「レイ…」
 シンジは見ている事しかできない歯がゆさに堪えていた。
「うっ…、シンジ」
「父さん!」
 呻き声にハッとなる。
 見ればゲンドウが体を起こそうともがいている。
 シンジは滑り込むように駆け寄った。
「ここは…」
「覚えてないの?、父さんは…」
「いや…、そうか、わたしは」
 ゲンドウは目を閉じて深く息を吸い込んだ。
 その挙動の一つ一つに、心の平静、正気をかいま見る。
「よかった、元に戻ったんだね?、父さん」
 抱き起こしながら安堵の息を吐くシンジ。
「…すまなかったな」
「父さん?」
 ゲンドウの口からは悔恨と共に言葉が紡がれた。
「お前が子供に戻った時、わたしはとても嬉しかった」
「父さん…」
 何とも言えない顔をする。
「…お前を突き放した時に戻ったようだった、だからやり直せるならここからがいいと、甘い幻想を、期待を抱いたのかもしれん…、レイやアスカをお前の代わりにしているなどと、このわたしが罪悪感に駆られていたとは思わなかったがな」
「もういい、もういいんだよ、父さん…」
 シンジはゲンドウの体を起こして抱きしめた。
「…なにがいいというのだ」
「父さん…」
 シンジの悲しげな瞳でも、ゲンドウの吐き捨てるような言葉は止められない。
「わたしは心を決めたつもりでいた…」
 彼の罪の意識は、それ程までに根深くなってしまっていたのだ。
「お前を、子供達を、リツコ君を得る事で幸せに浸れると夢を見て…、だがあの時」
 ユイを見た時。
「わたしは全てを捨てて立ち戻ってしまった、あの頃にな…」
 サードインパクト以前の自分にだ。
「結局、わたしは今でもユイに縋っている情けない存在でしかないのだな…、お前やリツコ君、アスカやレイも居るというのに」
 深く重い嘆息が漏らされる。
「父親の、家族の真似事をしようとした代償がこれか…、済まなかったな、シンジ」
 パン!
 乾いた音がした。
「なに情けないこと言ってるんだよ、父さん!」
「シンジ…」
 ゲンドウは己の頬に染みるいる熱いものに心を震わせた。
 叩かれた事よりも、そこに込められたものに酷く胸を軋ませた。
「僕だって…、僕だって父親の振りをしているだけで、ホントは」
 歯を食いしばる様に、ゲンドウは自分の言った事がそのままシンジにも当てはまるのだと気が付いた。
「シンジ…、わたしは」
「でも僕は後悔してない!」
 シンジは凛々しい顔を見せた。
「アスカやレイが幸せになってくれるなら、誰がどう思おうが、僕をどう見るかなんてどうでも良いんだ」
 必死に、躍起になって訴える。
「ああ…、そうだな」
 ゲンドウはそんなシンジに頷いた。
「大丈夫なの?」
「ああ」
 ゲンドウの胸に空いていた穴は、いつの間にか塞がっていた。
 まるで心の落ち着き、欠けていたものが満たされていくのに従うように。
「お前こそ、服ぐらい着ればどうだ?」
「あ…」
 シンジはようやく自分の恰好を見る余裕ができたのか?、顔を赤らめた。
 そんなシンジに笑みを浮かべるゲンドウ。
 目尻に刻まれた皺が、好々爺然とした丸みをゲンドウの内心として表現していた。

うらにわには二機エヴァがいる!
第弐拾四話「最後の免状」

 ダン!
 壁面に着地したレイは、そのまま蹴って天井に降り立った。
『またんかい!』
 その軌道を追うように、トウタの拳が振るわれる。
 小学生に戻ったレイと変身しているトウタでは体格に差があり過ぎる。
 だが勝負は全くの互角だった。
『この!』
 ジャンプしたレイの背をついに捉える。
 追いすがったトウタは背中に拳を繰り出した、だがレイは小さな羽根でバレルロールを敢行、くるくると回転しながらトウタの周囲を渦巻いて、一瞬で立場を逆転し、トウタの背中を奪って見せた。
『なんやと!』
 二股の部分が音叉のように共振し、不可視の衝撃をトウタに与える。
『ぐはっ!』
 ATフィールドごと叩き落とされるトウタ。
「一体何が…、どうなってるんだよ」
 シンジはその様に呆然と呟いた。
 レイとエヴァの攻防は苛烈さを増していく。
 黒い悪魔と純白の天使が争う様は、一種異様な光景を生み出していた。
 レイはなまじ肌が真っ白なだけに、より神秘性を増している。
 その手に赤黒い槍さえ握っていなければ、誰もが幼い天使として疑いもしないことだろう。
 トウタはトウタで、気が付けば蝙蝠のような羽根を背中に生やしている。
「父さん、トウタ君は…」
 シンジは傍らに居る父に尋ねた。
 正気では無かったにしろ、ゲンドウが諸悪の根源であったに違いないから。
 だが彼からの返答は実に意外なものだった。
「わからんのだ」
「え?」
 シンジはキョトンとしてしまった。
「わからないって…、だって」
「…いや、トウタ君だけではない、鈴原君についての全てが謎なのだ」
 シンジは突然こぼれ出た話しに驚いた。
「トウジも!?」
「…鈴原トウジ君、彼がいつ、どの様にして戻って来たのかは、赤木博士だけが知っている」
「リツコさんが!?」
「そうだ」
 ゲンドウは深く頷いた。
「彼の足の治療と称して彼女は鈴原君を実験室に連れ込んだ、一年の後に赤ん坊を鈴原君は抱えていたが…」
「まさかっ、トウタ君はリツコさんの!?」
「それはない、遺伝子的にも繋がりは認められん、それ以上にその一年の間、わたしは何度も彼女と顔を会わせている」
「でも人工保育器とか、培養液の中で育てたのかも…」
 ゲンドウはゆっくりとかぶりを振った。
「…ここからは、わたしの推測に過ぎん」
「え?」
「彼は…、トウタ君は、鈴原トウジ君、そのものだ」
 シンジにはその言葉の意味が、今ひとつ良く理解できなかった。


 その時、トウジはマタニティ姿で膨れたお腹を撫でていた。
「どう?、トウジ君、調子は」
 困り顔でトウジは言う。
「なんやめっちゃ変な感じですわ」
 そこはどこかの病室だった。
 あえて言うなら、『レイの部屋』に似ていなくもない。
「まあ、滅多に出来ない経験だから…」
「そらそやろうけど」
 トウジはまたお腹を撫でた。
「…心配?」
「ほんまに、わしの子なんですか?」
 リツコは苦笑して、トウジの前にしゃがみ込んだ。
「あなたの血を受け継ぐと言う意味ではイエスよ?、…バグが使徒の回帰した姿であるように、あなたに残されていた使徒の遺伝子にも、再び魂が宿ったの」
「そんで、子供になったっちゅうわけですか?」
 なんでもありやなとトウジは呟く。
「まあ、生まれて来るのは人間と変わりないはずだから…」
「そうでっかぁ…」
 まだ不安が声に残されているのだが、リツコには明確な根拠が存在していた。
(レイがそうであるように…)
 生まれて来た子は、人として生きていけるはずなのだ。
 だから少なくともリツコには、嫌悪感は微塵も無かった。
「触っても、いいかしら?」
「どうぞぉ…」
 リツコはそっと、トウジのお腹に手を当てた。
「動いてる…」
「元気で、ちょっと痛いぐらいですわ」
 ふふっと、リツコはトウジの言葉に笑みを浮かべた。
「どないしたんですか?」
「いえね?」
 微苦笑を浮かべたままでリツコはこぼした。
「父親って、こんな気分なのかしらと思ってね?」
「はぁ…」
 リツコの台詞に赤くなるトウジ。
 その照れ方は微妙に『可愛い』と言う部分が見え隠れしていたため、より一層見た者の精神を汚染し脳髄を腐らせ神経を焼き切ってしまう様な気持ちの悪さを秘めていた。


「使徒、バグ?、エヴァ、トウタ君が!?」
 ミサトは取り押さえられたリツコから聞き出した話に唖然とした。
 もちろん、聞かなければ良かったと言う後悔も付属している。
「…フォースチルドレンには使徒の遺伝子の何パーセントかが残されていたのよ、もちろん人体にはなんの影響もない範囲だけれど」
「でも生命はそこにも宿ってしまった…」
 カヲルの言葉に、リツコは憐憫の目を虚空へ向けた。
「トウタ君は…、鈴原君が単性生殖で産み落とした自分の分身、そのものなのよ」
 まさに衝撃の事実であった。


「使徒の力、人の力、エヴァの力、今やトウタ君を止められるのは、覚醒したレイを置いて他にはおるまい」
 もはや戦いは人の目では追い切れない次元に達しつつあった。
 影のようなものが交錯し、その瞬間に金色の光を散らしているだけなのだから。
 …使徒の細胞にも魂は取り付き、それは無理にでも生き物の形を作り上げようとした。
 その際にバグとならずに人となってしまったのは、単にトウジのマトリクスをコピーしたからに過ぎないのだ、これが食肉工場であれば、あるいはガギエルの様に自然界であったなら、そこに居る生き物の形状を取り込んでいた事だろう。
「でも…、でもこれは、違う、いけないと思うから…」
「行くのか?」
 ゲンドウは立ち上がったシンジを見上げた。
「僕はズルくなりたくないから、特別な力は捨てて、また元の僕に戻ったけど」
 苦戦するレイをなんとか目で追いかける。
「今までは恐くて出来なかった、でも…」
 言葉ほどには顔に迷いは見られない。
「叱るのは…、大人の役目だって、やっとわかったから」
 そう言うシンジに、ゲンドウは目を細めた。
(わたしは嫌われるのが恐くて、叱ることは出来なかったな…)
 ゲンドウは息子が心身共に自分を追い越してしまっているのだと知って笑みを浮かべた。
「大きくなったな、シンジ」
 込み上げて来る嬉しさは…
 父親だけが持つ特権であった。


「やめるんだ!」
 シンジは二人の間に割って入ろうとした。
 口に出せば簡単な話であるが、それは如何にも無謀に見えた。
「シンジ!」
 ゲンドウの焦りが発せられる。
「気をつけろ、フィフスチルドレンがそうであったように、二人の力はエヴァに匹敵する、バグの比ではない!」
「そんなこと、わかってる!」
 だが行動だけを見れば、とても分かっているようには見えなかった。
 ATフィールドと一口に言ってみても、そのエネルギー量は人一人消し飛ばしても余り有るのだ。
 ぶつかり合いは火花が軽く散っているようにしか見えない、しかしそこにはN兵器すら及びもつかない破壊の力が干渉し合っている。
「お父さん!」
 ブリッジに着地したレイは、両腕を広げて割り込んで来たシンジにゾッとした。
「お父さんは逃げて!」
 レイはシンジの向こうに、獣のように体を沈み込ませるエヴァを見た。
 既にシンジが逃げるには遅過ぎる。
「お父さん!」
「駄目だ!」
 シンジは叫んだ、力の限り。
「こんなこと、トウジも洞木さんも、アカリちゃんだって!」
『うるさいわ!』
 肉声が轟く。
『お前に何が分かるんじゃ!』
「トウタく…」
『怒るだけでなんの力も無いくせに、喚くだけでなんもできひんくせに、偉そうにするんや無いわ!』
「お父さん、逃げて!」
 トウタはシンジを狙って跳躍した。
 その動きはまさに獣の如しである。
『ワシには力があるんじゃー!』
 繰り出される拳、いや、爪。
 人の力、使徒の力、エヴァの力。
 間違った力。
「シンジ!」
「お父さん!」
「うわぁああああああああ!」
 シンジは悲鳴を上げて、恐怖心から両腕を交差させた。
 ゴッ!
 ガンッ!
 ドガン!
 壁にめり込んだのは、黒いエヴァの方だった。
 その瞬間、誰にも何が起こったのか理解できなかった。
 シンジは恐る恐る身を庇おうとして上げていた腕を下ろした。
「あ…」
 初号機が拘束具を引きちぎって腕を振り上げていた、まるでシンジのポーズをトレースするように。
 殴り飛ばされたトウタが、ゆっくりと壁から剥がれてLCLへと沈んでいった。
「お父さん!」
 とてとてと駆け寄って来るレイに、シンジは腰を抜かせてへたりこんだ。
「助かった…」
 レイはドンッと体をぶつけると、そのまま腕を回してしゃくり始めた。
「お父さん…」
 無意識の内に果たしたシンクロと、トウタの居た位置がかなりの偶然で交錯していた。
 そのつもりは無くともエヴァはエヴァだ。
 初号機の拳で殴られたのだ、完全にATフィールドを中和された状態で。
『シンジ君!』
 トウタの意識が途切れたからだろう、通信が戻った。
 ケイジにミサトの声が響きわたる。
『大丈夫なの!?』
 シンジはカメラがあるであろう方向に手を振った。
「…トウタ君が沈んでます、回収を」
『わかったわ!』
「あ、それと…」
 シンジは気恥ずかしそうに付け足した。
「何か着る物、持って来て下さいね?」
 シンジはレイを抱き挙げて、大事な部分を隠すのだった。


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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元にでっちあげたお話です。