IRON MAIDEN Jesu, Joy of Mana Desiring.
「状況は!」
「使徒ではありません」
「使徒じゃ、ない?」
「はい」
 オペレーター達からの報告に、勢い勇んで来たミサトは気が抜けてしまった。
「で、街の被害は?」
「市の一部が炎上していますが…、どうやら戦自のようですね?」
「戦自ぃ?、すぐに撤退させなさい」
「え?、ですが…」
「管轄が違うわ、出直せって言ってやんなさい!」
「わかりました…」
 このことが後日になって響くとは…
 例えミサトの勘をもってしても、到底見抜ける事では無かった。



第X話「鋼鉄のガールフレンド」



「う〜〜〜」
 翌日、学校。
 アスカは机に突っ伏していた。
「どうしたの?」
「なんでもないわよ!」
「そう?」
 日誌を胸に抱いたまま、ヒカリは小さく首を傾げる。
 アスカの迫力がいつもほどには感じられなかったからだ。
(見られた、今度はかんっぺきに見られちゃったわ!)
 いつもからかっていたのとは違う。
 夕べちょっとした炎上騒ぎがあり、焦ったアスカは素っ裸のままでシャワールームから飛び出したのだ。
(まあ確かに、触らせてあげたりしてたけどさ?)
 ちなみに火傷の治療のことだろう。
(だけど今度は…)
 お尻、はまだいいとしても。
(見えちゃった…、わよ、ね?)
 その後の後ろ蹴りがいけなかった。
 ついつい反射的にやってしまったのだが。
(う〜、シンジもシンジよ!)
 なのに「いったぁ、何すんだよ!」、と怒り出しただけだったのだ。
 ついアスカも言い返し…
 素っ裸のまま真正面から言い合いを果たしてまった。
 なのにどうだろう?
(バカシンジがぁ!)
 シンジはそれで照れもしなければ赤くもならなかったのだ。
 それどころか今はどこか憂鬱そうに沈み込んでいる。
(あたしのせいだっての!?)
 アスカの裸を見てしまいショックを受けたのかもしれない、いや、それ以外に原因が思い当たらない。
 なにしろ夕べから今朝の登校に至るまで、ず〜っと一緒に居たのだから。
(なによっ、溜め息なんか吐いちゃってさ!)
 ぶぅっとむくれる。
 見せてやったのに落ち込まれたのでは堪らない。
(シンジの奴ぅ!)
 何やら色々と複雑な様だ。
 そうやって、ふせったままシンジにおどろおどろしい視線を送っていると…
(なによ!?)
 シンジに変化が顕れた。
(なに?)
 何処か嬉しそうな、だが悲しげな…
 変に複雑な顔を見せたのだ。
(なんなの?)
 その視線の先を追う。
 そこには…
「霧島マナです、よろしく」
 転校生が、立っていた。


「本日、私、霧島マナは、シンジ君のために、午前六時に起きてこの制服を着てまいりました!、どう?、似合うかしら?」
「うん」
「ねえ、この学校って、屋上出られるの?」
「まあ…」
「あたし…、シンジ君と一緒に眺めたいなぁ」
 シンジは友達が少ない…、と言うよりも、いつものトリオ以外にはいなかった。
『なんで?』
 そうヒカリに尋ねると、「碇君が転校して来た時にね?」とアスカは登校拒否に陥っていた頃のことを教えられた。
 それが引きずっているのだろう、余り積極的に会話の輪には溶け込まないのだ、だから誰もが初めて目にしていた。
 迷うようなシンジの反応は。
(なにやってんのよ!)
 だからアスカは苛ついた。
 自分では引き出せなかった姿を、照れた感じを、その少女が容易に引き出してしまったのだから。
「ばかシンジぃ!」
(あたしの裸、見たくせに!)
 っと叫びかけて何とか堪える。
「ほぉんと、あんたって女の子だったら誰でもいいって感じよねぇ?」
「ま、ね…」
「こんのスケベシンジが!」
(その女とも!)
 手を振り上げかける、しかし…
「…好きになるつもりは無いからね、誰でも同じだよ」
 動けなくなった、いつかと同じ答えだったからだ。
 そう思うと、夕べからの反応も理解できた。
(だからなの?)
 だからときめこうとしないのかもしれない、一定までのじゃれ合いなら恥ずかしく思うのだろう。
 しかし度を越えて冗談ではすまなくなると…、本気で対応しなければならなくなると、途端にシンジはそっけなくなる。
 それがシンジなりの反応なのだ。
(そういう、こと…)
 アスカはシンジの境界線を見た気がした。
 裸を見たんだから責任を取れ、などと言うつもりは無いが、それなりの一言は欲しいものだ。
 好きな子の裸を見たんでしょ?、とも聞きたかった、だがどうでもよくなってしまった。
(こいつは…)
 好きになりたくないから、何も感じないように心を閉ざしているのだと分かってしまった。
 何処までが演技で、何処からが本当の笑顔なのか?
 本心が見えたような気がして、アスカは屋上へ向かう二人を引き止める事は出来なかった。


「こぉんな食事ばっかじゃ、食物繊維とかぁ、カルシウムとかぁ、ベータカロチンとかぁ、ちぃっとも取れないんじゃなぁい?」
「じゃあアスカが作れば?」
「あたし料理できないもん」
「それじゃあどうやってお嫁に行くのさ?」
「貰ってくれますぅ?」
「…遠慮しとく」
「ぶぅ!」
 ちらりと様子を窺う。
 手抜きの食事、それはシンジの心境を物語っているようで面白くない。
(なによ!)
 今は二人きりなのだ。
(あんたあたしのためにここに居るんでしょ!?)
 正確には世話をするために、なのだが。
 どの道、シンジはどこかぼうっとしていて落ちついていない。
 あのシンジが内心の苛立ちを抑え切れずに居る、それが如実で、アスカには余計に面白くない事だった。
 それにいつもならこうやって『かまえ』と信号を発すれば、なにかしらの反応が引き出せていたのに。
 今は鬱陶しいとばかりに会話を打ち切られてしまっている。
 もちろんそんな信号を出してしまっていた、受信していたなどとはお互い露とも気が付いていない。
 シンジもなんとなく反応してしまっていただけだった。
 だが無意識の領域でのやり取りだっただけに、すれ違ってしまった時の空回りから来る物足りなさは絶大だった。
「シンジ…」
「なに?」
「…あの霧島マナって娘のこと、忘れなさいよ」
「え?、なんで…」
(面白くないからよ…)
 答えようとした、唇がかすかに震えた、しかし言えなかった。
「ただいまぁ!、お、いい匂い」
(もう!、こんなタイミングばっかり…)
 間が悪い、としか言い様が無い。
 どうにも、今しかない、と言うシーンをくじかれるのだ。
 ミサトだけではなく、お供として加持も葛城家へやって来た。
 その事がさらにアスカを面白くなくさせていった。


 リツコが端末を叩くのを加持は待った。
 それが『盗聴防止』のための操作だと知っているからだ。
「それで?」
 リツコは来る時が来たような気がして、真剣味を帯びた目を加持へと向けた。
 加持は加持で、夕べシンジからぶつけられた言葉を反芻していた。
 それは以下のような言葉である。
『アルバイト、バレると困るんでしょ?』
 それを知っているのは極少数の人間だ。
 そしてシンジと接触している人間と言えば…
 加持はリツコの名を上げたのだ、だが。
「わたしじゃないわよ?、それは確かね」
 加持はスパイ疑惑については伏せた、とりあえずはシンジのエヴァについての知識の出所を探ることにしたのだ。
「確かにシンジ君には驚かされる事ばかりだけれど…」
「それは?」
「新兵器、シンジ君の発案よ?」
「棒…、に見えるがな?、俺には」
「そうね?、ただの棒よ」
「棒?」
 ふうんっとその3D表示を覗きこむ。
 そこには、ロンギヌスの槍とほぼ同サイズの槍が、エヴァの対比図と共に表示されていた。
 もちろんその様な巨大な槍を自重で折れてしまわないように加工し、その上実戦に耐えうる硬度を維持しようとすれば、それなりの技術力が必要となって来るのだが。
「この間のね?、戦闘の後に呼び出したの、何故MAGIの制御から抜け出したのかって」
「へぇ?、それでなんて…」
「エヴァの感覚がここだと教えてくれたって言っていたわ?」
「それは興味深いな?」
「でしょ?、でね、その感覚でこういうのがあったらいいなぁ、ですって」
((どこまでが冗談?))
 二人の感想は共通していた。
 そんな曖昧な話しがあるだろうか?、あるかもしれない、だがどこかでからかわれている様な気がするのも事実であった。


「霧島マナはスパイよ!」
 今の不満を解消するためには彼女を排除する他さしたる方法が見つからず…
 結局はそう叫ぶしか無かったのだが。
「ミサトさん、ビール」
 あっさりと無視されてしまうアスカだった。
「霧島さんってぇ、シンちゃんのこれでしょ?」
 部屋の隅には綾波レイが居た、アスカに巻き込まれた形で引きずられて来たのだ。
 その代わりレイは最近興味が出て来た「女性雑誌」というものを拝読できたので、別段不満は口にしていなかった。
 シンジの夕食にもやはり満足感を味わっていた、夕食後の気怠い一時。
 …思考も多少は鈍っていた。
「そんな良いものじゃないですよ」
 それでもシンジの返答だけは耳にしている。
 シンジの否定に、レイは隠れて胸を撫で下ろしていた。
 ちなみにアスカの話しは最初から聞き流している、どうでもいいから。
 結局この場の議題にはさほど興味を抱いていない。
 しかし次の発言には眉を寄せざるをえなかった。
「僕に好意を持つ人なんて、居るわけありませんから」
 アスカ、ミサトの表情にも険が宿る。
 なら自分達もそう思われているのだろうか?
 アスカ、レイ、ミサトと、その心中はかなり複雑なものを呈していた。


 翌日、レイとアスカの心境は澱んでいた。
 アスカはまだ良い、シンジの態度が明白だから、後はマナを排除すればいいと、短絡的に考えられた。
 しかしレイはそうはいかなかった。
(ん…)
 図書室の本棚を相手に格闘をする。
 多少高い所にある本に爪先立って手を伸ばす。
 この所、レイの趣向は微妙な変化を来していた。
 読書の対象として恋愛小説が非常に数多くなって来たのだ。
 まあそれを知っているのは図書委員である所の無名の女子、ただ一人だけなのだが。
(碇君?)
 そんな午後の一時に、レイの耳には聞き慣れているはずの少年の声が飛び込んで来た。
 覗き見ると、シンジと転校生の姿が見えた。
 夕べ、家まで送ってもらった時のことが思い過る。
 その背中を見ていると、どうしても前に出る事が出来なかった。
 見えなくなるのがつまらなかったのかもしれない。
 横に並んでも良かったはずだ、だがそれでは彼を見る理由が無くなってしまう。
(理由?)
 考える、が、結局は心配しているだけなのだ。
(心配?)
 レイはその考えに驚いた。
 自分は彼の何を心配していると言うのだろう?
 それは考えるまでも無い事だった。
(そう、違うもの…)
 このところ見せる笑顔は、抱擁を与えてくれた時のものとは違っていた。
 もっと堅く、心を押し隠しているように思えるのだ。
 突然携帯がブルブルと震えて、レイは盗み見ていたのに気付かれたのではないかと大きく慌てた。
 顔を上げる、だがシンジ達はまだ照れ合っていた。
(呼び出しなのに…)
 ムッとする。
 自分がこぼした涙に喜んでくれたシンジ。
 その絆はエヴァでは無かったのか?
 それを無視されたようで腹立たしかった。
「碇君」
 だから割り込んでしまった。
「ネルフ本部から、呼び出しがかかっているわ」
「わかった」
(早く…)
 レイは自分の世界へと、自分達の世界へと。
 シンジを引きずり戻そうと頑張るのだった。


(さて行くか)
 加持はリツコと共にミサトの車が来るのを待っていた。
 そして降りて来たシンジの後を追いかけた。
 偶然を装うために、しばらく歩いてくれるのを待つ。
(あれは…)
 その時、加持はシンジが誰かに微笑んだのを見た、その相手は件の噂になっている少女である。
(可愛い子じゃないか…)
 だが男の子と居るようだ。
 加持は違和感を感じた。
 あの年頃の男の子だ、普通は自己完結して無視するか、嫉妬に狂うのではないのだろうか?
 が、シンジはそのどちらでもなく。
(笑った?、いや、微笑んだのか…)
 その姿を喜ぶように、それは余りにも不自然だった。
「加持君?」
「あ、ああ…」
 加持はリツコに促されて、緩めっぱなしのネクタイを更に緩めた。


「日曜日、芦の湖でデートか」
「素敵じゃない?」
(遠慮が無いな?)
 シンジの注文したステーキランチにリツコ共々苦笑する。
 普通は奢ると言われても、遠慮してしまうものだろう。
 だが彼にはまるで、それこそ旧知の仲の様に遠慮が無い。
(でもなぁ…)
 やはりシンジの言葉と行動は矛盾していると感じられた。
(あの子とデートだってんなら)
 やはり先程の態度はおかしいのではないだろうか?
 その男は誰かと思うものではないのだろうか?
「でも…、霧島さんが喜んでくれるかどうか…」
「そう堅くなることは無いさ」
「僕はただ…」
「ただ、どうした?」
 一呼吸、間が空いた。
「なるようにしかならない、流されてるだけの状況に波風立てて逃げようとしてるなって、気がして」
「だから俺達に意味ありげな事を言うのか?」
「…はい」
(おいおい)
 あまり意義のある質問では無かったし、解答が得られるとも思っていなかった。
(こんなにあっさり?)
 リツコもだ、驚いていた。
「シンジ君、子供の無茶はあまり感心しないわよ?」
 だからリツコはもう一つだけ踏み込んだ、そしてそれが引き出した内容に愕然とする。
「『アダム』、『リリス』、『十八種』の使徒、サードインパクトを起こすための『エヴァシリーズ』…」
 リツコの顔から血の気が引いた。
 それを知っているのはゲンドウや冬月を入れても、後はゼーレと一部の委員会の人間のみである。
 はっとしてリツコは加持を見た、案の定、加持の目つきが変わっている。
 加持も気が付いたのだ、目の前にいる少年が自分の追っているものの鍵を握る存在なのだと。
(危険ね…)
 リツコはシンジに釘をさそうとして半口を開き…、そして言葉を飲み込んだ。
 シンジの虚無を湛えた目に見据えられて。
「父さんに言いますか?」
(え?)
「父さんに捨てられないために…」
 二重のショックがリツコを襲った。
(この子は!)
 見透かされていた事を悟り愕然とする。
「シンジ君、君は…」
 加持も呻いた、リツコの変化を見ればそれが事実なのだと容易にはかれる。
(そこまで知っていると言うのか?)
 あるいは自分よりも。
 食指が動いた。
「綾波を、母さんを、父さんは何がしたいんでしょうか?、僕には、人の心がわかりません…」
((シンジ君?))
 だが、結局二人は追及するための言葉を失うこととなってしまった。
 ただぼうっと何処かを見やるシンジの横顔。
 それはそれ程までに、シンジの抱えているものの深さを見せつけていた。


 そしてここに一人鼻息荒く息込んでいる少女が居た。
 つい先程、確定的な証拠に対して警戒行動を行って来たばかりである。
 アスカはレイほど内向的では無かった。
 敵さえ明確になれば後は行動あるのみである。
 それに…
(そうよね…)
 煮え切らない、とヤキモキしていたが、考えて見ればシンジの行動は一貫していた。
 それは自分達に対するものと同じで、必要以上に踏み込む事を許さないものであったのだから。
(なら後は…)
 陰惨な笑みで卑屈に笑う。
(だって、ね…)
 平穏だったのだ、マナが現れるまでの毎日は。
 だから『論理的』に彼女を排斥すれば、何ら問題は無くなってしまうはずなのである。
 少なくともアスカはそう信じる事にしたのだ。
 でも。
『…好きになるつもりは無いからね、誰でも同じだよ』
(じゃあ好きになりたいって事なの?)
 心がざわめく。
(誰を?)
 あの女を?、ミサトを、レイを?
 アスカはそれ以上考えないようにかぶりを振った。
 自分が何を考えているのか?、それを感じて面白くなくなったからだ。
 そして今、シンジと二人で戦自の病院に足を踏み入れていた。
 特別医療室、そこにはアスカの回収した来たに乗っていたパイロットらしい少年が寝かされていた。
 それだけではない。
 彼のお見舞いと称して、あの女が現われたのだ。
 自然と場は緊張の度合を高める事になってしまった。
「そこに横たわってる人は、あたしの友達です!」
 アスカの『この少年はエヴァを潰そうとした、ただそれだけの事だったのね』との台詞に反発したマナの言葉、だがそれは余計にアスカの顰蹙を買っていた。
(なんて女!)
 何の根拠も無く、『あたしが信じろと言っている』と押し付けてくる。
 はいそうですかと誰が信じるというのだろう?
 自分はそれほど信用があると思っているのだろうか?
 アスカにはマナのその傲慢さが許せなかった。


「ロボットは二機目撃されていて…、うち一機は見つかったけどねぇ…」
「もう一機は、芦の湖の中なんですか?」
「そのはずなんだけど…、餌が悪いのかしら?」
 ミサトはちらりとシンジの様子を窺った。
(冷静、なのね?)
 その顔には芦の湖からの照り返しが光っている。
 シンジから突然呼び出されたかと思えば、その内容は戦自がらみだった。
 逆にミサトが焦ったくらいである。
 しかもこれから捕まえようとしている相手は、その女の子の彼氏なのだ。
 なのにシンジからは少しの動揺も見受けられない。
(彼女、なんでしょ?)
 少なくとも好意は寄せているはずなのに。
「碇司令、なにか隠してるのよね…」
(ま、電話のことは盗聴されてたでしょうし)
 意識しているのならショックを受けていいはずだ、あるいは「彼女が好きだって言うのなら」と「いい人」ぶっているのだろうか?
(そんなわけないわね?)
 そんな殊勝な事をするようには思えなかった。
(それにしてもあいつら!)
 加持とリツコのことである、先日の晩、せっかく二人に託したというのに、本部に戻ればはぐらかすだけで、結局シンジの事は護魔化されてしまったのだ。
(どうなってんのよ、もう!)
 単に二人とも、その立場からミサトには隠さざるを得なかっただけなのだが…
「僕は…、先に帰ります」
「ええそうね…、あっちもちょっちやばい雰囲気だったからねぇ…」
 ミサトはゲンドウの動きのことを言ったつもりだったのだが…
 シンジが取ったのは、マナとアスカの険悪さの方であった。


 マナの周辺はきな臭いためにミサトはあまり乗り気にはなれなかったが、それでも彼女を保護する事には賛成をした。
 だから、マナは葛城家に居た。
 あるいはシンジのお願いと言う珍しいものを、ミサトが跳ね付けられなかっただけなのだが。
 その裏に『貸し』という大人の汚い算段があったとしても。
 そしてその夜、アスカはドアに張り付いてリビングの様子を窺っていた。
(ああもう!、意地張るんじゃなかったわね…)
 リビングにはシンジとマナが仲良く布団を並べているのだ。
「マナはスパイ、か…」
「そうよ…、でもわたしはシンジ君が好き、それは嘘じゃない!」
「わかってるよ…、でも僕は言ったよね?」
「…なにを」
「人を好きになるのはやめたって…、人を好きになると辛い事ばかりだから、好きにならなきゃ裏切られる事も無いから」
「シンジ君は…、わたしのことが、嫌いになったの?」
 不意に言葉が途切れた。
 なんとなくだが、頭の中でキスしているのだと分かってしまった。
(でも…)
 不思議と腹立たしさは沸き起こらなかった。
(好きにならなければ、裏切られない…)
 胸を突かれたような衝撃が走っていた。
(あたしは…、加持さんが好き)
 だからミサトと寄りを戻そうとする姿に苛立ちが募る。
 ドイツではあんなに優しくしてくれたのに、と。
 かまってもくれない事に腹が立つのだ、ミサトにかまう時間があるのなら、と。
 その気になれば中学へ行く必要も無い、本部に詰め続けてもいい、でもかまってはもらえないだろう。
(そっか…)
 暇なのは嫌だから学校に行っている、では何故学校なのか?
(シンジが…、行くから)
 みんながいるから。
 暇潰しにはなるから。
(なんでもよ、もう!)
 アスカは気が付いてしまった。
 そこは心地好い空間なのだと。
 それは奇しくも、綾波レイと同じ感想に辿り着く答えである。
(あたしは…)
 シンジを求めていたのではないとアスカは知った。
 求めていたのは、彼の作り出している空間なのだ。
 だが、世界は掻き乱されてしまった。
 霧島マナという存在に。
(だからなのね…)
 アスカは自分の短絡さに、そっと溜め息を吐いてしまった。
 シンジにちょっかいをかけるから嫌いなのではない。
 シンジがいつもと違ってしまったから嫌だったのだ。
 もっともレイほどシンジに固執しなかったのは、アスカの素直ではない部分に起因しているのかもしれないが。
 とにかくこの時にはもう頭が冷めて、キスなど許せる気持ちが沸いていた。
 でも。
「あれ?、アスカ!」
「ばかシンジ!、何やってたのよ」
 翌日。
「どうかしたの?」
「さっきのロボット騒ぎよ!、その最中に押し掛けられて、あの子が連れていかれたらしいの」
「マナが!?」
「ええ、たぶん戦自ね?、で、どうするの」
「どうするって…」
(助けに行くのよ!)
 なにぐずぐずしてるの、と言いかけて口をつぐむ。
 それは自分が言ってはいけないからだ、シンジが決断べき事柄だと感じたから、だからアスカは間を空けて待った。
 夕べのやり取り、霧島マナのあの言葉は嘘ではない。
 アスカは疑いもせずにそう思っていた、なのにシンジは答えない。
「もうじれったいわねぇ、助けに行くのかって言ってるのよ!」
「…行かないよ」
 瞬間、キョトンとしてしまった。
 アスカの中では、夕べのキスで自分の思いを伝えたであろうマナの姿が思い浮かんでいたからだ。
(あたしには、そこまで…)
 できないし、やろうとも思わない。
 そこまで縋るつもりは無いからだ、それはシンジに対する思い入れの差を表している。
 だからシンジには駆け出して欲しかった。
 そこまでする奴なのだと知らしめて欲しかった。
 でなければ譲ってしまった自分は何なのだろうか?
「見損なったわ、そんなに冷たい奴だったなんて!」
「…今頃気がついたの?」
 許せなかった。
「バカ!」
 手が出てしまった。
(こんな男に期待したなんて!)
 加持にも答えてもらえなかった何かを。
 まだ意識下での認識ではあったが、アスカはそれに対して苛ついていた。


(戦自か…、JAの時と言い、司令の権力ってのも当てには出来ないな)
 ネルフ、いや、碇ゲンドウのコントロールから離れ出していると感じる。
 でなければあのような勝手なものは作れないはずなのだ。
 ネルフゲート側の駐車場。
 加持は車のドアノブに手をかけたままで声を出した。
「シンジ君か?」
 人気の正体を知ってほっとする、殺気は感じなかったが、消せる人間は数多い。
 視界に入れるまでは安心できないのが、今の加持リョウジの立場でもあった。
「どうしたんだ?、こんな時間に」
「…たまには加持さんを誘おうと思って」
「おいおい…、俺は男だぞ?」
 冗談めかして護魔化すが…
「僕の持ってる真実と交換に、頼みたい事があるんです」
 その言葉に加持は態度を改めざるを得なかった。


 細かいことは省きます、ただ、僕も全部を知ってるわけじゃないから、いい加減かもしれません。
 だから間違い無い事だけ教えます、ネルフの地下にあるものとか、使徒が来るスケジュールとか…
 僕は…、マナを助けることにさえ、手を貸して貰えれば、他には何も望みませんから。
 バカですよね?、わかってるんです…、もう振られているのに、僕はまだ、彼女のことが諦め切れないんです…
 それだけで十分だ、と言うのが加持の出した答えだった。
 シンジの話の真偽の程はともかくとしても、少年の少女に対する思いだけは報われてもいいように思えたからだ。
 そしそれは加持にとって、片手間程度の手間でしかない。
「頑張れよ?」
「はい!」
 そう言って身を低くして駆けていくシンジの背を見送り、加持は携帯でミサトを呼び出していた。


「はぁあああああああああああああああ」
 アスカは机につくなり、どんよりとした気持ちで肺の空気を吐き出していた。
「ふぅ」
 途切れた所を狙って話しかけようとしたヒカリであったが、結局最後のひと吐きにタイミングを逸してしまう。
「…なんや?、今日は一人か?」
 そんな状態のアスカに話しかけたのはトウジであった。
「なによ、三馬鹿ジャージ…」
 ふんっとトウジは机の隅に座って背を向けた。
「落ち込まれとるとなぁ、調子狂うんや」
「ほっといて…」
「シンジか?」
「あたしよ」
「ほうか…」
 トウジは黙って、正面の座席に腰を落とした。
 机に突っ伏したアスカと二人で、ぼうっと窓の外を眺め続ける。
(あたし…、どうしちゃったんだろ?)
 昨日、シンジを叩いてしまった。
 どういう顔を会わせればいいのか分からない。
 最初はシンジの態度に腹を立たせていたアスカであったが、結局明け方にはそのことばかりが渦巻いていた。
 そして、事態は最悪な方向へと展開したのだ。
(出てっちゃった…)
 考えれば無理矢理引き止めていたのだ。
 こうなってしまうのも当然だった。
(あいつが…、冷たいから)
 しかし沈んでいるのはそんな理由からではない、それだけなら立ち直れる、悪いのはシンジだと言い切れるから。
(なんで…、なんで帰って来ないのよ?)
 そう思っている自分、かまって欲しい自分、遊んでもらいたい自分。
 そのためなら主張を覆してもいいなどと、そこまで思い詰めてしまっていた。
 ループ状に固定されてしまった思考の中に、まるで染み込むように広がってしまっていたその想い。
(何考えてんのよ、あたしは!)
 到底認められるものでは無かった。
 シンジに側に居て欲しいなどとは。
「おい、あれ…」
 そんな状態で空ろな瞳をぼんやりとした景色に向けていると…
「霧島じゃないのか!?」
 ケンスケが驚き、校門の前を走る檻付きのトラックを指差した。


 アスカは教室を跳び出していた。
 マナはシンジに全てを委ねようとした、なのにシンジはそれを裏切った。
(そんなの!)
 余りにも悲しい気がする。
 敵とか味方とか、友達とか組織とか、そんなことではなく、同じ女の子として憐れに思えた。
(でも本当は…)
 タクシーを捕まえる。
 するとどかどかと押されるように奥へ積み込まれた。
「な、なによ!?」
「すまん、詰めてくれ!」
「芦の湖の方へ行って下さい!」
 一緒に飛び込んで来たのはトウジとケンスケの二人である。
(もう!)
 アスカは二人を押し出さなかった。
 シンジには無いものを二人に期待したのかもしれなかった。


 アスカはレイとは違って、文学小説と言うものを読んだ事が無かった。
 だから表現のしようが無かった。
 だから心の何処かで期待していた。
 自分をかまってくれる男の子、遊んでくれる少年、そのうえ期待と言う重圧や要求をしてこない、横並びに立ってくれるだけの存在を。
 それでいて人には優しく、さらには自分のことを何よりも優先してくれる。
 そんな、そんな少年の出現を。
 だがしかし。
(馬鹿みたいじゃない…)
 嫌でもあった、無差別に誰にでも優しいボーイフレンドは。
 なのに人に優しく出来ない人間というのも嫌いである。
(あたしって嫌な女よね…)
 あれだけシンジにマナに近付くなと言っておきながら、結局はシンジに期待したのだ。
(あたしが行かなきゃ!)
 だからアスカは走った、隠れるように、林を抜けて。
 シンジがああいう態度を取ったのも、自分のことがあったからかも知れないというのに。
 アスカは息を切らしながら、多少の後悔を感じていた。
「あれ、シンジじゃないか!?」
 そんなことを考えていたからだろう。
 アスカはケンスケの言葉に驚いた。
「ちょっと貸して!」
 ケンスケの双眼鏡を奪い取る。
(シンジ!)
 アスカ達よりも先にシンジがマナの側へと駆けつけていた。
 それも必死の形相で。
(シンジだ…)
 アスカはついほっとしてしまった。
 ピンチの時に庇ってくれるシンジの顔。
 ようやくシンジが、マナに対しても同じように引き締めてくれたから。
「なに嬉しそうにしとるんや?」
「え!?、あ、なんでもない…」
 ふんっと鼻息荒くそっぽを向かれて、アスカはちょっと戸惑った。
(なんなのよ?)
 トウジは面白くなさそうだ。
「やるなぁ、シンジの奴」
「え!?」
 ケンスケの言葉と銃声が重なった。
「ええ!?」
 あのシンジが銃を握っていた。
 普段は平々凡々と事なかれ主義を貫いている少年がである。
(そりゃ…、エヴァに乗ってる時は違うけど)
 アスカは唖然としてしまった、まさかそこまでするとは思わなかったのだ。
 銃を握って、檻を壊し、霧島マナをさらっていく。
 それは映画のワンシーンを見ているようだった。
(まだ…、あたしの知らないあいつが居るんだわ)
 最近分かったような気がしていたこと。
 それさえも錯覚なのだと知らされた。
「お、逃げるみたいだ」
「わしらも行くで!」
「あ、ちょっと待ちなさいって、痛いわよ!」
 アスカは手を引かれて、引きずられるようにその場を離れた。


 だから、なのかもしれない。
 ロボットの捕獲作戦、アスカはシンジの独走に酷く納得し、わずかに遅れるような歩調を取った。
 恐らくシンジはカッコをつけて、パイロットを「彼女のために」逃がそうとするだろうと思ったからだ。
 そしてそれは想像通りのこととなる、だがしかし、それではまた彼に重罪が課せられることになってしまうのだ。
(二人で分けた方が!)
 軽くなる、だがシンジの早さはあまりにも圧倒的過ぎるものだった。
 追い付く事すら出来なかった。
 結局、アスカに出来たのは…
「早く、早く行っちゃいなさいよ!」
 波間に漂い憎むように初号機を睨みつけるパイロットを、なんとか無事逃げられるようにしてやることだけだった。
 それとて泣くほど強く、叫びながら…


 独房のドアの前に立つ。
 アスカはこの中でシンジがどうしているのか?、とても想像する事が出来なかった。
 いつものように飄然としているのだろうか?
 それともうなだれて落ち込んでいるのか?
 だがそのどちらもしっくりとは来なかった。
 すぅっと息を吸って、大きく吐き出す。
 アスカは一歩を踏み出した、それに合わせて扉も開く。
「アスカ?」
 アスカはシンジの声に胸が疼いた。
(どうして?)
 好きだったんでしょう?、やっぱり、と、その言葉を飲み下す。
「無茶…、しないでよ」
 代わりに搾り出せた一言だった。
「彼…、逃げられたかな」
(馬鹿よ…)
 ムサシと言う名のパイロット。
 どう見てもあれは彼女を助けに行く彼氏の姿だった。
 そしてこのバカは、今になってもまだ恋敵の無事を案じているのだから…
「逃がしたわよ」
「…そう」
 その代価があの射殺すような目なのだろうか?
 好きな女の子の幸せを願った代償が、このような責め苦になるのだろうか?
(だったら、何であたし達…)
 何のために戦っているのだろう?、世界の平和のため?、誰かの幸せのため?
 これのどこがそうなのだろうか?
 その内、アスカははっとして。
『使徒を倒すこと』
 仕事として与えられたものだ、そして誰が『幸せのため』などと言ったのだろうか?
(あたし達って…)
 なのにシンジは、これで良かったんだと自己完結している。
(ほんとに…、なんでよ?、どうして笑っていられるの?)
 シンジは軽く微笑んでいた、本当に良かったと気遣い、安堵して。
 余りにもいたたまれなかった、今度の騒ぎでシンジが何を手にしたというのだろう?
 マナも、称賛も、ありがとうの一言すらも残されず、こうして独房に一人放り込まれて…
(なにか…)
 アスカは上げたかった。
 だが慰められるものは、思い付かない…
「あたしが、霧島さんの代わりになってあげてもいいのよ…」
(何言ってるのよ?、あたし!?)
 アスカは自分の口から突いて出た言葉が信じられなかった。
 だから弁解もしてしまう。
「勘違いしないで、あたしはあくまでネルフのために…」
「ありがとう…、でも」
「そう…」
 だからアスカはその返答を許容した。
 内心、ほっとする面もあったから。
 でも。
「僕はもう、人を好きにならないって、決めたんだ」
 それだけは、どうしても悲しみが抑え切れなかった。
(そこまでして、こうやって、一人になって…)
 好きな人のために、幸福のために。
 揚げ句、寂しさの虜になって…
 この部屋の暗さとシンジの心が、まるで合わさってしまっているようで。
(バカシンジ…)
 アスカはそれ以上、シンジと共に居る事が出来なかった。



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