「これはどういう事かね、碇君」
第十七使徒殲滅中止の報に、ゼーレによっての詰問が行われていた。
十二のモノリスの中央には碇ゲンドウと、付き従うように赤木リツコが立っている。
「何故初号機による遂行を行わぬ」
「我らの希望」
「全て捨て去るつもりか」
これに対して、ゲンドウは眼鏡の位置を正す事で間を持った。
「人は生きていこうとする所に価値がある、それが自らエヴァの中に残った彼女の、ユイの願いだからですよ」
だからこそのサードインパクトだったのだろう。
『生きていこうとさえ思えば、どこだって天国になる…』
惰性と怠惰の中で漫然と生きるだけの命に、どれほどの価値があるというのか?
生き残るべきは真に生き続けようとする価値ある者だけで良い、その命の強さを、輝きを確かめるためのサードインパクトなのだ。
全てを零に戻した上で、己の魂を見出した者だけを還元する事で、世界を命の力で満たすのだと…
二十世紀後半に生まれたユイは、バブルに踊ったお調子者と、その後に生まれた無気力世代に絶望していた。
蔓延した死病とも言える『無気力』と言う名の病、これを駆逐するための荒療治でもあったのだ。
その結果として碇シンジは生きると言う事の意味を見いだし、その碇シンジに皆は生きると言う事の大切さを探し出した。
『今』は『昔』とは違うのだ。
だからもう、サードインパクトは必要が無かった。
「全ての命には生きていこうとする力がある、我々はもう、見放されていたと言うことですよ」
厳かに告げるゲンドウ、だが老人達はそれを良しとはしなかった。
「では、君には死を与えよう」
ブン…と、モノリス達が消えて行く、だが周囲は依然闇に包まれたままだった。
カチャリ…
そしてゲンドウの背後で、撃鉄を上げる音がした。
「わたしを殺すか…」
「あなたに抱かれても、嬉しくなくなったから」
「そうだな…」
「あなたの心は手に入りませんでした…、でもその命くらいは頂いても構いませんでしょう?」
「…好きにするがいい」
「ウソつき」
リツコは寂しげに微笑んだ。
第弐拾伍話「終わる世界」
拝啓、碇シンジ様。
わたしは今、オーストラリアに居ます。
テレビは連日、日本の軍事クーデターの事を報じています。
そちらは大丈夫でしょうか?
国連で働いているお父さんは、毎日が大変な様です。
ネルフや使徒対策委員会のことが公になったのと何か関係しているのかもしれません。
テレビはその特別番組で一杯です。
世間が落ちつく前にまたお父さんに着いて、そちらに戻る事になるかと思います。
その時には…、あの時の約束を果たしたいと思います。
嬉しかったです、また逢えると言ってもらえたこと。
次にお会いする時には、あの時には言えなかった事を言いたいと思っています。
それでは、お元気で。
かしこ。
山岸マユミ。
前略、シンジへ。
先日、戦自時代の上官だった鬼塚さんが来ました。
なんでもわたしとわたしの関わった計画の情報全部が抹消になったんだって。
おかげで自由ってわけ、名前も元に戻して、手紙や電話も自由にしていいって言われました。
でもこの手紙がシンジの所に届くかどうかは疑問です、第三新東京市は現在封鎖されているって言うし。
って深読みしてるのは、癖が抜けてないのかな…
リョウジお兄ちゃんは三年も我慢すればあたしの価値なんてなくなるし、顔つきや体つきだって変わるからもう気にしなくて良いようになるって言ってくれてたんだけど、思ったより早く自由になれてほっとしています。
あ、加持さんは先日まで従兄弟のお兄ちゃんとして一緒に暮していたんだけど、今は居ません。
鬼塚さんと一緒に行っちゃいましたから、のんびりしてるってわけじゃ無さそうで心配なんだけど。
とにかく、そちらの封鎖も一時的なものだって言うし、開放されたら遊びに、ううん、そちらに戻りたいと思います。
シンジが助けに来てくれた時のこと、忘れてません。
かっこ良かったゾ☆
愛しのマナより愛を込めて。
早々。
「なぁににやけてんのよ!」
「いててててて…」
二通の手紙を順に読んでいたシンジの耳をつねり上げる。
「…他に誰がいるの?」
「あ、綾波まで、何を言うんだよ…、そんな」
しかし非常にうろたえているのは何故なのだろう?
シンジの部屋は決して広いわけではない、広いわけではないのに、なぜかシンジは『三人』がかりでせっちん詰めにされていた。
「シンジ君は罪作りと言う事さ」
「カヲル君…」
「君を希望としているのは何も彼女達だけじゃない」
「あんた、他に何を知ってるのよ?」
「…白状した方が良いと思うわ?」
「はっはっは、にこやかに首を締めるのはやめて欲しいねぇ」
元々白かった顔が青くなっていく。
「君達は夢を見ないのかい?」
「夢って何よ?」
「夢だよ、将来の」
「あるわ」
「へぇ、綾波ってどんな…、いや、やっぱりいい!、言わなくていいよ!」
「そう…」
「なに残念そうにしてるのよ!」
じゃれ合いを始めた二人にカヲルは肩をすくめ、シンジへと笑いかけた。
「ま、夢を見る権利は誰にでもある、それを希望にする事で人は生きていく強さを身に付けられる、そういうことさ」
その言葉へと真摯に頷く碇シンジに、カヲルもまたこれでいいのさと頷いた。
「では現政府についてはそのまま、ご理解だけを頂くと言う事で」
「頼みます、こちらとしては国連直属の姿勢を保ちたい以上、内政干渉は引き起こしたくありませんから」
「それがお互いのためでしょうな」
ネルフ本部、大会議場には国連大使と日本政府首脳陣、それに戦略自衛隊からも数名が招かれていた。
「しかしもう少し事を穏便には済ませられなかったのかね?、鬼塚君」
「戦略自衛隊はその性質上、政治的思想は持たぬよう教育されております、これは実戦時の効率を考慮したものでありますが、反面…」
「盲目的に命令に従い過ぎる、か…」
唸ったのは現行政府で選出された首相である男だった。
「隊内より見つかりましたネルフ本部制圧計画には、正確な図面が添付されて下りました、これにより使徒進行時の不穏分子による混乱は、我が部隊による諜報活動の一環であった事が分かりました、ただし、この命令が何処から出たものかは不明なままですが」
「どうせ文書だけの偽命令でしょ?」
「葛城君…」
困った目をして冬月が抑えろと言う。
「…しかし来るか来ないかも分からないものと相対するために利用されたかと思えば、全て手のひらの上で躍らされていただけだとはな」
ミサトの言葉がきっかけになったのか?、周囲から忌憚なく本音が漏れ出した。
「政府筋では今だ使徒対策委員会を支持しているとか?」
「だがネルフは『使徒の捕獲』に成功している、彼から得られた情報は貴重だよ」
カヲルのことだ。
「委員会の内、十二名が数ヶ月前から姿を消している、いや、表立って人前に顔を出す事が無くなっていた、調べた所によると機械化を果たしたようだが…」
「サードインパクトへ向けての前準備でしょうな」
冬月が応えた。
「彼らは真に人類が高潔な種へと生まれ変われると信じていた、だからこそそれらを見届けるために人有らざる者となり、この世に残る事を選択した」
「一部組織の研究員ごと地下に潜ったようですが」
「ICPOの力を借りる事になる、それはいい、我々の仕事としては大き過ぎるからな?」
「問題はエヴァンゲリオンだよ」
ううむ、と唸る声が議場を満たす。
「正直手に余るな、これは」
誰かが資料パンフをパンと叩いた。
「壊せない物なのかね?」
「それは出来ません、いや、確かにその力に興味があるのは認めますが…」
「やはり、ネルフ支部の存在かね?」
また唸り声が上がった、委員会に対しての疑惑が持ち上がり、国連は各国の軍部にネルフへの監視を強化するよう、協力体勢の確認を行ったのだ。
中にはその科学力に目を付けて、露骨に人材を、場合によっては組織ごと吸収しようとする動きも出て来ている。
何より支部ではエヴァがほぼ完成状態で据え置かれていた。
その数は支部ごとに1〜2、こうなるとエヴァを手放したアメリカなどは爪を噛む想いを味わっていることだろう。
「ネルフの科学力は国レベルでの科学技術省ですら遠く及ばず、軍部でもどうかと言う所なのですから」
かつてミサトが陽電子砲を戦自から徴収したように、ネルフは総合的な科学技術力に長けているだけであって、決して世界一と言うわけではない。
が、それでもその人材の数は驚異に値しているのだ。
「その上でエヴァンゲリオンの保有です、幸い我が国にも二体のエヴァンゲリオンが存在している」
「それに使徒ですな、使徒の存在がある以上、エヴァは永久に破棄することは出来ない」
人の性とでも言うのだろうか?、人の手に余るからこそ有用であり価値があると考える悪癖が存在している。
またカヲルのように人と同じ形態を保っているものであれば、人同様に御せると思い込んでしまうらしい。
当初、ネルフに潜伏していた諜報員達がこぞってカヲルの確保に乗り出した。
これらは全てネルフ職員の手によって排除されている、カヲルはただ『見ていた』だけだった。
もっとも世界一強固な壁によって、彼らを取り押さえはしたのだが。
ネルフとしてはこれ以上の『犠牲』を出さぬよう、初号機のレコーダーから回収された第十七使徒との対戦情報を公開せざるを得なかった。
十四・五歳の子供並みの質量でありながら全長六十メートルの巨人と互角に渡り合う『使徒』と言う名の生き物。
世界で最も実戦に優れた初号機ですら、本気になった彼には触れられぬと言う事実と、そしてもう一つ。
彼自身の要請により、ネルフは一つの実験を試みていた、それはカヲルに対する耐爆実験であったのだ。
使用されたN2爆雷の数は一発であったが、カヲルの前髪すらそよがせることは出来なかった。
(使徒、か…)
その実験結果も非公式にではあったが公開され、ようやく事態を沈静させるに成功していた。
そしてミサトは考えていた、使徒とはなにか、と言うことを。
「しかし、良いのかね?」
冬月は司令執務室へと向かう傍ら、隣にいるミサトへと語りかけた。
「司令こそ、なぜお残りになられたのですか?」
ふむ、と冬月は考えて答える。
「わたしとて全ての真実を知るわけではないが、多少の事実は知っているつもりだよ、それにそのような人間が必要だろう?、これからのネルフを作るためには」
「…人柱になられるおつもりですか?」
「まさかな、そこまで高潔ではないよ、わたしは」
邂逅する。
「わたしとてセカンドインパクトの真実に憤った人間だ、だが結局は碇に毒されて乗ってしまった、だからこそ毒が抜け切るまでわたしはやめぬよ、何事もな?」
「わたしは…」
ミサトは顔に苦汁を作った。
「わたしは、司令を、いえ、碇元司令を、冬月司令を、関わった全ての人達を憎むしかないのでしょうか?」
父を殺したのは使徒では無かったのだから。
悪いのは使徒を手にするために事を起こした人だったのだから。
「人が恨むべきは人、人に恨みを買うのも人だけか、わたしはそうあるべきだと思うがね?」
「なら、わたしは復讐に生きる事を選びます」
「ああ、エヴァはある、シンジ君は力を貸してくれるだろう、わたしも微力ながら知恵は授けよう」
「感謝します」
もっとも、と冬月は思った。
戦自内のプロパガンダとも言えるゼーレの先導役を駆逐し、一部の政治家を焚き付けて、委員会との癒着を暴くに至った経緯は、全てミサトの手腕によるものだ。
彼女が裏でパイプの構築に勤しんだからこその結果である。
(わたしの出番は、ないかもしれんな)
冬月は忍び笑いを漏らすのだった。
アスカは無言で面を割られた弐号機を見下ろしていた。
LCLのプールの底に沈められ、今は静かに修復される時を待っている。
「この中に、ママは閉じ込められたのね?」
「うん」
隣でシンジは頷いた。
ママ、と言う呟きが聞こえる、ここに居たのね?、とも。
「ずっとあたしを見守っててくれたのね…、ママ」
涙を溢れさせている。
でも、とアスカは考えていた。
もしそれを知っていたなら、自分はもっと甘えていたかもしれないと。
親離れできないままに、きっと壊れていたのだろうとも、他人などどうでもいいと、母だけを求めて。
(シンジ…)
横目に盗み見る、だがそうなっていたら、きっとこの少年の優しさに気付くことは無かっただろう。
少年の傷に気が付く事もなく、その傷口を広げるような真似をしていただろうともアスカは思った。
「アスカは…、お母さんに居て貰いたかった?」
唐突な問いにアスカは頷く。
本音としてはそうなのだ。
「ごめん…」
「なによ?」
「僕もそう思ってた…、でも僕は、僕は!」
ドン!
アスカはそんなシンジの胸を突き押した。
「アスカ?」
怪訝そうにするシンジに吐き散らす。
「なんであたしの弐号機を壊したのよ!、あんたなんでも分かってたんでしょう?、知ってたんでしょう!?」
「どうしようもなかったんだよ!」
シンジは怒りを誘われているとも気付かずに喚いた。
「もうカヲル君や、綾波、アスカ、ミサトさんっ、リツコさん…、みんなの辛い姿は見たくないんだよ!」
「そうやって、またすぐに自分のせいにしてる」
「違う!」
「他人のために頑張ってるって思うこと自体、楽な生き方してるっていうのよ」
「違う、違う!」
「あんた結局、自分が辛いから嫌なんでしょ?」
「違う、違う、違うよ!」
「そうやって、人よりも自分が傷ついたほうがいい、要するに寂しいのよ、シンジは」
アスカの言葉にうなだれるシンジ。
「だって…、いいじゃないか、そうすればみんな幸せになれるんだ、僕だって、辛いことをしなくて済むんだよ!」
「そんなのただの依存、共棲関係なだけじゃない!」
「なにがいけないんだよ!、アスカだってそうじゃないか!」
「そうよ!」
え!?、っとシンジが顔を上げるのを待ってアスカは微笑んだ。
涙混じりに。
「あたしのパパは…、ママが嫌いになったの、いらなくなったの、ううん、最初から好きじゃなかったのよ、最初からいらなかったのよきっと…」
「アスカ…」
「あの時、ママが天井からぶら下がってたの、その顔はとても嬉しそうに見えたわ…、でもわたしはその顔がとても嫌だったの!」
今でも克明に思い出せる、その顔を。
幸せそうだった。
「死ぬのは嫌、自分が消えてしまうのも嫌、男の子も嫌、パパも、ママも嫌!、みんな嫌なの!、誰もわたしのこと守ってくれないの、一緒に居てくれないの!」
それが今までの自分だった。
「だから一人で生きるの、でも嫌なの!、辛いの!、…一人は嫌!」
身勝手な父親に頼ることなく生きていくために、傷ついた母親を守り通していくために。
見失った思いと願い、一人で居たくないからと母親のために頑張ろうとした、なのにその直後に理由は消え去っていった、自分を置いて。
アスカの心は、この時完全に拠り所を失っていたのだ。
「寂しいんだ、アスカも…」
「そうよ!、だからシンジ、あたしを見て!」
アスカは訴える、シンジは弐号機を壊した事で苦悩している、しかし自分は思い悩むシンジの姿にこそ心苦しいのだと喚いて見せた。
伝わる事を疑いもせずに。
「独りで寝るのが恐いの…、独りで寝るのは寂しいのよ!」
シンジならいつも抱きしめてくれると頑に信じて。
そしてシンジは、それに応えた。
綾波レイ嬢は不機嫌であった。
代わりに憂鬱さは消えている、思い出すのはヘヴンズドアの向こう側での会話であった。
(碇君は…、知っていた)
自分がどの様にして生まれ、何故あのように育てられたのか?
渚カヲルに感じた不思議な感覚の正体、その他のことも、みな、最初から。
そう、初対面の時には既にだ。
(バカみたい…)
シンジの布団の上、ぐるりと仰向けに転がり回る。
シンジが言った通り、尋ねれば悩みの90%は解決していたのだ、ほっとしているのは自分が好きなのはやはりシンジだったと言う事にだろう。
カヲルに感じたのは別の事柄、錯覚したのはカヲルへの感覚の方だった。
(面倒ね…)
少し殺意が芽生える、鬱陶しいから。
まあそれだけの理由で人を殺せるのなら、真っ先にアスカの命を狙っていただろうが。
レイはすぅと息を吸って、ふぅと吐いた。
顔に腕を当てて目を隠すと、何を思い出したのかだんだんと頬が紅潮を始めた。
(ここで、キスした…)
それも激しく。
(碇君…)
思い出すだにドキドキとしてしまう、シンジは知っていてなお自分を求めてくれたのだ、その事は非常に嬉しい事だった、なのに。
(あのバカ)
アスカのことだ。
それを汚らわしい事のように喚き散らした。
だから嫌がらせをしてやったのだ、キスを、あなたも汚れればいいとばかりに。
(碇君とは違う感じがした…)
実際には人の口腔の感触などそう変わるものでも無い、対象の認識と相手からの反応に差を感じただけだろう、だが、レイにはそれで十分だった。
やはりあの感じはシンジからでないと得られないと分かったのだから。
(次は…、まだ少し早いの?)
レイは性知識が必要かと危ない発想を抱え込んだ。
感情を抑えて来た分だけ開放された心には歯止めが利かない。
レイはそれを感じているからこそ、そうやって手順を確認する事で歯止めに替えていた。
…もっとも、他人からでどう見えるかは、非常に危ない問題ではあっただろうが。
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