2nd Impression Your EPISODE:X
 とりあえず、この所の惣流・アスカ・ラングレー嬢は憂鬱であった。
 忙しいほどに感情の浮き沈みが激しいのは、彼女が思春期だからだろうか?
(ばかシンジ…、なに落ち込んでんのよ?)
 元来気を使うような性格ではなかったためか?、その様な少年にはどう接していいものやら分からない。
 なにより実験事故の直前の言い争いが響いていた。
(まさかあれのせいってんじゃないでしょうけど…)
 それで傷ついたから、シンジの心は落ち着きを無くしてしまったのだ。
 そんな自己批判に囚われる。
 はぁっと溜め息。
 突っかかったのはアスカだが、元々シンジは気が立っていたのだ。
 しかしちょっとした悩みは記憶を彼女の歪んだ認識に合わせて改竄していた。
 そしてそんなアスカの様子を見ている少年少女達は数多かった。
 原因は察するまでも無かった、彼女が溜め息を吐く時は、必ずシンジを見ているのだから。
 ギュ…
 そんな中で、一人の少年は音が立つほど歯を噛み合わせていた。
 その名を、鈴原トウジと言う。



第X話「福音を呼ぶための資格」



(なんやねんあいつは!)
 人が気を遣ってやればへらへらと友達面をし、ちょっと険悪になれば無関係を装って責任逃れをする。
(ほんまに女の腐ったようなやっちゃで!)
 適当に言い放っただけだが、トウジは別段女性を差別しているわけでは無い。
 それに、だ。
 あの気の強い少女が時折見せるあの表情、それが堪らなく愛おしい。
 我も強いというのに、時折酷く寂しげな顔を覗かせる、問題はその時に限ってつれなくされていると言う事だ。
 誰に?
(あのアホが!)
 碇シンジにである。
 トウジにとって重要なのは、むしろその事だったのかもしれない。
 またそんなトウジの態度は余りにもあからさまな感じであった。
 だからだろう。
 トウジ、シンジ、そしてアスカの三角関係を面白がる様に、クラスメート達は一歩引いて不干渉の立場をとっていた。


 表層だけを見ている面で、鈴原トウジというのは実にやっかいな存在であった。
 彼にとっては。
 アスカは違う、彼の内心を多少なりとも知り抜いているだけに動けないでいたのだ。
 不用意に触れる事こそ危険である場合がある。
 アスカ自身、何かあった時に『放っておいて』と叫びたくなる様な事が幾度もあった。
 だから余計に触れられずにいた、いま彼に必要なのは一人でいられる時間なのだと、心の何処かで分かっていたのだ。
 …この場合、素直な励ましがかけられるかどうかは計算されていなかったのだが。
 さて、問題の中心人物である所の碇シンジはと言えば、またしても自覚の無いままに一つの問題を引き起こしていた。
「碇シンジ君…」
 夜の闇の中で、彼女はポツリと呟いた。
 転校生、山岸マユミである。
 パジャマは少し大きめで、白地にピンクの水玉模様。
 ベッドに転がってはいるものの、生乾きの髪の水気がシャツを張りつかせて気持ちが悪かった。
 いつもならちゃんとドライヤーを当てて、きちんと乾かしているはずなのに。
 しかし、それすらも今の彼女にはどうでもいい事だったのだ。
(どうして?)
 昼間の事件は彼女をそのような状態に陥れてしまうほど、実にショッキングな事件であった。
 転校して来たばかりのマユミは緊急避難が何を意味しているのか分からなかった。
 報道監制が働いているため、外から来たマユミはあまり使徒のことを知らなかったのだ。
 初めて見る巨大な怪物。
 爆発と炎上、戦い合う巨人達。
 呆然と見上げていたマユミは、昼間話したばかりの少年の声に目が覚めた。
『乗って!』
 巨大ロボットに乗るクラスメート。
 マユミは目を閉じると、ふうと熱を帯びた吐息を吐いた。
 頬がわずかに紅潮しているのが分かる、同年代よりも少しだけ膨らんでいる胸は、何かの期待を孕んで山なりをいつもより少しだけ大きくしてしまっていた。
(かっこいい人)
 実の所、シンジは以前のように風呂に浸かるということはなくなっていた。
 シンクロテストの後のシャワーがせいぜいである、そのため多少髪はバサついて、そっけなさと合わせて鋭い印象を与えるようになっていた。
『大丈夫?』
 図書室でぶつかった時の一言である。
 人を思いやる声音と優しげな目にとても惹かれるものを感じた。
 シンジはただ以前のマユミを知っている気安さから、そのような目を向けただけなのだが…
 とにもかくにも、マユミには悪い人ではないとの印象を植え付ける事に成功していた。
 はふぅと意味ありげな吐息がまた…
 本の世界には確かにこのような展開もあった。
 そして自分は悲劇のヒロインとなり、彼に救われ、そして二人は…
(バカみたい)
 マユミは急速に心が冷えるのを感じた、いや、自分で冷やしてしまっていた。
(本の中だけのことじゃない…)
 でも夢を見るのは勝手だろう、現実の世界ではないのだから。
 だからマユミは、続きは夢の世界で考えることにするのであった。


 そんなマユミが恋への焦がれから、朝も早く新たな恋愛小説を求めたとして、何の罪があるのだろうか?
 ただ見つかりたくない相手と言うのは居るものだ。
「碇さん…」
 マユミは(どうしよう?)と言葉を無くして立ちすくんだ。
「その…、これは」
「朝から本を買ってたの?」
 マユミはシンジの自然な言葉遣いにほっとした。
「ええ、昨日図書室で借りた本、みんな読んじゃったから…」
「はは…、本が好きなんだね?」
「ええ…、本は色んな事を教えてくれるから」
 あ、とマユミは少し思った。
 自分が自然と誰かの隣に並んでいる、その事に対する驚きであった。
 それは今までにはない感慨だった、友達…、それも男友達と話している自分がそこにはいるのだから。
 そっとシンジの顔を覗き見るが、シンジは前を向いていた。
 ああ、そうなんだとまた理解した。
 夕べの妄想で、マユミは『世界を救うパイロットとはつり合わない』と言う所まで進んで涙で枕を濡らしていた。
 …実に想像逞しい、が、現実はここにあった。
(そうよね…)
 落胆と共に安堵もした。
 普通、男の子は厭らしい目を向けて来る、大きくなり始めた胸に、剥き出しの足に。
 何故かマユミは、そう言う目を集めてしまうようで、過敏症にも陥っていた。
 しかしシンジはマユミを異性として見ようとしないのだ。
(でもその方がいい…)
 今のこの状況を壊さない事が、一番幸せなのだと勝手に思う。
 いみじくもそれはシンジと同じ考えなのだが…
 ちくりとマユミは胸に痛みを感じた。
 最初は、「あ、また」と思った、それは楽しいこと、嬉しい事を諦めようとする時に来る通過儀礼のようなものであったから。
「どうしたの?」
 マユミはシンジの気遣う声に、(違う?)とようやく異変に気が付いた。
 本当に痛いのだ、胸が。
「大丈夫?」
「あ、はい…」
 マユミは気丈にも顔を上げた。
 しかし誰がどう見ても、その顔色は酷く青ざめたものになっていた。


(ああもうあのバカ…)
 アスカの憂鬱は更に度合を増していた。
(ほんと、心配してやるのがバカみたい…)
 よほど疲れているのだろう、心配している自分を否定する事すらやめている。
 アスカは周囲の噂話に溜め息を吐きながらも、机の上に手を組み合わせて額を押し付けていた。
「ねぇ、山岸さん?」
「はい?」
 傍観に徹していたクラスメートも、ついに好奇心が抑え切れなくなったのだろう…
「碇君と…、一緒に登校して来たでしょ?」
 そんな話まで耳に入って来るのだから堪らない。
 焦って否定するマユミの、耳まで赤くなった顔が想像できた。
(まあねぇ、もてないちゃんがちょっと優しくしてもらった時にしちゃう勘違いって奴ぅ?)
 アスカはシンジの『悪癖』については諦めていた。
 もてる奴はものてるのだ、自分がそうであるように。
 それに好意を寄せているのは彼女だけではない、他にも大勢いるのだから、一々気にしていてもしようが無い。
(どうせねぇ…)
 シンジを盗み見るようにする。
(あのバカ、また…)
 霧島マナの名前が蘇る。
「はぁ…」
 アスカは深く溜め息を吐いた。
 彼女が本当に恋心を感じさせた時、シンジがどういう態度を取るかは分かっていたから。


 山岸マユミはおおむね幸せの中にあった。
 小説や漫画のヒロインと同様に、皆に好奇の目を向けられて…
 多少有頂天になってしまっていたのもしかたの無い話だろう、しかし心の片隅では、すぐにこのような幸せは去っていってしまうと考えていた。
 そしてそれは、現実のものになるのであった。


「何考えとんのじゃ、お前は!」
 マユミはその声にびくりと震えた。
(なに?)
 そっと本棚の角から様子を窺う。
 本棚に押し付けられているシンジが見えた。
「トウジ、やめろって!」
「霧島の次はあの女か!、惣流をなんやと思とるんじゃ!」
(惣流?)
 マユミの早過ぎる理解は、あっという間に自分を悲劇のヒロインへと仕立て上げた。
(やっぱり…)
 そう言う人が居るんだと諦める。
「そんなの、関係無いだろ!」
 シンジの叫び、マユミはこれも自分を嘆かせるために利用した。
(あたしって、やっぱり…)
 恋人と上手くいっていないのだろう、と勝手に思う
 その心の隙間を埋めるための自分、だから自分を意識して見てはくれなかったのだと勝手に思った。
「このあほが!」
 はっとする。
「やめて!」
 だからと言って、このままにはしておけないから、マユミは跳び出す事を選んでいた。
 その結果は…
「やめたんだよ!、人の顔色窺うのも、好きになるのも、僕はもうしないって決めたんだ!」
 ドキリとした。
「碇さん…」
 それは自分がいつも考えていたことだった。
 本に逃げ込む理由にしていた思いでもあったのだ。
「ごめん、山岸さん」
 マユミは肩をつかまれ押しのけられても反応できなかった。
 口元を押さえて、嗚咽を堪える。
 シンジの口元に浮かんだものは何だったのだろうか?
 あの歪みは、もう一歩で壊れてしまう前兆だったのか?
 マユミはシンジの慟哭を見た気がした、そしてそれは、自分の中にあるものにも似ていると感じてしまうのだった。


 まるでシンジの苦しみを知るように…
 いや、事実感じたのかもしれない、使徒はそれを逃さぬように現われ、そしてシンジの弱点を的確に突いた。
 学校を、級友を盾にしたのだ。
「ちくしょう…」
 シンジはLCL浄化ユニットの交換を待ちながら、漏れ出る悔しさを隠し切れずにいた。
 しかしシンジは気が付くべきだったのだ。
 皆、シンジの修理が終わるまでは保たせると言ってくれた、その心情に。
 誰もシンジ抜きで片付けるとは口にしなかった、自信が無いから出来なかったのかも知れないが、それでも確かに、みな心の奥底ではシンジを頼りにしていたのだから。
 そんなシンジに近付いて来た影は…
「碇君」
 山岸マユミのものであった。


 戦闘が始まってすぐに、マユミはある事に気が付いていた。
 お腹の奥に生まれた違和感、まるでそこに生命が宿ったような…
 まさかと言う思い、そんな『ふしだら』なことをした覚えは無いのだから。
 マユミは何気に使徒を指差している少年達の声に引かれて窓の外を見た。
 その時、確かに使徒はエヴァを彼女に見せないように動いた。
 自分を壁にして。
(違う!)
 マユミは気が付いてしまった、使徒は盾にしようとしているのでは無い、守っているのだ。
(あたしを!、あたしの中に居るこれを)
 蒼白になる、だがそうとわかれば…
 悲劇のヒロイン、山岸マユミの行動は短絡であった。


『死ぬなら勝手に死ねばいいだろう!?、なんでみんな僕に殺させようって言うのさ!?、また殺さなきゃいけないの?、人を…、好きになれるかもしれない人を、僕は…』
(好きって…、言ってくれた)
 マユミにはそれだけで十分だった。
 ビルの屋上に昇り、柵を越えて、マユミはなびく髪を軽く押さえた。
 風はいましもマユミをさらおうと強く吹く。
「碇君…」
 たなびくスカート。
 夜景の奇麗な第三新東京市、そのビルの合間に居る使徒は、確かに自分を目指して迫って来る。
 その間にロボットの背中が見える、ロボットは銃を手に怪物を倒そうと必死になっていた。
 そのロボットが一瞬だけ振り返った。
 マユミは迷惑をかけたくないと、シンジの言葉通りに実践して見せた。
 シンジの言葉の裏にある思いを知りながら。
 この後のことをマユミは知らない、ただ…
 彼の思いを裏切ったために、彼を想う資格を失った事だけは理解していた。


「シンジ…」
 アスカは初号機が彼女を受け止めたのを見てほっとした。
 もし彼女が死んでいたら?、きっとシンジは立ち直れないほど傷つき、壊れるような気がしたからだ。
 何故などとは考えなかった、だからシンジはあれほど自分達を必死に助けてくれるのだから。
 アスカは大人ほどひねくれてものを見ていなかった、その分、シンジと言う少年の本質に辿り着いていた。
『逃げたくても逃げられない、逃げないように、自分に言い聞かせてる、そんな奴だっているのにさ…』
(シンジ…)
 通信機を通して入って来た慟哭に胸を打たれる。
 それはミサトも同じであった。
(やっぱり…)
 ちらと指令塔の上のゲンドウを見上げる。
 彼には逃げ場が無いのだと確信した、だからこその強さなのだと…
 同情したくもなる、だが今はいけない、状況はまだ動いているから。
「シンジ君、来るわ!」
『綾波…、槍を』
 その時のシンジの声に、震えない者は居なかった。
 押し殺したものが感情の激しさを伝えて来る。
 その爆発が自分に向かって来る事を怖れて、誰も、ミサトも、リツコも、ゲンドウですらも、言葉を発する事を怖れた程だった。
 そしてそれは正解だった。
 大気を切り裂き、音速の壁を突破し、光速に近付くほど、シンジの投げた槍は激しい憤りを振りまいていった。
 第三新東京市のみならず、外苑の山を粉砕、削り取るどころか吹き飛ばすほどの怒りを見せて。
 この時の震動は本部を軽く揺らすほどだった。
 ATフィールドの中和すら無用であった、使徒は槍と槍の纏った衝撃波によって、血雨となって第三新東京市を染め上げた。
「…使徒は」
 ようやく、ミサトは呻きを発した。
 本部にはハァハァとシンジの荒い息遣いが響いている。
「とんでもないわね…」
 膝が震えるのをミサトは隠しきれなかった、本当に初号機に武器が必要なのかと。
 あるいは『キレた』シンジを誰がどうやって押さえるというのか?
『うっ、くっ、ぐす…』
「シンジ…」
 その必要性が無い事を、この少女だけが知っていたのかもしれない。
 心の解放を望んでいると分かっていたから、アスカはそっとシンジを支えた。
 シンジの心そのままに、膝をつきかける初号機と、それを支える弐号機の姿。
 それこそが本当に必要なものであると、やはり大人達には分からなかった。



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