狭苦しい小屋の中……男と女が二人きり。
「僕はずっと……自分はSなんだって思ってた」
 彼の隣のふくらみ……布団の中のものがもぞりと動いた。
「だって僕って、結構身勝手な奴だから」
 そんなことを言いつつも、もぞもぞと布団の中で動く誰かを好きにさせている。
『シンジのSは、SMのSよ』
 実にさわやかな笑顔の母が思い浮かんで、シンジは思わず呟いてしまった。
「寒い……」
 ひゅうと木枯らしが吹き込んで来た……夏のような気候の国でも、山の奥故、寒いのだ。


第二十二話 困った少年はさらにみんなを困らせた


「でも本当はどっちなんだろう?」
 場所を移して温泉である。
「綾波さんはSだよね? そして夕べの僕は受け身だった、つまり、Mだ」
 ちなみに彼が立っているのは温泉洞窟の入り口である。
 すっぱだかで子供コドモしているおてぃむてぃむをさらしているのだが、それが既に歴戦の強者(つわもの)であり、エースであることを知るものはかなり少ない。
 ──毛もまだ生え揃っていないというのに。
「アスカはMだって思ってた……だって結構甘えん坊なところがあるから。でも恐いアスカはSだと思う」
 そうかと彼は顔を上げた。
「僕はやっぱりMで良いんだ!」
 ──ハレルヤが聞こえる。
「先生がそういうタイプも居るんだってなんか言ってたもんな!」
 ──良いかシンジ?
 いつものように、余計なことを吹き込んでいた『先生』である。
「そこに見えるのが雌奴隷という奴だ」
 大きな公園の茂みに隠れて、一晩を明かそうとし、二人は出るに出られなくなっていた。
 少し先の暗がりを、男がリードを手に歩いていた。リードはもちろん首輪へと繋がっている。だが、首輪をしているのは女だった。裸で四つんばいになっている、髪の長い女の首にされていた。
「だがな、シンジ、ようく見てみろ……男の方はどんな感じだ?」
 シンジは目を細めて観察した。
「……嫌そうにしてますね? ビクビクしてる」
「そうだ。つまりあの男にあんな趣味はないってことだ」
 ちょっと待ってくださいよとシンジは慌てた。
「じゃああんな趣味もないのに、あんなことしてるって言うんですか?」
「そうだ。あの男にあの手の趣味がないってことになるんなら、あるのは女の方ってことになる」
 シンジはカップルの状況を察した。きっと男はあのM女のために無理をしているのだろうと。
「よっぽど好きなんですね……あの人のことが。だからM同士でも頑張ろうって」
「ふっ……まだまだ若いな」
「え? 違うんですか?」
 ああ、違う。それは浅はかというものだと……浅はかにも胸を反らして見つかりかけて、慌てて茂みの中に引っ込み直した。
「なにやってんですか」
「ちょっとスリルを味わってみただけだ」
 それよりもと観察に戻る。
「あの男はMだ。間違いない。見ろあのおどおどとした表情を」
「はい」
「連れ回されている女性……あの女、男の足にすり寄って、不安げにしているが、その本性はSだと見た」
「なんでですか?」
「男にやらせているからだよ」
 いいかと本腰を入れる。
「あの女の考え方はこうだ。ああ、こんなことは続けてちゃいけないのに、きっとこの人もいつか呆れて、あたしを捨てて行ってしまう……けどな? その一方で、あの女はそういうことになるんじゃないかって不安までも楽しんでるんだ」
「被虐心でしたっけ?」
「そうだ。いつ捨てられることになるかわからないという恐怖に怯え、そういう状況を想像して鬱に入り、泣いてしまう。だが心の奥底ではそれが現実になるのを心待ちにしているんだな、破滅を望むタイプなんだよ。だからその状況を作り出すために、あのM男に強要しているんだよ。こんなあたしってどうしようもないでしょうって同情を誘ってな」
「へぇ……」
「だけどな? そこまでなら真性のMだってことで片づけられる……問題は男に対して、もう良いからって気遣いを向けていないなってことなんだよ」
 ふんふんと頷くシンジに真剣味を増す。
「あの女はな? 男を悩ませて楽しんでるんだよ。自分はどうするべきなんだろうって悩ませて、苦しませて、必死に逃げ出したくなるのを堪えさせて、苦悩してる姿を見て楽しんでるんだよ。いつかわたしを捨てるんでしょうって悲哀を漂わせておきながら、実は追い込まれていくあの男の姿を観察して面白がっているんだよ」
 だから。
「あの女は、Sなんだー!」
「って立ち上がって叫ばないでくださいよぉ!」
 ──きゃ────!
 現実に戻る。
「あの後あの人たちどうしたのかなぁ?」
 ちゃぷんと湯に浸かったりする。
「ふぅ」
 顔を洗う。
「きっとこれでよかったんだ……僕にはわからないもの、アスカがSなのか、Mなのか」
 鬱になる。
「きっとあれが先生の言ってた、『雰囲気に流された』って奴だったんだ……」
 青い空に浮かんだ、やけにいかつい男の幻は、白い歯を光らせてさわやかに笑い、ぐっと親指を突き出して見せた。
 幻の先生までがそんな性格なのかと軽く落ち込む。
「いいんだ……もう考えてたって仕方ないよな」
「へぇ? なにが?」
「なにがって、アスカのことだよ」
「なんで?」
「だってもう、僕はアスカに会うわけには……」
 ふと気づき、シンジはなんとか振り向こうとした。しかし首は錆びた歯車が回るような音を立てて、ぎちぎちと上手く回ってくれなかった。
「あす……か」
 陽を背に負って、彼女が居た。
「なんで……」
「で、なんであたしと会うわけにはいかないって?」
「それは! だって……だって僕は」
「馬鹿ね」
 アスカはふっと笑ってやった。
「あんたのやったことは、不可抗力よ」
「不可抗力……」
「そうよ。それですべて処理されたわ、だから」
 帰りましょう? 彼女はシンジに手をさしのべた。
 花のような笑みを浮かべて。
「アスカ!」
 シンジは喜びから湯船から立ち上がった。
「でもその前に」
 シンジは立ち上がったことで気が付いた。
「あ……」
 一転し、アスカは鬼の形相になった。
 アスカの足下には……裸のレイが転がっていた。簀巻きにされていた。
 そこの辺りになぜだかシンジが逃げ出した事情を知っている理由があるのだろう。
 シンジは身の危険を感じて背を向けた。
「やっぱり僕は旅に出まぁっす」
「って、行かせるかぁ!」
 ──ガスッ!
 まさに神速の勢いの、神足の蹴りをまともに食らって、シンジは洞窟の奥の壁にめり込んだ。
「ふん!」
 髪をバッと払い、彼を蔑む。直後に地響きが起こり始めて……。
 ──洞窟は崩壊したのであった。


 ──発令所。
 引っ立てられたシンジは特殊なワイヤーによってぐるぐる巻きにされていた。
 かろうじて頭だけが見えている。
 そのシンジに重なるように、ござと縄のロープで簀巻きにされたレイが重なっていた。
 こちらは足先だけが外に出ていた。
「ふん!」
 腰に手を当ててまとめて踏んづけるアスカである。
「まさか結ばれたその日に浮気されるとは思わなかったわ!」
『シンジ……』
 メインモニターに大写しになっていた女性が、眉間に指先を当ててため息をこぼした。
『借金を踏み倒すようなことはするんじゃないって、あれほど』
「違うでしょ!」
 叫ぶアスカだ。
「なんでっ、あんたは! こんな女と!」
 ぎゅむっぎゅむっと踏みつける。
『あうっ、あうっ!』
「ユニゾンするなぁ!」
『でも』
「はっらったっつっわっねぇ!」
 彼女はまるでシャツの襟元でもつかむかのように、簡単にワイヤーをつかみ上げて詰め寄った。
「あんたあたしと一緒に生きてくって誓ったでしょうが!」
 転がっている方の簀巻きがぼそぼそと言った。
「短気は損気」
「なにか言ったぁ!?」
「別に……」
「あんた絶対馬鹿にしたでしょ!」
「ふっ……」
「やっぱりぃ!」
 シンジは密かに感心していた。
(短気は損気ってあんまり関係ないけど、それを馬鹿にする言葉だって思うなんて、あなた、この程度の言葉すらわからないのね、出直してきなさいっていう、二段オチみたいな中傷を行うなんて、綾波さん、なんて凄いんだ)
「……碇君は可愛かったわ」
 簀巻きはなにを思い出しているのかもぞもぞと動いた。
「碇君は、とても可愛く啼いてくれたわ」
「くぅうううう!」
 アスカは悔しさのあまりハンカチを咬んだ。
「あたしでさえっ、あたしでさえまだシンジにしてもらっただけで、シンジを攻めるとこまで行ってないってのにぃ!」
 ちなみに保護者の前だと言うことは忘れ去られているようである。
『シンジ……女の子を手玉に取るほどに成長して』
「……いえ、あの、そういう問題では」
 家庭争議に口が出しづらいミサトであった。
「一応この場合は、まだ子供だということで、おしかりを……」
『ああ! そうね』
 ユイはパンと手を打った。
『シンジ? 中出しなんてしなかったでしょうね?』
 ──ブゥ!
『わたしと違ってその子たちはまだ子供なんだから、赤ちゃんなんて産めるほど』
「ちょちょちょ、ちょっと待ってよ! ユイママ!」
『はい?』
「わたしと違ってってどういう意味ですか!?」
『……言葉のあやよ、気にすることないわ』
「します! 絶対しますぅ! だってシンジって初めてって感じ、しなかったもん!」
 あうあうあうとシンジミノムシはもがいた。
「キスだって上手かったし、体位だって色々!」
『それはほら、なんていうか……シンジも男の子だしねぇ』
 シンジは視線を浴びてミノムシから尺取り虫に進化した。
 逃げようとする。
『そう! シンジってエッチな本が好きだから』
「シンジぃ!」
「持ってないってぇ!」
 しかし誰も信じなかった。説得力が無さ過ぎた。
「性教育?」
『そう!』
 良いこと言った! っとレイを指さしユイは喚いた。
『やっぱり母親としてはそういうこともちゃんと教えておかないと! ほら! わたしの世代ってそういうことに関する教育がどうのこうのって』
「どうのこうのってなによ……」
『いろいろあるのよ、母親にはね……』
「そんなアンニュイになってごまかそうとしたってダメです」
『でもアスカちゃん、良かったんでしょ?』
「え!? いや、その、あの、えっと……」
『うふふふ……そう、よかったわね』
 丸め込まれたアスカであるが、こちらは丸め込まれはしなかった。
「でも碇君は、受け身の時が一番可愛いもの」
「あにムッとしてんのよぉ? あ、シンジに可愛がってもらえなかったんで拗ねてんでしょ?」
「……良い。気にしてないもの」
「ほんとにぃ?」
 簀巻きの奥で、赤い瞳が光っていた。
「強がりじゃないし、嘘も言ってない……わたしにはわかるもの」
 ──ニヤリ。
 アスカはヒキッとひきつると、このオンナぁっと簀巻きの口を開こうとした。
「……話が進まないわね」
「そうね」
「フケツ……」
「まあシンジ君の性癖については後で詳細なレポートを作成することにして」
「……悪趣味じゃない?」
「だってぇ! 不公平じゃない? あたしだってシンジ君には色々と見られてんだからね」
「それってどういうことよ!」
「葛城一尉……」
「ビ、ビデオよビデオぉ……若気の至りってやつで」
「なんでそんなのシンジに渡してんのよぉ!」
「渡してないって! ちょっち若気の至りってやつで、出回っちゃったやつのカタログをシンジ君が……」
「あんたやっぱり持ってんじゃない!」
 無実を訴えているがストンピングの前には無力であった。
「……色々と大人だったんだなぁ」
「俺たちよりも大人かもな」
「あ────……」
 そろそろいいかなと、影の薄かった老人が口を開く。
「場所を移したいんだが、良いかね?」
 それについては異論は無かった。


「で」
 ──総司令執務室。
 ゲンドウが座り、脇にコウゾウが立っている。
 席の正面右手にユイが立ち、反対側、コウゾウの前にリツコとミサトが並んでいた。
 子供たちは真正面である。シンジはワイヤーの余った部分を引っ張られて、ここまで引きずられて運ばれてきていた。
 ちなみにアスカの反対側にはレイが立っていた。ゲンドウが口を開く。
「レイ」
「はい」
「よくやったな」
「なにがですか」
 ユイの幻影……ホログラフが、ゲンドウの頭をぺちんとはたいた。
「とりあえず」
 コホンと咳払いをする。
「わたしとゲンドウさんの離婚がこのたび決定しました」
 えっと複数の口から驚きの声が発せられた。
(そうなんですか!? 司令!)
(ついに素面(しらふ)に戻ったのかね、ユイ君)
(いきなりそんな家庭の事情から入られても……)
 感想はそれぞれのようである。
「そこでわたしは、シンジと新しく籍を入れ直して」
「ユイさん!」
「…………」
 アスカとレイに睨まれて、ユイはいやぁねぇとそっぽを向いてごまかした。
「冗談よぉ。単に鬼籍扱いになってるから、そこのところをっていう話よ」
 本当にそうかという無言のゲンドウの視線が背後から痛い。
 彼の側──ユイの後頭部には、大粒の汗が見えていた。
 フォログラフのわりには芸が細かい。
「正直に話すと、アスカちゃんのことは単にキールおじさまのいたずらなのよ」
「お祖父さまの?」
「ええ。だから肝心なのは当人同士の気持ちってことで」
 ──フッ。
「なら問題ないじゃん! シンジはあたしと一緒になるって……」
 ──フッ。
「碇君はあなたにさよならを言ったはずよ」
 ──ムカッ。
「それはシンジが勘違いしただけで!」
 ──ニヤリ。
「そう……でもだめ、碇君はあなたなんて忘れることにしたそうよ」
 こらばかシンジっと喚きかけて、ここはシンジよりもこの女だとにらみ合いに突入する。
 自分に来なくて、シンジはちょっとだけほっとした。
 しかしこの人はそうはいかない。
 口元に指を当てて、ふん? っと首を傾げていた。
「レイちゃんって、どうしてシンジのことが好きなの?」
 どうやら気にかかるらしい。
「葛城さん、知ってる?」
「前から意識していたようですけど……」
「そうなの。レイちゃん?」
「はい」
「シンジのこと好き?」
「いいえ」
「そうなんだ。じゃあどうして喧嘩するの?」
「好きではありませんが……」
 彼女はは虫類系の目つきをしてシンジを見た。
「なんとなく惜しいので」
「そう、それならまあいいか」
 アバウトに後頭部を掻いて結論を出す。
「アスカちゃんが主人でレイちゃんが女王様ってことで」
「なんですかそれはぁ!」
「シンジがはっきりしてくれれば良いんだけど、まだ使徒は来るしね? 角が立つ結論を出すのはまずいでしょ」
 アスカとレイはぐっと唸った。にらみ合ったままで思案する。
 それは確かにそうであると。
(ま、シンジにべったりくっついて監視してれば)
(碇君はわたしが頂くわ。あなたいらない、用済みだもの)
 二人は不吉に笑い合った……そしてシンジの真上でがっしりと手を握り、握手を交わし合った。
「休戦よ」
「のぞむところだわ」
 ぎりぎりと力を込めている。どこが休戦なのだろうかと突っ込む人間は居なかった。
「微笑ましい光景ですねぇ」
「ああ、青春だな」
 ユイとゲンドウのコメントに残りの大人たちは頭痛を覚えた……いやリツコだけがくらりとめまいを覚えていた。
(わたし、この人に勝てるの?)
 似たもの夫婦なのだと思ったらしい。離婚するようなのだが。
「ま、とりあえずはこんなところで」
 ユイはにっこりと微笑んだ。
「で、霧島マナさんって誰なのかなぁ?」
 ……わざとやっているとしか思えなかった。

−フェイズ2−

「ええと、霧島マナです……」
 やや緊張気味に敬礼する。
 場所、移って作戦会議室である。ミサトとリツコに挟まれて、彼女は酷く緊張していた。
「所属は保安部で、碇シンジ専属保護官に任命されました」
「つまりお目付役ってことでね」
 だがミサトの注釈に、少女二人はまったく納得しなかった。
「なんでその女でお目付役になるのよ!」
「そうね」
「そいつ、シンジの昔の女だって言うじゃない!」
「あなたもね」
「目ぇ離した隙になにするかわかんないじゃない!」
「あなたよりはマシでしょう?」
 こいつはっとレイを睨む。
「なによ!? 文句あるわけ!?」
「もちろんよ」
 戦闘態勢である。
「目を離さずとも、目の前でなにかをしでかそうとするあなたよりはまだ良いわ」
「あんただって泥棒猫の類でしょうが!」
 がるると唸り合う。背景にナマコとアメフラシの姿が見えたが意味はわからない。
「まああんたたちがそう思うのも仕方ないけど……」
 ちらりとシンジに目を向ける。
 シンジは非常に居心地が悪そうにしていた。それはそうだろう、初恋の相手だというだけでもやりにくいのに、その上このようないがみ合いを発生させているとなっては、身の置き場がないのも当然であった。
「シンジ君は……」
 リツコである。
「レイが好きなの?」
「好きですよ?」
 あっさりと口にし、ショックでアスカを硬直させる。
 それで良いのよとぼそりとレイ。しかし勝利を確信するのはまだ早かった。
「だってなんだか甘えやすくって」
「つまりアスカも好きなのね?」
「はい」
「どこが?」
「普段そっけないのに甘えてくるときにはとことん甘えてくれるところかなぁ……」
「つまり、猫なのね」
「……なんか目が恐いんですけど」
「気のせいよ」
 こほんと咳払いをしたが、なぜだか彼女周辺における人口密集率は減っていた。
「で、霧島さんのことも好きと」
「……はい」
 マナはただ複雑そうにしている。段々とわかってきたからだ。
「つまり……」
 結論へと到達する。
「シンジ君にとって、セックスというのは遊びなのね」
 がーんっとアスカはショックを受けた。それが彼女の硬直を解いた。
「ちょっとシンジ!」
「わぁ!」
 救ったのはミサトだった。
「ちょっと待ちなさい」
「離してよミサトっ、はーなーせー!」
 続きをどうぞと、首根っこをつかんだままリツコへ振った。
「言葉に語弊があったことは謝ります。……シンジ君にとってセックスとは生殖行為、あるいは愛を育むための手段ではないということよ……確認ではあってもね?」
「まあシンジ君の体験を考えるとやむなしか」
「どういうことよ?」
「ん? シンジ君って逃亡生活中に、けっこう体を売ってるような商売の人たちと付き合いがあったらしいのよね」
「……それって、シンジって結構エッチしてきてるってこと?」
「そうじゃなくて、心に傷を負ってる人間というのは、子供にはどこか優しかったりするものなのよ……。その延長で、時には愚痴を聞かせたりしてね?」
 そんなシンジ君ですものと先を続ける。
「セックスについては、あまり良いイメージがないんじゃない?」
 シンジは「はぁ……」っと曖昧に答えた。
「印象って言われてもわかりませんけど……」
 ならばとミサトは理想を教えた。
「たった一人の人を愛して、円満な家庭を築いて、その人にだけ体を許して、子供を作るの。それも、体を許すのは子供を作るためだけであって、決して気持ちが好いからだとか、遊び半分のことではないの」
 シンジは大人っぽい感じの苦笑を見せた。
「そりゃ……そういうのが理想なんだって言うのはわかりますけど」
 アスカとレイとマナは、そんなシンジを怪訝に見やった。
「シンジ?」
 特にアスカは目を見張った。そこに居る人物が誰なのか? 見失ってしまったからである。
「でもね? そんなの信じてたら馬鹿を見るだけですよ。お姉さんたちだって言ってました。好きになりましたって告白されたけど、ばっかじゃないって言ってやったって、勝手に盛り上がっちゃってさって。遊び半分で来てるくせに、なに言ってるんだってさって」
「お姉さんって、誰のこと?」
「ソープ嬢やってる、お姉さんたちです」
 唖然とする一同である。
「ソープなんかに来て、なに本気になってるんだろうねって笑って言ってました。ほんとに馬鹿な奴よねって、そんなの「はい」って言えるわけないじゃないって、泣いちゃうくらい笑って言ってましたよ。理想なんて信じてたら、こんな風に陰で馬鹿にされることになるんだなって、僕……」
「シンジ……」
「シンジ君……」
 それぞれがそれぞれに彼の名を呼んだ。ただしレイだけは視線だけであったが。
「それは……逆よ」
「え?」
 リツコを見上げる。
「どういうことですか?」
「だからね……」
 嘆息する。
「こんな商売に就いてるような女を、あなたは妻にして、世間から悪く言われようなんて、馬鹿よ。大馬鹿だわ。あなたはあたしなんかより、もっといい人を見つけて、幸せになるべきよって、そういう意味なのよ」
「本当は嬉しかったんでしょうね」
 しんみりとミサト。
「でもそれは茨の道に過ぎないわ、その人たちがどうして身売りなんてしてるのか知らないけどね? でもそうしなければならない事情があって、その結果どんな風に言われたとしても、それは自分が背負っていけばいいことでしょう? 相手が優しい人であればあるほど、そんなことに巻き込むのは可愛そうになるじゃない?」
「だからその人は、嬉しいって気持ちを冗談としてごまかしたのよ。ごまかしてしまわないと、嬉しすぎて泣けてくるから」
 ──シンジは思った。
「人って……奥が深いんですね」
 あんたが浅いんだとは誰も言わない。
「そうだったのか……」
 ちくしょうとシンジ。
「先生……騙したな」
「先生って……ああ、シンジ君の親戚の」
「はい。先生はこう言ってたんです」
 ──良いか? シンジ。
『人ってのは背負ってるもんが違う。特に男と女には違いが大きい』
『たとえばなにがあるんですか?』
『良い質問だ……たとえば子供だ』
『子供……』
『そうさ。男にとって子供ってのは生ませるもんだが、女にとっては生むものだ、命がけでな? もし妊娠したとしてもちょっとしたことで流れちまう。一年近い間、女の人ってのは子供をお腹の中で守らなきゃならん』
 でもという。
『ああいうところで働いてる女の子たちってのは、そういう意識が薄いんだよ。子供なんて面倒だから堕ろしちまえってな? それで済むと思ってやがる』
『なにかあったんですか?』
『俺のことはどうでも良いんだよ! とにかくだ、今の世の中、こいつに俺の子を産んでもらいたいって思っても、女ってのは冷めてる生き物だから、冗談じゃないって言いやがるのさ』
 そんなものなのかと思ったシンジである。
『じゃあ結婚したいって思ったらどうすれば良いんですか?』
『そりゃヤリ倒すんだよ』
『ヤリ倒すって……』
 下品だなぁと顔をしかめたシンジに、彼は言った。
『ばあっか、なに言ってやがる。こんなに凄いのって初めて! もうメロメロよ〜んってな? これから先、こんな人には出会えないってところまで思いこませることができなきゃ、女なんて去ってくもんだよ』
 やっぱりなにかあったんだ……そう思えてならないシンジであった。


 ミサトとリツコは、ゲンドウとユイに報告に上がっていた。
「つまりシンジは……」
 はいとリツコ。
「他にも逃亡中にたくさんの事例を見てきたようで」
「事例?」
「麻薬や……そういった洗脳でしょうか? 強制であったり、脅迫であったりもするのですが、男性がいかにして女性を虜とするのか? そういった実例をです」
 でもとユイは訊ねた。
「それはあくまで暴力団関係のことなんじゃないの?」
「だとしてもこれは男女関係における基本的な部分を押さえてはいます」
 ミサトが引き継ぐ。
「セックスに限らず、財産であったり、優しさであったり……価値観によって精神的なものとなるか、即物的なところへと帰結するのか? その違いはありますが、男女ともにパートナーには、絶対的な価値というものを求めるものなのではないでしょうか?」
「だから人は人にこだわりを持つ……か」
 そうだなとゲンドウが口を開く。
「俺はユイにそれを求めたが、求める余り道を誤った」
「あなた……」
 フッと笑う。
「俺たちは別れたはずだが?」
「ごめんなさい……」
「まあ、良い。ともかく……どうした?」
 いえ……とリツコが拗ねている。ミサトは怪訝そうに友人を見て、ユイはすぐにわかったのかくすっと笑った。
「とにかく、なんですか?」
「……人は変わるということだ」
 そうだなと確認する。
「今は気持ちを望んでいたとしても、やがては存在そのものを独占しようと考え始めることもあるし、あるいは物理欲へと転がり落ちることもある」
「だから人は別れもする……ですか?」
「そうだ。赤木博士」
「はい」
「次回のシンクロテストは?」
「三日後を予定しておりますが……」
「明日に繰り上げる。その結果を見てからだ」
「落ちていた場合は?」
「シンジに決意を促す。俺には無理でもユイの言葉なら聞くだろう……それで最低限二機のエヴァは稼働可能となるはずだ」
 つまり、シンジとその彼女ということになる。
「大丈夫でしょうか?」
 不安げにミサト。
「そんなので」
 ゲンドウはなんらの根拠もなく言い切った。
「問題ない」
 ……誰も信じはしなかった。


「ふんふんふーんっとな、お」
 やあっと気さくに手を挙げるリョウジである。場所はエレベーター前だった。
「シンジ君じゃないか」
「加持さん……」
 助けてくださいよ……とぐったりとしている。
「ははは、捕獲された宇宙人ごっこか? 古いなぁ」
「……なんなんですか、それは?」
 アスカとレイに引きずられているシンジである。
「……わからなかったら良いんだ」
 ちょっと古すぎたかなぁと反省している。
「あ、あの」
「ん? ああ、マナちゃん」
 こちらにもようっと手を挙げる。
「あの、ありがとうございました」
 ピクンとアスカは片眉を上げた。
「なによ? あんた加持さん知ってるの?」
「単にこの子の処遇をどうするかって会議で、俺が議長になっただけだよ」
 なっと片目をつむって見せる。
「じゃあ加持さんですか……この女に余計な役職振ったのって」
「違うって……これでもまだマシな方なんだぞ? 最初はネルフの超法規的措置ってことで、シンジ君のお嫁さんにしちまおうって話だってあったんだからな」
「なんですってぇ!? それで!?」
「ところがシンジ君はアスカと婚約したって話が来てな? で、そういうことになった」
 実に微妙な空気が漂っている。
「……モテモテだなぁ」
「どこをどう見ればそういう結論が出てくるんですか」
「うらやましいぞぉ? シンジ君。こういうときは男はビシッと胸を張って開き直るもんだ」
「嘘吐かないでください」
「みんなそれぞれに良いところがあって、だから僕はみんなが好きだ! でも君たちが納得できないっていうのなら別れよう……それくらい言えるようにならなきゃプレイボーイにはなれないな」
「だからなるつもりなんてないんですってば」
「おいおい。それじゃあ彼女はどうするんだ?」
「誰です?」
「山岸マユミだっけ? あの髪の長い女の子だよ」
 加持はわざとらしく、おっと時間だなどと去っていった。
「じゃなー!」
 ──とても静かな雰囲気になった。
「……さあってと」
 アスカは不自然に明るく口にした。
「帰ろっか?」
「え……」
「あたしたちのスイートホームにね!」
 シンジは嫌だとぶるぶる震えた。
 シンジの目には、アスカの笑顔が、般若の面として映っていた。


 ──その頃、(くだん)の山岸嬢は。
「あの人はいったい誰だったんでしょうか?」
 和室である。マユミの部屋だ。庭に面した障子戸を開き、彼女は縁側通路に腰を下ろして柱に肩を預けていた。
 そしてそんな彼女の背後には……。
 勉強机と本棚が一つずつ……そんな殺風景な部屋の柱には、霧島マナとおぼしき似顔絵が、五寸釘で深くしっかりと打ち抜かれていた。


続く


[BACK] [TOP] [NEXT]


新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。