「セカンドチルドレンの横槍が入ったか」
 ミックは楽しそうに笑った。
「ジュンとホーリアの反応は?」
「それぞれですが、軋轢は減りましたな」
「ま、当然じゃろうな」
 くつくつと笑う老師だ。
「小僧には届かんまでも、嬢ちゃんはさほどかけ離れた相手ではない、そうじゃろう?」
「はい、シンクロ率は起動数値を僅かに上回った程度で安定しております」
「うむ、小僧は別格、ホーリアは驚異であったが」
「驚異ですか?」
「自分の存在意義を脅かす者としてな、ホーリアはそれを見こして、目標であろうとしたのじゃろうが」
「セカンドの登場ですか」
「さよう、役目を奪われてしもうたのぉ」
「で、セカンドはどうしているかね?」
「暇潰しにと訓練に参加しております」
「成績は?」
「まあ……、最下位と言った所でしょうか」
「……?」
 ミックはきょとんと馬鹿面を晒した。
「すまん、意味が良く分からなかったのだが?」
「最下位です、候補者と比較するまでもなく、まあ、同年代の子供に比べれば反射神経は良いようですが」
「それは……、サードとは酷く違うな」
「むしろ小僧が規格外じゃと考えるべきだな、マルドゥク機関はそこら中から拐う子供を探しておるのじゃろう?」
「あんな少年がそこら中に居るとは思いたくありませんな」
 そう言ってミックは、実に深い嘆息をして見せた。


NeonGenesisEvangelion act.11
『帰国』


 −はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ−
 基地内はひらけていて気持ちが良い、こうして大の字になって見ると空は大きく広がって見える。
 しかし喘いでいる少女には、そんなものを楽しむ余裕は全くなかった。
「ばけもん、ね、ばけもん!、ぜったい、ふつう、じゃ、ないわ、あんたら!」
 アスカである。
 ドイツでは顔の造形、日本においては腰の高さが自慢になるアスカ、ここアメリカでは線の細さが他とは違う魅力を感じさせる、それでもだ。
 ホリィほど胸が大きいわけでもなく、シンジのように超然としたもを感じさせもしないこの少女は、ただ元気なだけのありふれた子として感じられ、安心出来る。
 だからこんな質問をしてしまったのだろう。
「あんたほんとにセカンドなのか?」
 困惑顔で話しかけたのはグリスであった。
「元よ、元!」
「なぁんか想像してたのとは違うんだけどな……」
 アスカの横に腰を下ろす、また二人を取り囲むように、子供達はそれぞれに座った。
「セカンドってことはドイツで弐号機を動かしてたんだろ?、なんで降りたんだ?」
「ま、一言で言っちゃえば面白くなくなったからよ」
「面白くって」
「あたしはね」
 よっと言った感じで起き上がる。
「誰にも負けたくないの、負けない自分になりたいのよ」
「十分勝ってるじゃないか」
「はっ!、エヴァに乗れたからって何よ?、エヴァに乗ってる間は無敵?、そんなの虚しいだけじゃない」
「虚しい?」
「だってそうでしょう?、電源切られたら五分で止まる、エヴァに乗ってない間はただの子供」
 片膝を立てただらしない座り方で横目をくれる。
「あんた……、結構強そうね」
「ま、まあ……」
 ちょっと自信喪失気味なのは、シンジにやられたからだろう。
「あんたに力付くで来られたら、あたしなんて簡単に押し倒されるでしょうね」
「押し倒すって……」
「要するにそう言うことなのよ、エヴァに乗ってないあたしは結局ただの女の子でしかない、あんたセックスの経験ある?」
「……ない」
「それでも想像出来るでしょ?、女の子は受けで男は攻める側なのよ、それを覆せない限り、どんなに強がったってあたしは女の子でしかないわ」
「男より強くなりたいって事か?」
「そうじゃないわ、女だとか男だとかを意識するようなせせこましさを捨てたいのよ、意識されないようになりたいの」
 無意識の内に親指の爪を齧り始めた、苛立たしげに。
「セックスをしましょうかってんじゃダメなのよ、ほらしてやるぞって意識が持てて初めて対等になってると思う、どこか精神的に負けてるものがあるって事じゃない、それじゃあいつまで経っても弱いままだわ」
「……サードには、強そうだけどな」
「あいつは良いのよ、弱み握ってるしね」
「弱み?」
「あいつ、あたしでマスターベーションしてたのよ、それで気付かれてないって信じ込んで、その手で食事の準備して、「おいしい」って聞いてくんだから、全く!」
 意識し過ぎなんじゃないのか、と言おうとして止めたようだ。
 周りの反応も、そう言う風に考えれば確かになぁと広がったから。
「それが弱みか?」
「精神的に優位に立つってのはそんなもんよ、あいつもあたしを認めてるから一歩引くわけ、でも暴力の前にあたしの優位性……、身分とか、学歴とかが通用する?、しないでしょ?」
「だから強くなりたいのか?」
「強くなるって言っても腕力じゃないのよ、力じゃ男には負けるもの、……無理矢理キスされたら舌を歯で引き抜いてやる、レイプされたら食い千切ってやる、隙を見て目を潰してやる、握り潰してやる、汚されちゃったんだなんて悲観的に絶対ならない、やられたら倍にしてやり返してやる、どこまでも負けない、屈伏しない、そんな心の強さが欲しいのよ」
 凄絶とも言える宣言とその笑みに皆は青ざめた。
「サードもそうだが……、凄いんだな、チルドレンってのは」
「そう?」
「俺達は……、そこまで考えは飛躍してない」
 キョトンとした後でアスカは爆笑した。
「ごめん!、でもね、あたしのなんてただ頭で考えてるだけの空論よ、なまじ頭が良いから考えが先走ってるだけ、シンジみたいに行動が伴ってないから意味は無いわ」
「頭は良いのか?」
「嫌味に聞こえるでしょうけどね、事実よ、伊達に大学出てないわ」
「大学!?」
「そ、エヴァとおんなじでもうどうでも良いけどね」
 戸惑いがちに訊ねるグリス。
「どうしてそう、簡単に捨てられるんだ?」
「留まっていたくないからよ」
「留まる?」
「そう、エヴァを起動に導いた、そこまでの努力は自分でも評価してるわ、でもね、そこからはどう?、使徒が来る、これを倒す、だからどうなの?」
「どう、って……」
「誉めてもらえるかもしれない、でも使徒が来る、その度に倒す、これはただのルーチンワークよ、実りが無いわ」
「実り?」
「ええ、わたしはね、常に実になることを突き詰めていきたいの、学力……、ってぇよりものの見方、考え方ね、これは身に付けた、それでエヴァ、思い通りにならない物に根気よく携わった、じゃあ次は何を身に付けるために何をするべきなのか、あたしはエヴァにこだわってちゃ、……括り付けられてちゃ、かな?、自由に次のステップへ進めない、大学もそう、学歴なんて過去の栄光よ、今のアタシには意味が無いの、だから全てのしがらみを立ち切るために、ドイツから離れるためにチルドレンを辞めたのよ」
 同じ十四歳とは思えない。
 そう思っただろう。
「セックスとか……、簡単に口にするし、大人なんだな」
「頭でっかちなだけよ、だってあたし、ヴァージンだモン」
「え……」
 両膝を抱えてくすくすと笑う、膝の上に頬を置いて悪戯っぽく。
「理屈屋なのよね、セックス……、ってよりも自分はやっぱり女だってのを実感したくないのね、だから組み伏せられたくないのよ、相手に弱みを感じて卑屈になって一歩下がって見上げる事しか出来なくなるから」
「そこまで考えるような事じゃないかもしれないじゃないか」
「だぁかぁら理屈屋なのよ、恐がって脅えてる、だって体験しなければ『そうじゃないかもしれない』って逃げていられるから、その逃げが余裕に繋がって、今のあたしを構築してる、矛盾してるけどね、想像と実際とじゃ大きく違うもの、思い知らされてからじゃ遅いのよ、トラウマになるから」
 何かを思い出しのか、またきつい顔になった。
「でもいつかは思い知らされる時が来る、ただ焦るばかりで空回りして負けるわけにはいかないのよ、立ち向かえる自分になるためには腕力じゃない、心に強さが必要なの、ま、たかがランニングでひーひー言ってるようじゃ遠いけどね」
 最後はおちゃらけた調子で締めた。
「さてと」
 立ち上がってお尻をはたく。
「次は何をするわけ?」
 そうやって笑った顔は、逆光の中でも輝いていた。


「参号機を持って帰れって事ですか?」
「そうだ」
 ミックに呼び出されたシンジは、その命令に困惑の色を隠せないでいた。
「不服かね」
「正直、引き渡しに応じるとは思ってませんでしたから」
「何故だね?」
「正規チルドレンが二人に起動可能なエヴァが一体、本部からチルドレンを拐おうとした人達の言うことだとは思えませんよ」
 ごほんと咳払いをして護魔化すミックだ。
「何か誤解があるようだが?」
「……それはまあ、そう言うことにしておきますけどね」
 肩をすくめる。
「で、船の用意は、いつ?」
「船?」
「輸送は空路を予定して下ります」
 その事が知らされた瞬間。
 シンジはヒキッと引きつった。


「嫌だ!、ぜぇったいに嫌だからね!」
 そんな騒がしさに、ん?、っと言った感じでひょっこりと顔を出したのは、アイスバーを咥えたレイだった。
「どったの?」
「どうしたもこうしたも」
 トイレに篭って喚くシンジにアスカは呆れ返っていた。
「帰りたくないって言ってんのよ」
「ホリィちゃんが来ないから?」
「はぁ?、んなわけないじゃん、飛行機が嫌だってのよ」
 ホリィはアスカの言葉の前半と後半のどちらに奇妙な顔をするべきか迷ったようだ。
「そんなに飛行機が嫌なの?、シン」
「ヤだ!」
「なんかあったわけ?」
「ひゅーんどーんっとね、落ちただけ」
「落ちただけって」
「ああもう!、だったらパラシュートでもなんでも積み込んどきゃ良いでしょうが!、エントリープラグに入ってりゃ死にゃしないわよ!」
 取っ手をがちゃがちゃとやった揚げ句に、苛立って扉に蹴りを入れ始める。
 まるで隠れた子を追い詰めている苛めっ子のようだ。
「もうしょうがないなぁ」
 レイはポリポリと頭を掻いた。
「だったらシンちゃんだけ船で帰ってくれば?、一ヶ月くらい掛かって」
「おとぎはどうしたのよ?」
「アスカちゃん置いて帰っちゃった、いっくらなんでもこれ以上はねぇ」
「ふん……、ホーリィ?」
「はい?」
「あんたは来ないの?」
「来るって、何処に……」
「決まってんじゃない、シンジと一緒によ」
「え?」
 驚いた様子に、アスカははぁっと溜め息を吐いた。


(考えもしなかった、そっか、そう言う選択肢もあるんだ)
 ホリィはシンジの事をアスカ達に任せて、一人施設の屋上に出て風に吹かれることにした。
 それ程アスカの言葉が想像の埒外にあったものだったからだ。
(シンにも帰る場所があって、それはわたしと違う、それが当然過ぎて)
 柵にもたれて空を仰ぐ、おそらくは共有し、満たされている物が大き過ぎるのだろう、寂しいとか、悲しいと言った当たり前の感情は沸いて来ない。
(でも顧問もレイも言ってた、いつかこの高揚は消える、その時、わたしは?)
 こうまで余裕を維持していられるのだろうか?
 やはり孤独にむせぶのだろうか?、彼に逢いたいと願うのだろうか?
(でもジュンのこともあるし)
 溜め息が吐いて出てしまう。
「悩んでるなぁ」
 ギョッとした。
「レ、レイ!?」
 いつの間に、と言うか背後、柵の向こう側に腰かけて足をぷらぷらと遊んでいた。
 自分がもたれている反対側に背を預けて。
 いつの間に、どうやって。
 その質問を飲み下す、この少女が気配を感じさせないのはいつものことだと思い出したからだ。
「ホリィちゃんも一緒に来ればいいのに」
 頭をかくんと後ろに倒してレイは見上げるようにして言った。
「候補生っても第一支部の独断で本部じゃ認めてないから法的な拘束は出来ないんだよ?」
「でも」
 ホリィは呻く。
「シンが誘ってくれたわけでも無いのに」
「やっぱりそこに落ち付くわけね」
 レイは笑う。
「そりゃ無理だって、だってシンちゃんはもうホリィちゃんのことを忘れ始めてるもん」
「え……」
「ホリィちゃんはシンちゃんとここにある全部とを天秤に掛けてる、つまり自分はホリィちゃんにとってはその程度の存在、価値しか無い」
「そんな」
「つもりは無くてもそう受け取れるって事、これからだってシンちゃんを取るかどうかって選択肢は無数に経験するでしょうね、シンちゃんだってホリィちゃんを取るかどうか考え続けるわ、そうやって人間は何かを手にするために何かを切り捨てる宿命を持っているから」
「レイ?」
 にこりと微笑む。
「でもシンちゃんはそんな重い事考えたくないから諦めるのね、ホリィちゃんにふられても悲しくならないようにホリィちゃんのことを忘れようとしてるの、何でも無かったんだってんじゃなくて、存在そのものを記憶から消そうとしてる」
「そんな!」
「今までで、長く一緒に居なくて捨てられたような状態でも、シンちゃんが忘れなかったのはたった一人だけしか居ないのよ?」
「アスカのこと?」
 レイは前を向いてホリィから顔を隠した。
 アスカではない。
 レイが思い浮かべたのは碇ゲンドウ。
 シンジの父親だ。
「アスカちゃんとシンちゃんが親友みたいにじゃれ合える理由って分かる?」
「……?」
「アスカちゃんもシンちゃんと同じだから」
「同じって?」
「一緒に居る時は友達、でも離れ離れになったらウジウジしないためにもう考えない、思い出さない、想い出に浸らない」
「そう言う……、付き合いなの?」
「傷が多いから、あの二人」
「え……」
「前にチョットね、散々傷つけ合っただけ、具体的にはシンちゃんがアスカちゃんの首締めたくらい」
「く、くび!?」
「そうよ?、それぐらい追い詰め合ったの、お互いにね」
 想像も出来ない話しだろう。
 今のシンジからでは、追い詰められたなら普通に殺す様が思い浮かぶ、なのにだ。
 首を締めたなどと言う。
 糸で切るのは一瞬だ、だが首を締めると言う行為には、力を込め、ギシギシと首が鳴り、骨の軋む感触を感じなくてはならない、指が肉に食い込む感じもだ。
 そして相手の首が折れるか、窒息するまでの長い時間、その黒意を維持し続けなければならないのだ。
 どれ程のものが鬱積すれば、そのような行いが出来るのか。
 そんな事態になってしまったのか。
 ホリィには想像も出来ないだろう。
「だからシンちゃんは心を守るために淡白になってる、アスカちゃんもそれが分かってるから踏み込まない、傷つけてまで関わり続けようなんて気持ち、さらさらないから」
「シン……」
「ホリィちゃんなら、そんなシンちゃんの気持ちも分かるんじゃないかって思ったんだけど、見込み違い?」
「そこまで分からない……、わたしは、シンほど」
「大人じゃないから?」
「ううん、人を見限ってないから」
「それが普通の感性なんだけどねぇ」
 レイは言う。
「まあ、同情とかじゃ意味が無いからもう良いや、純粋にシンちゃんが好きなら誰よりも何よりもシンちゃんを取ってもらいたかっただけ、そうすればシンちゃんもそう言う人間もいるんだって見直すかなって思っただけだから」
「わたしには、無理よ……」
「うん、だからこの話しはここでお終い、無かったって事で、じゃあね」
「レイ?」
 目を泳がせ、顔を背けた一瞬の間に消えてしまった。
「もう……」
 ちょっとだけ不満に思う。
「そんな話し聞かされて、無視出来るはず無いじゃない」
 多分逆に悩ませようと言う意地悪であったのだろうと、ホリィはそう考えることにした。


 −日本第三新東京市、第三新東京市立第壱中学校、2−A−
「友達は作らないのかい?」
 不意に聞こえた声に、レイは頬杖を突いたまま目だけを本から上向けた。
「何?」
「恐いのは分かるけどね、閉じ篭ったままではいつまで経っても一人だよ?」
 カヲルである。
 もう一人のレイの席は窓際と言う事もあって気持ち良いのだろう、勝手に腰かけて話しかけた。
「一人でありたいと願う君の気持ちを察するからこそ、みんなは君を孤独にする、自分から動かなければ何も変わりはしないさ」
 物問いたげな目をするレイだ。
「なんだい?」
「どうして、わたしに教えようとするの?」
「君が言ったろう?」
「……?」
「僕達は似ているって」
「ええ」
「その通りさ、僕は君と同じだからねぇ」
「同じ?」
 レイのすぐ傍に頬杖を突く。
「司令から聞かされていないようだね……、本部地下にある物とドイツ支部にある物、弐号機に対する零号機、そしてセカンドチルドレンに対してレイが居るように、守護者としての僕と君が居る」
「守護者?」
「初号機とシンジ君を境にしてね、対なのさ、ま、次に零号機に乗った時に分かるよ」
 携帯電話の着信が鳴った。
 それもレイとカヲルのものが同時にだ。
 それが何を意味しているのか、考えるまでも無い事だろう。


「常識を疑うわね」
 葛城作戦部課長による忌憚のない感想であるが、むしろこの眼前に再生されている映像を現実として受け止めろと言う方が頭がどうかしているだろう。
 南洋より浮かび進行して来た使徒、その形状は正八面体をしていて、クリスタルブルーの輝きには雲が白く写り込んでいた。
 速度はそう早くは無い、自動車よりは早いだろうが、トルネードほどではないだろう、住民が待避するには微妙な速度だ、混乱さえ無ければ……、しかしそう事は上手く運ばない。
「大渋滞か」
 しかし被害は零と知らされていた、何故か。
「三秒後です」
 しじまが破られ、波がざわめく。
 使徒の直前の海が弾けた。
「怪獣……、亀?」
「亀ですね、形状が最も近いと思われるのは」
 そう波の下から突如として立ち上がったのは亀だった、それにしても後ろ足二本で立つのだから……
 背中の甲羅は断崖を思わせる削れ方をしていた、ささくれて見える、構えた手は爬虫類の中でも発達した物を感じさせる形状をしていた、だが一番異様なのはその首だろう。
 下顎から異様な長さの牙がそそり立っていた、震えるように咆哮を上げて身悶えする、それに感応したのか使徒も行動に移った。
 正八面体の接合面を光が回り、数周した。
 −ゴン!−
 発せられた閃光によって亀の右肩が溶解し、爆砕する。
「あれは?」
「円周部を加速、集束しています、加粒子砲の一種かと」
 しかし亀は踏ん張った、狂気に満ちた目を挑むように向けて口を開いた。
 −ドン、ドン!−
 口から火の塊を吹いた、二発、一発目がATフィールドを打ち破り、二発目が通過、使徒左部に直撃、使徒はバランスを崩すように燃え上がりながら海に落ちた。
「やったの?」
「いえ、ここからです」
 傾いたまま海に落ちるが、沈み切らないで漂った。
 その上で小さな光を鞭の様に操って攻撃し始めた。
「ホーミングレーザー?」
「あるいはレーザーブレードの一種かと」
 しかし加粒子砲ほどの威力は無いようで、亀の表皮を嬲り、火傷させる程度だ、それでも途切れない照射に嫌気が差したのだろう、亀は距離を取るように動いた。
「逃げる?」
 足を引っ込める亀、その穴から高炎が噴き出し、倒れ沈みかけた体を持ち上げた。
 海水が高熱によって気化し、視界を奪う。
 −ドン!−
 爆発音に似た大音響を響かせて、空中高くロケットのように噴煙を残して昇っていった。
 唖然とするミサトだ。
「なんてインチキ……」
 こめかみを揉みほぐしつつ訊ねる。
「で、赤木博士のコメントは」
「どう答えて欲しい?」
 リツコはもう気にも止めないでコーヒーをすすっていた。
「正体不明、解析不能、あんな巨大な生物がどうやって移動して来たのか、誰も気が付かなかったのか、何一つ分かっていないわ」
「じゃあ突然出現したって事?」
「その点では使徒と同じね」
「その使徒は?」
 これはマヤが答えた。
「伊豆海岸に着底、現在自己修復中です」
「UNの連中は?」
「牽制行動を展開、全て撃墜されたわ」
「ATフィールドは目視で確認出来るほど強力な物が展開されています」
「それとホーミングレーザーか……、でも何故?、攻撃が可能なら何故攻めて来ないの?」
「加粒子砲が使えないからでしょ、外周部破壊されたんでエネルギーを加速出来ないのよ」
「加粒子砲でなければエヴァを倒せないって事を知ってるって事か」
「誰が教えたのかは謎だけどね」
「元から謎だらけの敵なんだから、それで司令の判断は?」
「現在零号機の再起動実験中よ」
「零号機?、初号機があるでしょう?」
「分かってないのね」
 はぁっと溜め息。
「専属機って言うのは伊達じゃないのよ、レイではシンジ君によって確認された初号機の能力の一割も引き出せないの、専用機って言うのはそう言う事なのよ」
「零号機との組み合わせなら、レイはあれ以上に働けるって事?」
「そうなるわね」
 ミサトは天井を仰いで毒づいた。
「参号機だって無茶苦茶だったって話しだし?、前の封印騒ぎみたいになるより、初号機で出した方が無難なんじゃないの?」
 リツコの顔には、同感だと言う皺が刻まれていた。


 葛城ミサト以下作戦部の面々の心中は、これ程滑稽な状況があり得るのかと言った物に落ち着いていた。
 本来使徒との戦闘は、来るか来ないかも分からない物に対して備え、これまた動くかどうかも分からない物を準備し、さらには心構えもなってない少年少女に押し付け、まさにすれすれの状況下での進展を押し付けられるはずだったのだ。
 それが今や如何にしてエヴァを運用するかの一点に搾られている。
 桁違いの破壊力を有するが故に、起動実験すらおぼつかないのだ。
 だからミサトとしては、無難な選択をしたつもりであった。
「初号機による単独出撃かね」
「はい」
 −ネルフ本部総司令執務室−
「水際で叩くためにも、加粒子砲の使用が制限されている今こそが最も殲滅率が高いと考えます」
「マギの判断は」
「賛成二、反対一です」
「反対の理由は?」
「超長距離兵器のないエヴァには近接戦闘以外の選択肢が存在しません」
「もしやられた時には」
「回収は不可能かと」
 ふむ……、と息を吐く。
「どうする、碇?」
「再進攻までには時間がある、サードを呼び戻す」
「シンジ君をか?」
「初号機の性能を計らねばならん」
「実戦で試すつもりか?」
「零号機のこともある、本部での起動実験は危険だ」
「衆目があるぞ」
「これ以上ここが吹き飛ぶよりは良い」
「そうか」
「以上だ」
「はっ!」
 葛城ミサトとしてははらわたが煮えくり返るような指示だっただろうが、それでもトップの決定だ。
 承服するのが義務である。
 必死の思いで編んだ案が、こうも簡単に棄却されてしまったのだから、面白くないのは当然だったが、海の向こうの少年は、むしろそれを喜んでいた。
「綾波を失うつもりは無いって事か」
 シンジである。
「そう言う事らしいわね」
 引きずり出されたシンジはアスカに引きずられて基地の片隅に連れ出されていた。
 ここは飛行場で、参号機はF装備に換装中である。
「ファーストを守りたいなら行くしか無いわよ?」
 にやにやと言う、シンジは目を閉じて葛藤している。
「やるしか、ないのか」
「なぁに大袈裟に考えてんのよ」
 バンッと背中を叩く。
「それより時間の方を気にしなさいよ、使徒の移動再開まで十時間ちょっと、第三新東京市まで数時間、両方足してようやくこっちの予定到着時間よ?、こりゃ直接街に降りる事になるわね」
「間に合わなかったらアウトか」
「天井都市に大穴空けたの、あんたでしょうが」
 気まずげに顔を逸らすシンジだ。
「そんなこともあったっけ」
「護魔化すんじゃないの、まったく、あんなのでも足止めには使えるのに」
 ちらりと建物の方に目をやった。
「あの子は?」
「レイならもう乗ってるよ」
「そうじゃなくて」
 声を潜める。
「ホーリィよ」
「ああ……」
 シンジも建物に目をやった。
「仲間と一緒に日本からの中継を見てるんじゃないかな?」
「仲間と、ね」
「……」
 シンジに痛ましい目を向ける。
「あんたも素直じゃないわねぇ」
「……」
「あたしは好きよ?、あの子、ミサトよりはずっとね」
 くいっと顎で示される。
「ホーリィ」
「シン……」
 アスカはポンとシンジの肩を叩いて押した。
「じゃ、あたし先に乗ってるから」
 まったくと……
 シンジは少し恨めしげな目をしてアスカを追った、足は動かさずに。


「行くんだ」
 後を引く声にシンジは応じた。
「まあね」
「そっけないのね」
「そうかな?」
「そうよ、あんな……」
「ことをした関係なのに?」
 シンジは自分で言った事について笑ってしまった。
「どういう関係なのかな」
「え……」
「ホーリィが求めてるのは僕?、それとも」
 顔を歪める。
 シンジなのか、シンジが見せてくれた『世界』なのか?
「わたしにも、わからないわ」
「だろうね、だから僕は期待しない」
「期待?」
「そう」
 シンジは首を巡らせて……、ホリィとのデートに向かったあの山を見付けた。
「『ホリィ』には『ホリィ』の幸せの形があるって事かな?」
『特別』じゃない呼び方に胸が傷んだ。
「シン……」
「僕には僕の求めてる物があって、それをホリィの中に見付けたけど、ホリィの求めている幸せは僕の中には無い、違う?」
「そうかも、しれないけど」
「互いに補完して、依存し合えないならいつか別の誘惑を受けるよ」
 レイから聞かされたような話しに顔を上げる。
「でも、手に入らないかもしれないじゃない」
「そうだね」
「死んじゃうかもしれないのよ?」
「そうだよ」
「もう会えないかもしれないのに」
「それでもだよ」
 シンジは曲げない。
「死ぬ人は死ぬし、生き残る人は生き残るよ、生きてさえ居ればいつかはまた出会えるさ」
「嘘」
 ホリィはかぶりを振る。
「お別れをしたらそれっきりで、もう期待なんてしないくせに」
 話して気が昂ぶって来たのか。
 声を荒げる。
「それにわたしは信じないわ、そんな偶然」
「そう?」
「だって運任せで、いつか来るかも知れない物を待ち続けるなんてこと、出来るはずないじゃない」
 シンジは頷く。
「そうだね、普通はそうかもしれない」
 シンジの視線を追うと、飛行機部分へのタラップを上っているアスカが居た。
「アスカが……、好きなの?」
「どうしてそうなるの」
「答えて」
 苦笑したシンジに、思いのほか強い語調でホリィは訊ねた。
 嫉妬を隠さずに。
「好きなの?」
「好きだよ?」
「そう……」
「アスカは……、この世でった一人の同盟者だから」
「同盟?」
「そう、僕達は同盟を組んでるんだ、決して一人にはしないってね」
 その瞬間、ホリィは形容のし難い『絆』を『視た』
「シン……」
「アスカは僕と同じなんだ……、母さんに死なれて、父さんに捨てられた」
「捨て……、って」
「僕達はお互いに独りぼっちだった、お互いに求めるばかりで奪い合ってた、居場所をね?、その結果相手が邪魔になって憎み合ったんだ」
「……」
「同じ物を欲しがってる、だから僕達はして欲しい事も、してもらいたい事も分かるんだ、だからして上げる事が出来る、それが例え自分を重ね合わせているだけだとしてもね」
「シン」
「アスカもホリィが気に入ったみたいだね」
「え?」
「だから僕達をくっつけようとしてるんだよ、自分もホリィみたいな子に甘えたいから」
「わたしに?」
「そう、でもホリィを今のホリィに安定させておくためには僕が必要だ」
 唇を噛むホリィだ。
「そうでしょうね、けど!」
 喚く。
「そう簡単に見切りを付けられるって言うのが納得出来ない!」
「ホリィ……」
「これじゃあ捨てられるのと同じじゃない!」
「それは違うよ」
「違わないわ!、だって二度と会えないかもしれないのに、シンはそれでももう他人だから関係無いって言い切ってるじゃない」
 豊かな胸に抱き締められて目を白黒させる。
「ホリィ?」
「シンの言う通り、シンにもアスカにも同じ色が時々視える、すぐに消されてしまうからその意味が分からなかったけど」
 脇の下から腕を入れて、シンジの頭を掻き抱く。
 強引に鼻を首元に擦り付けさせる。
「シンにアスカの気持ちが分かるように、わたしにはシンの心が視える、これは真実で勘違いじゃないのに……、それを知ってて言ってるわけ?、シンは」
「……」
「こんな風に捨てられて、わたしが傷つかないと思ってるの?」
「じゃあ、どうすれば良いんだよ」
 声、いや、体が震えていた。
 それが可愛くてホリィは微笑む。
「我が侭で良いと思うけど?」
「……でも日本だよ?」
「飛行機で数時間よ」
「英語は通じないんだよ?」
「通訳してくれるんでしょ?」
「家はどうするんだよ」
「シンのベッドで十分よ」
 身じろぎされてホリィは解放した。
「ホーリィ……」
 色を視るまでもない。
 こういう時に交わす行為はたった一つだ。
 −んっ……−
 それを遠くから見ている二人が居た。
「おーおー、ピンク色ってぇか春真っ盛り?」
「ふん!」
 機体外部モニターに端末機を直結して操っているのはレイだ、さすがの高感度カメラである、二人の頬の色まではっきりと分かる。
「愛のメモリーってねぇ、ちゃんと記録して後で脅して上げなくっちゃ」
「あんたって結構剣呑な奴ね」
「それ皮肉?」
「誉めてんのよ、ほんとファーストそっくり」
「ふふん!」
 挑発的に鼻を鳴らす。
「あれはあたしの玩具だモンね、そうそう解放したげないんだから」
「……ホーリィを焚き付けたの、あんたでしょうが」
「アスカちゃんだって乗ってたじゃなぁい」
「あたしはホーリィが気に入っただけよ」
 そう言ってパタパタと手を振り、再び画面に目を向ける。
「あ、これジュンって子じゃないの?」
「みたいね」
「音声は?」
「ぬかりなく」
 ブ、ザッとノイズ交じりに入る。
『……げるの?、どうして!』
『ここに居る意味が無くなったから』
『参号機が日本に行くから?、ズルい!』
『参号機には乗らない』
『……なに?』
『四号機、乗れると良いね』
『なに?、なに言ってるの、ホリィ!』
『価値観が違っちゃったね』
『ホリィ!』
 ザッと画像が掻き消える。
「ちょっと!、どうしたのよ、いま良い所なのにぃ!」
「発進準備だって!、エンジンに火が入って電磁波パルス出たみたい」
 ぱたんと端末機に蓋をする。
「飛ぶまでまたカメラは使用不可、あ〜あ、まあ日本に戻ってからホリィちゃん問い詰めて遊ぶとしましょうかねぇ、アスカちゃん?」
「……シンジに睨まれても知らないわよ?」
 それを具体的に想像してしまったのか、うっと唸ったレイだった。



続く



[BACK][TOP][NEXT]


新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作を元に創作したお話です。