The Beginning and the End,or ”knockin' on Heaven's Door”
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葛城邱は一種の魔境と化していた。
「クエケケケケケ!」
奇妙な鳴き声は一匹のペンギンである、一向に帰って来ない家主とその同居人に業を煮やした彼は、冷蔵庫やごみ袋から食物を引きずり出すと言う方法で半野生化を計っていたのだ。
そのため腐乱した生ゴミや排泄物がそこら中に、特にミサトの部屋に集中投棄されていた。
何故かアスカの部屋にはその手が伸びていない、これはなにも彼がアスカが恐がったわけではなかった。
理由は部屋を満たしている芳香剤にあったのだ。
どうやら彼はその不自然な匂いが嫌いらしく、どちらかと言えばミサトの様な『ナチュラル志向』がお気に入りらしい。
まあそれはともかくとして。
「これは…、まあいいわ」
アスカは軽い目眩いを覚えたものの、ハンカチを口に当ててさっさと自分の部屋に引き篭った。
荷作りのためだ。
(もう帰って来る事も無い…、なぁんちゃって)
テヘッと笑った頭の中はバラ色だった。
レイほどではないにしても妄想癖に取り付かれている、ただし彼女よりも積極的な分、波乱の人生はシンジが大学生になった所で学生結婚を選択していた。
と、唐突に秀麗な眉に歪みが生じ、その顔は憎々しげに形を変えた。
「負けらんないのよ、このあたしは!」
どうやら早過ぎる結婚はこれまた早過ぎる倦怠期を生み出し、その上ひょっこりと現れた泥棒猫にお魚を咥えられて逃げられてしまったようである。
「アスカ、行くわよ…」
アスカはパンパンに膨らんだバッグを両肩に下げて立ち上がった。
…再び無人となった葛城邱に、「クェエ…」と悲しげな声が響いたと言う。
第弐拾四話「最後のシ者」
「ちょーっと帰るっつって部屋空けたらどうしたと思う?、もうファーストを引っ張り込んでるのよ?、あのバカ!」
「…ファーストって、綾波さんのこと?」
「そうよ!」
(怒りたいのはこっちよ…)
はぁっと溜め息をついたのは洞木ヒカリ嬢であった。
鈴原でも誘ってぇ、と浮かれていた時にいきなりの呼び出し、「なによ、仲取り持って上げたのに、女の友情って儚いものよねぇ」などと泣き出されては諦めざるをえなかったのだ。
(どうしてあたしが…)
まあここのケーキ、美味しいから良いんだけどっとフォークでつつく。
これはもう受難としか言い様の無い状況であった、アスカの親友になった事が、全ての間違いの元だったのだから。
ヒカリは今だトウジの憧れがアスカにあると感じていた。
それだけにヒカリの心中は複雑だった。
(…はぁ)
目の前で愚痴るか食べるか真剣に悩んでいる少女を観察する。
はっきり言って勝ち目が無かった、頭脳、運動神経、容姿、…家庭的な部分では勝てない事も無くはないが、母親が居ない事から半ば強制的に覚えた事だ、料理などしていてそれほど楽しいわけでも無かった。
(アスカって、結構凝るもんねぇ…)
シンジに作っていた弁当のことを思い出す。
家庭的と言えば聞こえはいいが、結局は慣れて手の抜き所を知っていると言う事だ。
お弁当も必然的に作りやすい品目ばかりが頭に浮かぶ、どうしてもアスカのように起床時間を早めてまで、と言う気の高ぶりは得られないのだ。
(もう!)
それなのに、トウジはアスカの手弁当を頬張っていた。
こうなると『それ以上のもの』を用意しなければ、どうしても見劣りされてしまうだろう。
(泣きたいのはこっちよぉ…)
どうして恋敵の恋愛相談になど乗らなければならないのだろう?
もちろん自分に乗ってもらった経緯があるからなのだが、そのくせまだ心を掴んでいて離してくれていない、やはり不満は募ってしまう。
(碇君にちょっかい出してやろうかしら?)
ちょっとしたいたずら心のつもりだったが、アスカだけでなくレイの冷たい瞳まで思い出して身震いをした。
「…どうしたのよ?」
「ううん!、なんでも…」
ヒカリは慌ててかぶりを振った。
…その考えは浮気をすると言うことなのだが、自分の恋人がどう思うかよりも、少年に思い入れている二人に何をされるかの方が恐くなってしまう辺り、ヒカリは正しく友人の性格を把握していた。
その頃、綾波レイは暇を持て余していた。
ふと立ち止まり通路の分岐先をじっと見つめる。
慣れているのは右、普段、用が無いのは左だった。
右は発令所や執務室と言った主要施設へ行くためのエスカレーターなどがある。
左は食堂や浴場等と言った更生施設が存在している。
レイはふと自分が着ている制服を見て、多少気になっている事を思い出した。
(下着…)
マンションへ帰ってもいいのだが、あの人気のない場所に足を踏み入れた途端、何者かに踏み込まれそうな予感がして嫌だった。
それは今までに感じた事のない恐怖であった。
(碇君…)
シンジの部屋で一晩を明かした事で、レイは他人の息遣いに自分の鼓動が合わさると言う、言い知れぬ安堵感を経験する事になっていた。
一度感じた温もりは逆に寒々しさを助長させていく、レイにはもう、あのマンションに戻る勇気が無くなっていた。
(司令は…)
今のところ手を出して来る様子は無い、その気になれば連れ戻したあげく、完全に幽閉する事も可能であろうが、やはりシンジの気を損ねるつもりは無いのだろう。
零号機消失、弐号機はパイロットの問題により起動すらもままならなくなっている。
コアの変更と新たなパイロットの選出はありえるかもしれないが、これについてはレイが知らないだけでその可能性は皆無であった。
増産されたエヴァ各機は、決してネルフ本部の、碇ゲンドウの手に受け渡されることは無く、また、コアの変更も赤木リツコの造反により手を付けられる者が居なくなってしまっていたのだから。
エヴァは非常にメンタルな部分を要しており、ただの技術者やMAGIだけではコアの変更や変換は行えないのだ。
それをクリアするために登録されたフィフスチルドレンに、別の場所ではミサトが頭を痛めているが。
とにもかくにも、本部施設は碇ゲンドウに出会う確率が非常に高いと、レイは生活必需品を揃えるために足取りを定めた。
頭の中では…
(歯ブラシ)
などと共用コップに仲良く刺さっているお揃いの歯ブラシを描いていたが。
『君には失望した』
その言葉に何故自分が打ちのめされているのかも分からずに、リツコは激しい慟哭を覚えていた。
「どうしたらいいの、母さん…」
ゲンドウは自分の能力を欲してはいたが、自分としては女の部分を受け入れてもらいたかった。
そこに生じる摩擦とジレンマがリツコを苛んでいるのだが、彼女の激し過ぎる感情は心に混乱と混濁をもたらすのみである。
その一方で…
「諜報二課から…、セカンドチルドレンを無事保護したそうです」
「そう…、ロストした揚げ句に二時間後に発見とは、流石に二課ってところね?」
「わざと、でしょ?、泳がせてるんですよ、セカンドチルドレンを」
ミサトは顔をしかめた。
シンクロ率が起動指数を下回った子供にいかなる用があると言うのか?
もっとも『機密』の問題で監視は必要であろうが、それならばチルドレンの登録を抹消して本部への立ち入りを禁じる方が正しいであろう、なのに…
(アスカの登録はそのままに、今日、フィフスチルドレンが到着、どうなってるのよ?)
明らかにフィフスはアスカの代替品である、そこに不自然さを感じるのだ、それに。
(シンジ君は使徒は十八体だと言った、あと二体いるってこと?、でも使徒は次が最後だと言う、フィフスの少年についてもやけに曖昧で、何があるってのよ?)
ミサトは相変わらず、未来の筋書きにこだわっていた。
それが『変革する未来』への対応幅を狭める行為だと気付きもせずに。
到着したフィフスチルドレンとサードチルドレンが接触した事に良い顔をする者は居なかった。
委員会が直接に送り込んで来た事もあり、サードチルドレンへの邪推が高まる。
やはりサードはゼーレの、と言うものだが、逆もあった。
委員会が取り込もうとしているのではないかと言うのだ。
しかしこれについては委員会こそが焦りを感じていた。
「サードチルドレン」
「我らが希望を砕く存在」
「なぜ接触した?」
カヲルにだけ聞こえる声が木霊する。
「人は無から何も作れない、人は何かに縋らなければ何も出来ない、人は神ではありませんからね」
「だが、神に等しい力を手にしようとしている男がいる」
「我らの他に、再びパンドラの箱を開けようとしている男がいる」
「そこにある希望が現れる前に、箱を閉じようとしている男がいる」
「だからですよ」
「なに?」
冷笑をもって返事に替える。
「希望は人の数だけ存在している、希望は人の心の中にこそ存在している、彼女達の希望は具象化されている、それが彼だからですよ」
「なんだと?」
「全てはリリンの流れのままに…」
カヲルは会話を打ち切り、前を向いた。
エスカレーターに乗って青い髪が上がって来る、レイだ。
レイもカヲルに気が付いたのだろう、顔を上げた。
その両手にはシャツや下着と言った当面の生活物資の充填された袋が下げられていた。
「やあ」
カヲルは気さくに手を挙げた。
「君がファーストチルドレンだね?」
(なに?)
何かを感じて、レイは立ちすくんだ。
「なるほど、シンジ君の言う通りか…」
「碇君の?」
「綾波レイ…、君は僕と同じだね」
「同じ?」
「お互いに、この星で生きていく体はリリンと同じ形へと行きついたか」
「あなた、誰?」
「フィフスチルドレン、渚カヲルさ」
カヲルは意味深な言葉だけを投げかけた。
「フィフスの少年がレイと接触したそうだ」
「そうか」
「今、フィフスのデータをMAGIが全力を挙げて洗っている」
「にも関わらず、今だ正体不明…、何者なの?、あの少年」
それぞれに違う場所で同じ疑惑を抱いている三人が居た。
ゲンドウ、冬月、ミサトである。
そしてゼーレはまた別の懸念を抱いていた。
「どういう事かね?」
01と書かれたモノリスへ向かって詰問が行われる。
「ネルフ、我らゼーレの実行機関として結成されし組織」
「我らのシナリオを実践するために用意されたもの」
「だが、今は一個人の占有機関と成り果てている」
「さよう、我らの手に取り戻さねばならん」
「約束の日の前に」
「ネルフとエヴァシリーズを本来の姿にしておかねばならん」
「そのためには碇ゲンドウと」
「サードチルドレン」
「そのための彼ではなかったのかね?」
議場に沈黙が訪れた。
誰も使徒の考えなど理解できなかったからだ。
あるいは創造主に逆らうなどと考えてもみなかったのか?
とにもかくにも、こちらの男の悩みも深い。
「我々に与えられた時間は、もう残り少ない」
ゲンドウだ、初号機の顔を見上げている、その顔に宿る決意は固いものだ。
「だが我らの願いを妨げる者がいる、お前の願いを叶えるために排除せねばならん者達が居る」
果たして誰のことを言っているのか?
「お前の描いた未来は残す、だがそれを残してやりたいと望んだ者は…、どちらを取ればいい?、ユイ」
彼の苦悩は、深いらしい。
綾波レイは天井を見ながら考えていた。
シンジのベッドだ、シーツの汗臭さに今度洗ってあげようとレイは考えていた。
いや、それもあるのだが、レイはシンジの事を考えていた。
『何が良い?、奢るよ』
ありがとう。
『紅茶、飲む?』
ありがとう。
『ベッド使いなよ、僕は下でいいから』
ありがとう。
「ありがとう、感謝の言葉、あの人にも言ったこと無かったのに」
レイはついこぼしてしまっていた、何気ない事に対して感謝の言葉を吐いてしまう。
そこにシンジの気遣いがあるから、そう答えるのは当然なのだが…
(碇君は、驚いてはいなかった…)
プラントで見た、自分の真実についてである。
考えて見れば自分の出生については不可解な点が多かった、それもシンジであれば知っているのかもしれない。
知りたいと思うことは誘惑だろうか?
いや、それはそれとして、レイには重要な問題がのしかかっていた。
(あの人、フィフスチルドレン…)
目を見た瞬間、ビビッと電流のようなものが走るのを感じた。
(何故?)
レイはその正体を知っている、本に出て来る表現と非常に良く合致していたからだ。
(これが一目惚れと言うもの?)
彼女は彼女なりに真剣に自分を分析している。
一応は…
レイはつと、自分が何処に居るのかを思い出した。
そして何故ここに居るのかも。
「わたし、なぜここにいるの?」
彼がここにいるからだ。
彼が側にいると落ちつくからだ。
安らげるから。
(そうなのね…)
恋心では無かったのかもしれない、自分の想いは。
彼が気遣ってくれるから、心の痛みを和らげてくれるから、苦悩を分かち合ってくれるから。
勘違いしてしまったのかもしれないと思う。
「わたし、何故まだ生きてるの?」
では命をかけてまで彼に報いようとした自分はなんだったのだろうか?
そこまで張り裂けそうな想いを抱いた自分はなんだったのだろうか?
「何のために?」
「わからない…」
「誰のために?」
「自分じゃないの?」
レイはシンジの顔を見た、シンジは目を閉じている。
彼がもう一度触れてくれれば、この不安を吹き飛ばせるのにと口を尖らせる。
「フィフスチルドレン、あの人、わたしと同じ感じがする…」
「…そうかもしれない」
「どうして?」
レイは泣きたくなってしまった。
シンジが自分とあの人をくっつけたがっているのではないかと感じたのだ。
「…綾波は、僕になにを聞きたいの?」
聞けるはずが無い。
「綾波は、なにか僕に伝えたい事があるんじゃないの?」
この苦悩の全てを吐き出せるなら言葉にもしよう、だが、あいにくとレイはその言葉を持ち合わせていない。
自分の気持ちを確認する行為と、それとは別に離れたくないと訴える自分。
それを抱えて悩む姿は、いつかのアスカにとても似ている。
…レイが知るはずも無いのだが、その心の動きは、アスカが恋心を認識して積極的な行動を起こし始める寸前までと、非常によく似た動きをしていた。
渚カヲルは綾波レイとの接触でとある確信を抱いていた。
「シンジ君、どうしたんだい?」
だからかもしれない、早朝から部屋を抜け出したシンジの後を追いかけたのは。
「カヲル君…」
この時の彼の顔は見物だっただろう、深刻な表情の中に不安と悲しみが混濁していたのだから。
(君は…)
カヲルの胸は疼いた、それはカヲルの本能に根付くものでもあったから。
「散歩、眠れなくて…」
カヲルはそのごまかしに苦笑した。
(君は本当に、いい人なんだねぇ…)
『彼女達』から見知ったように、やはり人には頼ろうとしないのだと分かり、カヲルはその護魔化しに付き合った。
「綾波レイに会ったよ」
座り込んでいるシンジの隣に立ち、青臭い森林の空気を大きく吸い込む。
「この星で生きていくために、同じ体に行き着いた…、似ているのは当然だね?」
「なら、僕は死なせるべきだったの?」
「物騒な事を言うね?、君は…」
「だって、カヲル君と同じだって言うなら、そうなるんじゃないか!」
激昂する姿に目を細める。
「君は…、何を知っているんだい?」
「え?」
「僕に聞きたい事があるんだろう?」
シンジの秘密に気が付いたわけでは無かったが、カヲルは自分の『真実』を感づかれているとシンジに感じていた。
(なら隠す事も無いさ)
肩をすくめる、カヲルの真実、それはカヲルが『十七番目の使徒』である、と言うことだった。
時は慌ただしく動き出す。
「使徒?、あの少年が!?」
ミサトは言葉にしながらも、『だからか』とシンジに舌打ちしていた、彼が語らなかった理由がそこにあるのだと察したからだ。
(シンジ君は使徒を見逃すつもりなの!?)
地下の『レイだった者達』のことが思い浮かぶ、シンジはそれを知っていてもレイを、綾波レイを『愛して』いる。
なら、シンジは彼をも守ろうとするかもしれない。
(冗談じゃないわよ!)
ミサトは吐き捨てた、使徒の名をそのまま『父の仇』と置き換える事で戦って来たのだから。
だが。
「エヴァ初号機、ルート二を降下、追撃中!」
「シンジ君!?」
ミサトはシンジが動いている事を知って怪訝に思った。
(使徒の殲滅が目的?、それとも…)
その時は。
ミサトはオペレーターの日向マコトに、自爆の指示を出す決意を固めた。
『カヲル君!』
「待っていたよ、シンジ君」
渚カヲルは使徒である、これは紛れも無い事実だが、だがだからこそ彼はシンジに強く関心を引かれていた。
使徒は興味を持つ事から始まり、その中でも最終的に最大の関心事として『碇シンジ』と言う個体に見定めていた。
これまでに接触した個体はどれも『希望』に包まれていた。
カヲル自身がこう語っている、希望は人の数だけ存在している、希望は人の心の中にこそ存在している、彼女達の希望は具象化されている、と。
人は希望を見いだす事により強く生きていける、だが、彼女達は彼は希望を抱いてはいないと言う認識を持っていた。
では少女達をこれほど強くさせる存在が希望を見いだした時に、その力はどれほど巨大なものになると言うのだろうか?
カヲルの顔はアスカやレイにどこか似ていた。
それはシンジに向けている彼女達の願望を投影したからなのかもしれない。
シンジから夢を託してもらおうと言う。
だがだからこそだろう。
「忌むべき存在は僕自身か…」
カヲルは自分と言う存在の希薄さを感じていた。
「アダム、我らの母たる存在、アダムより生まれしものは、アダムに帰らねばならないのか…、人を滅ぼしてまで」
辿り着くべき場所に辿り着いたカヲルではあるが、その先へ進むつもりは失せていた。
「人の定め…、僕には分からないよ」
ぶつくさと言ってシンジを待つ。
価値基準が違い過ぎるカヲルには、レイとアスカの『夢』が理解し切れないでいた。
それはシンジと生きる事である、しかし生態として完全な形を目指しているカヲル、いや、アダムにとっては仮初めの体の寿命などに興味は無かった。
では「いつまで」共に在る事に意味があるのか?、一日か、二日か、それとも一生涯なのか?
たった一度の触れ合いで補完される心もあれば、癒され続けなければすぐさま壊れてしまう心もあった、また人は意外に脆く、あるいは希望とされる者が先に命の灯火を失う事も珍しくはない。
限りのある命だからこそ、燃え尽きるまでその火が消えないよう守り手を必要とするのだと言う事を、カヲルの尺度では計れなかった。
『カヲル君!』
「シンジ君…」
カヲルは追い付いて来た初号機へと振り返った。
『カヲル君、どうしてだよ…、なんでこんなことをするのさ?、なんで…』
「僕が生き続ける事が、僕の運命だからだよ、結果、人が滅びてもね」
『独りで生き続ける事だとしても!?』
「でもこのまま死ぬ事も出来るんだ、生と死は等価値なんだよ、僕にとってはね?」
そう、自らはシンジの希望として生まれ落ちているのだから、希望を奪う存在であってはいけないのだ。
(そして君の希望は、君と共にある、君の心の置き所と共にね?)
それがレイを差すのかアスカを差すのか、あるいはもっと大きなものを差しているのかは分からないが。
(僕がその希望を奪い去ることは出来ないのさ)
だからカヲルは、殉教者としての顔を上げた。
「さあ、僕を消してくれ…、そうしなければ、君等が消える事になる、滅びの時を免れ、未来を与えられる生命体は一つしか選ばれないんだ、そして君は、死すべき存在ではない」
(感じないのかいシンジ君、心の壁を…)
その中でも、とある少女達は特別であろう、シンジの死によってもたらされる破壊に、二人の心は砕け散ってしまうだろうから。
一人の存在が二人を真っ直ぐに立たせていた、そして少女達は少年を立たせるために心の壁で包もうとしている。
(それはそれはとても素晴らしい事なのさ…)
お互いが支え合い、励まし合い、愛し合うと言うことなのだから。
でも。
「そんなの勝手に決めないでよ!」
シンジの号泣が轟いた。
「生と死が等価値だなんてそんなの嘘だ!」
カヲルは震えた、何故と。
「独りが嫌だから死のうとしてるくせに!、僕が独りだから、みんなを残してくれようとしてるくせに!」
(シンジ君…)
やはりかと思う、シンジは自分の本質とその『想い』を知ってくれていたのだと。
何故とは思わない、これなのかい?、とカヲルはレイの存在を感じた、これなんだねと。
心が包み込まれていくのを感じたからだ。
「…ガラスのように繊細だね?、特に君の心は」
カヲルははにかんだ笑みを浮かべた。
「好意に値するよ」
「…カヲル君にだって、君達にだって、未来は必要なんだ!」
「その結果、人が滅びるとしてもかい?」
カヲルは最後の切り札のつもりであった、しかしそれが引き出したものは、まさにカヲルに衝撃を与えた。
「…希望、なんだ」
「希望?」
「好きなんだ…、カヲル君が、この手で好きな人を、希望を、夢を、全部を握り潰すくらいなら、死んだ方がいい」
「シンジ君…」
それもまたカヲルの本質に、シンジを守り、夢を、希望を与えたいと言う『願望』に沿うものだった。
なによりも自分と少女達が等価値であると言う証しに打ち震えずにはいられなかった。
「もう嫌なんだよ!、また殺さなきゃいけないなんて、カヲル君を二度も殺さなきゃいけないなんて!、そんなのもう嫌なんだよ!」
「…シンジ君、君は」
「補完なんて嘘だ!、自分も他人も無い、何もかもが曖昧で、何もかもが弱くて、ただ傷つける人がいないだけのあんな世界になんの意味があるんだよ!、僕は、ただっ、誰かに、いて欲しかった、だけなのに!」
「それが僕だと、いや、僕もその中に入っていると言うのかい?」
カヲルの使徒としての願いはここに叶えられる、それはシンジの希望となることなのだから。
少女達にすらなれなかった、碇シンジの心の支え。
「君は変わるのかい?」
僕がいる事で。
「君は強くなれるのかい?」
僕が側にいる事で。
「君は…、本当に、好意に、値、するよ…」
カヲルの声は震えていた、目にはこぼれる寸前にまで涙が溢れ、湛えられていた。
「ありがとう、シンジ君」
「カヲル君…」
感動、心の存在をカヲルは感じた。
「君に逢えて、よかったのかもしれない…」
カヲルの顔には、『あの時』のレイの様に、ごくごく自然な笑みが生まれていた。
綾波レイが、惣流・アスカ・ラングレーが、碇シンジと触れ合う事で変わったように…
カヲルもまた、支えられると言う事の甘美さを感じていた。
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