新居と言うには慎ましい。
碇一家は小学校に程近いマンションの一室を借りることにした、極一般的な2LDK、子供が小さいからだろう、居間は四人で寝ても十分広く感じられた。
早朝、六時。
「ん…」
むくりと起き上がる影があった、寝起きでふっくらと髪が膨らんでしまっている。
朝日というには薄い光でも赤く透けてしまっていた、彼女はもぞもぞと布団の中に手を入れると、ぺたぺたと布団を触り始めた。
「まずいわね…」
アスカだった。
うらにわには二機エヴァがいる!
第拾七話「混迷導く適格者」
「この子は!」
びえええー!、っと泣き声が上がる、バシンと言う音にシンジは首をすくめた。
「か、母さん、もうその辺で…」
「だめです!」
もう一発!、アスカはユイの膝の上に寝かされていた、パンツを膝まで下げられて。
「シンジも!、怒る時はちゃんと怒る!、甘やかしてばかりじゃ子供はしっかり育たないのよ!」
(育てた事があるみたいにさぁ)
ちょっとジト目。
ユイが引いた隙にアスカは赤いお尻を隠しながら逃げ出した。
「ママはあたしが本当の子供じゃないから怒るのよ!」
お尻が痛いのだろう、電柱によりかかったまま動けない。
「もう嫌!、どうしてあの人、怒ってばっかりなの!?」
「叱っているのよ」
肩越しに睨む。
「あんた、ママの味方ね?」
「…悪いのは、あなたでしょう?」
「もういいわよ!」
(告げ口したくせに!)
再び適当に道を歩く、よたよたと。
そうなのだ、アスカはおねしょをしてしまった。
しかし問題はそこからだった。
『まずいわね?』
焦ったアスカは熟睡しているシンジとレイに目をつけたのだ。
『あたしって、てんさぁい!』
寝ている場所を入れ替えようとした。
『なに…、してるの?』
ぎくーっと振り返る。
むくりと起き上がっていたのは…、レイだった。
「まだわからないの!?」
ネルフ本部は保安部、諜報部を動員しての大騒ぎとなっていた。
「第三新東京市を中心に洗っていますが…、こりゃあ近辺の潜伏はありませんねぇ」
答えたのは日向だ。
ネルフの刀が二刀とも抜かれている、それでもゲンドウの居所は掴めていない。
「やはりレリエルの位相空間内では?」
「…こちらのレリエルはどれも安定性を高めて、子供が落ちたりしないようになっているわ?」
レリエルは虚数空間への入り口の大きさに比例して制御が難しくなり、安定性を失う。
物質の廃棄には使われても、移動に用いることは出来ない。
「それを碇元司令…、いえ?、リツコは自在に操れるように改造したの?」
「それはないでしょう、むしろ…」
「司令の力が…、それだけ大きいって事か」
苛立ちが隠し切れない。
「何がそこまでの力を持たせたというの?」
「シンジ君に対する復讐心じゃないですかねぇ?」
「もうっ、加持の馬鹿はなにやってるのよ!」
「畑でしょう?、冬月司令と一緒に農作業ですよ」
「馬鹿亭主が…、こんな時だけ日和見やがって」
第三新東京市郊外にある農業プラント。
「トマトはいい、完熟するのが目に分かる」
「確かにスイカは見た目では分かりませんからね?」
「碇と同じだよ、ほんの少し目を離した隙に熟れてしまう、あるいは割れて虫に食われているものだ、それで、どうだったかね?」
麦わら帽子に作業ズボン、首からタオルを下げてる二人。
「やはり保管してあった例のサンプルが強奪されていました」
「Kか…」
それは先日の碇ゲンドウによる襲撃事件の被害である。
「シンジ君にはショックだと思って隠していたのが仇になりましたね?」
「できれば知らせたく無かったのだが…、そうも言ってられんようになったな?」
「やはり彼に」
「今や『使徒』に対抗できるのは彼だけだよ」
「ですね、では」
「ああ、加持君」
ほれ、と、そっぽを向いたまま伸ばされる手に戸惑う。
「何か忘れてやせんかね?」
「あ、ああ」
慌てて懐から膨れた封筒を取り出す加持。
「謝礼はいつもの所に」
「わかっているよ」
ニタリと笑って中身を確認。
「あの頃と変わらんなぁ、君は」
封筒の中の写真は…、推して知るべし。
「まったくもう、アスカ、どこ行っちゃったんだろ?」
レイが追いかけて行ったからと安心してはいるのだが、二人ともエヴァを連れて行かなかった事が心配だった。
「でも探してどうするんだ?、おねしょの話でもするのか…」
ちょっと恥ずかしくなった。
(僕も小学校の高学年までしてたもんなぁ…)
余り楽しい想い出ではない。
(あの頃は…)
『まあまあ、シンジ君ったらしょうがないわねぇ』
預けられていた家で、冷たい目で見られていた。
(顔は笑ってたけどさ…)
怒られない分だけ居心地が悪かった、目が『冗談ではない』『いい加減にしろ』と笑っていなかったからだ。
「はぁ…」
しかしアスカは、レイも本当の子供ではない。
性格に強い影響を与える事には抵抗があった。
もちろんそうしてもいいのかもしれない、しかしそれ以上に…
(僕は…、あの二人に会いたいんだ)
道の真ん中で立ち止まり、拳を握り締める。
思い出すのはサードインパクト直後の光景だった。
赤く黄色く光る湖。
もう一度会いたいと望んだ自分、やり直したいと言う思い。
(僕の我が侭なんだよなぁ…)
できるなら『あの二人』に逢いたいのだ、もう一度。
だが二人を育てている内に沸いてしまった感情があった。
『このまますくすくと育ってくれたら…』
(でも)
自分が良いと思う、都合の良い性格を与えてしまっていいのだろうか?
帰って来た二人が別人になってしまいはしないだろうか?
ユイが言っていた、二人は以前の年齢に体が追い付いた時に帰って来るのだと。
「その時、僕は…」
顔を上げる、足も動かす。
と、歌が聞こえた、懐かしい歌が。
その歌声は…、続く言葉も、色あせることなく記憶していた音色だった。
「歌はいいねぇ、歌は心を潤してくれる、リリンの…、と、君には一度伝えたね?」
そんな、まさかと言う想いで振り返る。
「カヲル、君…」
「やあ」
思ったよりもずっと側に居た、すいっと抱き上げられる、カヲルは自分の倍ほども背丈があった、あの時の姿、そのままだった。
「カヲル君!」
間近に見る顔に、シンジは感極まってしがみついた。
「カヲル君、僕、僕!」
「シンジ君…」
ぽんぽんとあやすようにカヲルはシンジの背中を叩いた。
「で、でもどうして…」
シンジは照れながら体を離した、目元が涙で赤く腫れてしまっている。
「使徒は共存の道を選んだ、今や人と使徒は同一の存在だからね?、でも僕は一人だ、一人は辛いということさ」
「なにを…、何を言っているのか分からないよ、カヲル君…」
不安が顔に現われる、カヲルも笑いを潜めてしまう。
「伝言だよ、あの人からのね?」
「あの人って…」
「わたしだ」
その声に身を固くする。
「とう、さん…」
カヲルの向こうに見付けてしまった。
とても不吉で禍々しかった。
「くっ!」
身をよじってカヲルの腕から抜け出し、身構える。
「カヲル君、どうして!」
「あの人が僕を蘇らせたからだよ」
瞬間で『ネルフ総司令』の碇シンジへと変貌していた、逞しく凛々しい姿にカヲルは笑みを浮かべた。
「僕は作られた存在なのさ、元々ね?、新世紀、この世界が形作られる以前から存在していた、融合、統合された新しい生き物達、その魂は同質なんだ、形は違っていても」
はっとする。
「じゃあ…、じゃあ!」
「そう言う事だよ」
補完は成ったのだ。
使徒、あるいは人類、全ての生き物達は同じ魂を得た。
使徒達は魂の形質の違いゆえに、たった一種のみを残すべく争いあった。
結果、アダムもリリスも、その子供達であるリリンも無い。
一つの魂から、扉から生物は生まれ直したのだ。
この世界へと。
「でも僕は違うのさ」
「カヲル君…」
悲しくなる、となればカヲルは以前の、第十七使徒としての魂を受け継いだままと言う事になる。
真の人類となった自分達よりも旧い存在なのだ。
「僕の魂は君達と混じわる事は無い、永遠にね?、絶対の死、望んだものは得られなかったんだよ」
「…父さんが」
「そうだ」
LCLに浸され、カヲルは保存されていた。
綾波レイのパーツのように。
「気が付かなかったのか?、なぜアダムが、リリスが、そしてタブリスがバグとして現われぬのか」
「父さん!」
シンジの怒りに反応して、道路が酷く波打った。
アスファルトがめくれ上がって、ついには吹き飛ぶ。
「初号か」
「シンクロアップ、エヴァンゲリオン!」
シンジの体が急激に成長する、それに合わせて衣類が千切れる。
「両性具有…、いや、無性と言う事かい?」
カヲルは楽しげに笑った。
「初めに生まれしもの、やはり僕達は殺し合う運命にあるのか」
『カヲル君!』
エヴァを纏って襲いかかる、だが。
「あるいは、…これを前世の因縁と言うのかもしれないねぇ」
『くっ!』
赤い境界が立ちはだかる。
「心の壁…、言ったろう?、僕は一人だからね?、この世界との隔たりは大きいのさ」
『うわああああああ!』
力任せに黄金の壁を掻きむしる。
他の使徒のような奇麗な壁ではない、赤い壁だった、それも粒子がちりぢりに千切れて消えていく。
世界から弾かれるのを抗っている様な光であった。
『くそぉおおおおおおお!』
「満たされた君は僕の敵ではない、と言うことさ」
(ATフィールドを破れない!)
「おいで?、リリンの分身、そしてアダムの僕…」
『まさか!?』
小さな地震が足元を揺るがした。
『弐号…』
シンジの足首を掴み、初号同様に現れたのは赤い二頭身のエヴァだ。
「僕自身には君を傷つけるだけの力は無いからね?」
『だからって、弐号を!』
振り払って跳び下がる。
「あの時も言ったろう?、彼女の心は閉ざされているからね、同じアダムより生まれた者だから同化は出来るさ」
『やめて、カヲル君、やめてよ!』
「行くよ…」
カヲルは必死の叫びを受け入れずに目を細めた。
あるいはいつかの記憶を呼び起こしたのかもしれない。
『くぅ!』
跳びかかる弐号、その動きはアスカが操っていた時とは比べ物にならないくらい早く、鋭い。
『この!』
変身した今の状態でもエヴァは決して小さいとは言えない、小柄な大人ほどの身長はあるのだ、がっぷりと組むと、その大きさに飲まれそうだった。
「今だな」
「なんです?」
カヲルはゲンドウの呟きを訝った、この戦いに割り込まれるとは思っていなかったのだ。
ゲンドウの口元が邪悪にも歪んでいる。
「!?、そうか、そう言う事かっ、いけない、離れるんだシンジ君!」
『え?、あっ!』
足に何かが巻き付いて来ていた。
『う、動けない!』
光り輝く蛇に見える、それはあっという間に這い上がって、シンジの体の中を目指す。
『うっ、あああああああああああ!』
「シンジ君!」
カヲルの叫びがこだました。
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元にでっちあげたお話です。