部屋に戻ってミノムシ寝袋に入っていると、そっと抱きついてきた誰かがいた。
「ねぇ……シンジ」
 アスカだった。
「いいじゃん……忘れちゃえば」
「…………」
「好きなんでしょ? まだ」
「…………」
「でも自分のことを見てくれないのって、辛いもんよ? 加持さんだってそうだった……結局あたしなんて、相手にしてもらえなかった」
「…………」
「ね?」
「…………」
「あたしがあの子の変わりになって上げるから、だから」
「やめてよ……」
「シンジ?」
「やめてよ! そんなんじゃないよ!」
「なに怒ってんのよ?」
「アスカになんてわかんないよ!」
「なんでそう……」
「僕は……僕は……」
「シンジ……」
「僕は……、そんな」
「やっぱり……好き」
「違うって言ってるだろう!?」
 ──アスカのバカ!
 アスカははっと目を覚ました。
 見慣れた天井がそこにある。息が荒く、酷い寝汗までかいていた。
 起きあがる……壁に手を当てる……その向こうはシンジの部屋だ。
「帰ってないのか……」
 気配がないことに諦めて……、膝を抱きしめ小さくなる。
 寂しい……アスカはいつもよりずっと強く知ってしまった。
 母に、エヴァにすがることをやめた瞬間から……自分がどれだけ、他人に甘えていたのか? そのことを。


第十九話 だけども少年は引き留められた


「アスカ、集中して」
「やってるわよ!」
 ──シミュレーションプラグ試験場。
 半ば水溶液に浸されているプラグの中に、アスカの姿は存在していた。
「アスカ……酷いわね」
 コントロールボックスで、ミサトは腕組みをして嘆息した。
 リツコが責める。
「シンジ君、まだ帰ってこないの?」
「相変わらず山の中よ」
「呼び出せば? 例の契約を逆手に取って……」
 ミサトは軽く肩をすくめた。
「有給休暇よ」
「そう……」
「あと三日したら帰りますってさ」
「なにか話せたの?」
 リツコとミサトは目でなにかを交わした。頷いたミサトにリツコは通信機のスイッチをオンにする。
 間違えて繋げてしまったと演技して。
『シンジ君ね』
 ──ミサト?
 急に入ってきた声に、アスカはびくんと反応を示した。
『どうもアスカの無神経さに腹が立ったみたいなのよ』
『告白しろって責められたあれ?』
『そう……それがどうも、シンジ君にとっては的はずれだったって、そういうことなのよね』
『よくわからないわね……』
『いい? シンジ君にだって、横恋慕だってことはわかってたのよ。だからどう気持ちに整理をつけるかで迷ってたんだって』
『難しい話ね』
『あの子の先生ってのに、教わったことらしいのよ』
 ──なんだ、もう初恋やっちまってたのか。
 それはある夜のことだった。
 捨てられていた『ビ○本』でさんざんからかった()の男は、自然な流れからそういう話に入っていったのだ。
「それで、どうだったんだ?」
「ふられましたよ」
「ありがちな話だな。どうやってふられたんだよ?」
「先生には関係……わかりましたよ!」
 ○ニ本を広げようとするおじさんに、大あわてで口にする。
「その子には、他に好きな子がいたんですよ。それで諦めて、その男の子に、あの子のこと、好きかって聞いて」
「どうなったんだ?」
「そいつ、嫌いだって言ったんです。照れ隠しだったんでしょうけどね、マナちゃんが泣き出しちゃって……僕、我慢できなくなって、飛びかかっちゃって」
「喧嘩したのか……そりゃあ嫌われるな」
「ですよね……」
 シンジははぁっと嘆息した。
「バカなんですよね……諦めて、距離を取ってればよかったのに」
「でもそういうお人好しは嫌いじゃないぞ?」
「損するだけじゃないですか」
「損得を勘定してたら、恋なんてできないさ」
 いいかと彼は説明した。
「愛ってのは、見返りを求めないもんだ。無償の愛っていうだろう?」
「ムショー?」
「お返しなんていらないからってチョコだったら愛ってことだな」
「……どういうたとえですか」
「まあそれはともかくだ、その子に幸せになって欲しいと思ったんなら、自分の気持ちを押し殺したお前のやったことは正解だよ。それで相手は幸せになりました。よかったねって笑って送り出せた……ならな?」
「…………」
「でも恋ってのはそういうもんじゃないんだよ。もっと自分本位なんだ」
「ジブンホンイって、身勝手ってことですよね?」
「そうだな……。キスしたいとか、エッチしたいなんて願望がまずあってだな、相談するならまず俺のとこに持ってこいとか、俺だけを頼れよとか、信じろよとか、そういうわがままなことを押しつけるのが恋ってんだよ」
「そんなの酷いじゃないですか」
「じゃあお前はどうだったんだ?」
 シンジはなにも言えなくなってしまった。
「だろ?」
「……はい」
 そんなシンジの頭に、ぽんと大きな手が乗せられた。
 見上げるシンジに、男は実に漢臭く笑っていた。
「いいか? シンジ……だから恋ってのは理屈じゃないって言われるんだよ」
「…………」
「相手のことなんて関係ない。自分が満足できるように追求する。それが恋ってやつなんだ……だから自分の好みにあった相手を捜して、自分好みに改造しようとするんだな、人は」
 ──だそうよと、ミサトは大まかに語って考えを述べた。
「察するに……シンジ君の悩みってのは、別にマナちゃんが好きだとかってところにはなかったのね」
「どういうこと?」
「初恋の人なのよ……だから助けたいとは思った。そうでなくても嫌われたくはなかった」
「二度目になるものね」
「そんな状況だったのに」
「助けに来たのは恋人で……」
「そう……軽いとはいえ、十分な怪我を負わせてしまって」
 アスカの動悸が激しくなっている。
 もちろんそれらはモニターされている。
「それをアスカのせいだって思っているの?」
「違うわ。ただフラッシュバックが起こったのよ。また嫌われる。なじられる。そう思うともう怖くて近寄ることもできなくなった」
「介護している姿に、罪悪感がこみ上げてきたってとこね?」
「その上、そんな自分の感情に、不純なものを発見したのよ……もし逃がしてあげることができてたなら? 感謝されたかもしれなかったわね。好きになってもらえてたかもしれなかった」
「それが?」
「守ってあげたいという気持ちは愛でしょう? でも嫌われないためにやってたとしたらそれはなに? 恋なの?」
「難しいわね……」
「……昔の自分が戻ってきた。それをもてあましてる自分が居る。……あの子はあたしたちが思ってる以上にいろんな体験をしてきてるみたいだもの。これから自分は? あの子は? どうこじれてしまうのかが見えてしまっているのかもしれない」
「だから臆病になった……か、辛いわね」
「嫌われていくだけなんだってわかってるんじゃ……居なくなりたいのも当然よ」
「つまりシンジ君は」
「アスカから逃げてるんじゃない……あの子たちがどこかに移されるのを待ってるのよ」


「はぁ……」
 シンジはまだがけの上にいた。
「眠るのがこんなに疲れるなんて知らなかったな」
 なまじ満たされていたからだろうか?
 空腹がとても辛く感じるようになってしまっていた。
「昔は起きてるとおなかが空いて我慢できないって、冬眠するみたいに寝てたのにな」
 より正確には、借金取りのせいであった。
 いつ眠れるかわからない。いつ食べられるかわからない。
 だから眠れるときには何十時間も眠ったし、食べられるときには動けなくなるほどおなかを満たしたものだったのだ。
「アスカのバカ……」
 力無く、ぽつりとつぶやく。
 シンジは知ってしまっていた。
 誰かを諦めるために誰かとつき合うと、必ず相手を傷つけてしまうことになるのだと。
(あのお姉さん……どうしてるのかな?)
 ずっと前のことである。
 逃走の途中で知り合ったその人は、最後には大声を上げて泣いていた。
 わかっていたと、本当はあの人の中に、別の人がいるとわかっていたと。
(僕の中にはマナちゃんが居るんだ……今でも居たんだな。でもそれは昔のマナちゃんで)
 病室の姿を思い出す。
(今のマナちゃんじゃないんだよ……どうしてそれをわかってくれないんだよ)
 昔のことを思い出して、今度はと思っていた自分はバカだった。
 今度もマナを救うのはムサシだろう。それももうわかっているのだ。
 昔のことを思い重ねているだけの自分と、今を育んできた人たちと……。
 マナがどちらを取るかなど、初めから勝ち目のない話である。
「くそっ!」
 毒づいて起きあがる。
「こんなこと考えちゃうなんて……」
(それこそ本気で好きだって思ってるみたいじゃないか)
 忘れられない、あの子のことばかりを考えてしまう。
 シンジはまだなにかをやって忙しくしている方がマシだなと考えた。
「だから失恋した時って……みんなヤラしいことに没頭するのかな?」
 まるで何かから逃げるように……。
「でも……」
 醒めた調子で笑ってしまう。
「僕にはそんな相手……いないもんな」
 シンジは自分が独りであることに気が付いた。

−フェイズ2−

「う……」
 目が覚めようとしている。
「ムサシ?」
 マナはそっと呼びかけた。
「マナ?」
「うん……」
「マナ……マナ!」
 ガバッと起きあがろうとして、ムサシは全身を襲った苦痛に驚いた。
「ぐぅ!」
「だめ! まだ寝てないと……」
「ここは……俺は?」
「ここはネルフよ」
「ネルフ? じゃあ……俺たちは」
 マナはそっとかぶりを振った。
「捕虜になってるんじゃないの。取り引きしたの」
「取り引きって……」
「戦自のね? 少年兵政策のことの証人になるって……」
「それで保護してもらえてるのか」
「うん……」
 ムサシの目には、はっきりと疑っているものが窺える。
 しかしマナには否定しきる自信がなかった……と、そこに白衣の女性が現れた。
 シュッと音が鳴って扉が開いた。入ってきたのはリツコであった。
「あら……気が付いたのね」
「誰だ?」
「赤木さんよ……ネルフのお医者さん」
 違うんだけどね……とリツコは笑った。
「とりあえず霧島さんにと思ったんだけど……ちょうどいいわ」
「なんですか?」
「今後のね……あなたたちの身の振り方について、相談したいことがあったのよ」
 いいかしら? と断って、リツコも椅子の一つに腰掛けた。


 リツコの話は、とりあえず現状を伝えるものから入っていった。
「戦自は少年兵政策を破棄したわ。これによってあなたたちの経歴は抹消されたし、もう安心よ」
「はぁ……」
「でも、完全に安全を保障できるかというとそうでもないの。だからこちらが指定した街に移ってもらうことになると思うわ」
「ばらばらに……ですか?」
「そのことで相談したかったのよ」
 遮るように、一緒が好いと言ったのはムサシだった。
「ムサシ……」
「だろ? 俺たちは……」
「まあ聞いて」
 リツコは間に割って入った。
「貴方達のような、一種亡命めいた人たちを、まとめて保護している街があるの。見方によっては監視されてると感じるかもしれないけど、セカンドインパクトからこっち、あまりに数が多くてね」
「他国にはやっかいで、生きていられるだけでも困る……そんな人たちをまとめて保護しているって、そういう話は聞いたことがあります」
「なら話は早いわね?」
「三人一緒なら……いいさ」
「二人はね……」
「なに?」
「わたしが確認したいのは、霧島さんの意志なのよ」
「わたしの?」
 どういうことだよというムサシの視線を、リツコはわざと無視をした。
「期間は三日……それ以上は待てないわ。一度決めたら覆せません」
「どういうこと……ですか? 他になにか」
「あなたと彼らとは……大きな違いがあるのよ。わかるわね?」
 マナはふるえた。
「体……のことですか?」
 ええと頷く。
「酷いことをされてるわね……でもまあ、わたしの見立てでは、それでもあと六・七十年は生きられるでしょうね。これ以上あんな力を使わなければ」
「そうですか……」
「だから指定された街に移って、静かに暮らすか……それとも」
「それとも?」
 一拍の間が空けられた。
「ここに残って、その体を治療するか。……もっともここに残るということは、ネルフに所属するということになるから、ね」
「それじゃあ答えなんて決まってるじゃないか」
 なんだというムサシの言葉にかぶせるように、リツコは真剣な口調で言い放った。
「……一つだけ、覚悟をしておいて。ここからその街に移ったら、あなたはもう二度と『彼』に会うことはできなくなるから」
(彼?)
 それが誰のことを言っているのか? 気が付いたのか、マナの顔から血の気が引いていった。
「彼って誰だよ……マナ? おい、マナ!」
 唇も震えている。
「なんだよ、おい!」
「彼ね……今、ネルフから逃げ回ってるの、なぜだと思う?」
「……わかりません」
「あなたに気があるからよ」
 え……と、マナは信じられない、そういう顔をした。
「そう……なんですか?」
「本人は必死にその感情から逃げ回っているわ」
「逃げって……」
「マナ!」
 マナはムサシを見て……ぽつりと告げた。
「シンジ君がいるの……ここには」
「シンジ?」
 仰天する。
「碇シンジか!?」
「うん……」
「なんで……あいつが」
「エヴァのパイロットなの」
「あいつが……」
「うん……この間、ここで捕まりそうになったときに逃がしてくれたのも、シンジ君なの」
「そっか……」
「うん……」
 ムサシもそれならマナの逡巡の意味がわかるのだろう。押し黙った。
 リツコが確認して、先を続ける。
「あの子ね……彼をこんな目に遭わせたからって、今度こそ嫌われたと思って逃げ回っているのよ」
「そんな……」
「よっぽどあなたにだけは嫌われたくないんでしょうね。だから、あなたがここにとどまることを選ばない限りは」
「もう……会えないんですね」
「ええ」
 沈黙が流れる。どうする? リツコの目は問いかけていた。
「考え……させてください」
「そうね」
 立ち上がったリツコに、あの……とマナは問いかけた。
「一つだけ……教えてください」
「なに?」
「どうしてシンジ君に、あんなことをしたんですか?」
「あんなこと?」
「あたしみたいな……」
 その言葉に、リツコはああと納得したが、同時に心外でもあると口にした。
「わたしじゃないわよ」
「え?」
「わたしたちじゃないわ……ここに召還した時にはもう、あの子はわたしたちの理解を超える存在だったわ」
「……そうですか」
「信じる、信じないは勝手だけど……本人に直接聞くしか」
 そう言えば、わたしも聞かないままになっていたなと、リツコは思い当たってしまった。
 それでも今は、それを訊ねられるような雰囲気ではない。そのことに分別が付けられる程度のものは、いくらリツコでも備えていた。


 シンジが下山したのは、それから二日もしてのことであった。
「ただいま……」
 居間にアスカの姿を見つけて、声をかける。
 無視……されて、シンジはすごすごと自室に引きこもろうとした。
「どこ行ってたのよ」
 間の悪い声のかけかたに、う……うんっとどもってしまう。
「ちょっとね……」
「ふうん? あたしには言えないってわけね」
「そんなわけじゃ……」
「いいわよ! どうせ嫌われてるんだし? 好きにしてたらいいじゃない!」
 ふんっだという言葉に、シンジはムッとして、なんだよぉと言いかけた。
 それを待っていたのだろう、アスカは反射的に返す体勢に入っていた。
 ──ごめん。
 しかし……返されたのは、拗ねるような言葉ではなく、まったく予想外の言葉であった。
「シンジ?」
「ごめん……」
 そこには、しょぼくれているだけの男の子が居た。
「なによ……あんた」
「ごめん……」
「なにいってんのよ!」
 激昂する。
「なによ! 勝手なこと言って勝手に出てったくせに! なに勝手に謝って終わらせようとしてんのよ!」
 ──あたしがどれほど心配して!
 その声が聞こえないほどバカではないからか、シンジには言われるままになることしかできない。
「あんたなんて嫌い! 嫌い嫌い嫌い、大っ嫌い!」
 シンジはぎゅっと目をつむった。
 はぁはぁと荒いアスカの息づかいが聞こえる。
 そっか……っとシンジは、自分が言い放った言葉のひどさを思い知った。
 あまりにも傷つけられるその言葉の威力を。切り刻まれるような痛みのほどを。
 胸のうずきを……自覚する。
(そっか……)
 先生の言葉が思い出される。
 ──好いかシンジ? 抱きしめてキスをしたら、なにがあっても離すんじゃないぞ? もし抱きしめることができないことがあったら、謝って、許してもらえ? それでもだめなときは……。
「そっか……」
「そうよ!」
 アスカの言葉に、シンジは眉間に皺を寄せて……笑った。
 ──それは不吉な笑みだった。
「シンジ?」
(先生が言ったのは……このことだったのかな?)
 ──いいかシンジと、いつもの調子で教えられた。
「みんなとお前との違いは、お前は一人で、みんなにはみんながいるってことなんだよ」
「そりゃそうですけど……」
「わかってないなぁ……たとえば学校だ」
「学校?」
「そう! 遠くの席の子。別の班の人間。別のクラスに違う学年。違う学区。学校ってのは、そうやって仲間の範疇を知らない間に決めさせてる作りになってるんだよ」
「……わかります」
「だからな? その仲間の中にお前みたいなのがいると、こいつは仲間にはできないって追い出そうとしたりするんだな」
「それがいじめってことですか?」
「そうだな……あるいは壊れても良いおもちゃか、そんなもんだ」
 なるほどと頷くシンジに、さらに告げる。
「家……なんてのもそうだな」
「おじさんたちとか?」
「血が繋がってるとか、親戚だからとか、それだけで言うことを聞かされるのって納得できないだろう? 受け入れる方もだがな」
「はい」
「理由は簡単だ。お前が仲間だって認めてないからだよ」
「仲間……」
「そうさ! 一日の中で、自分が一番長くいる場所。そのグループ。そこがお前の家族とも言える、一番落ち着ける場所なんだよ」
 だからかとシンジは納得した。
「だから僕は一人なんだね」
「勉強部屋とか言って、あんな小屋に放り込まれてたらそうだろう?」
「友達の作り方も知らないしね……」
「まあまあ……それはいつかわかるようになるさ」
 だけどなと口にする。
「いいか? もし友達ができたなら……自分が悪かったなら、ごめんって謝れ」
「ごめん……って?」
「そうさ! 友達ってのは、仲間だろ? その仲間が怒るのは、どんな時だ? それは裏切られたって思ったときさ」
 シンジは旅の途中で出会った身勝手な人たちのことを思い浮かべた。
「わかるよ……」
「そっか?」
「うん。彼女に浮気されたからって、許せなくなって別れたって……でもその相手の女の子、自分が馬鹿だったって泣いてた」
「それを許してやったとしても、やっぱりまた繰り返すかもしれないな」
「うん……」
「だからもう同じコトはやんないでねってな、三度までは許してやれ」
「三度?」
「そうさ。人間は完璧じゃないから、一度は間違う。二度目は直そうとして試す。そして三度目に答えをはっきりとつかむ。そういう生き物なんだよ」
「三度までか……」
「ホトケの顔もってな? そういうことさ」
 ──でも先生。
 シンジはアスカの剣幕に落ち込んでいた。
(アスカはもう……許してくれそうにありません)
「ごめん!」
 シンジは派手に頭を下げた。
 そしてさっぱりとした顔を上げた。
「今までありがとう……楽しかった!」
「は? ……あんたなに言って」
「さよなら」
「ちょ、ちょっと! なんでそうなんのよ!」
「だって……」
「だって? なによ!」
 辛そうにする。
「女の子には……さ? 自分を嫌な女の子に変えてしまう男の子がいるもんだって。言いたくもない言葉を言って、自分を嫌ってしまうような女の子にしてしまう奴がいるもんだって、昔先生に教わったから」
 ──もし、な?
 彼は言った。
「許してもらいたいのに、どうしても許してもらえそうになかったら……もうやめとけ」
「許して欲しいのに?」
「ああ……仲間とか、グループの話、覚えてるか?」
「うん」
「学校とかな? 血のつながりとか……そういうのがあると悲劇なんだよ。ただの友達なら、嫌な感じになっても、もういいよ! っですむだろう? さよならしちまえばそれで終わるんだ。でも家族とかなら? 親とか兄弟だとどうなる? それもできないから」
 ──嫌いがどんどん溜まってくんだ。
 シンジは確信していた。今のアスカと自分だと。
 そしてアスカも、本当はこんなことを言いたくはないと思っていたのだろう。
 シンジの言葉がそのまま当てはまってしまったから、口ごもって手も出なかった。
「ね?」
 辛く微笑む。
「しばらく寂しいだろうけど……我慢してね? そのうちユイさんが帰って来てくれると思うから」
「思うからって」
 そうじゃない! そう言いかけた。
「あんたはどこに行くつもりなのよ!? 山岸んとこ? それともファースト!?」
「さあ?」
「さあって……」
「僕はね? アスカ……今までいろんな人を見てきたよ」
 そこにはアスカの知らないシンジが居た。
「泣きながらお父さんお母さんって、もう居ない人を呼んでる子供たちとか、しかたなしに生きてるだけのお姉さんとか、いろんな人に会ったんだ」
「…………」
「いろんな話を聞かされたよ……でもみんな傷ついてたんだ、傷ついてたんだよ」
「シンジ?」
「僕は……だからかもしれない」
 じっと見つめる。
「傷つける側にだけは……回りたくない」
 確固たる意志だった。その黒い瞳で、シンジは何を見てきたのだろう? アスカはシンジを抱きしめ、引き留めようとしながら想像した。
 シンジが長く旅をしていたことは知っている。しかし考えてみれば、詳しいことはなにも聞いてはいないのだ。
「あんた……」
「ごめん……」
 離れようとする。
「優しいよね、アスカは……」
「なによ」
「でも……もういいんだ。アスカを傷つけるような僕なんて、放っておいてくれて良いんだよ」
「そんなこと……できるわけないじゃない」
「でも僕は……ユイさん、帰って来てないかなって、ここに来てみただけなんだ」
「…………」
「ユイさんだったら甘えさせてくれるかもしれないって思ったんだ。慰めてくれるかもしれないって……変だよね、エヴァで死んだって思ってから、ずっと居て欲しいときに居てくれなかった人なのに、そんな期待したって」
 ──子供だって思ってくれてるかどうかも怪しいのに。
 ちょっとだけシンジはるるるるるーっと涙した。
 母というより女という印象の方が強いからだ。
「シンジ……」
 そしてアスカは……そんなシンジの涙を誤解した。
(それはあたしも)
 同じであると感じてしまった。
 同じように、甘えさせてくれる人がいなかったから。
 だが今はシンジがいた。なんだかんだと、一緒にいた。
 シンジはもはや家族だった……仲間だった。
「先生は酷い人だったけど……でも、先生と一緒の時は、こんなこと考えたこともなかったのに」
 シンジにとっては、その役割は先生と呼ばれている人が担っていたのだろう。だが、今はどこでどうしているのかようとして知れない。
「……シンジ」
 聞かせてよ。アスカはそうお願いした。
「あんたが慕ってるって、その先生って人のこと……」
「え? ……なんで」
「あたし知りたい……。ううん? あんたがどんな人と会って、どんなことをして、どんな思いをしてきたのかって、それを知りたいって、今思った」
 ──あたしは、なにも知ろうとしていなかった。
 自分のことを理解してくれていない人を相手に、誰が仲間意識など持つのだろうか?
 アスカはようやく思い至っていた。
 シンジがどうして自分に甘えようとしないのか?
 どうして甘えたことを言わないのか?
 ──心を開かせるためにはまずなにをしなければならないのか?
 アスカはそれをしようとしていた。


 ──そしてそんな時。
 そんな具合に盛り上がっている二人はいま、この街の地下で大変なことが起こっていることを知らなかった。


続く


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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。