この日、機体交換テストがあるはずであった。
もちろんその予定は変更されることなく行なわれる、ただレイは零号機の見慣れない姿に戸惑っていた。
(これは何?)
白銀の鎧を着込まされている。
かと言って鈍重な感じがしないのは、全体的にスマートなもので、元の女性的なラインが生かされてもいるためだろう。
(碇君の発案?)
横目に窺うと、そこではシンジとリツコがやり取りをしていた。
「でもそれなら、アスカの方が合ってるんじゃ…」
ドキリとしたのは何故だろう?
「今からテストですよね?、鎧、着けたままやるんですか?」
「元々あなたのための物だったから、あなたに試してもらおうと思ったのよ」
「わかりました」
(碇君の、ためのもの…)
それを自分が使う理由。
(何のために?)
使徒を倒すために?、だがそれならば武器さえあればそれでいい。
なによりも生にこだわるシンジだからこそ『鎧』なのだろうとも思う。
(わたしには…、必要ないもの)
レイは初号機に、と言いかけてハッとした。
(碇君?)
シンジに気遣わしげな視線に気が付いたからだ。
「むぅ!、なぁによぉ、レイの顔じっと見ちゃってさ!」
(何故?)
レイはまた心がざわめくのを覚えた。
最近ずっとそればかりだった、心の不安、安定がどうしても得られないのだ。
「碇君」
「あ、うん」
「行きましょう…」
レイは誰かに聞いてみたいと思った、この理由を。
(使徒を倒すための力、身を守る力…、与えられてばかりのもの、わたしは、何を考えているの?)
レイは自分自身の思考に戸惑っていた。
第拾四話「ゼーレ、魂の座」
誰かが言う。
「見たかね?、初号機の力を」
「S2機関の搭載も無しにな」
「いかんよこれは」
「早過ぎる」
「その焦りが使徒を活発化させ、セントラルドグマへの侵入を行なわせたのではないのかね?」
ゼーレの議場、ゲンドウはその委員達に責められていた。
「委員会への報告は誤報…、使徒侵入の事実はありません」
「気をつけて喋りたまえ?、碇君、この場での偽証は死に値するぞ…」
「まあいい…、今回の君の罪と責任については言及しない…、だが、君が新たなシナリオを作る必要は無い」
「わかっております…、全てはゼーレのシナリオ通りに」
回線が閉鎖され、ホログラフィが消えて行く。
元の執務室へと変わると、すぐ側には冬月が控えていた。
「シナリオか?」
いきなり揶揄する。
「ゼーレのシナリオ、しかしな碇、シンジ君と初号機、あれも俺のシナリオには無いぞ?」
「わかっている」
いまいましげに呟くゲンドウ。
「今後はレイに接触を控えさせる」
「レイにこだわり過ぎだぞ?」
「シンジに与えるよりはいい」
それがどういった意味合いでの言葉なのか?
冬月には今ひとつ計る事が出来なかった。
プラグの中で深呼吸をする。
肺の奥の奥にまで血がいき渡る感覚が、意識をとろけさせていく。
羊水に似た液体に体が溶け出していく感覚にレイは酔っていた。
四肢の感覚が曖昧になる。
(わたしが消えて行く…、この感じ)
ゾッとする感覚が走った。
(わたしを作っている、この形…)
ギュッと魂が縮まる、そこに凝り固まった女の形に意識を詰め込む。
(わたしが分からなくなっていく…)
心から『想い出』が抜け出していく。
(碇君…)
様々なシンジが思い浮かぶ。
(何かを知っている人、何かに脅えている人、何かを呪っている人…、恐れている、恐いの?)
だから肝心なものを見せてはくれない。
誰に対しても壁を作って、いつもその向こう側から覗き見ている。
(碇君…)
手を伸ばせば驚くほど簡単に触れることができるのに。
(駄目なのね…)
その深層にあるものを解放してはくれない、とても重い、深みを感じる。
レイは誘惑されるように、好奇心から手を伸ばした。
しかし触れる寸前に気が付く。
(違う、これは…)
全く別の塊だった。
(あなた、誰?)
問いかけに、レイは巨大な意識の、悲しみの奔流を感じて、自らの腕で体を庇った。
『どう?、レイ、初めて乗った初号機は?』
意識を引き戻されて、レイはわずかに動悸の強さを自覚した。
それから順に感じた事を思い出す。
「碇君の匂いがする…」
レイは邂逅に囚われていた。
「被験者は?」
「若干の緊張は見られますが、神経パターンに問題無し」
「初めての零号機、他のエヴァですもの…、無理ないわ」
『シンジでも緊張するのねぇ?』
アスカがさもと言った風情で軽口を叩いた。
「意外でしょうけど…、シンジ君だって人間なのよ」
『わかっているわ』
まるで手入れしている様に整っている眉を寄せてアスカは歪めた。
(アスカも気が付いてるのね…)
ミサトは苦笑した、不敵に見える少年だがポカも多い。
歳相応には見えなくとも人間なのだ。
それ以上にアスカ自身の成長も好ましい方向へと向かっていた。
あの自尊心の塊が他人を思いやるようになったのだから。
これは相当な成長であろう。
(それもこれも…)
恐らくは、もっとも臆病で勇敢な。
(いっそ逃げ出してくれた方が良かったのかもしれない…)
ミサトはシンジとゲンドウの再会シーンを思い返してかぶりを振った。
タチが悪いと感じたからだ、恐がりだからこそ、逃げ出すことをも放棄する。
逃げた後が恐いから自棄になる、ムキにもなる、きりがなく自暴の谷へと落ち込んでいく。
(まるで爆弾ね?)
今はまだ「やれ」と命じれば従ってくれっているから良いのだが、初戦の事など忘れられない例は何度も何度もくり返されているのだから…
一度暴走を始めれば「恐いから」こそその場の感情に任せた「ベストな方法」を選択しようとする。
それが大局的に見て、どれ程危険な選択であったとしてもだ。
第四の使徒、例えばあの時、ミサトはジオフロントにまで使徒をおびき寄せる事を考えていた。
あるいは本部を破棄する事になったとしても、使徒の撃退を考えていたのだ。
天井都市でなくとも電源は確保できる、エネルギーさえ供給できればエヴァは倒れない。
例え自爆されて自分達が死んだとしても、支部の人間が台頭するだけであろう。
(あの時…、そこまで考えたとは言えないけど)
だがいかにシンジの判断が危うかったかは指摘できる。
そのシンジからの『追及』については指令部での『混乱』の事もあって引き下がるしかなかったが…
(今は息を潜めてるだけ…、またいつ爆発するか)
そう言った意味ではアスカに期待をかけるしか無い。
シンジほどとは言わないまでも、サポートとして役立つ程度にはなって欲しいのだ。
気が付けばもう手が出せない程にシンジの行動は素早過ぎる。
独断専行を押さえろとは言わないまでも、その足を引っ張る程度の力を、自分が口を挟める余地を作って欲しいと、アスカに期待するのは不謹慎だろうか?
「ああもう!」
がしがしと頭を掻く。
アスカにはアスカで母親と言う足枷があることをミサトは知っていた。
(わかるけど!)
自分で何とかしたいとは思う、だがミサトは分からない。
相手が大人だというだけで子供は壁を作って守りに入る、警戒もする。
たったそれだけの理屈、それがミサトには分かっていない。
それはミサトが彼らと同年代の頃を心の病によって過ごしてしまった事が原因であった。
子供から大人になろうとする者の心の機微。
ミサトはその微妙さを知らずに居た。
ミサトの苦悩はともかくとして、解決する方法としては間違っていなかった。
確かにアスカはシンジの足枷となりうる人物なのだ、自己完結している様でも、他人が居なくなる事を怖れたからこそ、サードインパクトはそれを望んだ者の意図から外れたのだから。
(バカシンジが、なによ!)
しかし本人にその自覚は無かった。
『…弐号機以外の機体に乗るつもりなんて、ないんでしょ?』
アスカはその決め付けたような物言いがつまらなかった。
そう、『つまらない』のだ。
アスカは気が付いていなかった、全てを賭けた弐号機よりも、『あの』シンジが命を預けている初号機と言う機体により強い興味を帯びている自分自身に。
『エントリースタートしました』
『LCL電化』
『第一次接続開始』
(ファーストと言い、シンジと言い、なに同じこと言ってんのよ!?)
少なくともシンジは弐号機とシンクロできる、それは既に実践済みだ。
ならなぜ機体交換テストをしないのだろう?、無駄だから?
シンジが弐号機に乗るような事態もあり得るはずなのだ、あるいはレイが弐号機に乗るような事も…
アスカはふと、浅間山へ行く前のことを思い出した。
(あの時…)
レイは確かにこう言った。
『わたしが』
弐号機で出ると。
(可能性が無いわけじゃない、あたしを初号機に乗せたくない…、違う、逆なの?)
シンジを弐号機に触れさせたくは無いのかもしれないと感じて愕然とした。
(みんなはシンジを信用してない!?)
それはそうかもしれない、エヴァは汎用とは言ってもパーソナルデータを必要とする専用機のようなものだ、だがシンジはあまりその必要性もなく、零号機、初号機、弐号機とのシンクロに成功しているのだから。
(少なくとも起動はさせられる…)
起動が可能であればATフィールドを展開できる。
ATフィールドがあれば…
(バカ!、あたしなに考えてんのよ…)
アスカはその考えを振り払おうとした。
振り払おうとして…
『綾波の匂いがします』
むかっ!
『この変態がぁ!』
アスカはついつい、叫んでしまっていた。
「どう?」
ミサトは流れていくデータを読んでいるリツコに問いかけた。
「やはり初号機ほどのシンクロ率は出ないわね?」
だがそれでも十分実戦に堪えうる数字を叩き出していた。
「凄い数値だわ?、これであの計画、遂行できるわね」
「ダミーシステムですか?」
マヤは何が気に食わないのか、眉をしかめる。
あるいは知っているからかもしれない。
リツコ一人で全ての作業を行なえるものではない、ゲンドウ直轄の研究グループがある、それは『ゲヒルン』時代からの関係者達で構成されていた。
彼らとリツコ、それにマヤを含めた面々が委員会の計画を一般所員に知らせることなく行っている。
ミサトはその会話を聞き逃すことにした。
技術的な事はともかくとして、ダミーシステムについては耳にしていたからだ。
(隠し事ばかりとはいかないって事ね?)
エヴァを使用した実動実験が必要である以上、多少の機密は書面で知らせると言う事だろう。
(面白くないわね…)
この分では、どれくらい『知らなくていいこと』が隠されているか知れたものではない。
いみじくもアスカが言ったように、下のものが考えている様な『正義の組織』ではないのだ、ネルフは。
(その時はシンジ君、あなたはエヴァを渡すの?、大人しく…)
ミサトはモニターに映るシンジの顔に注目した。
そして気が付いた。
(なに?)
奇妙な緊張感が見いだせるのだ。
自然とミサトの体にも力が篭った。
その感覚には覚えがあった、この間感じたのはいつだっただろう…
(まさか?)
はりつめたものに嫌な予感が増していく。
(またなの!?)
「シンジく…」
『うるさい!』
シンジの怒声はスピーカーをビリビリと震わせた。
余りの重さに音が割れる程だった。
(あたしじゃないのか…)
シンジの罵声がアスカに向けられたものだと知ってほっとする。
妙な気まずさをまとめるように動かしたのはリツコであった。
「…次へ行くわよ?、A10神経接続開始」
「ハーモニクスレベル、プラス二十」
しかし、ミサトの予感は決して外れてはいなかった。
またしてもシンジの不可解な態度の原因を特定させてしまうかの様に。
零号機の暴走が始まった。
「全回路遮断、電源カット」
「エヴァ、予備電源に切り替わりました」
「依然稼働中」
(碇君…)
いつから居たのだろうか?、レイが窓際に立っていた。
じっと呻く様に頭を抱えるエヴァを見つめている。
(拒絶している)
どちらが、どちらを?
それは酷く気になる事であった。
自分が暴走した時にも同じように抗っていたのかもしれない。
(何に対して?)
彼ならその答えを知っているのかもしれない。
もちろんそれはレイの過剰な期待にすぎない。
彼が知っているのは、ほんのわずかな、それでいて余りにも重大な事だけなのだから。
「シンジ君は?」
「回路断線、モニター出来ません」
「零号機がシンジ君を拒絶!?」
(シンジ君、『を』?)
先に身構えていたからかも知れないが、ミサトはその不可解な表現を聞き逃さなかった。
「ダメです、オートエジェクション、作動しません!」
「また同じなの?、あの時と…、シンジ君を取り込むつもり!?」
(リツコ?)
「レイ下がって!」
ミサトは指示を出しながらも見逃さず、また聞き逃すこともしなかった。
人はこのような時にこそポロリと本音を漏らすからである。
それも重いものをより多く抱え、普段から張り詰め過ぎている人物ほどなお多く。
「レイ!」
ミサトは一向に動こうとしないレイの手を取り引っ張った。
表面から見るエヴァの拳の大きさにはゾッとするものがある。
「まさか、レイを殺そうとしたの?、零号機が」
暴走中の零号機が放った拳の先に居たのは、レイただ一人だけであった。
「シンジ君が?、でもどうして」
暴走はパイロットの深層意識を浮き彫りにする、ミサトはそう思い込んでいたから、この暴走もシンジの本音に関わっていると思い込んでしまっていた。
事実のほどは不明であったが。
「零号機が殴りたかったのは、あたしね…、間違いなく」
作戦部としてのミサトの要請を聞き受けたリツコは、零号機の行動をミサトと同じように受け取っていた。
(あるいは零号機の…、関係無いわね、シンジ君は知っているもの、わたしがしている事を)
それはもう確信に近い、証拠が無いだけの話でしかない。
(許せない?、そうでしょうね…)
リツコは拳を握り込んだ。
「彼は知っているのかしら…、レイの事も」
それは彼を押さえられるかもしれない、唯一の切り札のように思えてならない事柄だった。
「使徒侵入を知った委員会からの突き上げか」
零号機暴走の報を聞いたと言うのに、ゲンドウは特に焦りを見せなかった。
それは多分に搭乗者がシンジであった事に関係しているのだろう。
あるいはレイ以外の人間であったからなのか。
「切り札は全てこちらが擁している、彼らは何もできんよ」
だから冬月はこの態度には呆れ返っていた。
「俺にはシンジ君が握ってる様な気がして気が気でないよ」
「全て我々のシナリオの修正範囲内だ、問題無い」
「零号機の暴走も含めてか?」
「…シンジが何を握っているにしろ、ならばなぜ暴走になど付き合う必要がある?」
(やはり気にしているではないか…)
将棋本に顔を隠して嘆息する。
彼らには理解できなかったようであるが、シンジにはあったのだ。
暴走に付き合う必要性が。
「…アダム計画、ロンギヌスの槍はどうなっている?」
「作業はレイが行なっている」
綾波レイは暴走した零号機と再シンクロを果たしていた。
一つの仕事を行うためにである。
巨人のために作られた坑道を進む青い神。
その手には二股に分かれた赤黒い槍が握られている。
それは南極で引き上げられたあの槍だ。
レイはこの退屈なだけの任務を、それでも命令だからと片手間にこなしていた。
この時にはもう、レイの中でゲンドウの命令というものの順位は異常なほどに低くなってしまっていた。
正面モニターを見ているようで、彼女が見ているのはエントリープラグと言う壁である。
あるいはそれを透かせた向こう側にあるエヴァの肉体。
さらにはこの先にある肉の人形。
『今度…、一人目の綾波がいつ死んだのか教えてよ』
レイはシンジの言葉を、幾つも幾つも思い出していた。
(彼は、何を知り、わたしに何を求めているの?)
そして何を訴えたいのか?
物言わぬシンジがエヴァに乗った時にのみ見せる感情の発露を、今日、彼女は零号機から自分に対してのものだと見ていた。
そこに込められたものを見抜けない自分に、強いもどかしさを感じながらも…
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