戦とは万事を持って望む物であり、それだけに高揚する意気は留まる所を知らず昂ぶっていく。
 故にこれが不発に終わった時には、感情は行き場を失い人の中でくすぶり続ける不発弾と化す、平常心を失わせ、心の均衡を揺らし、発露を極端にしていく。
 彼らにとってそれは邪推として発現していた。
「本部からの提案か」
「はい、先日の使徒の件もあるとのことで、早急に参号機を運用段階にまで引き上げろと、……またサードチルドレンについての確認もあるとのことです」
 ミックとグレンだ、二人の間にはシンジについての書類が投げ出されていた。
「エヴァは素体において何ら変わる物では無く、制御機構に多少の差違が見られるのみ、故に暴走事故の原因はエヴァそのものよりもサードにあると、信じられるかね?」
「さて?、しかしあの初号機を起動せしめたパイロットであることは事実です」
「……スパイである可能性は?」
「所詮は子供です、と言いたい所ですが」
「何か問題が?」
「名前に問題があります、碇シンジ」
「碇か……、総司令のご子息なのだな」
「はい、彼に『もしも』『万が一』の事があった場合には」
「どのような難癖を付けられるか分からんか」
「出来る限り丁重にもてなし、お帰り頂くのが妥当かと」
「参号機を土産に付けてか?」
 グレンは答えられずに黙りこくった。
 参号機は手持ちのカードの中でも重要過ぎる一枚なのだ、そうそう手放すわけにはいかない。
「……まあ、判断は参号機完成の後で良かろう、どれ程エヴァが驚異であろうと、起動もしていないのではただの玩具に過ぎんのだからな」
 結局ミックは、そう結論付けて、先延ばしにした。


NeonGenesisEvangelion act.5
『さあ……』


 ザァ……
 波を掻き分けて船が進む、軍船だ、その形状はどこか装甲車を思わせるフォルムをしている。
 海上自衛隊所属ステルス強襲巡洋艦、『おとぎ』、戦艦にも匹敵する火器を搭載された特務船であり、その性能ゆえに建造が認められたのはたった一艦のみである。
 太平洋中域、現状では姿を隠すことなく通常動力による推進を行い、盛大に存在をアピールしていた。
 機関部の排気熱は衛星からでも実に良く捉えられる事だろう。
 船体表面を覆っている素材は絶縁用のシリコンである、その下に塗装面があり、これは流される電流の種類によって色のパターンを変化させる。
 戦闘時、隠密行動時にはもちろん迷彩色を取る、現在はネルフの御用達と言う事で白一色に染めている。
 サイドには赤い葉のマークを浮かべていた。
 そのような素性の船である、甲板は人が立つような作りをしていない、だがどうしてもやってみたかったのだろう、少女が一人、船首で両腕を大きく広げていた。
 見せるほどでも無い胸を張り、青い髪をなびかせる、その髪形ゆえにめったに見える事のない耳が見えていた。
 白い少年用セーラーが風にはたびく、二十世紀ではかなり有名になった映画のワンシーンを真似ているのだろう、何の映画かは今更言うまでもないことだ。
 彼女は胸元に吊るしていた青いひし形のペンダントを握るとこう呟いた。
「わたしは、あなたを許さない」
 ……誰に向かっての台詞なのだろうか?、いや、それ以前に幾つか余計な作品を足してしまっているようである。
 一方、同一の甲板上後方数十メートルの位置には、赤と白のパラソルが咲いていた。
 強引に通信用アンテナに括り付けている、さぞかしブリッジではノイズに難儀している事だろう。
 日陰にはチェアを置き、シンジがのんびりと読書に耽っていた。
「しかし良いのですか?」
「何がですか?」
「あの子、危なくはありませんかな?」
 自分の末っ子よりも幼い少年に、この艦の長は丁寧に忠告した。
 一応模範的な制服を着ているものの、やはりこのような愚行に付き合うだけの神経の持ち主である、手には扇子が揺れていた。
 全力航行中の船の上の風は並み大抵のものではない、吹き飛ばされそうな程だ、事実レイ、シンジ、そしてこの艦長と髪は吹かれっぱなし、パラソルも飛ばされそうになっている、ならなんのための扇子なのだろうか?、ただの恰好付けが正解に思えた。
「まあ、好きにさせてやって下さい」
 シンジは苦笑して付け足した。
「……その方が静かですから」
 ぺらりとページをめくる、目も上げない辺り、本当にそう思っているようだ。
「しかしてっきり、空路で向かうと思いましたが?」
 その方が速いのだ、当たり前だろう。
「すみません、空は苦手で……」
「ほう?」
「空と言うよりも飛行機なんですけどね、昔ちょっと……、落とされまして」
「空から?」
「レシプロ機でしたけどね、ベトナムの上を飛んでいた時にエンジンを片方撃ち落とされまして、でも不時着するにも下は密林、もうだめかと思いましたよ」
「ですが助かっている」
「はい、川を見付けましてね、幅は胴体部ほどしか無かったんですが、他に真っ直ぐに開けている部分なんか無かったから、強行着陸ですよ、羽は折れて持っていかれるし、川底の汚泥が良いクッションになってくれて、でも二度とは御免ですよ」
 艦長は笑った。
「しかし船でも絶対安全とは言えますまい、船底に穴が空けば、エンジンが壊れることもある、沈没なら死ぬ事も出来ますが、漂流となると希望があるだけに覚悟も決められません」
 シンジは本を閉じた。
「生きる物の足掻きですか」
「はい」
「まるで今の現状ですね」
「使徒ですか?」
「ええ、ですが使徒そのものはそう大した問題ではないでしょう?、それはアメリカでの使徒戦が証明してくれましたよ」
 恐ろしい、と言う艦長だ。
「確かにあの様な生物が何処にでも現われるようでは問題でしょうな」
「迎撃都市はまだ良いですよ、ですが世界にはシェルターさえ備えていない国や街もある、UNは?」
「それはそちらの方が詳しいのでは?」
 シンジは薄く笑った、どうでも良いのかもしれないが、対等であるよりはむしろ艦長側がシンジを敬っているようだ。
「そうですねぇ……、何の役にも立たない国連と特務機関、いつまで世論を押さえておくことができるんでしょうか」
「ネルフは既に世間に認知されております、この上対応が遅れるようでは、最低限査察団の受け入れはやむを得ませんな」
「査察団か……」
「問題が?」
「大有りですよ、誰が信じますか?、その査察団のことを」
 艦長も吹き出した。
「査察団が何処の人間で構成されるかでしょうな」
「妥当な所では?」
「ま、金で動く連中でしょう、黙っていて欲しければ賄賂を寄越せ、渡さない時は何を隠しているのかと騒ぎ立てる」
「となると余計に問題だな……」
「ええ、どこぞの組織の人間で構成されるでしょうな」
「僕に出来る事は?」
「私設軍隊の創設……」
「はい?」
「あなたの資金があれば国を買い取ることは可能です、その後に軍国家を宣言し、法的整備を整えます」
「国民と他国が納得すると思う?」
「させるのですよ、あなた方の科学力と技術力があれば可能でしょう、わたしが気付いていないとお思いですか?」
 かつんと踵で艦を叩く。
「この船の意図的な欠陥、設計段階でのミス、巧妙に隠蔽された欠損を」
 薄く笑うシンジだ。
「良くお分かりですね」
「うちの技術者は総出でこれを修正しようとしましたがね、結局は糸口さえも掴めていない」
「当然でしょう、ネルフの科学力でも『現物』を解析するのがやっとで、例え『それ』が手元にあったとしても複製は不可能でしょうから」
「その様な物を出し惜しみなさっているのは?」
「答えは簡単ですよ、コストが安過ぎるんです、例え軍隊としての体裁を整えたとしても戦闘機一機分の経費が掛かるかどうか、維持費はもっと安く付きます、そんなものを渡せますか?、自衛隊に、いえ、ネルフに」
 納得する。
「確かに、これ以上の強化は驚異ですからな」
「ネルフがどうなろうと知った事ではありませんが、それに伴う犠牲者はなるべく少なくしたいと言うのが僕の考えです」
 はてと首を傾げた。
「あなたが他人の心配を?」
「もちろんしますよ?、ですが他人というのは間違っていますね、僕が心配しているのはたった一握りの人間ですよ」
「……それも、ネルフの膝元に居る?」
「居ない人間の方が多いんですけどね、こちらは僕が居なくても問題有りませんから」
 その言葉は艦長を驚かせた。
「それは……、とてつもない方々のようだ」
「そうですね、僕なんて足元にも及びませんよ、使徒ごときが問題でないのは、あの人達が動かない事で証明に換えられるくらいですから」
 ほうと驚き。
「では他に問題が?」
「とりあえずは、エヴァンゲリオンかな?」
「それもあなたの手の内では?」
「それがそうでもなくて……」
 苦笑い。
「重要なのは僕達以外にも扱えると言うことですよ、……人間は鍛える事で仙人にもなれますが、では仙人と同じ力を発するボディに容易に精神を憑依させる事が可能になっているとしたらどうしますか?」
「それがエヴァンゲリオンですか」
「はい、いつしかそれは自分の力であり、体であり、そしてそのものでもあると誤解、錯覚していきます、その中には神経接合に基づく精神への侵食、融合もあるんです、……あまりにゆっくりとした物なので気付きませんけどね」
 シンジは誰の事を思い出したのか、一人勝手に苦笑した。
「フィードバックによる弊害はまだ誰も気付いていません、気付いていたとしても無視されるでしょうしね」
「戦自がエヴァの機密を握る可能性は?」
「僕達が防ぎます、エヴァは世間に出ない方が良いから、誰もが持ちたがるようになるとろくなことにならないから」


 静寂は騒音と同義である、どちらも外界との接続を断たせる効果があるからだ。
 静寂は不安から、騒音は苛立ちから自分の中へと閉じ篭めさせる。
 自己に浸って、穏やかな時に己が身を漂わせる、それは彼女にとって至福を意味する時間であった。
 綾波レイ。
 彼女は孤独を愛する少女であった、それは腕と目を怪我して入院していると言うのに、一向に読書を止めない事からも良く分かる。
「ふんふんふんふん♪」
 それだけにこれは耳障りな上に邪魔で邪魔で鬱陶しくて仕方が無かった、例えどれ程素晴らしく奏でようとも鼻歌は鼻歌だ、レイは恨めしげに、窓際で頬杖を突き景色を眺めている少年を睨みやった。
「歌は良いねぇ」
 その視線を感じ取ったのか、そっぽを向いたままで答えるカヲル。
「歌はリリンの生んだ文化の極みだよ、そうは思わないかい?」
 本に目を落す。
「君にとっては、本が友達のようだねぇ」
 今度はカヲルに戻す。
「何故、ここに居るの?」
「シンジ君に頼まれたからさ」
「頼まれた?、何を」
「君を護ってくれってね」
 怪訝そうにする。
「何故?、ここは保安部によって……」
「その保安部が当てにならないからだよ、何しろさっき、君が眠っている間にもお客さんが来たくらいだからねぇ」
 残忍な笑みを浮かべる。
「丁重にお帰り願ったよ、女の子にとって睡眠は何物にも替え難い至高の時間だそうだから、と、これは君の言葉でもあるんだけどね?」
「わたしの?」
「君は本当に幸せそうに眠るからねぇ」
「そう……」
 頬を染めるレイを優しく見つめる。
「本当なら、この役目は君かシンジ君に任せたい所なんだけどね」
「あの二人は……」
「司令の命令でね、今は太平洋の上さ、何しろあの二人は言葉通りの一心同体だからねぇ、どちらかが残ると言うわけにはいかないんだよ、消去法で僕が騎士役を任命されてしまったと言うわけさ」


 いつの間にか『君』と混同される事に慣れてしまっているレイがいる、首を傾げそうになったのはシンジとレイが一心同体であると口にされたからだが、結局は他人事であると意識するのを止めてしまった。
「そう……、わたしは、狙われているのね」
 結局、告げたのはそれだけだった。
「そうだね」
「何故?」
 カヲルは答えた。
「それはエヴァンゲリオンのパイロットだからだよ、適格者について多少なりとも情報が欲しいんだろうね、取り敢えず確認が取れただけでも組織の数は十を越えたよ、第三新東京市が完成し、正常に稼動していれば防げたことかもしれないけどね」
 楽しげに言う。
「本来、エヴァは第三新東京市が完成した後に公開される予定だった、その時には情報管理も徹底できただろうからね、ところが使徒は来てしまった、街は大損害を受け復旧の見通しは立たず、本部は半壊、これじゃあ幾ら頑張ったって防ぎ様が無いだろうねぇ、マギによる監視装置も、物理的に途切れたままさ、全力で修復作業を進めてるけど、いつ終わる事やら」
 肩をすくめる。
「情報も盗み放題さ、これには必要以上に罪悪感を感じてしまっているみたいでね、気にしているんだよ、シンジ君が」
「あの人が?」
「初号機をもっと上手く扱えていたら、君を危険な目に会わせないですんだからさ」
「……分からない」
「分からない?」
「わたしはエヴァに乗るためにここに居るもの、そのためだけに……、なのにあの二人はわたしに心を教えようとする、大事に守ろうとする、何故?、エヴァに乗ることは危険、ならわたしをエヴァからも遠ざけようと言うの?、わたしにはエヴァだけなのに」
 カヲルは苦笑した。
「君にとってエヴァはなんだい?」
「……絆」
「みんなとの?」
「だから必要とされているもの」
 ふむと言う。
「君がエヴァに乗りたいと言うなら乗ればいいさ、僕もシンジ君も止めやしないよ、君にとってエヴァはもはや半身以上の存在だろうからね」
 それはシンジが語っていた内容と符合する。
「使徒との戦いに充実感が得たいのならそれも良い、体を癒す事が先決だけどね?」
 これは冗談っぽく告げた。
「僕達が守ろうとしているのは、もっと不愉快な物からさ」
「不愉快?」
「君はエヴァに乗りたいと言う、でも君をここから連れ去ろうとする人間が居る、君をエヴァから切り離そうとしているんだよ、君はそれを受け入れられるのかい?」
 首を振るレイに頷く。
「ならそれは君にとって不愉快さを感じさせる存在さ、僕達はそう言ったものから君を守るためにやって来た」
「わたしを?」
「そう、君自身の生き方にまで干渉するつもりは無いよ、ただ、死ぬ事だけは許さない」
 意外と強い口調にドキリとする。
「でも……」
「許さない」
「わたしが死んでも……」
「そんな事は関係無いさ」
 カヲルの姿にシンジが被る、幻影だろうか?
「君が死んだら、確かに、僕達は代わりを見つけるだけさ、代役を立てれば良い、けどね?、君はどうなんだい?」
「わたし?」
「そう、レイにいたずらされて、気持ち良かったんだろう?」
 さっと頬に朱が走る。
「あ、う……」
「また感じてみたいとは思わないのかい?、もっと感じてみたいとは……、ああ、そう言えばシンジ君にも優しくされたんだろう?」
 ますます赤くなるレイに微笑む。
「そう、それを感じられるのは君自身だ、君だけなんだよ?、他の誰かじゃない、良いのかい?、皆が手にしている物を、自分も手に出来るようになったと言うのに、二度と感じられなくなったとしても」
「けれど」
「欲望を否定することは無いさ、それは生きるための活力だからね、人は生きるために活きるのさ、君が絆を求める理由はなんだい?」
「寂しい……」
「そう、寂しいからだよ、でもね?、寂しさは楽しさで紛らわせる事が出来るんだ」
「紛らわせる?」
「例えば音楽がある、僕のことを知らない、絆なんて全く無い、遥か昔に死んでしまった人が作った音楽がある、僕はこれがあるだけで幸せに浸ることができるんだ」
 カヲルはレイの本を見やった。
「君もだろう?、本があれば幸せで居られる、その瞬間、君は孤独なんじゃないのかい?、誰とも接点を持たずに、自分の世界に閉じ篭ってしまっているんだから」
 その通りだ。
「なら、君は絆なんて無くてもたった一人で生きて行けるはずだ、他人との関わり合いなんて最小限で済ませられるはずだ、人に媚びて、捨てられないように脅えるよりも、依存心を断ち切って、自分の世界を構築した方が、より楽しく生きられるとは思わないかい?」
 にこりと、カヲルはようやくいつもの顔に戻った。
「それを知ろうとするのも、拒絶し、現状にこだわるのも君の自由だよ、好きにすればいいさ、だからって僕達は君を見捨てたりしないよ?、君の望む世界を、君が歩んでいけるように手伝ってあげるだけからね」
 レイは相槌も打たなかった、色々な考えが交錯したからだが。
 結局その思索は中断される事になる何故なら。
「非常警戒警報?」
「そうだね」
 騒がしい音が響き渡ったためであった。


「サードチルドレン不在の最中に第四の使徒襲来?」
「思ったより早かったわね」
 苛立たしげなミサトに溜め息を吐くリツコである。
「前は十五年のブランク、次は数日後、その次は一週間近い間、間隔が短くなってるわけではないわ」
「このまま広がって欲しいところだけと、で」
 ミサトは指令塔を見上げた。
「司令と副司令、何やってるの?」
「ああ、マンガをね、読んでるのよ」
「はぁ?」
「シンジ君達がね、載ってるらしいの、超能力者って事で取材を受けた事があったって言ってじゃない?」
 ミサトは首を傾げた。
「ムーってマンガ誌だっけ?」
「いいえ、今読んでるのは過去三年分の少年マガジンよ」
「MMR?」
「そう言う事」
「なんでそんなメジャー誌で分からなかったのよ!」
「サンデー派だからじゃないの?、諜報部の人間が」
 さて、その話題の二人であるが。
「どうするね」
「レイを使う」
「レイをか?、しかし零号機、初号機ともに批難は避けられんぞ」
「だが放置すれば取り返しのつかない事になる」
「使徒は倒さねばならん、か……」
 お互い雑誌に目を通しながらの会話である、足元は積み上げられた本で埋まっていた。
「ところで碇」
「なんだ」
「まだか?」
「後少しだ」
「早くしろ」
「分かっていますよ、冬月先生」
 ミサトは思わず頭を抱えてしゃがみ込んでいた。
「緊張感が無いのか、洒落になんないわよ」
「……わたし達に残された希望はレイだけね」
「いけるの?、怪我の調子は?」
「大分良くなってるわ、レイにしては回復も順調よ」
「看病の効果かしらね」
「精神的なケアによる治癒能力の向上は科学的に証明されているわ、感謝しないとね」
「……レイにとってシンジ君達は、そう恐ろしい存在じゃないって事か、零号機は?」
「再起動の許可は下りていないの、初号機をレイに書き換えるわ」
「あの初号機を、レイに?」
「ええ、暴走しても暴れるだけなら、電源の供給を止める事で対処できるもの」
「シンジ君の時のように動き続けるって事は無いのね?」
「……」
「ちょっとぉ!」
「大丈夫よ、……多分」
 甚だ心許ないお言葉である。
「ますます洒落になんない状況ね」
 もっともだった。


 ハートマークを逆さにした形の頭に、昆虫系の腹を取り付けた形。
 それが第四使徒の外形であった。
 古生代まで遡れば似たような生き物を見つけることができるだろう。
「で、あなたの意見は?」
 ミサトは車椅子を押して来たカヲルに問いかけた、勿論座らされているのは綾波レイだ、包帯は外されているが、眼帯だけは付けていた。
「僕に意見を聞きますか?」
「ええ」
「特にはありませんが?」
「何故?」
「……使徒殲滅はあなた方の仕事であって僕には関係ないからですよ、ここへのパスカードは頂きましたが、僕はネルフに所属しているわけではありませんからね」
「でも無理にレイを扱えば怒るんじゃないの?」
「それはそうですよ、僕とってもとても大切な人ですからね」
 その台詞に数人が顔をしかめる。
「勝手な言い草ね……」
「ならあなたは守る人もいないのにこんな事を?」
 ぐっと詰まるミサトだ。
 カヲルは嘲りつつ続けた。
「人類を守る大事な仕事と言う割りには、守るべき物を具体的に持っていない、見付けてもいない、あなた方は本当に不可解極まりない人間ですねぇ」
「それがあなたにとっては、レイだというのね?」
「いいえ?、僕にとって気になるのはシンジ君だけですよ、そのシンジ君が存在を認めたから僕も大切にすることにした」
「だから……、戦闘は認めると言うの?」
「綾波さんが自分で決めた事なら仕方が無いでしょう?、シンジ君だって止めませんよ、それで?、初号機を結局使用すると?」
「ええ」
 カヲルは微笑んだ。
「人類の守護神となるか、起動に成功すればシンジ君は必要なくなる、興味を持って見届けさせて頂きますよ」


「第一種戦闘用意!」
 ミサトの号令一下、発令所は慌ただしく動き始めた。
『第三新東京市、戦闘形態へ移行します』
『兵装ビル対空迎撃システム、稼働率六パーセントを割っています』
「無いよりマシよ、レイの様子は?」
「若干緊張気味」
「事故の後遺症?」
「思い出しているのかもしれないわね」
「暴走を?、投薬はよしてよ、安定剤は感覚を殺すわ」
「分かってる、でも起動のボーダーを越えるのが最優先じゃないの?」
「綾波レイ」
 一同を差し置いて、実に力のある声で呼び掛けたのはカヲルであった。
 皆の中心、ミサトのやや後方でポケットに両手を入れてリラックスしている。
「君は、欲望を知ってるかい?」
『欲望?』
「そう、レイに抱かれたいんだろう?、もう一度」
 なっ!?、と周囲から驚きの声が上げられた、が無視をする。
「種明かしを一つして上げよう、僕達の超能力、ここではATフィールドと呼ばれたそれだけどね?、僕達はこの力を使って直接人の心に溶け合わさる事が出来るんだ」
『心……』
「そう、君はレイを信じたね?、今も絶対の信頼を置いている、まだそれほど言葉を重ねたわけでも無いのに、それは何故なんだい?」
『知って……、いるから』
「そう、君はもう知っている、あの子がどれ程君を想っているか、君は『犯された』ことで知ってしまった、精神への直接の侵食は暴力的である一方で、それ程の快楽を与える事が可能なのさ」
『欲望、心、快楽……』
「あの子は君が頑張った事を知れば、きっと喜んでくれるんじゃないかな?」
 にこりと微笑み、カヲルは相手をマヤに変えた。
「どうですか?」
「え?、あっ、心拍数上昇中ですが許容範囲内です、精神波長、安定、揺れが無くなりました」
 カヲルに見られて、はっと我に返るミサトだ。
「あ、リツコ!」
「ええ、第一次接続開始!」
「A10神経接続問題無し、初期コンタクト終了、双方向回線開きます」
「……凄いわ」
 リツコは呻いた。
「シンクロ誤差が0.1%以内に収まってる、シンクロ率六十%、零号機よりも安定するなんて」
「発進準備!」
 そんな慌ただしさの中、ゲンドウと冬月はまだマンガを読んでいた。
「碇」
「ああ……」
「女の子同士と言うのは、不健全過ぎやしないかね?」
「かもしれませんが」
 ゲンドウは本を閉じ、溜め息交じりに口にした。
「ユイも似たような所がありましたから」
 妙に悟り切った口調で言う。
 正面を見る、主モニターの中ではもう、初号機がビルの谷間に第一歩を踏み出していた。


「これが、エヴァンゲリオン……」
 レイは少しばかりの感慨を抱きつつ、その第一歩を歩ませた。
 まるで自分の体のように感じる、いや、足の裏には実際に大地を踏む感触が確かにしていた。
「この感じ……、包まれるような感じ、匂い、心が落ち着く、安らいでいく……、あなた誰?」
 レイは目を細めて焦点をぼやけさせた。
 すると電化し、透明になっているはずのLCLの色がうっすらと見えた、その揺らぎに人の形が見て取れる。
 女の人だろうか?、集中すると、よりはっきり、くっきりと形が分かった。
「お母……、さん?」
『レイ!、来るわよ』
 ミサトの声に正気に返る。
「武器を……、!?」
 咄嗟に両腕を組み合わさせる、その中央を光る鞭の様な物で叩かれた。
「きゃあ!」
 跳ね飛ばされ、ビルにしたたか背中を打ち付ける初号機。
 フィードバックがレイの背骨を軋ませた。
『レイ!、来るわ、逃げて!』
 言葉通り勘だけで転がり避ける、身代わりになったビルは鞭によって叩き潰されるのではなく、寸斬されていた。
「前足?」
 腹の下、いや首の根元か?、にあった節足の先端が光を発して鞭状の紐を生成していた。
『リツコ!』
『第三使徒の剣と同じ物よ、基本的にはね』
『でも速度が違い過ぎる!』
「くっ」
 鞭を振るうためにはしならせる必要がある、そのほんの僅かな間を命綱にしてレイは逃げ回っていた。
『レイ!、掩護射撃を行うから一旦離れて!』
『レイ、何をやっているんだい?』
 レイはミサトよりもカヲルの声に反応した。
「なに?」
『生き物は高等になるほど内包するエネルギー質量は大きくなる、その程度の存在に慌てふためている様では、生物としての順列において下等と罵られる事になってしまうよ?』
「下等……、下等生物?」
『そう、ところで僕は何度も告げたね?、君は綾波レイ自身であると』
「ええ……」
『なら使えると思わないかい?、同じ力が』
「同じ?」
『ATフィールドだよ』
 ガタンと音。
 ゲンドウが立ち上がった音だった、が、カヲルは無視したようだ。
『君はもう知っているはずだ、何しろ『君』から全てを与えられた訳だからね?、包み隠さず全てを晒して、けれど君は君自身を保つために、それを他者の情報として認識しようとしていない』
「どうすれば、いいの……」
『受け入れればいい、ただそれだけさ』
「受け入れる……」
『君が君でなくなる必要は無い、けれど拒絶することも無いだろう?、他人を理解しようとしないで壁を作ってしまうなんて悲しい事さ、君は君のままで良い、ただ『知れ』ば良い』
 そして爆弾を落とす。
『ATフィールドは心の壁だよ、誰もが持っている生き物の力さ』
「力……」
『そしてエネルギーでもあるんだよ、不純物の多い氷は溶け易い、でも密度の詰まった固い氷は、そうそう溶ける物じゃない、存在と言う名のエネルギーは心と同じさ、漠然としていては散漫に浪費されてしまうけど、凝縮された時には恐ろしいほど強固になって、自分の力だけで存在し続ける事が可能になる、これも話したはずだね?、人間は孤独であっても自分を強く持っていれば生きていくことは可能だと』
 そしてと続ける。
『心は汲んでも尽きない源泉なんだよ、無限に溢れ出す想い、この莫大なエネルギー源を使わない手はないと思わないかい?』
『じゃあ!』
 喚くリツコ。
『シンジ君のあれは、初号機は!、シンジ君の心だなんて曖昧な物で動いていたと言うの!?』
『曖昧……、でも厳然たる魂の力ですよ、そう、使徒やエヴァンゲリオンと同じ、ね、第一、それを言うなら何故人間は生きて動いているんですか?、食物を摂取し、体内で燃やす事で動いている?、確かにそうでしょうね、けれどなら心は何処から発生するのでしょうか?、喜び、悲しみ、怒り、憂いなどと言った『感情』は?、人、生物が一つのエネルギー体であることは今更言うまでもないでしょう?、なら無限に湧き出る感情と言う名の力を物質に昇華するほどの純転換を起こしてエヴァンゲリオンに供給する事も可能なはずです、いや、事実シンジ君が実践している』
『そんな!』
『もっともシンジ君自身は気が付いていませんが、僕は言いましたよね?、僕達ではシンジ君を取り押さえることは出来ないと……、彼は莫大なエネルギーを内包し、常に抑えています、初号機での初戦闘後、手加減したと口にしていましたが、僕の見るところ、よく初号機は持ちましたよ』
『初号機が?』
 長々とした話しは中断される。
『レイ!』
 レイは小さく、細かく、くり返し呟いていた。
「あなた誰、あなた誰、あなた誰……」
 初号機をゆっくりと立ち上がらせる。
『レイ?』
 怪訝そうな声を無視して集中する。
 先程見えていた人の姿が、具体的な形に整って行く、それはもう一人の、あの綾波レイだった。
「あ……」
 抱きついて来る、頬を擦り合わせるように、つい甘えるように艶のある声を発してしまう。
 直後。
『ウルゥオオオオオオオオオン!』
 初号機が吠えた。


「あれは……」
 ミサト、リツコが唖然とする横で、一人カヲルはニヤリと笑っていた。
 額部ジョイントを外し、顎を限界にまで開きあけて雄叫びを上げる初号機、その肩パーツと幾つかの装甲が内部から発されたエネルギーによって吹き飛んだ。
「拘束具が!」
「拘束具!?」
「そうよ、あれは装甲板ではないの、エヴァ本来の力を抑え込むための拘束具なのよ」
「シンジ君の時でさえそんな事にはならなかったのに?」
「シンジ君とでは差がありますからねぇ」
「渚君……」
「自分と言う物を上手く表現できない、感情を溢れさせる事に慣れていない彼女は、ただ内なる想いを、秘めていた物をさらけ出す事しか知らない、力の限りに」
「その現われだというの?、あれが!」
 オペレータが悲鳴を上げる。
「初号機のATフィールドを肉眼で確認!、凄い……、使徒の攻撃を受け付けません!」
 鞭を全て弾き返している、使徒もエヴァ本体から壁に標的を代えて打ち据え出した。
「だけど武器が無い!」
「いえ、彼女には翼がありますから」
 カヲルの言葉の終わりと共に、初号機の背中にまたもや光の翼が広がった。
「あれは……、違う?」
 だがシンジの時のようなものではなく、もっと柔らかな丸みを帯びている、前回が邪悪な竜の翼であったなら、まるで天使の如き美しさを見せつけていた。
 身を捻る初号機、そのまま翼を振るうように体を回す。
「!?」
 翼の軌道上にあった物が、ビルが、使徒が、大地が。
 鋭角に寸断された。
 建造物が切れ目に沿って滑り落ちていく、使徒の鞭よりも切れ味は良かったらしい。
 使徒もだ、胴を残して頭が落ちる、噴水のように吹き出した血が辺り一面に降り注いだ。
 やがて勢いを失い、どぷどぷと零れ落ちる、その血は大地の切れ目に流れ込んでいった。
「凄い……」
 初号機は背筋を伸ばし、やや顎を引き気味に真っ直ぐに立った、その目で使徒を見つめている。
 背中の翼と共に相まって、どこか雄々しいものを感じさせる態度に感じられた。
 翼が集束し、消えて行く、その直後にがくんと揺れて体を折った。
「どうしたの!」
「心配ありませんよ」
「渚君?」
「気が抜けただけですよ、電源からの供給が再開されれば自力で戻って来れるでしょう、もっとも」
 とパイロットを映し出している画面を見やる。
「気が付いたら、の話しですけどね」
 画面の中のレイは、中々穏やかな表情をして眠っていた。


「どうしたの?」
 −同時刻、太平洋洋上−
 かすかに大陸が見え始めている、レイは星空の下で、遠く、日本の方角を見やって微笑んでいた。
「ううん、なんでもない」
 寄り添い立つシンジに組み付く。
「ああ、綾波?」
「うん、お姉ちゃんが目覚めたみたい」
 シンジの背は自分とさほど変わらない、そのため甘えるにはバランスが悪いのだが気にしていないようだ。
「綾波レイの覚醒と解放……、解放には至ってないかな?」
「でも魂はしがらみから抜け出したから、後は時間の問題よ、人には命の力がある、生きて行こうとする力がある、意志がそのまま力になる、イメージが、想像する力が、自分達の未来を、時の流れを作り出していくの、流れを思う様に導いていくの、自分自身の意志で動かなければ、望む未来は手に入れられない、描くのは自分だから、人任せに塗り込められていくだけなんて、とても生きているとは言えないもの」
 いつもの調子ではなく、大人びた声で言う。
「生きて行こうとさえ思えば何処だって天国になる、天国に出来るけど、でもただ重ねているだけの毎日からじゃ、手に入れられる物なんて何も無いわ」
「そうだね、これからはきっと毎日の積み重ねを大事にしていくと思うよ?」
「うん、でもお姉ちゃんが辿り着く天国って何処なのかな?」
「とりあえず友達と居る事の楽しさでも教えて上げると良いよ」
「あ〜あ、明日は米国支部かぁ、こんな時に日本に居られないなんてざぁんねん」
「日本に帰れるのは早くても一週間後だよ、暫くはカヲル君に任せよう」
 瞬間、激烈に嫌そうな顔をするレイである。
「やっぱり早く帰んなくっちゃ」
 苦笑するしかないシンジであった。



続く



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作を元に創作したお話です。