紫色のエヴァンゲリオンが雄叫びを上げる。
 背中からは金色の翼が生えていた。
 重い空気と重力がその翼をもぎ取ろうとする。
 しかしエヴァの力が束縛の全てを打ち払った。

 空間が割れる。

 目前に見えるのは白いエヴァンゲリオンの軍団。
 遥かな先と空間を破る事で繋いでみせた。
 う…、そだ。
 咀嚼していた。
 うそだ。
 赤いエヴァンゲリオンは胴体と下半身を引きちぎられていた。
 うそだ、嘘だ、嘘だっ!
 仮面は割れ、こぼれ出た脳はすすり上げられていた。
 そんなの嘘だぁああああああああああああ!
 ウォオオオオオオオオオオオオン!
 絶叫が轟く。
 四肢を引きちぎられ、髄液を吸われ、肉を噛み千切られ、臓物を咀嚼されている。
 アスカは既に、死んでいた。


ウルトラマンエヴァ 第四話『超神編』


 ウォオオオオオオオオ!
 両手に光の剣を持ち投げ付ける。
 それはブーメランのようにくの字に変化してエヴァを切り裂いた。
 球のような血が虚空に散らばる。
 ウワァアアアアアアアアアアア!
 何もない世界を蹴り、踊りかかる。
 空中で回転し胸元を蹴り付け、その反動で別の一体に跳び、首に手をかける。
 グシャ!
 一瞬で喉元に食い込んだ。
 まるで指が肉を食らったかの様だった。
 そのままブンと振り回し、適当なエヴァへ投げ付ける。
 ドカ!
 受け止めた敵ごと睨み付ける。
 目から発したビームが二体を貫いた。
 アアアアアアアアアアアアア!
 腕に付いていたヒレのようなパーツが輝いた。
 ブン!
 パンチをかすめ、エヴァの胸元をぱっくりと裂く。
 ブシュッと内圧によって弾け跳ぶ鮮血。
 殺してやる!
 胸の球体が赤く輝く。
 殺してやる、殺してやる、殺してやる!
 瞳が危険な輝きを放ちだす。
 うわあああああああああああああああ!
 大きくスウィングした腕を振り回す。
 その度に生まれた不可視の力が敵を薙ぐ。
 頬に、身体に、腕に、爪の痕をつけるエヴァ達。
 ケケケケケ!
 だがそれでもエヴァ達は死ななかった。
 首をもごうが、身体を裂こうが死ななかった。
 四つに、五つに千切れても、それでもエヴァ達は笑っていた。


 その頃のネルフ本部。
 碇ゲンドウとレイが長いエスカレーターを上がって来る。
「やあ」
 その先にいたのはカヲルと名乗ったもう一人のエヴァだ。
「なぜ、ここに居る」
 ゲンドウはエスカレーターを下りるとそのまま立ち止まった。
「それは彼に会いに来たからですよ」
「アダム…」
「そう、最初の超神に」
 カヲルはニヤリと口を歪めた。


 ドォン!
 地響きが起こる。
「なに、状況をまとめて!」
 叫ぶ赤木博士。
「本部第五層にてパターン青確認!」
「小型の怪獣!?」
「計測数値はこれまでにない反応を示しています!」
 発令所は悲鳴と喧騒に包まれた。
「やるね…」
 エスカレーターがゆっくりと崩れ落ちていく。
 高性能爆薬を持ってしても、すすが着く程度にしか被害を被らないはずの壁が、床が、歪み、そして傷ついていた。
 火薬に潰れたのではなく、なにか純粋な力の圧力によって形を変えていた。
「さすがオリジナルに近いだけのことはあるね…」
 ゲンドウがいる、その前にレイが立っていた。
 とてもとても目が赤い。
 光を放つほどに爛々と輝いている。
 カヲルとレイ、二人の間で目に見えない力が拮抗している。
 爆ぜる空気だけがそれを感じている。
「最初に生まれ落ちた女、その力を薄めるために劣化を重ねたのかい?」
 蔑みが浮かぶ。
『君は、何人目なのかな?』
 カヲルの筋肉が堅くなった。
 シャツのボタンが弾け跳んだ。
 首から下がエヴァの肉体に変わり果てる。
 その色は白だ。
「あなたが、操っていたのね」
 レイは冷めた表情を崩さない。
『魂の無いエヴァ達を操るのは簡単な事だよ、僕は彼らと同じ…、いや、僕自身は彼らの総意体だからね?』
「あなたが死ねば、他の肉体があなたになる…」
『そう、僕には代わりが居る、君と同じさ』
 右手を突き出す、その手のひらから赤黒い棒が伸びる。
 キィン!
 それはレイの真正面で金色の壁と拮抗した。
「ロンギヌスの槍?」
 目を細めるレイ、棒の先端が二股に割れてよじれていく。
 ドシュ!
 きゃああああああああああああああ!
 先が開いていく力を用いて、金の壁も引き裂かれた。
 レイの左頬と喉元を二股の先が貫き刺さる。
『さあ、アダムを…、なに!?』
 その状態でもレイは右手をついて倒れるのを堪えた。
「変…、身」
 バシュ!
 閃光、その中から青いウルトラマンエヴァが跳び出す。
『くぅ!』
 カヲルの顔面を押さえて壁に叩きつける。
 ゴン!
 めり込んだ後頭部が壁に大きなへこみをつけた。
 しかし鋼鉄の球がひしゃげるほどの圧力を受けたカヲルの顔は、まるで意に介していないように笑っている。
『美しいね…』
 レイの裸体を青い鎧が覆っている。
 左手にはカヲルの投じた槍を持っている。
 その顔も髪も白く、ただ瞳だけが赤い。
『アダムにあなたは触れられない』
 背の部分から渦を巻くように肉が盛り上がる。
『あなたは、わたしが倒すもの』
 バン!
 それは左右に分かれ、羽になった。


 ガクン!
 勢いのままに力を振るっていたシンジであったが、突然体が硬直した。
 なんだよ、これなんだよ!
 タイムリミット。
 忘れていた言葉を思い出す。
 ここは生身では生きていられない空間である。
 こんなのってないよ!
 レイが死に、アスカが死に、何も出来ないまま自分も死ぬ。
 動け、動いてよ!
 いま戦わなきゃ何にもならないんだ。
 このまま死ぬなんて、そんなの嫌なんだよ!
 だから…、だから…
 意識が遠くなる。
 指先から硬直し、石のように変化していく。
 白いエヴァ達が取り囲むように近付いて来る。
 ずたぼろに千切れた体を引きずって。
 血の一滴、繊維のように千切れた筋でさえも意思を持って。
 ドクン!
 不意にシンジの目に光がさした。
 一度閉じられた仮面の奥の瞳が真っ赤に光った。
 その先にあるのは赤いエヴァの死体。
 そして一つの言葉。
 今のあんたの体を組成している物質は不完全なもの…
 完全な、肉体…
 のどが渇く。
 舌なめずりをする。
 ガクン!
 ジリジリと包囲網を縮めていたエヴァ達が、急に抗うように踏みとどまった。
 オォオオオオ!
 初めて悲鳴を上げる、底無しの井戸、紫色のエヴァンゲリオンに無かって空間が落ち始める。
 白の合間を赤が通り過ぎた。
 ドカ!
 シンジはアスカの遺体を受け止めた。
 その瞳は正常な精神のものではない。
 細まった瞳、ガフッ!
 シンジは喉元に食らいついた。
 押さえるための指先が目のあった場所をえぐって食い込んでいる。
 ジュル…、ジュルル…
 血をすする音。
 それだけではすまない。
 反対の腕はへし折られ、もぎ取られた胴部の奥へと潜り込んでいる。
 そこから引きずり出したのは心臓…
 ガフ!
 シンジはそれを食らった。
 食らっているものがなんなのか分かってはいなかった。
 それどころかシンジの意識があったのかどうかも怪しい。
 カフッ、カフッ、カフッ!
 咀嚼の後、喉元が大きく動いた。
 ゴクン…
 飲み下した。
 体が内側から熱くなる。
 ブシュ!
 シンジの全身から汁が噴いた。
 腐れ落ちた体が肉汁となって吹いた。
 ジュ、ウウウウウ…
 しぼられるように縮んでいくシンジの体。
 漂う腐汁は落ちていく空間に反して漂っていく。
 ギャアアアアアアアアアアアアアア!
 エヴァ達の悲鳴。
 腐肉がエヴァ達を侵し始めた。
 侵食するように彼らの肉体を溶かして潜り込んでいく。
 吹き出す汁は勢いを増し、それらはエヴァ達に噴霧される。
 フッオオオオオオオオオオン!
 そしてシンジは大きく吠えた。
 エヴァ達に逃れるための術は無かった。


 カヲルの口もとが釣り上がる。
 …!?
 重圧感の上昇を全身に感じ、レイの表情に抗いが浮かんだ。
「くぅ!」
 ドン!
 弾き飛ばされる。
 カヲルはレイから逃れるとその場に浮かんだ。
 足は地につかない。
 そのままゆっくりと尻餅を着いたレイを見下ろす。
 右手を横へ伸ばせば、槍がひとりでに浮かび、クルクルと回転しながらカヲルの手に収まった。
「それでも立つのかい?」
 苦悶の表情を浮かべるレイ。
「蘇生したばかりなんだろう?、君の肉体、そう保つのかい?」
「代わりは…」
「そうだね?、君を壊すと厄介な事になりそうだ」
 また純度の高い肉体に移られてしまう。
「アダムは」
「ここにはない」
 ゲンドウが答えた。
 人以上のものを相手にしても引き下がることはない。
 不敵な笑みを浮かべている。
「…君に必要なのは人としての畏敬の念だね?」
「なにを恐れる?」
「人は人として生きていくためになにかにすがる、そうじゃないのかい?」
「神か?、偶像にすがった所で何の意味がある…」
「あなたは祈る事が無かったのかい?」
「わたしはわたしの願いを叶えるために生きている」
「すがった事ぐらいは、あるんだろう?」
 確信を得たような笑み。
「さしずめ、彼女に人の似姿を与えた人、そうなのかい?」
 バサ!
 レイの翼が羽ばたく。
 風圧がカヲルを揺らした。
「そうまでして存在を隠し、他人のために生きようとするリリス、君が分からないよ」
 レイは右腕を縦、左腕を横に曲げて逆L字を作った。


 シンジの背中に光の翼が生まれた。
 捻れるように伸び、いきなり広がる。
 その数は四枚。
 フォウ!
 それに呼応したかの様に、苦しみに悲鳴を上げていたエヴァ達が右腕を縦、左腕を横に曲げた。
 逆L字を作った腕から光が放たれる。
 全てを焼き尽くす天使の光線。
 リングを描くように取り囲んでいたエヴァ達から中心のシンジへ向かって。
 ギン!
 シンジの瞳が輝きを放った。
 翼がまたよじれ、今度は十字の形に展開される。
 カッ!
 閃光が放たれる。
 その宙域の全てが真っ白な光に埋めつくされた。


「スペシウム光線、位相空間の狭間にある粒子を撃ち放つ技、僕には通じないよ?」
 平然として受け止めるカヲル。
 その正面には光線を遮る金色の壁が生まれている。
「ATフィールドか…」
「そう、君達はそう呼んでいるんだね?、でもこれの正体は心の壁…」
 カヲルはレイを見やる。
「君には当然、わかっている事だろう?」
 光線が途切れるのを待ってカヲルは腕を上げる。
 金色の壁が回転して円になった。
「ウルトラスラッシュ!?」
 レイはとっさの判断で身を捻った。
 八つ裂き光線が肩をかすめた。
 その先には…
「司令!」
 ゲンドウが居た。


「はっ!」
 シンジは目を覚ました。
 ここは…
 見慣れた天井。
 そこはもう別の誰かが住んでいる部屋。
 どうして、ここに?
 訓練生時代の部屋。
 シンジは息を吐いた。
 そして時計を見る。
「あーーー!、今日はテストがあったんだ」
 跳び起きる、と同時に世界が変わる。
 一歩でシンジは教習訓練所に辿り着いていた。
 服も訓練生のそれに変わっている。
 最初に感じた違和感はもう消えていた。
「お〜、やっぱええ乳しとんのぉ」
 トウジが軽いジョギングに勤しんでいるパイロット候補生達を眺めている。
 シンジはトウジの視線の先を見て顔を赤らめた。
 惣流・アスカ・ラングレー。
 その胸は同年代の女の子に比べて、かなり盛大に揺れていた。


「こぉらそこの変態!、何見てんのよ!」
 アスカは悪寒が走ると同時に雄叫びを上げた。
「ご、ごめん!」
「あほぅ!、なに返事しとんのや」
 まったくもう…
 逃げていく男子生徒たちを遠目に見る。
「…今の碇君じゃない?」
「やだぁ、碇くんも男の子なんだぁ」
「…碇?」
 怪訝そうにアスカは尋ねる。
「アスカ知らないの?」
「アスカは教習訓練所に飛び入りだもん」
「それじゃあ、碇ってやっぱり?」
「そ、碇司令の…」
 ますます首を傾げる。
「そんな奴がなんでここにいるのよ」
「そりゃ衛生兵ならそうそう危険な所に行かなくてすむからじゃない?」
「さいってーね、みんなで戦ってるってのに、一人だけ生き残ろうっての?」
 だが全員が明確な意思をもって戦っているわけでは無かった。
 なんとなくみんながそうしているから、自分も戦うための訓練を受けている。
 その先に何が待っているのかも考えないで、流されるままに。
「碇君ってよく泣かされてるし」
「ほんと、才能とか縁が無いみたいだから、案外ただそれだけかもね?」
 行こ行こっと、アスカを促す。
 みなシンジに対して興味が無いのだ。
「碇シンジか…」
 アスカはその名を記憶にとどめた。
 もちろん利用するためにである。
 なるべく戦いに出やすいポジションに着かなきゃいけないのよ、このあたしは…
 だから肉体の強化メニューなどと言う、無駄な物にも従事している。
 地球に降り立った日からそうだった。
 まあ、都市に入るためにID申請するだけだったのは楽だったけど…
 怪獣と言う明確な敵がいる以上、人類は結束する他ない。
 人じゃないのが敵、か…
 その認識は甘いと思うが、利用はする。
 この世界は混乱と動乱の中にあった。
 だからアスカのような少女が身分を証明できずとも問題視されなかった。
 アスカはネルフ本部地下にある大地下シェルターに保護された。
 新しい身分と部屋を与えられ、代わりに義務として訓練を命じられる。
 望む所だわ。
 それこそが狙いなのだから。
 美の付く少女でありながら、外を放浪して辿り着いたアスカ。
 その過去に興味を持つ者は居たが、あえて詮索する人間はいなかった。
 誰もがみな隠したい過去ばかりを背負っていたから。
 そのほとんどは死んだ人間のことである。
 他人の傷をほじくり返している余裕はないのだ。
「碇、シンジか…」
 アスカはもう一度くり返した。
「臆病者には用は無いわ…」
 それがシンジに対する認識であった。


 シンジは遠巻きにアスカを見ていた。
 憧れてたのかな…
 そうかもしれない。
 整備工場の中、シンジは走りまわっていた。
 怪獣の火炎攻撃によって被弾した機体が次々と飛び込んで来る。
 地上の戦車大隊は阿鼻叫喚の中にあった。
 ぐっ、え…
 炭化した人間を前にシンジは吐いていた。
 焦げ付いた大地、踏み潰された戦車。
 その中から生きた人間を探し出し連絡する。
 ただそれだけの作業ができなかった。
「どけ!」
 担架に人を乗せて運んで行く。
「気持ち悪い!」
「邪魔よ!」
 嘔吐するシンジに軽蔑の視線。
 侮蔑かもしれない、真っ先に吐いたが、動けずにいるのはシンジだけではない。
 しかし「司令の息子は役たたずだ」、そんな侮蔑の言葉がレッテルとして貼られてしまった。


 何もできなかった…
 そうやって落ち込む少年少女達は多かった。
 あいつ、死んじゃった…
 悲嘆にくれるパイロット候補生達も大勢居た。
 狙われたのが訓練校であったのが問題だった。
 司令の息子の癖に!
 誰も彼だけは慰めなかった。
 お前はいいよな…
 同じ無気力仲間からも外された。
 あいつが幹部候補生でなくて良かったよ。
 あいつの下じゃ死ぬだけだもんな?
 そして上官からも見捨てられた。
 シンジは銀色に輝く機体を見上げていた。
 桜花。
 シンジの父と母が深く関った機体である。
「なにやってんのよ?」
「…ごめん」
 アスカの目を見れば分かる。
 機体を汚らわしい目で見ないで。
 これは戦うための機体だから。
 言外の言葉を読み取り、シンジは背を向けた。


 こんな奴がねぇ…
 白い女だった。
 綾波レイ。
 それが司令のお気に入り。
 …コネでパイロットになったんじゃないの?
 そうも思ったが。
 でも、こいつの判断力は大したものよね?、いつも冷静だし。
 熱くなる事がない、感情にも流されない。
 だから気に食わない。
「ねぇ?」
「なに?」
「なんで戦うわけ?」
「…わたしには、他に出来る事がないもの」
「だから戦うわけ?」
「そうよ」
「死ねって言われてるのと同じじゃない…」
「なら死ぬわ」
「…なら一人で死ねば?」
 それがあいつの家族。
 レイに何かを伝えたかったのか?
 二人で一緒に居た所にシンジが来た。
「アスカは、なんで戦うの?」
 死にたくないからよ。
 簡潔に答える。
「強いんだね?」
 あんたは死にたいの?
「生きてるって、なに?」
 一人じゃないって事よ
「そっか…」
 その時の表情が忘れられない。
 そっか…
 酷く納得したような、それでいてとても…


 どうでも良かったんだと思う。
 シンジは呟いた。
 僕が死んでも、代わりはいるもの…
 僕が死んでも、誰も気にしないもの。
 それに誰が死んでも、僕は気にならなかったもの。
 あの戦場で誰かの死を悼むより、人を介抱するよりも…
 気持ち悪い…
 逃げ出す事を選んだように。
 だから死ぬのなら僕の方なんだ。
 だから生き残るんならアスカの方なんだ。
 もう、いいの?
 声が聞こえた。


 宇宙を白く染めるウルトラマンエヴァ。
 紫色のエヴァは、悲しむように天を仰いで涙していた。
 フォ、オ…
 その前に白いエヴァが漂い、流れつく。
 伸ばされる手が少年のものに代わり、頭もまた髪が生え、そして赤い瞳が見開かれた。
 そして囁きが聞こえた。


 一人は恐いのかい?
 側にいてもらいたかったんだね?
 なら僕が、側に居てあげる…


 しとしとと降る雨の中、シンジは墓参りに来ていた。
「早いものだね?、アスカが死んでもう三年か…」
 ここへは来れなかった、今の今まで。
「だって僕が生きているのは…」
 アスカに命を貰ったからなのに。
 そのアスカは死んでしまった。
「でも分かったんだ、僕には…、誰が必要なのかって事が」
 振り返る、真っ白い肌をした少年が、シンジのために傘を差してくれていた。
「ありがとう、僕には、カヲル君が必要なんだ」
 シンジは墓を見舞う勇気をくれた少年に、感謝を込めて微笑んだ。
 赤い瞳に銀の髪。
 吸い込まれていく。
 赤い輝きに。
 どうして?
 その向こうに幻の少女達が見えた。
 驚愕に顔が強ばる。
 どう、して…
 彼女達は笑っていない。
 それどころか険しい顔つきをしている。
 あ…
 空を見上げる。
 雨雲が切れた。


 オオ、オオオ…
 巨大なカヲルが苦痛に顔を歪めて、元のエヴァンゲリオンへと戻っていく。
 そして目に見えない力によって押し戻され、弾かれた。
 シンジの体が赤く輝く。


 ザシュ!
「司令!」
 人間の体では受け止める事も出来ない…、はずだった。
「そうか…、そういうことかリリン」
 ゲンドウの正面で光の輪が止まっていた。
 金色の壁に食い込むように。
「…君はなぜウルトラマンエヴァが人の姿を、人と同じ遺伝子を持っているのか、考えた事があるのかね?」
「…この星が」
「DNAは二重の螺旋を描く、何故に流れは二つ存在する?」
「切り換え…」
「人はその二つを統合した存在なのだよ」
 ちらりとレイを見る。
「そのために命は一つに溶け合ってしまったが」
 二つの姿を持つエヴァは二つの命を持っている。
「超神としての姿と、人としての自分!」
 レイの殴りつけるような拳を受けながら会話を続ける。
「そしてもう一つ、君は間違えているようだな」
 返事をする余裕はない。
 急スピードで突っ込むかに見えたレイが、翼を羽ばたかせてブレーキを掛けた。
 その風に混ざって翼が伸びる、無数の刺に化けて。
 ドス!
 幾本もがカヲルの体を貫いた。
 音がぶれることなく一つに重なって。


「あああああ…」
 カヲルが苦悶に呻いて倒れていった。
 その向こう側に別の景色が現われる。
 怪獣に破壊される前の何処かの公園。
 三才のシンジがブランコに乗っている。
 その表情はあまり嬉しそうではない。
 約束したのに…
 守るって。
 守らないのなら。
 ブランコが揺れる。
 振り子のように、少女に近付く。
 真正面に居る、赤い髪の女の子に。
 その命、あたしに返して。


 逆光の中の女性は微笑んでいる、それを感じている自分は、ゆっくりと赤い球を差し出した。
 これがなんなのか、何をくれたのか分からなかったけど…
 シンジは呟いた。
 きっと、アスカに必要なものだと思うから。
 僕よりも。
 だからお母さん、いいよね?
 あげてもさ…
 それはあなたが決めなさい。
 初めて明確な意思を持った声が聞こえた。
 ありがとう。
 シンジの体が二色の絵の具となってベシャッと潰れた。


「予備に…、移れない」
 死の直前にあってもカヲルの魂は遊離を始めなかった。
 霞むように薄れていく。
 まさか、シンジ君にそれ程の力があるというのかい?
 エヴァ達の死を実感する。
 二重螺旋を一つのものとして使い始めた人類は、それぞれが独自に働く宇宙人とは融合を果たせなかった。
 螺旋が個別の機能を働かせようとして、人としての崩壊を招くからだ。
「レイにユイの遺伝子形質を埋め込めば、レイの肉体はユイの形質を真似るために遺伝子構造上の役割を変えねばならん」
 一つのDNAで良かったものが、二つを同時に使わなければならなくなる。
 それでなくては人間を真似られないからだ。
 さらにはコピーをくり返す事で魂と肉体の劣化も招いている。
「それほどの負担に、レイが耐えられると思っていたのかね?」
「答えは…、そう、一つしか無いと言う事だね?」
「アダムより作られしものはエヴァ、だがリリスもまたアダムより生まれし存在だ」
 内側から吹く風にレイの髪が揺れる。
 碇君…
 帰って来た命の力に体が震える。
 カヲルの首に手をかけて持ち上げるレイ。
 そして右手が抜き手に引かれる。
 シンジが死んでしまった。
 約束を守るために、命をかけてカヲルの予備を倒してくれた。
 それはレイの中での真実だ。
 だからレイは、一偏たりともカヲルに対して感情を持とうとはしなかった。
「さよなら」
 冷たく言い放ち、その手で無防備なカヲルの胸を貫いた。



続く






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