東海地方を中心とした関東地方全域に発令された二度目の特別非常事態宣言に基づいて、多くの人々が最寄(もよ)りのシェルターへと避難行動を開始した。
 前回の被害もさることながら、やはり街一つを消失させた爆心地は衝撃的だったのだろう。多くのマスコミによって報道されたその光景が、彼らに危機感を……いや彼らの恐怖心に火をつけて、焦らせる結果となっていた。
 ──そんな中。
「え? じゃあヒカリさんって、洞木さんの……」
「はい」
「そう。洞木さんには沢山おまけしてもらっちゃって……昨日も買い過ぎちゃったくらいなのよね」
「いえ。お姉ちゃんもとっても良いお得意さんができたって喜んでましたから」
「ほんとに?」
「はい」
 とあるご家庭では、世間話に花が咲いたついでに、弾んでしまって、和んでいた。


第五話 それで少年は反省した


「湾岸観測所より入電。情報はマギ経由で主モニターへ回します」
「警戒警報を再度発令。シェルターへの避難状況を確認。現在収容率七十パーセント」
 ──ネルフ本部発令所。
 殺気立つに近い状態で、皆が慌ただしく届けられる情報を整理している。そんな中、ミサトは腕を組んでメインモニターに映る敵の姿を睨みつけていた。
「前回が十五年のブランクで、今度が三週間か……こっちの都合はお構いなし、女性に嫌われるタイプね」
 吐き捨てたミサトの科白に合わせたのはリツコであった。
「ほんとにね……少しはこっちの都合というものを考慮してもらいたいものだわ」
 ちらりと見やる。
「状態はどうなの?」
 リツコは苦虫を噛みつぶしたような表情をして答えて返した。
「素体側の修復だけはなんとか間に合ったわ。元々どこがおかしいっていうものでもなかったし……でも制御系の見直しはまだよ。前回の……ファーストチルドレンが起こした暴走事故の原因究明にまでは進んでいないわ」
 ミサトは渋い顔をした。
「この間のあれのせい? LCLのプールに落ちたって」
 初号機に乗せようとしたところに使徒が──と、そういう話になっている。
 ファーストチルドレンである綾波レイという名の少女は、その時のことが原因で病状が悪化し、入院が長引いてしまっていた。
「レイが復調してくれないことにはね。再チェックのためのシンクロテストができないわけだし」
「無理な出撃も祟ったものね」
「……元々出撃できるような体じゃなかったのよ」
「それでも頼らざるを得なかった……ここにいなかった身としちゃ、なにもいえないんだけどねぇ」
 非常事態だったのよとリツコは逃げた。
「とにかくエヴァさえ出せば──その空気に流されてしまったのよ」
 浮き足立ってたもんねと、ミサトも彼女なりに理解を示した。
「ともかく初号機の起動には成功したのよね? レイは」
「そうよ。となれば問題はパイロットではなく機体にあったということになるわ。元々零号機は不完全な実験機だったわけだしね」
「シンジ君を使って調整しておこうとは思わなかったの?」
「使いたくなかったのよ。唯一戦闘可能なパイロットを使ってまで、強行する必要があったのかどうか」
 危機意識についてを追求しそうになって、ミサトは先の軽口の内容を思い出した。
(今度使徒が来るのが何年後になるかなんて、誰にもわからなかったわけだものね)
 責められるものではないなと考えを改めた。
「それで? 技術部としての意見はないの?」
 リツコは迷いながらも肩越しに司令席を見やった。しかしとりつく島がないのを見て取ることになっただけだった。
 嘆息する。そしてなにを馬鹿なことを考えてしまったのだろうかとかぶりを振った。
 確かにこの目で使徒を破壊する姿を見たが、それがどうだというのだろうか?
 その力の正体は? 一体どこでそんな力を身につけたのか?
 なにもわからないままに利用することなどできようはずがない。
 それに……。
(シンジ君の力は……)
 監視装置の大半は使徒の侵入に伴う破壊によって潰されてしまっていた。それでもリツコはいくらかのデータを手に入れることに成功していた。
 エヴァの格納庫であったことが幸いしていた。人造人間の名の通り、格納中もエヴァンゲリオンは健康管理の名目で二十四時間の監視体制が敷かれているのだ。それにあわせて監視装置と計測機器は、神経質なほどに設置されている。
 むろんそれらは、エヴァが引き起こすであろう異常に対して反応するように設定されていたのだが……、その時なぜだか多くの機器は、使徒でもエヴァでもなく、シンジを対象に反応していた。
 つまるところ、シンジの力は、使徒やエヴァよりも大きな変動値を示したということになるのである。その落差が、機械に使徒よりも危険であると認知させたのだ。
 ──そんなシンジが振るった力についてなのだが。
 リツコはこれを、ただの怪力による仕業だと結論づけていた。正確に正解へとたどり着いたわけである。
 手刀によって生み出した真空衝撃波がシンジの武器の正体であると、仮説の域を超えて断定していた。確かにそれは待機状態のエヴァを寸断してみせたのだが、物理的攻撃である以上、使徒が展開するATフィールドに対しては、どれほど有効なのかはわからない。
 この間は顔を斬り飛ばしてみせたのだが、それも不意を突いたことだったからこそできたことなのではないかと、リツコは鋭く分析していた。第一、使徒は痛みも感じずに修復しようとしたではないか。ならばシンジの能力が、いかに人間離れして見えていようと、決して使徒の自己修復能力を越えるものではないのだと、推し量ることが可能であった。
 ……鋭過ぎる切り口ほど、縫合し易いものはないということかもしれない。
「サードチルドレンはどうした」
 我が物顔で侵攻して来る使徒の姿に苛立っているのか、ゲンドウの声は荒かった。
「現在零号機とのシンクロテストを実施中です。フェイズ3クリア……4に移行しています」
 ぼそりとコウゾウが呟いた。
「国連軍にN2爆弾の用意を頼んでおいた方が好いかもしれんな」
 なぜなら残された戦力が、装甲の換装すら間に合っていない実験機であるエヴァンゲリオン零号機、ただそれ一機のみであったからである。


 シンジは妙なシートに座らされていた。
 それは良いのだが、どうにも座りごこちがよろしくない。ゆったりとした姿勢を強要されているようで、逆に腹筋に力が入ってしまうのだ。
 着せられているものは、先のテストの時に着替えさせられたパイロットスーツだった。コクピットの中は鉄の味のする液体によって満たされている。
(ユイさんはこれに取り込まれたんだよね……)
 一応、事前に、初号機と違って遺伝子的な欠損のない機体だから、そのような『事故』の心配はないと説明されていたのだが……。
「やだなぁ……戦争なんて」
 呟きが聞こえてしまったのだろう。ミサトの反論がスピーカー越しに伝わった。
『話せる相手じゃないのよ。使徒はね』
 シンジは拗ねるように口を尖らせて、思い浮かんだ言葉を呑み込んだ。
(でもあいつ、ただ浮かんでるだけじゃないか)
 シンジの少ない語句では、イカやプラナリアぐらいしか出て来ない。実際そんな形状をしている使徒だったのだが。
(先生、プラナリアって半分に切っても再生する生き物だからって、すっごく飼いたがってたな)
 もちろん食用としてであるが、そこには肝心の『大きさ』についての知識が欠けていた。
『良い? シンジ君』
「はい」
(あれだけ大きかったら、醤油どれくらいいるのかな?)
 ……ついでに、味についても欠けているようであった。


 ──三十分後。
 いらだたしげに腕を組む、仏頂面のミサトがいた。
「命令無視にエヴァの占有……その理由が使徒を食用として捕まえようとしたからだなんて、まったく!」
 大画面には零号機の姿が大きく映し出されていた。第三新東京市外苑部の小山の中腹に、使徒を抱えた状態で突っ伏している。
 逃げようとする使徒にタックルを敢行。そのままエヴァにエネルギーを供給している背中のコードでつんのめり、突っ込んだのだ。ケーブルはちぎれ、山は無茶苦茶になっていた。エヴァと使徒の格闘の痕も痛々しく、かなり崩れてしまっている。
「けど彼のいい分も一理あるしね」
「どこによ!」
「契約書があるもの」
「契約書?」
「そうよ……シンジ君がね、最初にパイロットとしてエヴァに乗ることを承諾した時に要求したのよ。後から項目を足せないようにしっかりとしたものを用意してくださいってね」
「そんなものがなんだってのよ」
「そこには規約のすべてが記されているらしいのよ。改竄したりできないように、予備まで持たれてしまっているわ。そこには『国連組織』としての規律なんてものは書いてないの。書いてあるのは給与と機密保持に関する罰則だけ。わたしたちが彼に求めたのは使徒を退治することだけでしょう? だから必要なものはこちらが提供することになっているの」
「エヴァを!?」
「そうよ。──エヴァは必要な装備であるものとして、こちらが提供している形になっているのよ。だからそれをどう扱ったって、それは彼の自由なの」
「そんな理屈……」
「ちゃんと教えたの? どうして使徒を倒さなくちゃならないのか」
 いってない。
 なぜなら倒すのが当然だと思っていたからだ。シンジを『部下』だと思っていたからだ。だがシンジは違っていた。
「彼は彼なりにね……理解していたのよ。だから使徒を捕獲しようとしたの。使徒の危険性とエヴァの重要性を説明していなかったこちらのミスね。上もそう判断しているのよ。三週間もあって説明も教育もしていなかったんですからね。第一、彼はその説明を求めてこちらに出向いて来ていたのよ? これもまたこちらの『怠慢』を示す良い材料になっているわ」
 ミサトは顔を歪めた。どうしても自分の落ち度を認められなかったからである。
 リツコのいうことは客観的な視点から見ればもっともなのだが、それでも受け入れがたい部分がある。
「エヴァはおもちゃじゃないのよ……」
 そんな苦し紛れの言葉を、リツコはやはり切り捨てた。
「いったでしょ? 彼は彼なりに理解していたと。エヴァはね、彼にとっては押しつけられた武器でしかないのよ。どうしてそれを使わなくちゃいけないのかわからないのに、使えといわれても重要度なんてわかるはずないじゃない」
 それにねとリツコは続けた。問題はそればかりではない。
 現在、チルドレンと呼称されるエヴァンゲリオン搭乗適任者は、最重要機密として秘匿されている。もちろんこの中には、未成年者をパイロットとして起用していることに関しても織り込まれている。
 そのような法的には存在しない存在。──それがチルドレンなのである。
「わかる? 機密の名の下にシンジ君は存在しないことになっているのよ。そんな彼を国際法によって縛ることはできないわ。もちろん組織としては存在を認めているわけだから別だけどね」
 しかしてその組織として罰することができないものが、シンジの手にはあるわけである。
 国家や社会の場では拘束力のない紙切れではあるのだが、この組織に従事している限り、そして従属している限りにおいては、双方共に守らねばならない文句が一通り記されているのだ。
 これを破れば組織に属しているすべての人間に対して不信を抱かせることになる。だからこそシンジを糾弾し、追いつめるわけにはいかなかった。
「大体ね……」
 けだるくリツコは付け足した。
「民間人の未成年に、わたしたちの常識を期待したことが間違ってたのよ。作戦部とか情報部とか……諜報部なんて、シンジ君にわかるはずないじゃない。彼にとってはロボットマンガの延長に過ぎなかったのよ。この戦いは。秘密基地から発進して……敵を倒して凱旋する。そんなところね。わたしたちは基地でおろおろとするだけの脇役に過ぎない。口出しする余地なんてないわ」
 ミサトはもういいとやめてくれるよう頼んだ。
「それでシンジ君は?」
「帰ったわ」
「帰したの!?」
 しかたがないのだとリツコはいった。
「だって契約書に記載されているんだもの。基本的にはフレックスタイム制で、一日の基本労働時間は六時間だってね」


 そのころシンジは夕闇迫る街の中を、一人てくてくと歩いていた。
「ちくしょう」
 その頬は不満をため込んでふくらんでいた。
「なんで怒られなくちゃならないんだよ? せっかくうまく捕まえたのに」
 ……価値観が余りにも違い過ぎたのかもしれない。それは敵に対する知識ゆえの問題ではなく、生まれ育った環境に基づいての話であった。
 ……この街はもので溢れ返っている。しかし外の世界には未だ多くの餓えと貧困が広がっている。
 幸いにもシンジは『先生』がサバイバル技術に長けている人だったので、そうそう困るようなことにはならなかったのだが、それでも毒草や毒キノコだと『考えず』に口にしてしまって、大変な目にあったことは何度かあった。
 その時には空腹のあまり、根拠もなく大丈夫だと思ってしまったのだ。死んだ人がいると聞いたことはあっても、まさか自分の手にしているキノコがその毒キノコだとは思わなかった……。
 こうした体験から、シンジは金は安心と安全を買うために必要なものであったのだと学んでしまっていた。何事にもそれなりの対価が必要であるという話である。ところがこの街はどうであろうか?
 この街には『飢え』がない。それは食べ物は買うものであって、決して『採る』ものではないからである。それがこの街に住む住人の『常識』である。しかしシンジの常識は正に『獲る』方にあったのだ。
『採る』ではなく、『獲る』である。あるいは『る』でも間違いではないが、こちらのスペシャリストは主に『先生』と呼ばれていた男であった。
 つまりは命がけで手に入れる物なのだ。だからこそシンジの目には、使徒など『おいしそう』な肉の塊としか映らなかった。
 なるべく原形をとどめたままで確保してこそ当然であろう。
 しかしその当然の発想に協調できない人間が、常識人ぶったミサトであった。それがシンジの機嫌を悪くしていた。
 リツコやゲンドウ……冬月ならともかくとして、何やってんだか良くわかんない人に、なぜ怒られなくてはならないのだろうか?
 それがシンジの不満であった。
 彼はその時のことを邂逅する。
 ──三十分前。
「発進!」
 地上に打ち出されるエヴァンゲリオン零号機。
「シンジ君。まずは歩くことを考えて」
 歩く歩くとくり返すシンジの姿が、メインモニターで確認できた。
 シンクロ率は40%。その数字は先の暴走事件を考えれば、実に破格の数字であった。
「歩く、歩く、歩く、ある……うわ!」
 地を這うようにして飛んで来たものに右足を取られた。触角のような鞭だった。使徒の。
 尻から無様に引き倒される。轟音を鳴らし、瓦礫を跳ね上げて零号機は転がった。
「わっ、わっ、わっ! ちょっと待ってって!」
 たぐり寄せようとする使徒に、シンジは慌ててもがくしかなかった。
「馬鹿! のんびりやってるから!」
 シンジはムッとした。
「いわれた通りにしただけなのに!」
「余所見しないで!」
「だったら静かにしててくださいよ!」
 シンジは怒鳴り返すと、ぐっとレバーを握り込んだ。
 ──本能が思考を凌駕する。
 そしてエヴァは忠実にシンジの本能に従って動作した。零号機の右腕が一瞬消える。
 ──ズバン!
 破裂するような音がして、使徒の両腕ともいえる触手が弾け飛んだ。
「なに!?」
「まさかエヴァで再現したというの?」
「リツコ!?」
「わからないの? 虫を等倍に大きくしたらどうなるか。その羽根を小型の時のように高速で振動させることなんてできなくなるわ。空気の抵抗、強度、色々とあるけど、それと同じで……」
 そういうこといってんじゃないって! ミサトはうんちくたれに殺意を覚えた。
「シンジ君!」
 ミサトは叫んだ。
「今から銃を出すから! それで狙って!」
 零号機は一瞬従う素振りをみせたのだが、なにやら思い直したように動きを止めた。
「なにやってんの!」
「だって、そんなことしたら、あいつズタズタになっちゃうじゃないですか」
「なにいってんのよ!」
 次の瞬間、ミサトは我が耳を疑った。
「あれ、キロ単位幾らで売れると思ってるんですか」
「はぁ!?」
「大丈夫ですよ。ちゃんと捕まえますから」
「つっ!? ちょっとシンジ君!」
「うわっと! 話してると危ないんで後にしてください!」
 マヤが叫んだ。
「通信カットされました!」
「なんでそんな操作知ってんのよ!」
 反射的にリツコが返す。
「知るはずないでしょ……雑音を排除したいって思考に、エヴァのサブコンが対応したのよ」
 ミサトは真っ赤になってののしった。
「戦闘中の回線はオープンにしとくのが常識でしょうが!」
 だからと……リツコはいらだたしげに口にした。
「零号機は実験機だっていったでしょ? システムの改造にまでは手が回ってないってことも話したはずよ」
 放つ言葉の一つ一つが、自分のミスを指摘するものとなって戻ってくる。
 そうしてミサトは悪循環の渦に飲み込まれ、ただ喚くだけに終始してしまったわけである。
 ──そして時は今に至る。
 積極性の見られない零号機の動きに見切りをつけたのか、使徒は無視して侵攻を再開しようとした。
 シンジの目に入ってきたのは、そんな無防備な背中であった。
 今だと街から押し出し倒し、懸命に首を締めて捕まえた。そんなシンジにかけられた声は、必死になってナイフを使って止めを刺すよう、説得するようなものだった。
 使徒は気を失っているだけかもしれない。仮死状態ということもありえる。
 こんなの大したことない。そういうシンジが渋々了承するまでに、実に無駄な時間が使われた。
 そしてシンジは、未だにその理由というものを、まったく理解してはいなかった。
「ちえ……なんだよミサトさん。人がせっかくシミュレーターを弁償してあげようって思ったのにさ! 父さんも父さんだよ。絶対あれを独占するつもりなんだ。売り払ってお金に換えるつもりなんだ」
 シンジにとって使徒はマグロと同じであった。エヴァはマグロ漁船である。
 自分は漁師で、エヴァという船に乗って使徒を釣り上げる。その感性に沿えば、釣った魚は当然自分のもので、ネルフは買い上げるのが道理であろう。
 なのにネルフはその魚を取り上げていった。
 シンジが憤慨しているのには、そういう理由(わけ)も付随していた。マグロは魚河岸から料亭へと段階を経る内に、さらに値段は上がるものだ。その金額差は、漁師の位置からすれば格段に高いものになる。
 この部分の『うまみ』を奪われてしまった。副次的な収入を得られない。これではボーナスを期待して待つしかない。
 シンジは機嫌の悪さに拍車をかけて、契約に失敗したなと小石を蹴った。


「ただいまぁって、あれ?」
 シンジは玄関に見慣れない靴を見つけて首を傾げた。
「ユイさぁん……誰か来てるの……って洞木さん」
 リビングのテーブルに着いて、にっこりと微笑んだのは、『大きい方』の洞木さんだった。コダマである。
「おかえりなさい」
「どうしてここに?」
「妹に誘われちゃって」
「妹?」
「あ、お帰りなさい。碇君」
「あれ? 洞木さん」
 シンジは自分の言葉に、「ああ」となった。
「じゃあ妹って」
「知らなかったの?」
 いいつつも、知らないということを知っていたのだろう。コダマはくすくすと笑った。
「本当はユイさんに誘ってもらったの、いつもおまけしてるでしょ? それでって」
 シンジはそうなんですかと空いた席に腰かけつつも、微妙な違和感に気がついた。
(あれ? 洞木さん)
 シンジの視線に気がついたのか、ヒカリは照れて頬を染めた。
「ユイさんが一緒に作ろうって……ね」
 違和感の正体はエプロンであった。制服にエプロン……なんか妙だ。だがシンジはそんなことに関係なく見とれてしまった。
「良い……」
「え!?」
「あっ、ご、ごめん……」
 てれてれと後頭部を掻くシンジである。
「ぼく、料理してる女の人って、あんまり見たことなかったから」
「碇君……」
 驚いたのはそんなやり取りを聞いていたコダマであった。妹の声音にぎょっとしたのだ。
 甘く切ない嘆きの響き。胸痛に吐き出された憂いた言葉。そんな風に『女の子』をできる歳に達しているとは見ていなかったのである。
 ま、それはともかく。
(ユイさんなんて適当にがちゃがちゃやって作っちゃうだけだもんなぁ……エプロンなんて着けないし)
 そっと隠れて吐息を漏らしたシンジであった。あれは女じゃない……女だけど。複雑に思った。なにがと突っ込んではいけない領域で、女の本性に身震いをする。
 ──ところで。
「……なんやここは」
 愕然としているのはトウジであった。彼はユイとヒカリについてコダマの店へと行く途中、はぐれてしまい、一人で戻ってきていたのである。
 ……ただし、『虚界』のシンジの部屋へとだ。
「どないなっとんのや?」
 彼が散々悩んだ末に諦めたのは、かなり長い時間をかけた後のことになった。
「あはははは」
 今朝からの憂鬱さがすっかり吹き飛んだシンジの笑いがこだまする。そんな中、トウジのことなど思い出す者はいなかった。

フェイズ2

「逃げたぁ!? シンジ君がっ、なんで!」
 発令所である。作戦課のトップがあげた素っ頓狂な声に気を引かれて、居残りのオペレータたちは何事かと首を巡らした。
 その視線の先に動揺している葛城ミサトと、対照的に平然としているリツコを見つける。
「あなたが詰め込み授業なんてするからでしょ」
 リツコはそのように切り捨てた。
「あの子の精神年齢を考えてカリキュラムを組ませるべきだったわね」
 ミサトはそんな物言いにムッとした様子を見せた。それもそうだろう。ミサトは上からの指示に従っただけだったからだ。詰め込み授業を提案したのはミサトではなく、副司令であった。
 ──少し前、碇シンジはぐったりとしていた。
 ネルフ本部の資料室。
 シンジの前に積み上げられているのは、とても分厚い冊子であった。ネルフ、エヴァ、使徒、それらに関する資料群である。
 副司令である冬月は、先のシンジの命令違反を酷く重大なことだとして受け止めていた。
「わたしも長く組織に居過ぎたよ」
 ミサトと違い、自戒できる老人であった。十年近く組織に浸ってしまっていたことで、自分と世間との常識観にずれがあることに気がついたのだ。
 問題は……彼がその問題を解決するために選択した判断にこそあった。彼はまずシンジに自分たちの常識を植えつけることを選択したのだ。詰め込み授業とはそのことを指していた。
「シンジ君。ちゃんと話を聞くように」
 だがそんなコウゾウの思惑とは無関係に、シンジは退屈しきっていた。講師の話も聞かずに、机に突っ伏してうにうにとしていた。
 小学校ですらまともに通えなかったシンジにとって、一人きりの授業とは実につまらないものであった。みんなとやれる勉強は楽しくても、宿題は決して面白いものになりえないのと同じである。
 そしてまた講師としてあてがわれた男の話し方が、非常につまらないものだった。本に書いてあることをなぞらえるだけで、存在自体が疎ましくなるのだ。
(ちゃんと読んでおくからほっといてよ……)
 それはもはや苦行に近くなっていた。
 もしここにコウゾウが顔を出していたのなら、事態は改善されていたかもしれない。彼も昔、教鞭を執っていたことがあったからだ。それも京都にある某有名大学でである。
 しかし、それらはすべて過去のこと。そんな環境に置かれていたシンジが、今日、とうとう逃亡してしまったわけである。
「でも保安部と諜報部はなにをやってるのよ?」
「静観してるわ」
「静観って……」
「だって、前にもいったけど、彼の基本労働時間はフレックスタイム制の六時間労働なのよ。それを破っていないのなら、それ以上はこちらの強制ってことになるじゃない」
「また契約か……」
「一応は引き留めようとしたらしいんだけどね。それもかなり強引な方法で」
 リツコは小さなため息を漏らした。
「でもあっさりとのされて逃げられてしまったって」
「中学生相手に何やってんだか」
 吐き捨てるミサトに対して、リツコは敢えて真実を伏せた。
 どうせ信じないだろうと思ったからだ。
「で、彼の居場所、見失ってるわけじゃないんでしょう?」
「マヤ」
「は、はい! 青葉君」
 主モニターに街の地図と光点が映し出された。位置は郊外の山である。
「現在サードチルドレンはこの地点、学校行事に参加中です」
「学校行事?」
「はい……今日はなんでも遠足だそうで」
 ミサトは頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「なんだってのよ。それは」
「……あの子、小学校にもまともに通っていなかったものね」
 リツコはちらりと、「そっか」とミサトが理解したのを確認した。
「わかるでしょ? こんなところでわけのわからない話を詰め込まれているよりは、学校に行きたいって願う気持ちが」
「そうね……」
 そういってしまえば、ミサトという女性がすべての感情を飲み込んでしまうとわかっていながら、リツコは敢えてそんないい方をした。
「まあ夕方にはこちらに来るでしょ。休むように強制するほどのことでもないし……担当の人間には残業に泣いてもらうことにはなるけど」
 実は逃げたと喚いているのは、教育担当官だけであった。彼は就業時間内に済ませたいからと、シンジに学校を休ませていたのである。
「今日くらいは休ませてあげましょう。ちょうど彼のおかげで、理想的なサンプルも手に入ったことだしね」
 それはシンジが捕獲した使徒のことを指していた。
「今日はサンプルの見学ってことで……現物を見せて、理解してもらいましょう。難しい漢字の並んでる説明書よりは、興味を持ってくれるでしょうしね?」
 ミサトはそうねと理解を示した。


 晴れ渡る空の下、新緑の合間をくねるように伸びている登山道を、ナップザックを背にしたジャージ姿の少年少女が、群れを成して歩いていた。
 それほど険しい道ではない。足場もしっかりとしていて歩きやすい。それでも普段歩くことのない地道と角度に辟易してか、皆の歩みは遅れていた。
「ちょ……ちょっと待って。碇君」
 そんな中、一人だけ妙に軽い足取りでうきうきと歩く少年がいた。シンジである。
「あ、ごめん」
 謝罪するのだが、その顔は変にゆるんだままだった。ヒカリは膝に手をおいて息を正しながら呆れた顔を見せてしまった。
 シンジがうかれている理由はわかるのだが、だからといって同調できるものでもない。
 学級遠足を純粋に楽しめる時を過ぎてしまっているからである。
 シンジはそんなヒカリに対して手をさしのべた。
「ナップザック持とうか?」
「あ、ううん。良い……大丈夫」
「いいよ。持ってあげるよ。ほら」
「……ありがとう」
 強引に奪うシンジに、一応は礼をいう、と。
「碇君優しい〜」
「ヒカリ良かったじゃない」
 女の子たちがはやし立てる。
 シンジは照れて赤くなり、俯いてしまった。相変わらず話しかけられるとどうしていいのか悩んでしまうようである。
「きゃー、碇君可愛い〜」
「あたしもナップザック持って欲しいなぁ」
 顔を覗き込まれてもじもじとしてしまう。そんな姿が可愛いと人気を誘ってしまうのだが、ヒカリは周りにからかうのを止めろというべきかどうか、迷ったままでここまで来てしまっていた。
 シンジの人見知りは赤面性というよりも苦手意識に近いものだったからだ。ちゃんとした友達付き合いを経験していないから敬遠しようとしてしまう。距離を測れない。
 今の状態はその苦手意識をより強くしてしまうかもしれないが、逆に周りと触れ合えるきっかけでもあるのだ。自分一人が友達というのでは内に篭っている状態と変わらないだろう。ヒカリは教室から逃げ出したシンジの背中を忘れられないでいた。
(そうよね。人に慣れるのは悪いことじゃないもの)
 悩むことはないのだと慣れてくれれば……ヒカリはそんな期待を込めて見守ることにした。このまま学校を楽しいところなのだと思って欲しい。そう思った。思ってしまった。
 シンジは恥ずかしいからといって照れ隠しに人を傷つけたりはしない。だから『可愛い』のかもしれない。
 ──ちくり。
 背中に抱きつかれたりしているシンジを見て胸に奇妙な痛みを覚えてしまった。針で刺すような痛みではなく、鈍痛のような疼きであった。
 ヒカリは気がつけば、ぱんぱんと手を叩いて皆の注意を引いてしまっていた。
「ほらほらみんな。そろそろ行かないと遅れちゃうから」
 はぁいっと女の子たち。ようやく解放されてシンジもほっとしたようだった。


 ──18:00pm.
「山に登ったんです! ハイキングコースを……みんなでお弁当食べて、お菓子とかいっぱいもらっちゃって! ハイキングって楽しいんですね! ぼく道のあるところをあんなにゆっくりと大勢で歩いたことなんてなかったから知りませんでした!」
「シンジ君」
 思わずほろりとしてしまうミサトである。シンジには野山など逃げ回っていた記憶しかないのだろうなぁと想像してしまったからだった。
「そう、良かったわね」
「はい!」
 にこにことしているシンジをナビシートに乗せてミサトが到着したのは、先日シンジが大いに暴れたあの山だった。
「ふわぁ……」
 山には即席のプレハブが組まれていた。プレハブといっても桁違いに大きい。なにしろ使徒を丸ごと覆い隠しているのだから当然だった。
 長さで百メートル、高さで三十メートルはある。その中はほぼ空洞で、沢山の工作機械が運び込まれていた。
 シンジは鉄骨によるやぐらが組まれている使徒を見上げてあんぐりと大口を開いてしまった。そうでもしないと見上げられなかったからだ。
「使徒って……こんなに大きかったんですね」
「そうよぉん。こんなものに暴れられたら大変なことになるでしょう? だからわたしたちは戦っているのよ」
 シンジはちょっとだけ反省をした。
 みんな一生懸命なんだとわかったからだ。
「ごめんなさい……あの、この間のこと」
「それはもう良いから」
 ミサトはシンジの被っている『安全第一』のヘルメットをこんと叩いて微笑んでやった。
 その笑みを見てシンジは安堵し、ほっと胸をなで下ろした。実はミサトよりいい含められていたのである。
『あの山を元に戻すのに、一体どれだけお金がかかると思ってるの?』
 そんな指摘に血の気がひいて、シンジは倒れかけたのである。確かにそうで、山のみならず街まで壊した。そのすべては自分がやったことなのだ。
 果たしてその賠償金はいくらになるのか? 使徒一匹で釣り合うものなのか?
 ミサトは感覚的に、シンジに対してはそのような物の言い方のほうが道理を含ませやすいと気が付いていた。事実やけに従順になってしまったシンジである。
「今日これを見せておこうって思ったのは、エヴァから見てたから、どれくらい『凄い物』なのかわかってないんじゃないかって思ったからなのよ」
「あら……ミサト、シンジ君も」
「リツコさん」
 シンジはぺこりとお辞儀をした。
「お邪魔してます」
「……みんなの邪魔にはならないようにね」
 リツコは『わたしの工場じゃないわよ?』といいかけてやめた。それは皮肉にも聞こえる科白になってしまいそうだったからだ。この少年が傷つきかねないと判断したのである。
 リツコは両手で巨大な鉄の管を抱えていた。
「それ、なんですか?」
「ああ、これ?」
 持ち上げて見せる。
「使徒の細胞、回収して来たのよ」
「サンプルってわけ?」
「ええ。──これと第三使徒との塩基配列を比べれば、少しはつかめることもあるだろうと思ってね」
 ミサトは顔をしかめた。『第三使徒』、前回の使徒のことである。
 問題はそのナンバリングだった。第一、第二についての情報がないのだ。
 一応ミサトは、第一使徒については心当たりがあった。
 ──かつて存在した南極大陸の地下には、ジオフロントと同じ巨大な地下空洞が広がっていた。
 そこには謎の構造物があり、正体不明の生命体が仮死状態になって休眠していた。これに対するコンタクトが行われ……結果セカンドインパクトと呼ばれることになった大爆発が引き起こされてしまったのである。
 その衝撃は大陸をまるごと消し飛ばし、地軸をも歪ませた。使徒迎撃とはセカンドインパクトの要因と成りうる使徒への対処を含んだ対策なのである。
 セカンドインパクトの影響は宇宙にまで及んでしまった。電磁波や衝撃による大気の流動が衛星を軌道からふるい飛ばしたのだ。衛星は各国の復興に合わせて改めて打ち上げ直されたのだが、実はこれらの衛星には、これまでにない機能が搭載されていた。それは重力探知機の類であった。
 他にも使徒が眠っている場所があるかもしれないと、探査目的で組み込まれた機能であった。そして当たって欲しくもない期待通りに、あっさりと第一号機目にして早くも震撼させられる情報がもたらされてしまったのである。
 日本の……それも関東地方に、南極以上の異常な数値が検知されてしまったのである。
 調査の結果、ここ、箱根の地下に、南極と同様の大地下空間が発見された。そして発掘の結果、やはり南極と同様の謎の構造物が掘り起こされたというわけである。
 ミサトは漠然と、南極と同じように本部の地下にも使徒が眠っているのではないかと疑っていた。確認はしていないのだが、そうであればこの奇妙なナンバリングのしかたにも、一応の説明がつくからだ。
 しかし……その疑問そのものは、実はネルフに入る以前から持っていたものだった。
 南極を調査し、生命体を研究していた葛城調査隊。その隊長である男の一人娘がミサトであった。そしてミサトもセカンドインパクトの当日、いたのだ。その地に、南極に。
 思い出すのは、一人海の上を漂っていた時のことだった。救命ポッドのハッチを開いて、地獄のような光景を眺めた。
 高く、高く、光の柱が伸び上がっていた。それも四本。
 それが使徒の翼であったことを知ったのは、数年後、ネルフの前身であるゲヒルンという名前の使徒研究機関に入ってからのことになった。
 唯一の生き残りとして、どうしても使徒の真実に近づきたくて、そして今ここにいる。それがミサトの根底にあるものだった。
「しっかしまぁ……。どうすんの? これ」
 ミサトは内心で渦巻くものを感じさせずに問いかけた。
「どうって?」
「だってこれ、このサイズでしょ? 本部の予備倉庫は第三使徒でいっぱいじゃない。廃棄処分するにしたって」
「そうね」
 リツコは事務所へといざなった。
「けど放置しておくわけにもいかないし、他の組織もうるさいしね。回収して本部の空き部屋に転がすことになるでしょ」
「空き部屋ね……」
「使ってない空間なんて幾らでもあるもの」
「そうなんだけどさ」
「なに?」
 う〜んとミサトは自分でもはっきりとはわかっていないのか、ごにょごにょと答えた。
「ほら……エヴァの格納庫って、何十機とはいわないけどさ、十何機分も確保されてるじゃない? あれが気になっててね」
「そう?」
「エヴァ一機分の予算もままならないってのに、そんなに作る予定ってあるのかなぁって」
 リツコはあるんじゃないかと気楽に答えた。
「将来に対する備えだと考えれば、決して無駄な作りじゃないでしょ? 使徒がいつまで、一体どれくらい来るのか、まったくわかっていないんだから」
 はぁっとミサト。
「その間はシンジ君とレイに頼るしかないのか」
「アスカもいるでしょ。ああ、そうだ。シンジ君」
「は、はい」
 話に着いていけず、ぼんやりとしていたシンジである。
「なんですか?」
「これ、あなたももらったと思うけど、IDカード。レイの分なんだけど、明日学校ででも渡して上げてくれない?」
「え?」
「リツコが忘れるなんて珍しいわね」
「違うわよ……あの子今日やっと退院したのよ。前のカードは入院中に期限切れ。あの子には明日検診を受けに来いっていってあるんだけどこれがないと……シンジ君。お願いできる?」
「あの……」
「シンジくぅん」
 ミサトはからかい口調でシンジにからんだ。
「おつかいくらい頼まれて上げなさいよ。それも人付き合いよ?」
「いえ、そうじゃなくて」
「なに?」
「なんなの?」
 シンジはようやく、口にできた。
 カードの名前を確認して言う。
「この……綾波さんって、誰ですか?」
『へ?』
 ミサトとリツコは目を点にした。


「うかつだったわぁ……」
 机に突っ伏し、そう口にするミサトである。
「そういえばちゃんと紹介してなかったわね」
 はぁっとシンジは頬を掻いた。
 最初の時、確かに誰かを初号機から降ろしたのを見ている。乗せようとしたのもだ。しかしそれが綾波レイという名の少女であるとは知らなかった。
 リツコもリツコで、とっくにシンジは彼女のことを知っているものだとして思いこんでしまっていた……が、それは単なる早とちりであった。
 初号機から降ろされて、そして数分で連れ戻された綾波レイは、そのまま侵入してきた使徒の立てた波に飲まれて、姿を消してしまっているのだ。その後怪我の悪化に伴い病状も悪化。そして現在に至るまで、長い入院生活を余儀なくされてしまっていたのである。
「使徒とネルフだけじゃ足りなかったわね」
 常識だとして伝え忘れていたことがここにもあった。
 リツコはそんな具合に自嘲した。知っていて当然と思うことの危うさを感じたばかりだというのにと。
 そんなわけで、シンジは改めて届けものを請け負ったのだが……。
 ──学校。
 きょろきょろとしているシンジを見つけて、ヒカリは怪訝そうに問いかけた。
「どうしたの?」
「あ、うん……今日、綾波さん、来てるはずなんだけどなって思ってさ」
「綾波さん?」
 ヒカリは怪訝そうにした。
「碇君、綾波さんを知ってるの?」
「知ってるっていうか……届けものを頼まれたんだ。これ、ネルフのカード」
 ヒカリはシンジがみせたネルフのカードに目を丸くした。
「どうして碇君がそんなものを持ってるの? っていうかどうして綾波さんに……」
 なにも考えてない風情でシンジは答えた。
「だってこれがないとネルフに入れないじゃないか」
「ネルフに?」
「うん」
「なんの用事で?」
「へ?」
 シンジは知らなかったのかと口にした。
「綾波さんもエヴァのパイロットだからね。これがないと困るんだよ」
「エヴァ?」
「うん、ネルフのロボット」
 一瞬、教室の中が静まりかえった。
「ちょ、ちょっと碇!」
 慌てて声を発したのは眼鏡の少年だった。トウジの親友のケンスケである。
「綾波がロボットのパイロットってほんとかよ!」
「え? う、うん……そうだけど」
「嘘だろ……マジかよ」
 おどおどと萎縮するシンジである。いってはいけなかったのかなぁと今更ながらに不安になる。そのうえ何度も問いただされると、違っていたらどうしようかと、怯えに似たものがわきだしてきた。
 そんなシンジの思考パターンを知っているからか、ヒカリは不憫になって助け船を出した。
「でも、誰に頼まれたの?」
「あ、うん……ネルフでエヴァ作ってる人に」
「そんな人と知り合いなの?」
「だからいってるじゃないか……ぼくもエヴァのパイロットだって」
『え?』
「住居手当てとか保険とか結構しっかりしてるんだよね。ネルフってさ」
『えええええ!?』
「給料も結構良いし」
『えええええええええー!?』
 ヒカリとケンスケのみならず、クラス中で妙な悲鳴が叫ばれて……。
「な、なにしとんねん、お前ら……」
 遅刻寸前にやって来た鈴原トウジは、変な格好で驚き固まってしまっているみんなの様子に、このまま帰ろうかと退いてしまったのだった。


続く


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