「まいったなぁ、こんなところに放り出されちゃってどうするんだよ」
弱り果てた表情で呟き、少年は無人の駅から外に出た。
人の気配がまったくない。人影がどこにも見当たらない。
少年はすり鉢状になっているガーデンの段差に腰かけると、これからどうするかと途方に暮れた。
こうして少年はやって来た
『おうっ、シンジか!』
少年──碇シンジは豪快過ぎる笑い声に顔をしかめて、受話器との間に距離を取った。
『先生、無事だったんですね』
『おおよ。それが運良く乗せられたマグロ漁船が沈んでなぁ』
『……よく無事でしたね』
『……お前は何年経っても俺って男を理解せんなぁ。連中なんざ外洋に連れ出すまでは油断できんって、両手両足を鎖とワイヤーで括ってくれたぞ? その上鉄格子を四重重ねにした牢屋にぶち込みやがって、逃げ出すのに苦労したわ』
はいはいとシンジは適当に流した。
『向こうも必死ですからね』
『だが甘いな。ちょっとばかし腹括ったとこ見せてやったら、騙されやがったよ』
電話なのににやりと聞こえた。
『沖合い四十キロってとこだったか? ちぃとばかし潮がきつかったがな、海に飛び込んで……まあ、なんとか泳いで。ここはどっかの島らしいわ。英語が通じるホテルがあるし、そう心配するな』
『してませんよ』
『そうか?』
『ぼくが心配してるのは、まだ借金増やすつもりなのかなってことだけですよ』
そういってシンジは深く深く項垂れた。
──父に捨てられたも同然に、彼が親戚に預けられたのが、およそ十年前のことだった。
養父母となってくれた人たちのことを思い返すと複雑なものがこみ上げてくる。決して悪い人たちではなかったのだが、大金を前にして平静でいられるほどの理性的な人間ではなかった。そういうごく当たり前の人たちだった。
──んじゃまぁ、行って来るわ。
その家の息子がまた豪快な人だった。なにかの景品として当てたラスベガス行きの旅行で、とにかく山のような借金を作って帰って来たのだ。
『自分の借金を人の養育費で埋めようとして失敗して。まだ懲りてないんですか?』
『おいおい。使い込んだのは親父とおふくろで、俺は関係ないぞ』
『そういうのをいい逃れっていうんですよ』
彼の父親が養育費として付け置いた通帳には、常識から外れた額が振り込まれていた。
この多すぎる養育費の使い道に苦慮した彼のおじ夫婦は、あろうことか一部を家の建て替えや株の投資に割り当てた。少しぐらいと思い使い込んだのである。
……そして気が付けば全額を使い込み、後戻りができなくなってしまっていた。
多過ぎた額面に気を緩め過ぎてしまっていたのだろう。油断が招いた結果は最悪だった。莫大な借金、そして息子も息子で、借金の肩代わりを求めてきたのである。
彼らが首をくくってしまったのも、無理からぬことではあったかもしれない。
──ま、なんとかなるだろ。
もしシンジが先生と呼んでいる男が、そう楽観的に声をかけてくれなければ、シンジもまたどうなっていたかはわからなかった。
半ば思考が停止していたシンジであったのだが、あれこれと命じられている内に、なんとか今を理解するまでには復活できた。
どうするんですか?
逃げるんだよ。
そんなわけで、小学生で居候だった碇シンジは、拒否することもできずに夜逃げ……逃亡生活に巻き込まれてしまったのである。
意志薄弱と罵ることは間違いであろう。母を亡くし、父に捨てられ、彼は怯えていたのである。
──しかしそんな彼であっても、過酷な旅に成長を強いられ、変わっていった。
ナップサックを肩に負い、人の立ち入らない山野を生活の場として駆けめぐった。セカンドインパクトと呼ばれる大震災によって放棄された世界には、自然と野生が戻ってきていた。
獣が獲れたし山菜も摘めた。
生きていくには困らなかった。
ただ時折山狩りにあったり借金取りに追われたりするのが恐かったのだが。
──そんな日々の中。
とうとう昨日、シンジはおじさんとともに捕まってしまったのである。ところがここでシンジにとって幸運だったのは、その金融屋のおじさんが実に人の好いおじさんであったことだった。
涙ながらに「かわいそうになぁ、酷い親持つと苦労するなぁ」と同情してくれたヤクザ屋さんに、シンジは自分がそれほどまでに荒んだ生活をさせられていたんだなぁと痛感した。そしてちゃんとした生活を送らせてやろうといってくれたこの人に、シンジは感謝の意を表すことで、自分の態度を決めたのである。
……養育費についてはおじさんの借金に加算されるとわかっていたのだが、あえてその点については無視をした。大体においておじさんに同情する余地などはなかったのだし、同情したところで意味のない人だとわかっていたので、シンジは有り難くその話を受けることにしたのである……なのに。
『来い』
そんな言葉が殴り書きされた手紙の入った封書を持って、実の父の遣いだという人がやって来た。
やたらと胸の大きい女性で、横柄な態度を取る人だなぁとシンジは思った。ろくな説明もせずに、とにかく急いでいるから来いというのである。
「あの人、どうなったのかなぁ」
シンジは青空に向かってぽつりとこぼした。
「馬鹿だよなぁ。みんな人質のつもりでぼくを捕まえておこうとしてたのに、無理やり連れて行こうとするんだから」
ぶち切れた『温厚な金融屋』ほど恐いものはなかった。第一全国を逃げ回っていたシンジたちを飽きることなく追い回し、ついにはその片方をマグロ漁船にまで乗せてしまった者共である。
尚、一回乗ったぐらいで消えてしまう借金でないことは語るまでもないことだろう……だからこそシンジの養育費も利子よりも少ないと、『付け足したところでどうということもなかろう』ということになるのだが。
「あの人、ちゃんと帰してもらえたのかなぁ?」
シンジは金融屋の本当の姿というものを知っていた。女一人をシャブ漬けにしてビデオに撮って香港に売り飛ばすくらいは普通にやる。そういう人種だ……。
……などと想像して、シンジは酷く青ざめた。
(あのビルの地下って一体なにがあったんだろう?)
組員の一人が突然に見た顔であると喚き出した。そうだ昔ビデオに撮ってやったミサトだろう? 大学時代はさんざん稼がせてやったじゃないか。お前のビデオまだ裏で売れてるぜ? 急にいなくなってどうしたんだと思ってたんだが、ドイツに身を隠してたそうじゃねぇか。まあいいや、久々に可愛がってやるからこっちに来いや。
後はお定まりのパターンだった。いやぁああとか、はぅうううとかいう悶える声が地下室より漏れ聞こえてきて……シンジは教育に悪いからなと、用意されたホテルへと移されたのだ。
「いまさら迎えだなんて……どういうつもりなのか訊けなかったし」
それが彼を悩ませていた。
金融屋の側もその点については訊ねたのだが、馬鹿なことにミサトという女は「一般人には話せません」と高圧的にいい放ったのだ。
それがどれだけ相手の心象を悪くしたかは、彼女が辿った運命を考えれば、それはいうまでもないことだった。
その後、シンジは念のためと案内されたホテルから、ばらばらになってしまった時のためにと暗記させられていた番号に連絡した。
その番号に出た人間の中継ぎを受けて、おじさんの無事を知った次第である。
『でも逃げ出すにも大変だったんじゃないですか?』
『それがなぁ、鯨だかなんだかわからんもんに船が沈められてな』
『鯨……』
『俺には怪獣に見えたんだが』
『怪獣……』
『まあどっちにしても、さっさと逃げ出せや。船が沈んだことがバレたらやっかいだからな』
シンジはその通りだと思い、さっさと荷物をまとめることにした。
もしマグロ漁船が沈んだことが伝われば、自分は一体どんな扱いを受けることになるのだろうか? 人質にされるだけならまだしも、売り飛ばされては叶わない。
なのに……捕まってしまったわけである。それも今度は父の遣いを名乗る黒服の男たちにである。
『君を第三新東京市へ連れていくのが俺たちの任務だ』
得体の知れないことが進行している。シンジは確かにそう感じてしまった。任務と来た。なんなのだ?
それでも承知することにしたのは、これ以上おじさんに振り回されるよりも良いかもしれないと思ったからだった。
しかし、考えが甘かった。
『逃げろ!』
貸し切りの特急列車に乗る直前で、なぜだか銃撃戦が始まってしまった。どこの諜報部だ! そんなことをいっていた気がする。諜報部? なんのことだろうか。あれはどう見ても金融屋の手先の暴力団関係者だった。
(きっとあれって、余所の金融屋がぼくを捕まえたんだって思って先走ったんだろうな)
そう思うと悲壮な顔をして、行けと叫んで逃がしてくれた人たちが憐れに思えてならなかった。まあ周りに一般人がいたにも関わらず躊躇なく銃を撃つような人たちだから、そんなに同情することはないのかもしれない。
そんな具合に開き直って眠ること一時間後。列車はここ、第三新東京市手前の旧箱根駅で停車してしまったわけである。
そして現在の状況に行き着く。
結局ここに至るまで、誰もシンジに事情を明かしてはくれなかった。それでも諜報部とか任務とか不穏当な発言がくり返されていたのだから、シンジにもおぼろげながらに普通の事態ではないと察しがついていた。
「でも車掌さんも逃げちゃったな……しょうがない。シェルターに行こう」
そう口にして立ち上がった直後だった。
──風が、吹いた。突風だった。
「え?」
誰かいた気がしたのだが……青い髪の、女の子が。
気にしていると、ズシンと震動に浮かされた。
「へ?」
辺りを見廻すと、ビルの向こう、山間から巨大なものが歩み出して来た。
「なんだよ。あれ……」
驚くよりも先に、呆れてしまったシンジであった。
−フェイズ2−
「我々の戦力が通じないことは認めよう、しかし君たちならば勝てるのかね?」
「その為のネルフです」
未確認生物に対する『迎撃』が承認されたのは、日本近海を航行する船舶が数隻沈めたという事実を持ってのことであった。
戦略自衛隊の速やかな展開に対し、動物愛護団体及びグリーンピースからは正式な抗議文が届けられていた。曰、これを保護せよというのである。
貴重な生物だ。それも現在の科学では説明できないほど巨大で、二足歩行するとなれば、存在価値だけでも言葉に余る。
しかしそれを容認できないのが組織であった。このまま生物が進行すれば、その住居だけでも恐ろしく破壊されることになる。ついでに暴れない保証がどこにもない。人里に近づけるわけにはいかないというのが、政府側の公式な見解であった。
こうして先制攻撃が行われたのだが……結果はまさしく惨敗であった。
未確認生物は一言でいえば怪人であった。それも身長四十から五十メートルはある怪物だった。
のっぺりとした体は両生類のものであり、脇腹にあるえらは魚類を思わせるものだった。指の間には水掻きがある。その上で形状は二足二手の人型を取っていた。
なにかの変異種や奇形種でないことは歴然としていた。奇形であれば左右対称になることはない。変異種であればこの怪物は人や猿に近いことになる。
憶測は走る。あるいは遺伝子操作による化け物なのではないのかと。
戦略自衛隊に届けられた通知書は、これが単独兵器である可能性を示唆していた。どこからそのような話が出たのか? それに対する答えはない。しかし国連の特務機関創設がこれに対するものであったのには、驚くに値する十分な秘密が感じられた。
なんのために設立された機関であったのか? まさか『秘密組織』と戦う『地球防衛軍』であったとは。
そう、どこかの馬鹿があんなものを作ろうとしていた。それを察知していた国連は、ネルフを作って対抗しようと準備していた。
おおむねそんな三流マンガのような話がまことしやかに広がった。余りにも馬鹿にした内容に、軍関係者が頭痛を感じたのはまったく無理からぬ話であった。
そして今、戦略自衛隊は自国の防衛を国連に委ねたのである。その決定は当然、トップである日本国首相が出したものだった。
「初号機、発進準備!」
慌ただしく動き出す発令所。総司令である髭面に赤いサングラスで表情を隠した男に、白髪初老の副司令が問いかけた。
「しかし碇、レイは」
「かまわん、死んでいるわけではない」
碇ゲンドウ総司令は、苦り切った表情で吐き捨てた。
「座っていれば良い、それ以上は望まん」
「初号機発進準備完了!」
「出せ」
「発進!」
その号令の陰に隠れて、戦術作戦部部長付きの専属オペレーターである日向マコト二尉がぽつりとこぼした。
「葛城さん、どうしたんだろう……」
今頃秘密の小部屋で秘密の調教中である。
少年は名前を碇シンジといった。
父の名前はゲンドウだった。
少年はむぅっと頬を膨らませ、不機嫌さをちっとも隠そうとしていなかった。
突然現れたロボットに捕まって、連れこまれたのはそのロボットの格納庫だった。
ロボットは今はオレンジ色の液体に浸り沈黙している。
冷却水である。一本角の鬼のようなロボットから連れ出された青い髪のパイロットは、苦痛に呻きながら運ばれていった。
右目と右腕を隠していた包帯が痛々しかった。どうやら大怪我を押しての出撃であったらしい。
シンジは見ていた。ロボットがしこたま怪獣にぶん殴られるのを。あの少女がどれだけの衝撃を食らったかは、想像するのも痛くて嫌だった。
ロボットの首元にある橋に立ち、シンジは首が痛くなるほど上にあるボックスに向かって怒りの波動を放っていた。
汎用人型決戦兵器──人造人間エヴァンゲリオン。隣に立つ白衣の女性にそう説明されたのだがどうでも良かった。
視線の先にいるのは不機嫌の元凶である。
ガラスの向こうに立つ男。
碇ゲンドウ。
総司令にして、父親だった。
「それに乗って使徒と戦え、これは命令だ」
「だから使徒ってなんだよ」
「再びセカンドインパクトを起こそうとする敵だ」
「なんでぼくが」
「お前にしかできないことだからだ」
「さっきの女の子だって動かしてたじゃないか」
「人類の存亡がお前の肩にかかっているのだ」
「見たことも聞いたこともないのに、できるわけないじゃないか」
「説明を受けろ。座っていればいい……それ以上は望まん」
「それってどういうことさ? 座ってるだけで勝手になんとかなるの?」
埒の明かない話に苛立っているのは、なにも二人だけではなかった。
(噛み合っているようで、噛み合ってない。わたしが説明した方が……)
白衣の女性、赤木リツコが、僭越ながらと二人の間に割り込もうとした時、ガガンと派手な衝撃に襲われた。
「奴め、ここに気づいたか」
舌打ちをし、ゲンドウは上方を振り仰いだ。
使徒と呼称される巨大人型生物は、なにかを探すようにして、街のビルを破壊していた。
その内のビルの一つが、倒れるのではなく、地下へと滑るようにして姿を消した。
落ちるビル。街の下には巨大な空洞が存在していた。それはジオフロントと呼ばれる大規模な洞窟である。
──ジオフロント。
全長六キロ、高さ約0.9キロの大規模地下空間である。使徒を送り込んだ何者かの眼を眩まし、エヴァを完成させるために彼らが基地とした場所でもあった。
森の一角にビルが落ち、破裂するように砕け散る。
使徒はやがて道路の一つにある蓋に気がついた。それが先程の『人形』が逃げ込んだ穴と同形のものだと認識するやいなや、目から怪光線を放って爆破した。
「使徒侵入!」
「射出口を逆行して来ます!」
「駄目です隔壁作動しません!」
誰かがなんてこったぁ! と叫びを上げた。未だこの秘密基地は建築途中だったのである。間抜けな話だ。
エヴァンゲリオンを格納庫から地上へ送り出すためのエレベーターシャフト。これを逆に辿って使徒は基地内部へと侵入した。時折作動する隔壁を怪光線でぶち破り、降下する。
──真っ直ぐ落ちれば、行き着く先はエヴァの格納庫、シンジたちのいる空間であった。
「レイを戻せ」
通信装置に先程の老人が顔を見せる。
『治療中だ。発作を起こしていて、意識がない』
「かまわん、生きていればいい」
そんな勝手な父に対して我慢が切れて、シンジは怒声を張り上げた。
「こっちの話は終わってないだろ!? なに無視してるんだよ!」
ゲンドウは苛立ちから言葉を放った。
「臆病者に付き合っている暇はない」
「人生の敗残者を見れば臆病にもなるさ!」
「なんだと?」
漂うは険悪なムードだ。
「ろくに警戒もしないで判子を預けて、知らない間に臓器を売り飛ばさなきゃならないようなことになった人間を何人も見ればね!」
ゲンドウは顔をしかめた。それがシンジを預けた親類の末路のことだとわかっていたからだ。自分の息子がどんな数奇な運命を辿ってここにいるのか、それくらいは把握していた。しかし。
「済し崩しで人生を潰されるのは嫌なんだよ! 乗れっていうのならちゃんと契約書とか持って来いよな! 後からそれは契約事項では、なんて泣き寝入りさせられちゃたまんないんだよ!」
「その時間はない」
「最初から話してくれてれば時間はあった!」
ぶち切れ手前三秒前。
その時である。ガァンと音がして壁から一本の光る槍が突き出された。次いで爆発。吹き飛ぶ外壁。爆発によって冷却水が橋に向かって押し寄せた。
「レイを早く!」
リツコが波飛沫を避けながらヒステリックに叫びを上げた。
ストレッチャーに乗せられて、先ほどの少女が連れ戻されて来た。しかし搬送して来た医師たちは、そこに使徒の姿を見て取り、蒼白になって立ちすくんだ。
使徒はめきめきと音を立てて外壁を引き裂き、流れ出す冷却水を分けるようにして上半身をこじ入れた。こともあろうか、胸元にあった顔、仮面がにゅいいいいいんとシンジたちを覗きみるようにして本体から長く伸びた。
「あ、あ、あ……」
皆が喘いだ。ちかちかと眼窟の奥で光が発した。それは怪光線の発射のための準備であった。
ガン! 突き上げるような震動に誰もが驚いた。エヴァンゲリオンが勝手に動いて使徒の顔、首? をつかんで持ち上げるように方向をずらしたのだ。
閃光は天井に弾けた。落ちて来る瓦礫。ぬお!? っと焦ったのはゲンドウだった。光線は彼のいるボックスの隣を直撃していた。
「静かにしろぉ!」
全員が絶望する中で、シンジの声がやけにクリアに響いた。大きく右腕を振り抜くシンジ。その腕の軌跡に沿って、使徒とエヴァの首が同時に跳んだ。
ぶしゃあ! 鮮血が同時に噴き上がる。噴射する体液はエヴァのものは赤く、使徒のものは青かった。
「話ができないじゃないか!」
シンジはさらに縦に腕を振り下ろした。エヴァンゲリオンの首から正中線に沿って切れ目が走る。荒れ狂う冷却水の波が体を二つに押しずらした。
「そんな!?」
誰かが現実を認識したくないとばかりに悲鳴を上げた。一方で使徒は失った顔の代わりを産み出そうとしていた。切り口から仮面がもぞもぞと這い出して来る。シンジのさらなる雄叫びが、使徒の行為を許さなかった。
「鬱陶しいんだよ!」
ドゴン! あらぬ方向からなにかが飛び込んで来た。壁に大穴を開いて突入して来たのは、オレンジ色の、一つ目のエヴァンゲリオンであった。
肩からぶつかった体勢のままに、水の抵抗によろめいている。
「そんなっ、動くはずないわ!?」
リツコの喚きである。
「零号機には停止プラグが打ち込んであるのよ!?」
リツコの目はオレンジの機体の首筋にある十字型の刺し込み物に釘付けになっていた。
新たな敵と判断したのか、使徒がさらなる動きをみせた。壁を破壊して胴体も中へと押し入れる。減っていた冷却水が二体の巨人の暴走によって跳ね上がった。
高波がしぶきを上げて橋の上の人々へと襲いかかった。リツコに医師団に蒼い髪の少女。彼らは波に拐われて消えてしまった。
ぶつかり合うエヴァと使徒。使徒の腕から突き出された光の剣が、エヴァの左胸、心臓を貫いた。しかしエヴァンゲリオンは怯むことなく、負けじと手刀を使徒の胸の赤い巨大な玉に突き刺した。
……相打ちである。ただしそれを理解できたものはいなかった。
誰もが事態を把握できないまま、身動きもできずに次を待った。
──涼しげな声が紡がれる。
「これでようやく……ゆっくりと話ができるね、父さん」
ぎょっとして声の主を探すと、彼は橋……アンビリカルブリッジよりも数段高い位置にあるタラップに立っていた。ぬれた髪を両手で掻き上げるようにして撫で付け、固めている。
透けてしまったシャツといい、妙な色香があった。それ以上に際立つのは、未だ不機嫌に満ちている冷たい声が作る印象であった。
「さあゆっくりと説明してもらおうかな? それもたっぷりとね」
にやりと笑う。しかし彼の父、碇ゲンドウは……。
「…………」
真っ二つに裂けて壊れてしまっているエヴァンゲリオンの姿を見下ろしたまま。下唇を震わせていた。血の気を失った顔が蒼白になってしまっている。
そして彼は名前を叫んだ。
「ユイ!」
それは彼の妻、シンジの母の名前であった。
続く
新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。