The Day Tokyo-3 Stood Still.
「そう言えば、零号機の実験だったかな?、そっちは」
 ガタンゴトンと、レールの継ぎ目に合わせて電車は揺れる。
 ジオフロント行きのモノレールだ、リツコと冬月が顔を会わせたのは偶然だったが、その心情は共に似たようなものを宿していた。
(起動に成功すれば…)
 碇シンジについて、冬月はゲンドウほど深くは疑っていなかった。
 それはレイに対する執着の差とも言えるだろう。
 ただシンジは初号機を壊し過ぎるのだ。
 エヴァに換えは無い、だからこそ「大破」よりも装甲の交換と少々調整のみで済む小破を強く望んでいる。
 破損の割合を零号機と分かち合ってくれたなら…
 それが冬月の理想である。
 そしてそれはリツコにしてもそうだった。
 思わせぶりな口ぶりは誰かがシンジに接触しているのだろうと想像させていた。
(でも誰が?)
 その答えは今だ出ていない。
 しかしシンジの行動に疑問点は見当たらなかった、諜報部の監視の外に逃げ出す様な事もしていないのだから。
 それに彼は命がけで他のチルドレンを守ろうとしている、無償で命を投げ出せるその姿は称賛に値する物だろう。
(そしてそれを一番良く知っているのは…)
 誰あろう、治療を担当している自分である。
 だからこそ余計にリツコは慎重にならざるを得なかった。
 いつかシンジは一人ででも死の縁に立つ、それを避けるための仲間を何とか用意してやりたいと考えていたから。



第拾壱話「静止した闇の中で」



 EMERGENCYの文字が光る。
「問題はやはりここね」
 修復された零号機について、実験場で綾波レイ抜きでのチェックが行なわれていた。
 装甲は弐号機以降のプロダクションモデルタイプに変更され、色も青に統一されている。
 当然外張りだけではなく、それに合わせて内部の生体制御機構も最新のものに仕様変更されていた。
 そのため現在はほぼ初起動に近い状態なので、誰もが過敏症に落ち込んでしまっている。
 細かな不都合も見逃すことはできないのだ、特に零号機は実験中の暴走のイメージが強く残されている。
 だから自然と、皆の緊張感もとても張り詰めるものになっていた。


 さてその頃、そんな苦労がなされているとも知らない子供達は、のほほんと無為な時間を過ごしていた。
(女ってのもいいもんよねぇ?)
 何しろちょっと「痛い」だの「辛い」だのと言えば、バカな男がへらへらへらへらと愛想を良くしてくれるのだ。
 もちろんそれが彼以外の男だったとすれば単なる嫌悪の対象で終わっただろう。
 それに自宅などには絶対に上げたりしないはずである。
「なんでこんなに汚せるんだよ!」
 そのとばっちりを食っている少年は、決して彼女に媚びへつらいたいわけでは無かった、ただこの惨状を見過ごせなかっただけなのだ。
「パンツ、落ちてる…」
「きゃああああ!、何やってのよレイ!」
 なに?、と小首を傾げながら、それでも摘まみ上げるように持ち上げる。
 なぜリビングにパンツが?、と疑問が沸き上がるが、それは洗濯物を取り込んだまま放置した誰かさんの仕業であった。
 自業自得と言えばわかりやすいか。
 葛城家は以前の、いや、二人になった分だけそれより酷く荒れていた。
 飲み切られた牛乳パックはテーブルに並べられ、殻になったソースの入れ物が押されて床に転がり落ちていた。
 空き缶の類も山積みされて、そのまま倒れ、ごみ袋からは溢れ返った弁当のパックが異臭を放ち始めている。
 なにしろゴミで足首まで埋まると言うのだからこれは凄い。
(やだな、靴下脱ごうかな…)
 この汚されてしまった靴下のままで靴を履くのはどうだろうか?
 シンジはぶちぶちと文句を言いつつも片付けを始めた、元来こういった混沌には堪えられない性格をしているのだろう。
 ちなみにレイは見ているだけで触れようともしない、ただ眉は余りの異臭に歪んでいたが。


 ネルフ、エレベーター内。
 ミサトは酷く不機嫌だった。
(何でこんな奴と!)
 一緒に入っている男は加持である。
 苛付くのだ、別れた男、未練は無いと思いたいのに、どうしても馴れ馴れしさを受け入れてしまう。
 嫉妬もしてしまう、それを見せてしまう自分が、見透かしているその男の態度が。
 いちいち苛立ちを募らせていた。
「あらぁ?」
「停電か?」
「まっさかぁ、ありえないわ」
(冗談、勘弁してよ…)
 ミサトは停止したエレベータに焦り、何度も何度もボタンを押した。
 通常のエレベーターと違い、手でこじ開けるなど不可能なのだ。
 こんな男とと思う、閉じ込められたのでは精神衛生上、非常によろしくないからだ。
「変ねぇ、事故かしら?」
「赤木が実験でもミスったのかぁ?」
 しかし現状は冗談では済まされない状態へと進行していた。


「ダメです、予備回線繋がりません」
「バカな、生き残っている回線は!」
「全部で1.2%、2567番からの、旧回線だけです」
 発令所は突然の事態に混乱に陥っていた。
 突如ブレーカーが落ちたのだ。
「生き残っている電源は全てMAGIとセントラルドグマの維持に回せ」
「全館の生命維持に支障が生じますが」
「かまわん、最優先だ」
 三系統ある電源、実はその内の一つが落ちると言うことは良くあった。
 大電力を必要とするエヴァを抱えているからだが、それだけに必要以上の容量を見積もっている。
 バックアップも万全の体勢を見込まれていた、が、それらが一斉に停止してしまったのだ。
 事態の異常さは際立っていた。


 ネルフゲート前。
「なぁんで日本で進路なんて決めなくちゃいけないわけぇ?」
(日本で、か)
 いつもの調子で答えながらも、アスカは少し考えていた。
(ドイツ…、ドイツに帰って、あたしは)
 なにをすると言うのだろう?
 チルドレンとしてあるために頑張って来た、そしてアスカはここに居る。
 なら後はシンジを追い落とすだけである、チルドレンの中でも群を抜いている碇シンジ、その存在を許容することは到底出来ない。
(だからなのよねぇ…)
 少年の横顔を盗み見る。
 嫌われている、と勘違いされているのは嫌だ、しかし悩みの種はそこあった。
 間違いを積極的に正しはできない、同じ価値を持つ者として並び立つことは出来ないのだから、競い合うことは必然だろう。
 だがだからと言って、憎む必要があるのだろうか?
(悪い奴ってんじゃないのよね?)
 加持に感じるように、『それ以外の魅力』を感じるのも事実なのだ。
 まだそれが何なのかは、はっきりとしてはいないのだが。
 何度も命を救われている、死にたくないを口癖にし、そのくせ嫌われている相手のために命を投げ出す。
(信じらんない!)
 バカとしかいいようが無い、だが悪い意味でないのは、ほころんでしまう頬が物語っている。
 その程度で惚れるほど安っぽい女の子でもないと言い聞かせながら…
「だめ、通じない」
「これ動かないわ!」
 しばしの物思いは、施設の異状によって中断された。
「どうしよう…、とりあえず本部に行く?」
「あったり前じゃない!」
「ええ…」
「じゃあ、行動開始の前にリーダーを決めましょう!」
「碇君、お願い」
(この女!)
 躊躇する事のない即答に、アスカは思いっきり引きつっていた。


「やはりブレーカーは、落ちたというより落とされたと考えるべきだな」
 その頃、発令所では冬月が険しい顔を作り唸っていた。
(なんのためにここを調べる?)
 ネルフを落とすと言う意味では、本部よりも支部の方がガードは薄いのだ。
 それに構造もほぼ同じである。
(ここが日本だからか?)
 その可能性はあった、他国に比べてチェックが甘く、銃火器の持ち込みが容易いのだ。
 その上、唯一の使徒襲来国家でもある。
(あるいは本部だからか…)
 しかしその考えには二種類の憶測が成り立ってしまって、冬月は絞り込みに苦しんだ。
 単に本部であるからか、あるいは別の、『本部だけにあるもの』を狙っての行動なのか。
「原因はともあれ、こんな時に使徒が現われたら大変だぞ?」
 一つの懸念、しかし隣で黙している男が考えておらぬはずは無いと、冬月は適当な言葉で護魔化したが、その懸念は既に現実のものとなっていた。


 府中総括総隊司令部。
「恐らく、八番目の奴だ」
 レーダーには熱海方面へ向かう謎の生物が写り込んでいた。


「近道しよう」
 シンジの焦りは伝染するように波及し、皆の足を速めていた。
(こいつがこんなに慌てるなんて…)
 不安が過って、つい軽口が口をついて飛び出していく。
「さっすがリーダー、なんでも良く知ってるのねぇ?」
(使徒が来てるからって…、いいえ、そうじゃないわね?)
 つい先程、使徒接近の報を耳にしたばかりであるのに、考えてみればそれを聞く前から、どこか態度がおかしかった気がする。
(なんでよ?)
 これまでもそうだった、使徒が関わると途端に過敏になり、他人に対しても酷く当たるようになるのだ。
 まるで自分一人で物事を片付けようとしているかのように。
(信用が無い、信頼なんてしてないって事なの?)
 だったら悲しい。
(悲しい?、なんでよ!)
 灼熱の世界に飛び込んで来たのが、自分を救うためでは無かったとしたら?
 初めから失敗してしまう事を前提に動いていたのだとしたら…
(そんなことない!)
 自然とアスカの表情には、険しいものが刻まれていた。


「タラップなんて前時代的な飾りだと思っていたけど、まさか使う事になるなんてねぇ?」
 不平を漏らしているのはリツコだ、別段そのためにタラップが残されているわけではない。
 発令所の区体建設時に使われていたものが残されていただけである。
「本部初の被害が使徒ではなく同じ人間にやられたものとは、やり切れんなぁ」
「所詮、人間の敵は人間だよ」
(人間ねぇ…)
 軽口を叩き合うゲンドウと冬月。
 二人も空調無しの息苦しさに思考が鈍っているのを感じていた。


「いくら近いったって、これじゃカッコ悪過ぎるわ…」
 その頃子供達は。
「右ね」
「わたしは左だと思うわ」
 ムッとする。
 自分に逆らっているとしか思えないのだ。
「じゃあリーダーに決めてもらいましょうよ」
「左だよ」
 シンジもまたレイを支持してばかり居る。
 アスカにはそれが気に食わなかった。
(あたしに嫌われてるからってぇ!)
 そこまで歯向かうことは無いじゃない!、っと、もうひと押しあればつい叫んでしまいそうになっている。
「でぇ?、今度はどっちなのかしら?」
「こっちよ…」
「やっぱ可愛がられてる優等生は違うわねぇ?、いっつもすまし顔で居られるしさぁ」
 淀みなく進んでいく、そのレイの足取りについにアスカは爆発した。
「あんた!、ちょっとヒイキにされてるからってされてるからって舐めないでよ!」
 レイはちらりとアスカを見た。
 実は爆発したいのはレイも同じだったのだ。
 先程からちょっかいをかけてはシンジの気を引くこの女の態度に、我慢できないものが鬱積していた。
「舐めてなんかいないわ、それに、ヒイキもされてない、自分でわかるもの」
「でもそれは綾波が思ってるだけだよ」
(シンジ!?)
 レイの体が強ばったのが分かった、まさかと言う想いもあった。
 また「やめなよ」と言われると思っていたのだ、そしてその言葉を待ち受け、今の苛々を解消しようとしていた自分に気が付いた。
(これじゃあ、あたし!)
 この中で一番大人げないように思えてしまう。
 また動揺したのはレイも同じだった、まさかシンジに批難されるとは思わなかったのだ。
 だがそれもまた少しばかりの早とちりであった。
「父さんはヒイキしてる、…それは綾波じゃなく、母さんが原因だけどね?」
(碇君!?)
 真実の一点を突かれた気がした。
 またシンジが知っていた事にも心臓を鷲づかみにされたような苦しみに襲われてしまう。
 普段自分があの男から投げかけられている視線、あの優しげな瞳。
 それが本来は、別の者が受け取るはずのものであるとは、レイ自身も気が付いていた。
(わたしを見てはいない…)
 気付いてはいけない事だった。
 だから考えないようにしていたと言うのに、シンジはそれが『誰』が受け取るべきであるものであったのか?
 知っていたと言うのだから…
「あれはどうするの?」
「ええ…」
 上の空でレイは答えた、アスカに奇妙な目で見つめられても、レイは平常な心を取り戻せず、考えをまとめ上げる事が出来なかった。


 ダクトに入り込んで一行は進んだ、その途中で「もう!、なんで誰も迎えに来てくれないの!?」と言う不平にシンジが反応していたのだが、それは誰も気が付かなかった。
 そのままケイジに辿り着き、エヴァに乗り換えて発進をする。
(まったくもう!)
 施設が使えないのでプラグスーツに着替えるのにも一苦労であった。
 いつぞやの様に階段の影に隠れて着替えたのだ。
 またしてもシンジは無遠慮に着替えようとした、それだけならまだしもレイもであった。
(なんなのよこいつら!?)
 まるで頓着しようとしないのだ、そのくせ普段はちゃんとそうした事に恥ずかしがりもする。
 心構え。
『文句はいいから急いで!』
「やってるでしょ!、うるさいわねぇ」
『時間が無いんだよ、言っただろ!?、僕は死にたくないからエヴァに乗ってるんだ』
 まるで自分だけがチルドレンであると騒いでいるように思えてしまう、自称と冠しているように。
 彼らは言葉にせずともチルドレンであると認められている。
 使徒を倒すこと。
 それはいつぞやにシンジが唱えた言葉であるが、エヴァに乗れる自分をアピールしているアスカと、価値は結果を見せ、ようやく付随するものであると体現して見せているシンジ。
 その差は非常に大きく見える。
(動かしてるだけじゃ、だめなのよ…)
 それだけならば自分以外にも出来るのだから。
 彼、彼女にもできない事を成さねばならない。
 だが。
 シンジはその結果すらも、副産物程度だと卑下して見せる、なら。
(あいつにとって、価値のあることって一体何なの?)
 それは非常に興味深い事であった。


 竪穴に出た。
『待って』
『何か来るわ』
 じゅるっと粘液状のものが落ちていった。
「なによ今の!」
『溶解液だよ』
「なんでわかるのよ!?」
(また!?)
 アスカは今回も、戦闘の時に限って沸き起こる疑念を胸に抱かざるをえなかった。
 慎重なのはいい、だがそれならこの坑道を進んで来る間に注意が払われていても良いはずなのだ。
 それなのに突然竪穴に対してだけ注意するのは何故なのだろう?
(なんでよ!?)
 それはただ勘が良いだけのものなのか?、非常に強く気にかかる。
『ここにとどまる機体がディフェンス、ATフィールドを中和しつつ奴の溶解液からオフェンスを守る、その隙にオフェンスが足場を確保、そしてライフルの一斉射で目標を破壊、できるよね?』
「誰に物言ってんのよ!」
『…ディフェンスはあたしが』
 その言葉に、アスカは咄嗟に反応した。
「おあいにくさま、あたしがやるわ」
『危ないよ?』
(だからなのよ…)
 確かめたい事が累積し続けている、これもその内の一つだった。
 信用されているのか、いないのか。
 任せてくれるか、くれないのか?
(お願い!)
 何故、祈ってまで引き受けたいのか、わからないが。
『わかった、頑張って』
 その一言に胸が弾んだ。
(任せなさいっての!)
 アスカは気が付いていなかった。
 人に認められること、今まで求めて来たたった一つのその想いが、今や『シンジに認められる事』にすり変わっていた事に。


「じゃあ行くわよぉ?、Gehen!」
 盾になるために手足を突っ張る、その下で向かい合う様に初号機が首と足で引っ掛かっていた。
「う、ぐっ…」
 いきなり背中に激痛が走った、溶かされていく感覚、焼けた衣類が張り付く感触。
(なによ、このくらい!)
 シンジなどは全身を溶岩の中に晒したのだ。
 それに比べればまだ表皮が、装甲が溶けて直接皮膚に触れただけである。
 我慢できないものではない。
『このぉ!』
(シンジ!)
『アスカぁ!』
 彼の叫びにある種のものを感じた。
(あ…)
 ふっと力が抜けていく、落ちる弐号機、しかしアスカは心配しなかった。
 真下には初号機が、シンジがそこに居てくれているのだから。
 安心して任せられた。
『アスカ、大丈夫なの?、アスカ!』
「これで…、借りは返したわよ?」
(まったく…、なに焦ってんのよ?)
『碇君、早く弐号機を』
『え?』
『エントリープラグが溶解液に侵食されてる』
『なんだって!?』
 その時にはもう、アスカの意識は途切れていた。
 だからアスカは、その後のシンジの苦悩を知らずに通り過ぎたのだった。


「碇君…」
 第三新東京市に光が戻っていく。
 美しい夜景、しかしシンジの拳には力が込められていた。
(碇君…)
 何が悔しいのか?、なにが辛いのか。
(あの時と…、同じ)
 レイは盾になった、シンジのために。
 そしてシンジは生きていてくれたと自分のために泣いてくれた。
(嬉しかった…)
 小さな胸に拳を当てる。
 そして今日、彼女は盾になり、そして…
(同じなのね…)
 違うのは、彼女が無事ではすまなかった事であろう。
 彼にとって、自分とあの少女が等価値であるのは間違い無い。
 それが想い苦しいのは何故だろう?
 彼女が無事であったなら、彼は自分の時と同じように、泣いて彼女に微笑んでいたのだろうか?
 想像する、そして胸がちくりと小さく傷んだ。
(でも…)
 彼の笑顔が消えてしまうのは見たくない、と…
 レイは複雑な想いを抱くのだった。



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