「本気かね?」
 −ドイツ第三支部、支部長執務室−
 人口密度は低く、三人、だがその三人が醸し出す緊張感だけで、十分部屋は息苦しさで満たされていた。
 奥まった席に難しい顔をして座っている赤ら顔の男性が支部長だろう。
 その隣に作戦部課長が立っている。
 席の正面には、退屈して髪をこねるように弄っている少女が居た。
 アスカだ。
「昔は……、どうして、とか疑問に思ったことはありませんでしたけど」
 吐息交じりの言葉に支部長は唸りを上げた。
「意義を見失ったというのかね?」
「やる気のない人間を乗せたってしょうがない、とは思いませんか?」
「君の能力……、いや、素質は」
「そんなものに興味は無いんです……、弐号機はちゃんと動いてるんだから」
「適格者は未だ見つかっていない、世界の存続は」
「わたしの肩に掛かっている?、その割りには窮屈で退屈で見張りも付いてるし自由も無いし」
 本気のようだ。
「世界のために死ぬよりは普通に好き勝手やって死ぬ方が幸せだって思いませんか?」
 支部長は嘆息して見せた。
「分かった、だがこれからの君の行動には制限が付くぞ」
「できれば見張りは指名したいんですけど」
「……彼は本部の辞令によって動いている」
「そうですか」
 アスカは背筋を伸ばして微笑んだ。
「それでは、長らくお世話になりました」
 それはそれは、実にすっきりとした物言いだった。


NeonGenesisEvangelion act.8
『依存』


 カチャカチャカチャ……
 一種異様な緊迫感が漂うここは、米国第一支部の一階にある大食堂である。
 ホリィは正面でピラフをつついているシンジに困った顔をしていた。
 ころころとグリーンピースを転がして皿の隅に避けているのだ。
 ほれっと脇を突く肘に急かされて声を掛ける。
「グリーンピース、食べないの?」
 シンジは確保した『安全領域』の分だけをスプーンにすくって口にした。
「嫌いなんだ、豆」
「好き嫌いしちゃ大きくなれないわ……」
「うっ」
 非常にありきたりな言葉なのだが、効果は絶大だった。
「わかったよ、食べるよ!」
 残りに混ぜて最初より存在比率の高くなったピラフを掻き込む。
 その変化に……、自分の放った言葉の影響力の大きさに、ホリィは愕然として戸惑った、いや、ホリィだけでなく、一つ以上テーブルを空けて様子を窺っていた子供達も驚いたようだ。
 一見すればホリィがシンジを手なずけたように感じられるのだが、隣のレイにやらされているのは明白だった、彼女のにやけた顔と、ホリィの困惑顔を見比べれば疑うまでもないだろう。
「ね?、言った通りでしょ」
 得意げにレイは口にした。
「お姉さんってタイプには弱いんだなぁ、これが」
「うるさいよ」
「もうちょっと大きく出てね、「だめよぉ、好き嫌いしちゃあ」、ってぐらいでツボにはまるんだけどなぁ」
「うるさいって」
 不機嫌を装って見せる、だが顔を良く見れば照れているのは丸分かりだった。
(どうして?)
 どうも良く分からないのだが、この少年には確かに手綱が付いていて、それを握る資格が、やはり自分にはあるらしい。
 しかしだ。
 調子に乗ってしまった時、どの様な逆襲を食らうか考えれば、いくら『飼い主』に大丈夫と保証された所で、『散歩』など請け負えるはずが無い。
 はずがないのに……
「じゃ、シンちゃんの案内よろしくね?、デートだと思って気軽に遊んで来ていいからねぇ」
 そう言って席を立つ。
 ああ、ううと意味不明に呻くホリィだ。
 レイもただ者でないと分かっているのだが、それでもシンジに比べれば、と、助けを求めたかったのだが……
 取り付くしまもなくて、ダメだった。


「参号機の起動、予想より安定した結果が得られました」
「そうか」
 −本部施設内、大エスカレーター−
 ゲンドウとリツコの後ろには、レイが聞き耳を立てるようにして佇んでいた。
「接収は予定通りに?」
「いや……」
「変更なされるのですか?」
「パイロットが居ない」
「サードチルドレンに任せるのでは?」
「サードには初号機がある」
「ではレイは?」
「零号機を予定通りに改修する」
「零号機を?、ですが……」
 リツコの迷いは当然だろう。
 初号機は現時点でも最強である、例え、『適格者』でなくともだ。
「君は……、エヴァと言う物を理解しているかね」
 唐突な問いかけにリツコはどもった。
「わたしは……、母の残したデータを読んだだけで、後は」
「そうか」
 言葉を選ぶように噛んでいる。
「エヴァとそのパイロット、適格者の呼び方は伊達ではない」
「コアとの……、相互換の問題ですか?」
「……そうだ」
「セカンドチルドレンが乗務を拒否したそうですが、最悪、洗脳の許可をと」
「必要ない」
「しかしマルドゥク機関からは、フォースチルドレン発見の報告はまだありませんが」
「本部に初号機と零号機があれば良い、後は支部の問題だ」
 リツコは溜め息交じりに訊ねた。
「初号機とサードの組み合わせには、運用に際して問題があると思われますが」
「使徒を倒せればいい」
「参号機での出撃について、別途料金の領収書が届いています」
「上も了承済みだ、会計監査部に話しは通す」
 リツコはその返事に「はて?」と首を捻った。
「上ですか?」
「そうだ」
 ゲンドウは薄く笑って告げた。
「人は老いと権威が比例するものと錯覚する生き物だ、老人方には良い薬だよ」


 暗闇の中に老人と呼ばれる年代の男達が集っていた。
 普段ならこの会合には、ゲンドウも混ざっているのだが。
「参号機、予定外ではないのかね」
 重々しい、と取れるような声で口火を切った。
「暴走ともとれる起動、アンビリカルケーブルも固定台共々融解し、断線していたとか?」
「内部電源のみであの力かね」
「いかん、いかんよこれは」
「ああ、玩具にしても度が過ぎている」
 むぅと一同、唸りを上げた。
「サードチルドレン、何者だ」
「人類補完計画」
「彼の動向如何では、中止もやむをえんな」
 議長の言葉に、一同は揺れた。
「それはいかんよ!」
「そうだ、ここに来ての中止は」
「これまでの出資を無駄にする気かね?」
「我々の目的を忘れてはいかんよ」
 騒ぎが静まる。
「サード、それ程の『存在』なのですか」
「間違えるな、『可能性』であるに過ぎない」
「我々、閉鎖した人類が死をもってやがて一つとなり、未来を紡ぐため新たな生命となるための補完計画」
「『神』は我々ではなく、あの少年を選んだというのか」
「馬鹿な」
「諸君」
 機械バイザーを付けた老人が厳かに告げた。
「使徒の殲滅が急務である、時間はない、が、切迫しているわけでも無い、今しばらくの時、この猶予を有効に使うべきだとは思うが?」
「無論だな」
「うむ」
「では?」
「サードチルドレンにおける調査を開始する、補完計画については委員会に一任しよう」


「それじゃあ、行こうか」
 その頃、シンジは本当にデートに出かけようとしていた。
 調達してもらったマウンテンバイク、一応後ろにも人が座れるようにシートが設けられているのだが。
「え、っと……」
 タイヤの両サイドに取り付けられているフットバーに立てと言う、しかしシンジとホリィでは体格に差があり過ぎた。
 シンジが前では、まさに覆い被さるような姿勢になってしまう、これは不安だ。
「わたしが前に……」
「いや、良い」
「でも」
「それじゃ面白く……、ああ、じゃなくて、力仕事は男の仕事だから」
 それは日本人的な発想なので、当然のごとくホリィには納得出来なかったのだが。
「じゃあ……」
 ホリィはなんとなく従って、フットバーに両足を乗せた。
 多分……、シンジの焦った顔が、思いのほか歳相応に見えたからだろう。
 焦った理由までは見抜けなかったが。
「じゃあ、行くよ!」
「あっ!」
 ぐん!、っと走り出す自転車、咄嗟に肩に置いていた手を首に絡めてしまう。
 前のめりな感じで。
「もうちょっと、ゆっくり……」
「それじゃあ時間が掛かるからね!」
「だったら、車でも、バイクでも」
「それじゃあつまらないよ」
「え……」
「触れ合うのは恐いかい?、僕と」
「あ……」
 寂しさ……、だろうか?
 顔は見えないのに感じてしまう、何故だろう?
「まあ、いいよ、好かれてないのは分かってるからね」
「え?」
「僕がここに来た時のこと、覚えてるよね?」
「うん……」
「あの時、君は何処に居た?」
「何処、って」
「僕は馬鹿にされた、苛められた、その時君は僕よりも自分の『仲間』の側に居た」
 ズキンと……、痛む、胸が。
「要するに君達はそう言う人間の集まりだって事さ、誰かを守ってあげようなんて気持ちは無いんだよ、世界を守る?、嘘だね、やりたい事があってそれをやってるだけさ、だから僕が邪魔なんだよ」
 胸を押し付けている背中に、絶対の壁を感じる。
「その点で君達は一致してる、僕を邪魔だと感じてる、だから僕を追い出すための口実を探してる、だから僕は誘ったんだよ」
「誘って……、どこに」
 シャアアアアア……、とチェーンを空回りさせてゲートをくぐり、基地外に出る。
「参号機の力の確認にね、映像じゃ分からない事もあるんだよ」
 そう言ってシンジは、一番近い山の方へと操った。


 シンジの目的は分かっても目的地までは分からなかった。
 それも当然で、シンジはこの辺りの地理を知らない、知らない物は答えられない。
 一方でホリィは軽快に飛ばすシンジの脚力に感嘆していた、先ほどの話しの後だから少しまだ気まずいのだが、そうも言ってはいられない。
 時速で四十キロは出ているだろう、恐くて仕方が無かったのだ。
「この先だね!」
 風圧に負けない声に必死で頷く。
 坂道だ、低い山を上がって行く、なのにスピードは落ちるどころか上がっていく。
 この細い体の何処にそれだけの力が秘められているのだろうか?
 普通人なら異常だと騒ぐかもしれない、しかしホリィはその手の事に対して、多少なりとも知識を持っていた、持たされていた。
(息が乱れてない)
 気、と言う物を感じさせられた事がある。
『どうじゃ?』
 老師に言われて左腕に右手をかざして近付けて見た事があった。
 触れていないのに……、感じるのだ、何か。
『これが気じゃ』
 気が何か、ではなく本能的にパワーを感じた。
 同じ物が彼の背中から伝わって来るのだ、熱……、とでも言うのだろうか?
 汗ばんでいるとか、運動のために細胞がカロリーを発散しているわけでもない、もっと別種の、熱を感じる。
(暖かい……)
 それは何故だか心落ち着く、とても心地好い温もりだった。
「あの、さ」
「え?」
「僕はいいんだけど」
「え?」
「そんなにくっつかれてもね」
 はっとする。
「あ、ご、ごめんなさい!」
 気が付けば、もう既に峠の中腹の見晴台に到着していた。


 自転車を柵に立たせて景色を眺める。
 そこから見える物はベースと森と、道路と街だ。
 使徒は更にその先なので見えないが。
「燃えてる……」
「そうだね」
 森は静かに燃えていた。
 黒煙が重くくすぶり上っている。
 基地から真っ直ぐに伸びる傷痕が参号機による物だろう。
 風が時折煙を運んで来て喉が痛くなる、それは鼻にも辛かった。
「これが見たかったの?」
 ホリィの問いかけにシンジは頷いた。
「画面で見てると本当の被害なんて分からないからね、この酷さは」
 ホリィはシンジの言いたい事を正確に読み取った。
「森……、元には戻らないでしょうね……」
「そうだね」
 ああ、と呻きそうになってしまうホリィだ。
「可哀想……」
「それだけじゃないよ」
「え?」
「アメリカは、保険社会だったよね」
「ええ」
「ならあの街の人達はどうなるのかな?」
「街?」
「そう、街」
 シンジが差した指の先を見る。
「疎開、始まってるよね」
「ええ……」
「使徒とエヴァの戦闘には保険は適用されないからね」
 家も何もかも失った人達が居るだろう。
「僕は……、恨みを買ったろうね」
「後悔しているの?」
 シンジは苦く笑った。
「散々愚痴られたよ、参号機のエネルギー、本当は空にでも向けて放っていればこんな被害は出さなくても良かったんじゃないかってね」
「本当はどうなの?」
「無理だよ、起動直後に暴走してた」
「え?、でも」
「誰が何と言っても暴走だよ、ろくにコントロール出来なかった、あの高熱に指向性を持たせて放出するのが精一杯だった、もしあそこでシンクロをカットされてたら」
 フッと笑う。
「NN爆雷並みの熱量が参号機を中心にして破裂していただろうね」
 参号機は現在修復中であるが、高熱に曝された結果、大半の機械がショートし、溶けて役に立たなくなっている。
「熱を空に向けてても同じだよ、参号機は再起動出来なくて使徒に負けてた」
「最善だったって、言いたいの?」
「言い訳だけどね、上の人達は恐がって逃げ出そうとした、逃げる事しか考えなかった、使徒を倒す事を考えなかった、方法を考えつかなかった、どうしてだと思う?」
 サァッと風が髪を流す。
「みんなはね……、エヴァを知らないからさ」
「エヴァを……」
「うん、人造人間……、巨大な人型の機械ぐらいにしか思ってなかった、でも実際には」
 口から火を吹く、そんな機構は、何処にも無いのに。
「シン……」
「なに?」
「シンは、何を知っているの?」
「何も知らないよ、僕は」
「本当に?」
「本当だよ」
「何も知らないで、エヴァに乗ったの?」
「知らないから乗れるのかもしれない」
「え?」
「知らない方がいい事もある、知らないから普通で居られる」
 寂しげに柵にもたれる。
「多分……、君達の先生に老師様を選んだのはそのためだよ、シンクロ……、エヴァとのシンクロって、エヴァの、何と同調してるんだろう?」
「エヴァじゃないの?」
「エヴァと言う、人間と?」
 はっとすると共に、ゾッとした。
「エヴァ……、には、心があるの?」
「分からない、だから僕は恐いと思ってる」
「シン……」
「浅い域では……、自分の体が大きくなった様な、そんな気分で済むのかもしれない、でも深く同調するとどうなるのかな?」
「エヴァと……、同化する?」
「自分とエヴァとの区別がつかなくなってしまうかもしれない、逆に自分をエヴァだと錯覚してしまうかもしれない、自分で自分が分からなくなる、分からなくなってる自分にも気付かない、これは恐怖だよ」
 ホリィは無意識の内に腕をさすっていた。
 寒気を感じて。
「相手がなんであるのか……、分からないことは恐いよ、そうは思わない?」
「ええ……」
「使徒だってそうだよ、何だか分からない物が攻めて来てる、それをまた訳の分からない物を使って迎え撃って、第一、適格者とそうでない人間との差って何かな?、老師様は君達に気の扱いを覚えさせて、なんとか起動確率を上げようとしているみたいだけど」
「出来るの?、そんなことが」
「多分ね、でも危険だ、だから心配なんだ、君達が……、ホーリィ、君が」
 どきりとしたのは、ホリィではなく、ホーリィと呼ばれたからだろう。
「わたし、が?」
「うん……、気の流れを知ると人の気の流れにも干渉出来るようになる、それと同じことをさせようって言うんだろうけど、知る、気付くということはそれに対して敏感に、感じ易くなってしまうと言う事だよ、それだけ反応も過敏になる」
「だから、暴走……」
「そう、精神汚染にも繋がるだろうね……、達人なら良いんだ、抗えるから、素人でも良い、触れられないから」
「中途半端が、一番いけない」
「それも即席のね」
「わたし達のように?」
「ホーリィ?、君が僕を恐がってるのは知ってる、それでもホーリィは良い人みたいだからこんな話をしてるんだ」
「心配してくれてるの?」
「そう言ってるよ?」
「わたしを?」
「特に君を、ね、だって君は強い人だから」
「わたしが?」
「うん……、本当に恐がりならね、僕にもレイにも話しかけたりしないはずだよ、遠くから様子を見るはずだ、好奇心だけならもっと側に寄って来る、嫌な所まで踏み込んで来る、でも君はそれをしない、君が心配してるのは傷つけられる事じゃなくて……、もっと、他の何かだ、それが何かは知らないけどね」
 シンジの言葉に、ホリィはふぅと息を吐いた。
 そしてシンジの隣に並んで柵に腰を落とす。
「わたしが話すのは……、多分、間違ってると思うけど」
 風が吹き上げてホリィの髪を前に流す。
 きらきらと輝くその奥で、ホリィの顔は歪んでいた。


 −エヴァンゲリオン参号機専用ケージ−
「こらぁ!、誰だ落書きしてんのはぁ!」
 参号機の肩パーツにでっかく「アラレちゃん」と白ペンキで書いてあったり。
 ちなみにペンキが垂れている辺り仕事が雑だ。
「ふんふんふんっとね、おや?」
 ペンキのバケツとブラシを肩に、参号機の足の影から歩き出てレイが気が付いたのは、その参号機を恍惚とした表情で見上げている少女であった。
「ん〜〜〜?」
 気になったのでバケツとブラシを置いて跳ねるように寄って行く。
「ん〜〜〜?」
 そして同じように参号機を見上げてみる。
 胸パーツが邪魔で顔が見えない。
「ん〜〜〜?」
 やっぱり何が楽しいのか分からないらしい。
「ん〜〜〜?」
 とうとう腕を組んで、首を捻って悩み始めた。
 日本髪のその少女はホリィのルームメイトなのだが、レイはその顔を知らなかった。


「ジュン?」
 シンジはその名前に首を捻った。
「ええ……、わたしのルームメイト」
「その子がどうしたの?」
 ホリィはポケットからゴム輪を取り出すと髪を縛った、風にうるさくて、邪魔だと感じたのだろう。
「ジュンのお父さんはね、アメリカ軍の空軍で特殊な任務を受けて実行した人なのよ」
 目を閉じて、うなじをさすり、感情を交えぬようにして呟く。
「街に……、NN爆雷を落としたの」
 シンジはレイから貰った本の内容を思い出した。
「じゃあ、ネバダを焼き払ったって……」
「そう」
 ちょっとした間を空けて、昂ぶろうとする心を宥める。
「仕事……、と言うには酷過ぎたけど、それを実行に移したって事で責められたらしいのよ」
「上の人に?」
「いいえ、上の人ほど評価してるわ、仕方が無いって理由で」
「仕方が無い、か」
「ええ」
 シンジは嘆息した。
「そんな言葉、言い訳にもならないのに」
「そうね、身近な人ほど納得しなかった……、ジュンのお母さんも、悪魔だなんだって責めて、失踪したそうなの」
「ああ……」
 シンジには何となく分かる気がしたようだ。
「一緒になって責めないと……、恐いもんな、仲間だって、思われて……、同じように苛められるのは」
 誰かに重なる……、いや、それは自分だろう。
 もしもう少しだけ父を嫌っていたならば、憎んで、同じ事をしていたかもしれないと。
「だからかもしれないけどジュンは……、異常なくらい参号機に憧れてるのよ、シンが来た時にも本当の参号機の姿が見れるかもしれないって喜んでた、それはいずれ自分のものになるからって期待してた」
「それは……、恐いね」
 シンジの脳裏には、赤毛の少女の姿が過っていた。
『あたしの弐号機に!』
 そう固執していた姿が思い出されてしまっていた。


 ホリィは……、言葉少なに受け止めるシンジに対して、いつしか緊張せずに話していた。
「ジュンは信じてるの、自分がエヴァのパイロットになれば、世界を守る主役になれれば、きっとみんなも父のことを見直すって、世界を守るために勇気のある決断をした人なんだって」
「そのお父さんは?」
 ホリィはかぶりを振った。
「知らない……、話しでそう聞いただけだから」
「なんだ、じゃあ想像も混じってるんだ」
 困ったな、とシンジは口にした。
「悪いけど、伝聞系で聞いた人物像ってあんまり信じない事にしてるんだ、やっぱり……、自分の目で見ないとね」
「そうね……、そう、そう言う物よね」
「うん、でも心配してるってことは分かった、それに危惧してる事も」
「危惧?」
「その子の思い詰め方、危険だって感じてるんでしょ?」
 ホリィはドキリとしてしまった。
「そこまで……、分かるの?」
「それぐらいのことを感じ取れるぐらいには親しいんだろうってね、本当に心配そうな顔してたから」
「そ、そう?」
「うん」
 頬を撫でさすって恥じ入るホリィに、シンジは柔らかい笑みを見せた。
「好きだな、そういうの」
「え」
 すっと体を伸ばすシンジ。
 ずるいのは彼女の隙を突いた事だろう、シンジの動きに反応など出来るはずが無いのだから。
 シンジが離れてから、ホリィは唇を押さえて跳ねるように立って下がった。
(え?、え!?、えーーー!?)
 シンジはもう元のように佇んでいる。
「神格化、か、エヴァは偶像じゃない、神様にもなれるだろうけど、それも勘違いだ……、英雄として認めて貰えなかったら暴れるかもしれないな、……パイロットに選ばれなかったら、それはそれで暴れるだろうけど」
 時にシンジが彼女にキスしたのは、何も欲情したからと言うだけではない。
(この感じ、あの子か)
 一緒に暮らし、同じ部屋に篭っていれば自分の臭いを染み付け、あるいは貰う事になる。
 毒気も同じだ、シンジは確かに、今、ホリィからホリィの物ではないどす黒い物を唇から直接に感じ取っていた。


 ドイツはセカンドインパクト後も、何がどう変わったと言えるほどには、大きな変動を迎えてはいなかった。
 地軸の変動に伴う大地震による倒壊などは問題ではあったが、やはり大きな違いは地下組織の存在だろう。
 それぞれがそれぞれの擁護に回り、保護して動いた、これにより幾つかの組織が巨大化し、膨れ上がったものの、それはいつしか一つの組織に吸収されていくこととなる。
 特務機関ネルフ。
 崩れ落ちた瓦礫を積み直した様な建物が並ぶ中に、アスカの住んでいるアパートもあった、保安上は多大に問題が見受けられるのだが、そこはそれ。
 セキュリティと防備については、まさに大使館並みである。
 そんなアパートの中、フロントから階段を上っていく一人の男が居た。
 よれたシャツにこれまた汚れたコートを着ている、色は黒だ。
 無精髭は生やしっぱなし、後ろの髪も面倒なのか、不細工に伸ばした物を纏めていた。
 慣れた様子で三階の奥へと向かう。
「どぉも」
 途中、ドアが開きっぱなしの部屋の奥で退屈している女性に挨拶をする。
 夜の街角にでも立ちそうな人間を装っているが、ま、当然のごとくと言う相手であると、彼は勿論知っている。
(目が媚びてないんだよ、男にな)
 彼は一番奥……、の一つ手前のドアの前に立ち、軽く拳でノックした。
『はぁい!』
 いつもの調子にクスリと笑って入室する。
「よぉ!、っと、なんだもう荷作りしてるのか?」
「加持さん、いらっしゃい」
 アスカはパンパンに膨らんだスーツケースの上に乗って、膝立ちのまま跳ねていた、なんとか閉めようと言うのだろうが……
「おいおい、向こうで買えばいいじゃないか」
「お金ないもん」
「あるだろ?」
「もうエヴァのパイロットじゃなくなるんだから、これからどうやって生きてくかってね、考えてるの!」
「そのための資金か」
「そう言う事!」
 ガコンと音がしてケースは閉じた。
「ふぅ!、加持さん、ジュース取って」
「ああ……、っと、先に渡しとくよ、これがアメリカ行きのチケットだ」
「アリガト」
 嬉々として受け取るアスカだ。
「しかしアメリカってのは意外だったな」
「そう?」
「てっきり日本に向かうのかと思ったよ」
 アスカは軽く笑った。
「いっくらなんでも日本は無理よ、行動に制限が付いてるってのは大きいし、アメリカだって、国籍がアメリカだから許可が出たんだモン」
「帰国、いや国外退去か……、上はなんとかしたかったろうけどな」
「ま、こっちとしては計算通りよ」
「どういう事だ?」
「知ってる?、第一支部には今、シンジが居るの」
 ああ、と加持は聡く頷いた。
「そう言う事か」
「そう言う事、加持さんだから教えてあげるけど、アメリカ経由で合流するって計画になってたの」
「いつから?」
「シンジがこっちに来た日に約束したのよ」
「なるほどねぇ」
 加持は本気で感心したようだ。
「何もかも計画通りか」
「後は無事に飛行機に乗って……、って行きたい所だけど」
「何を心配してるんだ?」
「ん……、落とされるのはヤだなって思って」
「米国が動くだろう?」
「チルドレン欲しさに?、そう簡単に動いてくれるかな」
「動くさ、ま、最後に信じられるのはシンジ君だけだがな」
 あれ?、とアスカは怪訝そうに首を捻った。
「加持さん」
「ん?」
「シンジを知ってるの?」
「まあ、な……」
 歯切れ悪く答える。
「アスカは知らないだろうが……、特殊監察部なんてのは法に触れるような事ばかりする部署なんだよな」
「ああ、それでシンジと?」
「これでもシンジ君とやりあって無事生き残ったって事じゃ有名なんだぜ?」
「あいつ……、そんなに凄いんだ」
「二人ほど付いてる守護天使の方が、使徒並みの化け物だって噂されてるけどな、本当に恐いのはシンジ君さ、……シンジ君は、多分、人として一番大事な物が欠けている」
「人として?」
「勘だよ、勘、例えばアスカ……、俺のこと、好きか?」
「え?、うん……」
「じゃあ支部長は好きか?」
 可愛らしくぷるぷると首を振る。
「するとシンジ君は俺を殺しちゃアスカが悲しむなってことを考えるわけだ、そして支部長には容赦しない」
「そんなもんなの?」
「ああ、けどな、支部長をまた愛してる奴……、女ってんじゃなくて、子供だって居るかもしれないだろう?、ところがシンジ君はそこまで想像することは無い、自分に直接関りのある大切な人、その友人、せいぜいこの範囲の人のことだけしか考えないんだよな」
 はぁっとアスカは溜め息を吐いた。
「シンジの世界って、そんなもんなのね」
「ああ、人類全体のためになんて口にする奴は好きになれないけど、シンジ君みたいなのも微妙なんだよな」
「そう……」
「とりあえずアスカの出国を確かめてから、俺は弐号機と船に乗る事になる、本部からの辞令でね」
「弐号機と?」
「接収だとさ、アスカが居ないんじゃ無用の長物だろうってな、計画が上手くいったら、また日本でデート出来るかもな」
 アスカはちょっとだけ考え込んでから、こう答えた。
「やっぱやめとく、加持さんといちゃつくとこわ〜い顔するお姉さんがいるから」


「ふぅん、なるほどねぇ」
 レイはベッドの上でバリバリとポテチを食べながらそう感心した。
 ちなみに部屋は候補生達とそう変わらない作りであるが、ベッドは強制的に一つである。
 袋の背中を左右に開かれたポテチ……、はいいのだが、食べカスがばらばらとシーツの上に落ちているのは……
(ちょっと勘弁して欲しいよなぁ)
 そう思いつつも言い出せないシンジである。
 ちなみにレイはこの基地の制服であろうダークグリーンのアンダーシャツとショートパンツをかっぱらって装着していた。
 その恰好であぐらをかいている物だから、股ぐら、と言うか隙間から、その奥の下着が丸見えになってしまっていた。
 正面に座らされたホリィにとっては、目のやり場に困る赤面物の状態だ。
「で、あの子がジュンちゃんだったってわけか」
 うんうんとレイは頷いた。
「シンちゃんには悪いけど、事態はもっと最悪ね」
「へ?」
 シンジは一人事務机の椅子を前後逆に座っていた。
「ほぉらぁ、さっき二人が帰って来た時にからかったっしょ?、キスしたかって」
 ホリィはさらに赤くなって小さくなった。
 中々純情な子だったらしい。
「あの時にさぁ、すっごい顔して睨んでたの、ジュンちゃん」
 ホリィに目を向ける。
「最初はホリィを取られたって、シンジを睨んでるのかと思ったけど、部屋、居られないんでしょ?、ジュンちゃんが怒ってて」
 レイの言葉にホリィは小さく頷いた。
「凄く……、機嫌悪くて」
「それが最悪って事」
「どういうことさ?」
「キスそのものは良いのよ、ただそれでホリィがシンジに近付けば、その分エヴァにも近付くんじゃないかって思ったとしたら?」
 ホリィは目を丸くした。
「そんな……」
「あの子ね、素質で言うと凄い物持ってるのよ、多分それが余裕に繋がってて、自分が乗るんだって潜在的に思い込んでたんじゃないのかな?、でも実際には力なんて使えてなんぼじゃない?、シンちゃんって人を恋人に持てば、自然とその力量は引き上げられるわ、影響受けない方がおかしいもん、そうなるとホリィってジュンの最大のライバルって事になるでしょう?」
「じゃあ……」
 ホリィは悲しそうにした。
「ジュンは、怒ってるんじゃなくて……」
「ライバルに対して敵愾心を抱いてるんでしょうね、焼き餅とかって甘いもんじゃないと思う、話しだけじゃ良く分かんないんだけど、多分……、参号機ってアイデンティティそのものだったんじゃないのかな?、存在意義?、ここに居る理由、それを奪われたら生きて行けない」
 ちらりとシンジに目配せをする。
「危険だと思わない?」
「そうだね……」
「それからもう一つ、忘れてるよん」
「え?」
「そろそろアスカがこっちに来るっしょ」
「あ……」
 シンジはちょっとだけ青ざめた。
「そっか、そうだっけ」
「そう、ま、サポートはあたしとカヲルがやっちゃってるけど、こっちに着いたら間違いなく参号機のために『確保』されることになる、でなくても目的はシンジだもん、ここに向かって来るんだからさ」
 レイの解説にシンジは呻いた。
「参号機に一番近くなるのか、アスカが……」
「そうなると第三支部が黙ってるはずが無い、セカンドを返せって喚き出す、ジュンちゃんも大人しくしてるはずが無い、ホリィにはまだ勝てる可能性があるからいいけど、アスカちゃんには勝てるはずないもん、こりゃあ最悪のシナリオになるかも」
「頭痛いよ……」
 シンジが頭を抱えると同時に、レイは楽しそうに立ち上がってベッドを下りた。
「ま、怨霊がいるんじゃ帰ったって寝らんないだろうしぃ?、ホリィちゃんは愛しのシン様とここで眠って頂戴ね」
「え?、え!?」
「邪魔ぁしませんて、んじゃ、優しくしてもらってねぇん」
 バイバイと外に出て行き手を振りに振る。
「あ、あの」
 閉じる扉に、ぎこちなくするホリィである。
「逃げたね」
「え?」
「シーツ、汚すだけ汚して、まったくもう」
「あ……」
 確かに真っ白だったはずのベッドシーツは、ポテチの油と服に付いていたのだろうオイルによって、すっかり汚れ切っていた。



続く



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作を元に創作したお話です。