──フレームイン。
『REC』の文字は点灯していない。それはここ数日に渡って同じ映像ばかり溜め込み過ぎていたからだった。さすがにもう満腹気味の食傷状態へと落ち込んでいた。
 綾波レイ。
 はぁ……と吐息をついては、ふうと前髪を掻き上げる。
 そうしてまた憂鬱そうに頬杖を突いて外を眺める。
 落ち着きがない。その仕草がたまらない。
 様子を窺い、ぼうっとして見ている少年たちが幾数名。
「なぁ、最近の綾波、イくない?」
 そんな呟きに皆はっとする。
「綾波、なんかあったのかな?」
「ヤケに色っぽいよなぁ」
「ああいうのをモノウゲってんだぜ?」
「お前、それ漢字で書いてみろよ」
 自棄になって黒板に大きく『物潤げ』と書く。
 なんとなく合っている気がしてしまうから不思議な感じだ。
「なぁ、碇ぃ」
 ケンスケはカメラを下ろすとシンジに訊ねた。
「綾波、どうしたんだ?」
「なにが?」
「なにがって、お前……」
 気にもせずにヘッドフォンを耳に挿し、音楽を聞いていたシンジに唇を尖らせる。
「一応、『同僚』だろ? お前」
「そだけどね」
 シンジははっきりと告げた。
「この頃よく睨まれるんだよね……だからあんまり近づかないことにしてるんだ。恐いから」
「この!」
 ケンスケは蹴るふりをした。
「どうせまた怒られるようなことしたんだろ!」
「またってなんだよ。またって」
「畜生、洞木と二人で太平洋艦隊なんて見に行きやがって」
「まだいってるの?」
 シンジはげっそりとした。
「いい加減、諦めてよ」
「嫌だ! くそっ、なんで俺を誘わないんだよ!」
「誘えっていったって……」
 まさかユイとの意地の張り合いで選択したなどとは口にできない。
「今度ね、また今度。機会があったら誘うからさ」
「ほんとだな? 絶対だからな!」
「うん」
(ミサトさんに許してもらえたらね)
 心の中で舌を出す。
「そういや、今日、先生遅いね?」
「ああ、なんか転校生が来るそうだからな」
 ガラッと開いた戸に目が行ってしまう。
「おはよーさん、ってなんや」
 シンジとケンスケは溜め息を吐いた。
「お約束だね」
「だな」


第九話 だけどと少年は揺れ動いた


 あろー、ぐーてんもーげん。バカシンジっと、米国訛りの激しいドイツ語らしき挨拶をかけられたシンジは、嫌そうな顔をしてふりかえった。
「おはよ……惣流さん」
「あんたねぇ……。朝っぱらから冴えない顔してんじゃないっての」
 ぴんっとシンジの鼻先を弾く。
「大体子分の分際でなに無視しようとしてんのよ」
「誰が子分なんだよ」
「アンタよ。アンタ!」
 はぁっとシンジは溜め息を吐いた。
「惣流さんの子分になりたいって奴ならいくらでもいるじゃないか、他当たってよ」
「あのねぇ」
 アスカは呆れた。
「アタシがシンジって呼んで上げてんのに、あんたが惣流さんじゃホンキで危ない関係みたいじゃない」
「そうだけどね……」
(アスカって呼ぶとみんなの目がきつくなるんだよ)
 意外と早熟な少年たちが多いらしいのだが、その中でシンジは浮いていた。
(ほんとにもうみんなガキなんだから)
 ──逆の意味で。
「良いんじゃないのぉ? 子分が親分を呼び捨てにするなんて問題だと思うし」
「アンタさっき子分は嫌だっていったじゃない」
「そうだっけ?」
「……アンタって」
 まあ良いわ……と、この場は治めた。
「それで? もう一人なんだけどさ」
「もう一人?」
「あいつよ。あいつ、ファースト」
 シンジとアスカは連れ立って歩き始めた。
「ファーストって……変じゃない?」
 アスカは歪めた顔を寄せてひそひそと話した。
「なぁんか暗いし、いっつもああなの?」
「綾波さんはいつもあんな感じだよ?」
「やっぱり変よ」
「そうかなぁ?」
 シンジは腕を組んで首を傾げた。
「あれくらいならまだ普通だと思うんだけど」
「はぁ? なにを基準にしてんのよ?」
「ミサトさんとか」
 げぇっとアスカ。
「納得……」
「でしょ?」
「まあ、ミサトみたいに、放っておいても寄って来ない分だけ害はないしね」
(そう思うなら寄って来ないで欲しいんだけどなぁ)
 どうして自分をかえりみないんだろうとアスカに思う。
「あ〜あ、学校に通えば新しいボーイフレンドができるとか加持さんにまでいわれちゃうしぃ」
「来たくないの?」
「通ったって仕方ないじゃない」
「どうして?」
「だってアタシ、大学出てるもん」
 へ? とシンジは驚いた。


「しぃん〜、じぃいいいいい」
 怨霊と化した集団がシンジに詰め寄る。
「お前、なにやってるんだよ」
「なにって、なにが?」
「なにがじゃないだろぉ!? くそっ、エヴァに乗ったあげく太平洋艦隊まで堪能して、今度は惣流か!?」
 ちょっと待てケンスケと思ったのは、なにもシンジだけでなかった。一緒に詰め寄っていた男子連中全員だった。
「ケンスケの特殊な趣味は置いとくとしてだ」
「なんだとぉ!?」
「碇! お前惣流さんと仲良過ぎなんだよ!」
「そうだっ、ずるいぞ!」
「どうやって子分にしてもらったんだっ、教えろ!」
 そんな騒ぎに本を読むふりをして、聞き耳を立てているのは綾波レイだった。
「あ、綾波……さん」
 ヒカリはみしみしと音を立てるハードカバーに恐怖した。堅いはずの本の表紙にレイの細い指がめり込んでいくのだ。
 実際、レイのこめかみには『』が引きつっていた。男子の勝手な妄想にシンジが持ち出される度に反応している。
 一方、騒動はといえばだ。
「アンタばかぁ!?」
 アスカ参戦。
「なんでアタシがあんたらみたいなの子分にしなきゃなんないのよ!」
「ふっ、確かに惣流さんには惣流さんに相応しい人っているかもね」
「なによシンジ? なに拗ねてんのよ?」
「ぼくなんてようやく九九を覚えたばっかりでして、そりゃもう大学出てる惣流さんには釣り合いやしませんやね」
「……新式のイジメ?」
 さらっと出た『大学卒』の肩書きに皆は驚き、足元でどたどたと踏みつけられている眼鏡の少年は必死にメモを取ろうとしていたが、それはともかく。
 ──ピーピーピーピーピー!
 一風変わった携帯電話の着信音が鳴った。
 アスカとシンジが反射的にレイを見やると、彼女は鞄を持って立ち上がったところだった。
 なんとなく隔絶した雰囲気に、皆固唾を呑んで見送ろうとしてしまった。
 しかしだ。
 レイはぴたりと立ち止まると、ギロリと目を横向けた。
「……碇君」
「はっ、はい!?」
「わたし、先に行くから」
「え? わ、わかったよ」
 シンジの答えを聞いてもまだ睨んでいる。
 妙な緊張感が場を支配する。誰かがぐびりと喉を鳴らした。
 一体いつまで? とシンジが睨まれた蛙と化して脂汗をたらし始めた頃、ようやくレイは歩き去った。実にそこまで、たっぷりと三十秒は経過していた。
「恐かったぁ……」
 みんなでしてほっとする。
「……アンタなにやったのよ」
 アスカもさすがにビビったようだった。
「そうだぞ、あれはよっぽど嫌われてるな」
 シンジには「うん」としかいえない状況だった。


「というわけで、初号機と零号機の修復と調整はいまだ完了していません。そこで今回はアスカに弐号機だけで出動してもらいます」
 ──使徒襲来。
 ミサトの説明に対して、アスカはよっしゃと拳を手のひらに打ち付けた。
「アンタたちはアタシの華麗な戦闘を良く見てるのよ!」
「頑張ってね」
「あ、ありがと……」
 あんまり澄んだ目でいわれたものだから、アスカは一瞬毒気を忘れてどもってしまった。
「……なんかアタシ、シンジって苦手かも知んない」
「あなただけじゃないから安心して」
 ミサトは苦笑しながら送り出した。そこにレイの言葉が懸かる。
「わたしは……待機していればいいのね」
「ええ、お願い」
 レイは立ち上がると、物言いたそうにシンジを見たが、結局声はかけなかった。
 今ひとつ緊張気味に背筋を伸ばして座っていたシンジが、レイがいなくなった途端に気を抜いたので、ミサトはそれこそ首を傾げた。
「どうしたの? シンちゃん……」
「はあ……なんだかますます綾波さんに嫌われちゃったみたいで」
「今度はなにやったの?」
「なんにもしてませんよぉ……これ以上嫌われないようにって、話さないようにしてるくらいだし」
 まさかそのせいで? とミサトは考えたのだが。
「話しかけてもらえないからって? んなわけないわね」
「はい?」
「拗ねてるのかなぁってさ」
「うう……そっちの方がまだ良いのに」
「でも自分と同い年のお母さんっていうのは、普通、嫌なもんなんじゃないの?」
「でも綾波さんは優しいです。お母さんになってくれるなら綾波さんみたいな人がいいな、なんて……」
 なにかちょっとズレてる気がする。
「アスカが苦手に思うのも無理ないわね」
「なんですか?」
「なんでもないわ」
 冗談交じりに口にする。
「まあとにかくさ、ここはアプローチの方法を変えてみれば?」
 は? とシンジ。
「アプローチですか?」
「そうよ」
 ウインクをして……。
「なにか気に入らないことがあって、それが解消されないままになってるから気が立ってるのかもしれないじゃない? だからまずはそれを訊ねることからしてみたらどう?」
「でも嫌われてるのに……」
「レイだって女の子よ? カッコ好い男の子に話しかけられたりしたら、そんなに悪い気はしないんじゃない?」
「カッコ好い、ですか……」
「それに」
 余計に付け足す。
「それならレイも文句なんていわないでしょうし」
「へ?」
「自慢の息子ってことよ」
「え?」
「誰でも羨ましがるような、ね?」
 シンジはそうか! っと単純にも盛り上がって立ち上がった。
「ぼくっ、頑張ります!」
「そうよ。ファイトよ!」
「はい! ありがとうございます! ミサトさん!」
 シンジはミサトの両手を、包むようにして握り締めた。
「ミサトさんのおかげでっ、ぼく、頑張れそうです!」
「ふふん? お礼はこれでいいわよ?」
 冗談のつもりで唇を軽く突き出す。しかし……。
「わかりました!」
「え!? ちょっとっ、シンジ君ってば! むぅうううううう──────────!」
 案外強引な上に暴力的で、熱烈で……。
 不覚にもちょっぴり『濡らして』しまったミサトであった。


 ──発令所。
 ぷしゅっと背後で開いた扉の音に、マヤの手元をのぞいたリツコが顔を上げた。
「あらミサト、行かなかったの?」
「え?」
「向こうで指揮をするんだと思ってたけど?」
「あ……」
 リツコは怪訝そうに顔をしかめた。
「忘れてた……っていうより、あなた、大丈夫なの?」
「え?」
 妙に表情が硬いことを心配する。
「顔が赤いけど、熱でもあるの?」
「ちちちちち、違うわよ!」
「そう?」
 はて? とリツコは怪訝に思って口を閉じた。
 妙に暗く感じられたからである。
「どうしたの? ほんとに……」
「なんでもないのよ……ええ、なんでもね、なんでも」
 首を傾げる。が、同性だからか? リツコには彼女の変化が見抜けない。
 視線を気にして、恥じらうように内股気味になっている。
 そんなミサトの変化に気がついたのは、オペレーターのマコトだけであった。
(なんだろう? 葛城さんが可愛く見える……)
 それはともかく。
「弐号機、そろそろ到着するわよ」
「わかったわ」
 ミサトはごまかすように声を張り上げた。
「アスカ」
『なに?』
「さっきも説明したけど、こっちからの援護は期待しないで。場合によっては様子見だけで切り上げて下がって。NN爆弾で足留めかけるから」
『大丈夫よ!』
 アスカは自信満々に言い放った。
「あんなの、アタシ一人で……」
 そういって画面に映った敵を睨みつける。
 足が一本であればやじろべぇといってしまって良い形状をしていた。
「アタシはテストパイロットでも間に合わせでもない。たった一人の、本物のエヴァのパイロットなんだからぁ!」
 アスカは叫ぶと、握った長刀を振りかぶって突進した。

フェイズ2

 ──アスカ、アスカ……。
(ママ?)
 ──頑張ったわね、アスカ。
(ママ!)
 ── 一番になるのよ。だってあなたはわたしの子なんだから。
(うん……うん)
 幼いアスカが泣きながらいう。
(あたし頑張る。頑張って一番になる!)
 だから。
(だからあたしを捨てないで! だからあたしの傍にいて!)
「ママぁ!」
 現実のアスカが跳ね起きる。病室だった。
 跳ね退けられたシーツがずるりと落ちる。
「嫌な夢……」
 はぁはぁと息を荒げたまま顔を隠すように前髪を払う。
「そっか、アタシ……負けたんだ」


 ──第一作戦会議室。
『本日午前十時五十八分二十秒、二体に分離した目標『乙』の攻撃を受け、弐号機は活動停止。この状況に対するE計画責任者のコメント』
『無様ね』
 それでと言葉を発したのは副司令だった。
「セカンドの容態は?」
「先程目を覚ましたようです。現在精密検査中ですが、バイタルサインは許容値をクリアしています」
「弐号機の状態は?」
「損傷は軽微です。活動停止の主な要因はフィードバックによる脳震頭と推察されます」
 冬月は露骨に安堵する様子をみせた。なにしろ零号機、初号機と損害が激しいのを理由に急遽弐号機を呼び寄せたのだ。
 その弐号機までもとなると、崖っぷちを越えてしまったことになる。また予算の問題でも追いつかなくなる。
 ……まあその心配も、先が残ってこそできるものであるのだが。
「セカンドの容態次第では、ファーストとサードに出撃を命じる。以上だ」
「……ということよ」
 ──作戦部作戦局第一課部長室。
「弐号機はセンサーのチェックだけでいけるわ。アスカもね」
 リツコの言葉にミサトは頷く。
「それで、初号機と零号機は?」
「かろうじて初号機が間に合ったわ」
「使えるの?」
「頭が痛いけどね」
 へ? とミサトはぽかんとした。
「なにか問題でもあるの?」
「問題はないわ。疑問はあるけど」
「疑問?」
 ええ、とリツコはトーンを落とした。
「この間のね。第五使徒戦でシンジ君が緊急起動したでしょう?」
「ええ……」
「本来ありえないことだったのよ。だってエヴァの中枢神経……特に脊髄辺りは修復がすんでいなかったから」
「だけど、動いた……」
「ATフィールドの展開だけならともかくね。その上、後で調べたら全部直ってたわ……自然治癒、としかいえない現象だけど、それにしても」
 けど、とミサト。
「今回の使徒を見れば、エヴァにだって有り得ることだわ」
「ミサト?」
「……エヴァは使徒のコピー、そうでしょ?」
 リツコは最高機密の暴露にギョッとした。
「あなたっ、どうしてそれを」
 くすっと笑って。
「使徒の構成素材の配置、空間の座標を比べれば使徒とエヴァが同じものだってことは簡単にわかるわ……エヴァもまた使徒だとすれば、同等の回復力にも納得できる。そうでしょう?」
 リツコは着眼点の正しさに息を吐いた。
「そうね」
 ミサトは彼女を責めたりはしなかった。
 エヴァが使徒の同類であるのなら、当然のごとく抵抗感がわき起こり、反発するものが現れるだろう。
 それでも──その言葉を貫くためには、秘密とするのは間違いではない。
「……シンジ君が乗っていたからって点は見逃せないけどね」
「そうね、アスカと弐号機じゃ、違って来るわ」
 もう一つ、重大な点があったのだ。ミサトがシンジの力を認めた部分には、瞬間的に観測された常識外のシンクロ率の数値があった。
(シンクロ率120%……あり得ないわ。あくまでエヴァはチルドレンが自分の体を操るつもりで動かせるように作られているのよ? それなのに)
 シンジは人にはなく、エヴァに備わっている能力を引き出し、使ったことになる。そんなことが有り得るのだろうか?
 そしてリツコもまた。同じことを考えていた。
(漠然とそんな力を望んだところで、エヴァが応えるはずなんてない……シンジ君には想像以上の秘密があるみたいね)
 リツコはそこで思考を打ち切った。それは暇な時に調べるべき問題だからだ。
「それで? 初号機と弐号機は使徒の再侵攻までに間に合うけど、肝心の作戦は?」
 ミサトが準備していたNN爆弾は、無駄にはなっていなかった。使徒に集中させることで足留めとしたのだ。
 ズタズタになった使徒は現在動きを停止して自己修復に務めている。予想される再侵攻は十日後とされていた。
「一応素案を持って来て上げたんだけど?」
 リツコはそういって、ディスクを一枚取り出した。
「マジ?」
「取り合えずね」
「赤木博士にしては自信なさげね?」
「それはね……」
 苦笑していう。
「わたしは持って来ただけだから」
「げぇ……」
 ディスクのラベルには、『マイ・ハニーへ』と、男の字で書かれていた。


「引っ越しかな?」
 シンジは家の前に停まっているトラックをやり過ごしてマンションに入った。
「ここってネルフの管理になってるはずだし、普通の人は入居できないはずだし……知ってる人かな?」
 そう思ってエレベーターに向かうと、ちょうど下りて来たエレベーターから、ぶつくさと愚痴っているアスカが現れた。
「あー!」
「え?」
「あんた!」
「へ?」
「あの部屋! どうなってんのよ!」
「ええ?」
「あんたのとこに空き部屋あるからそこに入れっていわれたのよ!」
「ええ!?」
「なのになにあれ!? 壁紙も張ってないカーペットもない! 壁とか床とか天井とか掘り起こした穴だらけで、家具も全然ないじゃない!」
 あ〜〜〜、とシンジは理解に努めた。
 エレベーターで行ったために、『本当の部屋』に辿り着けなかったのだろう。
『本来』の部屋に行っちゃったんだな、とあたりをつける。
「でもどうして惣流さんがぼくん家に?」
「だって仕方ないじゃない……」
 ぶちぶちと。
「部屋取ってもらう予定だったんだけど、いきなり負けちゃったしさ……そのせいでアタシ一人のために新しい部屋なんて用意するなんてもったいない。なんて話になってるんだってさ」
 シンジはそれはおかしいと首を傾げた。
「一回負けただけじゃないか」
「……その一回で、下手すりゃ世界が終わってた可能性だってあるのよ?」
「だけどぼくなんてもっと負けてるよ?」
 変だなぁとさらに悩む。
 アスカは毒気を完全に抜かれてしまった。まただと思った。
 本心からそう思っているとわかるだけに、どうもけんか腰にはなれないのだ。
(なぁんかさ、やりづらいのよね)
 癇に触る部分がないのだ。
 妙に落ち着いているというか、大人というか、反応は子供なのに凄くおおらかに受け止められてしまう。
「ネルフもケチくさいからなぁ、嫌がらせなのかな?」
「なによそれ?」
「だってさ、惣流さんもパイロットなんだから給料とか普通の職員さんより多いんでしょ? だからとか」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
 アスカは焦り気味に問い詰めた。
「給料って、なによそれ!」
「へ? ……もらってないの?」
「だって! ……アタシ親いないから、ネルフが生活保護やってくれてて、後は生活費とか支給だし」
「そうなんだ」
 随分待遇が違うんだなぁとシンジ。
「ぼくの場合は父さんがいるからかなぁ? その分、惣流さんの場合は生活保護にお金が回ってるのかもね」
「……なぁんか納得できないんだけど」
「まあ、良いじゃないか、それよりさ」
 エレベーターに乗る。アスカの手を引いてだ。
「ちょっと!」
「説明するからさ、取り敢えず着いて来てよ」
 なんなのよもう、とアスカは愚痴った。


「ちょっとぉ、なんで途中で降りて階段で上るわけ?」
「いいから」
 それでもシンジは手を引いて階段を上った。降りたとはエレベーターのことだ。
 ユイの張った結界のために、そうしないと部屋に辿り着くことはできない。
 もうっと頬を膨らませるアスカだが、シンジの手を払いのけようとはしなかった。邪気がないだけに取り扱いに困っている風だ。
 これが普通の男の子なら、なにするのよっと跳ねつけることができるのだが。
(どうも憎めないのよねぇ。それで落ち込まれたら嫌だし……だから苦手なのかも)
 う〜んと唸る。そうこうしている内に先程入ったばかりのはずの部屋に着いた。
「ただいまぁ」
 がちゃっと開けられた扉、その奥の光景に「へ?」っとなる。
 きちんと拭かれた床、奇麗な壁紙の貼られた廊下、奥からは明るい灯。
 ──同じ部屋のはずなのに、そこにあるのは違った光景。
 そしてさっきはいなかったはずの、女の人が飛び出して来た。
「おかえりぃ!」
「わっ!」
「へ!?」
 むにゅっと衝撃。
「なぁんで避けるの!」
「あ、いや、なんとなく……」
 シンジの盾にされたアスカは、ユイの胸に顔を埋めたままで硬直してしまっていた。
 どうしていいのか、どうなっているのか判断がつかなくて固まっている。
「で、誰これ?」
 アスカは抱きしめられているのが苦しくなって、谷間から抜け出してぽかんとした。
 シンジが答える。
「セカンドチルドレンの惣流・アスカ・ラングレーさん。なんだかうちに居候することになったんだってさ」
「はぁ!? なんでそうなるの!」
「さあ?」
 顔をしかめ、不満そうにするユイに、アスカは震える指を向けた。
「い……碇ユイ、さん?」
「へ?」
「あれ? 知ってるんだ?」
「なんで!?」
 驚愕し、もがいて抜け出し、後ずさる。
「どうして!? 碇ユイさんって死んだんじゃなかったの!?」
 ユイは腕を組むと柱によりかかり、にやりと笑った。
「世間じゃそうなってるみたいね」
「ねぇねぇ? どうして惣流さんがユイさんのこと知ってるの?」
「だって! ママが写ってる写真に!」
 ふうんと鼻を鳴らす。
「惣流って、そういうことか」
「え? なに?」
「他人の顔まで記憶してるなんて、さすがキョウコが作った子ね」
「ユイさん、作ったって……」
「え? でもキョウコがいってたのよ? 絶対あんたより頭の良い子を作って見返してやるんだって泣きながら……。キョウコってばエヴァの開発競争であたしに負けたのがよっぽど悔しかったのね。最初はゲンドウさんに不倫持ちかけてたし、それが駄目だとわかると今度はドイツで弐号機を作り始めてね? よく電話してきて自慢してたわ。IQ200くらいある人の良い種買ったとか、人工授精に成功したから今度は英才教育用に催眠装置作ってるとか、絶対エヴァのパイロットにしてやるとか」
「あ〜〜〜」
 シンジは心配してアスカを見た。
 ──蒼白になっていた。倒れそうなくらいに。
「そんな……そんなのって」
「キョウコは元気? あの子あたしに勝つのを目標にしてたから、かなり無茶な教育されたでしょ?」
「…………」
「でもねぇ。やっぱ蛙の子は蛙っていうし? トンビがタカを生むなんてことは絶対ないもんね。喧嘩なんて売るだけ無駄よ? 自分は絶対勝てないんだって思い知らされるだけだから。キョウコの逆恨みの道具なんてやめて、自分の好きなように……ってあらぁ?」
 泣きながら駆け出して行ったアスカにおやおやという。
「なにかいけないこといった?」
「ユ〜イぃぃぃさぁあああん?」
「あ、シンちゃん、恐い」
「馬鹿いってないで!」
 ビシッとアスカが駆け去った方向を指差す。
「さっさと追いかけて下さい!」
「あたしがぁ?」
「泣かしたんだから責任取って下さい!」
「はいはい」
 実に気乗りしない様子で、後頭部をぽりぽりと掻き、つっかけに足を通したユイであった。


続く


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