(ここは?)
(エヴァの中だよ)
(エヴァ?、ミサトさんは?、アスカは?、綾波は…)
(ここにはいない)
(そっか、そうだよね、僕は元々ウルトラマンなんかじゃないんだから)
(そうじゃないよ)
(違うの?)
 世界が明るくなる。
(君は、僕?)
 シンジの前で微笑んでいるのは、確かにシンジ、そのものだった。


ウルトラマンエヴァ 第六話『邂逅編』


 ミサト、アスカ、この世界のユイ。
 個々が違う世界観を持っていた。
 元は一つの祖から始まった人類。
 襲来する怪獣と使徒。
 だがその全ての真実を、この男は知っていた。
「ユイ…」
 ォオオオオオオオオ!
 今だ雄叫びを上げる『初号機』に、ゲンドウはモニターごしの熱い視線を送っていた。
(あの時…)
 その脳裏に過っているのは、あの世界の終末の後の再会であった。


「その報いがこの有り様か、すまなかったな、シンジ…」
 確かに魂を食い千切られたはずだった。
 己と言う存在が無に帰す事も出来ずに砕かれていく激痛の果てに、彼は流れ込むような慟哭によって繋ぎ合わされていくのを感じた。
「…ここは」
「あら、もうお目覚めですか?」
 ナオコ!?
 ゲンドウは隣で眠っていた女性に内心で驚きを表した。
 表に出さなかったのはさすがと言えるだろう。
「今日はお仕事、お休みなんでしょう?、少しはゆっくりなさって下さいね」
「ああ…」
 適当に調子を合わせ確かめる。
 感じが堅いのは、研究所時代のナオコだからだろう。
 では、自分はどうだというのか?
 鏡を覗けば、やはり若い。
 ユイは?
 しかしこの世界に、ユイの影は見られなかった。


「エヴァ…」
 ナオコと共に向かったジオフロント地下施設。
 そこに繋がれていた巨大な巨人の化石。
 そして…
「所長、大変ですっ!」
 それまでどの様なコンタクトにも決して反応を見せなかった存在があった。
 セントラルドグマの最下層。
 オレンジ色の海。
 中央に傾いた十字架。
 そして…
「レイ…」
 ゲンドウは呻いた。
 白のみで構成された少女が頭の上で手のひらを重ね、楔によって縫い止められていた。
 赤い十字架にぶら下げられた女、その体には片翼六枚、合計十二枚の翼が生えており、それはまるで少女と、少女の下腹部正面に浮かんでゆっくりと回転している黒い球体を守るように折り曲げられていた。
「レイ、なのか」
 顔の片側は仮面によって隠されている。
 ナオコと数人の職員がゲンドウに驚きの目を向けた。
 つい昨日まで自分達と同じように、彼女が何者なのかを追及していたはずだと言うのに、突然彼女のことを思い出したように口走ったからだ。
「…なぜ、ここにいる」
『それが、碇君の望みだから』
「なに?」
 黒い球体が透け出した。
 その中にまだ人型に届かない赤子が眠っていた。
「シンジ、なのか?」
 レイはコクンと頷く。
「ここは…」
『あなたを知る、あなたの知らない世界…』
「俺になにを望んだ」
 これまで眠り続けていた少女と、謎の探求に同じ情熱を傾けて来た男性が、訳知りの状態で対等に会話をかわしている。
 誰もがその内容に耳を傾けていた。




「だがそれも空しい夢となりつつある」
 サードインパクト。
 アダムの使徒とリリスの子等との戦いは、シンジとアスカによって決着が付けられた。
 様々な進化を辿り渚カヲルを経てコピーであるエヴァ達、正しくは分体としてのダミープラグに行き着いたアダム。
 と同時に人為的に進化を促進され綾波レイに、彼女が失った零号機と同じものに乗っていた碇シンジに辿り着いたリリス。
 魂を複数に分けていた十八番目の使徒、人類は、碇シンジと言う十九番目の使徒へと統合された。
 心の飽和した、完全な人間の誕生である。
 そして傍らに転がるもう一人の人間。
 アスカ。
 アダムのコピーに乗り、十九番目のアダムとして選択された肉体。
 リリスの本能に従い、絞殺を計るシンジ。
 人類は確かに勝利した。
 とても空しい世界の果てで。
「またくり返されるというのか」
 この世界でも似たような驚異が訪れようとしていた。
「そのためのエヴァだというのか」
 戒めからレイは抜け出し、ゲンドウの前に舞い降りた。
『…あなたは、何を望むの?』
 レイはシンジを抱きしめ、包容する。
「…もう一度、くり返せというのか?」
『それがあなたの…、碇君の最後の願いだったもの』
 食い千切られる瞬間の交錯。
 謝罪と、激情。
 共通したのは今更と言う思い。
「そうか…」
 顔を伏せる。
 この数日で身についてきていた穏やかなものが凍り付く。
 あの表情と、目つきに戻る。
 眼鏡を持ち上げ、右手を球に当てる。
『ん…』
 艶のある声が漏れた。
 黒い球体が、ゆっくりとレイの腹部、子宮へと押され、沈んでいく。
『ぁあ…』
 ぽこりと妊婦のように腹を膨らませ、レイは身悶えた。
 球体を押し込んだゲンドウの手は、妊婦のように膨れ上がったレイの下腹部を優しく撫でた。
 全身を駆け巡る痺れにも似た快感にのけぞっていたレイであったが、ゆっくりとゲンドウの手の動きに合わせて体を折り曲げ始めた。
 はらりと…
 背中の翼が切れ落ちていく。
 白い肌に朱がさし、それは肌色に落ちついていく。
 翼が無くなる度に、髪が淡く色付き始める。
 その場にペタンと座り込む、ゲンドウは冷ややかにその少女、いや、女性を見下ろした。
「…では行くぞ、レイ、いや」
 言い正す。
「ユイ」
「はい」
 こうして、再び時は動き始めた。
 誰も知らない、この世界に流れていた歴史に交わるように。
 別の時が刻まれ始めた。
 それは西暦二千一年、六月の六日の出来事であった。


(宇宙人?、ふっ、あれがこの世界のでのエヴァの役割と言う事か…)
 世界が例え違っていても、対になる存在があるはずなのだから。
「待て、待ってくれユイ!」
「亜高速航行艇、そんなものを地上で使わなければ、我々は怪獣に近付くことすらできんのか」
「あの子に、未来を残してあげたいんです」
「ユイ!」
(わたしを、シンジを一人にするつもりか?)
 そして一人目のレイが砕けた。
「N爆弾を使用する」
「しかし桜花の整備がまだ!」
「僕が桜花で出ます!」
(やはり俺とシンジは変わらんというわけか?)
 シンジは父ではなく、母の後ばかりを追いかけていく。
 恨まれても嫌われても、それでも堪え抜く必要があるのだろう。
 あちらの世界でユイの願いを引き継いだように、こちらではレイの望みを引き受けてしまったのだから。
「勝ったな」
「いや…」
(あれが使徒に相当する存在であるのなら、あの程度で倒せるわけは無かろう…)
 シンジ、今日からお前の妹になる。
 何をしている?
 恐ろしいのか?
 お前の母であり、女である存在が。
 そうか。
 俺と同じだな。
 絶望の淵で女性と言う希望に縋り付こうとしていた男であったが、女は独り立ちしろと突き放すだけの存在だったのだ。
(甘えたいだけの、情けない男か)
「爆心地にエネルギー反応!」
「宇宙怪獣を確認!」
「レイ、アスカも無事です、生きてます」
「ああ!」
「あれは!?」
「宇宙人かね?」
「いや…、シンジだ」
(そう、シンジでなければならん、そのための役割だろう、しかしレイ、そのためにシンジを生んだわけではあるまい)
 ただ怪獣を倒すだけと言うのであれば、地下の初号機を使えばすむ事なのだ。
 それを封印してまで、最初のレイは死んでしまった。
「シンジ君が目を覚ましました、後遺症はないそうです」
「そうか…」
「質問は一つだ、君達は、これからもネルフの一員として戦ってくれるのかね?」
(ネルフ?、彼女達が求めているのは居場所に過ぎんだろう)
 それもシンジの側であると思ってしまうのは嫉妬だろうか?
「あなたは碇君を傷つけるもの…」
「なんですってぇ!?、あいつがいつまでも、うじうじうじうじやってるからじゃないの!」
「碇君は…」
「レイ」
「なんですか?、司令」
「…すまなかったな?」
(すまない、この言葉の意味をこのレイはどの程度理解するのか…)
 今のレイは二人目のレイなのだから。
(全ては心の中、か、それは今でも、いや…、理解者が居ないだけでこれ程に辛いものだとはな?、冬月、赤木君…)
 向こうの世界では仲間としての理解者が居た、だがこの世界では完全に一人なのだ。
 誰にも話せない事がこれ程辛いとは、だからこそ以前は共犯者を求めていたのだと気がついた。


「シンジ…」
「はい」
「お前が初号機に乗るのだ」
(人には役割というものがある、わたしが以前の世界での役を引き継いでいるように…)
 だがそれ以上に、自分が人の心を思いやる事を覚えなければならないように、息子にも「戦うこと」を教えなければいけないと感じていた。
「シンジ」
「はい」
「後でわたしの部屋に来い、渡す物がある」
 シンジの脅えた感じに苦笑が浮かぶ。
(それ程にわたしが恐ろしいか?、当然だな、やはり俺には父親になれる素養はないようだよ、ユイ…)
 手の内で弄ぶのは赤い玉だ。
「これだ…」
「これって?」
(コアにS機関を閉じ込めてある、ユイの願いの映し絵であるレイ、そのレイの望みだ、…やはりわたしは羨ましいのかもしれん、レイの、ユイの期待を常に受け続けて来たシンジの事が)
 多少手放す事に抵抗を感じてしまうゲンドウであった。


 宇宙人の遺伝子の組み込みを行われた碇ユイ。
 その結果生み出された碇シンジ。
(全ては嘘だ)
 碇ユイは死亡した、最初の怪獣へ亜高速艇の実験機を大気圏内で使い、突撃すると言う暴挙に出て。
(組み込み実験の産物としてレイと、シンジの位置を定めたが)
 光の翼を広げる巨人。
 圧倒的な力で剣を振るい、使徒を滅ぼす。
(余裕の無さが非人道的な行為を許容する、よくそのような話が信じられたものだ…)
 冬月達には、そう説明していた。


「レイ!」
(やはりお前はシンジのために命をかけるのか…)
 二人目のレイの死は、向こう側での二人目と酷似していた。
 ユイも、レイも、元は同じであるからこそか?、ゲンドウをいつも置いていく。
(辛いのだな、わたしも)
 人の感情を心で知る。
「…予備が壊れた、行くぞ、レイ、お前はこのために作られたのだからな?」
(そう、予備だ…、綾波レイは死んではならんのだ、わたしの、シンジの導き手として有り続けねばならんのだからな?)
 壊れていく心があったことにも驚いていた。


 そして彼らが降臨する。
「なぜ、ここに居る」
(フィフス…、やはり委員会に相当する存在が居ると言う事か)
 それはゲンドウがずっと抱いていた懸念であった。
 ネルフがあると言うのに、老人の影がない。
 潜在的な落ち着か無さを抱えていた。
「それは彼に会いに来たからですよ」
「アダム…」
「そう、最初の超神に」
(使徒は単体で繁殖できん、そのためのアダムか)
 大切なのは遺伝子の後継であって生殖行為ではない。
「アダムは」
「ここにはない」
(そう、そのようなものはここにはないのだ、あるとすれば)
 地下の初号機。
 恐らくそれに引かれているのだろうと推察する。
「人は人として生きていくためになにかにすがる、そうじゃないのかい?」
「神か?、偶像にすがった所で何の意味がある…」
「あなたは祈る事が無かったのかい?」
「わたしはわたしの願いを叶えるために生きている」
(そう願いを叶えるために、すまなかったと詫びたあの瞬間の想いを、ユイに諭され、なお愚かなままでは、それこそ呆れられるだろうからな?)
 ゲンドウの正面に現われる金色の壁。
「…君はなぜウルトラマンエヴァが人の姿を、人と同じ遺伝子を持っているのか、考えた事があるのかね?」
「…この星が」
「DNAは二重の螺旋を描く、何故に流れは二つ存在する?」
「切り換え…」
「人はその二つを統合した存在なのだよ」
(アダム、そしてリリス…、二つの生き物が共に生きる道を選択した、そういうことだろう?、ユイ)
 人は人なのだ、人が使徒のままでは、この世界もあの世界と同様の終わりを迎えるだろう。
 すれ違いと不理解によって。
「レイにユイの遺伝子形質を埋め込めば、レイの肉体はユイの形質を真似るために遺伝子構造上の役割を変えねばならん」
「答えは…、そう、一つしか無いと言う事だね?」
「アダムより作られしものはエヴァ、だがリリスもまたアダムより生まれし存在だ」
(そう、アダム…、唯一にして絶対足る者、初号機)
 初号機はアダムそのものではないのだが、本質が同じである以上、同じ雰囲気を発しているはずだ。
「ユイ、長き時の果てに見た君の夢がいま叶おうとしている…」
(だがそのためにまたもシンジを必要とするのか…、あれの心はわたしほど堅くは無い)
 むしろ脆い。
「レイ、泣いているのか?」
「…碇君が、死にました」
「…時計の針は進み始めてしまったのだな?」
(全てを始まりの時へと戻すことはできん、だがシンジには未来を残さねばならんのだ、シンジに未来を残したいと、君はこの世界でも願っていたのだからな?)
「赤木君、エヴァンゲリオンを起動させたまえ」
「エヴァを!?」
「時間が無い、唯一の適格者は既にその段階に突入している」
 命令を下しながら、やはりこうなっていくのだなと強く疲労を感じていた。
(恐らく俺とシンジの時間が交わることは永遠に無いのだろう…、だがユイ、君の願いだけは果たそう、そのためだけに生きよう、…以前よりは多少なりともまともに生きていけるだろうからな?)
 同じ役割であっても心構え一つでその内実は代わっていくはずだから。
(わたしが唯一学んだ事があるとすればそれなのだろうな…)
 人の心は信じる以外に無いのだから。
 お互いに信じ合うからこそ、虚構ではあっても裏切りを怖れてむしろより強く繋がろうとしていくのだから。
「ウルトラマンエヴァ!?」
「そうだ」
「これが人類の希望か?」
(そう、希望だ、複数の世界を渡る力を宿した初号機は、まさに神そのものだろう、どの様な世界も作り替え、導くことができるのだからな?)
 絆でもある、自分が確かに、多くの期待を引き継いだ存在だと言う事への。
「そうだ、これこそがユイの残してくれた希望そのものだよ」
(そしてシンジは使徒としての人間の限界、群体としての心の壁を越える力を身に付けた、それは十九番目に相当する力だろう、人は他人との隔たりを持ったままで分かり合うための術も手に入れた)
 それがミサト、レイ、アスカと心を通わせた、シンジの力の正体であった。


 地下からの咆哮が発令所をも震わせる。
「地震!?」
「いいえっ、地下から巨大な反応が噴き出しています!」
「まさかっ、エヴァンゲリオン!?」
(真実は人の数だけ存在している、しかしこれほど滑稽なものはないのだろうな)
「どうした、碇?」
「いや…」
 いつもと違い、あおり気味に背もたれにもたれ、瞼を閉じる。
(事実と真実は違う、この世界には彼らが納得するための事実が必要だ、…それが例え真実では無かろうとも)
「時間なのだな…、と思っただけだ」
「そうだな」
 二人が差す「時間」についても、やはりその意味にずれがある。
「エヴァンゲリオン、格納庫を破壊!、マントル層に潜り込みます!」
「確認不可能!、追尾できません」
「施設崩壊します、微震来ます、備えて下さい!」
 ズズズズズ…、と低い震動が本部を縦に揺らした。
「これが始まりなのだな?、レイ…」
 ゲンドウはもう、レイとユイを混同したりはしなかった。



続く






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