「○○のくせに!」
 肺腑をえぐる言葉。
「こっちくんなよ、○○○○!」
 ありきたりな苛めの響き。
「あいつの父さん、ヒトゴロシなんだぜ?」
 だが込められている悪意は明確で。
「親が親なら、子も子よね」
 幼い頭でも、理解は出来て。
「旦那さんが実験台にして、見殺しにしたって」
 −あ、えぐ、あ!−
 少年はまだ、我慢する方法すら知らず……
 そんな泣いている姿もまた、嘲りの対象になるのだと気付くには若く……
 心が擦り切れていく。
 いつしか何も感じなくなるのだろう。
 我慢すればいいと。
 どうせ誰も救ってはくれないのだと。
 諦め。
 見切りを付けて。
 世間を捨てていくのだろう。
 捨てられる前に。
 だが。
「うるっさーい!」
 そうなる前に、救いの手が差し伸べられた。
「ソコのガキ!」
 ビシッと指差したのは中学生の女の子だった。
「通勤電車で中学生のケツ触りまくって訴えられそうになって金払ってごまかして、それでむかついたからって会社でセクハラ迫って首寸前になってる親持ちの癖に偉そうにしてるんじゃなーい!」
 怒られた少年は脅えた、言葉にではなく、周囲の目にだ。
 青い髪の少女の言葉に、馬鹿にしていた子供と同じように見られたからだ。
「ソコのおばさんも!」
 またも指差す。
「クラブに通い詰めて借金作りまくって首回らなくなって家の権利書持って銀行に金借りに行ってる分際でよく馬鹿にしてるわね!」
 もちろん、それだけではやめたりしない。
「そことそことそこ!、小学生と援交して毎月十万小遣いやっててよく言うわ!、そこもぉ!、専務にいびられたからって部下ぁ苛めて胃潰瘍にして病院送り込んどいて良く言うわ!、そっちの医者は使用済みの医療器具の不法投棄頼んで業者にウイルス感染させてるそうじゃない?、さぁて、他にばらして欲しい人は居るのかなぁ?」
 どうしてそんな事を知っているのか、ではなく、余りに具体的過ぎる情報に皆は脅えた。
 それだけ後ろ暗い事があるのだろう。
 後ろに足を引いて、潮が引くように去っていく。
 やがて残されたのは、すんっ、すんっと鼻をすする寂しい音だけ。
 そんな彼をふわりと背後から抱きすくめたのは、とても白い腕だった。
「男の子は泣かないものだよ?」
 抱き挙げたのは、これまた中学生程度の少年だった。
 白い髪に赤い瞳。
「あーーー!、カヲル、ずっるーい!」
 いいないいなと、指を咥えて周囲を回る。
「僕はカヲル、渚カヲル、この子はレイ」
「綾波レイって言うの、よろしくね?」
 そう言って、むちゅっと涙で濡れてる頬にキスをする。
「うわっ、しょっぱい!」
 それでも少年は泣き止まない。
 カヲルの腕の中でしゃくり続けていた。
 必死に涙を、くり返し拭って。
 余りにも痛ましい姿に、カヲルの顔に憐憫が浮かぶ。
「……人は一人では生きられない、人は寂しがり屋だからね?、だから僕達はここに来た」
「そう!、これからはずっと一緒だからね?」
 ぐしぐしと頭を撫でるレイに少年は泣き顔を上げた。
 誰?、とか、本当?、とか、何も考えられなかったし。
 猜疑心が強かったから、信じられなかったから。
 だから、ただ見ただけだった。
 目を向けただけだった。
「今の家、好き?」
 レイの言葉に、またしゃくりあげてしまう。
「今のお父さんとお母さん、好き?」
 −本当のお父さんじゃない!−
 預けられただけ、でも心の何処かでは分かっていたのかもしれない。
 自分はもう、捨てられたのだと。
 おじさんとおばさん、先生と呼ばれているこの偉い人が、新しい父と母なのだと。
「そんのポイしちゃおう、ポイっ!」
 っと両手で何かを捨てる。
「辛いから苦しいと感じる、寂しいから悲しいと感じる……、君には、新しい家族が必要だ」
 そう言って、カヲルはシンジに微笑みを与えた。
 それは泣く事も忘れて魅入るほどに素敵なもので……
『とぉ!』
 その後、他にも何か話したような気がするのだが。
 −ゴス!−
 思い出す前に、……痛かった。


NeonGenesisEvangelion act.6
『碇シンジと言う少年』


「…………」
 ベッドの上で悶絶するシンジ、その隣でレイは、「あ、あれぇ?」などと後頭部を掻きながら笑って護魔化していた。
「ごめぇん、痛かった?」
「……」
「ちょっち鳩尾に入っちゃったかも、え?、肘じゃなくて膝が股間に入った?、ありゃりゃあ」
 こういう時、シンジは思うのだ。
(やっぱり男と女って違う生き物なんだ)
 永遠に分かり合う事など無いのだと、分かち合えないのだから、この激痛は。
「で、なに……」
 シンジは涙目で喘ぎながら訊ねた。
「うん、もうすぐ接岸するから、そろそろ降りる用意してって」
「着いたの?」
「そっ!、アメリカよん、アメリカ!」
「アメリカかぁ……」
 ベッドと言っても軍船のベッドだ、ソファーでもこれよりは柔らかいだろうという程に固い。
 遠慮する必要も無いだろうと、シーツが汚れること承知で、シンジは着替えもせずに眠っていた。
 カッターシャツはもうよれよれのしわしわだ、アンダーシャツとパンツは交換しているにしても、いい加減、限界である、潮風はそれ程に繊維を痛める。
「やっと陸に上がれるのかぁ」
「洗濯したいんでしょ?」
「洗濯よりお風呂に浸かりたいよ」
 きゅぴーんと光る目。
「あ、一緒に入る?」
「……やめとく」
「えーーー?、どうしてぇ」
 ぶっとむくれる。
「前は背中流してくれたのにぃ!、お母さん悲しい!」
「誰がお母さんだよ!、大体、僕もう幾つだと思ってるんだよ」
「一昨年まで一緒に入ってたじゃなぁい、これだからもう、精通後の男の子ってのは」
 げんなりとする。
「そう言う生々しい言い方やめてよね、それに、レイとはもう入んないって決めたの、恥ずかしいんだよ、いつまでもさ」
 そう言って先に部屋を出るシンジに、レイは背中でキシシと笑った。
「おっとなぶっちゃってまぁ、思春期ってのはやっかいよねぇ」
 後ろに手を組んでとんとんっと跳ねるように後を追う。
 いや、お追うとしたのだが、接岸の震動に床が揺れて、その一歩目で滑ってこけた。
 −ごちん!−


「ぐっっっっっどもーにんっぐ、アメリカ!」
 舳先に立って両腕を広げて胸を張る。
 力一杯なので掌はぐーだ。
 少々、後頭部のたんこぶが目立つが、恥ずかしさは既に頂点である、おかしさを増すチャームポイントとしては物足りなかった。
「それじゃ、ご苦労様でした」
 シンジは先に桟橋に降りて、艦長と固い握手を交わしていた。
「何かしら手が必要な時はお呼び下さい、個人的にであれば力をお貸ししましょう」
 そう言ってくれる艦長に頭を下げる。
「感謝します」
「いえいえ」
 シンジは挨拶が長くなる前にさっと踵を返した。
 艦長もだ、船に戻りつつ船員に檄を飛ばし始める、お互い無駄に時間を掛けるつもりはないらしい。
 桟橋をフェンス越しに進んでいくと検問所がある。
 シンジはそこでバー越しにやり取りをしている三人を確認した。
 こちら側に居るのはおとぎの副艦長だ、書類を確認している。
 向こう側にネルフの制服を着た、やたらとごつい男が二人居た、どうやら出迎えらしいのだが。
「サードチルドレン、碇シンジ殿ですね?、お迎えに参りました」
「ありがとうございます」
 シンジはバーが上がるのを待ってから外に出た。
 副艦長へは挨拶すらしない、副艦長もまた無視をしていた、いや、シンジが外に出た途端書類を脇に挟んで船に戻り出した。
 今だ敬礼している二人に微笑む。
「それでは行きましょうか」
「はっ!」
 待機していたのは護衛車と言うよりは護送車に近いバスだった。
 窓も金網によって守られていた。
「まるで囚人扱いですね……」
「安全確保のため、とご理解下さい」
 シンジは答えず乗り込んだ。
 ご丁寧に運転席と後部は区切られていた、左右向かい合う形で三人がけのシートが備え付けられている。
 中には既に二人が待機していた、運転席と助手席の人間と合わせて四人、一緒に乗り込んだ二人で六人にもなる、護衛にしても大袈裟だろう。
 シンジが右側の真ん中に座ったからか、一人は向かいに、残りの一人はシンジの隣、出口側に陣取った。
 ゆっくりとバスは走り出す、ただ、どこか車内の雰囲気は、危険なものが漂っていた。


 ある日、ある町にロボットのお友達がやって来ました。
 屋根程もある大きな背丈のロボットに、子供達はみんな大はしゃぎです。
 背中に上ったり、肩に乗せてもらったり。
 大人達もその優しいロボットに沢山のお願いをしました。
 屋根を直して欲しい。
 樽を運んで欲しい。
 犬の散歩まで頼みました。
 喜ぶ犬の紐を握って、てくてくと歩くだけで子供達は自然と集まり、すぐにお祭りに騒ぎになってしまいます。
 そんなある日のこと。
 台風が町にやって来ました。
 屋根を飛ばされたり、家が倒れたりと大変です。
 町の人達はみんな、頑丈な作りをしている教会に避難しました。
 と、子供が言います。
 −ロボットは?−
 ロボットは遅れてやって来ました、逃げ遅れた犬を連れて。
 −ありがとう−
 女の子の感謝を受けると、ロボットはまた嵐の中へと戻ろうとします。
 −もういいから!−
 大人達も引き止めます、でもロボットは聞きません。
 どうしてでしょうか?
 働かなければロボットとして意味が無いからです。
 役に立つからこそ喜んで頂けるのです。
 誰がそんな風に命じたのでしょうか?
 作った人でしょうか?
 ロボットは結局、夜通し台風と戦い続け、翌朝には壊れて転がっている所を発見されました。
 丘の上の木の傍で。
 木の上には小鳥の巣がありました。
 ロボットが風避けになってくれたのでしょう、巣は無事でした。
「このお話の教訓はね」
 とカヲルは本を閉じた。
「みんなロボットに、ありがとうと感謝の気持ちを抱いていたってところにあるのさ、ロボットは機械でも人形でもなく、お友達だった」
「お友達……」
「そう、人というのは身勝手な物でね、便利に使える相手を選んで親切にする、寂しい関係じゃないかい?」
 頷くかどうか迷ったように見えた。
「このロボットはね、自分の存在意義を知らしめるためだけに生きて死んだのさ、それを放棄した時に自分の存在価値は、存在している理由はなくなってしまうからね、機械は動かなくなったら用無しさ」
 レイは悲しげに睫毛を震わせた。
「まるで、わたし……」
「そうだね、でも君は機械と言うよりも人形だった、可愛いお人形だった、汚れて、飽きて、持ち主がある日唐突に卒業すると決めて捨ててしまう、そんな玩具の一種類だった」
 言葉を容赦無く叩きつける。
 ネルフ……、ではない、ここは綾波レイの自宅だ。
 ベッドに並んで腰かけているレイとカヲル。
 外からは淡く、涼しい風が吹き込んで来る、だが二人の纏っている雰囲気を和らげるには至ってはいなかった。
「君は……、本当は感じているんだろう?、碇ゲンドウ、彼は君を見ているわけじゃない、彼は君に、誰かの面影を重ねているのだと」
 カヲルは立ち上がった。
 ギシリとベッドのバネがレイを押し上げる、一人分、隣に沈んでいた、温もりがあった、それらが消える、喪失感。
「そう、誰も君に……、僕達に制約を課す事は出来ない、僕達は自由だからね」
「自由……」
「でも人は孤独を嫌う生き物だ、人と仲良くなるために生き、拘束される事を喜ぶ、矛盾に満ちた生き物さ、何かに縛られるということは縛る誰かが居ると言う事だ、誰かが居るというのならそれは孤独ではないと言うことになる、例え心を刻み合う結果になったとしても、ね?」
 カヲルは玄関に向かった。
「僕達は君に自由を与えた、寂しいのなら僕の所においで?、共にシンジ君を待とう、その間、僕達は同じ目的を持つ友達になる」
「友達……」
「そしてシンジ君が帰って来たら……、そうだね、今度はみんなで君を拘束してあげよう、仲間と言う、絆でね」
『ああ』
 レイはぞくりと腰から背筋を這い上がる何かを感じた。
 それは快感だった。
 仲間、絆、その間にあるのは裏切らないと言う誓約、縛り上げられ、行動を規制し、自由を無くしたとしても、余りある喜びがそこにはある、見えていた。
「でも」
 安易に輪の中に飛び込もうとするレイに忠告を放つ。
「君はこれまで、碇ゲンドウにそれを求めて来た」
 ビクリと……
 伸ばそうとした手の先に震えが走った。
「そこには感謝すべき物もあるかもしれない、僕達はシンジ君次第であの人の敵にも味方にもなるだろう、今はどちらかと言えないけれど」
 肩越しに口元の笑みだけを見せる。
「一時の気の迷いや、感情で物事を決めてしまっては、後で必ず後悔する事になる、あの時の選択は、とね?、そうならないように良く考えてみるといいよ、そう、まだ今しばらくの間は時間があるから」
 そして軋む音の鳴る戸を開いて退出していく。
 レイは……、暫く俯いていたが、顔を上げると、ベッドの足元にある整理箪笥に目を向けた。
 その上には男物の、歪んで割れた、一つの眼鏡が飾られていた。


 アメリカにおけるセカンドインパクトの後の数年は、まさにこの世の地獄であった。
 何故にそれ程不安なのだろうか?、銃に麻薬、普段は気にしないようにしているからこそ、何かをきっかけに抑圧されていた恐怖心が首をもたげてしまうのかもしれない。
 自己防衛と言うが、それは言い換えてみれば自分の身を常に守り続けねばならないほど、日常的に恐怖が潜んでいると言うことだ。
 セカンドインパクトの直度、それは一度に爆発した。
 それまでも地震や火災などの度に暴動や略奪は起こっていた、しかし、この時のものはレベルが違った。
 最初は家族のためだったかもしれない、自衛のためだったのかもしれない。
 しかし最終的には、身を守るためには先手をとの行動が加熱を招いて、この銃社会において弾丸が、いや、火薬が金よりも高い値打ちを示してしまった。
 鉱山はセカンドインパクトによって埋まり、工場は略奪によって焼け落ち、そして奪われた弾はさらに物を奪うために浪費され、ついには全ての銃弾が撃ち尽くされた。
 そう。
 全てだ。
 億、あるいは兆でも足りないほどの銃弾が飛び交い、この暴動を治める為に、街ごと焼き払われた程である。
 この時に使用されたNN爆弾こそが、世界初のノーニュークリア兵器であった。
 場所はそう、アメリカ、ネバダ州。
 現在はネルフ第二支部が鎮座している場所である。
 傷痕を隠すためにその地が選ばれたのか、あるいは支部を造るためにさら地にしたのか。
 そう憶測させる物がもう一つだけあった。
(出資、か)
 シンジは読んでいる冊子のページをめくった。
 国家と住民、民衆あってこその国家、だがその国は己を守るために自浄作用として白血球を使用したのだ。
 ガン細胞がこれ以上転移しないように。
 効果は絶大であった、この強攻策に各地の暴動は収まり、自治を主張した州も合衆国への復帰を望んだ、いや、望まざるを得なかった。
 十五年経った今、それを悪行と罵る者は少ない、それほど誰もが取り憑かれたような状態に反省を抱いていたからだ。
 正気に戻してくれた事への感謝はある、ただ、それから以降が問題だった。
 傷口が深過ぎた、労働者は圧倒的に足りず、それ以上に生き残った会社は少なかった。
 はっきりと言ってしまえば社会を復興させるために必要な最低限の基盤さえ失われてしまっていた。
 このどさくさに紛れて国連経由で後のネルフとなるゲヒルンが土地を買い叩き、研究所を建設したのだ。
 大量の資金の流入と労働場所の提供、これを合衆国は拒否出来なかった、この時に鬱積した感情が、今、余計な反骨心となってアメリカにある二つの支部を突き動かしているのかもしれない。
(強引過ぎるんだよな)
 ちなみにシンジが読んでいる本のタイトルは、『ネルフ第一、第二支部の軌跡』となっている。
 著者は『レイちゃんハート』だ。
「さてと」
 シンジは顔を上げると、窓から外の景色を眺めた。
 先の様な理由もあってか、アメリカの住人は基本的に土地持ちである。
 余りに余っているのだ、住む者が……、いなくなって。
 故に余程の中心地に向かわない限り、郊外のような風景が続く事になる、はずなのだが……
 どうしてだろうか?、街から外れていく、両側共に林と言うよりも森だ、挟まれているのではなく森の中に道を通したのだろう。
 そんな道路を高速で進んでいく、明らかに第一支部とは違う所へ向かっていた。
 本を後ろポケットにごそごそと入れ、シンジはポツリと『英語』で呟いた。
`軍隊の敬礼って、同じように見えてちょっと違うんですよね´
 雰囲気が変わる。
「手首の角度からして、シールズの方ですか?」
 今度は日本語で訊ねてみた。
「理解があると、助かる」
 答えたのは隣の男だった、隊長格なのだろう。
「そうですね、どうしましょうか」
 あっ、とシンジはわざとらしく口にして、右のポケットの中をごそごそと探った。
「あの、これ、アメリカに行ったら渡しておいてくれって頼まれたんです」
「なんだね」
「頭髪です」
 密封された十センチ四方の袋の中に、数十本の頭髪が入っていた、色々な色が混在している。
「二十四人分だったかな?」
「これを、我々に?」
「ええ、そちらの工作員の方々のですから」
 空気が冷えた。
「なんだと?」
「ですから、入隊時に遺伝子登録してるんでしょう?、これがあればもう帰って来ないんだって分かるじゃないですか」
「貴様!」
 −よせ!−
 正面の男を止めようとしたのだろうが、遅かった。
「がぁ!」
 シュルリと走った熱と痛みに負けて、伸ばした腕を引こうとする。
 誰にも何が起こったのか分からなかった。
 腕が……、手首より少し内側から、肩先に掛けてまでが輪切りになってバラリと飛んだのだ、三つ四つに別れて、どさりと落ちる。
「暴れるな!、押さえろ!」
 噴き出す鮮血がばしばしと男達の顔を叩いた。
 そうは言っても、だ、痛みと無くなった腕に男は半狂乱になって喚いた、体を振り回した。
「貴様!」
 −よさないか!−
 さらに一人が銃を抜いた、が、結果から言えばこれも間違いであった。
 向けた銃口から銃が正中線に沿って切れた、ホールドした指も飛んだ、グリップを握っていた拳と腕もおろされた。
「うわぁあああああ!」
 腕がいきなり軽くなったのだ、焦りもしよう、外側がぺしゃんと足元に落ちた。
 残された骨と張り付いている筋肉、神経が、動く度に激痛を伴って剥がれていく。
 泣きながら必死で押さえようとする、しかし指が無い、切られた腕の方もぷらぷらと揺れて止め置けない。
「あ〜あ」
 突然の少女の声にギョッとする。
「怒らせちゃった」
 シンジが座らなかった……、そう、一番奥の席に、青い髪の少女が忽然と姿を現わしていた。
 足を持ち上げて三角形を作り、腿とふくらはぎの間に腕を通して抱いている。
 その膝頭に頬を乗っけて、レイはくすくすと笑っていた。


 ライオンと言う生き物が居る。
 百獣の王と呼ばれているが、実は雌に食わせてもらう怠け者であるし、そうそう無意味に牙を剥くことも無い。
 ほとんどの時間をのんびりと過ごしている、実に猛獣と言うには程遠い存在である。
 碇シンジ。
 彼が何をしたのかは分からない。
 だが皆は直感していた。
 彼が、何かをしたのだと。
 恐怖に引きつる、心臓が爆発しそうになる。
 ここは檻だ、それも檻を作ったのは自分達だ、いや。
 わざわざ獣を招き入れてしまったのだ。
 獣と過ごすには、それなりに守らなければならない事がある。
 暴力を振るってはいけないのだ。
 例え脅されようとも。
 そして今もまた、温和に対応していれば良かったと言うのに。
 後悔が走ったが遅過ぎた。
 しかし、どうしてそんな風に、冷静に物事を分析していられたのだろうか?
 それは彼女が居るためだろう、シンジの隣で、まるでリビングで恋人にでも甘えるように、くすくすと笑っている青い髪の少女が。
「専守防衛って知ってる?」
 膝に頬を乗せ、首を曲げたままで彼女は教えた。
「そりゃ大義名分って意味じゃ、先に手が出した方が悪いよね?、でも国なんて団体じゃなくて、自分一人しか居ないんじゃあね、先に手を出されたら、そこでもう終わっちゃうじゃない?」
「だから」
 シンジが引き継ぐ。
「これが妥協点ですよ、手を出さなければ」
 そこから先を口にする必要は無いだろう。
 先に手を出したのは彼ら軍人だ。
 シンジは後から手を出している、例え、結果的に先に手が届いたとしても。
 ……しかしだ。
 一体誰がそんな理屈で納得などを出来るだろう?
 大量出血のショック症状が始まっているらしい、傷を負った二人は痙攣し始めていた。
 真ん中で支えているのは一人反応出来なかった男である、だが、それが結果的に命を救ったと言っても過言ではないだろう。
 その一方で、違う対応で命拾いしたのは隊長格の男であった。
 鋭過ぎる鋭敏な神経で何かを嗅ぎ取ってしまったのだろう、仲裁に回った事で傷つかずに済んだのだが、しかしそれも不幸ではある。
 自分より強いと分かっていて、どうして向かい合わねばならないのだろうか?
 ごくりと喉を鳴らしてしまう、最も戦闘力が残っている自分を、この獣は一番警戒していると感じたからだ。
「名乗るのが……、まだだったな」
 だから、彼は緊張の緩和を試みた。
「海軍特殊部隊、シールのパッド大佐だ」
「大佐自ら……、この作戦は、ネルフとは共同で?」
「いや、我々は正規に協力を受けている」
「正規に……、ああ、その部隊は何者かによって壊滅してるって筋書きですか、すり変わられてしまっていたと、冴えないシナリオですねぇ」
 パッドは何故こうまで自分が緊張してしまっているかに気が付いた。
 彼が……、シンジが、血の一滴も被っていなかったからだ。
 この狭い中、二人の男性が死の恐怖に暴れ回り、血をばらまいたというのに、染み一つない。
(そんなことがあるのか!?)
 頬を汗が……、いや、目に血が染みる。
 それに……
(この女)
 少女、ではない、パッドには女に見えるらしい。
 彼ほどになると、その見かけに騙されはしないのだろう。
 噴き出す妖気を凄まじく感じて体が強ばる。
「どうします?」
 パッドはシンジの声に我に返った。
「このまま、表向きの任務に戻って下さるなら、何も問題ありませんが」
『死者二名』、それを護魔化すぐらいは自分達で請け負ってもいいだろう、と考えてさらに気が付く。
(どうして……)
 これだけの騒ぎを起こしていると言うのに、運転席の二人はまるで気が付かないのだろうか?
 計画通りに、安全な運転を続けている、それがまた恐怖を煽った、隔絶されてしまったのかと、結界によって閉じ込められてしまったのかと。
 遠い、五メートルと無いのにこの騒ぎに気が付いてくれないのだ、叫んだ所で無駄だろう。
「しかし、彼らにそれを納得させるのは……」
 この状況を見れば間違いなく銃を抜くだろう。
 そしてこれもまた間違いなく、死体が二つ増えるのだ、その危惧を読み取ったのか、シンジは苦笑気味に微笑んだ。
「正直な人ですね、では」
 キン、と何かが聞こえた。
「勝手に逃亡しますので」
 ゆっくりと離れていく、床と壁と天井に隙間が埋まれる、次の瞬間。
 −ズシン!、ズズズズズ!−
 前後に離れて片方は尻餅を付き、片方は蹴つまずいたようにバランスを崩した、特に後部は酷かった、切断された部分が傾き落ちたためにブレーキを掛けるような具合で路面を削ってしまったのだ。
 横転し、横滑りし、道路脇の木に激突してひん曲がった。
「シンちゃん!」
 シンジはレイの声に合わせて跳び下りた。
 ふわりとクッションのようなものに受け止められる、シンジは不可視のクッションから体を起こすと、百メートルほど後方で無残な姿を晒しているボックスに同情の目を向けた。
「生きてるかな、パッドさん」
「ま、大丈夫っしょ」
 その後ろにトンと立つレイ。
 跳び下りたわけでも無いのに、どうやって、いつ外に出ていたのか全くの不明だ。
 またも轟音、バランスを崩して前輪側も横転したのだろう、二人とも見ようともしなかったが。
「で」
 レイはくるりと前に回ってニカッと笑った。
「感謝の気持ちは?」
 んっと頬柄を突き出して、指でちょんちょんと指し示す。
 シンジは苦笑してキスしようとした、すると。
 −バッ!−
 隙を突いてシンジの両頬を手で挟み、むぅううう!、っと唇を奪った揚げ句に、じゅるるるる!、っと品のない音を立てて、彼女は何か大事な物をシンジから奪い去ったのであった。


 −チン−
 電話を切る度に苦々しい、独特の顔をしているミックである。
「下の連中からだ、サードチルドレンが到着したらしい」
 その知らせにグレンは怪訝そうにした。
「ロストしたはずでは?」
「……誤報だそうだ」
「それは……、難儀な事で」
 サードチルドレンが到着後、正式書類を持った何者かによって拉致された事件は、既に本部に対して報告済みである。
 これに対する本部の回答は、十二時間後、状況に変化がないようであれば、と言うものだった。
 これを誤報とするのであれば、再報告は恥を告げるのと同じことだ。
「しかしまぁ、結果的にはサードの特異性を示した事になるか」
「たかが子供だとあなどれないと?」
「我が国の適格者候補にも格闘術や銃器の扱い方ぐらいは教えているのだろう?、増してやあの総司令のご子息だ、油断は出来んさ」
「そう言うものでしょうか?」
 グレンは盗撮したらしい車両の写真を剣呑に見つめた。
 車体が前後二つに寸断されている、この様なことを、それも内部から一体どの様にして?
 写真は偵察衛星からの撮影である、しかしだ、そこに写る少年は、ぼやけてはいるが遥か天空の衛星を見ているようには感じられないだろうか?
 それに。
「このサードチルドレンと共に写っている少女は」
「ファーストチルドレンに髪形は似ているが色までは、な、写真では確認できん」
「到着したのでは?」
「……サード一人だそうだ、ここから三十キロは離れた地点から、徒歩で一時間半」
「途中で別働隊に引き渡したのかと想像しておりましたが」
「ああ、一体どういう手を使ったのやら」
「それだけ普通ではないと言うことじゃよ」
 口を開きつつ入って来た老人に、二人は少々背筋を伸ばした。
「顧問殿、聞き耳とは感心しませんな」
「ならもう少しは壁を厚くしておけ」
 ゴンゴンと叩く、対戦車砲の直撃でも歪む程度の代物だ。
 決して薄いわけではない、もちろん、耳を当てたからと言って中の話しが聞こえるものでも決してない。
「あなたの『耳』でも聞こえぬほど厚くするとなると、予算が足りぬと思うのですが?」
 ふんと嘲り、老人はミックに譲られた支部長の席に腰かけた。
「アメリカ人はいつまでも頭が堅いのぉ、物質一辺倒で物事を片付ける癖は抜けんのか?」
 部が悪いと見て話題を変える。
「……サードチルドレンをご存じで?」
「おお、不肖の弟子と言う奴じゃ」
 ふぉふぉと笑う。
「弟子?、顧問の!?」
「と言っても相手をしてやったのは一週間ほどじゃがな、それでもぬしらに頼まれた肉達磨よりは教え甲斐があったわい」
「サードが、ですか……」
「うむ、一週間で叩き込めるだけ叩き込んでやったわ、それがここの連中とくれば基礎の基礎の反復練習で泣きを入れる」
 ミックは苦い顔をした、暗に体制を批難されたと感じだからだ。
 ボクシング、カラテ等の力の誇示に直結する派手な動きを好む欧米人にとって、どうも地味な基礎練習は性に合わないものらしい。
 元々大柄で運動能力に優れたボディを持つが故に、甘えた点があるのだろう。
 先日、シンジがエヴァについて述べたことと、さして大きな違いは無い。
 生まれながらに持たされた肉体の素晴らしさ故に、安易に楽な方へと流れていく癖が付いてしまっているのだ。
「ま、お主らではあのものの存在すら見抜けまいて」
「サード……、いや、同伴している少女のことですか?」
「さよう、綾波レイと言う、じゃがファーストチルドレンとは『別物』じゃ」
「別人であると?」
 別物、と、別人との表現の違いに一体どれほどの差があるのかは不明だが、老人は笑みを形作る事で目を細くした。
「ファーストチルドレン……、そのオーラが白であるとすればあの子は金だな」
「金?」
「何色でも無い、そう、輝きじゃ」
「……曖昧な」
「故に儂ですら手が出せん、あの嬢ちゃんにはな」
「顧問が?」
「目に見える物が全てではないと言う事じゃな……、儂にはあれが本当の姿かどうかすら見破れん、目を細めればファーストチルドレンに見えるが、眼を開いて凝視すれば眩し過ぎて何やら分からん、まるで光の塊だ、そう、使徒もそうであったな」
「使徒が?」
「うむ、使徒とは光のような物で構成されておるのじゃろう?、ならば光で出来ていると言う点では同じではないかな?、今はその光を自ら抑えておるようじゃが……」
「何のために?」
「阿呆、ぬしらの力馬鹿に仕込んでやった隠形術を忘れたか?」
「あの少女が、同じことをしていると?」
 もしその馬鹿を片付けたのも彼女だと知ればどうしただろうか?
「じゃがあやつの数十倍は達者じゃ、……リモコンから飛ばされる赤外線の光はビデオカメラを通す事で確認出来る、視認しても認識出来ぬのならば、機械を通して画を見れば良い」
「技術部の偏光サングラスでも掛けさせましょう」
「そうすることじゃな」
 よっと言った感じで腰を上げる。
「では儂は出迎えに行くとしよう、ああとこれも忠告じゃ、幾らからかわれようとも、笑って済ませ、全てな」
 この老人は師であるからこそ知っていたのかもしれない。
 あるいは遠方をも見渡す千里眼でも備えているのか?
 シンジが害意を向ける相手には容赦の欠けらすらせぬ事を。
 そして。
「あ奴に『あの呪文』を唱えさせぬように、か、上の方々も苦労しておられる」
 そんな老人の脳裏には、俯き、顔を前髪で隠し、ぶつぶつとくり返し、『逃げちゃダメだ』と呟くシンジの姿が浮かび上がっていた。



続く



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作を元に創作したお話です。