WEAVING A STORY 2:oral stage
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「使徒を…、食ってる」
ミサトの瞳孔は余りの陰惨な光景に大きく開いていた。
その側でオペレーターの伊吹マヤが口元を押さえ、吐いている。
ジオフロント内に満ちる血臭、咀嚼する音。
エヴァが『生き物』である証したる惨劇であった。
初号機が、使徒を食い千切り、飲み下していく。
「拘束具が…」
「拘束具?」
「いま自らの力で解かれて行く、あたし達にはもう、エヴァを止めることは出来ないわ」
「エヴァを?」
ミサトはリツコの解説に眉根を寄せた。
(エヴァが止まったからって、なんだってのよ?)
エヴァが止まった所でどうなるというのだろう?
もうシンジで無ければ起動しないのは明らだ、では誰がシンジを止められると言うのだろう?
残りの二体のエヴァはこの地下空間の何処かに転がっているはずだ、いつ直るかも分からないような状態で。
また、加持リョウジも咆哮する初号機に同じような感想を抱いていた。
「初号機の覚醒と解放、こいつはゼーレが黙っちゃいないな」
そのゼーレである。
「エヴァシリーズに生まれいずるはずのないS2機関」
「まさかかのような手段で、自ら取り込むとはな」
「我らゼーレのシナリオとは、大きく違った出来事だよ」
「この修正、容易ではないぞ」
「碇ゲンドウ、あの男にネルフを与えたのが、そもそもの間違いではないのかね?」
「だがあの男で無ければ、全ての計画の遂行は出来なかった」
「問題はサードチルドレンだよ」
「碇シンジ」
「レコーダーに残る数々の不可解な言動」
「誰かが…、接触しているのではないのかね?」
「我らの結束を疑うのか?」
「やはりあの『おもちゃ』、破棄しておくべきだったのだよ、テストタイプとは言え碇ユイの名にほだされるべきでは無かった」
ユイは元々、ゲヒルン以前からのゼーレ幹部である。
どの様な馴れ初めで六分儀ゲンドウに出会ったかは、彼が黙したために謎となってしまっているが、ユイの『担当』は裏死海文書であった。
最初から、計画の根幹に居た人物なのである。
きっかけは冬月の元へと持ち込んだレポートであったが。
「いかなる意志の成せる技か…」
まさしく『意志』であろう、初号機には彼女の魂が宿っているのだから。
「まあよい、過ぎた事を言っても始まらん」
「さよう、これからの事を論じよう」
と、手の届く低い天井界で話し合いがもたれているのを知りながら、二人は吠える初号機を見つめていた。
「始まったな、シナリオからは大分外れているようだが」
「問題無い…、全てはこれからだ」
再びユイに会うために、ユイを中心とするために、初号機の覚醒を狙った二人であるが…
顔にはどうしても、一抹の不安が残されていた。
第弐拾話「心のかたち、人のかたち」
第一日。
初号機ケイジ。
ミサトは装甲の吹き飛んだ初号機を睨み付けていた。
「ケイジに拘束、大丈夫でしょうね?」
「内部に熱、電子、電磁波他、化学エネルギー反応無しS2機関も完全に停止しています」
「にも関わらず…、この初号機は何度動いたの?」
(これもシンジ君、考えてのことだというの?)
真実の一端を知ってしまった事から邪推が生まれ、ミサトはどう対処すべきか迷いを持っていた。
半壊した第一発令所に代わり、第二発令所へと移動する。
「零号機と弐号機は?」
「両機ともヘイフリックの限界を越えています」
「時間がかかるわね…、全てが戻るには」
ミサトとオペレーターとの会話にリツコは割り込みをかけた。
「シンジ君は?」
リツコは無言で顎をしゃくった、そこに映されているエントリープラグ内部の映像。
「なによ、これ!」
変色したLCLが漂っている。
「シンジ君はどうなったのよ!」
「エヴァ初号機に取り込まれてしまったわ」
「なによそれ!、エヴァって何なのよ!?」
「人の作り出した人に近い物体としか言い様が無いわね」
「人の作り出した?、あの時南極で拾った物をただコピーしただけじゃないの!、オリジナルが聞いて呆れるわ」
「ただのコピーとは違うわ、人の意思が込められているもの」
「これも誰かの意志だって言うの!?」
「あるいはシンジ君の」
「!?」
反射的に振り上げた手でリツコを張る。
「なんとかなさいよ!、あんたが作ったんでしょう!?、最後まで責任取りなさいよ!」
感情的になるミサトに、今度はリツコが噛みついた。
「シンジ君を失ったのは、彼に頼り過ぎたあなたの責任なのよ!?、それ、忘れないでね!」
いがみ合う。
リツコとてゲンドウから厳重な指示を下されていたのだ。
なんとしても初号機からシンジを引きずり出せと。
生命の実と知恵の実、その両方を宿したエヴァにシンジは己の魂を宿したのかもしれない。
その想像はゲンドウ達に恐怖を呼び起こしていた、初号機は必要なのだ、絶対に。
(あの人にとってね…)
何よりもその中にはとある女性が眠っていたのだから。
(あの人は許せないんでしょうね…)
レイを、ユイを、独り占めしようとしている自分の息子が。
リツコは一人の女として、情事を重ねた女性として。
自分を見ない男よりも、目を惹きつけている女達に対して、強い嫉妬を抱くのであった。
第二日。
「あの女が無事だって言うのはわかったわよ!、ミサトもいちいちそんなことで、わたしに電話しないでよ、もう!」
受話器を叩きつける。
暗い部屋、久々に帰った葛城家にある自分の部屋だ。
当たり散らしたコップは砕け、雑誌は破れ、クッションは裂けていた。
「何も…、何も出来なかったなんて、またバカシンジに助けられたなんて!」
そしてそのシンジは初号機に取り込まれたと言う。
何度か見た初号機暴走の光景が、そう言う事もあり得るのだと言う妙な説得力を生み出していた。
思い出すだに震えが来る、血まみれで咆哮する初号機の姿に。
「悔しい…」
いつか来るかもしれないと思っていた時がとうとう来たのかもしれない。
アスカは顔をシーツに押し当てて涙を流した。
第七日。
「アスカ!」
久々に姿を見せたアスカに、ヒカリは椅子を蹴って立ち上がった。
「大丈夫だったの?、体は!?」
見れば分かると言うのに、ヒカリは一応確かめるようにアスカに触れた。
「大丈夫?、顔色、悪いわよ?」
「…まあね」
頬がすっかり痩けている。
ヒカリを押しのけ、アスカは自分の席に向い、座った。
そのまま手のひらに顔を押し当て、うなだれる。
「…シンジはどないしたんや?」
その独特のイントネーションは、顔を上げるまでも無く彼のものだ。
「…今度は、ダメかもしれない」
ポツリと漏らされる重い台詞。
「あのバカ、帰って来れないかも、もう…」
誰も言葉を紡げなかった。
第十二日。
碇シンジの個室。
そのベッドにうつぶせている綾波レイ。
(碇君の匂いがする…)
それは機体交換テストの時に、初号機の中で感じた物と同じであった。
子供であり、少年であり、男でもあると言う認識が生まれる。
それはこれまでの、同世代としての感覚の消失を意味していた。
横に並んでいた少年が、いつの間にか前を歩いていたと知った時の焦燥感。
その背中に壁を感じる、いや、隔たりを感じるからこそ、抱きつきたいと言う衝動が生まれるのだろう。
(碇君…)
シンジは…、戻って来た。
予告した通りに。
そして行ってしまった。
手の届かない世界へと。
そして大人達はそれでも少年を連れ戻そうとしている、自分達の欲望を果たすために。
それは嫌悪すべき事柄だが、それでもシンジを取り戻してくれるのならと、レイは目をつむる事を選んでいた。
(わたしも…、同じなのかもしれない)
目的のためであればどのようなものでも利用する。
人の気持ちなどお構いなしに。
(やはりわたしは、あの人に似ているのね…)
側で見て来たからかも知れない、それでも。
(わたしは…)
レイはシンジが居る事を望むのであった。
第三十一日。
サルベージ実行。
「どういう事!」
「失敗…」
非常警告音にミサトが焦りを発しリツコが告げる。
「え…」
「帰りたくないの?、シンジ君」
ミサトを置き去りにして、リツコは状況を追いかけた。
サルベージとは人為的に使徒が行う肉体の構成方法を引き起こす事である。
碇シンジを構成しているイメージ、あくまで他人の目から見たイメージだが、それを送り込む事により自我の確定を行わせるのだ。
コアを中心に使徒が肉体を形作るように、シンジにも魂を中心として体を再構成させるように促してみる。
体を構成するための物質はエントリープラグの中に存在している、しかし。
(どうして…)
リツコには分からないのだろう、人の目から見た碇シンジと、今の碇シンジを見せていた内面の、心の有り様との間に、どれだけの開きがあったのかが。
多少不可解な言動を行う少年であったが、保安を目的にした監視記録には、チルドレンとしてあまりにも立派な姿が刻まれている。
以前アスカが怖れていたように、シンジはその様な目で見られる事を望んではいない、絶望どころか見限っている人間に好意を向けられて、だからどうだと言うのだろうか?
拒絶反応を示す事こそ当たり前なのだ。
「全作業中止、電源を落として」
「ダメです、プラグがイグジットされます!」
皆が見守る中で流れ出す液体、シンジであった物質、篭っていた心すらも霧散していくような錯覚が皆を襲った。
「シンジ君!」
ミサトの叫び、リツコもまた心の中で叫んでいた。
(どうして!)
これで碇シンジは死んだのだ、そして初号機も二度と心を開くことは無いだろう。
宿した命を、魂を、流産したような物なのだから。
ダミープラグでのことと言い、『エヴァ』が受けた心の傷は計り知れない。
(司令…)
リツコには想像できなかった、あの男が目的を失った時、どうなってしまうのかが。
碇ユイの魂が、今度こそ手の届かない所へ行ってしまったと知って、どうなるかが。
だが。
「初号機のS2機関が、稼動しています!」
「なんですって!?、状況は!」
「反応上昇中!、十、二十…、変です、熱量がコアに集中、止まりません!」
リツコははっとした。
「エヴァが自ら返すと、自分で孵ろうと言うの?、シンジ君」
リツコは見ていた、初号機のパターンにエヴァ以外の、人の反応が、シンジのデータが重なるように生まれて来るのを。
そしてそれを現実として見せつけるように…
エヴァのコアから、裸のシンジが生み落ちた。
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