集光窓から取り入れられる日差しは、程よいほどに、温もりだけを与えてくれる。
 外の蒸し暑さが嘘のような過ごしやすさの中、少年は、未だ眠りに付いていた。
 ──その瞼が、ぴくり動く。
 草を踏む音が近づいて来る、少年はその距離に合わせて、覚醒の度合を高めていった。
 ザッと、真下に人が立つ。
「シンジ君」
 少年、シンジはまだ眠いのか、寝ぼけた眼で首だけを曲げ、見下ろした。
「カヲル君……」
「探したよ、随分とね」
 ごめん、そう謝りながらまどろみから抜け出そうとして足掻く。
 体を起こして、幹に背中を預け直した。
「なんだかさ……、気が抜けちゃって」
「いいさ」
 仕方ないよと肩をすくめる。
「昨日は大変だったからね……、それより、綾波レイには会えたのかい?」
 ぱちりと目を開き、一度に気分を悪くした。
「駄目だったよ……」
「そう……」
 顔をしかめる。
「怪我、酷かったのかい?」
「そういう問題じゃないんだけどね……、そっちは?」
 少年というよりも、青年の雰囲気を纏って答えた。
「零号機の暴走については、やはり彼女の心理状態こそが問題だったみたいだよ?、無への回帰を望むあまり、彼女は空しさと希望の狭間に、はまり込んでしまっていたようだね、起動試験に成功し、周囲の期待に応えられたとすれば、それは喜びではあるが、自分の願望とは相反してしまうことになる、逆に失敗したとすれば、自己の存在価値は、消失してしまうことになるわけだからね、生きている価値、存在している意味がない、これは怖いよ」
 何故だか、妙に自虐的な色になる。
「……自殺願望と、生への執着心、この二律背反が、ぶつかり合った二つの本音が、心の均衡を壊して、エヴァを暴走へと導いてしまった」
「それで、か……」
「うん、暴走した零号機は、自分を痛めつけた、己を生み出した全てを呪った、これは彼女の本心だったかもしれないね?、呪われた生、それはあまりにも悲しいよ」
 そして過剰なフィードバックが響き、エヴァが壁に打ち付けた手と、頭と、その同じ箇所に、傷を負うことになってしまった。
「治るの?、……って聞くまでもないか」
「そうだね、でも」
 天井を見上げる。
「やり過ぎなんじゃないのかい?、まあ、おかげで簡単に潜り込めたけどね」
 シンジは苦笑して護魔化した。
 確かに、予定では潜り込みやすいように、多少は暴れる予定だったが、本当に制御し切れなかったのだ。
 それは流石に言いづらい。
「それより、レイは?」
 シンジはそう護魔化した。
「ネルフの人に見付かって、連れていかれたよ」
「あ〜あ……」
「その内帰って来る……、行くのかい?」
 跳び下りた衝撃を膝で殺し、シンジはカヲルの横に立ち、目を合わせた。
「迎えに行かないと……、面倒なことになるんじゃないかな?」
 カヲルは苦笑しつつ肩をすくめた。
「その通りだね」
 少年、二人は、冗談ごとの中で生きているような雰囲気を身に纏い、半壊しているネルフ本部へ向かって歩き始めた。


 ──ネルフ本部発令所。
「だぁかぁらぁ!、違うって言ってるでしょうが、もう!」
 けたたましい。
 やたらと元気でかん高い声が、怒りのたけをぶちまけていた。
「おい、碇」
「ああ……」
 だがその言葉遣いが、動きが。
 彼らに大きな動揺をもたらしていた。
「ちょ、ちょっとレイ、落ち着いて、……レイ、よね?」
 恐る恐るミサトが訊ねたのも当然であった、青い髪と、赤い瞳に、白い肌。
 これほど特徴的で、顔まで同じ人間が、二人と存在するなど考えづらい、その少女は、彼女らが知っている人間に、錯乱しているのかと疑ってしまうような性格さえ除けば、そっくりだった。
 白のパーカーに、下はミニスカートだ、それにダレたルーズソックスと、平べたのスニーカーで、ラフな感じを装っている。
 少女は腰に手を当てると、ふんと鼻を鳴らし、訊ね返した。
「おばさん、誰?」
「おば!?」
 ぴきっとこめかみにお怒りマークを点灯させる、葛城ミサト、今年で三十。
「あたしはまだ二十九よ!」
「十分おばさんじゃない」
「この!」
「おっ、やる?、やる気?、やるっての?」
 ファイティングポーズをとって、シュッシュと細かく拳を繰り出す、中々のフットワークだった。
(声まで似てるなんてね)
 眩暈がしてくる、リツコは眉を顰めて、部下に命じた。
「マヤ、レイの所在の確認は取れたの?」
「はい、医療棟、集中治療室です、担当医師からも確認が取れました」
 オペレーターの子にリツコは頷いた。
 偽の映像によって護魔化すことはできるが、直接人間が確認しているのなら信用できる。
「やっぱり、レイじゃないのね」
 モニターには青い髪の少女が映っていた、医療ポッドに放り込まれ、眠らされている。
 穏やかとは言い難い顔色は、地のものかどうか判断がし辛い。
 リツコは再び視線を戻して見比べた、青い髪も、足りない胸も、細い手足も、やはり全く同じに見える、それが。
(元気はつらつ、明るく動き回ってるってだけで、こんなにもイメージって変わるのね)
 妙なことに感心してしまうリツコであった。
「でも……」
 白肌はアルビノの証しだ、顔も髪形も同じ、恐らく体形も同じだろう。
 何から何まで、そこまで一致しているというのに、これで赤の他人だとして放免すれば、それこそ間抜けだとして、何と罵られることになるのかわからない。
 ミサトに変わって、リツコが交渉をと前に出た。
「悪いわね」
「ん?」
「とにかく、ちょっとだけ確認させて欲しいのよ」
「嫌っ、べーっだ!」
 むかっとするリツコに代わって、ミサトが拝んだ。
「お願い!、この通り!、すぐ終わるから」
「なんで!、やだっ、誘拐犯の言うことなんて断固拒否!」
「誘拐って、それはちょっち……」
「なんでぇ?、ちょっとって無理矢理こんなとこまで連れこんで、今度は良い子だから言うことを聞いてね、なぁんて、それってまんま、誘拐じゃない」
 そんな言い草に一理を見てか、こめかみを揉みほぐしながら、冬月は訊ねた。
「君は……、誰か身元を保証できる知り合いは居ないのかね?」
 ん〜〜〜、っと指を一本、唇に付ける。
「死んでないかなぁ?」
「名前は?」
「碇シンジ」
 ぶっと何人かが吹き出した。
「はぁ!?」
「後、渚カヲルってのが居るんだけど、こっちはどうでも……」
「それはないんじゃないのかい?」
 苦笑気味の、やけに人を惹きつける声がした。
「カヲル!」


 場に緊張する、視線が一度に発令所の奥にあるエレベータードア位置に向けられた。
 ミサトは見知らぬ少年と共に居る、知った顔に目を剥いた。
「シンジ君、あなたが連れて来たの?」
「いや、知り合いが連れ去られたって聞いたんで」
 そう言うと、シンジはゆっくりと笑みを向けた。
「ここに居たんだね、レイ」
「居たんじゃなくてっ、連れて来られたの!」
 ぷんすかと腕を組んで頬を膨らませる。
 そんなレイにシンジとカヲルは目配せをして肩をすくめた。
「ここは、退散した方が良いんじゃないのかい?」
「そうだね、ここは部外者立ち入り禁止らしいから」
「ちょ、ちょっと待って!」
 行こうとレイを誘ったシンジを、リツコが慌てて呼び止めた。
「悪いんだけど、シンジ君は残ってくれない?、戦闘後の検診を受けて欲しいの」
 シンジはきょとんとした顔をした。
「別に、良いですよ、なんともなってないし」
「でも」
「シンジ」
 頭上からの声が、有無を言わせず、会話を途切れさせた。
「戦闘終了後、何故呼び出しに応じなかった」
「呼び出し?」
「そうだ」
 首を傾げる。
「発令所に来いって、あれ?」
「そうだ」
「だって、入れてもらえなかったもん」
「なに?」
「身分証がない人間は入れられませんって、門前払い」
「なら、どうやって入って来た」
「入れてくれないから、ノシて来た」
 ゲンドウはちらりと目で、オペレーターの青年に確認を求めた。
「待って下さい、ああ、保安部から通報が来てます、少年二名侵入、保安部員……、え!、死亡!?」
 ぎょっとする一同である、その隙にレイと呼ばれた女の子は、シンジの背に隠れてべっと舌を出した。
 それに対したわけではないだろうが、ゲンドウの判断は重いものになった。
「拘束しろ」
 重ねて指示する。
「拘束だ」
 ゲンドウの言葉は絶対だった。




 最も素早く、忠実に反応したのは、レイを連行して来た保安部員の二人であった。
 腰を低くして掴みかかる、だがシンジとカヲルの動きは、さらにその上を行った。
 シンジとカヲルは、振り返ると同時に振り上げた腕を振り下ろした、シンジは右手、カヲルは左手、シンジの腕を引く動作に合わせて、一人の首がストンと落ちた。
 血の噴水が噴き上がる。
 もっと驚いたのは、カヲルの側であった、腕を振り下ろしただけで、彼は人間を縦に寸断して見せた、それも、正中線に沿って、真っ二つにである。
 愕然と、あるいは唖然とする人々の間抜け面を、赤い光が染め上げた。
 ──非常警報が鳴り響く。
「どうした!」
「ATフィールドを感知っ、パターン青、使徒です!」
「馬鹿な!?、国連は何をやって」
「違います、反応は……」
 青年はまなこを丸くして、カヲルへと向け、凝視する。
「う、そ……」
 後ずさるミサト、ついでにリツコ。
 彼らは子供たち三人から、後ずさって距離を開いた。
「使徒?、使徒だっていうの?、あなたが!」
 どさりという音がした、オペレーターの女の子が、椅子から倒れた音だった。
「マヤ!」
 助け起こすリツコ、血を見て貧血を起こしたのだろう、青を通り越し、マヤの顔は白くなりかけてしまっていた。
「シンジ君、あなたたち……、一体!」
 焦るミサトに首を傾げて、シンジはなんだろうねぇとカヲルに振った。
「使徒だってさ」
 はてなとカヲル。
「使徒ってなんだい?」
「人類を滅ぼす敵だって」
「僕が?」
「女の敵ぃ」
 ぼそぼそっと突っ込んだレイの言葉を引き金にして、限界に達したオペレーターの一人が、銃を持って立ち上がった。
「わぁああああ!」
 ダン!
 撃った、手は震えていたが、狙いは正確だった。
 正確に……、カヲルの眉間めがけて、銃弾が螺旋状の風を起こしながら直進し……
 ──またも警告音が鳴り響いた。
「!?」
 今度ははっきりと肉眼で確認できた。
 八角形の黄金の輝きが、キンと銃弾を弾いたのだ。
「ATフィールド!」
 声に合わせて、レイが跳び出す、勢いのままに横向きに蹴りを繰り出した。
 ──ゴシュ!
「あ〜〜〜!、やっちゃったぁ!」
 汚物を踏んだように足を振る、冗談ではない、その足には腹を貫かれた男の体が抜け落ちずに揺れていた。
「ルーズソックスってもう売ってないのにぃ」
 結局床に落し、もう一方で踏ん付けて引き抜く、ずるりと足先に絡まっていた腸がこぼれ出た。
「そんな、ATフィールドを使うなんて」
 マヤを抱きしめたまま、がくがくと震えているリツコに首を傾げる。
「ATフィールド?」
 違うよとレイ。
「おばさん、カヲルのはね?、ATフィールドって言うんじゃなくて、超能力って言うんだよ?」
「超能力ぅ!?」
「おや、知りませんか?、おかしいなぁ、アメリカじゃぜひ調べさせてくれって言われたんで、結構協力したんですよ?、日本でもムーとか何とかって雑誌で取り上げられたくらいなんですがねぇ」
 おかしく語ったのはカヲルであった。
「取材協力費も結構貰いましたし」
「あなたたち、一体……」
「さあ?、使徒、と呼んだのはあなたがたですから、そう名乗っておきましょう」
 眼鏡を掛けたオペレーターの青年が、ポツリと何かの名称をこぼした。
「ラビッツ」
「なんですって?」
「聞いたことがあります、白い肌、赤い目の、青と灰色の髪の少年少女で、暗殺から防諜まで引き受ける、フリーの工作員が存在すると」
「工作員!?」
 別種の緊張が駆け抜ける。
 ミサトは逸早く反応して、銃を抜いた。
「シンジ君、離れて!」
 シンジは首を傾げた。
「どうして?」
「その子たちはスパイよ!」
 シンジはさらに二度三度首を捻った。
「そうなの?」
「いま引き受けてる仕事はないよ?」
「だよねぇ?」
 向き直る。
「まあいいか」
 ぴしりと床が鳴った、何かで。
 それは人差し指に巻きつけられた糸だった、釣り糸である。
 シンジは半身に、ミサトへと構えた。
「引き金を引いてよ」
「なっ!?」
 冗談は、そう言える雰囲気ではなかった。
「あんまり人殺しはしたくないんだけど……」
「シンジ君、あなた、あなた……」
 震えるミサトに、カヲルが老婆心から声を掛けた。
「一応断っておきますが、取り押さえられるなんて思わない方が良いですよ?、これは忠告です」
「シンちゃん、怒ると手が付けられないから」
「僕たちでも押さえ切れませんからね、あなた方でどうにかなるとは思わないことですよ、それに、逃げ出すのなんて簡単だし、逃げ切るのはもっと簡単なことですからね」
「だってねぇ?、シンちゃん、どこに行ってもわざわざ見つけ易いようにって動いてたのに、ネルフの人たちって、ぜんっぜん遅かったし」
 そうだねと爆弾を放った。
「ここのメインコンピューターのハッキングにも、今だ気が付いていないみたいだからね」
 絶叫が上げられた。
「なんですって!?」
 リツコである、相手の恐さも忘れて、マヤを放り出して詰め寄った。
「嘘をおっしゃい!、そんなこと、できるはずがないわ!」
「え?、じゃあ、知らないんですか?、マギシステムと同系統のコンピューターが、既にネルフ以外で、十二機製造されているって」
「なっ!?」
 くっくと笑ったのはシンジであった。
「カヲル君、それは契約違反だよ?、怒られちゃうよ」
「別に何処の誰のとだとは言ってないよ、まあ、料金次第では情報のリークも考えるけどね」
 呆れた目で見る。
「カヲル君、なんだかすっかり世俗の垢にまみれちゃったね」
「そうかな?、シンジ君ほどじゃないさ」
「というわけで、できたら帰りたいんだけど、もう用事もないみたいだし」
 くっと一同は呻いた、どうするか、対処に迷ったからである。
 何人かが不安げに司令に縋った、それにつられて、総司令に視線が集まった。
「シンジ……」
 無言の期待に応じ、ゲンドウは『今の最善』を選択する。
「使徒は、一体ではない」
「そうなの?」
「そうだ、そしてエヴァンゲリオン初号機の専属パイロットは、お前だ」
「やだ」
 シンジはにべもなく舌を出した。
「座ってるだけだっていうから乗ってあげたけど、無茶苦茶だったもん、それに」
 酷く人懐っこい笑みを浮かべる。
「ただ働きは、勘弁してよね」


 ──ネルフ本部、総司令執務室。
「まさか息子を金で雇うとはな」
 窓際に立つ老人の言葉に反応はない、コウゾウは不審げに振り返って納得した。
(珍しく消耗しているな)
 いつもと同じく、机に肘を突いて手を組み合わせ、その影に顔を隠しているゲンドウが居る、だが、普段口元を隠すのに対して、今日はやや上の目を隠していた。
 本当は、額をその上に置いて、楽がしたいのかもしれない。
「いくら野放しにはできんとはいえ、五千万からの出費か……、痛いな」
「だがそれで『生きた使徒のサンプル』が手に入るのだから、安いものだ」
「確かに、な……」
 眉を顰める、制御できるかどうかはわからないが、チャンスなのも確かなのだ。
 協力と称して、彼らの身体を調べ、サンプルを確保できれば、いくらでも研究を進められる。
「問題は、マギだな」
「ああ」
「松代のマギか……、戦自研が利用すると聞いて、本部との接続を遮断しておいたのが裏目に出たな、まさかガードの薄い松代のマギから、システムの全容を把握するとは」
 そしてその検証データを元にして、本部のマギのハッキングに成功したと言うのだ。
「公開すると、面倒なことになる記録、か……」
 苦虫を噛み潰したような顔になる、それを盾に取られては逆らえないのだ。
 問題は、それに続いた言葉であった。


「それにしてもおかしなこともあるものだねぇ、国連機関と怪しい組織が、データバンクを共有しているっていうんだから」
 さらっと語られた言葉の意味に、ガタンと音を立ててまで、ゲンドウは青ざめて立ち上がった。
「なんだと?」
 そんな、愕然としているゲンドウの隣ではコウゾウもまた唖然としていた。
 渚カヲルは、皮肉るような笑みを浮かべた。
「当たりかい?、偶然の一致として片付けるには、データバンクの中身はおろか、OSまで同じだったからね、そうじゃないかと思っていたのさ」
 低く抑えて笑っている、口元に手を当てて。
「そのデータ……」
 生唾を飲み下しつつ、ゲンドウは問いかけた。
「いつのものだ」
「今、現時点、ですよ」
 身を乗り出しているゲンドウに不敵に返す。
「ハッキングは、更新された内容を自動的に落とすように設定したまま、放置していますからね」
 つられかけたゲンドウをコウゾウが諌めた。
「碇、やめておけ」
「なに?」
「信憑性がない、嘘かもしれん」
「しっつれいなおじさぁん!」
 ドキリとして振り返る二人。
「なっ!?」
 いつの間にか、下に居たはずの少女が、自分たちの居る指令塔の端に腰掛けていた。
 どうやって登って来たのか、誰も見ていなかった、あるいは気付けなかった。
「嘘だと思うなら調べてみれば?」
 レイは下の、リツコを見やった。
「マギの、プログラムの一番奥の防壁傍に、変な設定があるはずだから」
「マヤ!」
「は、はい……」
 素早く動くリツコと、頭を振りならが、のろのろと動き出すマヤ。
 特にマヤの様子はおかしかった、無意識の内なのか、死体を目にとめても意識していなかった。
 一方、シンジとカヲルは、困り顔を見合わせていた。
「レイにも困ったものだねぇ」
「ホントだよ」
「どうするんだい?、売り上げに響くよ?」
「どうしようか?」
「ありました!」
 キーを叩く音が加速する。
 覗き込んだリツコが悲鳴を上げた。
「何よこれ、ニューロンネットワークのダミー?、記憶整理ルーチンが波を発してる、まるで脳波……」
 カヲルが解説する。
「思考走査、エヴァの操縦系統にも同じものが組み込まれていましたね?」
 はっとする。
「まさか!」
「そう、人は思考する時、必ず脳波を発します、この時に発する電気信号波を読み取ることで、思考を読み取ることができるわけですが……」
 にやりと笑う。
「このハッキングには、もともとマギにセットされていたシステムを利用していますから、防げませんよ、仕様書にも載っていないシステムです、開発者の方が生体部品のチェックを行うために設置したものが、取り外されないまま、組み込まれたままになっているんです」
「『自己検診』のためのプログラムが組まれる前に使われていた、外部検査機……」
「コンピューターの発する電磁波を盗聴することでハッキングする方法がありますが、まあ、似たようなものですね、脳内電流の流れをコピーして、復元して、データとして盗ませてもらっています」
「君たちは、他でも同じことを?」
 これにはシンジが口を挟んだ。
「情報はね、時間と共に劣化するんだ、リアルタイムの物じゃなきゃ高く買ってもらえないんだ」
「そそそ、だから色んな所の情報盗んでるんだもんね?」
「マヤ、どうなの?」
「だめです、装置そのものはスリープモードに入った時の、外部検査装置として残されている物です、構造上手が出せません、物理的に改装する以外」
「防げない……、なんて、なんて子供たちなの」
 驚愕の目を向ける。
 シンジとカヲル、銃を向けたままのミサト。
 見上げれば立ち上がった二人と、塔の端に腰掛けている少女の背中。
「そろそろいいかい?」
 カヲルはシンジの前に出た。
「撃つのか、撃たないのか?、はっきりしてくれないと、苛々としてくるんですが?」
 呆れるシンジだ。
「駄目だよカヲル君……、交渉はまとまった、そうでしょ?」
 呆れ返す。
「そう言うシンジ君だって、鉛筆の先を目の前からどけてくれなかったって、怒ったことがあったじゃないか」
「そうだっけ?」
 明らかに何かが欠けている会話だった、その誰かが、どうして、どうなったのか?
 ミサトが銃を下ろさないのは、攻撃意思の現れではない、恐怖心から硬直して、下げられなくなってしまっていたのだ。
「父さん」
 シンジは父を見上げた。
「料金は戦闘一回につき五千万でどう?」
 思わず、漏らす。
「安いな……」
「使徒を倒すのにロボットが必要だからね、道具は無料でレンタルしてよ、修理費なんかは全部そっちで持ってね、あ、それから先払い、後払いはなしで頼むよ?」
「わかった」
「碇!」
「ああ、それと」
 シンジはレイの顔を見て、思い出したように追加した。
「ファーストチルドレンに、会ってみたいんだけど」
 その瞬間、ゲンドウは、シンジがセカンドに接触していたことを思い出し、嫌な予感に顔をしかめた。


 ──ネルフ本部、その脇に、一つのビルが存在している。
 ここには幾つかの施設が混在していた、医療施設もその一つである。
 相部屋であってもおかしくはない広さの部屋に、ベッドが一つだけ据え置かれている、他には全く、何もない。
 あまりにも寒々しく、病室としては、無機質過ぎた。
 ベッドもまた簡素なものである、その上には無表情なままに、じっと天井を見つめている少女が一人、落ちついていた。
 綾波レイと言う。
「マルドゥク機関が選出した、ファーストチルドレン」
 枕許に立って数分、ようやく口を開いた少年に、レイは基本的な質問を返した。
「あなた、誰?」
「シンジ、碇シンジ、サードチルドレン」
 次いで、レイはシンジの背後でわくわくと脇を占めている、自分にそっくりな少女を見やった。
「あなたは……」
 注目してもらったことにはしゃぎ出す。
「あなた、だって!、やっぱりそっくり、声まで同じ!」
 シンジの肩を強く掴んで、がっくんがっくん揺すって喜ぶ。
「うんうん、こうやって見てると、やっぱり薄幸の美少女って感じだよねぇ、ねぇ?、シンちゃん」
 シンジは苦笑して、崩れた髪を手櫛で直した。
「良く言うよ、いくら自分だからって」
「シンジ君」
「っと、ごめん」
 不用意な発言を咎める少年に目を固定する。
「あなた……、わたしと同じ感じがする」
 カヲルは胸の前に右手を追って当て、恭しくも一礼した。
「それは光栄の極み」
「光栄?」
 顔を上げる、いつもの皮肉った笑みが張り付いている。
「わからないのかい?、人は本能的に通じるものを感じた時、親近感を抱くもの……、興味をそそられ心を惹かれて、人はそうやって友達を見つけ出す、君は僕に、友達になれるかもしれないと、許可をくれたのさ」
 背後でうそうそと、元気なレイが手を振っている。
「自己紹介をしよう、僕はカヲル、渚カヲル、君は?」
「綾波、レイ」
「そう、綾波さんだね?、これで僕達は知り合いになった、友達になってくれるよね?」
 レイは首を傾げた。
「友達?」
「だめなのかい?」
「……なぜ?」
「それは僕が寂しがり屋だからさ」
 前に出る。
「僕は、君と親睦を深めることで、より繋がりのネットワークを広げることができるのさ、人はそうして、人を介することで、他人との間に繋がりを手に入れ、巨大なグループを形成して行くことができる、これが巨大になって社会となる」
「でも……、わたしには繋がりなんて、ないわ」
「それは残念」
 手を差し伸べる。
「でも、僕は君という存在と繋がることができる、君は、僕を介して、少なくとも後ろの二人と触れ合うことができるようになる、これだけでも十分な喜びになる」
 さあ、っとさらに突き出した。
「君は、社会の異端児なんだね、ネットワークへの繋がりは、人と絆を結ぶことによってのみ得られるものなのさ」
「絆……」
「僕と絆を結ばないかい?」
 レイは差し伸べられた手と、カヲルの顔を見比べてから、一旦目を閉じ、大きく息を吐き出した。
「あなたが……、言うことはわかる気がする、でも」
 目を開け、再び視線を絡み合わせる。
「あなたとだけは、なんだか、嫌」
 ぷっと吹き出したのは、レイだった。


「あううぅ〜〜〜、シンジくぅん!」
「はは……、どうしようか?」
「さあ?」
 医療棟ロビーでシンジは思いっきり困っていた。
 膝で泣くカヲルがちっとも泣き止んでくれないからだ。
「ほっといたら?、どうせ寂しくなって追いかけて来るから」
「そんなこと言ったってさ……、あ!、ちょ、ちょっとカヲル君!、変な震動与えないでよ!」
「カヲル、何やってるの!」
「シンジくふぅん!」
「息が、息がくぐもるんだってば!」
「シンジくふぅううううん!」
「そこぐりぐりするのはあたしの特権、カヲルぅ!」
「わぁあああああ!」
「……何やってるの」
 声を掛けたのは引き気味のミサトであった。
「あ……、あはははは、なんですか?」
 腰を引いたままで護魔化しをかけるが、利かなかった。
「……あなたたちの個室が用意されたから、案内しに来たんだけど」
「そうですか」
「ほら!、いつまで泣き真似してるの!」
「失礼な!、僕の涙が嘘だというのかい!?」
「うん」
「何を言うかな、この血走った目が本気の証拠さ」
「なんの本気だか」
 ミサトは思った。
(ホントに使徒ぉ?、これがぁ?)
 何かの間違いだと思いたい、しかし実際に、目の前で三人殺されてしまっているのだ。
「着いて来て」
 ミサトはとりあえず、さっさと地上へと向かうことにした。
 新鮮な空気が吸いたくなったためである。




 ──市街地は、瓦礫と使徒の残骸の撤去作業とで、おおわらわになっていた。
 それを避けるようにして、青い車が走っていく。
「え〜〜〜?、シンちゃんと一緒じゃないのぉ?」
 後部座席から身を乗り出して、レイは運転の邪魔になるようだだをこねた。
「やだやだやだ!、シンちゃんと一緒でなきゃやだってば!」
「ごめんねぇ、でも隣だから……」
「僕は?」
「その隣ね」
「そうですか、でも、僕たちに部屋を用意する義理はないんじゃないですか?」
 ドキリとして、思わずルームミラーの中のカヲルを見てしまう。
「まあ、監視したい気持ちはわかりますけどね」
 ミサトは恐いついでに隣のシンジに訊ねた。
「シンジ君」
「はい?」
「あなたの初戦で、本部職員に死傷者が出たの、知ってるわね?」
「そりゃあれだけやっちゃえば出たでしょうねぇ」
 腹の上で腕を組んでリラックスしている、眠いのか、半目になっていた。
「マギからデータを引き出していたってことは、知ってたんでしょ?、エヴァのこと」
「一応は」
「なら、本当はもっと上手くやれたんじゃないの?」
 思わせぶりに苦笑する。
「そう思いたければどうぞ」
「思いたければ?」
「居心地が悪くなったら逃げるだけですから」
 シンジはさらっと言い放った。
「ネルフって、対人に関しては素人の集団ですからね、姿をくらますくらい簡単ですよ」
「ホントに?」
「ジオフロントにずっと居たのに、全然迎えに来てくれなかったじゃないですが」
 ミサトは苦汁に顔をしかめた、確かに諜報部と保安部の落ち度である。
「そうね……」
「ネルフは足で動くってことを知らな過ぎるんじゃないですか?、通信と情報で網の目を張り巡らせようとするから、その隙間に立つだけで勝手に見失ってくれる、これなら素人の方がまだマシですよ」
「着いたわ」
 少々突っぱねるようになったのは、恐らくそれ以上の身内の恥を耳にしたくなかったからだろう。
 それと同時に、この子供らしくない物言いを、耳障りに感じてしまったこともあった。


 部屋の戸を開け、一歩踏み込む、シンジはそれだけで踵を返した。
「え?、どうしたの?」
 戸惑うミサトを見上げて睨む。
「自分の部屋は自分で借りる、こんなガスもない、電気コンロだけの部屋は文化的な人間が暮らす部屋じゃありませんよ」
「でもワンルームマンションなんて、普通こんなもので、どこに行ったって……」
「僕に糞不味い、毒物が混ざってるかもしれないレトルト食品と、惣菜を食べろって言うんですか?」
「それは……」
「それに、盗聴、盗撮、趣味が悪過ぎです」
 ドキリとする間もなく、ミサトは呻いた。
「死ぬ?」
 余りにもニッコリと言われたので、ミサトは首に掛けられた糸の存在に気付くのが遅れた。
 髪を束ねるようにして、何かで押さえつけられた、何によって?、シンジはどうして両手を持ち上げている?、何を握っている?、右手から伸びている糸はぐるりと何処を回って左手に?
 それは、自分の、首だ。
「ちょ、ちょっと待って!、すぐに」
「うん、じゃあちょっとだけ待ってあげますから、全部奇麗にしてキッチンを改装してくださいね、そうだ、十分、長くても十五分」
「そんな!」
「そんな?、そんなって何です?、ちょっとだけ待ってって言ったのは葛城さんじゃないですか」
 くいくいと袖を引っ張り、耳打ちするレイ。
「苛め過ぎじゃない?」
「いいんだよ」
 慌てて代わりの住居を確保しろと電話しているミサトを微笑ましげに見る。
 その目はやけに親しげなものを感じさせる、だがミサトは必死になっていて気付かなかった。
「そんな住居はない!?、ワンルームでなくていいから!、家族用マンションでも良いかって?、あるの?、じゃあそこで良いわっ、ごちゃごちゃうるさい!、構わないから住所を……、ええ!?、コンフォート17!?」
 ざぁっと血の気が引く音がした。
「ちょ、ちょっと待って、そこなし、だめ!、何処でも良いって言ったじゃないかって、ちょっとぉ!」
 切られたらしい。
 愕然としている。
 にこにことシンジ。
「どうしたんですか?」
「な、なんでもないわ」
 ミサトはがっくりと肩を落した。


「碇、半月前の件、洗い直しが済んだそうだ」
「そうか」
 ──ネルフ本部、最上階、総司令執務室。
 巨大なテーブルには碇ゲンドウが手で橋を作り、顔を隠していた。
「現場に落ちていた凶器と、シンジ君が捨てていった糸の材質が一致したそうだ」
 ふうと溜め息。
「恐ろしいな、彼は、一体今まで何処で何をして来たのか」
「……」
「それに、あの二人のこともある、そっちはどうだ?」
 ゲンドウは手元の資料を滑らせ渡した。
「これは?」
「検診の代わりに、三者の毛髪を提供させた、本部へのパス作成のためだと言ってな」
「あの二人にも発行するのか?」
「放逐するよりもマシだ、それに、特別予算を組んで情報を買い付けてみた」
「ほう?」
「こちらのものよりも、正確で、詳細なデータを売り付けられた」
「それは何よりだな、ん?、碇、これは……」
「ああ」
 冬月は資料から目を離し、目を揉みほぐした。
「間違いないのだな」
「ああ、遺伝子的には人間だ、100%、間違いなくな」
「なのにATフィールドを使える?、マギは使徒だと警報を鳴らしたというのに」
「マギの判定は、ATフィールドに因っている、遺伝子ではない」
 ゲンドウは手を崩すと、机の上に組み直した。
「……冬月先生」
「なんだ?、妙な呼び方をしおって」
「いえ、人が持つのは知恵の実のみであり、使徒は生命の実によって成り立っているというのが考えでしたが、人が生命の実を宿すことはあり得るのでしょうか?」
「……有史以来、その様な人物は居なかったと記憶しているが?、だが、ありえんとも言い切れんな」
 顔を上げる。
「何故です?」
「どこぞの森や山に、怪しげな老人方が居たはずだ」
「仙人方ですか?」
「うむ、訪ねてみるかね?」
「無理でしょうな」
 薄く笑った。
「あの方々は、我々とは違う方法にて高みへと上られている、今更、人の行く末を気にかけるほど酔狂ではありませんよ」
「そうだな、会えるとすれば、我々が、そこへ到った時になるか」


「先に家買ってあるんなら、最初っから苛めなきゃ良かったのに」
 レイが愚痴るのももっともだろう、結局三人が入居したのは、ネルフの正面ゲートに程近い場所にある、二世帯マンションの一室であった。
 玄関から続くリビングを基点に、二階には螺旋階段で上がる仕組みになっている、もちろん一階にも家族用の部屋がある。
 風呂とトイレと洗面所も別々だ、ただしキッチンだけは共用で、リビング奥のカウンターの向こうに設えられていた。
「取り敢えず布団と食器かな?、テレビとかはまたその後だね」
「え〜〜〜?、電化製品は文明人が文化的に生きるための必須アイテムだよぉ?」
「ならレイはディスカウントスーパーへ、僕達は仲良くお布団を買いに、ね?、シンジ君」
 首筋に唇を触れるか触れないかでふぅううと這わせる。
「や、やめてよね!、そういうの!」
 鳥肌を立てて離れるシンジに、カヲルは艶のある視線を向けた。
「ふふ……、いつまで経っても純情だねぇ、君は」
「はいはい、そういうところが可愛い、好ましいってことさって?」
「……人の台詞を取るとは、好意に値しないね、君は」
「別に好きになってもらわなくてもいいよぉん、どうでも良いけど、カヲル、勘違いしてない?」
「なんだい?」
「カヲルは下の部屋、シンちゃんはあたしとお二階よん」
 Why!?、とカヲル。
「何故?、どうして?、そんなことは神が許すはずがないよ、レイの余分な脂肪が許したとしてもね?」
「余分なんてないもん!」
「ではなけなしの脂肪が許したとしても」
 と胸を見て……、顔面に拳を食らった。
「殴り易いところに持ってくからだよ」
 彼のへこんだ顔に溜め息を吐いてから、シンジはさてとと腕まくりをした。
「二人は買い物に行って来てね、その間に掃除はしておくからさ」


 そんなわけで追い出されてしまった綾波レイは、ぷりぷりと頬を膨らませて歩いていた。
「もう!、シンちゃんって卑怯なんだから」
 大きく手足を振って街を歩く。
 年中夏の日本にしては珍しく、長袖シャツにミニスカート、シャツの袖は長くて指先がちらっと見えているだけだ。
 履いている物はルーズソックスと色気のないスニーカーと、元通り。
 妙と言えば妙なセンスをしているが、実用一点張りと言えば頷けるかもしれない格好で、避難していた人達の格好もスーツにパジャマにと様々だからか、混ざり込んでいるとさほどおかしくは見えなかった。
「まったくもう、シンちゃんってばさ……、ああいう時、絶対逃げるんだよね、どっちの味方しても面倒になるからって、わかってやってるんならお仕置きしちゃうのに」
 新居を出てから十五分、ぶつくさと独り言を口にし続けていた、それが彼女のストレス発散法である。
 ──内側に溜めないためには感じたことを吐き出してしまうのが一番だ。
 綾波レイ。
 ファーストチルドレン、綾波レイと同じ名、同じ顔、同じ体を持っている。
 その上声も同じ、目と髪と肌の特徴、アルビノという点でも一致している。
 ネルフサイドは、彼女を使徒と判じ、碇シンジは、彼女をもう一人の綾波レイだと口にした。
 謎だらけの上にあからさまに怪しい、いや、怪しんでくれと頼んでいる様な存在だった。
「それっがぁ、わたしっのぉ、いいとっころ♪」
 既に景気回復、一部上場したらしい。
「にゅい〜ん、ゴールデンカード!」
 ポケットから出した金色に輝くカードを高々と上げる、それも片方の手は腰に当ててだ。
「デッキにコンポにテレビに電話♪、電子レンジに冷蔵庫☆、あ、ゲーム機必須でソフトは何を買おっかなぁ」
 んふんふと猫口になる。
「カーテンカーペットお布団は羽毛だよね、シルクは洗濯面倒だから普通ので、枕はやっぱり小さいの二つ並べた方が雰囲気出るかな?、でも長いのも捨て難いしぃ、ん〜〜〜、ま、シンちゃんに抱きついちゃえば関係ないっかぁ、ないっかぁ、ないっかぁ、なぁ〜んつってな!」
 ばんばんと見ず知らずの少年の背を叩きまくる。
「ね?、そう思わない?」
「なにがやねん!」
 ディバッグを担いだ少年は当然怒った。
「あ、ジャージだ」
「!?、この!」
「あかんて、お兄ちゃん!」
「離せ、ハルカ!、わしは殴らなあかん、あかんのや!」
「あほぉ!、女殴るつもりか!」
 少年は自分の半分チョットの背の女の子を腕にぶら下げたままでぐっと堪えた。
「くっ、もうええわ!」
 あ、そう?、っとレイ。
「じゃあ教えて欲しいんだけど、この辺にデパートとかない?」
「あほかぁ!、昨日の騒ぎで、そんなもんやってるか!」
 人差し指を咥える挙動が余りに幼い。
「え〜〜〜?、そんなの行ってみないとわかんないじゃなぁい」
 ぷるぷると少年は再び拳を固めて振り上げた。
「あかん、あかんで、女は殴ったらあかん、最低や」
「わかっとる、わかっとるけどなぁ」
 そこに、第三者が声をかけた。
「あれ?、トウジと綾波じゃないか、お前らもシェルターからの帰りか」
「ケンスケ!」
 人の流れに沿って、そばかすに眼鏡の少年が寄って来た。
「ケンスケ!、お前この女の知り合いか!」
「はぁ!?、お前なぁ、幾ら休みが多いからって、そりゃないぞ、同じクラスの綾波じゃないか、なぁ?」
 少年のこめかみがぶちんと切れた。
「こんな女、知らんわぁ!」
「そうそう」
 と当の本人も頷いた。
「あたし、今日引っ越して来たばっかりだもん」
「へ?」
「はじめまして!、綾波レイって言うの、よろしくね?」
「は、はぁ?」
 狐に包まれたような顔をして手を握り返し……、たのが運の尽きだった。
「と言うわけでレッツゴー!」
「って、どこに!?」
「デパートとか百貨店とかディスカウントスーパー、あ、荷物持ちしてくれたらご飯奢ったげるぅ!」
 その瞬間、少女の瞳が輝いた。
「行くで、お兄ちゃん!」
「ってどこにや!」
「あほう!、今日帰ったかてろくなもん食えへんやろうが!、奢ってくれる言うてるんや、たからんでどうすんねん!」
 実に呆れる兄である。
「お前、逞しいなぁ……」
「兄ちゃんの飯ばっかり食うてられへんっちゅうねん」
「なんやとう!」
 瞳を輝かせてレイは喜んだ。
「こ、これがじゃぱにーずかんさい!」
「漫才だろ?」
 ぺしっと胸に突っ込みを入れる。
「それはともかく、れっつらごー!」
「って何年前のネタやねん!」
「それを知ってる兄ちゃんはなんや、ってどないしたんや、ケンスケ兄ちゃん」
「触っちゃった」
 うへへへへっと、突っ込みを入れた手を掲げている。
 どうもつい関西的突っ込みをやってしまったのだが、その行為がもたらしたものは、少年にとってとても素晴らしいものだったらしい。
 ──だが。
「あほか、意識し過ぎやっちゅうねん」
「そやで」
 彼の親友とその妹は冷たかった。
「ちゅうわけで、あのあんちゃんの分も食うたるでぇ!」
「うぃーっす!」
 変な一同、変な一行。
 こうしてファーストコンタクトは終了した。


 ──そして、こちらでも、もう一つのファーストコンタクトが行われようとしていた。
「布団は良いねぇ、恋人との一時を演出してくれる、まさに人生の至宝だよ、心地が良いってことさ、ところで値段的に高いと思うんだけど、そう、安くはならないんだね、残念だよ」
 そんな寂しげな笑みに騙されている女性店員の居る第三新東京市中央デパート。
「これで買い物は大体終わりだね、後は」
 ふふふふふっと、幸せ一杯、夢一杯に笑みを広げる。
「シンジ君の手料理、久しぶりだねぇ」
 デパート地下、食料品市場へ一直線だ、しかし。
「これは……」
 食料品棚は、ほとんど空の状態だった。
「そうか、避難所の方に取られているんだね、これは困ったな」
 表情的には全然困ってないように見える。
「僕としてはシンジ君だけでも美味しく頂けるんだけど、さて?」
 首を巡らせ、考え込んで。
「おや?」
 似たように、弱り果てているお下げ髪の女の子を彼は見付けた。




 一通りと言っても二世帯住宅だ、一人で掃除するには広過ぎる。
 それでも隅々まで雑巾を掛けたシンジは、ふうと腰を叩きながら舌打ちを漏らした。
「モップも借りて来るんだった」
 バケツでしぼって水を切る。
「でも管理人さんが優しそうな人で良かったな、掃除機も貸してくれたし」
 ほのかに鼻の下が伸びているような気がしないでもないのだが、気のせいなのだろうか?
「……ミサトさん、か、悪い人じゃないのはわかってるんだけどな」
「そう?」
 不意の声と共に首に絡んで来る腕、汗の匂い。
 それに背に乗りかかり押し付けられた物の感触に苦笑する。
「マナ、もう来たの?」
「シンジが呼ぶから、急いで来たの♪」
 頬を擦り合わせるように目を横向けて、予想通りの人物の顔を確認した。
「くすぐったいって、なに?、その恰好」
 頬擦りを避けて服を見る、白に赤い縦縞、背中には犬マーク。
 それは完全な宅配業者の制服であった。
「はぁい!、霧島マナは本日三時起きでシンジ君のために着替えて来ました、似合う?」
 尻尾を振るように腰を振る。
「三時起きって、僕が電話した時間じゃないか」
 もちろん昼である。
「たはははは、ちょっとね」
 シンジはいつものことかと溜め息を吐いた。
「……それで、荷物は?」
「ムサシとケイタがすぐに運んで……」
「あーーー!」
 ガタンと物を落す音。
「マナ、何やってんだ!」
「匂い付け」
「痛い痛い痛い」
 浅黒い肌の少年の向こうで悶えている男の子が居る。
「ムサシ早くぅ、足がぁ!」
「黙ってろ!」
 両手で抱えても余るような箱に足を踏まれている、憐れだ。
「三人とも来たんだ?」
「来ちゃ悪いのか!?」
「良く入り込めたね?」
「マンションの周り?、いっぱい『居た』けどねぇ、管理人さんが恐くて近寄れないみたい」
「管理人さんが?」
「うん、どうしたの?」
「いや、優しそうな人だったけどなと思って」
 すっと目を細くするマナ。
「シンジくぅん?」
「あ、ごめん」
 やんわりと微笑みで躱す、目尻が僅かに引きつってしまっていたが。
「それよりあれ、早速組み立ててくれないかな?、ハードって苦手なんだよね、ソフトの方はそうでもないんだけど」
「はぁい」
 割りとあっさり離れて、ほらっとムサシの尻を軽く蹴った。
 その様子を見て、シンジは苦笑気味に呟いた。
「恋愛は惚れた方の負け、か、尻に敷かれてるね、ムサシ君」


「はぁああああ、ただ者じゃないって点を考慮すべきだったわぁ」
 と机に突っ伏すが自分の部屋ではない、赤木リツコ博士の研究室である。
「あら珍しい、反省?」
 言われてミサトは、うだるようにひっくり返った。
「だってさぁ……、殺される寸前だったのよぉ?、反省もするわぁ……」
 それに対しては、実に辛辣なお言葉が返された。
「馬鹿は死ななきゃ治らない……、か」
「何か言った?」
「何でもないわ」
 しれっと言う。
「それで、シンジ君の新居、決まったの?」
「危うくうちと同じマンションになるところだったけど、どうもここに来る前に、もう家を買っていたみたいね」
「第三新東京市に?」
「そう、渚カヲルの名義でね」
「ふうん?、でも大丈夫なの?、うちの警備入ってるんでしょうね?」
「それが変なのよ、敷地内には入るなって絶対命令なの、司令のね」
「司令の?、またどうして……」
「なんだか管理人が恐いみたい」
「管理人が?」
「音無、とか言ったっけかな?、……どうしたの?」
「い、いえ、何でもないわ」
 世の中には知らない方がいいこともある。
 これはそういう類のことらしい。
「ま、とにかくなんだか妙に慌てちゃってさ、おかげでシンジ君のところに届いた荷物をチェックできなかったって、ぼやいてたわ」
 さりげなく訊ねる。
「諜報部と保安部、どっちのこと?」
「両方、それでね、その配達員がまた驚きなのよ」
 うんざりとする。
「これ以上、なに?」
「一年前にあった戦自の脱走騒ぎ覚えてない?」
 リツコは少々考え込んだ。
「ああ、極秘開発中のロボットを爆破されたって事件のことね、犯人は少年兵三人、逃走中に射殺、被害はロボット三体に工場一つ、死傷者二十名ってあれのこと?」
「そう、その時に死んだはずの三人なの……」
 ぴたりとキーを打つ手が止められた。
「なんですって?」
「どうもね……、身代わりを立てて身を隠してたみたいなのよ」
 誰かの手引きでね、と彼女は険しい目をして付け加えた。




「なぁに拗ねてるの」
 ケイタが何やら組み立てている後ろで、ムスッとしているのはムサシであった。
「しょうがないんじゃないのぉ?、碇君、カッコイイからね」
「どこが!」
「一、僕らを逃がしてくれた、二、新しい住所と名前をくれた、三、お金も不自由しない程度に振り込んでくれる……、完璧に負けてるよね」
 だけど、ムサシは悔しがった。
「そんなことはない!、本当なら、俺がマナを……」
「連れて逃げてたって?」
 失笑する。
「でもその時には遅かったってのも確かでしょ?、マナ、もう体を壊す寸前だったもん」
「でもあいつ」
 ゾッとしたのは思い出したからだった。
 赤く燃える施設、逃げ出そうとフェンスを越えた、山肌で追い付かれた時に現れた……
 ──黒い影。
 この事故を起こした襲撃犯だとの確信は、彼が無造作に抜いた銃で、自分たちを追いかけて来た教官を撃ったからだった。
『自由になりたい?』
 余りにも無邪気な笑顔で問いかけられたものだから、へたり込んだまま暫く反応することができなかった。
「もうちょっとさ、視野を広く持ったら?」
「なんだよ、それ」
「マナの治療ってさ、碇君が掛かりきりでやってくれたんじゃないか……、先生に感謝して甘えるようになったって、仕方ないよ」
 あっまーいとムサシは叫んだ。
「それで手遅れになったらどうするんだよ!」
「手遅れ?」
「そ、それで、マナが、その……」
 ケイタは手を止め、微笑ましい目をムサシに向けた。
「やっちゃうなら……、とっくにやっちゃってるってば、碇君、結構経験あるみたいだし、って何?」
 赤くなってしまっていた。
「お前なぁ……、よくそういうことを、さらっと言えるな」
 きょとんとしたケイタは、ことさら深く溜め息を吐いた。
 これでは、本当にそうなってしまうのも、時間の問題だと思ったからだ。




 普段なら、デパ地下として騒がしいところも、今日ばかりは静かであった。
「やあ、おかげで助かったよ、洞木……」
「ヒカリです」
 お下げ髪の少女のあたりの柔らかさに、カヲルはニッコリと微笑んだ。
「君は優しいね」
「えっ」
 身振り手振りを入れて大袈裟にする。
「見ず知らずの他人にも親切にできるなんて、困っている人が助けを求めてくればできる限りのことをしてあげる、人として当たり前のことだけど、それはとてもとても難しいことなんだよ?」
 ヒカリは慌てて、やめてくださいと頼み込んだ。
「そんな、たまたま料理のことだから、相談に乗れただけです」
「たまたまも運命の内さ、幸運、これは互いに言えることだよ」
「でも、本当に悪いような……」
 とヒカリは手に提げた袋を見下ろした。
「大丈夫、気にしなくてもいいよ、こう見えてもお金持ちでね、君の好意に対してはぶしつけだけれど、この場で答えられる物は現金しか持ち合わせていないんだ、また会えるかどうかもわからないからね?、いずれその内、精神的に、そんな曖昧で済ませておけない性格なんだよ」
 そして笑み。
「財布をなくしてしまった君を憐れんで恵んでいるわけじゃないよ、これは正当なお礼、謝礼さ、正しい人には良いことがあってしかるべきだ、だから君は僕と出会い、僕は君に引き合わされた」
 ぽうっと赤くさせる。
「神様にね?」
 ぼんっと爆発。
「あ、あの、その」
 完全に照れさせておいて、カヲルは微笑し、解放した。
 カヲルの両手の袋には重い食材が色々と入っている、調味料もだ、売れ残っている物で作れる料理を想定して選んだ食材であった。
 その選定人として抜擢されたのがヒカリである。
「それにしても、大きなデパートだねぇ、何でも売っているようだしね」
 カヲルは何に気が付いたのか、苦笑した。
「ごめんよ、知り合いを見付けてしまったよ」
「はい?」
 さりげなく、さよならとはならないように誘われてしまったことに、ヒカリはちっとも気付かなかった。


「あかんあかん!、ゲームは右から左まで買えばええっちゅうもんちゃうねん!」
「でぇもぉ、これとこれとこのシリーズずっとやってるのにぃ」
 女の子二人が……、と言ってもやけに歳の離れている二人なのだが、びたっとおもちゃコーナーのゲームソフト展示棚に張り付いていた。
 カヲルはその内の一人に声をかけた。
「レイ」
「あえ?、カヲル?」
「こんなところで何をしているんだい?」
「あ、あははははは、なんとなく」
 そんな親しげな雰囲気に、ヒカリはちらちらとレイを見た。
「あ、あの……」
「あや?、誰?」
「え……、えっと、同じクラスの」
 レイはぽんっと手を打った。
「ああ!、お姉ちゃんのお友達?」
「お姉ちゃん?」
 困惑するヒカリににんまりと笑う。
「そう、綾波レイはあたしのお姉ちゃん!」
「君も綾波レイじゃなかったのかい?」
「気にしなきゃ気になんないから気にしないで行こう!」
「やれやれだねぇ」
 カヲルは肩をすくめて呆れ返った。
 それから正式に紹介する。
「とりあえず、紹介するよ、綾波レイ、君の知っている綾波レイとそっくりだろう?」
「は、はぁ……」
「で、こちらは洞木ヒカリさん、買い物をね、手伝ってもらったんだ」
 レイはにやりと邪悪に笑った。
「ナンパしたんだぁ、シンちゃんに言ってやろうっと」
「と、ところで」
 動揺を護魔化す。
「その子はどうしたんだい?」
「うん、ナンパされちゃったの」
「その子にかい?」
「ううん、この子のお兄ちゃんに、あっちでゲームやってる」
 一同は目を向けた、ら、何故だがヒカリが目を丸くした。
「鈴原!?」
「どりゃああ!」
「甘い!」
 二人は格闘対戦ゲームに燃えていた、それもプレイヤーの動作をトレースしてキャラが動くアクションタイプのゲームである。
 ……子供のお持ちゃ売り場でやるにはかなり恥ずかしい代物だ。
「鈴原と相田君じゃない」
「え?、お兄ちゃん、知ったはるんですか?」
「へ?、お兄ちゃんって?」
「あ、あたし、鈴原ハルカです、お兄ちゃんのナンパのダシにされてしもうて」
「そうそう、一緒に遊んであげてくれませんかぁって」
 ヒカリは何やら、衝撃を受けたようだった。
「ふ、フケツよ……、鈴原、妹さんをナンパの材料にするなんて」
 にやぁりと笑い合う綾波レイ、鈴原ハルカの師弟コンビ。
「だぁ!」
「よっし!、勝った!」
 直後にWIN!、の合成音。
「くっ、ケンスケ、もう一回や!」
「ばぁか、最初に三回勝負って決めただろ?、ってあれ?、委員長」
「はん?、おう、委員長やないか、どないしてん」
 洞木ヒカリは俯いたまま、体をブルブルと震わせた。
 そして唐突に。
「フケツよぉおおおおお!」
「おお!?」
「なんや!?」
 突然泣きながら立ち去ってしまった。
「……なんやねん」
「さあ?」
「洞木ヒカリ、面白い子だねぇ」
 三者三様にコメントする陰で、やはり即席コンビがうっしっしっと状況を楽しんで笑っていた。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作を元に創作したお話です。