「ユイ、長き時の果てに見た君の夢がいま叶おうとしている、もうすぐだよ、ユイ…」
ゲンドウはカヲルであったものの死骸を見下ろしながら呟いた。
「碇君」
一つの螺旋に一つの命を宿らせているレイは、返って来たもう一つの命に失っていたものを見いだした。
それは記憶の複製以上に大切なもの。
魂の欠けらが持つ、心の震え。
肉体に植え付けられていた記録が記憶となって定着していく。
碇君…
取るに足らない少年との絆の積み重ね。
再び手に戻した想い出が心を痺れさせる。
そう、やはり、そうなのね…
もう一つの命をシンジに渡していた。
それが変身後の生命維持に問題を発生させていた。
本来はなかったはずの三分と言う制約時間。
人としての魂だけでは、長くは変身していられないのだ。
それはシンジとは別の意味でのタイムリミットでもある。
二つのエネルギー源が相乗効果によって生み出すエネルギー。
だがそれも一つだけでは…
碇君…
喪失していたはずの命が返って来た。
内から力が満ちあふれて来る、しかしレイの心はそれとは逆に空虚さを感じていた。
うれしくは、ないのね…
もっと大きなものを無くしたような悲しみが、レイの四肢を弛緩させていた。
ウルトラマンエヴァ 第五話『冥道編』
そしてまた何も無いはずの空間に何か赤いものが漂っていた。
眠っている様にも見える、だがその正面、北天側には、平行に一人の女性が立っていた。
彼女はその巨人の顔を、険しい瞳で見つめていた。
「ここは…」
アスカは薄明るい光を感じて瞼を開いた。
「エヴァの世界よ?」
「ミサト?」
体を起こす、さらりと髪が肩を流れた。
「あたし、どうして…」
顔を押さえて頭を振る。
そんなアスカをミサトは見下ろした。
「シンジ君がね?、あなたに全てを返してくれたのよ」
「シンジが!?」
ぼけた頭が一瞬で覚醒した。
「シンジは!」
その体は何も身に纏ってはいなかったが、ミサトと同じように赤のボディペイントが施されている。
「それでシンジはどうしたのよ!」
「死んだわ…」
「死んだ!?」
「そうよ?、今度こそね…」
「そんな」
アスカは愕然とした。
「だってあいつ、あいつは…」
「可哀想な子…、あの子もこんな世界に生まれなければ…」
「そんなことはわかってるわよ!」
激しく吐き出す。
そう、アスカは知っていた、碇シンジと言う少年を知っていた。
あの日、とある整備工場が焼き払われた日。
シンジが死んだ仲間から目を背け、生き残った人達から捨てられた翌日。
シンジは一人でチェロを弾いていた。
「なにやってんのよ?」
アスカは喪章を付けている。
「…ごめん」
「…なにしてるのかって聞いてるのよ!」
護魔化しの言葉に苛立った。
「ほんと、友達甲斐の無い奴よね?、あんたってさ…」
「…そうだね」
「死んだ友達よりもチェロってわけ?」
「そうかもしれない」
「ちょっと!、適当に受け流してんじゃな…」
泣いてるの?
アスカは肩をつかもうとして…、その手を下ろした。
「…ごめん」
「なによ?」
「僕なんかが泣いちゃ迷惑だって分かってるんだ、だけど…」
「そんなこと…」
「惣流!」
「ムサシ?」
ムサシと呼ばれた浅黒い少年は、二人の前まで来るとシンジのことを鼻白んだ。
「死んだ奴らもいい迷惑だよな?」
「ちょっとあんた…」
「いいんだよ、こいつ、遺体の確認作業から逃げ出したくせに…、葬送曲を弾こうって楽隊に混ざろうとしやがったんだ」
「え?」
シンジを見る、が、逃げる様にシンジは背を向けた。
「追い出されたんだよな!、女々しいんだよ、肝心な時に逃げ出したくせに」
「…ごめん」
「あやまりゃ済むってのか?、マナなんて泣きながらケイタだった消し炭を抱えてたんだぞ!?」
「…もうやめなさいよ」
そう、その時にわかったのよ。
シンジは弱過ぎた。
逃げ場を見付ける事も出来ないほど弱かった。
要領も悪かったのよね?、それに運も無かったわ…
気分が悪くなったから動けなくなった、だから吐いた。
それを見たから、みなも同じように吐いていても、シンジだけは責めてもいいと言う風潮があったから…
だから今度も外された、シンジを疫病神とすれば、苛立ちのはけ口が手に入るから。
あたしは…
手を出せなかった。
そう、結局あたしも同じなのよ…
シンジに構っている余裕は無かった。
生き残るために戦わなければならないのだから。
復讐にはまだ遠いから。
潰れていくのなら、勝手に潰れてくれればいい。
そう、あたしの邪魔さえしなければ…、でも。
うわああああああ!
シンジは特攻をかけた。
アスカとレイを救うために。
あたし…
そう、あの時もだ。
シンジに正体を教える必要は無かったはずだ。
ほんとにあたし…
レイが何を言い出すのか?、分かっていたはずなのに遠ざけなかった。
あたしは…
そしてウルトラの力を手に入れ、シンジは変わろうとし始めた。
でもまたやっちゃった…
レイが死んだ事をシンジのせいにした。
だからシンジは…
「死んだのね」
アスカの目から涙がこぼれた。
それは深い悔恨からくるものだった。
それでもアスカは、シンジに同情も憐憫も哀れみも抱かず、そして悲しむ事すらしなかった…
ただシンジを救えなかった、それは生死だけではなく、シンジの魂、心と言う人の一番弱く、脆く、そして強い、根源の部分を救えなかった、変えられなかった、変わろうとしたシンジを踏みにじった。
その己の非力さに涙していた。
「レイ、泣いているのか?」
ゲンドウは人ではない姿のままで立ちすくむレイに呆気に取られた。
一つの支柱となって顔を仰向かせ、そのまま背に支えでも入れたかの様に佇んでいる。
「死にました」
「なに?」
ゆっくりと、精気の無い瞳をゲンドウに向ける。
「…碇君が、死にました」
だがゲンドウの表情は変わらない。
「そうか…」
ただ背を向けるのみだ。
「…時計の針は進み始めてしまったのだな?」
「はい…」
「そうか…」
なにか深く重苦しいものがゲンドウにのしかかる。
「行くぞ、レイ…、終わりは始まりへと繋がる、あれは既にシンジの手にあるのだからな…」
だがレイは腰を抜かしてへたり込み、その場で顔を被って泣き始めた。
静かに、こもるように、押し殺して。
キィイイイイイン…
アスカは不思議な音に顔を上げた。
「…ミサト?」
目の前に小さな赤い玉がある。
「なにかしら?」
「これは?」
そっと手で、すくい取るように玉を閉じ込める。
その珠玉からは金色の光の粒子が、上に向かって柱を作るように流出していた。
「全ての根源、アダム…」
「アダム!?、これが!」
その玉は光の粒子の放出に伴って、ほんのわずかずつ小さくなっていた。
「あ、だめこれ!、消えちゃう!」
「そう…、それが最後なの」
「最後って何よ!?」
「シンジ君の最後の希望」
「シンジの!?」
「そうよ?」
だが希望と言うわりには、ミサトの顔は絶望色に塗り込められている。
「何故わたし達の姿が人に似ているか分かる?」
「そんなの知らないわよ!」
アスカは球の消失の方に気が行っていた。
しかしミサトはそれを承知で話を続ける。
「…地球人類がどうして元々持っていたはずのわたし達と同じ力を捨ててしまったのか?、それはもう分からない事だわ」
「地球人とあたしたちの祖先が!?」
「そう…、元々わたし達は同じ所から生まれたヒトなのよ」
ミサトはショックな話を続ける。
「宇宙怪獣にも対抗できないひ弱な肉体、わたし達に比べると遥かに寿命も短いわ?、でもそれでもこの星の人達はそれを選択した」
「選択?、なにをよ!」
そんなの知らないわよ!
アスカは今まで別の星で生まれた宇宙人であると思っていた。
またそれで良かったのだ、その力の真理に触れる必要も無かった。
それでも使うことは出来たのだから、でも…
今更!
この星に居るのは、アスカ達の兄弟達だと言う。
「彼らは遥かに貪欲な、自分を強くする生き方を選択したのよ…、それこそ魂が離れられなくなるほどに、縮んで小さくなるぐらいに」
他人に魂を譲れなくなってしまうほどに。
「AT…、フィールド!?」
「そう、だからシンジ君の張るATフィールドは強かったのよ、それは魂の形質の差、力ではないの、地球人が勝ち得た心の堅さが、実際に障壁に出来る能力を手に入れて開花した」
「それがシンジだったってわけ!?」
「でももう終わりね?」
ミサトの冷めた声と悲しげな目線にハッとした。
「シンジ!」
もう玉が消えてしまいそうになっている。
「なんで!、どうしてよ!?」
「あなたを助けたから…」
「助けた!?、どうやって!」
「あなた達から借り受けた魂を返したのよ」
あのバカ!
だがそのためには自らの殻を壊すしか無かった。
シンジにはアスカ達のように、魂を遊離させることはできなかったから。
「エヴァ達は!」
「全てシンジ君が倒したわ?」
アスカは本気で罵りたくなった。
ただ死んだだけならいい、だが…
これじゃあ!、貸しだけ残されたって…
やり切れなくなる。
「もう、だめなの?」
アスカは縋るように呟いた。
「…いいえ、まだ間に合うわ?」
「ほんと!」
「ええ…」
でも、とミサトは遠くを見る。
「あなた一人では…」
アスカも叫んだが、愕然とした。
レイはもう死んでしまったはずなのだから。
「あ、あっ、あ!」
とうとう玉自体が球形からいがみ始めた。
「そんな!」
「人の魂はそれほどまでに消費されていく物なのよ…」
「物だなんて言わないで!」
シンジ、レイ、そして母親。
皆命を賭けたのだ。
物なんかじゃない…
でなければこの心苦しさは説明できない。
「物なんかじゃ…」
アスカの手の中で、それは遂に果てようとしていた。
金色のまどろみの中で前髪が揺れる。
まつげが小刻みに揺れ、やがてその瞳は開かれた。
「…ここは」
「ここはガフの扉の向こう、全ての生命の源の海だよ」
「君は…」
「カヲル、渚カヲル…、ああ、でももう意味は無くなる」
「どうして?」
「これが僕の終わりだからだよ、それにこの世界の意味でもある」
「どういう事さ?」
少年の影がぼやけていく。
「ATフィールドを無くしてしまったからね?、自分を失ってしまうんだ」
「そんな…」
「自分と他人との境目がなくなる、どこまでも自分だけで、どこにも自分の居ない状態になるだけだよ」
「じゃあ、カヲル君は?」
微笑みも口元だけを残して消える。
「全てと一つになれる、全てが一つなんだ、他は無いんだよ…、それはとても甘い死の世界さ…」
「僕は、死んだのか」
シンジは消えていったカヲルにそう感じた。
「赤木君、エヴァンゲリオンを起動させたまえ」
「エヴァを!?」
発令所に入ってすぐの言葉に、赤木リツコは身構えてしまった。
「しかしそれは!」
「時間が無い、唯一の適格者は既にその段階に突入している」
「シンジ君が!」
「そうだ」
司令席に着く。
先輩?
赤木さん?
誰もが戸惑いの中で苦悩を張り付かせたまま動かなくなったリツコに注視していた。
「急げ」
「わかり、ました…」
ようやく時が動き出す。
「マヤ、ターミナルドグマを解放して」
「ター!?、先輩!」
「急いで!」
「…はい」
躊躇している時間も無い。
何が起こるのか?、皆そのことに脳が傾き始めた時、オペレーターの一人が驚きの声を上げた。
「ウルトラマンエヴァ!?」
「そうだ」
正面モニターに映し出される紫色の怪物。
それはシンジの変身した姿と全く同じ装甲を着けたエヴァだった。
ただし装甲はやや分厚くなっていたし、また何かの機械によって拘束されていた。
「これが人類の希望か?」
揶揄する冬月。
「そうだ、これこそがユイの残してくれた希望そのものだよ」
汎用人型決戦兵器エヴァンゲリオン。
人、人類が無くしてしまった姿の代わりとするために生み出した究極の鎧がそこにあった。
シンジは夢を見ていた。
ぎくしゃくとする家。
幾ら適性があったとしても、その内臓は女の子のままである。
綾波…
シンジはレイの事を心配していたが、その目に宿っているのは卑屈な光だけだった。
だって僕が心配するなんて、そんなの…
葬儀にも参列させてもらえなかった。
死者への冒涜だと、シンジはその様な位置に立たされてしまったのだから。
違う、そうなったのは僕が情けないからで…
でも誰も助けてくれない事も真実であった。
そう、綾波も…
助けてくれなかった。
助けてくれようとしなかった。
だってしょうがないじゃないか!
求めなかったのは自分だった。
だって…、しょうがなかったんだよ。
そうやって逃げるのね?
声が聞こえた。
逃げちゃいけないのかよ?
シンジは反発した。
恐かったのね?、わたしが…
違う、嫌われてるのがわかってたから!
だから逃げたの?
そうだよ。
それだけなの?
そうだよ、他に何があるんだよ!
シンジは激昂した。
僕は綾波に嫌われてたんだよ!
でも、わたしは碇君に避けられていると感じていた。
冷水。
レイの一言はそれだった。
一瞬でシンジの心の熱も冷めてしまう。
そう、そうだったかもしれない…
シンジは自分の態度を思い返した。
バカだよね?、みんな僕が悪かったんだ。
いいえ、わたしが踏み出さなかっただけ。
僕は僕が情けないから嫌われてると思ってた。
わたしはわたしが碇君の存在を脅かしているから嫌われていると思っていた。
でも違うんだ。
でも違ったのね…
僕は、綾波が…、あの綾波が、人間じゃないようで、恐くて、それをずっと引きずってたんだ。
わたしは、碇君を騙し、心を塞ぎ、嘘の自分、人である自分を演じていた。
嘘の綾波。
嘘の姿。
それを知っていたから、恐かったんだと思う。
いいえ、あなたが怖れていたのは嘘を吐いているわたし…、本当の姿を教えなかった、嘘に満ち満ちていたわたしと言う存在によ。
だからその正体を知った時、ショックではあっても受け入れられた。
恐かったんだ、綾波が…
わたしが碇君を傷つける。
綾波は僕に嘘を吐いてる。
わたしはあなたに隠し事をしている…
だから信じられなかったんだ。
あなたはそれを感じていたのね…
知っていたんだ、忘れていたけど…
でも、だからあなたは恐かった。
真実が恐かったんだ。
本当のことが知れた時、それは裏切りが明白なる時だから…
知りたくなかったんだと思う、騙されてたなんて…
優しい嘘で包んでいてもらいたかったのね…
でももういいんだ。
いいの?
幸せが何処にあるのかなんてわからないんだ、わからなかったし、でも僕にはそんなものを探すだけの勇気もない。
だから?
綾波に必要なのはこの力とアスカだね?、それに人にも…、生きていくための時間が必要だ。
でも、あなたはどうするの?
「ばかシンジぃ…」
アスカは右手をギュッと握り締めた。
その中の玉はもうなくなっている。
ただ淡い光が立ち上っていた、指のすき間から。
「シンジぃ…」
右手首を左手で押さえている、俯いた唇は白い歯を覗かせていた。
余りにも強く噛み締められて…
ボタボタと涙が落ちている。
また何もできなかった…、なにも、なにも!
母の時も、レイの時も、そしてこのシンジにも…
言うんじゃなかった!
シンジを責めて飛び出して来た。
シンジのせいじゃないのに!
言わずにはいられなかった。
「可哀想な子ね…」
「ばかシンジのくせにぃ!」
「違うわ…、あなたのことよ」
「え?」
涙にくしゃくしゃになった顔を上げる。
「なんで…」
「シンジ君は優しくしてもらえる事を純粋に喜んで…、それを求めることに夢中で、だからこそ失う事を怖れて、レイのことを本当に悔やんで、だからあなたを救ったというのに…」
「だからなによ!」
いいえとミサトは横へ首を振る。
「あなたは結局、自分だけなのね?」
「なによそれは!」
「シンジ君のことはどうでもいいのね…」
「そんなこと言ってないじゃない!」
「本当にあなたのことが好きだったから…、あなたの望み、願いが失われてしまわないように…」
「やめて!」
「レイも…、そしてあなたのお母さんも、なのに…」
「やめて、お願い、やめてよ!」
「…だけどこれが運命だというのなら」
「ミサト?」
「あなたは、彼に何を望むの?」
「何を言って…」
アスカはハッとしたように地球へ振り返った。
「うそ!?」
力を感じる、懐かしい波動を。
フォオオオオオオオオオ!
そしてまた、見失ってしまったはずのものを感じてしまった。
本部地下、シェルターよりも遥かに深い場所にその施設はあった。
真下にありながら本部とは繋がっていないそこは、マントル層をかすめるような位置に作られていた。
外郭は不明、そして中の各施設についても不明であるが、エヴァンゲリオンの映されたそこだけははっきりとしていた。
巨人のための整備製造庫。
巨人は首を前へと折っていた、その首根の後ろには筒のようなものが差し込まれようとしていた。
ウルトラマンエヴァの様な宇宙人ではない。
全てが人工の生物であり、半機械生命体でもあった。
『エントリープラグ挿入…』
スピーカーからマヤの声がぼやけて響く。
シュイン…
まるで吸い込まれるようにプラグが吸い込まれていった。
『エヴァンゲリオン、フェイズ2へ移行します』
だが見た目には何も起こらない。
胸元を隠すようにかけられている橋に少女が姿を見せて歩く。
レイだ、人間に戻り、ネルフの制服に身を包んでいる。
「碇君」
呟きと同時に反応があった。
エヴァンゲリオンの瞳が輝き、その口元のジョイントが外れる。
フォオオオオオオオオオ!
そして雄叫びがこだました。
続く
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