じて疑っていはいなかった。
もちろん今もそう考えてはいるのだが…
(そう、そりゃそうよね?)
負けるかもしれない。
力が及ばないかもしれない。
死ぬかもしれない。
その時点で何もかもが零になってしまうという可能性。
それは常に付きまとう可能性だ。
(バカッ、なに考えてんのよ!)
アスカはその考えを頭から否定した、否定せざるを得なかった。
「電源ソケットの準備をして!」
『わかったわ!』
(あたしは死なないわ!)
アスカは自分に向かって暗示をかけた。
死ぬわけにはいかないのだ、そのために苦労を重ねて来たのだから。
そしてその辛さは自分こそが一番よく分かっている、なのに…
(なんでよ、こいつ…)
「行けるよね?」
「わ、わかってるわよ!」
優しく、初めて自転車に乗る時にかけられたような声音に、アスカはつい赤くなってしまった。
「飛んで!」
「くっ!」
つい反射的に従ってしまう。
(あたしのバカ!)
これでは余りにも情けない。
(エースはあたしなのよ!?)
「空母はあっちだ!」
「わかってるわよ!」
さらに跳ねる。
「エヴァ弐号機着艦しまーっす!」
(この!)
思った以上に足が滑った。
慌てて立て直しを計るのだが上手くいかない。
「踏ん張って!」
「分かってるわよ!」
「電源」
「一々うるさい!」
「使徒は向こう!」
「うるさいって言ってるでしょ!」
(なんなのよこいつは!)
頭で次を考えようとする半瞬先に言葉にされる。
頭を掻き乱されて余裕が失せた。
「ミサトさん、ニードルは装備されてるの?」
『ええ、それとプログナイフ!』
(勝った!)
シンジの先に動けた事にアスカは満足した。
抜けと言われる前にナイフを抜いて、正面に構えて使徒を迎え討つ。
「来る!」
咄嗟にナイフを捨てて跳びかかって来た使徒を受け止めた。
『良く止めたわ!』
(当たり前じゃない!)
武器にこだわってやられてしまうのではバカではないか。
それぐらいの判断力は備わっていた。
しかし。
「足場の確認して!」
「黙って…、きゃあ!」
集中力を掻き乱されて、アスカは使徒と共に転覆した。
「だから確認しろって言ったろう!?」
「あんたがごちゃごちゃうるさいからよ!」
責めてやろうと思ったのに、先手を取られてアスカは吠えた。
『アスカ!、B型装備じゃ水中戦闘は無理よ!?』
「そんなのやって見なくちゃ…」
「アスカ、使徒を離して」
「な、なんでよ!」
「いいから!」
「きゃあ!」
衝撃が走る、ケーブルの長さが限界に達してしまったのだ。
「ケーブルは損傷してませんか!?」
『え?、ええ!、目標は?』
(そう言う事なの!?)
目前の敵だけではない、敵を倒すために全体の把握を行なっていると感じた。
状況は複雑に絡んでいるのだ。
(なんのよ、こいつ!?)
戦慄が走る、本当にぽっと出のチルドレンなのだろうかと訝しむ。
真実はシンジがミサトを信じていないだけだ、だから何でもかんでも自分でやろうと気張っているだけである。
「戻って来ます、アスカ、なにやってるの!」
「え?、や、口ぃいいいい!?」
「使徒だからねぇ…」
(なんでそう落ちついてられるのよ!)
焦ったり落ちついたりからかったりと、まるで落ち着きのない少年の態度に掻き乱される。
アスカは自分を見失いつつあった、それだけ地が露出しているとも言い変えられるが。
震動、衝撃、一瞬意識を飛ばしてしまう。
『エヴァ弐号機、目標体内に侵入』
(はっ!)
気がつけば、少年の体が「大事な所」に覆い被さっていた。
「いつまで乗ってるのよ、えっちぃ!」
気恥ずかしさが爆発した。
(やっぱ敵だわ!)
そう位置付ける。
しかしまたしてもひっくり返された。
「だったら早くレバー握って!」
「え?」
「使徒に噛まれてるんだよ?、痛くないの?、それってシンクロ率かハーモニクス…、神経接続が上手くいってないって事だよ!」
「あたしと弐号機は完璧よ!」
「じゃあなんで僕のお腹は痛いのさ!」
「え?、ええ!?」
ハンマーで殴られたような衝撃が走った。
傍目にも分かるほど、彼のスーツが窪んでいたのだ、歯形を象って。
シンジの体は陥没を起こしていた。
(嘘!?)
そこにあるのは明らかな現実だった。
彼のシンクロ率が上なのか?、あるいは何処かに故障が発生しているのかと考えを巡らせる。
「僕だけじゃ弐号機は動かせないんだよ!、アスカの弐号機なんだろ?、早くして!」
「わ、わかったわ…」
(でもどうすれば…)
手持ちの武器はない、その上握った途端に自分も彼と同じ痛みを味わうのだろうか?
その一瞬の逡巡にアスカはまたも殴られたように驚いた。
(脅えてるっての?、このあたしが!?)
恐怖心を強気で追い払いレバーを握る。
痛みは…、襲って来なかった。
「ミサトさん…」
はっとする。
『シンジ君、大丈夫なの!?』
(こいつ!?)
脂汗が浮かんでいる、声も枯れるように細く弱々しい。
大丈夫でないのは明白だったが、それでも弱音を吐こうとはしないのだ。
(なんで!?)
「使徒の口の中にコアを見付けた…、エヴァでこじ開けて中に入るしか思い付かないんだ」
それでも戦おうとする彼に唖然とする、先程、一瞬であっても脅えてしまった自分とは大差があった。
アスカは打ちのめされている自分を自覚した。
『水中での爆発は大気中より破壊力が増すの、いくらエヴァでも巻き込まれればタダではすまないわ!』
「なら武器を…、武器になるものならなんだっていいから、早く!」
だが同時に、彼が噂ほどでたらめではないとアスカは感じた、今とてただ無理をしているだけなのだから。
ただのやせ我慢をアスカは見付けた。
(あたしだって!)
アスカはその様子に勇気を振り絞ことができた。
彼に出来て、自分に出来ないはずは無いのだからと。
それに傍観者になるために乗ったのではないのだから。
(そうよ)
この冴えない少年に自分の力をひけらかすために乗ったのだ。
それを思い出し、シンジに命じる。
「ちょっとあんた、早く代わりなさいよ」
「ダメだ!」
「なんでよ!」
(なんであたしの邪魔をするのよ!)
何故だろう?、泣きそうだった。
しかしシンジの答えはアスカの想像を大きく越えた。
「僕がノイズを混ぜてるからハーモニクスにずれが出てるんだ!、エヴァとの同化率は僕の方が高い…」
「そんな…」
「でも弐号機とのシンクロそのものはアスカじゃなきゃダメなんだよ!、アスカは動かす事だけを考えて」
(シンクロ率が低いのにハーモニクスは上だって言うの?)
よく分からない、アスカはその二つを同じものだと思っていたから。
事実、シンクロ率とハーモニクスの上昇率は、ほぼ比例する数値を通常は見せる。
『二人とも!、ケーブルをリバースすると同時に使徒の口を開口、いいわね!』
ミサトの声にハッとする。
「なんとかするわよ!」
(こいつには、もう!)
これ以上は任せたりはしない。
アスカは自分の役割を思い出した。
『ケーブル、リバース!』
震動、衝撃。
「くあっ!」
(こいつ!)
痛みは想像するしかないのだが、それでもレバーを放そうとしない精神力は刮目に値する。
『戦艦二隻、目標に対し沈降中』
『エヴァ、浮上中!』
「いいわね?、考えを集中させるのよ?」
なるべく優しく、聞こえるように囁いた。
「わか…、てる」
(返事なんかいらないわよ!)
アスカは自分が喋れば必ず答えようとすると感じて、言葉を噛んだ。
『接触まで、あと二十!』
(離すんじゃないわよ!)
アスカは力の抜けかけたシンジの手を、わざと押さえるように押し出した。
『あと十!』
(開け、開け、開け、開け、開いてよ、このぉ!)
一瞬頭が真っ白になる。
(何でこんなに辛いのよ?、あたしはもっと華麗に、敵をやっつけて…)
ヒーローになる予定だったというのに。
彼女はキレた、恐らく生まれて始めて本気で切れたのだろう。
「こんちくしょー!」
女の子にしては余りにもはしたない雄叫びを喘げてしまっていた。
シンクロ率が跳ね上がる、暴走直前にまで引き上げられた。
力が発動する。
『撃てぃ!』
ミサトの声が聞こえた。
衝撃、爆発。
(くうっ!)
それに堪えて、ATフィールドを展開する。
(痛っ!)
海上すれすれであった事から、爆圧は生まれずに衝撃は全て海上へと逃がされた。
上がる水柱と、それを利用して宙を舞うエヴァンゲリオン。
(なに、これ!?)
腹部に鈍痛が走った。
空母の上に降り立って、アスカはひと息つくよりもシンジを押しのけようとしてしまった。
「ちょっと、いつまで触ってんのよ、どいてったらぁ!」
痛かったのだ、『エヴァの損傷』と同じ部分にのしかかられて。
「どいてってば、ちょっとねぇ…」
アスカの顔色が変わった、気がついたのだ。
(これって!?)
この痛みの正体が何なのかを。
「ねぇ、ちょっとぉ!」
先程のシンジの言葉が蘇る。
(ハーモニクス、同化!?)
しかもこの痛みはハーモニクスが解除される直前に襲って来た痛みだった。
では戦闘中ずっと苦しんでいたシンジの負担はどうだったのだろうか?
想像するだに、ぞっとする。
「生き…、てるよ」
アスカの何かに、彼が触れた。
涙がこぼれる、つい安心してしまったのかもしれない。
(生きてる…)
これまたシンジの言葉が蘇る。
『前にも言いましたよね?、こっちが恐い思いしてる時にケンカなんかしないでよ!』
恐い、そう、恐かった。
一人なら調子に乗ったままで戦えたのかもしれない。
しかしこの少年に見せられてしまったのだ。
戦いの中で与えられる苦痛と、それに堪えてなお事を成そうとする意思がどのようなものであるのかを。
「なんなのよ、こいつは…」
この短い間に見せられた彼の様々な態度と姿、それに言葉に。
アスカは確かに変えられていた。
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