「システムをシンジ君に書き直して、早く!」
指示を出すリツコの横で、ミサトは渋い顔をしていた。
「零号機の起動試験中に来るとはね」
「間が悪いわね、本当に」
「……レイは使えないのね?」
「……司令の指示なのよ。まだエヴァによる実戦は無理だからって」
ふん? とミサトは鼻白んだ。
「そんなに悪いの? レイ」
「なにが?」
「零号機は即時対応できる状態だったわけでしょ? それに元々レイの機体じゃない。なのに手間取ってまでシンジ君を乗せようとする。……レイに強い不安があるとしか思えないわ」
まさかと続ける。
「レイが大事だから……なんていわないでしょうしね」
「…………」
黙すリツコだ。
「零号機準備完了! 発進位置に着きました!」
「システムの書き換え、最終チェック終了! オールクリアです!」
ミサトは威勢よくかけ声を発した。
「発進!」
しかし絶叫が重なった。
「目標内部に高エネルギー反応!」
「なんですって!?」
「周辺部を加速! 集束していきます!」
「まさかっ、加粒子砲!?」
リツコの叫びにミサトが呼応する。
「シンジ君避けて!」
がくんと地上に排出された時の衝撃で、シンジはその叫びを聞き逃してしまっていた。
第七話 よって少年は義憤に燃えた
「え?」
ぽかんと気を奪われたシンジであったが、目も眩む閃光に対し、半ば無意識の内に力の行使に移ってしまっていた。
──それは本能的な行為であった。
危機意識が過度の負荷をエヴァに強いる。エヴァはそれを実現するために、己の体を変容させようと試みた。
エヴァは使徒と同じく『光のような物』で構成されている。ならば光に限りなく近づくことで、時間の流れがゼロに近い領域へと活動状態を移すことは可能……なはずであった。
相対的に外部の展開を非常にゆったりとしたものだとして認識し、シンジは光が伸びて来ているのを目視にて確認すると、エヴァを動かし、避けようとした。
が。
「へ?」
バシュッと……奇妙な音がしたと同時に、全身をばらばらにされる苦痛を感じて……。
シンジは意識を失った。
──病室。
強ばる体に苦痛を感じて、シンジは呻きながら意識を取り戻した。
滲んだ視界に真っ白な天井を見出して困惑を一層強くする。
「……知らない天井だ」
くっと無理を強いて起き上がろうとすると、その体を支えてくれた腕があった。
「綾波さん?」
息を感じるほどに近く、彼女の顔が傍にあった。
「12式自走臼砲消滅」
──作戦会議室。
とても渋い顔で物思いに沈み込んでいるのはミサトであった。
一人椅子に腰かけてふんぞり返っている。思い出しているのは先のできごとについてであった。
──シンジ君避けて!
次の瞬間、ビルを溶解させた閃光は、エヴァを直撃したかに見えた。しかし。
「…………!?」
バシュッと……。
いきなりエヴァは爆ぜてしまった。
溶けるでも倒されるでもなく。
四散して、弾けたのだ。
「なっ!?」
誰もが言葉を失った。使徒の閃光は僅かばかりにエヴァの外郭装甲と血肉を巻き込み、蒸発させながら固定台を撃ち抜いた。
──爆発。
固定台の融解に伴う気化爆発に巻き込まれて、千切れたエヴァの筋組織がまるで生き物のようにのたうち踊った。その上に脊髄と背骨の露呈した胴体がゴトンと落ちる。
「リツコ!」
「ちょ、ちょっと待って!」
狼狽に正常な判断は無理と断じる。
「戻してっ、早く!」
固定台が下げられる。間一髪、エヴァであった『肉の山』は、再度の使徒の閃光に焼かれることなく、地中深くへと逃れ得た。
意識を戻す。
使徒に対する通常兵器での様子見は終了していた。
苦いものを噛み潰す。思えば前回の使徒ですっかりと油断してしまっていた。
通常兵器の存在などまるで意にも介さずに進攻して来た。そのことから今回も無視されるだけであろうと省略したのだ。
──それが裏目に出てしまった。
人はパンのみで生きるにあらず、そしてそのパンですら現金が無ければ手に入らない。そんなわけでただでさえエヴァの修復に資金を取られている現在、ミサイル一発でも『ケチ』ろうと……いや、無駄にすまいと牽制行動すらも控えたのだが……。
今にして思えば、それが間違いであったのだ。
「説明をお願い」
そんなミサトの正面にリツコが立った。
「まず第一に……零号機の被害は使徒によるものではないことがわかったわ」
は? とミサト
「どういうことよ?」
「これを見て」
足元に光が灯される。映されたのは固定台ごと地上にせり上がる零号機の姿であった。
「ここからよ。再生速度は百分の一秒」
コマ落としで閃光が直進して来る。しかし零号機の胸を打つかに思われた瞬間……。
ゆっくりと……零号機が身を捩るような仕草をみせた。そして。
「なによこれ……」
ぶちぶちと、『素体』を被う特殊ラバーが断裂を起こして弾け飛んだ。その下にある筋肉が膨張のあげくにそのまま爆ぜる。そしてその現象は全身へと広がって……。
「零号機は自爆したのよ」
「自爆!? 零号機が? どうして!」
「おそらくは……シンジ君の思考に追いつこうとして無理をしたのね」
「はぁ!?」
驚嘆するミサトである。それも当然だろう。
「シンジ君にはね、使徒の攻撃が見えていたのよ……文字どおりにね? だから避けようとした。けど要求したものが高過ぎて……」
「エヴァは追従できずに自壊したっての?」
「そういうことね」
はぁ! っとミサトは天上を仰いだ。
「そんなこと、考えたこともなかったわ……」
「当たり前よ。エヴァとのシンクロにはハーモニクスに伴った『フィードバックシステム』が存在しているのよ? 言わばそれは自分の体のように感じているということ……普通の人間が普通に動こうとする範疇でなら、こんなことはありえなかったわ」
「あの子の常識を疑うわね」
「そういうことよ……。エヴァ、素体そのものは対応できていたみたいよ? でもエヴァにはわたしたちがコントロールできるように機械を搭載していたから」
「それが歪みとか亀裂を生んで、断裂させたと?」
溜め息を吐く。
「認識が甘かったようね」
「はん?」
「シンジ君は純粋に『操縦』していたということよ。深く考えずにね」
「イメージのみで?」
「ある意味では最も理想の状態ではあるけどね」
まあいいわ。とミサト。
「その辺の考察については後にしましょう? それで、初号機の様子はどうなの?」
「完治までに後二ヶ月はかかるわね」
「直るの?」
「『直す』のよ。まあ、それまでここがあればの話だけど」
「零号機は?」
「大破だけど直しようはあるわ」
「あそこまでばらばらになってて?」
「初号機と違ってテストタイプの零号機には開発途中で破棄した部品が山のように残されているのよ」
「そのパーツで?」
「いざとなったら実験用の模擬体だって流用できるし」
「パッチワークにはどれくらいかかるの?」
「約二ヶ月ね」
がっくりとくる。
「なによそれ……」
「直るだけましだと思ってちょうだい」
ミサトは口を尖らせた。
「零号機って雑に直んのねぇ……初号機にはやたらと手を焼いてるのに」
当たり前よ。とリツコは冷たくいい返した。
「テストタイプで得られたデータを元に、限界ぎりぎりのチューニングを施された特別機が初号機なのよ? その設定があまりにも厳しすぎて、そうそう簡単に直せるものじゃないのよ」
「ふうん」
ミサトは本題に話を戻した。
「それで使徒の様子は?」
足元の画像が地上の様子に切り替わる。補佐役の日向マコトが解説を入れた。
「現在、ジオフロント内、ネルフ本部へ向けて穿孔中です」
正八角形のクリスタルから、ドリルが一本下ろされていた。
ゆっくりと回転して潜ろうとしている。
「到達予想時刻は、明日0時06分54秒です」
「あと十時間足らず、か……まさに打つ手なしね」
「白旗でも上げますか?」
「それともシンジ君に頼む?」
は? とミサト。
「シンジ君に?」
「ええ」
「…………」
ミサトは伝聞形で聞いた話を思い返したが、やはり信じる気にはなれない様子であった。
余りにも荒唐無稽にすぎるからだ。第一、使徒と直面したあげく生死の境をさ迷った彼女らの記憶が、一体どこまで定かであるのか? そちらこそ疑ってかかるべきだろう。
「まあ、その前にね……エヴァなしでもやれるってとこを見せておかないと」
だからミサトはそう逃げた。
「やれるの?」
「うちは使徒迎撃のための専門機関であって、別にエヴァを運用するためだけにあるわけじゃないでしょ?」
「でもエヴァはネルフの存在意義そのものよ?」
「わかってるわ。だから」
懐からディスクを取り出した。
「これのシミュレーションを、お願いね?」
ミサトはにやりと不吉に笑んだ。
──そして、戻ってシンジの病室。
シンジは傍らにいてくれたレイに対して、ああ、と幸せそうな笑みを浮かべた。
動揺するレイである。
「なに?」
「ううん……」
シンジはまだ自由が利かないのか、ややぎこちなく首を振った。
「お見舞いに来てくれたんだ……って思って」
「……そう」
レイはぽてんと胸に頭を預けようとするシンジを避けた。
「食事……持って来たから」
残念そうにするシンジを放置し、手押し車をシンジの傍へと押しやった。
「食べた方がいいわ」
「……うん、使徒は?」
「今みんながエヴァなしで倒す方法を探してる」
「ごめん……」
シンジは体を折るようにして頭を下げた。
「綾波さんの零号機、借りておいて……」
レイはそこにあった表情にドキリとさせられた。心底謝っていると感じられたからだ。
「良い、気にしてない……」
「ほんとに?」
「ええ」
ほっとするシンジに、またも動揺してしまうレイである。
「……労りの言葉、初めての言葉、あの人にもかけたことないのに」
「なに?」
「なんでもない」
「そう?」
なにを呟いたんだろうと覗き込むシンジに、レイはトレイを押し付けた。
「これ……」
「あ、ごめん」
トレイを受け取り、膝の上に置く。
「着替えも、持って来たから」
身を屈めて手押し台の下から着替えを取り出す。服はビニールパック入りの制服だった。どうやらクリーニングされてしまったらしい。
シンジはスプーンを持ったまま、そんな風にするレイの一連の動きにぽうっとしていた。
心なし頬が桜色に染まっている。
「……良いな」
思わずこぼした。そして嬉しそうに悶えてはしゃいだ。
「ぼく忘れてたよ。看病してもらえることがこんなに嬉しいことだったなんて」
「そう?」
「今までは熱を出しても、誰も助けてなんてくれなかったからね」
シンジは深い懊悩をかいまみせた。
(先生、雑なんだよな……)
ずぅんと暗くなったのは、余計なことを思い出してしまったからだった。
熱さましだと頭を落とした蛇の切り口を無理やり咥えさせられたのだ。生き血を吸えと呑まされたことを思い出せば食欲も減退する。
頭がなくなっても尻尾はひょろひょろと動いていた。唇と歯でぐにぐにと意外と堅い肉を咬んで、逃がさないように注意させられて……。
「…………」
レイは真っ白に青ざめたシンジを、何やら思い深げにじっと見つめた。
何やら感じるところがあったらしい。
「なぜ」
「え?」
無意識の内に口走ってしまったことを後悔してももう遅い。シンジの不思議そうな瞳には抗えなかった。
「なぜ……あんなことをしたの?」
唐突な問いに、シンジは質問の意図をなかなか見いだせずに戸惑ってしまった。
「あんなこと……って?」
思い出して真っ赤になる。
「え、あっ、……ごめん!」
「…………」
「でもああいわないと、わかってくれないだろうなって思ったから」
「……そう」
どうやら着替えの件であたっていたようだった。
「怒ってる?」
レイはぷるりとかぶりを振った。
「そっか」
シンジは笑った。
「綾波さんって……優しいんだね」
突然に口にされて赤くなる。
「なにをいうのよ」
「だって……普通あんなことをされたら、またなにかされるんじゃないかって、怖く思わないの?」
それこそレイにはわからない。
「なら……あなたは嫌って欲しかったの?」
「そんなことないよ!」
強い調子で訴える。
「嫌いになって欲しい奴なんているもんか!」
「じゃあ、どうして?」
「だって……そうしないと綾波さん。いつか酷い目に合わされることもあるんじゃないかって、思ったから……」
また一つ、首を傾げる話であった。
フェイズ2
「状況は?」
ミサトの言葉にリツコが答えた。
「陽電子砲の準備はオーケーよ。国連と戦自の協力も取りつけて双子山山頂に設置済み。後はエヴァを運ぶだけよ」
「結構、電力確保の方は?」
「総電力の徴発。先程副司令がなんとか話をつけてくれたわ」
「……これで負けたら首が飛ぶわね」
「あら? 勝ってもネルフがお払い箱になる可能性が残るわよ?」
どちらにしても、とミサト。
「後がないなら、やるだけよ」
リツコはなにを感じ取ったのか、ミサトを横目に見やったのだが……。
「…………」
結局、口をつぐんで、なにも言葉をかけなかった。
──場所移って。
双子山山頂。
風の吹きつける寒い中、コートを着込んだ大人たちが追い立てられるように忙しくしていた。
工作機械が大量に移設され、何やら騒音を立てている。
「超長距離からの攻撃」
リツコが呆れたようにいう。
「ほんと、無茶な作戦を立てたものね」
ミサトはそれに対して胸を張った。
「でも現状で最も確実な作戦よ?」
「勝率8.7パーセントのね……でも」
リツコが振り仰いだのは『エヴァ』だった。それも、『初号機』だ。
「あてにはならないわよ?」
急遽装甲を取りつけたものの、一度は真っ二つにされた機体である。そうそう直るものではない。
直っているように見えるだけだ。装甲も縫合が解けないように、ギプス代わりの意味合いが強かった。
「いいのよ。おいてあるだけで、動いているように見えればね」
ミサトは苦笑して告げた。
本当のところは、大人の事情が関っているだけのことであった。
ATフィールドをも貫く破壊力を持った兵器で、一点集中突破を試みるのが作戦の趣旨である。そのために高出力の砲撃を行える戦自の陽電子砲のプロトタイプを接収したのだ。
問題は……この作戦ならばエヴァがなくとも使徒を葬れるというところにあった。しかし、それでは困るのだ。
──ネルフが。
だからこそのエヴァの配置である。どうせ詳しいデータは塗り潰して与えないのだし、ならば人目についていればそれで良い。
エヴァの瞳は黒いままで、光は灯っていない。起動……いや、まだ『蘇生』されていない証拠である。そしてまだ起こす予定もなかった。
戦闘終了後に、エヴァが出撃していたという事実さえ残ればいいのだ。ここで他の組織にエヴァの有用性を否定する材料を示してしまえば、そろってネルフ不要論を唱え始めるだろう。しかし……使徒はそう甘くはない。
きっとまたエヴァは必要になる。その時になってからでは遅いのだ。だからエヴァは有用であると認めさせ続けねばならない。
その理屈はリツコにも通じた。
「エヴァがサポートしたから成功した。そういう『事実』を捏造するわけね、悪どいわね」
理由など後から幾らでも作れるものだ。
そのための『配備』であって、『待機』ではない。
「あら? リツコにそんなこといわれたくないわね」
「どういう意味?」
「さあ?」
「…………」
「…………」
「ふふふふふ」
「ふふふふふ」
『ふふふふふふふふふ』
そんな異様な雰囲気をかもしだす二人にシンジは怯えて、話しかけることができず……。
またレイはレイで、上目遣いに呆れているような……白けているような、とても冷めた目を投じていた。
そっと溜め息を吐き、その赤い瞳をシンジへと向ける。
「行きましょう」
「え? あ、うん!」
シンジはとたとたと背を向けたレイを追いかけた。
その様子はまるで懐いたばかりの小犬である。
「でも良いの? 説明、聞かなくて」
何気ないシンジの言葉にレイは答えた。
「……作戦は既に伝えられているわ。確認のために寄っただけよ」
「そうなんだけどね」
のほほんと。
「でもあのエヴァって、壊れてるのに乗っても大丈夫なのかな?」
レイは頷く。
「ええ」
「どうして?」
「エヴァの中が一番安全だもの」
「は?」
「ATフィールドが『わたしたち』を守ってくれるわ」
「えーてー……ああ、バリアだっけ」
ムッとする。
「『ATフィールド』よ」
「壊れててもバリアは張れるんだ」
「…………」
どうやら修正は諦めたようである。
「……わたしたちは、囮よ」
「おとり?」
「ええ。囮となって、使徒の攻撃を引きつける……その間に」
「ミサトさんたちが止めを刺すのか」
う〜んと唸るシンジに、レイはやや冷たい感じのする横目をくれた。
「不安なの?」
素直に頷く。
「うん……ちょっとね」
「どうして?」
「だって……ロボット、壊れてて動けないのに」
それは確かにそうである。
その上ATフィールドでも防御できない出力で攻撃して来ることがわかっているのだ。
なのにレイは大丈夫という。
「綾波さんは……怖くないの?」
そんな疑問から発した言葉であったのだが、レイの反応はきつかった。
「あなたは……信じていないの? お父さんの仕事を」
シンジは驚く。
「怖いのと父さんになにか関係があるのさ?」
その逆質問は、酷くレイを困惑させた。
「……エヴァはあなたのお父さんが作った物よ。だから」
「うん、ミサトさんやリツコさんも頑張ってるみたいだけどね」
上手く説明できないのかいいよどんだ。
「でもさ……。みんなが頑張ったからって、絶対ハッピーエンドになるなんてことはないじゃないか」
「そう?」
「うん。──だから不安なんだ。みんなを見てると不安が減ってくような気はするけどね、それでも怖いのが全部なくなるわけじゃない。やっぱり怖いものは怖いよ。そうでしょう?」
レイはドキリとしてしまった。
いつしかシンジの雰囲気が変わってしまっていたからだ。
酷く陰惨に、目が凄絶な色合いを湛えていた。
「……色んな子を、ぼくは見て来たよ」
「…………」
「お父さん、お母さんって、泣いてた……お父さんもお母さんも、大丈夫だよって守ろうとしてた。でも……結局は」
どうなったのだろう?
途切れた言葉の先をレイは知りたいと思った。しかしシンジはそれを語らず目を逸らした。
「……お父さんやお母さんって、『家』の中じゃ一番強いよね? でも外にはもっと強い人がたくさんいるんだよ。その人たちの『暴力』の前にはなんの当てにもならないんだ。どれだけ信じてたって無駄な時は無駄なんだ」
「…………」
「今がそうだよ。だから怖いんだ。わけのわからない奴が攻めて来てる。父さんやみんなは必死になってそれを倒そうとしてる。不安だよ。不安になって当たり前だろう? 怖くないならどうしてみんな必死なのさ?」
「……そうね」
これにはレイも認めざるを得ないものがあった。
「そうでしょ? だから怖いんだよ。みんなが必死にならなきゃいけないくらいに大ピンチなんだな、本当に大丈夫なのかなって不安になって来る。とても綾波さんみたいには思えないよ」
「わたしにみたいに?」
立ち止まったレイに、シンジは一歩前に出てからふりかえった。
「うん」
サーチライトをバックに、笑みをこぼしている。
「綾波さんは……本当に父さんのことが好きなんだね」
「な、なにを」
「だから凄く信じてくれてるんでしょう? 良いなぁ……ぼくもそんな風に甘えられる人が欲しかったよ」
はっとレイは口を開いた。
あまりに寂しそうにいうものだから……。
「碇君……」
「え?」
それはほとんど、反射的に出た言葉であった。
「あなたは、わたしが守るから」
──ミサトとリツコは、闇に溶け込む初号機を見上げて険しい表情を作ってみせた。
ヘッドフォンから伸びるマイクに手を添えてミサトはいう。
「どう? シンジ君。調子は」
僅かに困惑した声が返される。
『はぁ……前とはちょっと違う感じがします』
リツコに視線を送り、彼女の許可をもらう。
「どんな風に?」
『なんていうか……意識ははっきりしてるのに感覚が鈍いっていうか』
「どう思う?」
これはマイクを切っての質問だ。
「正常よ。機体の損傷から来る『痛み』を感じないようにフィードバックをゼロ設定にしているんだもの、意識がはっきりするっていうのは、外的な刺激から切り離されているからよ。エヴァと自分、両方の感覚を同時に感じる必要がないから、精神的なストレスから解放されているのね。ほんと、興味深いわ」
「シンジ君」
後半のリツコの言葉は受け流す。
「そちらにはこちらからの映像を流します。危ないと思ったらエヴァを起動して、身を護って。──レイ」
『はい』
「シンジ君をお願い」
『はい』
「では作戦開始!」
巨大な『背もたれ』に体を預け、エヴァはくつろぐように足を投げ出す格好を取らされていた。その様はまるきり悪趣味なお人形だ。飾られているだけの代物である。
右腕は傍らにある巨大な砲台のトリガーにかけられていた。──ポジトロンスナイパーライフル。その尻には幾重にも枝わかれするケーブルが繋げられていた。日本中から集められた電力を流し込むためのものである。
もちろんエヴァの指がかけられているのも偽装工作の一環であった。
実際には指揮所でミサトが引くこととなっている。
引き金は。
「ん……」
シンジはもぞもぞと体を動かすと、こんなもんかなと、落ち着ける場所を決めた。
「いいよ。乗ってよ」
エヴァのコクピットはとても狭い。
一人が腰かければシートに余分な場所はなくなってしまう。特に邪魔なのは体が動かないように腰回りをまたいで締めつけている固定部品であった。
──これではレイの座る場所がないではないか。
そう思って、シンジはレイに膝の上に乗ってもらうことにした。横乗りでた。
彼女の腰を右手で支えて、抱き寄せるようにする。
(綾波さんって軽いな……ユイさんみたいに柔らかくないし)
こともあろうに母親と比べて不埒な感想を胸に抱く。首元に彼女の頭が来るから、少し熱のようなものを感じてしまった。
それは彼女が吐き出すLCLのぬくもりだった。
エントリープラグと呼ばれる筒状のコクピット。その内壁に映し出されている映像はライフルの照準器が捉えている光景であった。
Wと横バーがふらつきながらも組み合わさって、遠くの使徒を捉えている。
──エヴァのない彼らにとって、今回の作戦は玉砕にも等しい無謀極まりない段取りが組まれていた。
高エネルギーによる一点集中突破。それは良い。しかし敵の反撃、あるいは先制攻撃を受ければすべては終わりだ。
その時残されている手段は、もう本部の自爆以外にはない。本部には使徒の侵入を防ぐべく、セカンドインパクトの衝撃の実に五分の一のエネルギーを生み出せるだけの爆薬が蓄えられていた。
(それもまた本部には秘密があるんだって考えに裏づけをくれたりするのよね)
ミサトはそう考える。
(侵入を防ぐってことは、使徒には渡せない。だけど利用価値のあるなにかが納められているってことじゃないの。なにかがあった時には焼却処分できるよう、準備万端整えている。そう考えるのが妥当よね)
どうにも胡散臭い上にキナ臭いものを感じてしまう。
いっそ燃やしてしまった方が全人類のためになるのではないか?
ミサトはリツコを伴って指揮車へと歩いた。
一見、初号機にレイが乗る必要はないように見える。
だが今はシンジと共に乗せられていた。その理由はたった一つだ。
生き延びさせるためである。
未だに発見されているチルドレンは三名のみである。これを失うわけにはいかないのだ。
ならば本部の自爆に巻き込んで使徒を倒すにしても、チルドレンはこの世で最も安全なシェルターにかくまっておかなくてはならない。
そこで初号機への同乗である。この双子山山頂というポイントは、それを見越して取った安全圏であった。決して使徒の攻撃範囲を想定してのデッドラインなどではないのである。
ATフィールドを緊急展開すれば、なんとか本部の自爆の余波からは堪えられる。そのように見定められた地点であった。
(でもなぁ)
シンジは思う。
(エヴァがなくなったら、ぼくたちだけが生き残っててもね……)
知らないってのは悲しいなぁと、ついついミサトを憐れんでしまった。冬月に口止めされているので話すつもりはないのだが、エヴァとパイロットとの間を繋ぐのは取り込まれた近親者の遺伝子情報なのだ。
エヴァは使徒と同様に粒子と波、両方の性質を備える光のようなもので構成されている。そしてその信号の配置は人間の遺伝子と非常によく酷似している。
光には決まった形がない。つまりはどのような形にも容易に『揺らぐ』ということである。
容易く相手の構造を写し取ってしまうのだ。この転写があって初めて『光のようなもの』は人に近い構造を持った『エヴァンゲリオン』へと変化する。
(綾波さんはどうだか知らないけどさ……でも親とかもういないみたいだし、ぼくも父さんだけだからね)
実験の事故で取り込まれた母は一応自宅にいるものの、再びエヴァに乗るとは思えない。
……人身御供として、人柱を立てないほど大人たちが『甘い』連中だとは思っていないが、それでも自分たちはもうお払い箱になると踏んでいた。
次のエヴァを動かすためには、別の『組み合わせ』が用いられることだろう。そこまで考えて、シンジはあれ? っと首を捻った。
(どうしてぼく、初号機と零号機の両方に乗れたんだ?)
今更考えるには遅い疑問であったのだが……。
「……碇君」
レイの声に、シンジは雑念を振り払った。
首元から見上げるようにしているレイを見て、シンジははたと目を丸くした。
──余計なことに気がついたからだ。
(そうだ。そうだよ。そうじゃないか)
動揺する。
(なんでこんな大事なことに、今まで気がつかなかったんだろう?)
それは突飛な発想だった。
綾波レイ、彼女の両親はどうしたのだろう? 人柱に捧げられてしまったのだろうか?
そのことをレイは知っているのだろうか? 知らないかもしれない。
だとしたら?
(父さんっ!)
レイはぎょっとした。
唐突にシンジが怒りの波動を放ったからだ。牙を剥くように唇がめくれる。歯を食いしばっている証拠だった。
体の強ばりは間違いなく、『憎悪』と『嫌悪』から来るものであった。凶悪なまでの『殺意』を感じさせるものだった。
身をすくめ、レイは寒気から僅かに怯え、震えた。
「綾波さん」
シンジの言葉にビクリとすくむ。
「終わってから、話があるから」
その時だった。
『発射!』
──カッ!
白色に視界が瞬いて……。
長大な砲身から、青い閃光が放たれて行った。
シンジの懸念は酷く単純なことだった。
彼はこれまでに嫌というほど見て来たのだ。
甘い顔をして近寄り、親切にも施しを与えて、有効関係を築いておきながら、裏では己を頼らせて多額の借金をさせ、その返済を求める『人非人』のやり口を。
笑顔で子供の相手をしてやりながら、歯を食いしばり絶望に打ちひしがれる親を笑う。良いお子さんじゃないですか? そうやって子供を懐かせながら、親には『人質』として脅迫する。
やがて親切な『おじちゃん』であり続けたまま、その両親を破産に追い込み、死へと追いやってしまうのだ。
あげく『生前の付き合い』を持ち出して、子供を引き取り、良いように利用する。
──ゲンドウにはいわれたばかりだ。
ただのパイロット──『道具』としてしか見ていないと。
(まさかとは思うけどね!)
そこにあるのは近親憎悪であった。まさか自分の父親がそんな人間であるなどとは……。
許せない!
ポジトロンスナイパーライフルの閃光は歪み、曲がった。それはまるで使徒の閃光に払いのけられてしまったように。
実際、歪んだのだろう。互いの持った磁場が影響し合って『避けた』のだ。
「くっ!」
ドォンと震動、使徒の攻撃もまた逸れて、適当な山肌に着弾していた。
背後で爆発、炎が上がる。
『第二射、急いで!』
駄目だ。シンジは直感で見抜いた。遠くに閃光の瞬きを見たからだ。
(やられる!)
思考だけが空回りした。
その時だった。
──森の中。
追い立てられて必死に走った自分がいた。
必死の形相をしてふりかえると、無数のライトが蠢いていた。
その一つ一つが闇を裂き、影を照らし、恐怖心を増大させる。
「そこだ!」
「いたぞっ、こっちだ!」
──捕まったら殺される。
血走った眼と殺気立った気配からそう思った。追いかけて来るのはただのヤクザじゃない。そう感じた。根拠はない。
『先生』を捕まえるために編成された特別チームだ。漠然と見抜く。きっと先生を捕まえるためならなんでもする。そう。
──ぼくの指や耳を切り落とすくらいのことは。
「あっ、いっ、あ!」
ぜぇぜぇと息が上がってなにも喋れなかった。硬直してしまった舌が乾いて痛かった。
目に涙が滲んだ。もう駄目だ。そう思った時だった。
──がちゃん、がちゃん、がちゃ!
「なんだ!」
「ライトが!」
「こっちだ!」
腕をつかんで引っ張られた。
「せ、んせ」
「男のくせにだらしがないぞ!」
にっと笑っているのだろう。真っ暗な中、浮かび上がる白い歯だけが印象的だった。
半ば意識を失いながらも、森のような山を駆けた。記憶に残っていたのは……。
──小石を指で弾くだけの、雑な技。
「…………!?」
反射的に、体が、いや、指が無意識の内に真似ていた。
バキン! 親指がなにかを弾き飛ばした。それはスナイパーライフルのなにかの部品だった。
──エヴァが起動シーケンスを抜きにして反応したのだ。
『加速』をかけられた指はライフルのパーツとの衝突に爪を割った。エヴァンゲリオンの親指から血が弾ける。
飛ばされた部品はドンと衝撃音を響かせた。音速を突破した音に似ていたが、実際にはそのさらに『上』の『障壁』を突き抜けた音だった。
使徒の光線のすぐ脇を直進し、『それ』は加速によって増大した質量を持って使徒の『中心核』を貫通、粉砕してみせた。
──ガァン!
反対側から血が噴出した。グインと揺れるようにして、ドリルを軸に使徒は揺らいだ。傾きに併せて穿たれた弾痕からドックドックと血を流す。
──明滅し、青い光が消えていく。
まるで石化したように、沈黙し、使徒は完全に停止した。
「あ……」
誰かが報告した。
「使徒……活動を停止しました」
はっとする。
運良く敵の攻撃は上にそれて、山の頂上を削って夜空の彼方に消えていた。
「初号機の状態確認を急げ!」
これは本部のコウゾウだった。
「レイ!」
「シンジ君!」
こちらは指揮所のリツコとミサトである。
そしてシンジは……。
「……くっ、う」
右手を押さえて苦痛に呻いていた。爪が割れてLCLに流れだし、溶け出している。シンジが握っていたはずのレバーはひび割れて一部を欠けさせていた。
プラグ正面の壁に巨大なひび割れが放射状に走っている。──中心には、穴。
そこには使徒が映ってはいなかっただろうか? 今は壊れたのか何も映っていない。外の様子はわからない。
レイは……目を丸くしていた。
シンジがなにかをした。それはわかったのだが、理解できなかったのだ。
困惑と混乱、その中からレイが選んだ行動は……。
「LCL、排水」
コンピューターに指示を出す。ザァッとLCLが流れ出し、減って行く。
LCLのような溶液に浸かっていては血は凝固しない。それは危険だ。
痛そうにしているシンジの右手にレイは触れた。そこでようやく、爪が割れていることに気がついた。
「我慢して……」
レイは思い切って力を入れた。
「ぐっ、あ!」
「男の子は……我慢するものよ」
はっとするシンジ、レイはかまわず傷を見た。
「……折れてるかもしれない」
顔を上げ、きょとんとする。
「なに?」
「え? あ、うん……」
シンジは痛みも忘れて口にした。
「今……お母さんみたいだな、って思って」
「お母さん?」
「うん……」
親指には触れたくなくとも、痛みに力を入れたくなる。
シンジは手首をつかんで堪えた。力を入れると余計に血が出る。
「綾波さんって……いつも優しくしてくれる。叱ってくれる。心配してくれる」
痛みのためか、潤んでいる瞳にレイはどぎまぎとしてしまった。
優しい顔がすぐそこにある。レイは胸が高鳴るのを感じた。
不思議な緊張につられて顔を背けてしまう。
「なにをいうのよ」
「綾波さん……」
シンジは真剣なまなざしで、硬直したレイを覗き込んだ。
レイはおよそはじめて頭がのぼせるという感覚を味わっていた。この子はなにをいうのだろう? わたしに何を伝えようというのだろう?
告白しようというのだろうか……そんな不思議な期待感が、胸の内でふくらんでいく。
──とめられない。
それが弾けそうなくらいにふくらんで、シンジの唇の動きに、小さな胸がとくんと跳ねた。
触れようと思えばすぐ触れられるところに唇がある。瞳には自分が映っていた。その顔はとても赤くて、恥ずかしいもので……照れていて。
碇君!
──耐えられない!
レイは悲鳴を上げそうになった。必死でその場から逃げ出したいと願った。しかしその反面。
──お願いだからとなにかをせがもうとする自分がいた。なのに!
「お母さんっ、て呼んでもいいかな?」
「絶対に、嫌」
もちろんシンジには、どうしてレイが口も利いてくれなくなったのか? 彼女の気持ちなどちっともわかりはしなかったのであった。
続く
新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。