日本ではそう珍しくない学生服も、ここ、アメリカに置いては異質過ぎる存在感が際立っていた。
 ネルフは一種の自治区でもある。
 広大な土地をフェンスで囲み、その奥まった場所に横に長い建物が存在していた、これが本部棟だろう。
 地上は二階建と低い、だが地下の広さはその限りではない。
 身の丈六十メートルの巨人を最低でも二機、格納出来るように建築されている筈なのだ、施設の主機能は全て地下にあるのだろう。
 土地のほとんどは戦闘機と車両の待機場として使用されていた、が、それでもやはり広々とした空間が目立つ。
「本部とは雰囲気違うなぁ……」
 スケールを大きくしたバスターミナルと言った趣がある。
 シンジは検問所を通してもらい、とぼとぼと建物に向かって歩いていた。
 広い、日本本部に比べれば大したことは無いとは言え、それでも一キロ以上は歩く事になるだろう。
 出迎えは無いが人影はある、訓練中なのだろうか?、男達が縦列を組んでランニングしていた。
 と、まるで取り囲むように、ぱらぱらとしていた少年少女が、まるで示し合わせたかのように動き始めた。
 だがシンジは止まらなかった、子供達も止まらない。
 その距離五メートルの地点で、ようやくシンジは足を止めた。
「……どいてくれる?」
 シンジはにこやかに話しかけた。
 先頭に立った少年はシンジより頭一つ分大きい体躯をしていた。
 それが余裕に繋がっているのか、気持ち悪くにやけている。
(適格者候補、か)
 他に、この様な場所に子供達が居る理由は無いだろう。
 もちろんシンジより小さく見える子も居れば、女の子だっている、先頭に立っている少年は標準ではない、むしろ特異なタイプらしい。
「サードチルドレン、か」
 へらっと彼は笑みを浮かべた、多分、同い年の筈なのだがそうは見えなかった。
「参号機開発のためだってな?、笑わせるぜ、起動させるどころか暴走させただけでよ、そんな奴が何の役に立つんだよ、なぁ?」
 その反応は大体次の四種に分けられた。
 まず同じ感想を抱いているのだろう、笑った者。
 その威光を当てにしているのだろう、卑屈に同調した者。
 あるいはまたかと呆れた者。
 そんな悪意ある態度に困った者。
 前者と後者はおおよそ男女に別けられたが、シンジの側に立とうとしない点で一致していた。
「さっさと帰れよ、ニッ!?」
 空間が歪んだ、二人の間で空気が膨張し、弾ける。
「かっ!?」
 その暴圧に一方は尻餅を突き、片方は浮かされて下げられた。
「やめんか」
 老人の声に子供達は背筋を伸ばした。
 ただ、彼はそうもいかなかったらしい。
「くっ、あ!」
 左腕を押さえている、筋が走り、血が流れ出していた、シンジの仕業だろう。
「老師様?」
「久しぶりじゃのぉ」
「何故ここに?」
 ふぉふぉと笑う。
「少しは加減してやれい、それでもこ奴らはお主の弟弟子じゃぞ?」
 シンジは目を丸くした。
「老師様が、弟子を?」
 あくまでもシンジは無視するつもりらしい。
「せ、先生!、そいつ!」
「騒ぐでないわ」
「で、でも、血が!」
「切れ味は鋭い、押さえておけば三日もあれば塞がろう、全く、反応も出来んとはな……、怪我が治り次第、倍は扱いてやるわ」
「先生」
 大柄な少女が前に出た。
 金の髪はアスカよりも長いだろう、ストレートではなく、自然なウェーブが掛かっていた。
「サードチルドレンを知っているのですか?」
「不肖の弟子じゃ、おお、忘れておったわ、出て来ては貰えんかのぉ?、久しぶりに目の保養をさせて貰いたいもんじゃ」
 何処を見ているかと思えばシンジの隣なのだが、外れていた。
 とんとんと肩を叩く指。
「こっちこっち」
「おお、そちらであったか」
 子供達はぎょっとした、突然、老師の背中から女の子が現われたからだ。
 突然出現したとしか見えなかっただろう、一方、老師はがっくりとしていた。
「なんじゃ、相変わらず成長しとらんのぉ」
「だったら触るのやめてくんないかなぁ?」
 いやんとお尻を触る老師に蹴りをくれる。
 ぐぼっと音。
「ふぉっふぉっふぉ、相変わらず手荒い嬢ちゃんじゃ」
 ちなみにこの蹴りで本部の保安部員は体を蹴り抜かれてしまっている。
 まともに食らって平然としているだけでも、この老師がただ者でないことが知れるだろう。
 端から見ただけでは分からないだろうが、老師は何でも無い事のように受け流して続けた。
「ホーリア、グリスの手当てをしてやれ、ぬしらは儂があないしよう、死人が出ては困るからな」
 シンジは苦笑して、素直に後に従った。


NeonGenesisEvangelion act.7
『余裕と強がりの、差』


「サードチルドレン、碇シンジ君だね?、到着早々の不手際をまずは謝ろう」
 と言いつつ頭も下げないミックに対して、シンジはにこやかに切り返した。
「『どちら』のことですか?」
 危うく素直に言いかけて止める。
「候補生達は血の気が多くてね、何せ平均的な青春と言うものを放棄させられている現状がある、参号機の正規パイロットが自分以外になるのではと、少々ナーバスになっているようだ」
「初号機があるのに?」
「零号機は凍結中だからな、で、そちらの方だが」
 ミックの視線にレイははにかんだ笑みを見せた。
「綾波=イエル=レイ=グラジュエル=二十八世です、これが本部発行のパスカード」
 赤い背表紙のカードを見せる。
「二十八世、と言うわりには聞かん姓だな」
「これでも二十代は続いた名家なんですけどねぇ」
「二十代?、前の八代は?」
「先祖が何処からか名前を買い取ったらしくって」
「ああ、なるほどね……」
 昔の貴族には良くある話である。
「さて……、シンジ君、君には遊びに来てもらったわけではないのでね、さっそく……、と行きたかったのだが」
「何か問題でも?」
「本部から参号機の暴走を懸念して、屋外での実験をと指示が来た、この準備のために今日は一日疲れを癒して欲しい」
「そういうことなら、分かりました」


 −エヴァンゲリオン参号機格納庫−
「これが……、参号機」
 シンジはコントロールボックスから見下ろして呟いた。
 巨人は本部と違って冷却液に浸されていた、LCLではない、水だ。
 ダイバースーツを着込んだ整備員が潜って、何やら色々と急がしそうにしていた。
「初号機に似てますね」
 シンジが抱いた感想はそれだった。
「零号機、弐号機には顎がないからのぉ」
「そう言うんじゃ……、ないんだけどな」
 本来はオペレーターが三人は詰めて、エヴァの調整に務めているはずのコントロールボックスなのだが、今はシンジと老師とレイの三人だけである。
「黒いのって嫌いだな、趣味じゃない」
「悪役っぽいもんねぇ」
 操作板の上に座って、けたけたと笑うレイである。
「こんなのがシンちゃんの乗機になるなんて冗談!、どうしてそういうこと考え付くかな」
「独善的じゃからじゃよ」
「子供達が?」
「誰もが、じゃな、どこかでヒーローに憧れておる、絶対至上主義、勧善懲悪、そのためにも善は善であり続けるために、決して負けぬ力を持たねばならん」
「そのためのエヴァか、それにしても」
 シンジはレイを見やって笑った。
「グラジュエル二十八世?」
「でまかせにしちゃ良い名前でしょ?」
「じゃあ、今日からイエルって呼んであげようか?」
「別に良いけどねぇ、名前なんて何でも良いんだから」
 老師は目を細めて言った。
「何でも、か、名前などお主を指し示す記号の一つでしか無いのじゃろうな……」
 不敵に笑ってレイは答える。
「一応、『ここ』での名前なんだけど?」
「……前から聞きたかったのじゃがな、お主、何者じゃ?」
「それは秘密ぅ、いま言っちゃうとつまんないからねぇ」
「ふっ、まあ良いわ……、それよりセカンドチルドレンの噂、聞いておるか?」
「噂?」
「うむ、弐号機を降りると言う話が出ておる」
「へぇ?」
 シンジは本当に驚いたようだ。
「アスカが……、降りるんだ、弐号機」
 ちょっとだけ……、数週間前のデートを思い出してしまったようだ。
 ……ドイツ支部は日本、アメリカとはまた違い、エヴァにも使用されている装甲板によって囲まれていた、いや、包まれていた。
 場所も郊外にあり、正面ゲートからの道は真っ直ぐ街に向かっていた。
 その時、シンジは道路脇の林の日陰で汗を拭いていた。
 ハンカチを仕舞い、今度は後ろポケットからペットボトルを取り出す。
「なにやってんのよ、あんた」
 その言葉にシンジは飲むのを止めた。
 顔を向けると、呆れた顔をした少女が、腰に手をやり立っていた。
 にこやかにはにかんで言う。
「誰か出て来ないかなって、待ってたんだ」
「ここで?」
「うん、多分誰か僕のことを知ってる人が出て来ると思ってね」
「そ」
 そっけなく言ってから考え込むようにした。
「で、誰か出て来たらどうするつもりだったの?」
「観光案内頼もうと思って」
「しようのない奴ぅ」
 そう言って少女は腕を掴んで引っ張った。
「ほら、来なさいよ」
「え?、いいの?」
「今日から休暇だし、付き合ったげるわ」
「そう?、悪いね」
「いいわよ、別に」
 不思議な事だが、少女はドイツ語ではなく日本語を操っていたし、少年もそれを当然と対応していた。
 二人以外には誰も居ないので、その不自然さに気付く者は居なかったが。
「それにしてもあんた、背ぇ、縮んだんじゃないの?」
「アスカだって、胸、小さくなったじゃないか」
「元に戻っただけよ!、これから膨らむんだから」
「それなら僕だって伸びるさ」
 話しの内容はともかく、その姿はただの少年と少女に見えた。
 その十数時間後、二人はあの古城の探検に出かけたのだが。
「セカンドチルドレンな」
 老師は続けた。
「ドイツでは再洗脳を考えておるそうじゃ」
「アスカに?」
 シンジの言葉に老人はやはりかと頷いた。
「知り合いと聞いたが?」
「って言うほどじゃありませんよ」
「何があった?」
「プライベートな事ですから」
「そうか……」
「それより、老師様」
「なんじゃ」
「本気であの程度で……、弟子にしたんですか?」
 ふぉっと苦い笑いが混じった。
「馴染みの知り合いの子がおってのぉ、不憫に思うてな」
「それで……、でも」
「分かっておる」
 深く頷く。
「あの者達には帰れる場所あるのじゃから、ある程度の甘えは仕方あるまい、全てを捨てて掛かっておるお主とは違う、パイロットになるという思いの他に、選ばれぬ可能性も抱いておるのじゃ、自然とやるべき事もおろそかになる」
「でもちょっと血が出ただけでさ、大袈裟なのぉ、みぃんな青い顔しちゃって」
「あ奴等はまだ『慣れ』ておらんでな、傷つく事には」
「そう言う問題ですか?」
「そうそう、シンちゃんの操糸術なんて基本中の基本じゃない、レベルが違うけど」
「ところがそうでもないと言う事じゃな」
「何が?」
「儂らは糸を使う時には気を通す、気とは修行の果てにようやく感じ、丹田を練る事で自在に操る事を覚えるものじゃ、しかしこの小僧はそれを本能でもって行っておる、呼吸法、と言ったか?、確かツェペリとか言う男が得意としていたな?」
 はぁはぁなるほどと頷くレイだ。
「順番が違うんだ」
「そうともよ、呼吸を整えるとはすなわち気の流れを制すると言う事じゃ、それが出来れば肉体の持つ本来のポテンシャルを限界にまで引き出す事も可能、傷を塞ぐ事も、物体に気を通わせて、己が手足とする事もな」
 レイはその説明に、にやついた顔をして突っ込んだ。
「『ポテンシャル』、だって、地が出てるよぉん」
「ほっ、いかんいかん、ついのぉ」
 老師は心持ち腰を曲げて老人ぶった。
「歳じゃと言う事を『忘れ掛けた』わ」
「ボケ?」
「お主こそ、いい加減歳を取ってはどうじゃ?」
「やだ」
「胸、少しは膨らむやも知れんぞ?」
「うっ」
 ちょっとくらっと来たらしい。
「い、いいもん!、シンちゃんはこのくらいが一番好きなんだモン!」
「誰もそんな事言ってないのに」
 げっそりとするシンジに老師は笑った。
「まあ、参号機は任せる、その力を示されれば、目標として皆精進しよう」
 余り慰めにはなっていなかった。


 その日、子供達は複雑な夜を過ごしていた。
 ホーリア、あの大柄の少女だ。
 彼女は二段ベッドの上の段で、両腕を頭の下敷きにし、味気ない天井を見つめていた。
「サードチルドレン、か」
「起きてるの?」
「起こした?」
「ううん、起きてた」
 ホーリアよりも幼い声だった。
「ねぇ、聞いた?、初号機の噂」
「噂?」
 ホーリアは驚きから下の段を覗いた。
 栗毛の、日本髪の女の子が不安げにしていた。
 おかっぱに近いのだが、もう少し長い、それに髪質のせいだろう、少しだけ膨らんで見える。
「うん、教官達が話してたの、本部を半壊させた初号機、本当は暴走なんかしてなかったって」
「なにそれ?、その話、本当なの?」
「わかんない、けど初号機はサードチルドレンのコントロール下にあったって、……整備班の人達もそれで徹夜してるみたい、テストタイプって言っても基本的には同じだからって」
「ここでも……、暴走するって言うの?」
「かもしれないって」
「そんな……、あたし達の参号機なのに」
「でもね、見てみたくない?」
「ジュン?」
「基本的に同じで、暴走じゃなくてちゃんと動いていたって言うなら、参号機の本当の姿が見られるかもしれないもん」
「そう、だけど……」
 ホーリアには破壊神かもしれないと言う恐怖心の方が強いようだが。
「ねぇ、あたし達が乗る参号機って、一体どんな機体なんだろう……」
 それは相手に話しかける調子じゃなくて、まるで夢見る乙女の、それだった。


「それにしてもシンクロ、出来るのかな?」
 候補生、教官、整備班が注目する中で、参号機を見上げてシンジが放った第一声である。
「いけるんじゃないの?」
「じゃあレイ、乗ってみる?」
「やなこったい」
「そうだよねぇ……」
「サードチルドレン……」
 女子の声に振り返ると、昨日の大柄な子が野次馬の中から前に出ていた。
「君は……、確か」
「ホーリア、ホーリア・クリスティン」
 こうして向かい合うと、彼女の唇はシンジの目の高さに位置している、こんな生活を送っているためか、荒れているようだ。
 グリーン系のジャケットの胸元ははちきれそうになっていた。
 ちょっと悔しげにレイが唇を噛み締めていたりするのだが……、まあ、張り合うだけ無駄だろう。
「シン……、と呼ばせてもらって構わない?、わたしはホリィと呼ばれてるわ」
「そう……、で、何?」
「あなたは……、エヴァにどうして乗っているの?」
 シンジは苦笑しながらかぶりを振った。
「違うよ」
「違う?」
「だって……、僕が乗ったのは一回だけだもの」
「え……」
 シンジの英語の誤りかと思い、ホリィは訊ね直した。
「『一度』、出撃した、ではなくて?」
「うん、一回だけ、パイロットが居ないから乗れって言われて乗らされて、そのまま出撃、その前も後も乗ってない」
「じゃ、じゃあ、どうしてテストパイロットとして……」
「来たかって?」
「ええ」
「……そんなに特別な理由は無いんじゃない?、起動確率で高い順に並べて行って、特にいなくても問題無いのが僕だから、でしょ?、選んでるのは上だからね、僕に言われたって知らないよ」
「そんな……」
「大体、適格者に選ばれたとか言われても、ああそうですかってね、別にならせて下さいって頼んだわけじゃないし、実際、今でもネルフに所属してるわけじゃないしね」
 これには教官側が反応した。
「ちょっと待ってくれ、では君はネルフの人間でも無いのにエヴァに乗っているのか?」
「だからこの間、仕方なく乗って上げただけですってば」
「そうそう、こぉんなお金にならない仕事してても、割りに合わないもんねぇ?」
 からかって言う、レイ。
「エヴァに乗れるって言うことは世界最強になれるかもしれないって事だけど、逆に言えばエヴァが無ければ最強じゃないって自覚があるって事よねぇ」
「だからぬしらに必要ないと?、じゃが守るためには使い様もあろう」
 −老師!?−
 シンジ達を除いた全員が一歩下がった。
「老師様……」
 非常に愉快そうにしている。
「ホーリアも大胆な事をするのぉ、グリスの怪我、忘れたか?」
 ザッと血の気が引き切った、本当に忘れていたのだ……、この物腰に。
「儂の目の黒い内は……、と言いたいところじゃがな、此奴はあれでも手加減をしたのじゃ、でなければ儂でも邪魔は出来なんだ」
「あ、あの……」
「そう恐がらなくてもいいよ」
 脅えて震え出したホリィに、シンジは『綾波レイ』に向けるような微笑みを見せた。
「腕一本ぐらい無くなったって死なないよ」
 嘘だ。
 昨日二人ほど殺している。
「で、老師様、何か?」
「おお、忘れておったわ……、巨大な負の塊が現出しようとしておる、使徒じゃな」
「使徒?、またここに?」
「おぬしが呼んだのではないのか?」
「まさか、カヲル君なら呼べるかもしれないけど……」
 世間話のようにとんでもない内容へと移行していく。
 老師はそう言えば、と気付いたようだ。
「あの『御仁』……、来てはおらんのか?」
「はい、日本ですよ、あっちに大事な人が居るから」
 それは誰か、と訊ねる前に、老師の予言を肯定する、非常警戒警報が鳴り響いた。


「再び第四の使徒、襲来か……、第三使徒と同じじゃな?」
 第一支部発令所で受けている映像は、回線を回して会議室でも上映されていた。
 子供達に使徒と言うものを知らしめるためだろう、前の席に候補者の少年少女達が居並ばされている。
 その最後尾の席に老師は居た。
「上の方は無理にでも参号機を出す腹積もりじゃな」
「ほっときゃ良いのに」
 と言ったのは隣の席に座っていたレイだった。
「ATフィールド張んないんだから、NN爆弾で十分じゃない」
「いや、そう簡単にはいかんじゃろう」
「なんで?」
「修復能力がある」
「二・三発撃ち込みゃ良いじゃない」
「それが出来んから言うておる、砲弾などと違うてな、爆雷は大気が安定するまで二発目は使えんのじゃ」
 レイは「あ、そっか」っと反省した。
「一発目の爆風が二発目の爆発を弾くバリアになっちゃうんだ」
「数を撃ちこめば変わって来ようが、そうなると今度はシェルターを巻き込む事になる」
 ところで、と老師は剣呑な目を向けた。
「なぜATフィールドを張らんと分かるのじゃ?」
「分かってるくせにぃ」
 腿に伸びて来るセクハラな手をパシッと叩く。
「あれ、ビハインド・ザ・ワールドから来てるもん」
「背面世界か?、いや、儂が言うておるのはATフィールドの事じゃ、裏側から来たとは言え、同じ使徒であろう?」
「じゃあ、どうして使徒がやって来たと思ってるの?」
「む?」
 レイは掌を水平にかざした。
「こうしてね、使徒って表、つまりこっちに居たわけ、普通なら死ねば裏っ側のも消えちゃうんだけど、これがそうはいかなかったんだなぁ」
 くるりと返す。
「S機関って知ってる?、使徒のエネルギー源なんだけどね、これは不滅の物体なの、だから表のが消滅しても裏のは消えない」
「ではあれは影が影を生んでおると?」
「そう、でもこれも死んじゃうと境界線にあったS機関だけが残されちゃうわけよね、だから」
 また返す。
「また裏返ろうとするんだけど裏返る物が無い、だから境面で新しい『自分』を再構成するわけ、にょい〜んっとね、ま、詳しいことはカヲルにでも聞いてよ」
 老師は叩かれた手をさすりつつ「むぅ」と唸った。
「あそこにおるものは亡霊と言うわけか、故に物質化する事に全力を費やしておると」
「バリアってのは表からの攻撃を受け入れないようにする為の物でしょう?、逆を言えば外に拡散しないように出来るってわけよ」
「ATフィールドは、展開されている?」
「次元が違うって事、『ここの人達』が呼んでるATフィールドって、本来もっと『階層』の高い物だと思うよ?、三次元界で形状を維持する程度の力じゃないっしょ」
「影については、この次元に存在するだけで精一杯の力を費やしておると言うわけか」
「表と裏、陰と陽、聖と邪、色々あるけど片方だけじゃ成り立たないのと一緒でね、アンバランスな振り子ってわけよ」
 老師はついでとばかりにもう一つ訊ねた。
「ここを目指して来る理由を教えては貰えんじゃろうか?」
「適格者候補」
「む?」
「それに今日なんて老師にあたしにシンちゃんが居るもん、眩し過ぎるんじゃない?」
「引き寄せられておる?、蛾か?、あの使徒は」
「その程度ってこと」
「しかし適格者候補と言うてもなぁ」
 声を潜めた。
「ここに居る連中はマルドゥク機関によって選ばれた訳では無いぞ?、掻き集めて来た小僧共じゃ」
「それでも老師が鍛えてるんでしょ?、虫を呼び寄せる程度の外灯にはなってるってことよ」
「あの」
 レイは話しかけて人物に少しも慌てずにこやかに応対した。
「座ったら?」
「は、はい」
 緊張気味にレイの隣に腰掛ける様子が少しおかしい。
 ホリィだった。
「あなたに、聞きたい事があって……、その」
「ま、そう緊張しないで」
 ごそごそと股の間、スカートの中を漁って何かを取り出す。
「食べる?、ポッキー、美味しいよ?」
 トンとまるでタバコを勧めるように一本出す。
 ホリィはにこにことしているレイを見下ろしつつかなり困った。
「いや、あの……、いいです」
「そう?」
「では儂が」
「老師には上げない」
「何故じゃ?」
「エッチィから」
「股ぐらにしまっとったのはお主じゃろう」
「だからって取ろうとするぅ?」
「けちけちするからじゃ」
 ちなみに老師がセクハラを働こうとしていたのは、ポッキーが欲しかっただけらしい。
「で、なんだっけ?」
「あ、ああ、えっと」
 どういう人間なのかと思っていたのだろう、ちょっとぼうっとしてしまっていた。
「その、シン……、ってどう言う人なの?」
「興味持った?」
 にへっと笑う。
「ま、見たまんまかなぁ」
「まんまって」
 ポキッとポッキーを齧る。
「物事単純に受け流してるだけの人って事よ、面倒なのが嫌いで……、だからもめようとする人間って鬱陶しいって片付けちゃうのよね」
「それだけ?」
「うん!」
「それだけで人を殺しちゃうの!?」
「殺すの、じゃなくて、殺せるの、こいつは力で物事を解決するようなタイプだな、嫌な奴だ、話すのも嫌だ、面倒だな、消しちゃおう、それぐらいの事を一度に考えちゃうわけよ、ところで」
 にたにたとする。
「どうして、シン、なの?」
「え?」
「シンジ、でも良いのに、なぁんか変な感じだって思って」
 ホリィは意味もなく顔を赤くした。
「別に意味なんてないけど……、ジ、が発音しづらいから、それだけで」
「なぁんだ!、つまんないのぉ」
 ちっと舌打ちをする。
「惚れちゃったのかなぁって思ったのに」
「ほっ、惚れ!?」
「うん、シンちゃんって優しい子には底抜けに優しいから、気ぃつけてね?」
「気ぃって……」
「シンちゃんって金髪の子に弱いから、すぅぐこういうことしようとするの」
 と言って人差し指と親指で作った輪の中に人差し指をスコスコと通す。
「げっひんじゃのぉ」
「う?、でもこっちの十四って、これぐらいやっちゃってるんじゃないの?」
「そう言うのをな、偏見というんじゃぞ」
「そうなのかぁ」
 腕を組んで唸り始めた、どうやら本気のようである。
「シンちゃんって甘えっ子だから大きな子にも弱いんだよね、だから結構シンちゃんの好みにはまってるって思ったんだけどなぁ」
 妙に具体的にシンジの趣向を理解している。
 どうやらレイにはその元になった人物達に心当たりが有るらしいのだが、老師はともかく、ホリィにはそれを読み取る事すら出来なかった。


 エヴァンゲリオン、参号機。
 そのエントリープラグの中でシンジは一人待機していた。
 荷物は先の事件で失われている、仕方なくここ支部にあったプラグスーツを身に付けていた、色は青だ。
 本部のものとはまたデザインが違うのだが、それは着た事の無いシンジには分からない話である。
「初号機と……、やっぱり違うのか」
 シンクロ前だというのに、シンジはもうそんな事を口にしていた。
 LCLすら注水されていない、完全な待機状態だ。
(待つのは嫌だな、慣れてない)
 そんな事を思い、手をグリップから離して数度握る。
 ぎゅっぎゅうっと素材が音を立てた。
 もちろん、そんなシンジの状態は指令所にて全てモニターされていた。


「サードチルドレンの様子は?」
「緊張気味です」
 −米国第一支部、統合作戦指令室−
「前回とはまた違うな」
 そのモニターには、ゆっくりと昆虫になり切れなかったイカ、とでも言えそうな物が、真っ直ぐ本部に向かって泳いで来る様子が映し出されていた。
 大気中を。
「高度は?」
「数十メートルと言った所でしょうか?」
「高くは無いな」
「速度も時速で百と出ていません」
 ここでの数字は、マイルである。
「上陸までに掛かる時間は?」
「約三十分」
「海軍の動きは?」
「エヴァを出せと、静観です」
 ふん、とミックは鼻を鳴らした。
「嫌がらせか……」
「強奪に失敗しましたからなぁ」
「適格者であれば誰でも動かせると思っている、エヴァのなんたるかも知らんで」
「サードチルドレンは、シンクロ出来るだろうかと口にしていたそうですが」
「……知っているというのか?」
「まさか、それならば乗らんでしょう、初号機に」
「まあ、な……、参号機はシステム上問題無いはずだが」
「オールラウンドなコアですか」
「ああ、これで本当に『汎用』になる」
 不可解な会話の後に、ミックは手元のサブモニターにシンジを呼んだ。
『なんです?』
「やってもらう事になりそうでね」
『そうですか』
「恐いかね?」
『恐いですね』
「……そうか」
 それで通信を切る。
「どう見る?」
「嘘……、ではないでしょうが、恐怖に対する揺らぎはありませんな、かなりの範囲で抑え込んでいるものと」
「心理グラフは?」
「安定しているようですな」
「この状況でか?」
「本部でもいきなり乗せられ、実戦に投入されたと聞いております、それに比べれば」
「余裕がある、か、後の問題は起動後のことだけだな」
「地上に出してからにしましょう、あの噂が真実であれば、地上施設だけの消滅で済みます」
「いっそ暴走してくれた方が被害は少なくて済みそうだがな」
 深く椅子に体を沈めて瞼を閉じたのは、きっとその様子を見たくは無かったからだろう。


『エヴァンゲリオン参号機、リフトアップ』
 ゆっくりとエレベーターが持ち上げられる、本部のように高速でないのは、ジオフロントほど深い場所ではないからだろう。
 地上、このために広い土地を開けていたのだろう、シンジが子供達に取り囲まれた辺りの場所が、左右に大きく開いていった。
 上方から見れば、一番ゲートと記述されていた、今、そのハッチが左右に開く。
 下からせり上がって来る黒い顔、参号機だった、爬虫類を思わせる面構え。
『LCL注水』
『初期コンタクト開始』
『シンクロ率上昇します』
 誰もがこの瞬間、息を呑んだ事だろう。
 シンジは……、込み上げて来る、背筋を昇り脳天を突き上げる痺れにも似たものに、ただ一言だけを呟いた。
「まずい」
 必死に抑える、だがそんな呟きを無視してオペレーターは起動コマンドを外部からスタートさせてしまった。
『参号機、起動します』
 直後。
 −ゴゥ!−
 参号機を中心に、とてつもない熱量が渦巻いた。


 −ドォン!−
 その震動にミックとグレンは流石にビクリと身構えた。
「なんだ!?、どうした!」
「参号機が!」
 炎を吹き上げていた、それも、十字型の。
「あれは……」
「使徒と同じ?」
「まずいっ、暴走か!?」
「いえ、コントロール化にあります!」
 炎は吹き散らされるように消えた、しかし依然として中心に居る参号機の姿は……
「揺らいでいる?」
 ぼやけて今ひとつ結像しない。
「どういう事だ、モニターの故障か!」
「いえ、参号機を中心に温度が上昇し続けています」
「リフトに重大な問題が発生しています!、カタパルトボード融解中、このままでは穴が開いて落下します!」
「なんてこったぁ!」
 ゆっくりと……、本当にゆっくりとだが、参号機は足場を溶かして傾き出していた、同時に沈んでもいた。
『攻撃します』
 聞こえた声にはっとする。
「待て!」
『使徒殲滅後、シンクロカットします、後の処理はよろしく』
「攻撃……、どうやって!」
 依然その間には数十キロの距離があると言うのにだ。
 しかしシンジは迷わなかった。
「参号機、熱量増大!、集束していきます」
「顎部ジョイント、破損!」
 −カッ−
 閃光にモニターは焼き付いた。
 見ていた者達も目をやられた。
 それ程に眩しい光だった。
「何が……」
 ようやく視界を取り戻した時には……
「な……」
 使徒は頭から尻までを貫通されて、空洞を開き、溶解し、燃えて地上に落ちていた。
 その有り様に誰もが驚愕に硬直し、何も言えなくなっていた。
「何が、どうなって……」
 直後に衝撃波がやって来た。
 静かな震動に施設が揺れる。
「地上施設に重大な問題が発生しています!」
「今のは!?」
「さ、参号機の放った高熱源体が洋上で海水に接触、水蒸気爆発を起こした物と……」
「馬鹿な、何キロ先だと……」
 その震動が気付けになった、正気に戻ったオペレーターが仕事に復帰する。
 まずはモニターを衛星からの映像に切り替えた、海は爆発によって大きくえぐられるように沈められていた、揺り返しの波がなだらかに戻そうと流れ込んでいる。
「これは……、津波が起きますな」
「先の映像、出ます」
 参号機の顎が開いた、肺……、があるのだろうか?、エヴァは体を取り巻く熱を、大きく深く吸い上げた。
 直後、発射、それはまさしく閃光だった。
 使徒を貫通し、えぐり貫く。
 使徒はその衝撃に軽くのけぞり、反動でそのまま地に落ちた。
 人家の無い場所ではあったが、浜よりは上がっている、途中の……、シンジが連れ去られかけた森と道路、それに住宅地は、熱線によって気化されて、盛大な火災を発生させていた。
「これが……」
「エヴァ、参号機の実力ですか」
「いや、サードチルドレンの、だろう、シンクロ率は」
「起動直後に心理グラフに乱れが出ています」
「それはそうだろうな……」
「いえ、それが……」
「なんだ、明確に報告しろ」
「エヴァとの同調に対して抵抗している様に見受けられるのですが」
「なんだと?」
 それが何を意味しているのか?
 分かったのは彼女だけであろう。
「やはり問題はエヴァでは無く、サードチルドレンにあったようじゃのぉ」
 そんな老師に、分かってない、とレイは嘆息した。
「初号機と参号機の違いもあるの、どうして見破れないかなぁ?」
「なに?」
「初号機の時、シンちゃんは『必死』になって抑えようとしてた、でも今はそこそこ抑えただけだった」
「あれでか?」
「うん、だって初号機の時は使徒を『睨んだ』だけだったもん、それで使徒は死んじゃったんだよ?、それもATフィールドを持ってるモノホンの使徒がね?、でもあのパチモンにはちゃんとした攻撃をした……、この差は大きくない?」
 老師は深い溜め息を吐いた。
「恐ろしい、としか形容の仕様が無いのぉ」
「どう?、ホリィのシンちゃんは」
「え?、え!?」
 レイはふふんと自分のことのように得意げにした。
「彼氏には十分だって思わない?」
「だ、どうして、だからそんな」
「いいのいいの、恋愛は自由だしぃ」
 中途半端にからかいを切り上げて、レイはだらんと両腕を垂らし、気を失ったように立ち尽くしている参号機の映像に目を細めた。
「いい加減、奥手過ぎんのよねぇ、お母さん代わりのあたしじゃ、どうしてもそっちの対象にゃあ出来ないみたいだしぃ」
 そう言って一人悦に入る、その姿は良い玩具を見付けたとの、実に恐ろしい物だった。



続く



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作を元に創作したお話です。