MAGMADIVER
 第三新東京市は芦の湖が近いために、それなりに涼しい風が吹く街ではあるが、逆に迎撃都市としての硬過ぎる大地が、人が住むには不適切な輻射熱を放っていた。
 だというのに、である。
 この少女はその吹き出す汗をものともせずに、じゃれつくように男の腕に噛り付いていた。
「ラッキー、加持さんにショッピングを付き合ってもらえるなんて」
「おいおい…、シンジ君の方が良かったんじゃないのか?」
 その名が出た途端、アスカの頬はプクッと膨れた。
「あんな奴なんてどうでもいいわよ!」
(やれやれ、これも仕事か…)
 ぷんすか怒っているのは、結局シンジが出ていってしまったからだろう。
(俺としちゃあ、その方が面白かったんだが…)
 やれやれと顎先の不精髭を撫で回す。
 女の子は恋をすれば変わる…、とは良く言われる言葉であるが、加持の考えは少しばかり違っていた。
 正しくは「異性を意識する」のが問題なのであって、そのきっかけとして「恋愛対象の出現」が上げられる確率が高いだけなのだ。
(っても、アスカには分からんか)
 異性イコール恋愛対象として直結してしまうだろう、その想像は難くない。
 だからこその反発なのだろうが。
 加持の視点でのシンジは、「アスカの予想範囲外」にいる人間なのだ。
 相手の考えや行動が想像の範疇を越えないから「バカ」に見える、大人は自分にも思いつきもしないような考えを見せてくれるから尊敬できるのだ。
 しかしシンジは同い年でありながら、アスカに全てを晒した上でその考えを読み取らせない。
 容易く裏切り、覆す、確かにアスカには実に不可解な少年として見えていた。
(ま、それでも、世の中には男と女しか居ないんだがな?)
 子供の時分はその中間点に存在している。
(ようやくアスカも女の子になったってわけか…、でもなぁ)
 加持は連れていかれたショッピングモールのコーナーにて、冷房にも負けない嫌な汗をかかざるをえなくなった。
「ここ水着コーナーじゃないか」
(勘弁してくれぇ)
 頭を抱える。
「ねぇねぇ、これなんかどう?」
 そんな加持の苦悩を露とも知らずに、アスカは楽しげに露出の大きなストライプのビキニを合わせてみせた。



第拾話「マグマダイバー」



「いやはや、中学生にはちと早過ぎるんじゃないかなぁ?」
 加持はそれを付けたアスカを想像して苦笑した。
 やはり『大人の色香』には及ばないからだ。
(これもシンジ君の影響かねぇ?)
 上層部ではパイロットが子供である事に対する不安が増大していた。
 そしてそれを懸念させたのが前々回の戦いであり、確たる不安を抱かせたのは前回の戦闘であった。
 思春期の子供の都合を持ち出されては困るというのだ。
(シンジ君もシンジ君だな?)
 加持はつい、恨めしげに飄々としていた少年を思い浮かべた。
 葛城家からの退去、その命令に反発することなく従ったのだ。
 碇シンジは。
 弁護しようとしたアスカが何を言い出すのかと口ごもった程、あっさりと受理したのである。
 最初からそのつもりでしたし、とシンジが口にした事からも、その決定は確定事項になってしまった。
 こうして、シンジの転居は決定していた。
 圧倒的な攻撃力を誇る初号機、その専属パイロット。
 さらには他のチルドレンに対する影響力まで見られ始めた、そのための配慮でもあったのだろうが。
(予防策のつもりか?)
 姑息な、と思う。
 大人の考えなのだ、引き離せば良いと思っている。
(その方が意識させる事になるってのに)
 何故人間は、大きくなると子供の頃の感情を忘れてしまうのか?
 加持は複雑に見えて単純な乙女心を、多少なりとも見切っている。
 そんな風に一歩引いているから、アスカに溜め息などを吐かせることになっていた。
(あたしって、バカ…)
 明らかにこの場を盛り上げるために無理をしている。
 そんな自分を見付けた時に、もう護魔化しが利かなくなってしまっていた。
(浮かれようとして…)
 落ち込みたくは無いから。
(『そうなんだ』、か…)
 加持の子供に合わせた態度、その演技がどうしても気になってしまうのだ。
 口調が、以前は気にならなかったものが、酷くささくれ立って来る。
(なんでだろう?)
 今の状態はまさしく自分が望んでいたもののはずなのに。
 何か味気なく、そっけない。
「ねぇ、加持さんは修学旅行、何処に行ったの?」
「ああ、俺達そんなのなかったんだ」
「どうして?」
「セカンドインパクトが、あったからな?」
 加持の言葉は、重かった。


「はあ、修学旅行、ですか?」
「そ、悪いけど、戦闘配置だから」
「いいですよ、別に行く気もありませんでしたから」
 気軽に言って、手の中のカップを弄ぶ。
「冷めてるのねぇ?」
 ミサトはシンジを執務室に呼び出していた。
 それ以外にも会話を持ちたいと考えての事ではあったが。
 アスカの代わりにシンジを追い出さざるを得なかった。
 それは同時に、アスカが被っていた「住居確保」の延期をシンジに負わせたということでもある。
 しかしミサトも「すぐに」と言うつもりでは無かったのだ、上層部には『転出先の確保後』と強引に条件を加えさせていた。
 そこにはアスカの時にもあった、住宅不足を計算してのこともある。
 案の定、チルドレンを監視できる住宅条件をクリアする物件は見つからなかった、なのに、である。
 シンジはその命が下った途端、さっさと出ていってしまったのだ。
 少々の着替えをバッグに詰めて。
(子供にさせる事じゃないわよ!)
 もう何人もが自動販売機前のベンチで、無防備に寝っ転がっているシンジを見て訴えに来ていた。
 子供達に矢面に立たせなければならない、それは仕方の無い事だろう。
 しかしその様にすさんだ生活を送らせる事まで、「しかたのない」内に入るのだろうか?
(まったく!、上はなに考えてるのよ!?)
 他の部署の人間は別居を申し渡した事からも責任を感じて動いてはいる。
 しかし急な人員の増加に伴って、ジオフロント内の宿舎にも空きはない。
 こうなるとミサトが付け加えた『物件の確保後』と言う項目は、逆にミサトにとって不利な形で働いていた。
 こちらはまだ確保していないのだから、文句があるなら連れ戻せ、と言うのである。
(それでアスカとくっついたらどうするつもりなのかしらねぇ?)
 まさしく本末転倒だ。
「アスカったらもう、ごねて大変だったんだから」
 ミサトはふと、シンジとアスカを重ねて感じの違いを探してしまった。


「はぁああああ?、修学旅行に行っちゃダメぇ!?」
 すさみ始めた葛城家のリビングに、悲壮なアスカの悲鳴が響き渡る。
 それに対してミサトは、「そ」と一言だけ簡潔に付け加えただけだった。
「どうしてぇ!?」
「戦闘待機だもの」
「そんなの聞いてないわよ!」
「今言ったわ?」
「誰が決めたのよ!」
「作戦担当のあたしが決めたの」
(ほんと、子供よねぇ?)
 だが普通の子供というのはこうではないのだろうかとミサトは思う。
(でもアスカ、どんどん変わってくわね?)
 ミサトは最近、とみにアスカの変容を感じずには居られなかった。
 そう、ドイツではもっと張り詰めていたはずだった。
 加持にしか懐いていなかったのが、その良い表われでもあろう、なのに…
「気持ちは分かるけど、こればっかりは仕方が無いわ?、あなた達が修学旅行に行っている間に使徒の攻撃があるかもしれないでしょ?」
「いつもいつも待機待機待機待機っ!、いつ来るかわかんない敵を相手に守ることばっかし!、たまには敵の居場所を突き止めて攻めに行ったらどうなのよ!」
 ミサトの考えも一端は当たっていた、しかし大幅には間違ってもいたのだ。
 アスカは苛だっていた、それはシンジが出ていってしまったこと、加持とのデートが気まずい終わり方をしてしまったこと、さらに。
 ここに、綾波レイが来ている事にも起因していた。
 自分を中心にして動いていたものが、ここでは他人に合わせて回らなければならない。
 それだけならまだ良いのだが、皆が中心にしているらしい少年は、あっさりと軌道をころころころころ変えるのである。
 アスカはその修正が追い付かないようになっていた。
 それこそが情緒不安定の原因なのだ。
「ま、二人ともこれを良い機会だと思わなきゃ、クラスのみんなが修学旅行に行っている間、少しは勉強が出来るでしょ?」
 レイは飲むかどうか迷っていた『黒い液体』から目を上げた。
 ここへはミサトに送られてついでに寄っただけである、お説教に付き合うつもりは無い、いつ帰るか?、帰る前にこれに口をつけるかどうか?
 それだけをひたすら悩んでいたのだ。
 ちなみに彼女には自宅待機への不満はまったくなかった、もちろん異論も存在しない。
 むしろここを離れると言うアスカの言葉にこそ奇異な感想を抱いてしまう、自分達はパイロットなのだ、そして使徒を倒すためにここへ集められている。
 それをわざわざ遠い地へと離れてしまってどうするのだろうか?
「旧態依然とした減点式のテストなんか何の興味も無いわ」
「業に入れば業に従え、日本の学校にも慣れてちょうだい」
「大体、シンジはどうなのよ!?」
 その名前が出た途端、レイはわずかに反応していた。
「まだ話してないわ?」
 見れば、苦々しげなミサトの顔。
 だからレイは口を挟んだ。
「碇君は、きっと…」
 レイの呟きにギッと敵視を向けるアスカ。
「何であんたに分かるのよ!」
(レイが…)
 ミサトは少々驚いていた。
 無感動、無表情な瞳をアスカへと向けて、レイが真っ向から『睨み返した』のだ。
「あの人はきっと…、諦めるもの」
 そしてこの台詞、である。
 それは二人の口をつぐませるには、実に十分な説得力が込められていた。


 エヴァのパイロットである事にプライドを賭けていたアスカが、どこか子供のようにはしゃいでしまっている。
 それは空気が軽くなったからではないのかとミサトは考えていた。
 ドイツで彼女にかけられていた期待は、ここではシンジにかけられている。
 プレッシャーの度合が空気の密度となって感じるほどに違うのだ。
 さぞや肩も軽かろう。
 しかしシンジはどうなのか?
「あ、アスカ、来てたの?」
「来ちゃいけない?」
 空港の屋上。
 飛び立つジェットだけでも見送ろうかと空を眺めていたアスカは、驚きを浮かべたシンジの声に振り返った。
「見送るとむかつくって言ってたじゃないか」
 肩をすくめるシンジにむすっとする。
 そう、確かに重圧はかけられているはずなのに…
「せっかくなんだし、みんなに会えば良かったのに…」
 シンジにはそれに応えるつもりが見られなかった。
 それはあくまで結果的に応えた形になっしまっているだけだからなのだろう。
「嫌よ、悔しいから」
「はは…」
 なんとなく背を手すりにかけてもたれ掛かる。
 そんなシンジにアスカはちらりと目を向けた。
(なんなのよ、もう…)
 普段は避けるくせに、今日は立ち去ろうともせず側に居る。
 落ちつかない。
 だが、嫌ではない、だから難しいのだ。
(あたし…、こいつが好き?、嫌い?)
 深い意味は無い。
「あんた…、午後からでしょ?、待機」
「ま、ね…」
「じゃあちょっと付き合いなさいよ!」
「あ、ちょっと!」
 有無を言わせず、アスカはシンジの腕を引っ張った。
 皆が彼を誉め称えている、自分がそうなりたかったのにと妬んでもいる。
(違うわ、自分で自分を誉めてあげたいのよ!)
 だが少年が喜ぶのは、誉められる事にでは無く、好きな人が無事であった事に対してだ。
(好き…)
 アスカは先日のシンジの台詞を思いだして赤くなった。
(こいつ、あたしが覚えてないと思ってんでしょうね…)
 そっと溜め息を吐く、だがそれでいいとも思えている。
 そうでなくては、きっとこうしてはいられないから。
「早く!」
「わかったってば!」
 ロビーに楽しげな声が響き渡る。
 アスカはシンジを、知らぬ間に『格』抜きの目で追いかけるようになっていた。


「修学旅行?、こんな御時勢に呑気なものね?」
「こんな御時勢だからこそ、遊べる時に遊びたいのよ、あの子達」
 そんな会話がなされているとは思わずに、二人はのほほんと歩いていた。
「ねぇ、何処に行くのさ?」
「せっかく出て来たんだから、買い物ぐらい付き合いなさいよ」
「はぁ?」
「いつも穴の中じゃ不健康だっての!」
「勝手に仕切るなよなぁ」
「ご飯ぐらい奢ってあげるからさ?」
「…ファーストフードじゃ嫌だからね?」
「任せなさいって、たまにはいいもの食べさせてあげるわよ」
「なんだよそれぇ…」
 ぶつぶつ言いながらも着いて来るシンジに、アスカは『よしよし』と満足げに微笑んでいた。
(なにかしら、ね?)
 この違いは。
 楽しいのだ、この思い通りにならない少年を従わせている事が。
 つい足も軽やかになり、ともすればシンジを置き去りにしてしまいそうになる。
 しかし、そうはならない。
 気が付けば、シンジが歩調を早めてはぐれないようにしてくれている。
 それはさり気ない気遣いなのかもしれない、条件反射なのかもしれない。
 アスカは取り合えず、前者として好意的に受け取ることにした。
(ほんと、犬みたい)
 ミサトや加持のように踏み込んでは来ない。
 繋いでおかなければ、勝手に何処かへ行ってしまう。
 構ってやらなければすねもする。
 アスカはぷっと吹き出した。
(そうよね?、なんたってこいつは…)
「なに一人で赤くなってるのさ?」
「うっさい!」
 だが迫力が無い、本気で怒ってはいないのだから。
 アスカもそれは重々承知していたのだが、それでもいいと考えていた。
 なにより、そのやり取りをこの上なく楽しいものに感じていたから。
 アスカにはそれで十分だった。


 ざぱんと飛沫が派手に上がった、飛び込んだのはレイだった。
 そのまま身をくねらせるように泳いでいく。
 本部待機とはいえ実験もテストもなく、今は暇を潰すだけだ。
 だからチルドレンの三人は、唯一レジャー施設代わりになる屋内プールを占拠していた。
(だってのに…)
 アスカは「はぁ…」っと肩を落とした。
 唯一の男の子は、何が楽しいのだか制服のままノートパソコンを相手に格闘しているのだ。
「なにしてんの?」
「宿題」
「ったくぅ、おりこうさんなんだからぁ」
 実は泳げないから逃げているだけなのだが、このシンジが泳げないなどと誰が想像することが出来るだろうか?
 アスカも当然、しなかった。
「…悪い子だから溜まっちゃってるんだけど、あ」
「ジャーン!、沖縄でスクーバできないんだから、ここで潜るの!」
「…浅いよ?、ここ」
(なんでそう人のやる気を削ぐのよ…)
 げそっと両手をだらりと下げかける。
「いいのよ!、どれどれ?、なにやってんの…」
(こいつが勉強ねぇ?)
 アスカはその内容に興味を引かれた…
 これだけ真剣なのだから、よほど凄いものと格闘していると思ったのだ。
 …のだが。
(なにこれ?)
 アスカは少しばかり驚いた。
 余りにも単純過ぎる公式だったからだ。
(なんでこの程度の数式が解けないのよ?)
 ふと疑問が過った。
(そっか、こいつ中学生だっけ…、中学生?)
 違和感が募る。
(なんかそれっぽくない)
 ふてぶてしさだけなら高校生には匹敵するだろう。
「はい出来た、簡単じゃん」
「ま、大学出てる人にはね…」
「まあね…」
(へ?)
 アスカはシンジの顔をまじまじと見た。
「なんであんたが知ってるわけ?」
 ぎくりと動揺するシンジを訝しむ。
(あからさまにしまったって顔しちゃって!)
 別段気にするような事でも無いのだが、一度気になったものは歯の間に詰まった食べかすのようにアスカに追及すべしと言及して来る。
 しかしシンジの護魔化しは非常にありきたりなもので…
「聞いたんだよ、うん…」
「あんたストーカーやってんじゃないでしょうねぇ?」
「や、やるわけないだろう!?」
 照れてそっぽを向くシンジに、つい可愛いと感じて鼻の穴をヒクヒクさせる。
 遡れば最初からだ、ユニゾンの同居、その時から気に入られる様にと従順に下働きを買って出ていたような感じが…
(一目惚れって奴?、気を引こうとして、こいつも結構純情なんだから)
 顔がほころんでいくのは何故だろう?
「なに赤くなってるんだよ?」
「うっさいわねぇ!」
(人の顔見てんじゃないわよ!)
 しかし言葉に出しては指摘しない。
「こっちのこれはなんて書いてあるのよ!」
 それどころか、余計に身を乗り出して体を近付ける。
「熱膨張?、幼稚な事やってるのねぇ…、とどのつまり、物ってのは温めれば膨らんで大きくなるし、冷やせば縮んで小さくなるって事じゃない」
「ま、そうだね?」
「あたしの場合ぃ、胸だけ温めれば少しはオッパイが大きくなるのかなぁ?」
「ミサトさんみたいに?」
「あんな下品なのはヤーよ!」
「でも加持さんは好きみたいだけど」
 カチン!、と鳴った。
「うっさい!」
 ぷりぷりと怒って歩いていく、そんな楽しげなやり取りを、半分水に沈んだままで、じっと見つめている瞳があった。
(碇君…)
 綾波レイだ。
 彼女が来てから、めっきり会話が減っていた。
 それだけではない、一緒にいる時間も減少していく一方である。
 元々少ない会話のやりとりも、彼女によって奪われている。
(なぜ?)
 本来それは気にする必要の無い事のはずだった。
 別段用事はない、連絡事項も存在しない、なら、相手をする、してもらう必要は…
 そこまで思い至った時に、レイは連絡事項?、と首を傾げた。
 そしてプリントを連想する。
(あ…)
 レイは思い出した。
 全裸を見られたこと、胸を触られた事を。
 赤くなった頬の周囲、プールの水から湯気が沸く。
(用事…)
 レイはまた、ちょっとサボってみようかと悪い事を考えた、その天罰というにはあんまりなのだが…
「見て見てシンジぃ!、バックロールエントリー!」
 ゴチン!
 いきなり後頭部に衝撃を受け、レイは「あう」っと小さく呻いて沈んでいった。


「A−17!?、こちらから討って出るのか!」
 ゼーレ、非常会議の席はざわついていた。
 使徒の卵が発見されたためである。
「ダメだ危険過ぎる、十五年前を忘れたとは言わせんぞ」
 十五年前、南極、セカンドインパクト。
 あの場でも「何か」を手に入れようとし、そして失敗していたのだから。
「これはチャンスなのです、これまで防戦一方だった我々が、初めて攻勢に出るための」
「リスクが大き過ぎるな」
「しかし、生きた使徒のサンプル、その重要性は既に承知のことでしょう?」
「失敗は、許さん」
 一同が消える、残されたのはゲンドウと冬月だ。
「失敗か、その時は人類そのものが消えてしまうよ」
 冬月はぼやき、そして続ける。
「で、どうする?」
 珍しく間が空いた。
「…弐号機を使う」
「初号機は出せんか」
(あの初号機であれば、確率は更に上がろうに)
 この男をしても恐いのかもしれない、と冬月は顎先を撫でた。
 冬月もまた現在の初号機とシンジに対しては懐疑的であったのだ。
 特に服従せぬと言う点において、それを良しとしないのは、どこかゲンドウに通じるものがある冬月であった。


「使徒…」
「そうよ?、まだ完成体になってないさなぎの状態みたいなものよ?」
 場所を会議室に移したというのに、レイとアスカの言い合いはまだ続いていた。
「なんであんなところに居たのよ!」
「落ちて来たのは、あなたよ」
「素直に謝りなさいよ!」
「悪いのは、あなた」
「むかつくわねぇ!」
 なぁにやってんだかと言う呆れた目が二人には注がれている。
 心なしかシンジも離れた場所に立とうとしているように感じられた。
「アスカ、レイ、聞きなさい!」
「はぁい」
「はい…」
 リツコの一喝に態度を改める、と言ってもレイのそれは見た目上あまり変わっていないが。
(レイがねぇ…)
 表面上とは違ってリツコは酷く冷静に観察していた。
 歳相応に見えたからだ、綾波レイが。
 アスカもそうだ。
 何処か思い詰めていたものが剥がれ落ちてきて地が見え出している。
(これもシンジ君の力って事なのかしら?)
 そのシンジはと言えば、じっと使徒の映像を睨み付けている。
(そうね、良くも悪くも目を惹きつけるのは確かなのよね?)
 リツコもまた、彼には興味を引かれているのだから。
「それで?」
「え、ええ…」
 そのシンジに促されて、リツコは少々取り乱した。
「…今回の作戦は使徒の捕獲を最優先とします、出来うる限り原形をとどめ生きたまま回収すること」
 質問ありと手が挙がった、アスカだ。
「できなかった時は?」
「即時殲滅、いいわね?」
「はぁい」
「作戦担当者は」
「はいはいはぁい!、わたしが潜るぅ!!」
(ま、こっちとしてはその方が、ね?)
 ミサトとリツコはアイコンタクトで頷き合った。
 司令から直々に弐号機の使用を命じられている、問題はどうやってアスカを釣り上げるかだったのだが。
 一応、温泉と言う餌は用意していた。
 そんなやり取りを横目に、綾波レイは苛立ちを感じずにはいられなかった。
 だからつい問うてしまう。
「わたしは」
「レイと零号機には、本部での待機を命じます」
 再び、今度はシンジへと横目を向ける。
 温泉はともかくとして…
(わたし、一人…)
 残される事に心がざわめく。
「残念だったわねぇ?、温泉行けなくて」
 その一言にレイは内面を表に出して、ついアスカを睨み返してしまうのだった。


「ダルマだ…」
 それがシンジの第一感想であった。
 直後、凍り付いていたアスカは羞恥に赤く膨れ上がった。
「嫌だ、あたし下りる!、こういうのはシンジの方がお似合いよ!」
(何故?)
 レイは素朴に、ばたばたと走りまわるアスカを見ていた。
 赤い目が左右にゆっくりと往復している。
(碇君より、お似合いよ…)
 嫌味では無い所がさらに酷い。
「困りましたねぇ」
「そうねぇ…」
 ごねるアスカに技術陣は溜め息を吐いていた。
 レイは嘆息してしまった、あるいはアスカに落胆もしていた。
 修学旅行についてといい、とてもシンジのように命を預け合える相手ではない、と感じたからだ。
 だからレイは手を挙げた。
「わたしが弐号機で出るわ」
 パン!
 その手は即座に、アスカによって払われた。
 ギッと睨み付ける青い双眸。
「あなたにはわたしの弐号機に触って欲しくないの!、悪いけど」
(なぜ?)
 困惑する、レイには何がなんだか分からなかった。
 作戦を拒否するのなら誰かが代理をしなければならない、そしてレイには誓いがあるのだ。
(碇君は、わたしが守る)
 それはレイが胸の内で立てた誓いである。
 先のこともあり、レイにはシンジの事をアスカに任せられないと感じていた。
 そう思い挙手しただけだった。
 だが彼女はそれに強く反発してみせたのだ。
(どうして…)
 わからない、その機能美が作戦の辞退を願うほどに嫌なのだということは分かった、だが。
 それすらも上回るほど、自分は何を嫌われているのか?
(わからない…、でも)
 わたし、あの人が嫌い、と考えている部分が自分の中には存在している。
 レイはアスカをねめつけた。
 それと同じものを、きっと彼女も持っているのだとレイは静かに直感するに至った。
 しかし自分を嫌うのは構わないのだが、それで中途半端にミッションに携われても困るのだ。
(あの人の危機には…)
 きっとこの少年は身を投げ出すのだから。
 そう思い至った時に、レイの中で何か暗いものが蠢いた。
(なに?)
 困惑と動揺が駆け抜ける。
「綾波…」
 レイはドキリとした、見抜かれたのかと想ったのだ。
 心の何処かで、この想いは知られると嫌われると直感していた、しかしそれは杞憂に終わった。
「綾波って、弐号機に乗れるの?」
 黒い瞳が深い思慮を湛えて尋ねて来る。
(エヴァに?)
 レイは先程までの悩みも忘れるほどに混乱してしまった、何故そんな事を尋ねられたのか?、まったく想像できなかったのだ。
 考えてもみない事だった、初号機に乗れるのだから当然弐号機にも乗れると思っていたのである。
 だから、わからない、と答えるのが精一杯であった…


 浅間山山頂。
 弐号機と初号機は並んで待機状態に入っていた。
「ふんふんふんっと…」
 アスカはスタッフを一人一人チェックしていた、もちろんお目当ての人物は一人である。
 そしてようやく居ない事に気が付いた。
「あれ?、加持さんは?」
「あのバカは来ないわよ、仕事ないもの」
「ちえー、せっかく加持さんにもいいとこ見せようと思ったのに」
『残念だったね』
「うっさい!」
 反射的に初号機との回線を遮断する。
(まったくもう!)
 好きと言ったくせにっと、奇妙な苛立ちを募らせる。
 嫉妬してくれているのならまだしも、彼は本気で応援してくれている。
 それが異常に腹立たしいのだ。
(そうよ、悪いのはみんなあのバカなんだから!)
 どこかこう、舐められている様な感じがしてしまった。
 友達を探す姿に微笑まれてしまった様な。
(あたしのこと、好きって…)
 なのに加持への気持ちを肯定されて…
 ではシンジは?
(好きって…)
 諦められちゃったのかな?、と少し寂しさを感じてしまう。
(『嫌われてる』かぁ…)
 だから諦められたのだろうか?、なら気を引くためには好きと言うしか無いのだろうか?
(好き?、なんであたしが!)
 そうではないのだ、しかし気持ちに整理はつかない。
 加持に物足りないものをシンジに感じる、それはかまって貰うために必死になる子供の感情そのものだ。
 意味も無くからかう事の楽しさを感じる、相手が加持であれば放っておいても遊んでもらえるだろう、しかし言う事を聞かないおもちゃほど従わせるのは楽しいものだ。
 言うことを聞いてくれる加持では物足りないのだ、からかう事が出来ないから、しかしアスカには「大人である」と言う自意識が存在している。
 そのまるっきりお子様的な感情を、アスカは認めるどころか意識する事すらも出来ないでいた。
(なんなのよ、もう!)
 それは大人であると言う自尊心に相反するものだ、だから考えてはいけない事なのだ。
 だから当たり散らすしかない。
『UNの空軍が空中待機してるのよ』
『この作戦が終わるまでね?』
 突然脈絡のない会話が耳に入った。
「手伝ってくれるの?」
『いえ、後始末よ?』
『わたし達が失敗した時のね』
「どういうこと?」
『使徒をN爆雷で熱処理するのよ、わたし達ごとね』
(わたし達!?)
 矢面に立つのは自分達だ、だがその中にどうしてミサト達も含まれるのだろう?
「酷い!」
(誰がそんな命令を出してるのよ!)
 別段、前線司令部が必要でもあるまいにと思う、一番安全なのはエヴァの中、次が本部なのだ、ここには本部とのパイプを作る中継基地があれば十分なはずなのだから。
(ミサトにリツコまで…、二人を送り出せるのって言ったら!?)
 瞬間、司令の顔が思い浮かんで、アスカはシンジとの不仲の理由が見えた気がした。


(熱そう…)
 ゴクリと生唾を飲み下す。
 映像だと分かっていても、装甲の外側には同じ光景が広がっているのだ。
 気休めにもなろうはずがない。
(ここで死ぬかもね…)
 赤く煮えたぎる溶岩、立ち上る白煙。
 時折ボコリと泡が吹く。
(ダメよ、弱気になっちゃ!)
 ちらりと横目を初号機へ向ける。
 と、初号機の体がわずかに前傾になっていた。
 弐号機を気にしているのは明らかだった。
(そんなに心配しなくていいわよ…)
 だからアスカはつい微笑が浮かべて、苦笑をこぼしてしまっていた。
 いつでもサポートできる様に気が張っている。
 見ていて分かるほどに。
 シンジの口癖は「死にたくない」のはずなのだ、なのにこうしていつでも助けようとしてくれている。
 これでも「死なせたくない」とは言わないのだから、これはもう苦笑するしかないだろう。
 同時に先程の考えがぶり返す。
(司令は使徒を倒せるんなら、何だってやるつもりだわ…)
 例え自分達を巻き添えにしたとしてもだ。
 その態度は誰も彼もを助けようとするシンジと相反している。
 仲良く出来るはずが無いわね、とアスカは思った。
 同時にレイではなく、シンジと組めた事にも感謝していた。
(じゃ、行きますか!)
 だからアスカはレバーを握れた。
 軽々しく「僕が守るから」などと口にするような『男』ではないからこそ信用できるのだ。
「見て見てシンジぃ!」
 無言実行、口にせずとも彼が望んでいること、何をしようとしているかは容易に計れる。
(そこでしっかり見てなさい!)
「ジャイアントストロングエントリー!」
 アスカはわざと元気よく振る舞い、煮えたぎる溶岩の中へと沈んでいった。


 特殊装備を通しても熱湯に浸かったような刺激に襲われた。
 熱いと言う認識、しかしそれはすぐに「機械的な調整」によって緩和される。
 ハーモニクスのゲインが大きく下げられたのだろう。
(我慢できる)
 初戦闘を思い出す。
(あの時のシンジは)
 気絶するほどの激痛に堪えて見せたのだ。
 このようなサポートなど何も無く。
(なによ、このくらい…)
 視界を確保し、沈降していく。
(泳ぐって事には縁があるのよね?)
 初会戦は海上、次は水際、前回は魚、今度は潜水。
 アスカは苦笑を漏らしてしまった。
 アスカは気が付いていなかった。
 今ここに一人でいる事の恐怖を、全く感じていない自分自身に。


(アスカ…)
 ミサトは音だけを聞きながら焦りを堪えていた。
(もし失敗した時には)
 アスカごと、と言うこともあり得るのだから。
(あの子は、許してはくれないかしらね?)
 ちらりと初号機の様子を窺う。
 もしその選択をした時に、あそこに居る『もの』は果たして許してくれるだろうか?
 一瞬、ミサトには悪魔に変容する初号機の姿が見えてしまった。
 慌ててその想像を振り払う、再び見た時には、青空をバックに佇むいつもの初号機に戻っていた。
(なに?)
 その時だ。
 わずかに初号機が歩を進めた。
 みな弐号機の動向に注目しているため気が付いていない。
 ミサトだけが初号機の挙動に気が付いた。
(なんなの?)
 さっとそれを確認してから、再び初号機にだけ注目を戻す。
 わずかずつだが動いている。
 ジリジリと何かに備えるように、態勢を整えているのが見て取れた。
「目標予測地点です」
 はっとする。
「アスカ」
『いないわ』
 なれば指示は一つである。
「作戦続行、再度沈降よろしく」
 ぞんざいだったかもしれない、しかしミサトはもう余裕を無くしてしまっていた。
 不吉を告げる鐘が鳴り始めたのだ。
(なんなのよ?)
 ミサトの意識は初号機と弐号機を往復し、ついには初号機のみに傾いてしまっていた。
 酷く癇に触ってくる、どうしても無視することが出来なかったのだ。
「深度千四百」
「第二循環パイプに亀裂発生」
(心配して近寄っているの?、無意識の内に)
 そう考えるのが妥当ではあったが、それにしては雰囲気が違う。
 異常なほどの緊張感が窺える。
(そう、あれは…)
 戦闘時の、使徒に接近を試みる時に似てはいないだろうか?
「プログナイフ喪失」
 ミサトは不安な音に意識を引き戻されるのを感じた。
「もうこれ以上は!、今度は人が乗っているんですよ!?」
(だからどうだってのよ!)
 シンジの動きを見逃しかけて、つい声に出しそうになってしまった。
(いけない)
 今はアスカだ、と思い直す。
 それに自分が原因でシンジの動きに気付かれるのも面白く無い。
「この作戦の責任者はわたしです、続けて下さい」
 ミサトはなるべく、いつもと同じように命令を発した。
 丁寧になってしまったのは緊張と取られて助かった、事実は焦りから来ていたのだが。
 そしてアスカもそう思ったのだろう。
『ミサトの言う通りよ、大丈夫、まだいけるわ』
 ミサトはもう聞いてはいなかった。
 目は油断なく、シンジの挙動を窺っていた。


「居た」
 弐号機はようやく肉眼での確認に成功していた。
(大きい…、数値は覚えて来たはずなのに)
 実際に見るのとでは大違いである、存在する事への威圧感が、卵の大きさを更に大きく見せていた。
(やれるの?、やるわよ!)
 そんな事に脅えながらも、アスカは仕事を丁寧にこなしていった。
「目標、捕獲しました」
 ほっと一息を吐く、と、奇妙な通信が割り込んできた。
『シンジ君?』
「なに?、どうしたの?」
『なんでもないよ…、まだ気を抜かないで』
 シンジの物言いに、嫌な予感が駆け抜けた。
 その口調、かもし出される雰囲気、アスカは気が付いてゾッとする。
「あんたがそう言うと、必ず不吉な事が起きるのよねぇ…」
 知らずグリップを握る手に力が篭っていた、もう疑うつもりは毛頭無かった。
(慣れ、かしらね?)
 神経も鋭く尖っていく、しかしそれを抑えるような事はしなかった。
 まさに経験が物を言っていた。
 それにここで気を抜けば…
(きっとあのバカ)
 そんな事になれば寝覚めも悪くなるだろう、しかし…
『アスカ、言う通りにして、緊張感は解かないで』
(やってるわよ!)
 そう言ったチャチャこそがやる気を削ぐのだと怒鳴り返したい衝動が、アスカの中から集中力を欠けさせた。
(どうしてそう、どっしり構えるって事が出来ないの!)
 ビー!
 直後に警告音が鳴り響いた。
『まずいわ、羽化を始めたのよ!』
 キャッチャーが内部から押しやられ、変形を始めた。
 破られるのも時間の問題に思われた。
『捕獲中止、キャッチャーを破棄、作戦変更!』
「待ってました!」
 キャッチャーを捨てて武器を探し…、アスカは思い出して青ざめた。
「しまった、ナイフは落としちゃったんだわ!」
 慌てて敵の位置を確認する。
「正面!?、バラスト放出!」
 軽くなった分だけ浮かび上がった。
 流れていく使徒が真下に見える。
(まずいわね…)
 その大きさに戦慄した。
『アスカ、ナイフ落とすよ!』
「早く、お願い!」
(周遊してる、あの早さから帰って来るのに…)
 何秒に一度の割合で接敵して来るのかを計算する。
 こういうことができるからこそのアスカでもある。
(でもほんとに…、あたしってこんなのに縁があるのかしらね?)
 しかしいつもと違ってシンジは居ないのだ。
(なに気弱になってるのよ!)
 アスカは自分を叱咤した。
 自分一人でもやれるのだ、出来るのだと必死になって言い聞かせにかかる。
(でもまた口の中にコアがあったら?)
 今度は戦艦の援護など期待できない。
「ああーん、早く来てぇ!」
 思わずナイフに祈ってしまう。
「来た!」
 アスカは見えたナイフにキスしたい気持ちになった。
 ナイフを掴む、タイミングを合わせたように使徒が来た。
(やっぱり口ぃいいいいいい!)
 デジャヴが走る。
『まさか、この状況で口を開くなんて』
(なぁに呑気な事言ってるのよぉ!?)
 驚いてないで具体的な指示をくれと怒鳴りたくなる。
 現場に居る者は焦りで正常な判断が下せなくなる、そのために指揮する者が必要なはずなのだ。
 しかしネルフの作戦課トップはその様な責務をまともに果たしてくれたことがない。
 そう言った点でアスカはシンジと同じ不満を抱いてしまった。
(こんのぉおおおおおおおおお!)
 後はもう、自棄でもなんでも自分を信じるしか無い戦いだった。
 自棄っぱちのままナイフを突き立てる、刃先はマグマよりも熱く熱を発した、しかしそれでも使徒の殻は破れなかった。
(どうなってんのよ!?)
『高温高圧、これだけの極限状態に耐えてるのよ、プログナイフじゃダメだわ』
『熱膨張だ!』
 その声はまさに天啓だった。
(シンジ!)
 チューブを引きちぎって使徒へと突っ込む。
 ミサトなどよりよほど当てになる存在だった。
(あたしも慣れたもんよねぇ?)
 タンデムした時にはシンジの声に翻弄されてしまったと言うのに。
 今ではすぐさま理解して反応できるようになっている。
(これもユニゾン特訓のおかげかしら?)
 そうなのかもしれない、似通った趣味趣向を持てば、自然と相手の相手の言いたい事が理解できるようにもなってくるのだから。
 二人は特訓のおかげで、その辺りが異常な程に特化していた。
「だぁああああああ!」
 力任せに押し込んだナイフが、使徒の目にずりずりと食い込んでいく。
 内側との圧力差から、使徒はへこむように縮み始めた。
 そしてぼろぼろと崩れていく。
「やった!」
 アスカは喜び叫んだ、が…
 がくんと震動。
 上を見上げる、パイプが千切れかけている。
 命綱が。
 使徒が最後の悪あがきとばかりに手をかけて引き裂いたのだ。
「せっかくやったのに…」
(今度こそ)
 少なくともシンジに並んだはずなのに。
 アスカの中に、何かやり切れないものが込み上げて来た。
「やだな、ここまでなの?」
 涙が溢れそうになてしまった。
『アスカ!』
 そんなアスカの胸の内を、少年の声が突き抜けた。
「シンジ!?」
 首を掴まれる感触、間近に見る初号機の姿。
 熱にあぶられて装甲が泡立ち始めている。
 塗装片が溶けて剥がれ出していた。
 それでもその目は弐号機を、アスカを見つめて外さなかった。
 希望は繋がれたのだ、初号機は弐号機を捉え、冷却用のパイプにつかまっていた。
『早く、上げて!』
 シンジの必死の声が聞こえた、横須賀沖と同じように、苦しみに堪えながらも必死に支えようとするあの声が。
「ばか…、無理しちゃって」
 つい憎まれ口を叩いてしまう。
 結局、こうやって命を賭けてくれるのだ。
 声が震えてしまうのも、仕方の無い事であっただろう。
 極限の環境でもたらされたものは、決して小さくは無い感動であった。


「くぁああああああああ、しみるぅううううううう!」
 情けない声を上げながら、じりじりと体を沈めていく。
「おっさん臭いわねぇ?」
「うるさぁい!」
 アスカは涙混じりの目で振り返った。
 約束通りの露天風呂ではあったのだが、熱にあぶられ日焼け同然になっているアスカにとっては地獄さながらの拷問劇になっていた。
「意地にならなくてもいいんじゃない?」
「シンジだって入ってるのよ!?、ってなんであいつは平気なのよぉ!」
 そうだ、それが許せなかった。
 幾ら長い時間潜る事になったとはいえ、そのための装備をしていたアスカの方が酷く肌を傷めているのだ。
 非常に理不尽なものを感じずにはいられなかった。
「シンジ君の方は戦闘が無いのを考慮して…、って事なんでしょうけどね?、シンクロ率をわざとカットしたらしいから」
「そんなことが出来るんだったら!」
「あら?、だって捕獲には正確なコントロールが必要なんだもの、仕方が無いじゃない?」
「くぅううううう!」
 腹立ちに任せて深く潜る。
「感謝しなさい?、シンジ君に」
「なんでよ!」
「あらぁ?、絶体絶命のピンチに助けに来てくれたのは誰だったかしら?」
「くっ!」
「しかもこれで何回目?」
「わかったわよ!」
(あらぁ、赤くなっちゃって)
 にひひっといたずら心を更に高めるミサトである。
「だったら、ちょっとぐらいサービスしてあげなくちゃねぇ?」
「へ?」
「シンジくぅん、聞こえるぅ?」
「ちょ、ちょっとなによ?」
 しーっとミサトは笑いを浮かべた。
 アスカもはぁんっと心得る。
 一通りシンジをからかった後で、二人は夕日を眺めていた。
 アスカはちらちらとミサトのお腹の傷を見ている。
「ああこれね?」
 ミサトは気付いて、苦笑いを浮かべた。
「セカンドインパクトの時、ちょっちね」
「知ってるんでしょ?、わたしのこともみんな」
「ま、仕事だからね」
(そう、あたしは仕事なんだけど…)
「シンジも…、知ってるの?」
「…ええ」
「そう」
 怒るかしら?、と思ったミサトに反して、アスカの反応はそっけなかった。
 短いやり取り、しかし内面は大きく違っている。
(あたしは仕事だけど…、シンジ君、あれは、知っていた?)
 アスカの記憶が奪われた時に、ミサトはなるべくショックを与えないように話したつもりだった。
 しかしシンジは驚くどころか深く頷いただけだった。
(まるで確認するみたいに)
 アスカを見る、何かを考えているようだ。
「お互いもう昔のことだもの、気にすること無いわ」
 とりあえず今は護魔化した。
 先送りにする事で勝手に解決するとでも思ったのかもしれないが…
 そうやって逃げ続ける悪癖が、ミサトの最も悪い徳であった。



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