──爆弾はこの男が投下した。
「計画を放棄する……」
第二十話 だから少年はがんばった……
広さと、寒さが、場の静寂に拍車をかけた。
「司令!」
口中の皮が喉に張り付くような感覚に耐え、リツコは噛みつかんばかりの勢いで吼えた。
「今更どういうことですか!」
「…………」
「司令!」
「碇……」
一方、コウゾウは、静かな怒りを身を任せて、小刻みに震え出していた。
「人を引き込み、巻き込んでおきながら……」
冗談ではないぞとゲンドウをなじる。
「あまつさえ……泥よりも汚らしいものに手を染めさせておいて、なにを勝手なことをほざいている」
「すまん……」
「碇!」
「罪は償う……。いや、報いは受ける」
「……本気なのか」
「ああ……」
男は片時も外そうとしなかったものを外した。
サングラスである。
これに驚いたのはリツコだった。
「司令……」
──数ヶ月前。
『実験開始──』
その時、この本部施設の地下実験場では、綾波レイによるエヴァンゲリオン零号機の起動実験が行われようとしていた。しかし──。
『中枢回路に異常発生!』
『フィードバックは!?』
『誤差が83%を越えています!』
『レイ!』
零号機の背面カバーが爆発によって排除され、エントリープラグが自動的に射出された。
狭い実験場の天井を、ロケットによって衝突し、はね回る……そして、落下。
ゴンと衝撃による音が鳴った。
あげくにごろごろと床を転がった。エントリープラグから推進剤は抜かれていなかった。もし暴走したとき、パイロットを助ける術がないからである。
『レイッ!』
『司令!? 特殊ベークライト、急いで!』
『零号機停止まであと10……』
『司令!』
まだ零号機は停止していない。
壁を殴りつけている。その足下にはオレンジ色の液体が硬化をはじめて山を築こうとしていた。
──零号機が男に気づく。
ゲンドウはコントロールルームから実験場へと懸命に駆け、そこに転がっていたエントリープラグへと取り付いていた。
装甲板に手を出して、あまりの熱さに手を引いた。ロケットブースターによって火傷してしまうほどに加熱されてしまっていたのだ。
『司令! 逃げてください! 司令!!』
リツコの声は届かなかった。ゲンドウはプラグハッチの開放弁に手をかけていた。
「ぐっ、う……」
皮が焼け、鉄に張り付くのにもかまわずにハンドルを回していく。
ありったけの力を込めて、彼は唸るように声を漏らした。
「ああ!」
プラグ後部からは激しくLCLが吹き出して蒸気を上げていた。その煙もまたゲンドウの身体を痛めつける。
「ぐっ!」
そんなゲンドウの背景には、彼を見つけて身をひねろうとしている零号機の姿があった。下半身を固めてくれたものから抜け出そうとしてもがいている。
バキバキと音を立てて、特殊ベークライトが割れ爆ぜた。零号機は足を取られた形となって、ゲンドウとエントリープラグに向かい、倒れ込んでいった。
『司令──!』
──バン!
ハッチが開放された。残されていたLCLが、入り口部分からドパッと溢れた。
『レイ!』
『司令!』
二人の声が重なる──と、零号機がガクンと動きを固まらせた。
『零号機電圧ゼロ、活動停止!』
『特殊ベークライトの注入を続けて! 第一班は停止信号プラグの用意を! 救護班急いで!』
そんな声が実験場のスピーカー越しにぼんやりと聞こえる。
『う……』
彼女──レイは、うめきつつも、人の気配に薄目を開いた。
『司令?』
『大丈夫か……レイ』
『はい』
『そうか……』
彼の顔からは眼鏡が消えていた。それは熱を帯びたLCL溜まりの中にあり、ゆっくりとねじれて壊れていった。
そしてそんな二人がこもるエントリープラグの頭上には、覆い被さるようにしてオレンジ色の巨人が硬直していた。
──リツコが思い浮かべたのは、その後にあったことだった。
『きっと喜ぶわ……司令』
『はい』
あの時の顛末を教えたのは自分であった。
そしてこれはその時のものだと言って、自分が渡したのだ。壊れた眼鏡を。
大事そうにそれを抱きしめた彼女の姿が思い出される。
そんなレイが替わりのものだとしてプレゼントしたものが、今、ゲンドウが机に置いたサングラスだったのだ。あれからゲンドウはずっとレイがプレゼントしたというこのサングラスをかけ続けていた。なのに……。
それを……外した。
「いいのですか?」
「赤木君!?」
君まで!? 過剰な反応を示し、言いつのる。
「ユイ君のことはどうするつもりだ!」
「問題ない……」
「いいか! 使徒は来る。そのためのエヴァだった。それをお前が、ユイ君を取り戻したいがために人類補完計画などを持ち出して、委員会の連中をそそのかし、事を大きくしたのではなかったのか!?」
「その責は取る」
「今更取れるようなものか! アダムとリリスの融合を果たし、ユイ君と邂逅し、同時にアダムとリリスを消滅させるっ、それがお前のプランだったはずだろう!」
リツコは驚きに目を丸くした。
アダム? リリス? 知らない単語が多すぎる。そしてそれ以上に、知らないままでいた事情までも耳にし、彼女は軽く混乱した。
「アダムの復元を行うためには委員会の……ゼーレの手を借りねばならなかった、だからこその餌としての補完計画だったはずだ、違うか!?」
「……そうだ」
「一つ間違えばゼーレによるサードインパクトを許すような計画を立てておいて、放棄するだと!? アダムとリリスはどうするつもりだ!」
ゼーレは補完計画を実行するために、それを取り上げようとするだろう。
ここにある限り……どのようにしても。
使徒のように、執拗に。
「諸共に消えると言ったからこそ、俺はお前の後始末を引き受けるつもりで準備してきたのだぞ? それに計画の放棄はアダムとリリスの処分法を無くすことになる! どうするつもりだ!」
「最後の使徒が現れるまでにまだ時間がある……悪いな冬月。俺はもう……ユイを思い出すことができないんだ」
「…………」
「…………」
無音の室内。
向かい合う少年と少女。
──シンジとアスカ。
アスカはシンジの両手を取っていた。
ぺたんと座り込んで彼を見つめている。
シンジは両手を取られていた。
逃げ出すことが叶わずにいる。
弱り果てた顔をしていた。
「ねぇ……」
アスカは不安を隠しもせずに少年に告白した。
「あたし……うれしかったのよ?」
絞り出すように、彼女は言う。
「抱きしめてくれたこと……。誰も……、誰も、誰も。そんなことしてくれなかった。一人も泣かせてなんてくれなかった」
アスカの胸に去来するもの。それはセカンドチルドレンとしての、苦闘の日々のことであった。
女の子らしく着飾ることも許されず、肌に血の匂いが染みつくほどにLCLに浸り続け、過度の期待に応えようとして無理を重ね……。
「なのにあんたは、教えられたとおりにしただけだって言うの? ただ困ったからそうしただけだって……」
ねぇ? ……そこには泣きそうになっている、ただの気弱な女の子がいた。
「あんたは……、あたしのこと、可愛そうだって思ってくれたから、そうしてくれたんじゃなかったの? 守ってあげたいとか、元気づけてあげたいとか、あたしのこと……」
「アスカ……」
「本当に?」
ねぇ……。何度も何度も言いつのる。
「本当に……なんとも思わなかったの? 泣いてるあたしを見ても、困ったなって思っただけだったの? ねぇ!? シンジ! お願いだから答えてよ!」
違うよ! シンジはアスカの手を握り返してそう答えた。
「どうして良いかわからなかったのは本当だよ! でも泣きやんでもらうためにはどうすればいいのかわからなかったってだけなんだよ! 泣いて欲しくないって思ったのは本当だよ! だって友達だから!」
「シンジ!」
「友達……だよね?」
「うん……」
「友達だから……嬉しかったんだ。アスカみたいな友達ができて」
「シンジ」
「でも」
「あたしはもう……友達じゃないの?」
「だって……」
「ん?」
「僕にはこんな時……どうすればいいのかわからないんだ」
「どうする?」
黒い肌の少年が、看護だとつきそう少女に対して深刻に尋ねた。
「残っても良いと思うけどな、俺は……」
「でも」
「もう逢えなくなるかもしれないけど……、でもこれからは大丈夫だって言えるだろう?」
「うん……」
「けどこのままじゃあ、今まで引きずってたもの、全部持ち越しになるんじゃないか? これからも……あのときに、ってさ」
「かもしれないけど……」
「俺たちからは逢うことはできないかもしれないけどさ、お前からは会いに来ることはできるよ、きっと」
「…………」
「生きてさえいれば、また逢うことはきっとできるさ……でもあいつはエヴァのパイロットなんだろう? もう……本当に、いつ逢えなくなってもおかしくはないんだ」
──発令所。
コウゾウはゲンドウが座るべき席に腰掛けていた。
座ってはならない席だ。それだけにオペレーターの者たちも、何事なのかと不安になって見上げていた。
「……十二、十三年か?」
彼は過去を振り返っていた。
『ヒトが神に似せてエヴァを作る。これが真の目的かね』
はいと微笑んだ彼女のことが、信じられない思いであったと邂逅する。
芦ノ湖の湖面の照り返しを受けて、その表情は輝いていた。そして彼女の腕の中には、まだ乳離れもしていない幼い赤ん坊が眠っていた。
『ヒトはこの星でしか生きられません。でもエヴァは無限に生きていられます。その中に宿るヒトの心と共に』
『やがては行き詰まる種、人類。緩慢な死を享受しているだけの運命共同体。だからこそ遺品とでも言うべき遺物となってまで証を残そうというのか、君は。ヒトが確かにあった証を』
『ええ』
誇り高く彼女は言う。
『たとえ五十億年経って、この地球も、月も、太陽すらもなくしても残りますわ……たった一人でも生きていけたら、とても寂しいけど生きていけるなら』
『人の生きた証は、永遠に残るか』
──そのためのエヴァンゲリオン。
コウゾウは腹の上に手を組んで瞑想に入った。
(キール議長をはじめとするゼーレの主だったメンバーが、その役割を負ってエヴァにこもるはずであった。彼女が取り込まれたのはあくまで事故に過ぎない。しかしサルベージの結果は、彼女がそのまま居残ろうとするかのような意志をかいま見せるものだった)
碇ゲンドウ。
(あいつは、だからこそ彼女は戻ってこないのだと思いこんだ。ならば自分から向かうしかないのだと思い詰めた。そのために持ち上げたのが人類補完計画だった……。あの計画でなければ、アダムの復元を認めさせることはできなかったからな)
だが。
(もはや退けぬところにまで来てしまっているのはゼーレも同じのはずだ……。なのになぜ、今更になってキール議長は)
先日、誘拐された時のことが思い出される。
「随分と手荒なことですな」
暗く、どこなのかわからない場所だった。
「皮肉は良い」
「碇を通さず、わたしにご用ですか」
バイザーで見えないが、キールに睨まれた気がして、老人は軽く緊張し、身構えた。
皮肉は良いと言ったはずだと聞こえた気がしたからだ。
「碇を呼び出せば、他の委員にも知られるのでな」
「では、これは、あなた一人の?」
「そうだ」
内密に、碇を動かしてもらおう──彼はキールに脅されていた。
(乱心したか……あるいは正気付いたのかとも思ったんだが、議長だけでなく碇も同じことを言い出したとなると、これは)
裏があるのかもしれないと疑ってしまう。
(だが碇……キール議長もだ、アダムとリリスをどう処分するつもりだ? もはや消し去るためにはサードを大罪人にするしかないのだぞ)
コウゾウはその時のことを想像して身震いをした。
最後の時、ゼーレによるサードインパクトが発動した時。
最悪の事態を回避するために、その中心に初号機とシンジを据え置き、彼に依り代としての行動を強要して、被害を最小限に押さえ込もうとする自分達の酷い姿が見えるようだった。
彼にサードインパクトの引き金を任せ、そして未来を託す。
そのように逃げる自分達の情けない姿が。
(どうするというのだ、お前は)
総司令執務室。
ゲンドウは窓辺に立っていた。
物言わず、ジオフロントの夜景を眺めている。
その背後にはリツコが居た。
かける言葉もなく、だがかといって去ることもできずにいる。
ややあって、ゲンドウが肩越しに訊ねた。
「わたしが憎いか? ……そうだろうな」
笑っているようだった。
「赤木君……君は本当に」
少年は泣き出しそうだった。
アスカは嫌だと思ってしまった。
こんな彼の顔など見たくはないと。
「シンジ……」
「アスカと僕では……違うんだ」
かぶせるように、遮るようにシンジは言った。
「アスカはたくさんの人たちに囲まれてもさ、楽しそうに笑えるでしょう? でも僕は違うんだ……。人に囲まれるとどうして良いのかわからなくなるんだ。一人で山を駆け回ってる方が楽しくてたまらないんだ」
思い出す。
うまくとけ込むことができなかった学校のことを。
あの時はヒカリが手をさしのべてくれたが……。
「じゃあたしと暮らした時間は、苦痛だったの?」
「違う、違うよ! なついてもらえて……甘えてもらえて嬉しかった。可愛いって思ったよ」
「シンジ……」
「でも僕は知ってる……それを勘違いしちゃいけないってことを」
「なに? それ……」
「だって気弱になった人はみんな誰かにすがるものだから。でも頼られた側はそれを勘違いしちゃいけないんだよ。でないと取り返しのつかないことになってしまうから」
「たとえば……?」
「自分のモンだって、思いこむような」
「へ?」
きょとんとするアスカに詳しく語る。
「先生が言ってたんだ……」
──いいか? シンジ。
「……落ち込んでたり、不安なときに慰められたら、誰でもその人にすがりつきたくなるものなんだよ。自分にはこの人しかいないって錯覚して頼っちゃって、依存って言ってた。その時の先生、凄く悲しそうにしてたんだ、きっと……」
なにかうまくいかなかったのだろう……誰かを頼ってしまったのかもしれない。
たとえば年上の……あるいは同い年の女の子を。
「……恋愛って言うのはね? 自分だけを頼れって、自分だけを見ろって、自分だけのものになれって、他の奴とは話すなって、二人っきりになるなって、そういうわがままを言って、押しつけて、受け入れさせることなんだ」
「なによいきなり?」
「でもアスカみたいに不安になってたんならどうなのさ? そんな勝手なことを言われたって、拒絶なんてできなくて、従っちゃおうって気になっちゃうんじゃないの? でもそれってさ……、その状態ってさ、僕はどう受け止めればいいのかな? もしアスカのことを好きになってて、アスカが僕の言うことを聞いてくれるようになって、嬉しくなっても、それは僕のことが好きだからなのか、それとも見放されるのが恐いからなのか……そんなの、区別なんてできるわけがないじゃないか」
理屈はかなり暴力的だが……。
「だから……勘違いしちゃいけないっていうの?」
「そうだよ! アスカが僕を頼ってるのは寂しいからだよ! 僕だからじゃないんだ!」
力説する。
「アスカってなんだか僕に弱いじゃないか! それってなんでさ!? 僕に嫌われたりしないようにってしてるだけなんじゃないかっ、それってなんでさ!?」
「なんでって……」
「……アスカはどうだったの? 不安だったんじゃないの?」
「…………」
「だからなんだよ! だからあの時……アスカが泣きじゃくった時みたいなときは、もしなついてもらえたとしても、それを勘違いして調子に乗っちゃいけないんだよ。だめなんだよ! 可愛いなんて思ったらいけないんだ!」
「でも……」
彼の論理を切り崩せない自分に唇を噛む。
「それでもあたしには、アンタしか考えられもの……」
「それが勘違いだっていうんだよ」
「じゃああんたはどうなのよ!?」
「僕?」
「勘違いしちゃいけない、勘違いしちゃいけないんだって……なに必死になって否定してんのよ!?」
あんた! アスカはシンジの手をぎゅっと強く握りしめて自分へと引いた。
「あたしのことが欲しいんじゃないの!?」
「え!?」
「自分のモノにしたいって思い始めてるから! そうやって必死に否定してるんじゃないの!? そうなんでしょ!」
赤らんだアスカの顔のドアップに、シンジは今まで口にしていた言い逃れるための説明が、そうとも取れるものであったのだと気がついた。
沈黙する。
「……どうなのよ?」
「でも……でも」
「そうとしか聞こえないじゃない」
「でも……だめだよ、そんなの、だめなんだ!」
「なんでよ!?」
「だってあの時、アスカは言ったじゃないか! もう嫌だって、こんな場所もう嫌だって! 外が良いって!!」
桃源郷でのことを持ち出して喚く。
「あの時、あそこには僕しかいなかったから僕だったんじゃないか! いまさら面倒だから僕ですませようなんて……」
「違うわよ!」
「でも僕にはその違いがわからないんだよ!」
今度はシンジが泣きそうになっていた。
「ユイさんが居たら、ユイさんでもよかったんじゃないの!? どうなのさ!?」
「しっ、シンジ……」
「僕はっ、一人でも生きられる! 一人でも生きられるんだよ!?」
アスカははっと目を見開いた。
──あたしは一人で生きるの!
シンジに自分の像が重なって見える。幼い自分が……母を亡くした自分が叫んでいるように見えてしまった。
「なんで……そこまで」
「アスカにはわかんないよ」
顔を背けた。
「……誰もいない山の中で、寒さに震えながら眠ったことってアスカにはある? 人気のない場所にあるトンネルの中に身を隠して、雨宿りをしたことは? おなかが空いて、我慢できなくて、自分の手を噛んでごまかしたことは?」
「なんでそんなこと……」
「僕はそうやって生きてきたんだ」
「え?」
「借金取りに追われてね」
「借金取りぃ!?」
「今でもきっと、みんな僕を捜してるんだ……。この街に来るときだって、ネルフの人と借金取りとの間で、銃撃戦になったんだよ」
「銃撃戦んんん!?」
いちいち仰天するアスカである。
「そうさ……ネルフの人は僕を逃がそうとしてくれた。ちょっと勘違い入ってたみたいだったけど」
──実際にはちょっとどころではない話である。
「借金取りだけじゃないよ。ヤクザなんかも追いかけてくるんだ。僕に関わった人たちの中には酷い目に遭わされかけた人だって居たんだ」
「その人たちは……」
「先生が守ってくれたよ」
ただ、どう守ったのかは謎であるが……。
「借金したのはおじさんたちで、僕じゃないよ。でも借金取りの人たちには関係のないことなんだ。おじさんたちのことで僕に目を付けたみたいに、僕のことで他の人たちにも目を付ける。この街にだっていつまでいられるかわからないんだ。なのに……もしアスカが言うみたいに、僕がアスカのこと、好きになっちゃってたとしても、僕は」
「でも」
アスカはポソリと反論した。
「今ならお金ってあるじゃない」
「う……そうだけど」
「それにあたしなら、あんたほどじゃなくても力あるし、付き合えるし」
「そうだけど……さ」
「この間、山ん中で遊んだみたいなもんなんでしょう? 毎日が」
「そうなんだけど……」
「だったら!」
強く言い含める。
「なんでそんなに気にするのよ!?」
「そんなこと言ったって!」
「気にすること無いんじゃない!」
「でも!」
言葉を探す。
「どうしてそんなに、アスカが好きだってことにしたいんだよ!?」
これは思わぬ逆襲になった。
「うあう……、うああ、ええと」
「アスカ言ってたじゃないか! エッチな奴は嫌いだって! 人を縛り上げてまで」
「いや……あれは、だって!」
「だめなんじゃないか! それって警戒してるってことなんじゃないか!」
「そりゃそうだけどぉ!」
「じゃあアスカはどうなんだよ!? 僕がもし好きだって告白したらどうするんだよ!? え!?」
「それはっ!?」
「それでも僕を抱き枕にできるの!? 今までみたいに一緒にいられるの!? アスカにヤラしいことするかもしれないのに!?」
静かに……静かに口にする。
「ごめん……」
「シンジ……」
「僕はもうだめだ」
「だめって……」
「抱き枕として」
「いや……抱き枕としてだめかどうかってのも」
しかしシンジは真剣であった。
「でも一人で寝るのは寂しいんだろ? だからあんなの着せてまで僕を抱き枕にしてたんじゃないか」
「そうだけど……」
「僕はアスカのことが好きかもしれない。いや、好きなんだと思う」
「シンジ!」
「でもそうだとわかっても、アスカはまだ僕に抱き枕になれっていうの? 僕に我慢しろって押し付けるの?」
ぐしっとすする。
「そんなのってないよ、酷いよアスカ」
違う違うとアスカはばたばたと髪を振った。
「あんたを縛り上げたのは! あんたが変な寝ぼけ方をするからでっ、あたしは別に……」
「でも気持ち悪かったんでしょう? だから縛り上げたんでしょう!?」
「そうだけどぉ!」
──でも。
「それとこれとは別問題でしょう!? あたしが言ってるのはあんたの寝ぼけ方が嫌だってことで、別にあんたにエッチなことされるのが嫌だなんて言ってないじゃない!」
「じゃあ僕がエッチでスケベでエロエロでも良いっていうのかよ!?」
「そうよ!」
「そうよって……」
「もしあんたがあたしのことが好きで、あたしとそういうことがしたいっていうんなら! キスだって、その先だって、なんだってOKだったって言ってんのよ! あたしは!」
シンジは息を飲み込んだ。
「そ、そうなの!?」
アスカは興奮からか顔を真っ赤にさせていた。
鬼気迫る表情をしている……恐い。
「あんたはあんたじゃだめだって言うけどね? じゃああたしはいつまでこれから出会うかもしれない奴に期待してなくちゃならないの? 今までだって居たかもしれないし、これからだって現れるかもしれないんならっ、今、目の前にいるアンタに期待したって良いじゃない! 好きだって言われてたいって願ったって良いじゃない! 悦んだって良いんじゃないの!」
「悦ぶって……」
「あたしは、あんたのことがっ、好きなのよ!」
──言い切った。
「ああ……、アスカ!?」
「なによ!」
「なにって……ええと」
──言ってしまったものはしょうがない。
「なによ!? 悪い!? あたしが好きだと迷惑だってわけ!?」
「そそそ、そんなことはっ、でも!」
「勘違いだとでも言う気!?」
「そ、そうだよ! それは『あっち』でまいってた時に受けたすり込みで……」
「かもしれないけどっ」
血走った目をして睨みつけた。
「あんたこそ一体どうなのよ!? あんた本当にあたしのことが好きなの!? どうなのよ!」
「どうって!」
「あんたほんとはただヤラしいだけの奴なんじゃないの!? あんたこそ毎晩むらむらしちゃって、それこそ我慢できなくなって来ちゃってるだけなんじゃないの!? どうなのよ!」
「わかんないよ!」
「ううんっ、わかってるはずよ! あんたはだんだん我慢できなくなってきてんのよ! アタシにまいり始めてんのよ!」
「そうなのかなぁ?」
「悔っしい! そんなの我慢できないのよっ、あたしは!」
「我慢できないって……」
「なんで『アタシだから』じゃないのよ!? あたしを見つめてくんないのよ!? 体だけなの!? あんたの興味って!」
もう支離滅裂である。
「あたしはあんたのペットじゃない! 喚くのが可愛いからってかまってやろうなんて、そんな風に思ってただなんて酷いじゃない!」
「そんなこと思ってないよ!」
「思ってた!」
「思ってない!」
「キスしたくせに……キスなんかしたくせにぃ!」
──悔しげに叫ぶ。
「あたしのこと、男友達みたいに思ってたんでしょう!?」
「うん」
断言してくれたシンジにコノヤロと唸る。
「だからあんたはバカシンジなのよ!」
「う……うん」
「あたしは女よ! 女の子なの!」
「わかってるよ」
「わかってない! 男友達みたいだって思ってたって言ったじゃない!」
「それは……」
「だったらどうしてっ、抱きしめたりキスしたり、そんな慰め方なんてしたのよ!? 抱き枕になってくれたのよ!? それってあたしが女の子だったからなんじゃなかったの!? それとも女の子にはそうするもんだって教わってたから!? 教わってたからただそうしただけなの!? 相手があたしだったからじゃなくて、ただそうしとけばいいやなんて!」
「それは……」
「ほんとは意識してたくせに! それなのにまだただの友達で居るつもりなの!? それともあたしの前から消えるつもり!?」
「消えるだなんて、そんな」
「でも抱き枕には戻れないって言ったじゃない!」
「うん」
「でもアタシのこと好きなんでしょう!? どうでもいい人間じゃないって思ってくれてるんでしょう!」
「うん」
「だったら! あたしがひとりぼっちは嫌いだってことも知ってるんじゃない! なのにあんたはあたしを一人ぼっちにする気なの!?」
「そんなことしないよ!」
「でも辛いからもう甘えないでみたいなこと言ったじゃない!」
「それは!? ……そうか、それはまずいよね」
「どっちなのよ!? どっちにするのよ!」
「ええと」
「もういい!」
「アスカ!?」
アスカは手を突き離すと背を向けた。
ぐすっと鼻をすすって涙をぬぐう仕草をする。
「こんな風に見放すくらいなら……なんで優しくなんてしたのよ!」
拗ねる。
「あんた、嫌だっただけなんじゃない! 優しくなんてない! 泣かれるのが嫌だっただけなんじゃない!」
「アスカ……」
「優しくなんてしないでよ!」
触れるなと自分で自分を抱きしめる。
「優しくされたら……弱くなって、独りがもっと辛くなるのよ……」
顔を上げる。頬をつたうひとしずくのもの。
「中途半端にしないでよ……」
シンジはそっと、彼女の背を抱きしめた。
「ごめん……」
「なによ……」
「僕が、馬鹿だった」
「それだって先生とかに習った台詞だって言うんでしょ?」
「うん……だけど」
くるっと首を振り向かせて、シンジはアスカの唇を奪った。
きっちり五秒待ってから離す。
「こうするべきだって決めたのは、ちゃんと僕の気持ちだから」
「シンジ!」
抱きつくアスカ。
押し倒されるシンジ。
一つになる影。
……そしてアスカが座っていた場所には、一つの目薬が落ちていた。
のふーんヽ(´ー`)ノ
──翌朝。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
テレテレとしながら部屋を出るシンジである。
そして玄関口にはアスカが立っていた。肌の上にはシーツを巻き付けているだけである。
左手で前を合わせ、右手は合わせ目より出して振っていた。小さく、遠慮がちに。
そして恥じらう顔には、照れた笑みが浮かべられていた。
ほんの少しだけ、赤らんで。
シンジはそれを見て、にちゃーっと表情を崩しながら、エレベーターに乗り込んだ。
「くぅうううう!」
ばたばたとその場で足踏みをする。
「いいなぁ! こういうのって……こういうのって、いいな」
一方アスカは、部屋に戻る途中のリビングで、目薬を拾い上げていた。
ちろっと舌を出していたりする。
「ま、時には演出も必要よね。人が関係を進めるためには」
右手でころころともてあそぶ。
「なんかもうぐだぐだ言って逃げようとするしさ」
もっとも、思い切った後はやけに激しくあったのだが……。
──アスカはシーツを押さえている左手の力を、ほんの少しだけ強くした。
思い出して、気恥ずかしくなってしまったからだ。その下にある……染みのような鬱血の痕のことで。
にへっと表情が崩れていく。
耳の後ろ、あるいは首筋にもむずがゆさがある。たやすく脱衣所の鏡を前にしてもだえてしまう自分の姿が想像できる。
──と、その明晰な頭脳が、ほんのちょっとしたことに気がついた。
「あいつ、なんかウマくなかった?」
それは些細なことであると忘れ去るには、あまりも引っかかりすぎる問題であった。
るんるんるんっとスキップを披露する。
シンジはネルフ地上施設ゲート前に来て、偶然レイを見つけて喜んだ。
「綾波さぁん!」
いつものように、不自然なほどの自然体で振り向くレイだ。
「なに?」
「いや……なに、じゃなくて、おはようって」
「そう……」
(機嫌悪いのかな?)
どうしたんだろうかとびくびくとする。
前を向き、彼女はゲートへと歩いていく。実際レイは不機嫌だった。
──ことは数日前にさかのぼる。
「どうした? レイ」
初号機の元から見つけたらしいゲンドウに、レイは話しかけられていた。
「いえ……」
「零号機がどうかしたのか?」
レイはゲンドウから目をそらすと、零号機へ向かって厳しい目をして見せた。
「わたしは……なんのためにここにいるのでしょうか?」
「…………」
「わたしの力では、使徒を倒すことはできません……。先日の使徒、わたしは終始怯えていました」
「そうか……」
「碇君がいない……、彼が待機していない、そのことを知ってわたしはどうにもできない不安に駆られてしまいました。そして気が付いたんです……。わたしは使徒を恐れているのだと。わたしでは使徒を倒すことはできない。とっくにそう気が付いてしまっていたのだと知りました」
それでもとゲンドウは慰めた。
「殲滅したのはお前だ」
「それも碇君の助力があってのことです」
「……俺がお前に期待していたのは、エヴァを運用し、使徒を倒す。そのことについてだった」
「はい……」
「あくまで計画の一部、駒としてお前を見ていた」
「はい」
「すまなかったな、レイ」
「は……え? 司令?」
去っていく。その後ろ姿に疑問を感じる。
そして、そういえばと彼女は気がついてしまっていた。彼があまりにも自然体であったから。
彼は普通に自分を見ていた。
いつもの自分を通して誰かを見ている……その苛つく感情を引き起こす目つきではなく、ごく当たり前に、今の彼は自分を見てくれていた。
──レイはそのことにも戸惑いを感じてしまっていた。
レイにとって、ゲンドウはわかりやすい人間であった。
彼が行っている様々な計画の駒。彼が望んでいるのはそのような役割であると理解していた。
だからそれを軸に自分を演じていれば好かったのだ。
それがシンジの出現によって壊れて来ていた。自分は彼の兵隊であって、好きだの恋だの、そんなことは知らない。
だがその兵隊としての能力について、疑いをもたれたのならどうなるのか?
──不安。
それがレイを不機嫌にさせている。
そして最も大きな不安を与えているのが、彼──シンジなのだ。なのに彼は気づきもしないで、じゃれついてくる。
「綾波さんは、今日はテストなの?」
「…………」
「大変だよねぇ……綾波さんってぇ、僕たちよりずっとテストが多くてさ?」
ビクンとその肩が揺れる。
「信頼されてるのかな? 僕たちよりずっと長く……綾波さん?」
レイは振り向きざまに、シンジの頬をパンッと張った。
「え……」
油断していただけに、シンジには避けることができなかった。
それどころか、何をされたのかわからなくて呆然とした。
「綾波さん?」
「あなたなんて、嫌いよ」
そう言い捨てて置き去ろうとする。
彼女は腹立たしそうに、ゲートのスロットにカードを通した。
──しかし、反応がない。
苛立たしげに幾度も通すが、開かない。
ゲートはまったくの無反応だった。
頭上にある監視カメラを見る。動いていないようだった。
「なにが起こっているの?」
レイはさらなる不安を感じた。
「ん?」
最初に異変に気がついたのはマコトであった。
「シゲル?」
「なんだよ?」
「そっちのコンソール、操作できるか?」
「なに言って……」
雑誌を読みふけっていた彼は、手元のパネルを横目に見て焦った声を発した。
「消えてる!?」
「いや、操作できないわけじゃないけど、システムの大半が落ちてる状態になってる。呼び戻せない」
エラーの文字が画面に躍る。
「どうした?」
そんな彼らに声をかけたのはコウゾウだった。
「わかりません。急にシステムが……」
「んっ、ふ……」
エレベーター。
箱の中には無理やりキスをされているミサトが居た。襲っているのは加持リョウジである。
目的の階に到着したのか、扉が開いた。
ミサトは彼を押し離すと、急いで外に逃げ出した。
「ほれ」
落としていたバインダーと、こぼれた書類を拾い上げて、加持は渡した。
「もう……」
そんな加持に、不満を言う。
「こういうのはやめてよ……。もうなんでもないんだから」
「でもお前の唇は嫌って言ってなかったぜ?」
はぁ? っとミサト。
「なぁにオヤジくさいこと言ってんのよ?」
ぐっさぁっとなにかが派手に加持のハートを貫いた。
「お……おやぢ」
「悪いけど、あたし、ヨリなんて戻すつもりないから」
そんなにシンジ君の方がいいのかぁ!?
なにか誤解をし、衝撃を受ける加持。
「や……やっぱり、お前」
「あん?」
ミサトは加持を睨もうとして……その背後になにかがぼとぼとと落ちるのを見た。
おそらくは換気口からの……。
「ひっ!」
彼女は目を丸くしてわめき叫んだ。
「ごきぶりぃ────!?」
それは数百匹の団体であった。
──そして本部は、これまでにない恐怖とパニックに陥った。
「第一駆除部隊を絶対防衛線上に展開! 工作班はトラップの設置を」
「だめだ! 敵は壁にも天井にも……壁の裏側にまではいずり回ってやがる!」
「第十三区画の配電盤に障害発生! 食い荒らされたものと……」
「まさか人の次が害虫とはな」
深くため息をこぼすコウゾウである。
もちろん席はゲンドウに譲って、彼はその背後に立っていた。
「どうする? 碇」
「職員の退避後、各区画ごとに殺虫剤を散布する」
「本気か? どれほどの面積があると思っているんだ」
「今、赤木博士が試作品を揃えている」
「それはBC兵器の類だろう……」
あきれかえるコウゾウである。そこまでするのかと考えているのだ。
「何もしないよりは良い」
「まあ、女性職員の悲鳴が消えるだけでもな」
きゃ──! ひ──!
そんな悲鳴が聞こえてくる。
「救助に来たぞぉ!」
宇宙服のような重装備を着込んだ駆除部隊員が部屋に入ると、その中は油虫によって埋め尽くされていた。
「ぐっ! ……おいっ、無事か!」
天井にある通気口から侵入してきているらしいのだが、天井も、壁も、床も、黒い虫によって覆われている。
ガサガサと音が凄すぎて、ヘルメットごしの彼の声など聞こえるはずがない状態だった。
彼らは机の上に避難している、二人の女性職員を発見した。抱き合いがたがたとふるえていた。
「くっ!」
背に負ったタンクから、ホースで殺虫剤を塗布しつつ前進する。
続いた隊員が左右に噴霧して道を作る。
「こっちだ!」
彼は立ち上がれないと言う女性の手を取ると、強引に引きずって机から自分の肩へと移動させた。
肩に乗せて歩き出す、続いて別の人間がもう一人を救助する。
がたがたと身を強ばらせているのがよくわかる。まぶたを閉じてお母さんお母さんと泣いている。
(むごいな……)
例えこれが油虫でなかったとしても、このような有様では気を違えてしまって当然だろう。
通路に出ても状況はあまり変わらない。殺虫剤によって殺した死骸を踏みつけて歩くのだが、そのブーツの上をさらに新しい油虫が乗って這うのだ。
一歩踏み出すごとに、めぎょ、ぐきょっと足の下で鳴っているのだが、そんな音もガサガサという数万を超える虫が立てる音に飲み込まれて耳には聞こえては来なかった。
ただ、足の裏から伝わるのみだ。
「ひ……ひ……」
同じように救助された女性が見えたが、こちらは完全に正気を失ってしまっていた。
目を見開き、口と鼻からだらしなく液体を漏らしている。
その長い髪には黒い虫が出入りをしていた。服の中にまで潜り込まれているようである。
「いくらなんでも……異常だぞ」
「隊長!」
しんがりの男が悲鳴を上げた。
「どうした!」
「さ、殺虫剤が……」
おびえたようにふるえていた。
「殺虫剤が、効かなくなってきています!」
「なんだと!?」
──作戦会議室。
「以上のような状況から、火炎放射器、爆発物等の使用許可を発行しました。その結果……」
通路のカメラが捉えた映像であった。
爆発物が発火。光の後に炎が舐める。
黒い煙。それが徐々に晴れてくると、煙の中で金色の光がちらついていた。
「ATフィールド……」
「使徒ね、間違いなく」
ミサトはリツコにかみついた。
「使徒が大量発生したって言うの!?」
「……わからないわ。でもわたしは違うと思ってる」
「どういうことよ?」
「これを見て」
本部の構造図が表示される。
「使徒の発生状況よ」
緑のフレーム表示の内側を、赤い光点が埋めている。
「完全な球形を描いてる?」
「ええ……そして固まりのままで移動しているわ、決して一定範囲外には広がろうとしないのよ」
駆除部隊員や救助された被害者たちからも、彼らは範囲外に出る前に退散するのだ。
「そっか……使徒の目的が地下にあるものとの接触なら」
「一匹でもたどり着ければそれで良いはずなのに」
「なのに団体で動いている」
そう仮定すれば、状況は見える。
「マザーが居るのね」
「その可能性が最も高いわ。前回の使徒は体の一部を分離させて落として見せた。その分離部分にもATフィールドは展開されていたもの」
「同じように、分体としている連中にもATフィールドの使用を許している?」
「この範囲から外れようとする職員からは、慌てて逃げるように飛び離れているもの」
「……しゃくな奴らね」
気を取り直し、彼女らは続ける。
「このままではドグマに到達されるのも時間の問題ね」
「攻略法はないの?」
「……破壊的な兵器に対してはATフィールドを展開し、生化学的兵器に対しては数と自己進化によって抵抗する。どうにもならないわ」
「マザーを確認して、通路を閉鎖……ケージに誘い込んでエヴァで」
「だめね。装甲の間にでも入り込まれたらおしまいよ」
「万事休すか……そう言えばエヴァは?」
「使徒の動きを見て地上に避難させてあるけど……どうする? 作戦部長さん」
ミサトは策はあるわと唸りながら口にした。
「司令!」
ただ聞いていただけの司令に叫ぶ。
「ルートの一部破棄を許可願います」
ミサトが示した案は次のようなものだった。
「特殊ベークライトを注入し、その中を掘削し、進むというのかね?」
「はい。無限増殖し続ける使徒は驚異ではありますが」
見てくださいと、被害者の数を表示する。
「使徒は生き物ではありません。故に捕食という概念を持ち合わせてはおりません」
「似てはいても別物か」
「はい。実際、いくら踏みつぶそうとも彼らはこちらに攻撃を仕掛けてきてはおりません」
「敵と認識していないのか?」
「そこに光明が見えます。使徒は数押ししているだけなのです」
「ふむ……」
「一応、液体窒素による攻撃も考えましたが……」
「なにか問題でもあるのかね?」
「量的な問題もありますが、使徒の自己進化能力に不安が残ります。殺虫剤に対する抵抗力の向上などが、各個体単位で行われているものなのか? それともマザーへのフィードバックが絡んでいるのか? 読めませんから」
「データの送信を許さぬ瞬殺をくり返すことは不可能か」
「どこかで寒さに強い個体が現れるはずです。爆発物に対するように、冷気のような『環境』そのものもまた敵足りうるのだと学習してしまうことが予想されます。あるいはマザーへのフィードバックによって、一瞬にすべての個体が抵抗能力を発生させるかもしれません」
「でも葛城一尉」
──リツコ。
「ベークライトで埋めてしまっては、マザーのところにたどり着くのも一苦労になるんじゃないの?」
ふふんとミサトは笑って見せた。
「だぁいじょうぶよ! こっちには秘密兵器が居るじゃない」
居るという表現に、非常に嫌な予感を覚える。
「……まさか」
「その通りよ!」
──とるるるる。
「あ、電話だ」
ぶたれたこともあって、本部前で居心地悪くレイと共に居たシンジは、かな〜りわざとらしく電話を出した。
「はい、もしもし……ミサトさん!?」
『はぁ〜〜〜い、ミサトよぉん☆ シンちゃん今どこ?』
「ゲート前です! なんでか開かないんですけど……なにかあったんですか?」
『あははははは! ちょっちねぇ、使徒の襲撃受けてるの、今』
「ええ!? 大丈夫なんですか!?」
『ちょっちやばいかもねぇ』
あまりにも陽気な受け答えに、シンジはさぁっと青ざめた。
彼は知っていた。人間、本当の窮地に陥ると、人格の一部が壊れることを。
「ミサトさん! がんばってください! 僕がすぐ行きますから!」
『お願いできる? 使徒の場所、今から転送するから』
「はい!」
『あなたの『力』だけが頼りなの……』
「わかりました!」
液晶画面に地図が表示される。
「使徒なの?」
「そうらしい」
すっくと立つシンジに、レイは少し気圧されたように後ずさった。
先ほどまでの気弱さが無くなったからだ。
「そこ、どいてくれる?」
かなり失礼な口調でレイを下がらせると、シンジはゲートの扉に蹴りをくれた。
「ふん!」
──ドガン!
戦車砲ですらも受け止められるはずの特殊装甲板が一撃で吹っ飛んだ。
目を丸くするレイ。髪も驚きに逆立って、ふくらんでいる。
がらんがらんという音は、きっと扉が先の方にあるエスカレーターを転がり落ちていく音だったのだろう。
「碇君……」
「じゃ、さよなら」
かまってられないとシンジは駆けだした。
実際にかまってなどいられなかったからだ。
「これでよしっと」
「ミサト……あなたねぇ」
呆れた目をしている同僚に、あの子はこういうので良いのよと告げる。
「じゃあシンジ君に通ってもらうコースにベークライトを注入して」
「はい」
「青葉君はシンジ君に状況の説明を、ああ、わたしがやるわ。ぴ、ぽ、ぱっと……シンジ君? うん、大事なことを忘れてたの、ごめんねぇ? あっははははは、大丈夫だって。それでね? ルートなんだけど、ベークライトって透明コンクリで固めちゃってるから、それ掘って進んで欲しいんだけど、できる? できるの? んじゃまヨロシクぅ〜〜〜」
シンジは重々しくため息をこぼした。
「ミサトさんも簡単に言ってくれるよ」
正面には琥珀色の固まりがだらりと溢れてくるようにして止まっていた。
奥に向かってなだらかな角度で盛り上がり、天井に届いたところで道を完全に埋めていた。
「これを掘って行けっていうのか」
「碇君……」
必死に走ってきたらしい。だがそんなレイに対し、シンジは無頓着に行動に出た。
「ふん!」
とりあえず、踏みつけてみる。
──ゴバキン!
どでかいひび割れが走ったが……それだけだった。
「掘れるな」
手刀を形作り……そして突き出す!
「ふん!」
ズンッと震動。シンジの手は琥珀の中に肘まで潜り込んでいた。
驚きにレイは全身の毛をふくらませてしまっていた。
こんなことは……人間にできることではない。
「碇く……」
「こう……やってぇ!」
ねじるような動きをくわえて腕を引き抜く。
──ザァ!
分子結合を破壊された個体だったものが、粒状化して流れ出す。
十分シンジが立って歩けるだけの穴が開かれている。錐状に。
シンジは二・三歩進むと、また同じことを行った。
「手間だな……」
両手のたなごころを合わせて右脇に引く……。
「か・め・は・め……」
なにか危ない呪文を唱える。
「はぁ!」
ねじりを加えて両手を突き出す。そのひねりから生み出された横向きの旋風が、エヴァですら捕らえることのできる硬化ベークライトを粉砕した。
ただの風ではあり得なかった。とどまることなく旋風は硬化ベークライトをくしけずる。
──レイは腕で自分をかばった。
シンジが見えなくなってしまった。粉塵が爆発的に噴き出してきて目を開けていられない。
それどころか、勢いに後ずさりを余儀なくされる。
(これが……碇君の)
力なのかと、風が弱まったところでまぶたを開いた。
──驚愕する。
足下に降り積もった黄色い粉。
それはくるぶしまでを覆っている。
そして正面には、円形の道ができあがっていた。
奥の方からは、掃除機の音を数倍にしたような……そんな情けない表現がぴったりと来る音がしている。シンジだろう。
──レイは後を追うために、粉の中より足を抜いた。
「邪魔だよ!」
かつてこれほどまでに凛々しいシンジがいただろうかと思うくらいに、今のシンジは格好が良かった。
この姿を見たならさしものアスカも惚れ直し、霧島マナですらも微妙な気持ちを抱くかもしれない。
硬化ベークライトに固められていたとは言っても、さすがは使徒である。
マザータイプに置いて行かれてしまった子供たちは、ベークライトの中で死んでいた。だがシンジが相手をしているものは、ベークライトを食い削りながら迫ってくるものである。
殺虫剤や爆発物を使用していた人間を敵として認識することのなかった虫型使徒が、シンジに対しては危機的意識を抱いていた。
まずベークライトの中にとどめられていた虫たちが一斉に自爆した。一匹一匹の爆発力は少なくとも、そこには十分な空洞が生まれる。
その空洞を繋げるように、別の虫たちが溶解液を口から吐いて、ベークライトの中に巣状の道を作り上げていった。リツコが見たなら『蟻酸』に近い、だがかなり変質させた液体に違いないと判別することだろう。
彼らはシンジが穴を掘ると、粉末となって舞うベークライトの塵に紛れて飛び出してくる。
──しかし、意味がない。
「このぉ!」
先日と同質の竜巻を発生させる。この風圧は彼らの飛翔能力を超え、制御というものを許さなかった。
べちゃべちゃと壁に叩きつけられて虫たちは死んでいく。背部の羽を使用して飛ぶ彼らは、大気と重力を遮断する能力を持ってはいなかった。
そのために為す術なく風に揉まれて潰れていく。
やがてシンジがたどり着いたのは、ターミナルドグマへと続くメインシャフト前の隔壁であった。
うぞうぞと天井、壁、床、一面を黒の虫が覆っている。それも四重、五重にだ。
そしてマザーは中央にいた。まるでイソギンチャクのようであるが、頭部を天井に張り付けていて、むしろ貝柱を思わせた。
胴部にはいくつもの穴があって、そこからは虫が這い出して来ている。シンジはいつかテレビで見たごきぶりの巣を思い起こした。
「これだけ居ると……やっかいだな」
再び両のたなごころを合わせて引いた。
しかし「んんんんん……」と異様に力を込めて動かなくなる。
額に浮かぶ玉汗。
シンジが思い出しているのは、『師匠』からの忠告だった。
──良い? シンジ。
身にまとう衣の前をはだけさせ、彼女は中ぐらいの胸を半ばほどまでさらしていた。
忠告を受けたのは、まだそんな彼女のだらしのない格好に赤くなっていた頃のことだった。
桃の園から外れたちょっとした森の中。
集中に集中を重ねて、あの人は言った。
──この技は、制御を間違うと大変なことになるの。
今の自分と同じポーズをして、それを見せてあげると技を放った。
脇に引かれた手は、たなごころを中心に上向き、下向きに。
そして突き出すときにぐるりと回して、同じ正面に向け、あぎととした。
──発生したのは、闇だった。
「回・転・技・奥義!」
突き出す。
「黒・桜!」
ねじられた空間は一瞬で崩壊し、ブラックホール化する。
ふわっと虫たちが浮かび上がった。
そしてそのまま吸い込む風に乗って、黒い穴へと落ちていく、宙の闇へと落下していく。
虚無は徐々に成長して行き、ついには本部に地響きをもたらした。
「なに?」
レイはその震動によろめき、壁に手を突いた。
壁と言ってもシンジが掘り抜いた硬化ベークライトの横穴の壁だ。所々に開いている手のひらほどもない小さな穴は、虫が開いたものだろう。
今、シンジの正面には巨大な虚空が誕生していた。ベキリ、メシッと嫌な音がして、対爆仕様の壁が、隔壁が、引く力に負けて盛り上がっていく。
引き込もうとする力に負けて折れ曲がりつつあるのだ。
当然使徒もこの力の前には悲鳴を上げていた。
節足を突き刺して吸い込まれないように子らは耐えている。しかし昆虫の足は脆かった。
引きちぎれて、キィと悲鳴を上げて吸い込まれ、潰れていく。
大量の害虫を飲み込んで、穴はさらに巨大な物になりつつあった。虫が減って本来の壁や天井が見え始めているのだが、惨状としてはとてつもない。
「くっ、う……」
まだかとシンジは焦り始めていた。額には脂汗がにじんでいる。
(これ以上、成長させるわけには)
シンジはその技を解除した。不自然に発生させられていた現象は、それ以上に不自然な素直さで消え失せる。
──キィイイイイ!
よほどの恐怖を覚えたのだろう……使徒が悲鳴を上げた。
巣穴より黒い旋風を吹き出した。それは何千何万の子供たちだ。
シンジは再び腕を引いた。今度は両脇へだ。
そしてねじりながら、交差するように突きだした。
「閃・花!」
──爆発。
「え?」
レイは見た。
洞窟の奥で光が瞬いたのを。
そして恐怖した。
迫る熱波の巨大さに。
──ズゥウウウウン……。
「今度はなに!?」
わかりませんとマコトは叫んだ。
「爆発らしいんですが……シンジ君が居た辺りです。これって、B級の戦術核を上回ってます!」
そんなとミサトは目を見開いた。
「シンジ君は無事なの!? レイは!」
「不明です!」
ミサトは焦った。『使徒』を甘く見すぎたかもしれないと。
──まさかシンジのやったことだとは思わなかったのだ。
──良い? シンジ。
シンジはこの技についても厳重な注意を施されていた。
『『黒桜』はこの技のための準備技なの。黒桜を使うことによって一時的に多量の電磁波が発生するわ。そして両手で作り出すのは真空の結界。この外側を電磁力で包んで繭を作るの』
科学的なことなどわかりはしない。
だがこの繭の中に閉じこめた何かが、こちら側の物質と結合した瞬間、それは大爆発を起こす。それだけは理解していた。
だから、シンジはそれをぶつけた。
そしてその結果が『これ』である。
──はっとレイが目を覚ますと、そこは本部の外だった。
双子山……と呼ばれる山の頂である。さわやかの風の中に立つシンジを見つける。彼は額に手をかざして街の様子を眺めていた。
(やばかったぁ……)
まさかあれほどのことになるとは思っていなかったのだ。
本部の一区画が丸ごと消滅してしまった。『消滅』である。つまり、消えたのだ。
あまりの熱量に。
これがもし本部の外であったなら?
対爆仕様の施設の中であったから、区画一つで済んだとも言える。
(説明したって……だめだろうな。仕方なかったんだって言ったって)
はぁっとがっくり肩を落とした。賠償金、弁償……せっかく甘い生活というやつが体験できると思っていたのに、そう思ったのに。
「碇君?」
話しかけられても、シンジはレイに気づくゆとりを失っていた。
レイは知らず、胸元に右手を当ててしまっていた。
草の上に足を崩したまま、少年を見上げ、見つめた。
あまりにも少年は儚く、頼りなく……。
「やりすぎちゃったぁ……」
ドカァン……。
遠くで、兵装ビルが爆発した。
続く
新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。