しゃりしゃりと林檎の皮を剥き、三分の一程度縦にナイフを入れて割る。
 二つをさらに四つに分けて種を取り、また一つを二つに分けてしまう。
 これで林檎は八つになった。
「はい」
 一つ摘まんで彼女の口へ、戸惑いながらもついばむように受け取るレイだ。
 未だ横たわりシーツにくるまったままである、軽く指先で押し込まれ、苦しみながらも歯で軽く噛む。
 シンジはそんなレイに微笑んでから手を引っ込めた。
「綾波は、レイが好きかな?」
 ほんの少しだけ手を出し、林檎を摘まみ支えてからレイは答えた。
「そうかもしれない」
「けれどレイは敵なんだよ?」
「敵?」
「そう、だってレイは使徒だもの、使徒は倒さなくちゃならないんでしょ?」
 レイは大きく、目を丸くした


NeonGenesisEvangelion act.4
『顔色を窺ってまで生きる事の意義』


「ネルフの警備態勢がザルだってのはほんとだよな」
 ムサシである、ニコニコと銃器の手入れをしている当たり少々怪しく見える。
「そんな使いもしない物持って来てどうするの」
 叱ったのはマナだった、二人とも黒のラバースーツにこれまた黒のベストを羽織っている。
 ナイフやレシーバー他、用途不明の装備品が差し込まれていた。
 二人が居るのは医療棟の換気口から入った建物のまさに『内側』である、本部施設と同じ建材で構成されているだけあり、足音が立つほど柔ではないし、声も響く風の音によってかき消されていた。
「ケイタはいいよなぁ、地上であれ組み立ててるだけだもんなぁ」
 ぼやくムサシにマナはつれない。
「じゃあ帰れば?」
「へ?」
「だぁれも居ない所で二人っきりになってるよりケイタとナンパしてる方が楽しいんでしょ?」
「ななな、なんのことかな?」
「さっあねぇ、ヒントはカ、とだけ言っとくわ」
「かかか、カ、カ……、カオリ、カスミ、カコ、カナ、カナコ」
 ぶつぶつと幾つかの名前が呟かれる。
「そういうのはぁ、シラ切り通さないとだめだヨォ?」
「わぁああああ!、あ、綾波!?」
 背後から抱きつきわさわさと。
「にゅいーん!、レイちゃんどぇっす!」
 脇の下から体を撫で回して耳にも息を吹き掛ける。
「だぁああ!、やめろっ、またマナに勘違い……」
「え?、なに?」
 まったく気にもしていない。
「マナぁああ」
 だぁっと涙。
「マナちゃん冷たい」
 こっちも涙。
「ちょっとは妬いてくれてもいいのに、ねぇ?」
「うるさい!」
「怒られちった」
 てへっと舌。
「ねぇねぇ、それよりシンちゃん何処行ったか知んない?」
「……知らない」
「ここかなぁ?」
「きゃあああ!」
 慌ててめくられたシャツを引っ張り下げる。
「こんな所に居るわけないでしょ!」
「嘘だぁ、この間シンちゃんの頭入れてたじゃなぁい」
「マナぁ……」
 ちらりと見えた胸に喜ぶべきかそれともショックな話に泣くべきか。
 少年としては複雑な所だ。
「おっかしいなぁ、シンちゃん後でこっちに来るって言ってたのに」
 ん?、っとマナ達が見ていた画面に引き付けられる。
「な、なに?」
 レイはマナの足の上に体を伸ばして、ノートパソコンを操作した。
 横八列、縦四段で表示されているのは監視カメラの映像だろう、その内の一つを拡大する。
「レイ?」
 マナは背筋に寒気を感じた、レイの雰囲気が変わったからだ。
「ん、ちょっと行って来る」
 答える事が出来ず、マナはごくりと唾を飲んだ。


「使徒?」
「そうだよ?」
 シンジは何でも無い事のように言って、今度はメロンを切り始めた。
「と言っても、ネルフの人達がそう言ってるだけだけどね」
「そう……」
「不安?」
「何故?」
「だって使徒は倒さなくちゃいけないんだろ?、倒さないと世界は滅びるって聞いたけど?」
 まな板も無いのに、手に乗せたまま切り刻んでいく、しかも汁一滴こぼさないで。
「でもね?、セカンドインパクトでは人口の半分が死んだだけだろう?、それも大半は混乱期の自滅だよ、実際、その後の十五年で世界は十分に立ち直ってみせた、一匹倒せなかったぐらいで滅びるって言うのはおかしくないかな?」
 レイは体の力を抜くと、説明した。
「あなたは、知らないのね」
「なにを?」
「セカンドインパクトの、正体を」
「教えてくれる?」
 シンジはメロンを皿に並べると、摘まみ出した。


「それにしても、忌ま忌ましい」
 −米国ニューオリンズ−
 かつての景観はなく、そのほとんどは水没している、現在では新港を中心に造船所が並ぶ工業地帯として名を馳せていた。
 米国ネルフ第一支部はそんな工業地帯の中にあった。
 軍事施設はエヴァの建造工場と共に第二支部側に保有している、ここはあくまで施設の全てを統括する中央指令基地に過ぎない。
「まさか知っていて居座っているわけではあるまいな」
「こちらに武器が無いと?」
「うむ」
 話しているのは米国ネルフの司令と副司令、ミックとグレンだった、ミックは五十前後の紳士で恰幅がよく、グレンは僅かに若く、痩身で、白髪をしていた。
「それで、現場は?」
「州軍指揮の元、避難が急がれています、一部苦情が出ていますが」
「無視しろ」
「……使徒は保険の適用外ですから必死なのでしょう、後はペンタゴンから、使徒の誘導が提案されていますが」
「日本のあれか?、参考にならん、それより総本部の動きは」
「先日の事故を盾に沈黙を保っております」
「初号機、か、確か過去にも事故を起こしていたな」
「ネルフ発足前の事だと記憶して下ります、初のシンクロ実験においてE計画の統括責任者が取り込まれたと」
「改修後の零号機に続く初号機の暴走、未だ正規に起動が確認されているのは弐号機だけか」
「ですが」
 やや緊張気味に告げる。
「初号機の発露、あれは驚異です」
「ああ、原爆を落された日本人の気持ちがようやく分かったよ、あれがいつ我々に向けられるか、いや、それ以前に制御もおぼつかない物を非常事態の一言で持ち出すことの愚かさをようやく知った気がするな」
「では、建造を凍結しますか?」
「……冷戦などと言う物は所詮まやかしに過ぎん、その正体は双方の闇を恐れる心だよ、闇の底が知れぬからこそ恐れ、手を出しあぐねる、我々もせめて日陰を作るべきだとは思わんかね?」
 ミックは背もたれに体を預けた。
「参号機の様子は?」
「艤装は十時間後に完了の予定ですが」
「第二支部からの移送にはさらに時間が掛かるか……、パイロットの選定と調整は?」
「確保されている候補者の中からしぼり込みを続けております、こちらは三時間後に次の段階へ移行の予定ですが」
 剣呑な光を目に湛えるミック。
「起動可能な機体が無い今、総本部に適格者は不要……、そうだな」
「まったくです」
 些かの躊躇もなく、この副司令は同意した。


 −ネルフ本部医療本部外科病棟−
 本来であれば外部の人間は立ち入り禁止とする所であるが、緊急避難プログラムの適用により、一般人も多く収容されていた。
「それでねぇ」
「やだぁ」
 その奥まった所にあるエレベーター、これは唯一上層階へ通じている物で、綾波レイが収容されている病室へはこれでなければ訪問できないようになっている。
 今現在は三人乗り込んでいた、二人は女性だ、看護婦の衣装で胸にはお互い別の医療記録を抱いている。
 その背後の壁際に、異様な風体の男が立っていた、大きい、身長は二メートルに達しているだろう。
 黒いロングコートで全身を隠している、襟とサングラスで顔も見せないようにしていた。
 髪は短髪で金だ、誰が目にしても訝しがるような怪しさを窺わせている、だが、漂わせてはいない。
 その証拠に二人の女性は彼の存在に全く気が付いていなかった、一メートルと離れていないにも関わらず、だ。
「あれ?」
 エレベーターが止まる。
「この階押した?」
「ううん?、押し間違えたんじゃない?」
「かな?」
 二人が勘違いと判断して『閉』を押すまでのほんの僅かな間に、男は滑るようにエレベーターから抜け出して見せた。
 広いホールだが人気が無い、当たり前だろう、この階は現在、たった一人の入院患者の為に占有されているのだから。
 男は無造作に歩き出した、靴は軍靴に見えるのだが、どうなのだろうか?
 男が見ているのは、窓の外をぼんやりと眺めている少女であった、青い髪をした制服姿の女の子だ。
 男はポケットに収めていた手を抜いた、握られているのは短銃であった、圧搾空気で針を打ち出す型の麻酔銃だ、だが男は狙いを付けた所で撃つのを止めた。
 レイが……、振り返ったからだ。
「気付かれてないって思ってた?」
 ニヤリと笑う。
「気配を絶てば人は注目しようとしない、人が視界に収めて記憶、認識する物には必ず存在を誇示するささくれ立った物が在る、生き物はそれを無くし丸くなる事で存在感を全くの零にすることができる、でもあなたのそれはまだまだ甘い」
 ふふんと威張る。
「なぁんてね、ほんとは監視カメラの映像で気が付いたからここで待ってただけ、来るのが分かってたら見破るのは簡単だからね」
 男は銃の狙いを定め直した。
「そんなもの使ったら、隠形術使えないよ?、だって眠ってる人間をどうやって他人の意識から外すわけ?」
 パシュっと軽い音と共に針が飛ぶ、が、貫いた物は残像だった。
「はいっ!」
 気合いの一発、コンマ何秒かで数メートルの距離を零にし、打撃。
 体を横に、伸ばした右手で掌底を打ち込む、どしんと震脚、床は沈み、ひび割れた。
「へえっ!?」
 レイは驚きに目を丸くした、男は体をくの字に折ったものの、堪えて見せたのだ。
「通背拳、結構練習したんだけどな」
 ぶんと振り回された腕を屈んで避ける、連撃で針の襲撃、これはバク転を三度くり返し下がる事で避けた。
「ダメージも無いの?」
 中華拳法を用いた割りにはマーシャルアーツ的に身構える。
「なに?」
 男は腕を持ち上げた、ぶるると震える、何かと思えば袖が先から爆砕してちりじりに裂けた。


 手袋だけを残して袖が肘に向かって爆ぜるように裂けていく。
「!?」
 レイは反射的に飛びのいていた、廊下の天井、床、壁に無秩序な崩壊がもたらされる。
「超音波破砕器!?、サイボーグ……、でもないか、無理矢理取り付けてるわけね」
 男は答えない、だが幾ら屈強な男でもその震動は消し切れないのだろう、震える腕を押えつけ、なんとか照準を合わせようと奮闘しているような感じがあった。


「……?」
 レイは響いた震動にキョトンとした。
「何?」
「さあ、なんだろうね」
 シンジはおもしろげに笑みを深めて、ますますレイを困惑させた。
「それよりさ、セカンドインパクトの正体を教えてよ」
「ええ」
 レイは仰向けになると、瞼を閉じて、力を抜いた。
「十五年前、人類は「使徒」と呼称される人型の物体を南極で発見したわ」
「それは、誰が名付けたの?」
「……葛城調査隊、葛城隊長よ」
「そう……、続けて?」
「……葛城調査隊は本格的な発掘に着手したわ、でも使徒は化石などではなく、生きていた」
 息を継ぐ。
「活動を再開した使徒は南極を蒸発させたの、これがセカンドインパクトの正体よ」


「ふっ、はっ!」
 レイは再び通背拳を行った、それも何も無い空白の空間に向かってだ。
 ずしんと震脚、五メートルは離れていたのに、それでも襲撃者の腕は弾かれたように跳ね上がったのだった。
「!?」
 初めてその顔に驚愕が刻み込まれる。
「へへん!、震動は震動で返す!、たかだか二千年の歴史を積んだだけの西洋科学文明が四千年の歴史に勝てるはずないっしょ!」
 追撃、動揺から立ち直る間を与えず、三発目を打ち込む。
「そしてぇ!」
 諸手突き、それも震脚付きだ。
 バンとコートの背中側が膨らんだ、裾から足元にどちゃどちゃと落ちたのは、血と内臓と……
 崩れ落ち、倒れる、がちゃんと腕の機械が音を立てた。
「レイちゃんうぃん!」
 きゃっと手を挙げて飛び跳ねる、何処かで見た覚えがあると思えば、それはケンスケが使っていたキャラの勝ちポーズだった、だが勝ち名乗りを上げるには多少早かったようだった。
 男は伏していた顔を、気付かれない程度に持ち上げ、ずれたサングラスの奥から、青い瞳でレイを見た。


「セカンドインパクトの正体、ねぇ」
 シンジは面白そうにした。
「セカンドって言うんなら、ファーストもあったんだよね?」
「ええ、氷河期を導いた巨大隕石の落下……、ジャイアントインパクトをそう呼んでいるわ」
「なら余計におかしいよ、ジャイアントインパクトって恐竜が生きてた頃の話しでしょ?」
「……六千、五百万年前よ」
「うん、でさ?、次はまた六千万年後かもしれないのに、エヴァなんて作って準備していたって言うのはどうなんだろうね?」
「使徒の襲来は、予想されていたわ」
「どうやって?」
「……」
「おかしいじゃないか、前は六千万年かかったのに、今度はたったの十五年で来るって分かってた?、それも一体じゃないと父さんは言い切ったよ?、それじゃああんなに大きな生き物がそこら中で眠ってるって言うの?」
 レイは沈黙した。
「答えられない?、答えにくい?、……じゃあ質問を変えるよ、再びセカンドインパクトが起きる条件は?」
「?」
「実はね?、使徒がまた現れたんだ」
 レイは驚きから起き上がった。
「ああ、寝ていて、ここじゃないから」
「ここでは、ないの?」
「そうだよ?、アメリカだよ」
 手を貸して寝かし付ける。
「今は睨み合いが続いてる、変だろ?、セカンドインパクトが起きる条件が分からないなら、時限装置の狂った爆弾も同じだよ、なのに静観なんて選択肢が存在している、奇妙じゃないか」
「……そうね」
「上の人達もエヴァの貸与には迷ってるよ、人類が滅ぶかもしれないって時に権力争いをしてるんだ、余裕があるとは思わないかな?」
 レイはきゅっと唇を噤んだ、その様子に苦笑する。
「何か……、話せない事があるみたいだね」
 シンジは話しを切り上げた。
「まあいいさ、僕を信じろって言っても、無理だろうからね」


「レイちゃんうぃん!」
 ぴょんと飛び跳ねたレイを、男はずれたサングラスの奥から、青い目で捉えていた。
 ぐっと歯を噛もうとする。
「迂闊だね」
 ダン!
 上顎から上がズレ落ち転がる、その上で歯で座りを付けた。
 体の側に残された下顎の歯に、スイッチが見受けられた。
「自爆とは、古典的な手法だね」
「カヲル!」
 レイは何処からか『出現』したカヲルにムッとした。
「もう!、何するの、せっかくシンちゃんに誉めてもらおうと思ったのにぃ」
 クスリと笑う。
「誉めてもらうだけかい?」
「もっちろん、ご褒美付きぃ!」
「……そう、でも駄目だよ、自爆なんてされていたらご褒美どころか嫌われてしまうよ?」
 レイは固まって妙な汗をたらりと流した。
「貸しひとつ!」
「借りだろう?」
 にこやかに訂正する。
「それにしても、これ、何処の組織だい?」
「多分、お米の国からやって来たんじゃないのかなぁ?」
「超音波破砕器か……」
 どくどくと血が流れ出している頭を避けて、体を蹴る。
「これだけの重さがあればエレベーターの重量チェックに掛からないはずが無いんだけどね」
「だからザルって事なんでしょう?、機械の方は『三人』乗ってて『重量は適性』だって判断したんじゃないかな?」
「誰かがカメラを見ていれば問題無い物を、なんでもマギ任せにするからこうなる」
 だが一方ではこれは仕方が無いと言えた、何しろネルフ本部とはこのジオフロント全てを指すのだ、その大きさは百万都市にも匹敵する、この全てを人の目で確認し続けることは不可能に等しい。
「でもまあ、せっかくシンジ君と忠告してあげたのに、こうも簡単に入り込ませた罰は与えてあげないとね」
「どうするの?」
「こうするのさ」
 カヲルは僅かに笑みを深めた、直後。
『ーーー!』
 廊下に非常警報が鳴り響いたのであった。


 −戦術作戦部作戦局第一課作戦会議室−
 作戦部から葛城ミサト、日向マコト。
 技術部より赤木リツコ、伊吹マヤ。
 そして司令である碇ゲンドウと、副司令の冬月コウゾウ。
 それぞれがそれぞれに、碇シンジを含む三人に沈黙していた。
 特にマヤは脅えたように上司の陰から出て来ようとしない、やはり恐れているのだろう。
 長らく続いた無音状態、最初に負けたのは冬月であった。
「ふぅ」
 嘆息する。
「それで、遺体については」
「解剖の結果、E計画関連の神経接合技術が確認されました、技術レベルは二、漏洩の可能性はともかく、これを人体に対し行う為にはそれ相応の施設が必要になると」
「例えば、……支部かね」
「はい」
 リツコの断言に、さらに苦悩を深めやる。
「しかし渚君、襲撃を報告するにしても、他にやり方は無かったのかね?」
「と言いますと?」
「ATフィールドは自動的に感知され、マギに記録される事になる、これの隠蔽にはそれ相応の時間が必要になるのだよ」
 カヲルは笑みを深めた。
「僕はね、この程度の襲撃者にも対応できない怠慢を責めているんですよ、その程度は罰と思って諦めてもらいましょう」
「だがね、そのままにしておけば君の身は」
「それこそ問題有りませんよ、僕の『裏』の名前は特徴のある容姿と共に広く知られていますからね、使徒であるとの話しは箔が付きこそすれマイナスには働きません」
「強気ね」
「あなた方は多大に勘違いをしておられるようですけどね」
「なにを?」
「人は弱く脆い、人は誰しも分かり合おうとする、人は一人では生きては行けませんからね、寂しさを知る余り脅えから逃れる事が出来ない、だから寄り添って互いを暖め合おうとする」
「貴方は違うの?」
「僕もそうですよ?、でも僕にとって必要なのはシンジ君ただ一人だけですから、ね?、シンジ君」
 シンジはつつつっと寄って来たカヲルに、曖昧で引きつった笑みを浮かべた。
「もう!、シンちゃん嫌がってるじゃない」
「つれないねぇ」
 蹴り蹴りと遠ざけられながらやれやれと肩をすくめる。
「まあ、おふざけはともかく、僕達にとってあなた方の存在は騒音に等しい、ただのざわめきに過ぎないんですよ、無いと寂しいけれど耳障りでもある、多少減ってくれた方がありがたいくらいです」
「どう言う……、意味?」
 警戒するミサトに、割りと邪悪目に唇の端を釣り上げる。
「ここが人類の種を残すためのシェルターであると言うのなら、もっとより有能な種を選別するべきではありませんか?」
 ザッと血の引く音がした。
「マジなの?」
「もちろん」
 真顔で、それも嘲るように顎を上向けて言う。
「葛城さん、あなたが銃を向けてなお未だ生きていられるのは、シンジ君の好意に過ぎないとご理解下さい」
「!?、シンジ君の?」
 シンジは目で責めた。
「カヲル君……」
「ああ、ごめんよ」
「へぇんだ、嫌われたぁ」
 シンジの腕にくっつき、細かく蹴って遠ざける。
「でもシンちゃんも趣味悪いよねぇ、こんなおばさんいらないのに」
「仕方が無いさ、シンジ君は彼女に恩がある」
「恩?」
 カヲルは面白そうにした。
「秘密です」
「とにかく」
 こほんと咳。
「綾波さんが狙われた原因ははっきりしてるよ、参号機だ」
「なに?」
 ようやく口を開くゲンドウ。
「それは、どういう事だ」
「あれ?、知らないの?、米国の参号機さ、今急いで艤装してる」
「なんですって!?」
 喚いたのはリツコであった。
「そんな!、参号機の建造はまだ素体の培養にとりかかったばかりのはずよ!」
 シンジは失笑した。
「言ったでしょう?、僕達は情報を売り物にしてるって、本部のマギだけがハッキングの対象だと思ったの?」
「……事実なのだな」
「うん、でも適格者はそう簡単に見つかるもんじゃないからね、それなら可能性の高いパイロットを獲得したいってところなんじゃないの」
「でもそれじゃあ、造反じゃない!」
「うん、そんな予定でもあるんだろうね」
 シンジの言葉に、ミサトは息を呑んだ。
「なん……、ですって?」
「だから、反逆する意志はあるんだ、だって米国が日本にかしずいてるなんて図式、そうそう辛抱していられないだろうからね」
「そんな場合じゃないでしょ!」
「そうだね、けど日本には初号機がある、ドイツには正常に運用可能なエヴァが存在している、これ以上の遅れは許容できない、違う?」
 反論は出来るが、その考えを否定し切れる物でも無い。
「シンジ」
「なに?」
「何故レイを守る」
 シンジは薄く笑って、からかうような調子で告げた。
「カヲル君が言ったでしょう?、種を残すなら、選別されるべきさ、取り敢えずこの場で最も価値の在る人間は綾波だなって思ったから、守ることにしただけだよ」
「待って!」
 踵を返した三人を呼び止めてミサトは訊ねた。
「その価値って」
「……適格者、エヴァは造れる、作戦の指揮は誰にでも出来る、でもエヴァに乗れる人間は限られている、そうでしょう?、『ミサトさん』」
 今度こそ出て行く三人、レイだけはあっかんべーをしたまま後ろ向きに退出した。


(使徒、あの子が……)
 レイは一人布団の中で、纏まらぬ考えに悶え続けていた。
(使徒は倒さなければならない、何故?)
 そうしなければ、人類が滅びてしまうから。
(そう教えられていた、けれど、人類とは誰を指すの?)
 碇ゲンドウ、冬月コウゾウ、赤木リツコ、葛城ミサト……
(わたしを取り巻く人達、わたしの傍に居る人達、けれど)
 絆。
(あの人、渚カヲル、あの人は言っていた、集団、社会、わたしはそこへの繋がりを持っていないと、だって、わたしが信じているのは、碇司令だけだから)
 だが彼のネットワークは他人との『接点』に過ぎず『ライン』ではない。
(綾波レイ、わたしを姉と呼ぶあの子、碇シンジ、彼が言葉にしてくれた通り、暖めてくれる、温もりを与えてくれる、どうして?)
 答えは見つからないまでも……
(考えてはいけないのかもしれない)
 それがレイの出した結論だった。
(司令が話してくれるのは仕事のことばかり、わたしのことを気遣ってくれているようでも、本当は他の人のことを思っている、心がざわざわする、どうして?、今までこんな事は無かったのに)
 迷わされているから。
(わたしは……、それでもよかったの?、優しくしてもらえたから、でも、辛い……、その優しさは、わたしに……、わたしを、一体、誰に重ねているの?)
 心が震える。
(知りたくはなかった、いいえ、気付きたくなかったのね、わたし)
 レイは悲しみから逃れる為に、寝返りを打った。


 大人達を残して会議室を出ると、途端にレイはぷうっと拗ねてシンジを睨んだ。
「いけず」
「な、なに?」
「いけず」
 ふんっだとそっぽを向く。
「シンジ君が、綾波さんの価値をあんな風に説明するからさ」
「だからって、本当のことは言えないんだから仕方ないだろう?」
「いいもん、シンちゃんあたしが嫌いで嫌いでどうでもいいんだもん、シンちゃんが大事なのは適格者であたしじゃないんだもん」
「どうしろってのさ」
 レイは顎を引き、上目遣いになった。
「じゃあ好き?」
「え?」
「好き?」
 今度は指咥え。
 じっと待つ。
 答えるまで待つ。
 カヲルも指を咥えて待つ。
「って邪魔すんなぁ!」
「ああ!」
 どげしっと蹴られて壁に埋まる。
「酷いね、レイは」
「ぷいっだ」
 どうやら話しは流れたな、と、シンジは胸を撫で下ろして切り出した。
「それより、どうしようか、使徒」
「あんなもの、放っておいてもそう被害は無いと思うよ?」
「そうかな?」
「『接触』無しの『自爆』なんてそう大した物じゃないさ」
「そうそう、せいぜい街が一つ消えるくらいだから」
「そっか、それならリツコさんの言ってた、NN爆弾と攻撃衛星で倒しても被害は同じだもんな」
「そう言う事さ、位相空間なんてものは所詮空間現象に過ぎない、次元空列に衝撃を与えるほどの破壊力を集中させればなんとでもなるよ」
「それにぃ」
 んふふと楽しそうにレイは告げた。
「『あの子』がもうそろそろ着くんじゃないかな?」
「あの子?」
 レイは楽しそうにして、「秘密だよぉん」と笑ったのであった。


 カチャンと直通電話を切る。
「失敗、か」
「はい、どうやら余程優秀なガードが付いているようで」
「迂闊だったな、これまでの諜報戦の結果から実力を読み間違えていたか……、こうなるとこれまでの情報も」
「……ダミーの可能性を考慮する必要がありますな」
 −米国第一支部、統合作戦指令室−
 ミックは目元を揉みほぐした。
「同じネルフだからと甘く見ていたのが間違いだったか、我が国の特殊部隊の成功率を過信し過ぎたか……、どちらにせよ、素人との見方は変えねばならんな」
「どうなさいますか?」
「予定通り、適格者を候補の中から選ぶしかないだろう」
 やや投げやり気味な口調である、しかし。
 非常警戒警報。
「なんだ、使徒が動いたのか?」
「いいえ!、メキシコ湾を哨戒中の艦艇より入電です、正体不明の移動物体を海底に補足したと」
「どこの船か割り出せ!、こんな時に……」
「いえ、船ではないとの事です、時速六十ノット前後で進行中、大きさは……、六十メートルオーバー!?、マギは巨大生物である可能性を示唆しています!」
 一同愕然となった。
「馬鹿な!、そんな生物が……、まさか新たな使徒か?、使徒の同時強襲!?」
「ATフィールドは感知されておりません、判断は保留中」
 ミックはグレンに小声で訊ねた。
「どう思うね?」
「分かりませんが……」
 急遽表示された巨大生物の侵攻ルートに慄然とする。
「引き合っているのか、惹かれ合っているのか、合流しようとしているように見受けられますな」
 忌ま忌ましい。
 ミックはさらに顔を歪めた。


 ユカタン半島と言えば、ジャイアントキラーと呼ばれる巨大隕石の衝突した傷痕が見つかった事で有名である。
 と言ってもその場所は遥かな沖であるのだが。
 そこに何が眠っているのかは不明である、しかし死海を望むアラビア支部、エアーズロックを有するオーストラリア支部、そしてジオフロント内に建築されたネルフ総本部と比較しても、何かがあると疑わせるには十分な場所である。
 だが一つ、アメリカにとって非常に都合の悪い事があった、それはその場所がセカンドインパクトの混乱期に、メキシコに確保されてしまった事である。
 米国第一支部がニューオリンズに据えられた点には、その様な背景が存在していた。
 ゴゥと水を掻き分けて身をくねらせる、その動作は何処か使徒に似ていなくも無い。
 だが形状は明らかに違っている、その姿は巨人というよりも爬虫類のそれだ、尻尾まである。
 スケールさえ除けば非常にイグアナに酷似していた。
 メキシコ湾、海底一千メートルの水域を、そんな正体不明の巨獣が、ニューオリンズの使徒を目指すかの様に泳ぎ渡っていると言うのだ。
「うるせぇぞ、ばっか野郎!」
 桟橋の先で釣り糸を垂らしていた老人は、空を飛ぶ戦闘機に向かって拳を振り上げた。
「けっ、怪獣がなんだってんだ、あんなもんセカンドインパクトに比べりゃあ……」
 その怪獣がセカンドインパクトを引き起こす要因であると知れば逃げたのだろうか?、逃げたのかもしれない。
 だがそれと関係無く、老人は逃げる事になる、何故なら。
「な、なんだ?」
 海が盛り上がっていく。
「う、う、あ!」
 脅えるように後ずさり、駆け出す、桟橋は波に飲まれて崩壊した、老人は間一髪の所で、防波堤の向こうへと逃亡に成功していた。
 降りかかる波飛沫にもまれながら振り返る。
「なんだぁ!」
 ザァッと波を掻き分けて、暗い緑色の小山が姿を顕した、禍々しい、林の様に生え揃った突起、瘤、それは背鰭であった。
 続いて重い頭をもたげ上げる、僅かに開いた顎の凶悪な牙の隙間から、塩水が滝のように流れ落ちていた。
 上半身を立たせると、そのまま倒れ、前足で防波堤に踏ん張った、まだ下半身は水の中だが、それでも巨大さは圧倒的だ。
 ネルフへの報告では六十メートルとなっていたが、冗談ではない、明らかに百メートルはある。
 四つ足でズルズルと這いずり上陸する、腹で大地を削り瓦礫を辺りに誕生させた。
 一度溜めるように息を止め、そして『奴』は雄叫びを上げた。
『ボォオオオオオオ!』
 そうとしか聞こえない吠え声だった、余りにも内部の熱量が高いのか、先日の初号機同様に息は炎となって空を焦がした、建物を吹き飛ばした。
「あ、ああ……」
 釣り師の老人は、その様にある海の伝説を思い出していた。
 遠く東洋では、海から現われる悪魔のごとき神話の竜をこう呼んでいると言う。
『GODZILLA』
 彼は畏怖と共に、目前を過ぎていく巨獣に対して、その名前を呟いていた。


「馬鹿な!」
 流石にミックも、取り乱した様子を見せてしまっていた。
「ゴジラ?、ゴジラだと!?、そんな生物が居るはずがあるまい!」
「ですが、現実です」
「どうしてそう落ち着いていられる!」
「ゴジラであろうと、使徒であろうと、不可解極まりない存在である事には代わりありませんから」
 ミックはその返答に憮然として座り直した。
「それで、ゴジラの様子は!」
「はい、使徒に対して……、あ、待って下さい、使徒が活動を再開しました、これは……、ゴジラです、ゴジラに向かっています!」
 ミックは手のひらで顔を被った。
「実況中継ではないんだぞ」
「申しわけ在りません、テレビ局から彼女を引き抜いたのはわたしでして」
 一方、使徒と巨獣は数十キロの距離を僅かな時間で詰めていた。
 お互いの邂逅は街外れ、郊外の丘になった。
 対峙したのは一瞬だった、巨獣の咆哮が戦闘開始の合図になった。
 使徒の怪光線が巨獣の背の肉を吹き飛ばす、吠え起き上がる獣。
 そのまま前に倒れる勢いを速度に変えて踊りかかった、ATフィールドは……、何故だか展開されなかった。
「何故だ!?」
 答えられる者は居ない、その間にも巨獣は使徒の肩口にかぶりついて、肉を引きちぎり咀嚼していた。
 ドンと衝撃、使徒左腕の剣が巨獣の脇腹を背に向かって刺し貫いた音だった。
 暴れ、悶えながら使徒を突き飛ばし、そのまま身を翻すようにして尻尾を振るう、直撃、使徒は軽く一キロ近く宙を舞った。
 ずしんと落ちて大地を噴き上げる。
「これは、常識を疑いますな……」
「まったくだ」
 倒れた使徒に追いすがる巨獣、その様は肉食の捕食獣を思わせる、恐竜そのものだ。
 一歩ごとに地面が爆ぜるように噴き上がる。
「しかし、何故怪獣は、使徒を」
「いえ、使徒もです、惹かれ合っているように感じるのは間違いなのでしょうか?」
 起き上がろうとする使徒を踏み付け、巨獣はにぃと目を細めた。
 僅かに体を持ち上げ、目を輝かせようとする使徒、させじと巨獣はその仮面にかぶりついた。
「使徒を、食ってる……」
 仮面に見えたのだが、実際にはかなりの弾力があったようだ、ゴム以上に伸びる顔、それでも巨獣の顎の前には些細な抵抗に過ぎなかった、ブチブチと引きちぎれていく。
 仮面を、最初に噛み食った肩口を、腕はしゃぶるようにして、巨獣はがつがつと食らい尽くしていく。
「うっ、げ……」
 指令室の中では、口元を押さえてえずく声が幾つも発せられていた、無理もなかろう、使徒は未だ生きているのだ、断末魔の痙攣を起こしてはいても。
 周囲を哨戒中の機体からは、憎いほど鮮明な映像が送られて来ている、使徒の内腑まで見えるような。
 気持ち悪さは堪え難い。
「NN爆弾だ」
「は?」
「見ている場合ではない、使徒はともかく、あの巨獣までもがATフィールドを備えているわけではあるまい」
「……もっともですな」
 グレンは溜め息交じりに言った。
「まともに喋れる人間は居ないようですな、わたしが直接指揮します」
「頼む」


 その五分後、ネルフ総本部総司令執務室で、がちゃりと受話器を下ろす音が鳴った。


「碇、米国支部はNN爆弾の使用を決断したそうだ」
「そうか」
「使徒の焼却には成功、怪獣には逃げられたそうだがな」
「怪獣か……」
 さしものゲンドウにも、言葉に疲れが見えていた。
「ところで、そちらはどうだった?」
「まあ、老人方には良い薬だろう、記述に無いことも起こるさ」
「……少々、逸脱しているとは思わんのかね?」
「いや、記述されていなかっただけのことだ、シナリオを変更する必要も無い、我々は予定通り、襲来する使徒に対していればいい」
「そうか」
 あっさりと放り投げて将棋板を取り出す。
「で、参号機はどうする?、放置しておくわけにはいかんだろう」
「シンジを使う」
 冬月は目を丸くした。
「シンジ君をか?」
「ああ……、シンジについては不明瞭な点が多過ぎる、雇うことにした」
「実力を計る、か?」
「そうだ、米国は老人の意向から離れた行動が目立ち過ぎる、そう言って委員会には納得させた」
「接収か……、応じなかった場合には?」
「米国支部の占拠だ」
「三人でかね?」
「いや、レイの護衛に一人残して行くと言っていた」
「全く、付き合い切れないものがあるな、このシナリオには」
「ああ」
 珍しく同意したのは、あるいは焦りの現われだったのかもしれない。



続く



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作を元に創作したお話です。