「おっめっでとー!」
部屋から出て来た二人に向かって、パンパンとクラッカーを鳴らしたのはレイと老師の二人であった。
「老師様まで……、何やってるんですか」
「いや……、捕まってしもうてのぉ、それにしてもじゃ」
にやにやとした目に、ホリィはつい赤くなって身を小さくした。
「あの……」
「老師様?」
「そう怒るな、女の前だからと恰好付けおって」
このこのと肘でつつく辺りはレイそっくりだ。
「しかし話しが違わんか?」
「ん〜〜〜、どして?」
「お主の話しでは二人が……、と言うことじゃったが」
普通に見る。
「こやつら、まだだじゃぞ?」
「えーーー!?」
愕然とするレイである。
「うっそー!?、冗談っ、二日も二人っきりで寝てて何やってたの!」
「何もしてないって」
「信じらんないっ、それでも男ぉ!?、女の子からアプローチ掛けて貰っといて手も付けないなんて!」
「手ぐらいは付けたよ」
うんざりとした様子に苦笑を見せるホリィ。
そんな姿を見て、老師はうむとにこやかに頷いた。
「よかったのぉ、ホーリア」
「はい」
具体的に何がと言うわけでも無い、ホリィも頷いたのは、老師の纏っている『色』が祝福を示してくれていたからだった。
NeonGenesisEvangelion act.10
『時は流れて空気は重く』
「それで決めたのか?、碇」
冬月の問いかけにゲンドウは答える。
「弐号機の接収は予定通りに行う、渚カヲル、お前をフォースチルドレンに」
「嫌ですよ」
「弐号機でもか?」
「そうではなくてね、フォースでは無く、フィフスであれば承諾しましょう」
「何故だ」
「生と死、あなた方が望むのは再生であって滅亡ではない、『シ』と言う言葉は欠落すべき番号であるとは思いませんか?」
にやりと言う笑みにゲンドウは納得したようだった。
「……分かった」
「ではそう言う事で……、弐号機の到着までにフォース発見の報が届く事を祈りますよ」
彼はそう告げると、一方的に会話を切り上げて執務室を後にしたのだが……
そのドイツでは、一つ重大な事件が発生していた。
元セカンドチルドレンを乗せた旅客機が、離陸直後に炎上、爆発して落ちたのだ。
即座に組織名が数種上げられ、調査の手も動き出したのだが、関係は全て否定された。
犯行声明もなく、何のためにそのような暴挙が行われたのか、全く謎のまま、真相は闇の中へと消えて行く。
「ひと一人殺すためにここまでやるの?」
そのニュースは衛星を介して、彼女の目にも止まっていた。
元セカンドチルドレン。
死んだはずのアスカである。
その顔は怒りによって彩られていた、この辺り、シンジほどには他人事と割り切れない性格をしているのだろう。
北海を通ってノルウェー海へ抜ける北回りのルートで、洋上を飛行機に似た乗り物が疾駆していた。
水上翼機の一種なのだろうが、その速さは戦闘機にも匹敵するのだが、機体の大きさの都合でそう航続距離は持ち合わせていない。
「アメリカ……、だけじゃないわね、他の支部や組織に渡すもんかって事か」
手元のモニターに関連情報を引き出す。
「テロとして処理されてる、当たり前か」
未だエヴァとチルドレンの情報は伏せられたままだ。
適格者を狙ったテロだとの報道がなされるはずも無い。
ただ行方不明者リストの中に、惣流・アスカ・ラングレーの名があるだけである。
「加持さんとシンジの言った通りって事か、あたしの認識が甘過ぎるんだ」
ふぅと力を抜いて、オートナビの最終目標地点を確かめる。
「あと三時間」
そしてそこには日本へ引き揚げたはずのあのおとぎが、ステルスモードで息を潜めてアスカを待っているはずだった。
ホリィが変わった。
それは言葉にせずとも分かる事で、昨日までは下心も混ぜ合わせていた目で見ていた男の子達も、今のホリィに対してそんな気持ちを抱くことは出来ないでいた。
シンジ、レイ、老師と共に、食堂の一角を占領している。
時折髪を掻き上げたりしているのだが、その仕草が妙に大人びて見えるのだ。
色気や艶が見えるのではなく、清楚さが際立って見える。
『お母さん』
表現してしまえばそうなるだろう、一歩引いた立ち位置と共に、見守るような余裕を何処かに感じさせる。
彼らは気が付いていないのだが、今のホリィは体格が骨格ごと変わってしまっていた、と言っても変化したのでなく、矯正によるものでしかないのだが。
「まだ痛い?」
シンジの問いかけにホリィは答える。
「背筋が自然と伸びて……」
「気になるか?」
顧問の言葉にホリィは頷く。
「変な感じなんです……、いつもと違うから」
「『気』のせいじゃろうな」
「気の?」
「うむ、体を流れる勢いが凄まじく、体を曲げてはおれんのじゃ」
「元に戻るのですか?」
「放っておけばな、しかし良いのか?」
「はい?」
「せっかくそれ程の高みにあるのだ、その気を煉り込むだけでもお主の神格は確実上がるだろうに」
「神格ですか?」
「さよう、人は獣から神に至る道への過渡にある、その格は修行を通じて高めることが出来るのじゃ」
「神……、神様、人は神様になれるのですか?」
「なれないよ」
「なれないね」
言ったのはレイとシンジであった。
「人は神様にはなれないわ、人は神様の真似事しか出来ないからね、神様の行いに理屈を付けて、真理を紐解いた気になって行くだけ」
「第一、神様って何さ?、都合良く救ってくれる人?、なんでも上手くいくように導いてくれる人?、そんなのになったって面倒なだけじゃないか」
「それでもだ、人は近付こうとする、何も出来ないよりは出来た方が良いからじゃろうな」
「シンちゃんの導引でホリィちゃんの気は何段階も昇ってる、まあ、確かにそれを無駄にする手は無いかもね、神様にはならなくていいけど、損するわけじゃないし」
ホリィはレイに含む物を『視て』訊ねた。
「あなたは……、わたしに何をさせたいの?」
「ん〜〜〜、まあ取り合えずはシンちゃんのサポートかな?」
「サポート?」
「そう、房中術とは言わないけどね、導引術くらい使えるようになったら、シンちゃんに回復系の魔法をぱーっと使えるっしょ?」
ますますホリィは困惑した。
「それは、あなたじゃいけないの?」
「それが出来ないから頼んでるの」
にこっと微笑む。
「あたしとシンちゃんは『同じ』だからね、自分で自分を慰めたって気が昂ぶるだけでしょ?、普段ならその興奮を緊張に変えて一時的な活性化を行えるけど、昨日までのシンちゃんみたいに疲れ過ぎてると治癒力の向上も体の酷使に荷担して、苛めてしまうだけになっちゃうの、そのための導引術、あるいは房中術」
「そうじゃな、疲れておっては術の制御もままならん、その様子じゃと、昨夜もかなり危うかったのではないかな?」
シンジは苦笑して告白した。
「ホーリィを導きながらでしたから、完全には回復出来ませんでした……」
「ホーリアが術を覚えておったなら、委ねる事も出来たか」
「気を遣っちゃった分だけ、疲れが残っちゃってんのね?、じゃあ今日もやっとく?」
んふふっと覗き見るレイにホリィは赤い顔をする。
「でも、あの」
「そうからかうな」
叱り付ける口調で言う。
「体内に満ちる気は張りつめんばかりじゃ、見てみぃ、その乳の張りよう」
「ほんとだ」
ぷにんと持ち上げるレイだ。
「あ、あの、ちょっと……」
「腰も尻もじゃ、足も爪先まで張っておる、充足するどころか詰め込み過ぎじゃ、毒になる一歩手前じゃぞ?」
内圧によって膨れ上がる筋肉が骨の位置を正しくする、その事が姿勢の正しさを生んで肢体をより美しく見せる。
ただ先に老師が口にした通り、そこには無理があるので痛みが生まれ出てしまっていた、本来このような状態は、長く時間を掛けて作るべきものなのだ。
「それから先にも言うたが、神格が上がっておる、故に人はお主を見ると有り難がろうとしてしまう、神々しく、その背に神のごとき光が見えるのじゃろうな」
「ま、後光ってもぼんやりとした弱いもんだから、ああやって憧れちゃうんだろうけどねぇ」
そう言って遠巻きに見ている子供達を指し示す。
「格が違う、釣り合わないってのも本能的に感じるんでしょうね」
「じゃが、気ぃつけぇよ」
「何をですか?」
「今のお主はジュンと同じじゃ、あの者達よりも上にあると言う余裕が、儂らとの距離を縮めておる」
「あ……」
「じゃがその感情は容易に優越感にすり変わる、ジュン嬢ちゃんの様な心の闇に変化する、妬心を抱けば嫌われるだけじゃぞ?」
真摯に頷くホリィの手をシンジは掴んだ。
「気をつけてね」
「え……」
「シンちゃあん、嫌いたくないってかぁ?、僕の好きなホリィで居てって感じ?」
苦笑する。
「それもあるけどね……、今のホーリィは人にとって否定しちゃいけない心そのものだよ、でもジュンって子は甘えられないはずだ、ホーリィが見せてくれる愛情よりも、ホーリィに対する憎悪が勝ったら」
「危険な事になる、か」
「うん、人の感情の流れは読めないからね、ほんのちょっとしたきっかけで変わる……、大きな才能が災いしたかもね、大きいだけに勢いよく闇に沈んでってる、あの子を感情の汚泥の中からすくい上げてあげるのは大変だよ?」
そう言う瞳にホリィは感じた。
(わたしがジュンにこだわってること、分かってるんだ)
だから忠告してくれているのだと。
ホリィは……、その問題のジュンが何処に居るのかと考えて……
おそらくは参号機の元であると、思い至った。
「参号機、か」
−第一支部指令部−
「何かご不満が?」
「不満だらけだよ」
ミックとグレンは人には聞かれぬように囁くような声で会話していた。
傍目には茶でくつろいでいる司令と、その斜め後ろに立つ副司令と言った趣なのだが。
「我々は予定通りに参号機を仕上げるべきだったと思うか?」
「結果論になりますな」
「結果?」
「そうです、参号機がなければ第一支部は既に」
「そうだがな……」
二人はその参号機のために集められた子供達が使徒の紛い物を引き寄せているとは知らない。
「それで、セカンドチルドレンは」
「生存が確認されました」
「確認?」
「当人から通信が……、サードチルドレン宛に」
「届けたのか?」
「止めています」
「届けておけ」
「良いのですか?」
「セカンドインパクト以降、我々が学んだ物があるとすれば、流されると言う事だよ」
グレンは小さな嘆息を見せた。
「それは消極的なことで」
「ああ、我を通すばかりでは軋轢と亀裂を生むばかりになるからな、そうしたものが噴き出すためのトリガーは、実に些細なもので良い、日本を見たかね?、あの地獄のような数年間で最も早い復興をして見せたのだぞ?、その背景には間違いなく甘さが余裕となって根底に根付いていた現実がある」
「夢も希望も無くては生きては行けませんからなぁ」
「それが殺し合う事だけを手段とした我々との差だな、……こちらにはまだ四号機がある」
「温めて待ちますか」
「問題はペンタゴンだよ、サードの奪取に失敗した彼らが、セカンドを見逃すと思うかね?」
「いっその事、シンクロシステムの真実を公開なさっては如何ですか?」
「それこそ自殺行為だよ、それに、その権限はわたしには無い」
ミックは空になったティーカップを皿に乗せると、傍に置いていたポットの乗っているトレー台に戻したのだった。
どうせサードが何とかすると、そんな事を思いながら。
少年少女達を呼称する時には候補生と言う呼び名が相応しかった。
これはチルドレン候補生と言う意味の裏に、『参号機パイロット予備軍』との響きが潜められている。
「なぁんかやる気しねぇなぁ」
グリスら少年達は、ぼやいて倉庫前に積まれているタイヤの上に寝そべっていた。
その目はシンジと話し、楽しそうにころころと笑っているホリィへと注がれている。
候補から本当に予備へと、いや、このままでは間違いなく放逐されてしまうだろうことは、彼らだからこそ最も切羽詰まった物として感じていた。
「ここ出たら、どうする?」
つい、そんな話題に進んでしまう。
「僕は……、帰るとこもないしね」
「じゃあ軍隊志望か?」
「俺はダウンタウンに戻るかな、それなりに腕磨いたし、あそこなら無敵だろ」
一方で女子達は女の子達で困っていた。
「どうするぅ?」
「エリックに着いてく」
「あんたそればっかりね」
「メイは?」
「日本に帰るかも」
「そっか、お父さんの転勤に着いて来ただけだっけ」
「やっぱりホリィが乗るのかな?」
「乗らないんじゃない?」
「どうして?」
「なぁんか男ボケしちゃってるしぃ」
む〜っとシンジとホリィを羨ましげに見つめる少女達だ。
「でもサードって恐くない?」
「そう?、ダウンタウンじゃあれくらい普通だよ?」
「そうなの?」
「気に入らないからって殺すだけならマシじゃん、ダウンタウンじゃ面白いからとか、ただの憂さ晴らしってのが理屈だモン、大体、ネルフ支部のある街に集まって来る人って、そう言う所から逃げ出して来た人が多いんだよ?、知ってた?」
「それだけ平和ってことか」
そんな視線を受けている二人は、やや違った視点での話をしていた。
「どうするか決めたの?」
シンジの言葉にホリィは微笑む。
「参号機には……、乗るしか無いと思うから」
「そっか……」
「うん……、シンじゃジュンは納得しちゃうから、セカンドでも多分ね、自分と同じ存在……、仲間内から誰かが出ないと、ジュンは変わらないと思うから」
「辛いよ?」
「それでもわたし達の目的は『参号機パイロット』だから、シンは参号機の本当の姿を示してくれたけど、参号機のパイロットのあるべき姿や心構えは見せてくれてない……、誰かがこうあるべきだって目標にならなくちゃいけないと思うの、違う?」
シンジは微笑む。
「そうだね、でないと参号機は自分のものだから好き勝手やって良いって勘違いしちゃうだろうからね……、誰も諌めないから、注意出来ないから、自分でないと動かないって強みは、我が侭に通じてしまうから」
「わたしが後ろに居る事がその抑制に繋がるなら……、目標で居続ける事が出来たなら」
「そう上手くいけばいいけどね」
ホリィはちょっとだけ、やる気を削ごうとするシンジの言葉に口を尖らせた。
「ホーリアがやる気になっておるんじゃ、良かろうて」
そう顧問は参号機とのシンクロ実験を後押しした、あるいはそれが修行と同じ効果を生むと思ったのかもしれない。
廊下を荒々しい音を立てて少女が歩いていく、背が低い分だけ大股な姿は滑稽でもある。
ジュンだった。
参号機のケージに向かっているのだろう、方角はあっている。
(どうして)
胸中に渦巻く言葉はその一言だ、だがそうそう単純な感情ではない。
どうして自分ではないのか?、どうしてホリィなのか、自分ではいけない理由は何か、ホリィが羨ましいのか、憎いのか、それとも単に焦っているだけなのか。
ホリィに対する感情なのか、それとも誰に対するものでも無い憤りなのか。
ジュンはその対象を見付けた気がした。
サードチルドレン。
碇シンジだ。
「やあ」
シンジはケージに入るほんの少し手前で陣取り、ジュンの前に立ちはだかった。
「サードチルドレン……」
「碇シンジ、って名前言わなかったかな?」
まあいいや、と軽く済ませる。
「何処へ行くの?」
「……ケージ」
「ダメだよ、実験は地上で行われる、エントリーの確認後にケージには退避命令が出される、もう時間が無い」
「邪魔しないで」
「嫌だ」
「どうして」
「ホーリィが乗りたいって言ったから」
「どうして!」
「ホーリィの邪魔をしようとする君は敵だから」
「敵!?」
不敵に笑う。
「そう、敵、僕の敵、ホーリィの敵じゃないよ、君は僕の敵になる女の子だ」
「どうして!?」
「初号機のパイロットだから、かな?、もし使徒が来なくなったとしたら?、初号機を手にしている僕は最も恐れられる存在になる、その時止める手段は何処にある?、そう、同じエヴァだよ」
「わたしはそんな事のためにエヴァに乗りたいんじゃない」
「ならこう言われたとしたら?、神のつもりになって善悪を裁こうとするサードチルドレンは悪魔だ、だから勇者としてこれを成敗しろ、……ホーリィはそれが真実かどうか自分の目で確かめるだろうね、でも君は違う、君にとって重要なのは『みんな』が僕を悪魔だと思ってる『事実』であって真実じゃない、みんなが『敵』と思っているものであればなんでも良いんだ、それを倒せば誉めてもらえるから、でもそれは危険だよ、誉めてもらえるなら例え間違ってることでも良いんだからね」
シンジはおどけるように付け足した。
「まあ、僕が善人だとは言わないよ、でも僕にとっては君よりホーリィの方が都合が良い」
「都合?」
「そうさ」
「なんの」
「さあね、でもホーリィは君が間違った所へ向かわないようにしたいみたいだ、そのためにいつでもわたしはジュンの代わりになれるんだって、楔を打ち込んでおきたいんだってさ」
「ホリィが!?」
「笑っちゃうよね」
実際、シンジはくつくつと笑った。
「人は自分で決めた思い込みの中だけで生きて行く生き物さ、他人の指図なんて迷惑なだけだよ、そうだろう?、君はホーリィを憎く思ってる、参号機を奪おうとしているホーリィをね」
「そんなことない!」
「そうかい?、じゃあどうしてホーリィを睨んでた?、ホーリィを部屋から追い出した?、そして今ケージに向かって乗るなって言おうとしてるのかな?」
血の気の引いた様子を楽しむ。
「君にとって大事なのは参号機に乗って世界を守ってるって名聞なんだよ、大義じゃない、他人の評価さ、人を助けたい、守りたいって訳じゃない、だから乗らない方がいい、乗せられない」
「違う!」
「本当に?、乗ったら最後、任務に失敗した時どうするの?、もし逃げ遅れて傷ついた人が居たとしたら?」
一瞬だけ……
ほんの一瞬だけ、シンジの瞳に陰りが生まれた。
脳裏にまた、一つの記憶も。
『悪いなぁ、転校生、ワシはお前を殴らないかん、殴っとかな気がすまんのや』
「その途端、君が世間の敵になる、そうだろう?」
思う所があるのだろう、ジュンは黙らざるをえない。
父が正にそうだったから。
どれ程行いが正しかろうとも、評価として悪なら、悪なのだ。
また同時に、それはシンジの言葉を肯定する思考でもあった。
自分が求めているのは……
「君は、エヴァをどう使いたいんだ?」
反射的に答える。
「使徒を倒す」
「それだけ?」
「……」
「ほら、どんな使徒が来るかも分からないのに、ただ倒すって言葉だけだ、どんな風に戦うんだよ、言ってみなよ」
「……」
「僕のように戦うかい?、森を、街を焼き払っても平然としてる、僕みたいにさ」
唇を噛み締める、ジュン。
「それとも街に全く被害を出さずに戦うのかい?、何処かに誘導して?、どこに?、この狭い世界で人が暮らして無い場所なんて無いよ、何処で戦ったって、そこに居る人の生活には支障が出るさ」
「でもわたしにはエヴァしかないの!」
「やれやれじゃのぉ」
そんなジュンの助太刀に現われたのは老師であった。
「やれやれじゃのぉ、そう苛めるでないわ」
「老師様」
「顧問……」
老師はにかっとジュンに笑った。
「ほれ、行かんか」
「え……」
「この小僧の相手は儂がしよう、なぁに、まだ弟子に追い抜かれるほどもうろくしておらんわ」
「良く言いますね」
ジュンは駆け出し、シンジの脇を駆け抜けた、その時、殺されるのではないかとギュッと目を閉じたのだが……
(え?)
シンジが背中で応援してくれた気がした、ちらりと振り返ると、実際シンジは笑って見送ってくれていた。
(何故?)
もちろん答えるシンジでは無い。
「まったく、苛めるだけならもっと上手くやらんか、追い詰めおって」
「こういう事は苦手なんですよ、……僕はあの二人と違って、どうこうするべきだなんて言えるほど大人じゃないから」
「自分が子供であると認められれば子供では無かろう」
「何も出来ないのに?」
「それほどの力があってもか?」
「だって死ぬ人は死ぬし、死なない人は死なない、生きて行く人は生きて行くし、死にたがりは自分で自分を殺します、……僕には救えたためしが無い」
「小僧……」
「それに僕もあの二人に……、カヲル君とレイに救ってもらった一人ですからね」
「まだ自分では歩けんか?」
「分かってくれる人が誰も居ないなんて、二度とゴメンですから」
シンジはそう言って顔を背けた。
「カヲル君の真似をしてるだけで、精一杯ですよ」
本部とは違う造りをしている以上、エントリーの仕方もまた異なって来る。
外壁部のタラップからエントリープラグへ向かって橋が伸びる、その先端に立っているのはホーリア・クリスティンだ。
(エヴァンゲリオン)
すうと目を閉じて息を吸う、肺にエヴァが発散している空気が入る。
熱に焼けて咳き込みそうになってしまった、しかしこの気と言う名の『糸』を手繰り操らなければ、この巨大な人形は動かせないのだ。
それはシンクロシステムと呼ばれる、人格移植OSを経由したA10神経の接合によって動作させる、本来の操作法からはかなり掛け離れた起動法である。
ホリィ達は老師と呼ばれる人物がこのために呼ばれた事実を知らない、だが経過はどうあれ、ホリィはこれを行えるようになってしまっていた。
(やる)
心を決めて、顔を上げる。
立ち尽くしてさえ寒気を覚えるようなオーラが発散されている参号機、これを解放させるために。
しかし背後から聞こえた、カンカンカンとタラップを駆け上がる音に、ホリィは意識を切り替えるしか無かった。
知った、『感じ』だったから。
橋桁に響く震動を感じなら振り返る。
「ジュン」
「ホリィ」
ホリィはジュンの顔に驚いた、いつかの睨むような物ではなく、またいつも見て来た夢見るような顔でも無く。
挑むような顔をしていた。
「悪いけど、ホリィにだけは渡したくないの、参号機は」
ホリィは負けじと言い返した。
「何故?、素質じゃ負けてるかもしれないけど、先に努力を実らせたのはわたしだわ」
「じゃあテストを代わって、証明してみせる、わたしでも動かせるって」
「無理よ」
「どうして!」
「だってジュンの目は曇ってるもの」
「曇ってる?」
ほらやっぱり、と演技する。
「『今』のわたしが見えてないじゃない、焦ってるだけ、そんなジュンには任せられない」
ジュンはやはり唇を噛んだ。
「あの人と組んでるってこと……」
「あの人?、……シンのこと?」
「わたしが選ばれても不思議じゃなかった……、ホリィが選ばれたのはわたしより大きいから、魅力的だから、そんなの不公平じゃない!」
ホリィは嫉妬とも取れる発言に対して悲しげにかぶりを振った。
「今ならシンがジュンを選ばなかった理由が分かるわ」
「……」
「そうやって卑屈になってたからよ、わたしはわたし、あなたじゃないし、あなたはわたしになれない」
「なによ、そんなの……」
「もちろん、わたしだってジュンにはなれない、でもわたしはジュンになりたいとは思わない、満たされてるからじゃない、わたしはわたしでしかないし、わたしはわたし以上にも以下にもなれないからよ、諦めて自分であろうとするしか無いのに、ジュンは自分であろうとしない、してない、だから不安定になってる、安定してない、安定してないからあなたはその才能を目覚めさせる事が出来ないでいる」
「分かったような事を言わないで!」
「分かるから言うのよ、分かるから……」
「ホリィ?」
「ジュンがどれくらい嫉妬してるか、どれ程エヴァを求めているか、全部分かるの、ジュン?、今までのあなたなら、わたしがあなたにどうするか、そんなの簡単に分かるはずよ」
譲るだろう。
もめてまでこだわりたくないから。
ホリィにとって大事なのは仲間であって、エヴァではないから。
「けど今のあなたにだけは任せるわけにはいかない、乗せるわけにもいかない、だから邪魔をするしかないの、あなたのね」
「そんな勝手に」
「そうね……」
「わたしのことはわたしが考える!、人にやってもらわなくったって出来る!、そんなの勝手に考えないで!、余計なお世話よ、迷惑よ!」
「でも今あなたを止めないともっと多くの人が迷惑を被るわ、あなたのせいでね」
「!?」
「あなたも周りも傷つくことになる、それが『視えて』いるのに止めなかったとしたら、凄く後悔することになる、ジュンに嫌われるのは厭だけど、後悔するなら満足して後悔したいから」
「自己満足じゃない」
「それで十分よ、自分が自分で居続けるためには十分よ」
勝てない、その悔しさがジュンに拳を握らせた。
ホリィの言葉の意味がどれ程のものか、さほど感じ取ることは出来ない、理解も出来ない。
臭いし、薄っぺらく感じる、それでも清々しい姿には自分の意見が食い込む余地など無いのだと感じられた、信念の固さが窺えた、そして自分にはその信念に揺さぶりを掛ける事すら出来ないのだ。
無力。
その意味を知る。
「どうするの?」
声を掛けられて、ジュンははっと顔を上げた。
こうしている間にも橋桁は動いて参号機へと近寄っている。
「あと三十秒ほどでエントリープラグに到着する、乗るのなら……、そこまで乗りたいのなら」
もうそれ以上の言葉は不要だろう。
ホリィの半身を前に向けた自然体は、反射的に拳を構えさせるには十分だった。
ザッと後ろ足を引いてしまうジュン、足場は動いていて派手な立ち回りは出来ない、宙に浮くなど論外だろう。
これは小柄な自分の一番の武器、立ち回りの素早さを殺される事になる、単純な殴り合いなら大柄なホリィに遥かに分がある。
……それでもジュンには逃げられなかった、逃げる事が出来なかった。
これが試練であることは容易に察しが付いたからだ、『どこまで』参号機に乗りたいのか?
示さなければいけないのだ、ここで引き下がれば自分は『その程度』乗りたかったのだと認める事になってしまう。
けれど。
−あんたら馬鹿ァ!?−
突如二人はスピーカーからの音に耳をやられて顔をしかめた。
「なに?、誰?」
−いやぁねぇもぉ、言って分かんない奴はぶん殴るってその発想がチンケなのよ!−
「参号機!?」
ホリィとジュンは参号機に振り向いて驚いた。
「レイ!?」
参号機の襟元で手を振っている、その傍でエントリープラグが収納され、起動シーケンスがスタートしている。
橋桁に緊急停止が掛かって二人はつんのめった、慌てて手すりにしがみ付いて顔を上げる。
「参号機が!」
キンキンキンキンキンと音がする。
それはATフィールドが発生して起こる共鳴だ。
「起動する!」
キュインと目に光が灯った、顔を上げる参号機。
……シンジの時に比べれば、あまりにも大人し過ぎる起動であった。
−ほぉらね?、こんなの起動させたからってなんだってのよ!、つまんないもんにこだわってないで、他にやる事あるでしょうが!−
「例えばどんな?」
遥か下から張り上げられた大声だった。
どこか笑いを含んだものだった。
だから声の主も軽く応じた。
−デートに決まってんじゃないのよっ、馬鹿シンジ!−
「シン?」
(それに、誰なの?)
ホリィは困惑しながらも、シンジと通じている人物に、軽い嫉妬を覚えていた。
「馬鹿シンジ!」
言葉と裏腹に嬉しそうな顔をして跳びつく少女だ。
またそれを満面の笑顔で受け止める少年。
「早かったんだね?」
「遅過ぎたくらいよ」
シンジの首に腕を絡めたまま間近くで微笑む。
「それより色々と聞いたんだけど?」
「なにを?」
「何って決まってんじゃない!」
花を散らしていたような笑みが、邪で人をからかうものへと変わった。
「あんたに女引っ掛ける甲斐性があるとは思わなかったわ」
「だから言ったろ?、そっちの師匠も居たって」
「誰よ、それ?」
「加持さん」
ブッとアスカは吹き出した。
「はぁ!?、加持さん、あんたに殺されそうになったとか言ってたけど?」
「彼女が欲しかったら紹介してやるから見逃してくれってさ」
「それでねぇ……」
「最初に見せてもらったのはアスカの写真だったけどね」
「……来なかったじゃない」
「加持さんに紹介してもらったってしょうがないじゃないか」
「まあね」
そう言ってアスカは離れた。
「で、どの間抜けなの?」
参号機の足元に集まっている野次馬は整備班の人間だけでなく子供達も居て、多種多様だ。
その中でアスカがちらりと見たのは……、ジュンだった。
「あれかな?、あんたってああいう子に弱いもんね、マユミとか」
「違うって、ホーリィ!」
シンジの笑みに戸惑いながらもホリィは前に出た。
「え、っと……」
困った様子のホリィに微笑む。
「ホーリィっての?、あんた」
「ええ……」
(喜び、小さな嫉妬、でも嫌悪感ほど強くは無いの?、好意を持ってくれてる)
「勝手に動かして悪かったわね、惣流・アスカ・ラングレー、元弐号機の専属パイロット、セカンドチルドレンよ、抹消されたけどね」
驚き、目を丸くする。
「あなたが……、セカンド」
「そう、今はただの民間人よ」
「でも良く入れたね、ここ」
「レイが迎えに来てくれたからね」
ギロリと睨む。
「あんたあたしが誘拐されてたらどうするつもりだったのよ!」
「痛い、痛いって!」
ギュウッと腕をつねり上げるアスカである。
「ホーリィ?、こいつ狙ってる子って結構多いから気ぃつけなさいよ?」
「は?」
「マナにマユミにレイにあたし、他にもいるかも知んないからね?」
(『あたし』って……)
ホリィはそのさりげない挑戦状と、にやりと言う挑発的な笑みに、鳥肌が立つような寒気を覚えさせられていた。
続く
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作を元に創作したお話です。