Don't Be.
 シンジの帰還祝いのパーティー以来、加持リョウジは多忙の日々を極めていた。
 初号機の覚醒に伴い下って来る命令に従って、碇ゲンドウ、冬月コウゾウへの警告を片手間に行いながらも、内閣、ネルフ、そしてゼーレの三足のわらじを利用して、シンジから得られた情報を元に本部攻防戦のためのプランテキストを固めていたのだ。
 加持はこれとシンジに渡したディスクを補正修正したものをまとめて、情人、葛城ミサトに性交渉の合間に贈り物として授けて行った。
 そう、ゼーレからの副司令拉致監禁の命令を無視して姿をくらましたのだ。
 追い求めた真実を掴んでしまった加持にとって、最も安全な身の謀り方は『逃亡、潜伏』であったのだ。
 この日、葛城ミサトは加持からの伝言を留守番電話に見付けて嗚咽することとなる。
 まるで遺言のようなその言葉に。



第弐拾弐話「せめて、人間らしく」



 加持リョウジの失踪はそう大きく取り立たされることは無かった。
 中層部には所員の一人であり上層部にとっては最大の危険分子であったからだ。
 諜報員が姿を消すのはそう珍しい事ではない、だが上層部がその様な所員一人に慌てふためくというのも問題だろう。
 よって表向きの動きは見られなかったが、当然気にしている人物は勘繰っていた。
 リツコなどは次の展開へのアクションではないのかと疑ってもいた。
 そしてそれは事実の一端を穿っていた。
 ミサトは加持からもたらされた情報と、シンジの話、それに独自に集めた情報を分析し、それからこれからに対抗するためのプランニングに没頭していた。
 加持はまだ死んだわけではないのだ、スパイの末路は憐れなもので、死体すら公になることは無かろうが、ミサトは加持が生きていると盲目的に信じることに心を決めた。
 一方で悲鳴を上げる想いが最悪の状況を夢見させようとは蠢いていたが。
 ミサトはシンジに憎悪を向ける一歩手前で立ち止まっていた、それはシンジが未来の展開を語ってくれなければ、加持は消されていたと言う想像によるものであった。


 またその片隅では、アスカがシンクロ率の低下に思い悩んでいた。
 その原因が分かっているだけに取り除くのは容易ではなかった、シンジである、加持ではない。
 衝動に任せて加持に起こる危険を何故自分にも教えてくれなかったのかと感情をぶつけてしまったものの、結局最後に決めるのは当人であると後になって思い直したからだった。
 普通の人間は破滅を示唆されたとしても、願望を押さえることはできないだろう。
 それが例え未来人によって知らされた物であったとしても、目に見えない危険を前に、どうして思いとどまる事が出来るだろうか?
 その『時』は失敗したようだが、『次』はうまくやる。
 それが普通の人の思考であり、またシンジもそう言った人間の内の一人でもあった。
 夢や希望を捨てさせることは容易ではないのだ、そして当人が思いとどまらなければ、それは自業自得である、既に忠告はなされていたのだから。
 だが加持は自らの欲を捨ててまで、シンジの忠告に従ったのだ。
 シンジとミサトの願い通り、生き延びる選択肢を選び姿を消した。
 これらは当人すら気が付いていない、碇シンジと言う人間の持つ人徳が、加持リョウジの信頼を得るに値していたからこそのことだった。
 加持は己の信念を捨ててまでシンジの願いに沿う道を選んだのだ。
 シンジがそれだけの計算をしていたかと言えば答えはノーである、アスカもそれは重々承知していた。
 シンジはいつも結果として最善の状況を生み出していく。
 だからこそアスカは後悔していたのだ、感情に任せてしまったものの最も苦悩しているのはシンジだと知れるから。
 状態としては鈴原トウジに似ていた、結果や想いも知らないで、そこにある現実だけを見て喚き散らしてしまったのだから。
 だからアスカは、シンジに対してどう接すればいいかを考えていた。
 根掘り葉掘りシンジの記憶を打ち明けてもらえれば、それなりに対応策を見いだせるかもしれない、しかしそれは同時にシンジの心に深い傷を負わせる事になってしまうだろう。
 あくまで『言いたくない事もあるだろう』との配慮であったのだが、事実、『記憶』をアスカの死に至るまで白状させられたのなら、シンジは二度と心を開きはしなかっただろう。
 アスカはこれまでの事を思い返し、もし自分が知っていたのならどうしたか?、と考えた。
 考えるにつれ、挫折した。
 シンジや加持ほど周囲に対して上手く立ち回れないと分かったからだ、自分の性格はあまりに直線的過ぎるから。
 一つ間違えれば自白剤どころでは済まないだろう。
 ここに至ってアスカは、未来の記憶を持つ事への危険性を認識した。
 同時にその苦悩もだ。
 未来を知っていながら、知っているからこそ『再び』相対しなければならない辛い現実と言う名の結果。
 人のためを想った所で受け入れてもらえなければ意味が無い。
 その結末に心を痛めるのは、破滅へ突き進む姿を眺めていなければならない誰かなのだ。
 そしてその者こそがシンジである。
 一時の感情に任せてシンジをより深く傷つけてしまった事が、アスカの精神に疲労をもたらしていた。


 またアスカほどではないにしても、非常に疲れを感じている少女が居た。
 シンジを挟む形で彼女と双璧を成す綾波レイである、彼女にいたっては碇ゲンドウによる直接尋問を受けていた。
 内容は碇シンジとの接触、会話についての口答報告と詰問であった。
 もっとも、尋問というにはあまりに手緩い、それは一応レイがゲンドウに対して従順な姿勢を見せたからだ。
 それに気を良くしたゲンドウは、レイがまだ自分からは心変わりをしていないと確信をした。
 それでもシンジへの牽制を忘れるわけには行かず、ゲンドウはドグマへの幽閉を決め、レイにそう通達した。
 これもまた彼女のゲンドウ離れを助長する原因となっていくのを分かりもしないで。


 散々なテスト結果を残したアスカであったが、現在初号機が凍結中と聞けばいつまでも落ち込んでいるわけにはいかなかった。
 次にはシンジに頼れるかどうかも分からないのだ、アスカは加持を見失った事から次なる依存の対象としてシンジ一人にしぼり始めていた。
 思慕の念、恋愛感情にも似た側面を持つ一方で、それでも恋心だと認識しなかったのはなにも意固地でひねくれているからでは決してない。
 シンジに何かをしてやりたいと言う母性本能が、完全な依存を許さなかったのだ、アスカはシンジの弱さを見つける事で、ようやく等身大の、自分と背丈の変わらないシンジの心を見付けていた。


 二人の少女はお互いに不満と焦り、それに持て余し気味の愛情を抱えていた、しかしそれを形にする術は持ち合わせてはいなかった。
 レイ、アスカ共に人を思いやる事には不慣れだったためである。
 そんな二人が鉢合わせしたエレベーターは、沈黙と言う名の重い空気に満たされていた。
「…碇君は」
「へ?」
 しばしアスカはぽかんとした。
「なによ、そんなに心配なら見に来ればいいじゃない」
 ちょっとした言葉の違いだ、「行けば」ではなく「来れば」と言う。
 これはレイの癇に触った。
「碇君と居られるのが、そんなに嬉しい?」
(なによこの女!)
 …女の嫉妬が激化していく。
「ええ嬉しいわよ、シンジだって喜んでくれてるし」
「そ…」
 肩越しの唇が笑ったような気がしてアスカはカッとなった。
「なによ?、何か言いたいことあるわけ?」
「…あなたがそんなだから、碇君が怪我をするのよ」
「なによ!、あたしが真剣にやってないっていうの!?」
「そうよ」
 パン!
 我慢の限界を越えたアスカの手のひらが一閃した。
「あんたに、あんたなんかにわかるもんですか!」
 ちょうど開いた扉に、くっと歯噛みしてアスカは飛び出していく。
 アスカは直接、レイは間接的にシンジを守っている。
 二人はシンジのことだけに目が曇っていたから、それに気が付かないまますれ違っていた。


 レイにしてみれば度重なるアスカのミスでシンジが窮地に追い込まれているのを、もはや見過ごせなくなっていたのだろう。
 だがいくらシンジを頼りにしているとは言え、人生の半分がたをつぎ込んできているのだ、アスカはそれなりに誇りを持っていた。
(あたしのプライド、がたがたね…)
 レイに指摘された事で、アスカは昔の自分を振り返っていた。
 確かにレイの言う通り、今の自分はシンジ優先主義でエヴァ、使徒退治を二の次にしてしまっている。
 シンジは自分達の仕事を『使徒を倒すこと』だと言った。
 傷つく人を出さないための使徒退治なのだろう、しかしそれを行っているシンジの傷は誰が塞いでくれるのか?
 アスカは立ち返るほどに自分の傷も認識していった。
(ママ…)
 そんな自分が果たしてシンジを救えるのか?
 募った不安は、本音となって漏れ出てしまう。
「わたしってよく泣くわね…、もう泣かないって決めたのに」
「アスカ…」
 肩を抱いてもらって嗚咽を漏らす。
 少年が優しいのをいい事に、自分の傷まで背負わせようとしてしまっている。
 それが分かっていても、アスカは告白をやめられなかった。
「パパもママもいらない、やっと自分で考えて自分で生きていけるようになったのに…、でもだめなの、もうだめなのよ…」
(シンジ…)
 堪えて来たものを吐き出していくと、心のつかえが軽くなっていく。
 アスカはその開放感に、この上ない心地好さを見いだしていた。


 使徒襲来。
 しかし成層圏にとどまる使徒にエヴァンゲリオンは攻撃方法を持たず、消極的な展開を余儀なくされていた。
 当初零号機先行との指示であったが、アスカはこれを独断で拒否をする。
 アスカにはレイの言葉が突き刺さっていた、シンジに依存する余り対応がおざなりになっていると。
(あたしだって!)
 シンジに助けられてばかりではいけないのだ、それに弱みを見せてしまった事で、アスカはシンジの心の支えにはなれないと自分を卑下していた。
 しかしこれは全くの早とちりであったのだ、アスカが心を開いた事により、シンジは親近感を持ったのだから。
 幼少期の傷と飢えからくる渇望。
 例えそれが傷の舐め合いに過ぎなくても、舐め合った傷は確実に癒されていくのである。
 とにもかくにも、アスカはシンジの心を支えられるほど強くはなれないと自分に鑑定結果を出すに至っていた。
 だがだからと言って、シンジを見捨てるほど恩知らずではない、アスカはならばとエヴァでのサポートを目指すことに決めたのだった。
 シンクロ率は落ち始めているものの、それでもレイに比べれば格段に高い。
 先日の戦いは無様であったが、だからこそ、もうこれ以上は負けられないと自分に言い聞かせていた。
 人として、パイロットとして何も出来ない役立たずであるのなら、どうしてこれ以上シンジに甘えていられようか?
 だが、使徒の攻撃は無情なもので、アスカの心はずたずたに引き裂かれてしまうのであった。


 定められた肉体を持たない使徒は、まず自分に見合った形を求めて来訪した。
 弱さを認める度に適正な形態を摸索し、ついには自らがかなわない素体に興味を示す。
 しかし同型の内、二体を仕留めるも、残り一体には全く歯が立たなかった。
 そこで使徒は、素体の情報からより強い防御力、攻撃力の高い肉体を創造した。
 数値上の戦闘力で比較計算した場合、負ける要素は何処にも無かった。
 にも関わらず、負けてしまったのだ。
 使徒はその原因について分析をした。
 そして『素体』を操る人間へと辿り着く。
 この使徒の目的は人の心を知ることであった、一番始めに姿を見せた弐号機をターゲットに絞り込んで。
 こうなるとアスカは不幸であったと言わざるをえないが、受難は始まったばかりである。
「嫌ぁあああああああ!、わたしの、わたしの中に入って来ないで!、痛い!」
 アスカの『核』は無邪気な笑顔を浮かべる幼い子供で構成されていた。
 それをひび割れた殻が覆っている、殻の表面には人形を相手に語り続ける母親が浮かんでいた。
 さらに別の外皮が覆う、今度は破れ目が派手だった、余所の女と情事を重ねる父親の模様で染め上げられていた。
 まだ残っている、『いつでも母親をやめられるんですよ』と口にした義母の刺繍がされている袋だった。
 これもまた穴だらけだ。
 どれもこれも、壊れかけの少女の心を表していた、しかし使徒はそれに触れようとして立ち止まらざるをえなかった。
 核をなす球体が、もっと大きなものによって包み込まれていたからだ。
 それは巨大な手のひらだった。
 慈しむかの様に、まさしく壊れ物を扱うかの様に、大事に守ろうと、それはすくい上げていた。
 使徒はその手の平の主を見た、少年だった、はにかんだ笑顔が優しかった。
 良く見れば卵は、核は一度壊れていたのだろう、何枚も重なっている殻はちぐはぐで、前後のものが混ざったり、形が合っていなかったり、ピースが足りなくなったりとしていた。
 形もかなりいびつであった。
 そう、アスカの心は過去に一度壊されていた。
 記憶を吸い取る使徒によって。
 いくら記憶を取り戻した所で、一度浮き彫りにされてしまったトラウマは、そうそう消え去るものではなかった。
 だがアスカは『好き』と告げられた事で、最後の最後、本当の自分だけは崩壊させずに済んでいたのだ。
 それを土台にアスカはもう一度心の壁、殻を作り直そうと試みた、しかし少年には見せても良いのではと言う甘い誘惑にもかられていた。
 その顕れがほころびや隙間となってしまっているのだ。
 また、アスカはそんな自分がとても大切にされていると感じていた、手のひらである。
 包み、覆うように、気を遣い、紛らわせてくれる少年の気配。
 それもまたシンジの身勝手が生み出した結果的なものに過ぎないが、それでも少女にとってはとてもとても温かな温もりであったのだ。
「汚された…、あたしの心が、汚されちゃったよ…、シンジぃ」
 アスカは自分の心を覗かれた事で、無理矢理自分の気持ちを認識させられてしまっていた。
 なんのことはない、結局自分はシンジに包み込んでもらいたかったのだと…
 昔は加持だったのかもしれない、さらに遡れば母親だったのかもしれないが。
 これからまた対象は変わって行くのかもしれない、それでも今はシンジであるから。
 アスカはシンジの名を呼んでいた。


 S機関については未知の部分が多いために、起動用の機械的な補助装置が設けられたわけでは無かった。
 それでもシンジはS機関を自在に起動して見せたのだ、これはリツコを戦慄させるには十分であった。
(まさかとは思っていたけれど…)
 スティック等の補助装置はシンクロが進めば進むほど必要性を薄くする。
 そう言う意味で、リツコは自分達が数値化していない、設定していない何かがあって、それとシンジが繋がっているのではないかと疑った。
 それは碇ユイとシンジである。
 魂同士の結合、あり得るかもしれないと考えて、次のものにぞっとする。
「なに、これ…」
 リツコはその呻きが自分のものであるとは気が付かなかった。
 弐号機のプラグはモニターだけではない、内壁も全てが黒で塗り潰されていた。
 さらにその奥からは、何かおぞましいものが這い出ようとしている、そしてそれは人の顔に見えたのだ。
 リツコは直感的に弐号機と惣流・キョウコ・ツェッペエリンを直結させていた。


 弐号機もまた初号機同様に事故を起こしていた、この際に取り込まれたのがアスカの母親であるところのキョウコであった。
 しかし弐号機を見ても分かるように、ドイツ支部は技術力の高さを誇っていた、本部でのサルベージデータを元に、より確率の高いオペレーションを実行したのだ。
 だが、結果はより大きな悲劇を生んだだけであった。
 弐号機からサルベージされたのは、キョウコの中にあった幸せな記憶である。
 あるいはそのようなイメージを用いて、サルベージ…、形を定着させようとしたためかもしれない。
 キョウコは最も幸せだった頃…、アスカを産み、夫婦揃って食事を楽しめた頃に固執した。
 しかし当時、この形だけ生み落ちたものを人であるかそれ以外のものであるのか?、結論付けることは出来なかった。
 なのにアスカを引き合わせたのは軽率だったと言えなくもない、まあ、我が子を見て正気を取り戻すと医師が考えてもやむを得ない症状ではあったのだが。
 とにかく、こうしてキョウコは今だエヴァの中に取り込まれており、それは死と同義だとされるまでに、少々の時間を必要とする事になってしまったのだった。
 それがアスカの言う、『生きているのに死んだことにされた』の真相である。
 …だが人の認識がどうであれ、キョウコの魂は確かに今も弐号機の中で眠っていた。
 起き出したものがエヴァなのかキョウコなのか、それはわからない、だが。
(嫌!)
 アスカはそれを求めてはいなかった。
(助けて、シンジ!)
 既にアスカは庇護を求める対象として、先のイメージのように碇シンジを見付けていたのだ。
 母の胸に甘える時間を抜けだし、大人へと変わろうとしていた。
 守られると同時に支え、好意に対して愛を返す、女性として精神的に成長を果たそうとしているアスカにとって、必要なのは自分にないもの、すなわち家族愛では無く異性の男性であったのだ。
 男と女が欠けた半身であるように、アスカはシンジを求めていた。
 エヴァとのシンクロ率が下がっていたのは当然なのだ。
 アスカは大人になり過ぎていたから。
 ややあって、この使徒はさらに踏み込むと言う決断をした。
 遥かに強力であるはずの自分達がかなわない『素体』を操る生命体に、どんな力が秘められているのと興味を持ったのだ。
 そしてそれを使徒は知る事になる。
 アスカの中にあるシンジのイメージから、突然光が襲いかかって来たのだ。
 かろうじて彼はそれを受け止めた、しかし…
 ブシュ…
 もう一本、強烈な意思を込めた槍によって、彼は霧散させられてしまったのだった。


(あたしの弐号機…)
 アスカは悲しみと苦しさで一杯になっていた。
 ビルの屋上から回収されて行く弐号機を見つめていて、涙をこぼしそうになっていた。
 背後に人の気配を感じて大きく怒鳴る。
「こっちに来ないで!」
「なんでさ…」
 心が犯されたこと、使徒に負けたこと、また役に立てなかったこと、色々あったが、何よりもアスカは自分の中にあった本当の感情に恥ずかしさで耐え切れなくなっていた。
(あたし…、こんなにされてもまだシンジを欲しがってる)
 情けなかった、またシンジに慰めてもらいたがっているのだ。
 男に縋るような女にはなりたくなかったはずなのに。
 気が付けばミサトが加持を求めるように、自分はシンジを求めてしまっていた。
 許せなかった、シンジが強い好意に対して拒絶反応を示すのを知っていて、だからこそそれを押し隠していた自分を知って。
 これは恋愛感情なのだと、アスカは完全に自覚してしまっていた、だから。
「来ないでよ…」
 この感情を見抜いたシンジが、優しい少年であろうとするのは想像に堅くない、しかしそれはアスカの求めている少年の姿では無かった。
 心でもないのだ。
 さらには戦闘前のレイとのいさかい。
「よりにもよって、あんな女に助けられるなんて!」
 たまらなかった。
「嫌い嫌い、みんな嫌い!」
 嫌わなければ、避けられてしまう。
 アスカはそのことだけで必死になった。
「…でも僕はアスカに好きって言った」
(シンジ!)
 アスカの鼓動は大きく跳ねた。
「その時の気持ちは本当だから…」
 アスカは漏れ出る嗚咽を、口に手を当てて堪えようとした。
 始めて言ってくれたのだ。
 好きだと。
 いつもは好きだけど、好きにはならないと、肯定と共に否定を吐くのに。
 今日は、告白のみをされたのだ。
(シンジ…)
 さらにアスカはもう一つ、重大な事に気が付いていた。
 昨夜、母親のことを告白した折に辛さの余りシンジに縋ってしまっていた。
 その時ですらシンジは迷うだけで抱きしめてはくれなかった。
 一度髪を撫で梳かれた事がある。
 シンジが虚数空間から帰還した時のことだ、あの時も含め、いつも自分から飛び込まねばならなかった。
 抱かれるためには。
 だが、今、こうして側に来てくれた…
 背中を合わせて座ってくれている、アスカは鼓動が高鳴っていくのを抑えられなかった。
 シンジが初めて、自分から温もりを与えるために来てくれたのだから。
 この一歩の価値は、二人にとって、とてもとても大きなものであったのだった。



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