ヴェリリュンヌが気が付いた時、傍の椅子には加持が腰掛けていた。
「あんた……」
「よう」
 加持はしゃりしゃりとコンバットナイフで器用にリンゴを剥いていた。
「食べるだろう?」
「ふん……」
「そこにある」
 山となって積まれていた。それもうさぎの形にカットされて。
「こんなにどうしろってんだい」
「ホワイトテイルからのお見舞いだよ」
「ふざけて……」
「もうひとつあるぜ?」
 顎をしゃくられても、彼女は包帯だらけでろくに身動きもできなかった。
 なんとか首を動かして窓の外を見……驚く。
「あれは!?」
 そこには黄金の騎士像があった。
「こいつが所有者の証だそうだ」
 コインをリンゴ皿の隣に置く。
「なんで……」
「予想外の収穫があったから、あれはあんたにあげるとさ」
「ふざけて……収穫ってのはなんだい?」
「シンジ君さ」
「はん?」
「またひとつ大人になった。それで満腹になったんだと」
 彼女はふんと鼻を鳴らして力を抜いた。
「ますますふざけた話だねぇ」
「ああ……でもまあ、こうも言ってたよ。あんたが自分からあれをやるよと言いたくなるようないい男にしてから、いつか使いに出すからその時はよろしくとさ」
「ばかだねぇ……」
 いやらしく笑う。
「子供だから可愛いんじゃないか」
「ま、その辺の趣味は俺の理解の外だからな。コメントは控えさせてもらうよ」
「行くのかい?」
「ああ」
「もうちょっとここに居て欲しいんだけどねぇ」
「そりゃまた……うれしい申し出だけどな」
「ああ……あんたには聞きたいことが山ほどあるんだよ。だから!」
「おっと!」
 椅子を倒して飛びすさり、加持は彼女の手を避けた。
「危ない危ない」
「ちっ……」
「もう動けるなら大丈夫だな。それじゃあ俺は失礼するよ」
「あんたもふざけた男だよ」
 ため息を吐く。
「拷問にかけてやりたいね」
「おいおい……殺すならもっと優しくやってくれよ」
「可愛がってやるっていってるんだよ」
「俺にはそういう趣味はないな」
「シンジにはもっとないだろうねぇ……」
 彼女は残念だよと横になり、ようやくここはどこなのかと訊ねた。
「シンジが直してた小屋さ」
「はん?」
「シンジは使われなくなっていた小屋を直して暮らしてたんだよ」
「じゃあここはシンジの家かい?」
「家と呼べるかはわからないな……」
 行っちまったのか。ヴェリリュンヌはそう理解した。
「残念な話だねぇ……」
「また会えるさ」
「生きていられたらね」
「生きられるさ。教団にはなにも伝わってないんだから」
「なに?」
「なにも。この村であったことはなにひとつ漏れてない。あれはあんたの秘密兵器で、教団は黒髪の堕天使を追い払ったんだってことになってる」
「なんで!?」
「さあな。地震の方は、無茶な拡張をしたために、岩盤がもろくなっていたんだなぁってことで一致してるよ。直接の原因は襲撃者が使ったダイナマイトだろうってな」
「誰がそんな馬鹿な話をでっちあげたんだい」
「ま、想像はつくだろ?」
 ギリッと彼女は歯を鳴らした。
「……ホワイトテイルかい」
「シンジのためだろうな」
「ああ……」
「過保護なことだよ」
「男爵と神父はどうしたんだい?」
「シンジたちを追っていったよ。大体あの二人はこの村でなにが行われていたのか知らないからな。報告されることもないだろう」
「そうかい」
「ああ」
 ヴェリリュンヌがシーツを引き上げて包帯だらけの胸を隠すのと、誰かが入ってくるのとが同時だった。
「お前!?」
 それは彼女の従者だった。手には水の入った桶を持っていた。タオルが浸されている。
「やめな!」
「ヴェリリュンヌ様! お気づきで」
「ああ……」
 彼女は加持に目をくれた。
「あんた……そのうちヴェーダ家を訊ねておいで」
「いいのかな?」
「わたしだって貴族の端くれだよ。坊主共に恭順するほど落ちちゃいないよ。教団の独裁なんてのはゾッとしない話だしね」
「なるほど……」
「パイプ役は務めてもらうよ。あんたはつながりが多そうだ」
 了解と加持は肩をすくめて、まだ少し威嚇している男の脇をすり抜けた。


 風の吹く丘をゆっくりと上がる。
 足にからみつくような草を気にしながら、加持は銃へと弾がいっぱいにつまっているマガジンを差し込んだ。
 ガシャリと上部をスライドさせて弾を装填しておく。
 腰の後ろにあるホルスターに戻すと、今度はたばこを出して口にくわえた。
 足を止めて火を点ける。脇に挟み持っている小熊の人形が邪魔だった。
「ふぅ……」
 再び歩き出したのは、きっちり一服してからだった。


 丘の上では、シンジがぼんやりと待っていた。
 本当ならもう旅立ってもいい。だが加持に止められてしまっていたのだ。
「よぉ」
 シンジはひょうひょうとやってきた彼に、座っていた平らな石から立ち上がった。
「加持さん……」
「悪いなまたせて」
 ばつが悪そうにシンジは訊ねた。
「なんなんですか? 用事って」
「なにな」
 加持は人形を手渡しながらどうするのかと訊ねた。
「チャナのことさ」
「チャナの……」
 シンジは人形を抱きかかえながら、困惑したように、でもといつもの言葉を口にしようとした。
 これは仕方がないのだと、しかし。
「シンジ君」
「はい」
「逃げるな」
「え……」
「逃げたい気持ちはわかる。だがな、仕方がないなんてのは言い逃れなんだ。そんなことばっかり言ってちゃろくな大人にはなれないぞ?」
 これはと前置きをして彼は話した。
「俺の付き合ってた女のことさ。ずっと我慢してたんだろうな……仕方ないって」
 はっとする。
 それは『ミサトさん』のことではないのかと。
「でもやっぱり気づいたみたいだったよ。このまま仕方がないって割り切ろうとしたまま十年、二十年、何十年も死ぬまで生きるのかってな」
「加持さん……」
「そのことに気づくのにずいぶんとかかっちまったらしい。これ以上ごまかしてなんていられないってな。みんなそうさ、なにかをごまかして生きてる。でもあきらめがつくやつとつかないやつとがいるんだよ。シンジ君はどっちだ?」
「僕は……」
「諦められないとわかっているなら、前向きになるんだな。できないなら」
 銃を抜いた。
「加持さん……やめてくださいよ」
「これが大人の役割ってやつだ」
「どんな!?」
「殴ってでも間違ってることはやめさせる。殴りつけてでも教えてやらなきゃならないこともあるんだ」
「加持さんが、僕に?」
「そうさ」
 さわやかに笑う。
「嘘でもいいさ。あの子なりに納得のいく答えをやれよ、あの子は君が悪者だったって信じたくないんだ。信じさせてやれよ」
「嘘を吐けって……そんな」
「それも優しささ」
「加持さん……」
「嘘を吐くのは辛いもんさ。騙してるんだって罪悪感もたまらないもんだ。それでも自分が苦しむことで相手が幸せになってくれるなら……これはシンジ君が間違ってしまった考え方だけどな、それも時と場合によるんだよ。チャナの気持ちを救ってあげられるような、こんな小さな嘘を吐く時にだけ、そんな考え方は使うもんなんだ」
「……いいんでしょうか? それで」
「ああ」
 加持は銃口をシンジから外した。
「これでもまだわからないようなら、本当に力ずくでも連れて行くからな?」
「加持さん……」
「女の子の胸に傷を残すような真似をするな。心残りがあると女の子はそれだけ気が散って恋ってもんができなくなるんだ。無邪気なままで、脳天気なままでいさせてやれよ。でないと女の子は不幸だよ」
 加持のいうことはシンジの中の何かに触れていた。
 ──ヒビキ・オーガスト。
 その名前と顔が思い浮かんだ時、あの子はどうしているだろうかと思ってしまった。
「加持師!」
 二人は村から登ってくるラーナとチャナに気が付いた。
 いいかと最後の忠告をする。
「シンジ君。もしそれができないなら盛大に裏切ってやるんだぞ?」
「え?」
「裏切り者とそしられてもいい。なじられてもいい。それでチャナが君のことを忘れようとしてくれたならそれでもいいじゃないか」
「加持さん……」
「君は善良な子供のふりをしてみんなを騙していたんだぞ? そしてまだ信じようとしてくれている人がいるんだ。チャナ……あの子を村の外れものにする気か? そうでないのなら」
 派手に裏切ってやれと言った。
「やっぱり裏切り者だったんだって、泣かれることになってもたえるんだぞ? 君はそれだけのことをやったんだ。我慢すればチャナはみんなに慰めてもらえる。本当に大事なら裏切り者になるくらいのことはするもんだ。そう……俺を殺したとラーナさんに思わせたようにな」
「僕は……僕は」
「わかったな。中途半端にしたままで消えたんじゃ、あの子はいつまでも君のことを引きずることになってしまうんだ。それだけはやめさせるんだぞ」
 嫌われることを恐れるな。誰にでも好かれるように務めるな。
 その言葉にはなにか思うところがあったのだろう。シンジは「はい、わかりました」とはっきりと答えた。
「責任は……取ります」
「取れるのか?」
「そのくらいは……取れるって、わかってるつもりですから」
 そうかと言って、加持はシンジの肩に手を置いた。
「じゃ、頑張れよ?」
 加持はじゃあと言ってシンジから離れた。ラーナの元へ向かう途中でチャナとすれ違う。
「加持師」
「やめてくださいよ」
 頭を下げるラーナに照れ笑いをした。
「いいかげん気づいてるんでしょう? 俺が師なんて呼ばれるような人間じゃないってことは」
「ですが……」
 加持はふっと笑うと、不意打ち気味にラーナの唇を奪ってしまった。
 驚いたラーナが一歩下がる。
「どうです?」
 加持は片目をつむって見せた。
「これで、どうして俺が決してあなたに触れようとしなかったか、わかったでしょう?」
 ラーナは震える手先を唇に当てた。
「この苦み……たばこ?」
「そうですよ。気づかれないようにしてただけです」
「まあ……」
「紳士じゃないんだ」
 二人は泣きわめく声に意識を奪われ、それ以上のことは話さなかった。
「シンジはなにを言ったんでしょうか?」
「さてね」
 おもしろがっていた。
 チャナが人形を抱きしめて泣きじゃくり、シンジがうろたえている。
 慰めようとして、失敗しているようだった。
「ごちゃごちゃ悩んでたって……会ってしまえば余裕なんてなくなるもんでしょ? 結局本音をぼろぼろとこぼすことになっちまう」
「それでうまくいくのでしょうか……」
「ほんとに手のかかる子供ですよ。ホワイト……あの子が苦労してるのもよくわかるな」
「そう?」
 ラーナはぎょっとしたようだったが、加持はもう慣れてしまったのか、おいおいといった調子で振り返った。
「立ち聞きかい?」
「あれ、気になるじゃない」
 レイはしゃがみ込んで両手で顎を支えていた。加持は呆れた。
「だったら風下に回って聞いて来いよ」
「でもバレたらシンジが拗ねるじゃない」
「過保護だな」
「お父さんが必要かなぁ?」
 じっと見上げる目に冗談と口にする。
「せめてお兄さんにしておいてくれないかな?」
「それも無理がありそうなんだけど」
 シンジへと目を戻す。
「あの子……素直じゃないから」
「ああ。子供なんだな、まだ。どうにかしなきゃいけないって思ってるのに、どうすればいいのかわからなくて空回ってる。本当は誰かに教えてもらいたいのに、素直にお願いできなくて間違ってる」
「でもあたしじゃねぇ……」
 ため息を吐く。
「ほら、たいていのことってその時になったらなんとかしなきゃいけないって感じで、実際なんとかできちゃうしなっちゃうじゃない? そういうもんだってことを教えてあげるのが精一杯だから」
「無茶苦茶だな……それ、教育じゃないぞ?」
「うん……でも、ほら」
 ほれっと顎をしゃくる。
「なんとかなったみたい」
 胸で泣くチャナにあわてふためいている。
 加持はそんな様子に、俺たち大人はああも単純にはいかないんだよなといって頬をゆるめた。うらやましげに。
 もう少しすれば、チャナはちゃんと泣きやむだろう。その時にはちゃんと笑っているだろう。
 心になにかしらの決着をつけて、彼女なりの答えをきっと見つけているだろう。だから。
「なにかを約束させられたみたいだったけどな……その中身ってのは永遠の秘密さ」
 加持はそうしてしめくくった。




 二人は聞かされた話になんとコメントを付けてよいのやら困っていた。
「ま、その後、気が抜けたのかよくもやってくれましたねってな、追いかけ回されてえらい目にあったよ」
「そうですか」
「責任が取れないようなことはするなっていっただろうっていってもな、自分で取れる責任の範囲くらいわかってますよってな? そりゃもう酷い目に遭わされたもんさ」
 その横ではラーナやチャナが、微笑ましげに眺めていたのだ。
 ──加持さんも責任を取って、ラーナさんと一緒になってくださいよ!
 ──俺には他に責任を取らなきゃいけない人がいるんだよ!
 ──それこそ無責任じゃないですか!
 加持はなにを思い出しているのかくすくすと笑った。
「ま……そんなとこばっかりいろんな奴に見られててね。それで唯一生き残ってるとかなんとかって思われてる。お互い本気じゃないんだから生き残ってて当然だな」
「それが真相か。しかし説教をしたというのも凄い話だ」
「まあ……あの頃のシンジ君は、まだ面と向かって人を殺せるような性格じゃなかったんでね。もうちょっと割り切りが曖昧だったな……。それでも人の信念ってやつを止めるためには、殺さなければならないことがあるんだってわかって、今の性格に変わっていったんですよ。でないと恨みつらみが募っていって、神父のように追い回す者が出てきますからね」
「なるほど……」
「チャナにはできなかったこともできるようになっていきましたよ。殺したいと思うほどに憎まれてやることで、他人の生きる力になってやるってこととかね」
「そんなの!」
「哀しいとか辛いとか……それはあるんだよ。だからホリィちゃんなのさ」
「え……」
「わからないかな? シンジ君、甘えん坊だろ?」
 あ……とホリィは不覚にも声を発してしまった。
 加持がくっくっと笑う。
「やっぱり甘えてるのか」
 ホリィはカーッと赤くなって小さくなった。
「可愛そうだろう、やめてやれ」
「それが好いんじゃないですか。おっと、これ以上はシンジ君に殺されちまうな」
「なれあっているんだろう?」
「昔の話ですよ。今じゃない。そんな甘えを持ってたらろくに話してなんてもらえませんよ」
「それもそうか」
「別にシンジ君に限りませんがね。男ってのは見栄っ張りだから辛いとか哀しいとかを隠そうとする。シンジ君がレイちゃんになついてる大きな理由ってのは、誰かにはわかっていてもらいたいって甘えが捨てきれないでいるからですよ。男なら誰でも持ってる相反してる心ってやつがやっぱりあって、それをホリィちゃんに求めてるんだろうなぁ」
 ますます小さくなるホリィに目をやり、ゴドルフィンはふんと加持に鼻を鳴らした。
「よくそれだけわかってるものだ」
「そりゃあ仕事の都合で関わることになったのは、一度や二度じゃありませんからね。そのたびいろんな手ほどきをしてやりましたから」
「女のこともか?」
「おっと時間ですよ」
 立ち上がる。
「ま、この話は内緒にな? シンジ君はあんまり昔の話をバラされたくないって思ってるから」
「どうして?」
 ですか……と付けるのを忘れてしまったホリィである。そこまでのぼせてしまっていた。
 可愛いなぁと思いつつ加持はいう。
「恥ずかしいからさ。それだけだよ」
 ──へっくしゅん。
 その時シンジは、どこかで派手にくしゃみをしていた。




「風邪かな?」
 シンジは鼻の下を指でこすってズズッと鼻水を吸い上げた。
「やだなぁ、夏風邪は……あとがひくのに」
 年中夏の国でと突っ込んでくれる誰かはいない。
 シンジは上の街を歩いていた。それも学校に向かって坂を上っている最中だった。
「まったく手間かけさせるんだから」
 どこか物憂げな口調であった。


 芦ノ湖。
 その第三新東京市側の岸辺において、警報がけたたましくかき鳴らされた。
 ──カタパルトを開放します。カタパルトを開放します。市民のみなさまは。
 十分な避難のための間を取ってから、湖面にさざ波が立ち始めた。
 じょじょに泡立ちは大きくなって、ついには盛り上がるようにして左右に割れた。
 ──カタパルトが姿を現す。
 数百メートルはある長い電磁レールだった。岸辺側からはしけが伸びて、接舷を果たす。
 警報音が再び鳴った。今度は港にある倉庫がずれるようにして動き始めた。土台のキャタピラを用いてその下にあったものを陽にさらす。
 ハッチであった。エヴァ用の射出口のものよりも遥かに大きい。それが倉庫の動きに合わせて開放されていく。
 徐々にせり上がってきたものは翼であった。腹にはエヴァンゲリオンを抱えている。F型装備と呼ばれている、エヴァンゲリオン専用の空中機動ユニットであった。
 弐号機と零号機、二機が別々に姿を見せる。二機はシャトルでも輸送するのに使うような巨大な車両に運ばれて、ゆっくりと発射台の元へと移送された。
 自動(オート)で輸送車から発射台へと移動される。そして固定。カウントダウンが始まった。
 3・2・1、推進剤が噴射される。白煙を爆発的に残して機体はレールの上を滑り出した。
 ──ゴォオオオオ!
 爆音を残して機体が飛び立つ。カタパルトのリニアレールを固定台が機体を乗せていき追いよく滑った。カタパルトの先端で機体を放り出して停止する。
 こうして二体は空へと旅立ち、国連軍の太平洋艦隊と合流する運びとなったのであった。




「セカンドチルドレン。ただいま合流いたしました」
「うむ。ごくろう」
 ブリッジでは全員が整列して彼女に対する出迎えの姿勢を見せた。
「久しぶりだな」
「お久しぶりです」
「全員持ち場へ戻れ!」
 あわただしく定位置に戻る。
 しかし艦長はアスカに付き合ってか席に座らず、手を差し出した。
「本当に久しぶりだ。君の活躍はよく聞いているよ」
「お恥ずかしい限りです」
 アスカは艦長の朗らかな笑顔につられて笑ってしまった。
 照れくさそうに手を握り返す。艦長の手は大きな手だった。
「オーバーザレインボウ、無事だったんですね」
 アスカはファザコンのケでもあるのかなぁと、魅力を感じる自分を知った。
「いや、船としては廃棄が決まっているよ。本作戦には新造艦を旗艦に用いる」
「では?」
「わたしはその艦を引き継ぎ、提督の名をいただくことになる」
「提督……」
 アスカはどういうことだろうかといぶかしがった。
『以前』がそうであったように、この艦隊もまた複数の国から参加義務に従って出てきている船の集まりに過ぎないのだ。
 戦自や自衛隊の船があれば、アメリカや中国やロシアの船もあるのだ。
 提督などという位置を定めれば、当然のごとく主導権争いが発生する。そのために提督の位置は定められずに、丘の上からの指示に従って動いていたはずだった。
「その辞令はどこから?」
「アメリカに主張するだけの力はない。残念なことだがな。国連事務総長からの辞令だよ」
「事務総長の」
「ああ……以前のわたしは、あくまで多国籍軍の旗艦を運用するだけの立場だったがな。今度の混合軍においては、提督役を事務総長から預かることになった」
 艦隊の運用権は、すべて事務総長が握っていたのだ。
「船に乗らずになにが提督かと、そういう話は聞いたことがあります。みんなばかにしてました」
「だが苦肉の策だった。セカンドインパクトと使徒のことがあってもいがみ合いは続いていたからな。事務総長が評価してくれたのはネルフとの協調性についてだよ。この艦のスタッフ全員が、新造艦のメインクルーとなって移乗することになっている」
「そこまで協調性があったとは思えませんが……」
「この場合の協調性とは、共闘をよしとするかいがみ合う傾向があるかだよ。特にネルフはプライドが高い。軍組織の一兵器として運用されることには抵抗を感じるのではないのかね?」
「それは……」
「ないとはいわんだろう?」
「はい」
「そうだ。それこそが問題になっていた。我々とても人形をもって決戦兵器とは笑わせると思っていたからな」
「そのイメージが払拭されたと?」
「もちろん他の艦艇については新たに参加したマリーナもいる。まだまだこれからだろうが……以前よりはマシだろう」
 合流ポイントです。その声に艦長は失礼するよと席に座った。
 アスカには隣に来るよう指示をする。
「合流っていうのは、新造艦のことですか?」
「そうだ」
「でもまだ見えないようですが」
「いや、今出てくる」
「出て?」
 アスカの怪訝そうな顔に、艦長もまた仏頂面で見ていればわかるといった。
「来ます! 右舷」
 皆が海面のさざ波に気づく。
 波間に潮が立ち始めていた。
「潜水艦ですか?」
「いや……」
 しかしノーズを突き出すように高だかと上げて現れたのは、やはり潜水艦であった。
 腹を叩きつけるかのように胴部を落とし、安定を取る。
 そうしてしばらくしてから……潜水艦は、艦上部を左右へと開き始めた。
「はぁ!?」
「……あれが新造潜水空母『ブルーノア』だそうだ」
 艦長……提督は、きりきりと痛むのかこめかみをもんだ。アスカもその気持ちはようくわかった。
「なにを考えてあんなものを……」
 とても大きな空母になった。オーバーザレインボウよりさらに大きい。エヴァが二機は乗せられるだろう。
「神経を疑いますね」
「だがあれは事務総長の考えたものだそうだ」
「事務総長の?」
「ああ。それに、見た目はともかく搭載されている兵器群には目を見張るものがあったよ」
「というと?」
「先日我々が痛めつけられた核陽電子砲に加え、水上翼機など様々だ。さらには空を飛ぶ機構まであるらしい」
 アスカは口元を引きつらせた。
「冗談……じゃないんですか」
「ああ。その点については未完成だそうだが、完成したとしてもさすがにあんなものを飛ばしてみようとはおもわんがね」
「でしょうね……完成の予定は?」
「先日まではなかったよ」
「は?」
「先日ネルフが手に入れたという戦自の重力制御装置。あれがあれば完成させられるそうだ」
 アスカはきな臭いひらめきを持った。
「まさか重力制御に関する情報を握っていたから、あんなものを設計したとか」
「わからんが、どのみちあの巨体だ。あんなものを浮かべたからといってなんになる? 狙ってくださいといわんばかりだ」
 アスカは艦長のわずかな言葉の濁りを読みとってしまった。
「でもエヴァがあれば……」
「ワンセットで空中機動要塞とできるだろうが……それでもコストの面が問題になるし、第三新東京市の代わりの前線基地とするにもあまりにもな」
 そうですねぇとアスカも考えてみた。
「エヴァを貸し出すことに抵抗が無くなったのも、今になっての流れがあったからですからね。じゃああれは戦争用ってことになるのでしょうか? 使徒ではなく、人との」
 艦長は「いや……」とその考えも否定した。
「だがそうなると先の話に戻ってしまう。あんなものを浮かべたとしても的になってしまうのがオチだよ」
「極端ですね」
「エヴァのようなバリアでもあれば話は別だがね。だがそれがあったとしても拠点防衛か殲滅戦に使用するのが関の山だよ。武器があまりにも強力すぎる。エヴァと同様にゲリラ戦を展開するような少人数を相手にするには不向きなんだよ。人を相手にしての戦争をするには、市民の存在を忘れるわけにはいかないからな」
「でもそれを補うものがあれば……例えば戦自の装甲歩兵とか」
「ヴァリアブルトルーパーの開発はアメリカでも行われているが……わたしはそれ以上に剣呑な話を聞いている。バグというコードネームを知っているかね?」
「バグ? エラーですか?」
「そういう意味合いのものらしいんだが、なんでも対人殺傷用の自動兵器らしい。それも大量殺戮を目的としたものだそうだ。自動起動するもので、生命反応を出しているものを根こそぎ死滅させると聞いた」
「そんな!?」
「それを搭載する機構までも備えているのがあの船だ……しかし人と争うにしても殲滅戦などというものをどこでやるというのかがわからん。この情報化社会でそんなことをすれば、世論にたたきつぶされるのが目に見えている」
 今はそういう形での冷戦の時代だからなと冗談を言ったが、アスカは嫌な発想に囚われてしまっていた。
「まさか……」
「そうだ」
 彼はアスカの直感を認めた。
「ネルフ本部だよ。ネルフ本部はどこにあるかね?」
「……地下に」
「そうだ。ネルフ本部は陸上にある。そして本部施設は逃げ場のない地下だ」
「そこまで考えていると?」
「エヴァは対人殺傷用の自動兵器などを排除できるほどには万能ではない。そしてエヴァを無力化するためにはチルドレンさえ押さえてしまえばそれでいい。国連にとっても必要なのはエヴァを動かせるチルドレンであって、エヴァでもネルフでもない」
「……自動兵器にチルドレンを対象外とするようプログラムできれば、エヴァは他国でも作っているんだし、必要でなくなったネルフという組織を消滅させることは」
「組織というよりも碇総司令だろうな。彼を苦々しく思っている者は少なくないということだ」
 アスカはシンジの『パパ』の顔を思い出して、さもありなんと思ってしまった。
「なにをやってるかわからないところがあるから……」
「まあだが想像の範疇だな。ネルフ以外に向ける必要があるのかもしれんし」
「……教団とか?」
「狂信者は怖いものだからな。しかしどう考えても使徒との戦いを見据えて設計されたものではない。それだけは確かだよ」
 行こうと彼は、ヘリへと誘う。そんな彼の懸念をもアスカは感じ取ってしまっていた。
 教団とネルフとの違いは、教団は民間の存在であって、ネルフは非公開組織であるということにある。教団に対して虐殺を行った場合には、世界中からの非難の声が上がるだろうが、ネルフに対してはどうだろうか?
 ──その違い。
 それは議論したくはない問題ではあった。


 ──その船はワシントン条約で定められている戦艦よりも大きかった。
 明らかに潜水艦としては失格しているサイズである。
 それもそのはずで、展開すると空母形態として上甲板となるカタパルトデッキを持っているのだ。いくら水中では重量が軽減されるとはいえ、艦載機や弾薬を搭載している以上、その重量は計り知れない。
 この機能を維持するための補強。動力部。それらだけでもどれだけの無駄を持っているのかわからなかった。
「うちの赤木博士あたりなら、小躍りして喜びそうですが」
「そういう人物なのかね?」
「はい」
「あまり関わりたくない人物のようだな」
 ──エックシ!
「センパイ、風邪ですか?」
「……どうせミサトが悪口いってるんだわ。あとでシメなきゃ」
 アスカは思った。
「確かに悪い人ではないのですが……」
 ──ヘックシ! ヘックシ! ヘックシ!
「特殊な人種であることは間違いありません」
「……ところでもう一人居るはずだが?」
「彼女なら降りた船で待機中です」
 小窓からあの船と指さす。空母の一つに零号機が待機していた。肩になにやら担いでいる。
 ヘリから見ると、まるで小舟に乗っている漁師だった。
「……あの釣り竿はなんだね?」
「垂直式使徒キャッチャーだそうです。ついでだから試験使用してこいと赤木博士が」
 こほんと提督は咳払いをした。
「やはり付き合いたくないタイプのようだな」
 ──ヘッブシ!
「うわっ、先輩ばっちぃ!」
 そんな提督とアスカが乗るヘリを、彼女は零号機の中から見上げていた。
 そしてそのエヴァはといえば、ギチギチと奇妙な抵抗を試みていた。搭乗者の意志に逆らおうとしているらしいのだが、パイロットはそれを許さなかった。
 ギンと眼光を鋭くし、少女は無理やりに零号機を支配下に置いてしまった。
 それでも長くいることは無理だとでも思ったのだろうか? 彼女はプラグのイグジットを行った。

 ── 一方。

「あーあー、居た居た」
 学校である。
 シンジはあの部屋の結界を簡単に破ってみせた。歩いて押し通り、破壊する。
 ──パキン!
 そんな音と共に、向こう側の景色が本来の世界のものに戻って、慌てたレイが転がりだしてきた。
「碇君!」
 レイは支えてくれた人物に驚いた。
「大丈夫だった?」
「どうしてここが……」
「は?」
「あの子はどうしたの?」
「あの子って?」
 レイは話が通じないと思ったのか、それとも手早くしかえしを果たすつもりなのか、シンジを押しのけていこうとした。
「あの子なら、もう行っちゃったよ?」
 レイは足を止めて振り返った。
「どこへ」
「太平洋。アスカと一緒に」
「なぜ……」
「なぜって……異相体を倒しに。それともなぜあの子を見過ごしたかって意味なら、僕の出る幕じゃないからね」
 肩をすくめる。
「綾波と入れかわったんなら、綾波を助けないとなって思ったし」
「……なぜここがわかったの」
「なぜ?」
 シンジはおかしそうに訊ねた。
「なんで、どうして、僕に綾波の居場所がわからないなんて思えるんだよ?」
「碇君……」
「どうしてレイと一緒に出かけなかったと思ってるんだよ? 僕はレイがいないとだめなのに。今は綾波がいてくれるからじゃないか」
 照れさせておいて真剣にいう。
「僕とレイはね? つながってるんだよ? そのレイと綾波は同位体の関係じゃないか。だから綾波になにかあったらそれはレイを通して僕にまで伝わってくるんだよ。だからどこにいたって、なにがあったってわかるんだ」
 そんな科白を聞かされたレイは、赤くなってしまって損をしたと、今度は少しふくれっ面になってしまった。
「わかった」
「そう?」
「ええ……でもならなぜ彼女を捕らえなかったの?」
「あいにくと今度は逆のことになるんだよね……」
 ため息を吐く。
「僕はレイがいないと歯止めが利かなくなるんだよ。何かが安定しないんだ。そのレイがこの街を離れてる」
「だから無茶はできないというの?」
「違うよ」
 シンジはレイから顔を背けた。
 赤くなって。
「レイがいないから……僕がレイに求めてた『綾波』の雰囲気が感じられる綾波の傍から離れられないんだよね。だからこんなところにいられると困るんだよ」
「そう……」
「迷惑な話だろうけどね、綾波にはちゃんと感じられる場所にいてもらわないと安心できないんだよね」
(甘えたいの?)
 レイは思った。
 ──これはチャンスなのではないのかと。うん。
「そんなことはないわ」
「え? そう?」
「ええ」
 レイは優しくシンジの背を抱きしめた。
「綾波?」
 レイは肩越しにシンジの頬に頬を合わせた。
「つまり、いま、碇君は、わたしがいないとだめなのね?」
「そ……そうだけど、どうしたの?」
「ならこうしていましょう」
「え!?」
「幸いそこに個室があるわ」
「個室って……」
 教室である。
 シンジは焦った。
「ちょっと綾波なに考えてんだよ!?」
「碇君にはわかるんでしょう?」
「なんで発情してんだよ!?」
「それはこうしていたいから」
「で、でも僕は綾波をレイの代わりにしてるって最低な話をしてるわけで!」
 レイは問題ないわとにやりとして『まさぐった』。
「あああ、綾波!?」
「……それはささいなことだから」
「ささいってぇ!?」
「小さいこと、という意味よ」
「そうじゃなくって!」
「だって……寂しいんでしょう? 傍にいてもらいたいんでしょう? 大丈夫、好きなだけ傍にいて上げる。こうして近くにいてあげる。わたしとあの子が同じなら、わたしにもあなたを慰めることができるはず。そしていま碇君はわたしを必要とし、わたしが碇君を欲してる。なら、こうしているのが自然だわ」
「なんか間違ってる気がするんだけど!?」
「さぁ碇君……あの子がいないうちにひとつになりましょう。とてもとても気持ちのいいことをしてあげるから」
「はぁ!?」
「ひとつになって溶け合いましょう。二人の時間を持ちましょう。ほら、時間ももう夜だから」
「綾波なんか変だよー!?」
 壊れた!? シンジは身をよじって逃げようとしたが、レイは意外と力持ちだった。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作を元に創作したお話です。