ジオフロント。
 本来は闇に閉ざされる深夜も、直上に開いた大穴のために月光を感じられる。
 淡い光を浴びながら、少女はベッドの上に体を起こしていた。
「あの人……」
 一人呟く。
「わたしに似てる感じがした、渚カヲル」
 そして。
「綾波……、レイ」
(何故?)
 シーツの上に重ねていた手を持ち上げて、軽く頬を撫でさする。
「あの子、わたしと同じ顔をしていた……」
 声も。
「わたしと同じ」
 摘まんで、つねる。
「でも違う、何故?」
 悲しくなる。
「何故、あなたには」
 笑顔があるのか?
「同じ名前、何もかもが同じなのに……」
 手を下ろし、項垂れる。
 ぽたりと雫が落ちて跳ねた。
 はっとする。
「涙、泣いてるの?、わたし……」
 一度溢れ出した涙は止まらない。
 彼女の悲しみと苦しみにもっとも早く気が付くのは……


NeonGenesisEvangelion act.3
『夢・幻・泡・影』


 がやがやとうるさいのは教室だから。
「なんや、結構来とるやんけ」
「おう、トウジ」
 鈴原トウジ。
 相田ケンスケ。
 ちなみに同じ二年A組である。
「家に居たってどうせ手伝わないんだからとか、避難所に居たってしょうがないって事なんだろ」
「そやなぁ」
「それでも大分減ってるぜ?、疎開が一段落着いたらクラス統合して数減らすってさ」
「さよか、まあしゃあないわなぁ、お前んとこは疎開せんのか?」
「またあんなのに来られちゃ叶わないからな、ここならシェルターがあるし、それに統計的に見て自然災害が二回三回連続で局所集中することは無いんだよ」
「余所にはシェルターなんぞあらへんからなぁ」
 ぼけらっとする。
「そやけど、昨日のあれ、なんやったんやろなぁ」
「うっぷ、思い出させるなよなぁ」
「なんや?、胃もたれか」
「お好み焼きでロシアンルーレットなんかさせるなっての」
 超巨大な生地を焼き、それぞれにとんでもないトッピングを行う、だが所詮は店での注文だ、本来なら食えない物が出て来るはずはない。
 だが組み合わせによっては、とてつもない味のハーモニーが奏でられる事があるのだ。
「ほんま、とんでもない女やったで」
 くそっと拳を握り込む。
「あんな食い方お好み焼きに対する冒涜やで!、ああもう、今度会ったら、まっとうな食い方っちゅうもんをやなぁ!」
 がらりと戸が開く。
「あーーー!、ケンスケ君にトウジ君だぁ」
 ぎくりと二人。
『うわぁああああ!』
 そこにはやっほーっと景気良く手を振るレイが居た。


「えー……、それでは、自己紹介をお願いします」
 まだ二人が呆然としている中、三人の転校生はそれぞれ黒板に名前を書き始めた。
 中央から右半分移動した位置に、奇麗な字で縦に『碇シンジ』
 ほぼ真ん中で『渚カヲル』と横書き、英語かと思うようなミミズののたくったような字だった。
 一方、それよりとんでもないのは綾波レイだろう、チョークを縦では無く横にして、黒板一杯に『あやなみれい』と書いたのだ。
「え〜〜〜、綾波さんはこのクラスの綾波レイさんの妹さんだそうで」
「はぁい!、同じ名前なのはセカンドインパクトの後のどたばたで生き別れになっちゃったからでぇ、なんだか綾波レイって名札が着いてたから綾波レイって事になっちゃったらしいんですぅ、住民登録の遺伝子チェックでお姉ちゃんが居るって分かって引っ越して来ましたぁ、よろしくぅ」
 どもどもと手を挙げる。
「ちなみにボーイフレンドはシンちゃんなんだけどぉ、昨日トウジ君とケンスケ君にナンパされちゃったんで考慮中でぇっす!」
 がたたんと音、トウジが椅子からずり落ちた音だった。
「な、なに言うとんじゃ!」
「あ〜〜〜、照れなくても良いじゃなぁい!、そう、トウジ君は泣いている妹さんにとても弱って困っていたの、泣くんやない、わしがいるやないか!、でも防災頭巾を被った女の子は泣きやまないの、どうしたの?、痛いの?、お姉さんが痛いの痛いの飛んでけーってしてあげる、すまんなぁとトウジ君、聞けば明日から通う学校の男の子、ああだめ!、母性本能がくすぐられちゃう!、だめだめあたしにはシンちゃんが居るの、明日からは校則に引っ掛からないように隠れて付き合ったり、それがバレて冷やかされちゃったり、成績が落ちて先生から注意されちゃったり、ちょっぴり意地悪な女の子に苛められたり、逆境に燃えちゃったり子供が出来ちゃったり!、僕が幸せにするよ!、シンちゃん!、なぁんつってそんな感じの予定が先の先まで詰まってるってぇのに、ああでも三角関係も良い感じぃ!」
 ほっぺを両手で挟んでいやんいやんと。
「……今日もお花が咲いてるねぇ」
「でも絶好調には遠いみたいだけどね」
「じゃあ、こっちの頭のおかしいのは置いておいて」
 カヲルは歯を見せて光らせた。
 黄色い声援に軽く手を振る。
「僕はカヲル、渚カヲル、洞木ヒカリさんに好意を抱いている転校生さ」
 再びがたたんと。
「は、はい!?」
「やあ、洞木さん、また会えて嬉しいよ」
「あ、あの、その、う……」
 周囲からの冷ややかな視線を感じ取る。
(あ、あたしそんなんじゃないのに……)
 それだけカヲルは恰好好い、言ってしまえばクラスメートとは一線を画した大人びた雰囲気を持っていると言うことだ。
 そして最後に。
「あの……、碇シンジです、よろしく」
 極普通の挨拶、無難な自己紹介に教室はようやくほっとした雰囲気に包まれた。
「では、空いてる席に適当に……」
「シンちゃあん!、ここ空いてるぅ」
 ……既に移動してぶんぶか手を振っている。
「相変わらず素早いねぇ、で、どうするんだい?」
 耳打ちして来たカヲルにシンジは微笑んだ。
「悪いけど、もう決めてるんだ」
 そう言うとシンジは、真っ直ぐに迷い無くとある空席の隣に着いた。
「じゃ、僕が隣と言う事で」
「ぷいっだ」
 隣に来たカヲルにむくれる、が、シンジの横へは行こうとしない。
 三人は知っていたのだ、そこが誰の席であるのかを。


「今日、あの三人が学校へ登校しました」
「そうか」
 −ネルフ本部地下第二実験場−
 歪んだフレーム、割れたガラス、その外には壁を殴りつけたままで静止している零号機の姿があった。
 下半身は硬化ベークライトによって固められている。
「よろしいのですか?」
「……分からん」
 リツコは珍しい言葉に動揺した。
「お分かりにならない?」
「ああ……」
 ゲンドウは真っ暗な中、零号機を見下ろした。
「今、全力でシンジの経歴を洗わせている、だが数年分、どうしても闇に包まれた箇所が埋められんそうだ」
「その間に、あの二人と接触を?」
「かもしれんがな」
「まさか、委員会が」
「いや、委員会は未だ二人の存在を捉えていない、穿った見方をすれば知っていて黙っているとも受け取れるが、……シンジの検査は可能か?」
「それは……」
「そうか」
「何故です?」
「シンジが使用した凶器は市販品の釣り糸であると確認が取れた、だが重しも無しに鞭の様に床を打てる物か?」
「何か特殊な技術を身に付けていると?」
「我々が知るだけでも七名が殺されている、あれに罪悪感が無いのだとすれば、暴走で引き起こした破壊も意図的な物かも知れん」
「慎重な対応が必要だと思われます、レイの復帰までは」
「セカンドも危険かも知れん、接触の事実が在る以上、看過は出来んからな、……初号機の運用については?」
「リミッターを設置する事で、対応できるかと」
「リミッターだと?」
「はい、ガスタービン車に高濃度のガスを使用すれば当然爆発するように、初号機にとってサードチルドレンは添加剤としても能力が高過ぎる物と……」
 ゲンドウは一拍だけ間を置いた。
「零号機と初号機、レイのシンクロ実験を急ぐ必要があるな」
 どうやら現在、他に打てる手は無いらしい。


「へぇ、じゃあ相田君と鈴原君がレイの新しいボーイフレンドなんだ」
「だから違うっちゅうねん!」
「僕も……、お好み焼きに納豆とたらことメロンと塩辛と後なんだっけ?、うう、思い出したくないけど、そんなの一度に入れて平気で食べる女の子は、ちょっと」
 呆れた目をしてレイを見る。
「またやったの?」
「南米編は避けたから、うん」
「な、なんだその南米編って」
「聞かない方が良いと思うよ?」
「なんや、気になるやないか?」
 神妙な面持ちで腕を組む。
「……南米ってさ、虫、食べるんだよね」
 ざざざっと鳥肌。
「ああもうええ!、言うな!」
「聞きたくないよぉ!」
 精神汚染発生。
「ところで、洞木さんだっけ?」
「ええ」
「ごめんね、昨日は助かったよ、おかげで買い物に行かずに済んだし」
「それじゃあ、碇君が?」
「うん、僕が三人分作ってる」
「三人分?」
「僕達一緒に暮らしてるんだよ、親が居ないから」
「そうなんだ」
 ヒカリは僅かばかりにプレッシャーを感じていた、背後からの視線、それはとにかく渚カヲルに話しかけろと言う物だ。
(どうしろって言うのよぉ!)
 情報を少しでも引き出せと言うのだろうが……
 結局にこにことシンジと話す事で、無難に逃げを打ってしまうヒカリであった。


「そやけど、何もこんな時に転校してこんでもなぁ」
 何気ないトウジの一言に苦笑したのはカヲルであった。
「それは逆だね」
「逆?」
「こんな時になってしまった、これが正しいよ、何も昨日今日転校を決めたわけじゃないからね」
「そらまあそうか」
「そう、来るか来ないかも分からない怪物のためにまた引っ越すか、それともここに居を構えるか、選択としては難しい所だからね、とりあえずは様子を見てみることにしたんだよ、幸い、家は無事だった事だし、どうしたんだい?」
「あ、うん」
 こそこそと電話を受けていたシンジである。
「なんだか急用だって、早引けしろってさ」
「転校初日にかい?」
「家の用事か?、まあ昨日の今日や、休んどる奴も多いんやし、かまわんのちゃうか?」
 気を利かせる。
「わしがセンセに言うといたるわ」
「ほんと?、ごめんね、カヲル君、レイはどうする?」
「行くぅ」
「シンジ君がいないのに残っても仕方が無いさ」
「なんや、お前らそう言う関係か」
 これは冗談で口にしたトウジであったが。
「そうだよ?」
 とにこやかに返されて絶句した。


 −戦術作戦部作戦局第一課作戦会議室−
「お待たせしました」
 シンジとカヲルの二人が顔を見せた時には、もう深刻さは頂点に達していた。
「何があったんですか?」
 こういう時、シンジはカヲルに全てを任せる。
「使徒がね、現れたのよ」
 ミサト。
 床一面に表示されているのは……
「アメリカですか?」
「そうよ、アメリカ、使徒はユカタン半島沖からメキシコ湾を渡ってニューオリンズへ上陸、現在は国連軍と睨み合いに入っているわ」
「睨み合いねぇ」
 面白げにカヲルは笑い、顎を撫でた。
「膠着状態ですか?、アメリカにエヴァは?」
「……ないわ」
 リツコに説明を預ける。
「……エヴァは現在、本部に二機、ドイツ支部に一機存在するだけで、残りは未だ建造中なの」
「エヴァ無しで使徒を倒す方法は?」
「無いわ、だからNN爆弾で足留めして、その間にエヴァを空輸、一気に蹴りを付けるのがベストプランだけど」
 吹き出す。
「初号機を、ですか?、あんな目に合って、まだ使うと?」
 ネルフサイドの顔に苦渋が浮かんだ、初号機は未だ正常に稼動したとは言い難いのだ。
 前回は第三新東京市であったからその不名誉のもみ消しは可能であった、しかし、アメリカでは……
「それにしても……」
 カヲルは衛星から捉えた使徒の姿に微笑んだ。
「再びの襲来か」
 湾岸に立つ姿は、先日第三新東京市に出没した第三使徒、そのものだ。
「米軍が攻撃を控えたのは、正解だったかもしれませんねぇ」
「どういう事?」
 鋭く問いただすミサトに、先日の戦闘の記録を要求する。
「まあ、一つの可能性ですよ」
 先日の使徒侵攻ルートを足元に表示させたままで、カヲルは爪先で考えを示した。
「ご覧の通り、一見使徒の侵攻方向に合わせて部隊を展開しているように見えがちですが、その実、第三新東京市へ侵攻する事が前提とされているようにも感じられます」
「考え過ぎよ、そんな……」
「確かに、そのこと自体はそうかもしれませんが」
 地図を一段階縮小させて、海洋も入れる。
「このように、浅瀬に入った使徒に対して、国連軍は後退しながらの戦闘を行いました、これでは馬の前に人参を吊るしているのと同じではないですか?、使徒は釣られて歩いてしまった」
「もし仮にそうだとしても、何故?、どうして使徒は上陸したの?」
「上陸したのではなく、湾岸が棲息域だったのでは?」
 NN爆弾により体皮を焼かれた使徒が映し出される。
「ここです」
「エラで呼吸している?」
「もちろん使徒に通常の生物と同じ器官があればの話ですが、体のぬめりは渇かないための分泌液なのかもしれません」
「では、先の戦闘は……」
「データが少な過ぎます、そう見えると言うだけの話しですよ、ですが僕の目にはただの縄張り争いにしか見えません、使徒は自分に合った環境を見付けた、ところが使徒は危険だと言う先入観から人は攻撃した、どんな生き物だって叩かれれば怒りますよ」
「でも全てが丸く収まると言う保証は無いわ、危険過ぎる」
「そうですね、まあ否定しませんよ、人類は紀元前からそうやって安全を確保して来たのですから、もっとも、その反省として全盛期では絶滅に追い込んでしまった生物を何とか保護、あるいは復活させようとしていた筈なんですがね」
 それは皮肉だ。
「リリン、偽善に満ちた存在、僕には分からない感情ですよ」
「それは使徒だから?」
「さて?、あなた方と同じ人間でも、人を殺すことなど何とも思わない方なんていくらでも居るでしょう?、旧東京の放置地区をご存じですか?、しようがない、仕方が無いなんて言い訳すら無く、狩りの獲物として浮浪者を狩るハンターが存在します」
「……知ってるわ、政府は黙認してる、清掃のためだと言ってね」
「碇ゲンドウ氏は、シンジ君に人類が死滅する事になってもいいのかと問いかけたそうですね?」
「ええ」
「ジオフロントは独立したコロニーとして機能するように設計されている、それはセカンドインパクト級の大災害に見舞わることを想定した物なのでしょう?」
 カヲルは薄く笑った。
「僕が何故、この様な話しをしているか分かりますか?、貴方がたが僕を使徒と呼ぶからですよ」
「でも、使徒なのでしょう?」
「……使徒は滅ぼさなければ人類は滅んでしまう?、だけど僕が一度に殺せるのは一分間に数人から十数人ですよ?、世界全土で同じ分数に生まれる子供の数を知っていますか?、余りにも不可能に近い話しですよ」
「だけど、使徒は!」
「南極の真実がどうであれジオフロントさえ無事なら人類は種を残せます、なのにわざわざこのジオフロント直上での決戦を推奨する、その矛盾の理由が何処にあるのか、僕には良く分かりませんね」
 カヲルの言うことは、ある意味、とても、もっともだった。


「第三の使徒、再びの襲来」
「どういう事だ?」
 −人類補完委員会擬似会議室−
「第三の使徒は、先日、殲滅が確認されたはずだが?」
「まさか、殲滅は失敗に終わったのかね」
「いえ」
 老人方にゲンドウが答える。
「使徒は確かに殲滅いたしました、その残骸につきましても、今現在処理をしているところです」
「だが使徒は再び現れた」
 長でもあるメカニカルバイザーを付けた男が仕切りを名乗った。
「これは死海文書には無い出来事だ」
「さよう、だが幸運にも使徒は米国支部に程近い場所に上陸した」
「初号機による遂行を願いたい所だが?」
 拒否する。
「先日の初号機の暴走、その原因は未だ不明瞭なままです、米国への派遣は危険かと」
「ではどうするね?」
「米軍に期待します」


「え?、それじゃあ米軍が使徒を倒すんですか?」
「倒せる物ならね……」
 シンジに険しい顔を見せるミサトだ。
「渚君の言う通り、初号機は封印との話しも出ているくらいなのよ、危険過ぎてね」
「でも、使徒に勝てるのはエヴァだけなんですよね……」
「それでもよ、これには米国支部の意向もあるの」
 カヲルが揶揄した。
「なるほど、本部の手助けはいらない、我が国のことは我が国で解決する、……世界が滅ぶと言う割りには危機感が足りないようですねぇ、それとも、実は面子にこだわる程度の余裕はあるのかな?」
 誰も答えない、しかし、リツコはそれでも呻いた。
「……勝算は、あるわ」
「ほう?、お聞かせ願えますか?」
「米国には攻撃型のレーザー衛星があったはず、NN爆弾との同時攻撃を敢行できれば……」
「その代わり、湾岸地帯は海に沈みますね」
「なりふり構ってらんない、か……、けどほんとにいけるの?」
「分からないわ、第一、米国がどんな攻撃を選択するのか、今の案はわたしの憶測だもの」
 ふうむとカヲル。
「しかし使徒が現われる度にNN爆弾と攻撃衛星では、その内僕達の住める場所が無くなりますねぇ」
 溜め息一つ。
「どうする?、シンジ君」
「なに?」
「エヴァを建造してみるかい?」
 ざわりとざわめく。
「エヴァの構造は既に理解している、ここの地下にある廃棄施設からエヴァの残骸を拾い上げれば短時間で構成できるよ、レイでも乗せれば……、と、レイは何処に行ったんだい?」
「初めから本部には来てないよ」
「そうだったかな?」
「うん、病棟の方に行ってもらった、こっちが騒がしくなったからね、また隙が増えてるし、綾波に何かあっちゃいけないから」
『ちょっと待って!』
 ミサトとリツコの声が重なった。
「レイが、どうしたの!」
 先にミサト。
「ネルフの保安部と諜報部はザルだって話したでしょ?、避難民に混ざってどこかの組織の人が入り込んでる、夕べだけで綾波の部屋への侵入者は四組に上りました、まあ、こっちで勝手にガードを付けておいたんで、問題ありませんでしたけどね」
「逆を言えば、そのガードの侵入と潜伏にも気が付いてないって事になるねぇ」
 ミサトは言いたい事を堪えて、警備部へ電話を掛け始めた。
「シンジ君」
 代わってリツコ。
「エヴァの建造、できるの?」
「カヲル君かレイに与えてくれるなら」
 小さく呟く。
「コアのインストール無しで動かすには、二人でないといけませんからね」
 リツコは驚きかけたが、相手がマギが蓄えていた情報を知りえているのだと思い出し、堪えた。
「そう……」
「でも止めておきますよ、僕達の資金じゃエヴァなんて三機も建造すれば終わっちゃいますから」
「え!?」
 驚愕、である、エヴァの建造費は国家予算にも等しいのだ、それを三機は建造できると言うのだから……
「それに、使徒と米国とネルフ本部の縄張り争いに荷担しても面白くないし」
「シンジ君」
 ミサト。
「確認が取れたわ、医療棟の遺体安置所に身元不明の死体が積み上げられていたそうだけど」
 唇を噛む。
「でも何故?、保安部員を、人を殺める事に何のためらいの無いあなたが、どうしてレイを守ろうとするの?」
「さあ?」
「護魔化さないで!」
 肩をすくめる。
「だって、嘘を吐かずにはぐらかす為には護魔化す以外ないじゃないですか、第一、隠し事をしているのはそちらだって同じでしょう?」
 不敵に笑う。
「今はここに居るけれど別にあなた達の味方になったわけじゃないんですよ?、米国、ですか?、向こうからエヴァに乗ってくれと交渉があれば値段次第で向こうへ行きます」
「な!?」
「それは困るわ!」
「勝手に困って下さい、別に義理も義務もありませんから、じゃあカヲル君、行こうか?」
「レイの所にかい?」
「余り放っておくと、拗ねるからね」


「ふっふふっふふっふふっふふっふふっふふーん♪」
 鼻歌交じりにお見舞いに買って来た詰め合わせの果物の皮を剥く。
「食べる?、お姉ちゃん?」
 バナナを突き出す。
「お姉ちゃん?」
「うん」
「……いい」
「あ、そう?、じゃあ」
 んがっと林檎とバナナとメロンと桃を一度に頬張り口の中でシェイク。
 頬がパンパンに張れている割りには口の端から一滴の汁も垂らさないのだから大した物だ。
 んっがっくっく!、っと飲み下す、ごっくんと凄まじい音がした。
「あーーー、美味しかった」
 ペロリと口の回りを舐めて、お腹を突き出しぽんぽんと叩く。
 その様は実に幸せそうだった。
「え?、なぁにお姉ちゃん」
 レイは姉……、とかんっぺきに位置付けたらしい、彼女の視線ににこにこと小首を傾げた。
「おいしいよ?、やっぱり食べる?」
「違う……」
「あ、じゃあおしっこ?、しょうがないなぁ、尿瓶尿瓶、あ、遠慮しないでね、どうせおんなじ体してるんだから」
 とか何とか言いつつ、やけにいそいそと脱がしにかかる。
「んっ、やめて……」
 妙に艶っぽい声で反抗し、レイは眼帯を着けていない方の目で顎を引き気味に彼女を見つめた。
「ん?」
 尿瓶を手に、同じ顔が笑っている。
「何故……」
 言葉が勝手に吐いて出た。
「どうして……」
 レイは微笑んだ。
「同じ顔をしてるのか?」
「……」
「それとも……、色んな顔を持っているのか?」
 コクンと頷く姉の可愛さに、レイは鼻をピスピスと鳴らし、悶えて腰をふりふり振った。
「お姉ちゃんかわいー!」
 押し倒して脇をくすぐる。
「あっ、やめて、あ」
 くすぐられること、いや、触れられる事に対して慣れていない体は硬く、表情を抑制して来た感情は堪える道を選択させる、結果、ただ苦しくて悶える事になる。
 レイはそんな姉の様子を見て、くすぐるのを止め、その胸に顔を埋め、押し割った。
「……?」
 涙目のまま、唐突に攻撃を止めた妹を見る、
 はぁ、はぁと荒い自分の呼吸合わせて、抱きついている彼女の体も上下していた。
「あ!」
 さわさわと脇から胸に這い上がって来る手のひら。
 レイはくすぐるのを止めて、直接攻撃に変更したらしい、服の裾から手を入れていた。
「お姉ちゃんの肌、すべすべだぁ」
 しかし、レイがしたことは彼女が心配したようなものでは無かった、そのまま背に回して抱きついたのだ。
「あったかぁい」
(何故?)
 その幸せな顔を見ていると、何故だかドキドキしてしまう。
 自然と持ち上がる左手、彼女の髪を撫で付けようとしてしまう。
「あう!」
 そのタイミングを見計らってか、レイは服の上から姉の胸に吸い付いた。
「あ、やめ、あ」
「お姉ちゃん、笑ってる」
「え……」
 にこぱと胸から見上げるレイ。
「優しい気持ちになったでしょ?、その後驚いたでしょ?、今度はどうしようかって迷ってる、ほら、お姉ちゃん、色んな顔を作ってる」
「あ……」
 愕然とする、さ迷わせていた手を、震えを抑えられぬままに頬に当てて、顔を撫でさする。
「わた、し……」
「羨ましかったんでしょ?」
 レイはもう一回抱きつき直した。
「羨ましかったんでしょ?、お姉ちゃんもわたしの様に笑ってみたかったんでしょ?」
 胸に頬擦りをする。
「わたしが羨ましい?、でもわたしは痛いの」
「痛い?」
「だって、お姉ちゃんが、わたしと同じ顔で、辛そうにしてるから」
 胸がぎゅうっと締まる感覚。
「あなた……」
「胸が痛いの、苦しいの、心が痛いの、とても辛いの、寂しいの、凍えるような寒さをお姉ちゃんから感じるの、だからわたしが温めてあげるの」
 ぎゅうっと腕に力を込める。
「ほら、温かいでしょう?、嬉しいでしょう?、求める心があるでしょう?、凍り付いた心を溶かしてあげる、凍った感情は水になるの、揺らめくの、そしていつかは温かくなるの」
「温かく……」
「そう、わたしの心を見せてあげる、わたしの心を分けてあげる、わたしと一つになりましょう?、それはとてもとても、とても気持ちの好い事だから」
「はっ、う……」
「心を解放して、解き放つの、想いを」
「あ、や……」
「あなたは、何を望むの?」
「わたし、は、わたし……、あなた、じゃ、ない」
「そう、だから見せてあげるだけ」
 レイはまさぐる手を止めて微笑んだ。
「何を感じるか、何を想うのか、その感情は、全てお姉ちゃんだけのものよ?」


 −約十五分後−
 ぷしゅっと気圧の抜ける音がして扉が開くと、何故だかシャツのボタンをはめつつ上機嫌でレイが出て来た。
「ふんふんふんっとね、にゅ?、なんか生臭いかなぁ、なんてえっちぃかぁ!」
 一人で照れ笑いしながら行ってしまう。
「……いいのかい?、放っておいて」
「問題は多大にあると思うよ、うん」
 レイが行っちゃったのとは逆側の壁にもたれていた二人である。
「それにしても、僕達に気が付かないほど浮かれているとはねぇ」
「そりゃ嬉しいんだと思うよ?」
「自分で自分を愛するなんて、背徳的な雰囲気だよ、変態だね」
「良く言うよ……」
 二人は微笑ましく見送ってから壁から離れた。
「それじゃ、僕はレイを」
「うん、僕は綾波と話して来るよ」
「毒気に当てられないようにね?」
 ちょっとからかい交じりに、カヲルは声を掛けて去っていった。


「やぁ」
 軽く手を挙げて挨拶をしたものの、今だ彼女は忘我の極地に居るようである、帰って来てはいなかった。
 シーツにくるまったまま、とろんと目の焦点を合わせていない。
 シンジは思わず苦笑した。
「大変だったみたいだね」
 レイが座っていたのであろう、まだ温かい椅子に腰掛ける。
「でも体の痛みは消えたでしょ?、レイの得意技なんだ」
 その名に自分を取り戻す。
「……なに?」
「いや、やり過ぎてないかと思ってね、一時的な興奮状態に陥らせる事で痛みを忘れさせることができるんだ、でも性欲の興奮とは紙一重だからね、間違うと体調を崩させるだけになる、僕はその確認のために来たんだよ」
「……興奮?」
「そう、だね、人は誰しも生まれながらに生きる為の力を秘めている、ただそれは漫然と発散されているだけで、ほとんどがただ浪費されているだけなんだ、レイはそれを昂ぶらせることができるんだよ、特にレイは君自身だからね、本人であれば同調も出来るさ」
 はっきりと目に正気が宿った。
「本人?、……わたし自身?」
「そうだよ?」
 微笑む。
「幸せそうだね?」
「幸せ?、わたしが?」
「うん、とても満たされた顔をしているよ?」
「そ、そう……」
「ほら、照れてる、昨日まではそんな顔しなかった、綾波さんはレイからとても大切な事を教わったんだね」
「……よく、分からないわ」
「そうだろうと思うよ?、でも恐がることは無いさ、人間、みんな同じだよ、他人の好意の裏側にあるものが善意なのか悪意なのか分からなくて、ついいつも脅えてしまう、素直に受け取る事が出来ない、けれど君は知ったはずだよ?、無償で与えてくれる存在が、少なくともこの世に一人、存在していると言う事を」
 シンジはうんと頷いた。
「これなら大丈夫だね、君はもう、零号機に乗れるよ」
「何故?」
「だって、綾波さんはレイが好きになったみたいだから」
「え……」
「好きなんでしょう?、顔にそう書いてあるよ」
「で、でも……」
「良いんじゃないかな?、もっと我が侭になっても」
「我が侭?」
「そうさ、綾波さんは本当はレイに会いたいと思ってる、行かないで欲しいと願ってる、違う?」
「……分からない」
「すぐに分かるよ」
 困惑するレイに微笑む。
「そしてその時、君は君の中の、君がこれまで固執していた考えが変わってしまっている事に気が付くはずだ」
 立ち上がる。
「でも、怪我の方は痛みが引いてるだけで治ってるわけじゃないから、注意してね?」
「ありがとう……」
 思わぬお礼にきょとんとしてから、シンジは顔半分シーツに潜っているレイの額に唇を寄せた。
「またレイにお見舞いさせるよ、じゃあ」
 笑み、髪を撫で付けるようにして去る。
(あ……)
 撫でてくれた手が離れていく、それは自失状態の時には感じられなかった切なさだった。
(あ、う……)
 この様な時、どんな風に縋ればいいのか分からない。
 その事が心に痛い。
『すぐに分かるよ』
(寂しい……、一人は嫌、そう、誰かに居てもらいたいのね)
 心が寒いから。
(温めてもらいたいのね)
 温もりは冷めて行くから。
『君はもう、零号機に……』
(だからなのね……)
 生きていてもいいのか、それとも死んだ方が楽なのか、その迷いが心の乱れに繋がっていた。
(でも、今は違う、違うと思う)
『そしてその時、君は気が付くはずだ』
(わたしは生きて、もっと甘えたいと思う、それは贅沢?)
『良いんじゃないかな?、もっと我が侭になっても』
(いいの?)
『またレイにお見舞いさせるよ』
(でも!)
 部屋の戸を開けようとする手を止めて、やおらシンジは体をくるりと回し、反転させた。
 そして無表情なままで、じっと見ているレイに苦笑する。
「綾波さんは、感情の表現が下手なんだねぇ」
 また椅子に戻る。
「良く分かったよ、それが君のサインなんだ」
「サイン?」
「うん、合図、何かをして欲しくても、臆病だから何も言えない、だからそうやって、じっと黙って見てるんでしょ?」
 腰掛けると、半分ほど残っていた果物に手を伸ばした。
「食べるでしょ?、皮、剥いてあげるよ」
「ありがとう……」
 レイは自分のことを姉と呼ぶ少女とはまた違った感じで、甘えるような声音を使った。



続く



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作を元に創作したお話です。