──ダン!
 作戦台に打ち付けられた拳に、士官たちは震え上がった。
「公に輸送できるものではないとはいえ……子供に出し抜かれるとは」
 打ち付けられたままの拳は小刻みに震えていた。
 いくら出撃可能な状態にあったとはいえ、まだまだ試験機動が可能というだけの段階であったのだ。そこで基地からの避難については偽装を施し、一個小隊と共に基地に残しておく……ということになっていたのだが。
「『トライデント』につけていた部隊はどうなった?」
「死者は出ていませんが……それでも格納庫からの離脱には強引な真似をされたようで」
 地下格納庫。天井は偽装のための即席天井が組まれていた。形は倉庫を模している。
 その中で強引な起動を行ったのである。後部にあるジェットノズルから炎を吹き出して飛び出そうとした。
 周囲にいた者たちにとっては悪夢だったろう。暗い格納庫の中、見上げるような巨大な船の姿が、熱によって陽炎となり、揺らいで見えた。
 熱波と閃光。轟音の乱舞。
 逃げ場のない世界に風が渦を巻いて兵隊たちを巻き上げた。固く尖った機械の塊へと叩きつける。
 ……あるいは鼓膜を破るような音にやれらて、彼らは体を打ち伏せた。
 天井を吹き飛ばして船は飛び去ろうとした。数十メートルの巨体を覆っていた天井である。当然重量はすさまじい。
 それを支えていた強固な建材が、擬似的な網となって一時的に船をとらえた。
 その様はまさに網を破らんとする魚であった。
 機首を持って天井を突き破り、体をからめとる骨組みを引きちぎり、そして船は日の光の下へと飛び出した。
 ──地下には瓦礫が降り注いだ。
 可燃物に直撃して爆発も起こった。それらを後目(しりめ)に船は高速機動形態へと移行して、数百キロを超える速度で基地の柵を悠々と跳び越え、逃げ去ったのである。
 後は人目を避けるようにして山間をぬって駆け、そうして第三新東京市へと侵入を果たそうとしていた。
「止められんのか?」
 はいと士官の一人が答えた。
「ネルフの発令に伴って、部隊の展開も一時的に……そのために、とても間に合いません」
 男の顔に狂気が浮かんだ。
「三沢の爆撃機はまだ上がってなかったな?」
「は? はぁ……」
「Nの爆装は可能か?」
「は……それは、しかし!」
「ネルフに情報を送れ! 機体を強奪したのはスパイだとな! 目的はエヴァンゲリオンだ!」
 この人は何をと目を剥く兵士に、彼はにやりと気持ちの悪い笑みを見せた。
「エヴァンゲリオン破壊のために、どこぞのキチガイが子供を使って馬鹿なことをたくらんでいると伝えるんだよ!」
 彼は男のものいいに負けきらず、なんとか正気を取り戻した。
「本気ですか!? ネルフがそんな話を信じるとでも?」
「お前は馬鹿か?」
 本気で呆れているようだった。
「信じる信じないではない。確認のために足止めにかかるだろう。その時を狙ってNを落とす」
「エヴァンゲリオンを巻き添えにするおつもりですか……」
「連中の言いぐさだろう? Nの通じない使徒を倒せるのは、同じ力を持っているエヴァンゲリオンだけだというのはな……。ならばその力を見せてもらおうじゃないか」
「…………」
「試作機とはいえネルフなどには渡せんのだ……それはわかれ」
「しかし……」
「あれにどれほどのものを注ぎ込んできたかはわかっている! 文句があるならコクピットだけを破壊する方法でも考えろ! それができないなら指示通りに動け!」
「はっ!」
 男は怒りに駆られていた。
 その激情は飼い犬に手をかまれたと表現するのが一番ふさわしい。いかに身勝手な考えであろうと、彼はその憤懣(ふんまん)を隠そうともしていなかった。
 手塩にかけて育てあげた子供たちが、反旗を翻して逆らってくれた。
 信じていたのだ。従順な彼らはもはや裏切ることなく、自分の命令に従ってくれるだろうと。その信頼を裏切ってくれた。
 彼はその傲慢さ故に油断しすぎていたのだとわかっていた。それでも、だからこそ隙を()かれたという思いが、余計な腹立たしさを冗長させていた。
 ──あんな小僧どもにと、彼は怒り狂ってしまっていた。


第十七話 そして少年は立ち止まる


「こら待て馬鹿シンジぃ!」
 ズシンズシンと鈍重に歩き後を追う。シンジが本気になれば追いつけないのはわかっている。しかし今は普通の子を……つまりは足手まといを連れている。
 この速度で十分だった。


「照会できました!」
 一方で、発令所では情報担当のシゲルが大きな声を上げていた。
「先日の潜入工作員に間違いありません。特徴が一致してます!」
「……MAGIの監視網は停止してたんじゃなかったの?」
「保安部員が気を利かせてカメラ付きの銃を使っててくれたんですよ」
 カメラの映像を出す。マナが銃弾を避けて突入したシーンだった。真正面からのもので、目、鼻、口などの間隔を計りやすいショットだった。
 隣にシンジと共にエヴァの目が捉えた彼女が映し出される。
「特徴……ねぇ」
 わざわざ比べるまでもない。同じ子だ。
「ちょっと……」
 ミサトは顔をしかめた。
「なんでこんなデータがあんのよ?」
 横から写された全身像。立ちポーズだ。まっすぐに立っている。
 その隣上部に正面からの顔。下に簡単なプロフィールが流された。
「これってどこから?」
「諜報部の記録です。戦自から盗んだものですね」
「少年兵? じゃあ……、この間のことは」
 シン……となる。
「なんてこと……」
 ミサトは前髪を乱暴にかき上げた。
「……この間、あの子がここから消えたのは」
「シンジ君ね、間違いなく」
「じゃあ、こっちには引き渡してくれないでしょうね」
「ネルフに渡すと処刑されてしまうんじゃないかって思ってるんじゃない?」
「そこまでは思ってないかもしれないけど……叱られるとは思ってるかも」
「頭の痛い話ね」
「そうね……でも」
 ミサトはちらりと第三新東京市のマップを見た。
 そこには光が点滅している。
「まずい……」
「え?」
「囮かもしれない」
「囮? 接近してる機体が?」
「そうよ。この間の停電が戦自のやったことだっていうのなら、あの子はその実行犯でしょう? 戦自にとっては処分しなきゃならない対象のはずよ? でも生死の確認ができないままになっていた」
「もう処分されたとは?」
「あっちだってこっちに誰かしら潜り込ませているはずよ?」
「そうね……」
「……ネルフの監視網はそうそう甘くはないわ。彼らはどうやってかMAGIの監視網の隙を衝いて潜り込んでる。その情報はどうあっても隠したままにしておきたいはずよ?」
「情報が漏れることを恐れているっていうの?」
「そう……だから戦自もあの子は確保したい対象のはずなのよ。でもどこにいるのかわからない……ならどうすればいい? それを確かめるためには、助けが来たことを知らせればいいのよ。そのもっとも単純かつ効果的な方法は?」
「あんなものが姿を見せれば……」
「助けが来たのかもしれないと思って飛び出すかもしれない」
 それがミサトの結論だった。
「でもあの子はあれが『強奪』されたという『扱い』になっていることを知らないのよ。単純に騎兵隊が来てくれたと思って」
 青葉が叫んだ。
「葛城さん!」
「今はプライベートじゃないでしょ! なに!?」
「戦自から通信です! 向こうはあの機体が反乱分子に盗まれたものだと、NN爆弾で処理するので許可をと言って来ています!」
「冗談じゃないわ! 街を巻き込もうっていうの!? エヴァにやらせるからって」
「通信妨害です!」
「どうして!」
「使徒です!」
 ──音が消えた。
「どこなの!?」
「直上に落ちるコースに入っています!」
「アスカぁ!」
 だがアスカはシンジを追いかけるために、アンビリカルケーブルを切断してしまっていた。このケーブルには有線通信のラインも組み込まれているのだ。
「アスカ!? なんで!」
「通じません! だめです!」
「レイに行かせて!」
「大変です!」
「今度はなによぉ!?」
「弐号機の前に例の機体が現れましたぁ!?」
 ──あと数十キロは離れてたはずなのに!
 ミサトは言葉を失ってしまった。
 やられたと思ったからだ。
 使徒のために衛星からの情報を取れなくなってしまっていた。それを衝いての撹乱であった。


「きゃあ!」
 正面の山間から、時速数百キロという勢いで何かがかすめるように駆け抜けていった。
 それは戦自から連絡があったという機体である。
 船底下部にある足を前へと折るように出して、つま先を地面に引っかけた。
 コンクリートとアスファルトを削りながら、家屋と低めのマンションにぶつけてブレーキにする。
 粉々に砕け散った建築物が砂埃を立てながら瓦礫の山となるよう崩れ落ちた。
 バチバチと切れた電線が踊り狂う。トライデントは市外苑部の住宅街を蹂躙する形で静止した。
「くっ!」
 ──武器がない!
 アスカはとっさに弐号機を転がらせると、すぐそばにあった電源ビルの陰に飛び込んだ。
 素早くケーブルを接続する。
『アスカ!』
 とたんにミサトの声。
「黙ってて! てやぁあ!」
 肩の武器庫からナイフを抜いて、アスカは問答無用で飛びかかった。
 旋回した未確認機が、機銃を回頭したのが見えたからだ。
 クォンとトライデントの船首下部にあるバルカンが回転を始めた。しかしその口径は、一つ一つが戦車砲のそれよりも大きい。
 相手がどれほど高度な技術力を持って開発された機械兵器であるかは想像にかたくないのだが、それでも数十メートルクラスの兵器が持つ武器の反動は想像を絶するものだろう。
 機体や火器周辺のフレームはかなりぶれるはずだ。その揺れによって着弾点には大きな誤差を生むだろう。もし直径数百ミリを超えるような弾丸がばらまかれればどうなるか?
 距離によってはこちらの背後に流れ弾として散るかもしれない。アスカはそのことにカッとなった。
 山が一つえぐられ削られ、無惨なことになるだけならいい。だが自分の背後には街がある。そしてそばにはシンジたちが居る!
「ATフィールド無しだって、こっちには一万二千枚の特殊装甲があるんだからぁ!」
 ──母という嘘を知ってしまった。
 自分の夢描いていたものがただの幻想であったと知った。
 壊れてしまった希望……それを再び見つけるための術だとして、『この力』は与えられたのだ。そして見つけるための場所は後ろにある。
(それを失うわけにはいかないのよ、あたしは!)
 悪いけど、あんたより街が……シンジが大事だから。
「ていやぁ!」
 ──アスカは隠していた『剣』を抜いた。
 握りしめたナイフを高速で振るう。それはエヴァの標準武装品であるプログレッシヴナイフだ。その刃先は高い周波数で振動することにより切れ味を増すよう設計されている。
 ところが……その刃先が一瞬にして機械的な振動数の限界を超えて白熱を通り越し姿を消した。キィンと甲高い音が鳴った。続いて砕け散った刃がキラキラと陽光を反射しながら地に落ちた。
 ──ゆっくりと。
 トライデントの右側がズレ始めた。まっすぐに入った亀裂に沿って地面に落下した。
 大重量を失って、トライデントはぐらりとよろけた。それでも踏ん張るようにして、なんとかバランスを取り返した。
「しつっこい!」
 とどめを刺そうと飛びかかろうとする。それを制したのはシンジだった。
『アスカ、だめだ!』
 足下にいた。アスカは踏みつぶすかと思って慌てて止まった。
「なによ! なんでじゃまするのよ!」
『あれに乗ってるのはマナの友達なんだ、だからやめてよ!』
「でもあいつはこの街を壊そうとしたのよ!? あんたちまで巻き込んで!」
『それくらい、避けられたよ!』
「そんなのやってみなくちゃ、わかんないでしょ!」


 二人の言い争いを聞いて、ミサトとリツコは軽く唸った。
「聞いた?」
「ええ……」
 剣呑な視線を交わす。
「アスカ……知ってたのね、シンジ君のこと」
「この間の戦闘記録のこともあるわ、アスカもシンジ君のお仲間だと見るべきね」
「でもアスカはこっちに来るまでは普通だったわ」
「やはり秘密はシンジ君にありね」
「…………」
「…………」
「とか言ってる場合じゃなかった!」
「アスカ! そっちは後回しにしてレイに合流して!」
『どうしたの!』
「使徒が落ちてくるのよ! 落下開始までおよそあと六十秒」
『うそぉ!?』


 アスカは焦って空を見上げた。
 肉眼では決して見えない空の彼方に、白くぼんやりとした姿を見つける。
 ──使徒!
 白く尾を引いているのは摩擦熱によって発生している水蒸気だろうか? 弐号機の目はそこまで確認してくれていた。
(だめ!)
 アスカは足下のシンジを見た。
 あれを受け止めることはできる。殲滅もだ。
 だがそのままでは衝撃波は広がって、この辺り一帯は更地になる。シンジも消えてしまうだろう。
 アスカは脳細胞とそこに流れる電流の速度を最高速に上げて計算した。そしてシンジに逃げてと叫ぶ以外にはないのだという結論に達した。


『シンジ早く!』
「アスカ?」
『使徒が落ちてくるの! もう……間に合わない! プラグをイグジットするから中に!』
 シンジはせっぱ詰まった様子に、弐号機が目を向けている方向に顔を向けた。
 赤い固まりが、まっすぐに落ちてくる。
 焦り、振り返る。力尽きた機体をマナがよじ登っている。
「マナちゃん!」
 シンジは力を使って加速すると、マナの腰を抱き上げてそのまま機体のコクピットに立った。
『シンジ!』
 アスカの悲鳴。それは泣きそうなものだった。
 だがシンジは動けなかった。
「なんで……」
 斜めに傾いたコクピット、そのガラスの奥に……。
 見知った顔があったからだ。
「なんだよ……これ、どうなって」
『シンジ! シンジぃ!』
「うるさい!」
『────!?』
 ぎゅうっと、ぎゅうっと堅く拳を握りしめ、シンジはマナと、キャノピーの向こうでぐったりとしている少年を見つめた。
 ドンドンと強化ガラスを叩いて、開けてと必死に訴えているマナ。
 しかし少年は目を覚まさない。
 頭からも血が流れている。
「なんだよ、これ!?」
『シンジ!?』
「どうなって……」
 ──その時、使徒が落ちてきた。
『あ……あ……』
 もうダメだ。アスカはそれを予感した。しかし……。
「静かにしろって……」
 シンジが右腕を巻き込むように内側へ回した。
「言ってるだろぉ!?」
 そして強くつきだした。
 ──ドン!
 かき集められた大気が、そのままの堅さを保って放出された。
(なにこれ!?)
 アスカは突如発生した暴風に引き倒されそうになって弐号機を踏ん張らせた。エヴァンゲリオンの重量を持ってさえも巻き上げられそうな強さだった。
(あたし……こんなの、知らない!?)
 それがアスカの悲鳴になった。
 ──雲が散らされ、空気の固まりが使徒を真正面から直撃する。
 空に輝く金の光。ATフィールドでそれを受け止め、使徒は一瞬浮き上がるようにして動きを止めた。
 ──爆発が起こる。
 受け止められた大気の固まりは、四散してATフィールドをすりむけ、あるいは回り込み、使徒の身肉を引き裂いた。
 ずたずたに裂けてよろめいた……その時、ATフィールドの出力が、一時的に低下した。
「──今」
 それを待っていたのはレイだった。
 彼女は零号機に膝を突かせて、銃床を肩口にあてていた。脇を絞るようにしてかまえているのは、新しく開発されたライフルだった。
 左手は銃身を支えている。もし零号機にもう一つ目があったなら、片目をつむらせているところだろう。
 その銃はパレットガンよりやや銃身の長いライフルだった。マシンガンライフルである。
 これは試作品ながらもパレットガンの倍近い射程距離をたたき出すものだった。ただし近距離ならばともかく、飛距離があれば速度は落ちる。当然威力も比例して激減する。
 技術開発部はこれを回避するために、弾丸そのものに推進器を内蔵させていた。撃ち出された弾丸は、小型のロケットブースターによって加速しながら敵を討つのだ。
 インダクションモードに入って、レイは顔をHMDで隠していた。その口元が引き締まる。
 ──カチッ!
 トリガーを引いた。立て続けに弾丸が撃ち出される。ライフルの銃身が火を噴き出した。
 弾丸のロケットの炎が排気されたのだ。
 弾丸は回転しながら大気を切り裂き加速した。小さく、そして常識外の加速を与えるロケットであった。その威力は弱った使徒のフィールドなど、まったく問題としなかった。
 ──ガガガガガガガガ!
 弾丸が障壁に弾痕を穿(うが)つ。使徒のATフィールドに無数のへこみが刻まれた。そしてその内の一角で、ついに小さな穴が開いた。
 ──後は一瞬のことだった。
 ガラスが砕けるようにATフィールドが破砕した。とどめの銃撃が使徒の身を撃ち抜く。肉を細切れにし、あるいはえぐり、実を巻き付かせて反対側へと飛び出した。
 ──その内の数発がコアに当たった。
 一発目でひびが入り、二発目で欠け、三発目で砕け、後は壊れるだけだった。
 ──爆発。
 空が真っ赤に燃え上がった。爆発は水平に広がって、雲という雲を吹き散らした。
 それでもいくらかの衝撃波は地上を揺るがす。
「くっ!」
 アスカはトライデントのコクピット付近に、弐号機を覆いかぶらせた。そうして衝撃波からシンジを守ろうとした。
(シンジ?)
 そうしてアスカは、見たことのないシンジの顔を見てしまった。
 それはなにかにとまどっているような……迷っているような? やり場のない感情に困惑している、そんな気弱な表情であった。
「シンジ……」

フェイズ2

 アスカは本部に戻るなり、とるものもとりあえず、まずはミサトにくってかかった。
「ちょっとミサト!」
「ごめん!」
 その一言で、すべてを封殺しようとする。
「使徒のせいで衛星が使えなくなっちゃってたでしょ? そのせいでおもちゃみたいなダミーに引っかかっちゃったのよ!」
「だからってどうやったらあんなデカイもん見逃すのよ!」
「だからごめんって!」
 ──まさかあんな速度が出るなんて!
 それが作戦部と技術部が共通して抱いている驚きだった。
 車ではないのだ。何百トンもあるようなものを宙に浮かせるだけでも大変なことなのに、それをリニアレールなみの速度で走らせるなど常識では考えられない。
「戦自があんな技術を開発していたなんて」
「ええ……驚くべきことだわ」
 へぇっとミサトは場違いな関心を抱いてしまった。
「あんたが褒めるなんてね……」
「そう?」
「科学者としては妬けるんじゃないの?」
 リツコはクスリと笑って言い返してやった。
「わたしは研究員の延長にいる人間よ。せいぜいエンジニアといったところね。すでにあるものを整備したり改良したりはできるけど、一から創造することなんてできないわ」
「まあ、エヴァとかMAGIみたいなもんを、そうそうほいほい作れる人間が出てくるわけもないか」
「そういうことよ」
 嫌味にも聞こえてしまうセリフであったが、リツコは簡単に聞き流した。気にしていても仕方のないことだったからだ。
 アスカはのんきな二人の会話に、それ以上かみつくのをやめることにした。
「アスカ、どこ行くの?」
「着替えてくるのよ!」
 いらだたしく指揮所を出て行く。その後にレイも続いた。
 ──シンジは居ない。
 ミサトははぁっとため息をついた。
「総司令も間が悪かったわね」
「ええ……」


 シンジは病棟に居た。
 ガラスの小窓から見下ろせる治療室には、二人の少年が寝かされていた。
 そしてそのそばには、幼なじみのあの子がいる。
 ──シンジ、よくやったな。
「なにがやっただよ……」
 戦闘終了後、南極との通信が回復し、事情を聞いたらしい父が口にしたのがそれだった。
 シンジにもわかっていた。お父さんはただ幼なじみを守ろうとしたことを褒めてくれたのだ。だが、現実にはあの子は……。
「なんだよ、これ」


「で」
 ミサトである。
「爆装した機体があったって?」
「はい」
 答えたのはマコトだった。
「三沢を飛び立った内の一機が、避難命令に従わずにこちらへと……戦略自衛隊からの話では、使徒との戦闘を妨害しようとするテロリストを止めるつもりであったと」
「テロリストねぇ……」
「機体はシンジ君のやつで第二芦ノ湖に墜落。現在は国連主体でサルベージが行われています。ブラックボックスの回収はまだのようですが……」
 ミサトは手渡されたファイルをめくって、湖にサルベージ船が持ち込まれている写真を確かめた。そこは第三使徒襲来時に戦略自衛隊がN爆弾を使用してなくした街の跡地でもある。
 窪地に水が溜まってできた湖であった。
 顔を上げる。
「それで……戦自は?」
「はい。事件の該当担当官を処分。それで終わりのようですね」
「簡単な話ねぇ……」
「陸上戦艦計画も見直し……というよりも、その該当官の強引な計画であったとの報告が来ています。眉唾物ですが」
「というより、嘘の範囲が問題ね」
 本当はどこまでが関わっている計画だったのか。高官クラスが? あるいは企業主が? それとも政治家までもが入るかもしれない。
「難しいわね」


「うう……」
 少年は全身を襲う苦痛からもがいた。
 ──ムサシっ、レーダー!
 とっさにわかってる! っと叫び返していた。
 ──ほんの十数秒の間に起こったできごとだった。
 使徒が来てるんだから、電波障害くらい当たり前だろうが! ……ムサシはどうしてケイタを連れてきてしまったのかと後悔していた。
 しかし当たり前のように背後のナビシートに座ったケイタを追い出している暇などなかったのだ。
「エヴァ!?」
 ケイタが望遠映像に悲鳴を上げた。
 こちらの進路を妨げようとしているのか、前に出ようとしている。
「ECMを最大にしてるのに!」
「ダミーを見破られただけだろ!」
 これだけのでかぶつである。そうそう都合好く行くはずがない。
 ムサシは田畑や家屋を衝撃波で巻き上げながら、機動兵器を市街地へと突入させた。
 まだ第三新東京市の外苑部である。高くてもビルの高さは五〜六階程度のものだった。だからか甘い判断をしてしまい、いくつかのマンションを機体の底部に引っかけて倒してしまった。
「ちっ」
 宙に浮いているのだ、その振動は予想以上に体を跳ね上げてくれる。シートベルトが体に食い込んだ。
(こんなのの操縦をやらされてたら、体がいかれるのも当然だって!)
 震度七の地震に匹敵する暴れようである。なのにこのコクピットには、なんらの緩衝装置も取り付けられてはいないのだ。
 ムサシは高速機動モードを解除して、底部両後方部へと織り込んでいた『足』を展開させた。前方へと折れるように曲がり出た足で大地に降り立つ。
(マナ!)
 彼は自分にとっての女神の名前を叫んでいた。
 薬物によって神経速度を倍加させられた人工の女神である。その処理能力があってこそ初めてこれだけの大型機械が操れるのだ。
 ズゥウウンという音の中に、ベシャだのガキだのという破壊音が混ざり込んだ。折れた電柱がバウンドし、ショートする電線が暴れ狂う。
 どうしても大ざっぱな機動しか行えない。
(……とことん市街戦には向いてないんだよな、こいつって)
 どのように使う予定で設計されたものなのか? あるいはどこで使う予定で計画されたものなのか?
 ムサシはその予備知識を持っていなかった。そして今は考えるべき時ではない。
 正面。距離にして数キロとない位置に、エヴァンゲリオンが構えていた。威嚇のつもりなのだろうか?
(もし『こっち』側と取引が成立してたら)
 問答無用でたたきつぶされることになると彼は焦った。こっちとは戦自のことである。脱走兵のやることだからと、ネルフはたきつけられているかもしれない。
 自分たちはすでにネルフの管轄地域へと無断侵入をしてしまっているのだから、撃たれたとしても文句はいえない。さらには避難勧告があるために目撃者がいない。となれば話は好きなようにねつ造されてしまうことになるだろう。
 ──どうするか?
「ムサシ!」
「な!?」
 なにが起こったのかわからなかった。
 遠くにいるエヴァがナイフを振った。それだけだった。
「くうっ!」
 なのに機体の右半分が地に落ちてしまっていた。コクピット内にあるバックミラーで確認すると、綺麗な直線に沿ってなくなっていた。装甲板などは多重構造になっているのだが、その断面が蜂の巣状に確認できた。
「斬られたのか!?」
 機体が傾いていく。止められない。
「うわぁああああ!」
 そうして二人は振り回された。横倒しになった時の衝撃で、コクピットの中をはね回り、頭を打って気絶したのだった。


「シンジ……」
 話しかけられて、ようやくシンジは意識を病室から他へと移した。
 シンジは治療室を覗ける高みにある窓の外に立っていた。中には二人の少年と、それを心配して二つのベッドの間に腰掛けているマナがいる。
「アスカ……」
 シンジは話しかけてくれたアスカにわびるような目を向けた。
「うん……行こ? シンジ」
 手をさしのべられて、シンジはそれを取りかけた。だがふれあう寸前で引き戻し、ぎゅっと握って誘惑に耐えた。
 隣をすり抜けて歩き出したシンジに、アスカはほんの少しだけいらだちを募らせた。だがかぶりを振って怒るまいと自分に言い聞かせた。
 あのいい加減なシンジが、なにかを悩んで変わろうとしているのだ。それはアスカにもわかることだった。
(でも……)
 アスカは追いかける前に、病室をちらりと見下ろした。
 そこには三人の子供が居る。そうしていることが当たり前のような三人だった。
 ──シンジの入り込む隙間などない。
(幼なじみなのにね……)
 昔から仲間はずれだったんだ……そう思うとなにか切ない。
(友達って多いのにね)
 だが親友と呼べる誰かはいない。
(考えてみれば……シンジって甘えん坊なのよね、寝てると抱きついてくるし、レイのこと、お母さんとか言ってるし)
 けれども泣き言をいう姿を見ないのだ。
 アスカは自分を照らし合わせて考えてみた。八つ当たり……すぐにかみついたりと、泣き言をいう裏返しの行為をいつもしてきた。
(シンジはそれをこらえてる……どうして?)
 まあ、今日は甘えさせてやろう。
 アスカは珍しく寛大な気持ちになって追いかけた。それはシンジが死んでしまうかもしれないと不安になった気持ちの反動なのかもしれなかった。


 ──バラバラバラ。
 南洋にある小島のぼろ小屋は、漆喰を塗り固めただけのものである。
 しかしこの島では立派にホテルの一室として成り立っていた。周囲は申し訳程度に草が刈られている。その向こうは雑木林だ。夜には虫がとてもすごい。
 男は掃除の手を止めて外に出た。ヘリのローター音に驚いたからだ。
「なんだぁ?」
 軍用のヘリだった。
 しかもロープがバラッと落ちたと思ったら、兵士が一度に何人も降下してきた。
「なんだなんだなんだなんだなんだぁ!?」
 こうして彼は拉致された。
 ──彼はシンジが先生と呼んでいた人物であった。


続く


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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。