1st Impression Your EPISODE:X
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ネルフ本部。
その食堂。
「ほぉんと、参っちゃうわよねぇ?」
「って何のほほんとしてるのよ!」
ミサトのおどけた口調に即座に突っ込む。
集まっている面子はアスカにシンジと、そのそれぞれの保護者代わりである加持、ミサトであった。
「命令だからって同居させられて、今度は出て行けだぁ?、あんたあたしを舐めてんの!?」
「舐めてなんていないわ」
「だったら!」
「それに…」
ミサトはちらりとシンジを見やった。
「シンジ君が出て行くって、言ってくれてるし」
「え!?」
アスカの驚きにシンジは肩をすくめる。
「女の子をあっちこっち引き回すよりはいいでしょ?」
だが言葉はミサトへと向けたものだ、明らかにアスカを無視している。
妙に大人びた事を言い、さばさばとした表情でラーメンをすするシンジに、アスカは何とも言えない表情で言葉を失ってしまった。
ミサトとシンジのやり取りによって自分は蚊帳の外となってしまったからだ。
それに別段、シンジの弁護をする必要性も無い、無いはずなのだが…
「それにしてもよ?、今までも何にも言って来なかったくせに」
「まぁまぁ」
宥める加持。
「ちょっとこの間のは刺激的だったからな?」
「うっ…」
引くアスカ。
顔が赤くなっているのは思い出したからだろう、公衆の面前どころか本部中に聞かれているのも忘れて行なった痴話喧嘩の内容を。
「いやぁ、俺も驚いたよ、あのアスカがシンジ君をねぇ?」
「な、何言ってるんですか!、あたしが好きなのは加持さんだけよ!」
「誰もそんな事聞いてないのに…」
「うっさい!」
ギッとシンジを睨み付ける。
「いいじゃないか、別に…、「パイロットとしての本分」って奴を全うしてくれないと困るって言うんでしょ?、なら命令には従わなくちゃ」
それは聞き分けの良い子共の返事や、あるいは体裁にこだわる大人を揶揄する調子にも受け取れ、ミサトは苦虫を噛みつぶしたような顔をした。
シンジが憤っていると感じたからだ。
「あんたそんなに出て行きたいわけ?」
しかし感情的になっているアスカの見解は的外れであった、シンジとしては必要以上にアスカと触れ合いたくないだけなのだから。
「いいわよ、勝手にすれば!」
結局アスカは、ふんっだっと背を向けて行ってしまった。
「やれやれ…」
同時に溜め息を吐く加持とミサト。
「それにしても、あのアスカがなぁ…」
「ほんとに変わったわ?」
二人の視線は自然とシンジへ向かった。
「なんです?」
「わかってるんだろう?」
「わかりませんよ」
他人のことなんて。
シンジはスープをすする振りをして、どんぶりの裏に顔を隠した。
第X話「戻らない昨日」
(何なのよこのバカは!)
学校に着く、誰よりも早い時間帯の…、はずだった。
それは防衛本能に近い、この時間帯ならばラブレターを受け取らずに済むからだ。
しかし一番ではない、一番早く登校しているのは。
(なんなのよ!)
すぴーと鼻息が聞こえる。
耳に付けられたヘッドフォンからは、シャカシャカと曲がこぼれて聞こえている。
シンジだった。
完全に以前の状態に戻っていた、自分の不機嫌を知っているようにシンジには逃げ回られてしまっている。
解消できないストレス、かと思えばこのように無防備な姿を晒してくれるのだから始末に追えない。
(くっ、この!)
バカン!っと鞄で頭を叩いてやる、端末入りなのでかなり効いたはずであろうに…
「さっさと起きなさいよ!」
「気絶してるんじゃない?」
とはさらに遅れてやって来たヒカリの冷や汗混じりの私見であった。
(なんなのよ、なんなのよ、なんなのよ!)
分けが分からない、興味を持たれているのかと自尊心を満たしかければ、今度は歯牙にもかけられず肩透かしを食らわされてしまっている。
そんな事があり得るのだろうか?、小器用に意識をしたりしなかったりと。
(あっていいわけないじゃない!)
あたしは惣流・アスカ・ラングレーなのよ!、っと分けの分からない気合いを入れる。
「アスカ、集中して」
『わかってるよわよ!』
ついミサトからの通信に怒鳴り返してしまう。
使徒襲来、しかし前回までの反省も空しく、アスカの空回りは再発していた。
「アスカ、調子戻したみたいじゃない」
「それはそれで困るんだけどねぇ…」
発令所ではリツコの軽口にミサトが顔をしかめていた。
「なに?、また問題が出てるの?」
「ま、ありがちだけどねぇ…」
(構ってもらいたいのかしら?、アスカ…)
そう単純でもないのだろう、だから余計な口出しはしていないのだが。
(シンちゃんも構ってあげればいいのに…)
デートのひとつでも…、と思いシンジを見れば。
(なに?)
妙に真剣な目つきで敵を睨んでいた。
「どうかしたの?、シンちゃん」
『いえ…』
(気は抜かない、それはいつものことでしょうけど…)
それだけではない何かを感じさせてくれるのだから堪らない。
『なぁにやってんのよ!、この臆病者!』
「ダメよアスカ、まだ…」
何か引っ掛かりを感じたミサトはアスカをいさめた。
度重なる失態からシンジの言葉を汲んでまず様子を見ようと身構えたのだ。
確かに使徒はエヴァでなければ倒せない、だが稼動可能なエヴァは三体が存在しているのみである。
(無駄には出来ないのよ)
それにも増して、修理が利くエヴァとは違い、チルドレンはたったの三人、替えの利かない三人が居るのみである。
慎重にもなろうと言うものだ、思えば初戦でのあの無謀さはなんだったのだろうか?
(死にたくない、か)
シンジの言葉の重みをようやく痛感し始めている、しかしアスカにはそれがまだ分かっていない。
『敵は進行して来てるのよ?、これ以上待てるわけないでしょうが!』
『アスカ、ダメだ!』
『え?、きゃあああああ!』
『アスカぁ!』
「シンジ君は、使徒を!」
一瞬の逡巡、だがシンジが従ってくれたのを見てミサトは安堵の息を漏らした。
使徒のATフィールドをかき消して、至近距離からパレットガンを撃ち込む初号機。
この際乱暴さには目をつむろうと意識を変える。
「使徒は!」
「動体反応ゼロ!、あ、いえ」
「熱量増大!」
「自爆する気!?」
直後に爆発が起こる、しかしそれはいつもの消滅時程のものではなかった。
「…どうなってるの?」
「逃げられてしまったようね…」
リツコの解説こそが正しかった。
弐号機を抱きかかえながら初号機は帰還した。
「アスカ?」
優しげな声に、アスカは呻きながら瞼を開いた。
見た事のない顔に脅えが走る、しかし。
「心配いらないから」
アスカは微笑みを受けて、わずかに頬を赤らめた。
「記憶喪失?」
「ええ」
「まさか、精神汚染!?」
「違うわ、可視領域の光線、あれに秘密があるのと、後は…」
「またシンジ君?」
二人はベッドに寝かされているアスカと、それを微動だにせずに見つめているシンジに目をやった。
(普段あれだけ相手にしないくせに…)
こういう時だけ異常なほどに心配するのは何故なのだろう?
(そう言えば、あの時だって…)
ヤシマ作戦後。
傷ついたレイにとても優しく接し、体を支えていた。
(なんだってのよ?)
関心が無い振りをしているだけなのだろうか?
「使徒が原因か…」
エヴァに乗っていれば分かる事なのだろうか?
それともシンジだからこそ見抜けた事なのだろうか?
(やはり違うわね?)
他のチルドレンとは。
どうしても猜疑心を抱いてしまう。
(何考えてるのよ!)
ミサトはそこまで考えてから、自分の思いを否定した。
相手は子供なのだ。
知り合いが倒れて、それでも無視していられるはずは無いだろう。
(大人じゃないんだから!)
計算して悲しむ振りなどしはしないはずだと、ミサトはそんな汚れた大人の思考を振り払った。
そして改めてアスカを見やる。
「治らないでしょうね…」
「ええそうね、原因不明、いいえ、ある意味原因ははっきりとし過ぎているわ?」
ベッドに眠るアスカの寝顔は穏やかだ、薬で眠らされているにしても、何の不安も感じていないように見えている。
(シンジ君がいるからかしら?)
レイ用のスキャニングシステムでアスカの体調を確認している。
しかしやはり目立ったデータは得られなかった。
リツコに促されて、ミサトはシンジの拳に気がついた。
血管が浮かぶほどに力が込められ、震えている。
リツコが動いた。
「シンジ君…」
「はい」
呻くような返事だった。
「他に何を知ってるの?」
(リツコ!)
ミサトは制しようとする。
しかし。
「…あの使徒はアスカが倒さなきゃ」
シンジの返事にギョッとする。
ある意味、シンジが疑惑を肯定したからだ。
「無理よ、今のアスカをエヴァに乗せるなんて!」
「ならアスカはもう、エヴァには乗れません」
「なぜそう断言できるのかしら?」
(そうよ!)
二人はきつく睨むように、詮索するための瞳を作る、しかし。
それを真っ向から受け止めてなお、語ることは無いと言った風に睨み返されただけだった。
(ここが…、わたしの?)
戸惑うようにその家の敷居を恐る恐るまたいだのは、アスカであった少女であった。
「おじゃま、します…」
「アスカ?」
「は、はい」
緊張の余り声が上擦る。
「ここはアスカの家なんだからさ」
少年はそう言って、ほら、とアスカに促した。
「あ、あの…、ただいま」
「それで良いと思うよ?」
彼の微笑みについ赤面してしまう。
それと同時に、一つの大きな疑惑が浮かんだ。
(どうして?)
この人はこんなにも優しく接してくれるのだろうか?
(それにあの人…、葛城さん)
この少年に面倒を見てもらえと言う、どうして大人ではなく、さほど変わらない歳の少年が任されるのだろう?
(でも…)
彼女は遠く離れていた者が舞い戻って来たかの様な感覚を受けていた。
(変よね?、無くしてるのは、あたしの記憶のはずなのに…)
少年の温もりに対する安堵感。
他人ではないのだと言う確かな感触。
だからアスカは、つられる様に微笑みを浮かべてしまっていた。
「そっちがトイレ、こっちがお風呂、それにそこがアスカの部屋だよ」
躊躇する事も無く予備の石鹸の在処まで説明していくシンジに驚く。
「あの…」
「なに?」
しかしシンジに邪気は無く、だからアスカも戸惑った。
「詳しいなぁって、思って」
ああとシンジは苦笑した。
「この間まで僕も住んでたからね?」
「ええ!?」
「…なにそんなに驚いてるのさ?」
「だ、だって!」
(一緒に!?)
この純情で奥手…、に見えない事も無いが、取り敢えず無害そうな少年が…
(あ、あたしって!?)
一体どんな子供だったのだろうかと思い悩む。
(でもでも、じゃあ!)
この子とはどんな関係だったのだろうかと、瞬時に顔が赤くなった。
「でもまぁ…、それもアスカが日本に来るまでの話しだよ」
「え…」
「元々は僕が居候させてもらってたんだけどね?、アスカも住むならさすがに出て行かないとなぁって…」
アスカはがぁんっとショックを受けた。
一緒に住んでいたわけではなかったのだ、それどころか…
(どうして?)
部屋を明け渡したというのだから。
「じゃあ、あたしのために…」
正直、恨んでいるのかもしれないと臆病になる。
「違うよ」
「え?」
「ほら、一人暮らしってしてみたいじゃない、だからね?」
(なんだ…、そうよね?、びっくりしたぁ…、こんなかっこいい男の子と同棲なんて…)
ほっと胸を撫で下ろす。
美的感覚と言う点では判断基準は容姿ではない。
アスカの観点からすれば顔立ちは北欧のものが基準になっているのだから、日系人の顔などそう大差が無いように見えている。
では、なにを基準に『かっこいい』のか?
「でもミサトさんは暫く帰って来れないみたいだから、僕がお世話させてもらうことになるけど、我慢してね?」
その態度が同世代にしてはやけに大人びて見えるからだろう。
「あの!」
だから、悲しい。
余りにもそっけない態度にも思えたからだ。
「なにさ?」
「あたしのこと…、嫌いなんですか?」
「は?」
「あっ、ごめんなさい…」
(やっぱりそうなんだ…)
嫌いではないが、思われてもいない。
それがちょっと寂しくなった。
(そうよね…)
不安だった、とにかく縋れるものが欲しかったのだ。
心を支えてくれる何かが。
「好きだよ?、アスカはね」
だからそう言われて…
(へっ?)
「でも安心して…、僕は近付かないから」
次には拒絶されて…
「僕は好きだよ…、でも僕が好きだからってそれを伝えてどうなるのさ?」
今度は投げかけられて…
「嫌いだったら…、気持ち悪いって、警戒されるだけだ」
そして、そして…
「それに、アスカは特に僕のことを嫌っていたからね?」
ドクン、と鼓動が一つ跳ねた。
『嫌いだ』
いま自分がそう言われたとしたら?
捨てられたような感覚に、足元が崩れてしまうかもしれない。
その辛さは、他には無い。
今だからこそアスカは想像できるのだった。
孤独が如何に寂しいものかを。
そして朝。
「別に…、今ぐらいやめておいてもいいんだよ?」
と言う気遣いに、アスカは「行ってみたいんです」と素直に答えた。
(学校なら、わかるかもしれない…)
好感を抱かされる少年、だが本当の自分は嫌っていたらしい、どちらの気持ちが本当なのか?
その答えがどうしても見つからず、夕べは全く寝付けなかった。
トイレに出れば居間で転がるように眠る彼が居た。
(寒いのかしら?)
毛布からは頭の一部だけが見えていた。
やっと眠った翌日の朝には、お風呂に朝食と、至れり尽くせりな対応に「ごく自然」と応対している自分が居た。
(どうして?)
やはり分からない、だが体が自然と従う事から、それが当たり前だったのだということにだけは納得できた。
…男の子に任せていた自分を知って、大変複雑なものを抱えはしたが。
「アスカ…」
「あ、はい!」
びくっと脅える。
「もうちょっと、離れてくれないかな?」
「え?」
登校中の坂道で、アスカはちょっと悲しげに顔を伏せた。
「だめ…、ですか?」
「いや、そうじゃなくてさ?」
「はい?」
「視線が…」
「はい…、あの、わたしも恐くて」
シンジが気にしているのは周りの痛い視線であって、アスカのことでは決してない。
だがアスカもシンジと同様に怖れていたのだ。
睨むような目つきと、どうしてかと問いかけるような疑惑の応酬に、アスカは脅えてさらにピトッと寄り添った。
それがまた周囲の苛立ちを強く煽る。
シンジの引きつった苦笑いだけが、現在の状況を正確に言い当てていた。
「おはようアスカ!、…どうしたの?」
「あ、あの…、おはようございます」
一瞬、全ての空気が凍りついた。
(やっぱり、みんな驚いてる…)
普段の自分は全くの正反対なのだろうと確信できた、そっと溜め息が漏れ出てしまう。
(あたしって一体…)
どんな少女だったのだろう?
「どうしたの?、アスカ」
(違うのよ、あたしのアスカはこんなんじゃなくて!、って、あたしったら「あたしの」なんて、違うのよー!)
ヒカリはそんなアスカに鳥肌を立てて、全身を掻きむしる一歩手前でそっと尋ねた。
しかもドツボにはまっている。
「アスカさんってば碇君ばっかり見てる」
「やっぱりこういう時って、心の奥底にあるものが…」
「そんなっ、アぁスカさぁん!」
「アスカさんは僕の永遠の恋人じゃないですかぁ!」
「寝ぼけんな男子ぃ!」
「そうよ!、あんた達じゃアスカが可哀想じゃない!」
語られた真相に周囲の喧騒も圧壊寸残まで高まった。
そんな中、アスカは一番まともそうなヒカリの袖をくいっと引いた。
「え?、あ、何?」
「はい…、あのぉ…、ヒカリさんって、あたしのお友達だったんですよね?」
「ええ…」
「あたしって碇君のこと、嫌ってたんですか?」
ピタと周囲の騒ぎが収まった。
「あ、う〜んと」
ヒカリは困った。
(本当のことなんて…)
じゃれ合っていたのだから嫌ってはいないのだろう、だが好きとなると疑問符が沸く。
「まあ…、彼女みたいだったけど」
「え!?、ほ、本当ですか?」
(あ、う)
アスカの純粋無垢な目にまたも背筋が寒くなる。
「洞木っ、いい加減なこと言うなよ!」
「いい加減はどっちよ!」
「そうよ!、いっつも仲が良くて、「なんで碇なんかとぉ!」って言ってたの、あんた達じゃない!」
「ち、ちくしょー!」
何人かが教室から逃げ出していく。
「アスカも…、そんなに心配だったら、ねぇ?」
「そうそう」
「え?」
アスカはキョトンとした。
「直接碇君に聞いて見ればいいじゃない」
「うん!」
「ええっ!?、だ、だめですよ、そんな!」
「いいからいいから!」
「ちょ、ちょっとぉ!」
思わず口調に地が出てしまう。
(そんなの、答えなんて分かってるのに…)
夕べ聞いたばかりなのだし。
(恐いよぉ)
え〜んっと、周囲の雰囲気から逃れられない。
結局アスカは、シンジの前へと引き立てられてしまったのだった。
「あの…、わたし、あなたの彼女だったって、ほんとですか!?」
(二度も聞きたくないのに!)
だから勢いのみが先行してしまう。
『何度も聞くな』
すげなくされたらどうすればいいのか?
恐怖心が先立ってしまう。
アスカはゴクリと、気付かれない程度に生唾を飲み下し、シンジが口を開くのを待った。
しかし答えは別の所から帰って来た。
「違うわ」
「え?、あ、綾波…」
(綾波?)
誰?、とつい訝しむ。
なんだか凄く腹立たしい。
シンジの態度に嫉妬を感じてしまったのかもしれない。
「あなたは、碇君を苛めていたもの…」
「え…」
アスカは自分の感情が度重なる「因縁」から来ているとは気付かない。
「おほっ、女の戦いかぁ!?」
だからそう煽られて、アスカは本当に泣きそうになった。
今のアスカにはレイに対抗できるほどの気概はないのだ。
「アスカ、これ」
「ありがと…」
さりげなく差し出されたハンカチを受け取る、もちろん差し出したのはシンジである。
おかげでアスカは、本当は嫌われていないのだと感じる事が出来て、なんとか大泣きせずに堪えられた。
今度はレイが不機嫌になる番になっていた。
なぜこれに乗るのか?、と問われれば、「乗って欲しい」と頼まれたからだと答えるだろう。
アスカは不思議と落ちつくエントリープラグの中で、「初めて」見る使徒と言う化け物を相手に息を呑んだ。
(い、嫌…)
これから何をさせられるのかと思うと逃げたくもなる。
ビルの谷間を縫うように、使徒は回遊を始めていた。
ATフィールドで周囲のビルが倒されていく。
ふと、その鎌首が持ち上げられた。
先に居るのは初号機だ。
『碇くん!』
切羽詰まった声に、アスカはびくりと震え上がった。
『零号機も出して!』
『碇君』
『わかってる!』
男らしい低い声にアスカは顔を上げた。
(これが…)
あの少年なのかと目を疑ってしまう。
低く、優しく語りかけ、しかし相手からの好意の一切を拒絶していた。
その少年が戦っているのだ。
やはり、それは他人のために。
(あたしのために?)
ぶるりと体が震えた。
(嬉しい…)
頬が紅潮を始めてしまう。
『止まれぇええええ!』
はっとする。
(そうだ、こんな事考えてる場合じゃ…)
しかし何をどうすればいいのか分からない。
『綾波!』
深々と突き刺さるナイフに唖然とする。
(あれをやるの?)
飛び散る血飛沫。
(あたしが!?)
鮮血に染まるエヴァンゲリオン。
屠殺された豚は確かに食料になる。
しかしこれをくびり殺せと言われて、果たしてハイと殺せるものだろうか?
簡単に。
相手は、生きているのだ、そこに。
アスカはそれと同種の脅えを持った、命に刃は向けられない。
『アスカ逃げて!』
またもやはっとする、しかし注意が遅かった。
「いやああああああああ!」
使徒はもう目の前に迫って来ていた。
光線がアスカの視界を真っ白にする。
直後、頭痛に見舞われた。
「あ〜あ、明日はもう日本か、お昼にはミサトが迎えに来るって言ってたし」
海上会戦、その前日の夜。
アスカは加持とデッキに並んで寝転がっていた。
「あ、ミサトって言うのは加持さんの前にドイツに居た人、あんまり好きじゃないんだぁ、生き方わざとらしくて」
(あなたはどうなの?)
声がした。
「ちぇ〜、加持さんともしばらくお別れかぁ、つまんないのぉ、ぶぅ〜」
あまりにも白々しいのは何故だろう?
(気を引きたいんだ…)
でもどうしてなのか?
「日本に着けば新しいボーイフレンドも一杯出来るさ…、サードチルドレンは男の子だって話しだぞ?」
「はぁーあ!、バカなガキに興味は無いわ!」
ちらりと横目に加持を見る。
「あたしが好きなのは加持さんだけよ」
(なんでそうなの?)
芝居がかって。
「そいつは光栄だな」
「もう!、加持先輩だったら、いつでもオッケーの三連呼よ!?、キスだって、その先だって!」
(嫌…)
「アスカはまだ子供だからな…、そう言う事はもう少し大人になってからだ」
「え〜?、つまんなぁい、あたしはもう十分に大人よ!」
『もう大人よ!』
彼女は叫んでいた、でも…
(そっか…)
恐いのだ、この女の子は。
相手にされない事が、一人で生きていられない事が。
「仮定が現実の話しになったな」
「因果なものだな?、提唱した本人が実験台とは」
「では、あの接触実験が直接の原因というわけですか」
「精神崩壊、それが接触の結果か」
「しかし、残酷なものさ、あんな小さな子を残して自殺とは」
「いや、案外…、それだけが原因ではないかも知れんな」
小さな女の子が、墓の前に佇んでいる。
喪服を纏った者達の心のない言葉が突き刺さる。
思い出すのは母の姿だ。
「アスカちゃん?、ママねぇ、今日はあなたの大好物を作ったのよ?」
人形を相手に話す母。
「ほら、好き嫌いしているとあそこのお姉ちゃんに笑われますよぉ?」
そして分からないと思っているのだろう、父親もまたアスカを置いて情事にふける。
「毎日あの調子ですわ、人形を娘さんだと思って話しかけてます」
「彼女なりに責任を感じているのでしょう、研究ばかりの毎日で娘を構ってやる余裕もありませんでしたから」
「ご主人のお気持ちはお察しします」
「しかしあれではまるで人形の親子だ、いや、人間と人形の差なんて紙一重なのかもしれませんね?」
「人形は…、人間が自分の姿を模して作ったものですから、もし神が居たとしたら、我々はその人形に過ぎないのかもしれません」
「近代医学の担い手とは思えないお言葉ですね?」
「ふふ…、あたしだって医師の前にただの人間、一人の女ですわ?」
そして耳に響くのは、シーツの音と喘ぎ声。
「えらいのね、アスカちゃん、いいのよ我慢しなくても」
(泣いちゃダメ)
「いいの、あたしは泣かない、あたしは自分で考えるの」
(それもダメ!)
彼女には分からないことだらけだった。
でも大事な事があった。
ママに、パパに、加持に。
自分を見てもらいたかったのだ。
(だからあたしを見て!)
好きって言って!
『好きだよ?、アスカはね』
はっとする。
『でも僕は…』
(待って!)
『嫌われているから』
(お願いよ!)
気付かなければならなかった。
そこに求めていたものがあるのだから。
掴まなければならなかった。
欲しいものは、目に見えていたから。
すぐ側に、手に届く所に。
それはもう、姿を見せてくれていたのだから。
『アスカ!』
(嫌ぁ!)
アスカは叫んだ。
「わたしの中に入って来ないで!、わたしの中を覗かないでぇ!!」
『アスカしっかりして!』
「いや、ママ!、あたしを見て、こっちに来て!」
『アスカ正気になって!』
「嫌い嫌い嫌い、大っ嫌い!、あたしに優しくしないで、わたしは一人で生きるのっ、あんたなんかいらないんだからぁ!」
『アスカ、逃げちゃだめだ!』
心に響く、逃げる、なにから?
脅えた目を上げる、そこにぶら下がっているのは母親の死体?、それとも人形?
『逃げちゃだめだ、現実から、なによりも自分から!』
(自分?、自分って誰?)
セカンドチルドレン。
エヴァのパイロット。
中学生。
女の子。
じゃれ合える時間。
何かを忘れられる楽しい一時。
好きだと言ってくれる人達。
一緒に遊んでくれる子供達。
自分をあやしてくれる…
男の子?
ユニゾン特訓の楽しい毎日。
(あの時…)
戦いの時、海でのような恐ろしさは感じなかった。
どうして?
彼が居たから。
「好きなものを見付けたのよ…、楽しい事も見付けたの」
しかし立ち直りかけたアスカに、エヴァの影が覆い被るように襲いかかった。
「でもダメなの?、わたしはパイロットなの?」
それは彼を見つめる自分を戒める影。
『そんなのっ、自分で決めればいいじゃないかぁ!』
天啓、とでも言うのだろうか?
その瞬間、アスカの中に何かが芽生えた。
アスカにとって最も恐ろしい恐怖は「母」であった。
その姿が使徒に重なる、あるいは使徒が吸い上げたのかもしれない。
(あれは、誰?)
使徒、あるいは。
(あれは、敵…、あたしの、敵!)
瞬間、シンクロ率が跳ね上がった。
「ああああああああ!」
アスカは狂った様にライフルを向けた。
持たされていたポジトロンライフルが火を吹いた。
「このっ、このっ、このぉ!」
反動を無理矢理殺しながら引き金を引く。
「あんたなんかにっ、あんたなんかに負けてたまるもんですかぁ!」
何故気付かなかったのだろう?
(シンジ!)
最大の敵は自分の中にこそあったのだ。
その名はトラウマと呼ばれるもの。
(シンジ!)
そしてその敵を今、初号機が渾身の力をしぼって押え付けてくれている。
『弐号機のシンクロ率が上昇していきます!』
『いける!?、アスカ、コアを狙って!』
「こんちくしょー!」
駆け寄り銃口を押し当てる。
そしてアスカは零の距離から使徒のコアを撃ち抜いた。
エヴァの膝を突かせてエントリープラグを排出する。
アスカはLCLを強制排出してまで急いでエヴァから跳び下りた。
「シンジ!」
疲れたのだろう、エヴァから降りたまま、ぐったりとへたり込んでしまっているシンジが見えた。
「バカね…」
(無茶するんだから)
誰のために?
(あたしのためでしょ?、決まってんじゃない!)
そう、あの高慢で鼻につく少年は、自分のことが好きなのだから。
それはアスカに、イニシアチブを握っていると言う余裕を与えていた。
考えることは無かったのだ、逆に余裕を見せてからかってやれば良かったのだ。
(ま、これもあたしの罪ってやつよね!?)
それが惚れられた者の特権であり、彼のそれは照れ隠しなのだと…
失われていた記憶と人格が、仮初めのものと一つになって、勝手な結論をはじき出した。
アスカは彼の元へと駆け出していく。
「ばかシンジ!」
期待を込めて名前を呼んで、しかし。
「すぴぃ〜〜〜…」
返って来たのは、思わず転んでしまう様ないびきであった。
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