「日本国政府から苦情の電報が届いていますが」
「分かってるわ、さっさと倒せってんでしょ、まったく」
 苛立たしげに毒づくミサトだ。
「落ち着きなさい」
「んな事言ったってねぇ」
 同僚を睨む。
「外で戦えば今度は被害を考えろって請求書が山ほど回って来るのよ?」
「向こうだって必死なのよ、株価市場見てる?、アメリカの二の舞はごめんなんでしょ」
「だからってねぇ……、まあいいわ」
 話を切り上げたのは暇が無くなったからだった。
「使徒、移動を開始しました」
「到着予定時刻、フタイチニイイチ」
「UNを下がらせて、刺激する事は無いわ」
「了解」
「零号機の準備は?」
「整いましたが……、第三新東京市の外に配置しますか?」
「司令の指示だからねぇ、でも今はルートの確認だけでいいわ、初号機の準備もしておいて」
「はい」
「後は参号機か……」
 胃が痛い、不安材料が多過ぎる。
 どの機体を取っても暴走紛いの破壊力を示すエヴァンゲリオン、使徒の長距離攻撃兵器、更に強力になったATフィールド、パイロットの不在、間に合うかどうか分からない参号機。
 揚げ句その参号機のパイロットはどうするのか、シンジを乗せるのか、なら最強と言える初号機は?
「あ、頭も痛くなって来た……」
「頭痛と腹痛?、まるで生理ね」
 ちょっと冴えない冗談だった。


NeonGenesisEvangelion act.12
『神話を紡ぐ者』


 その頃、F装備に換装されたエヴァ参号機は太平洋を渡り日本の領海へ入りつつあった。
 飛行機が恐いと言うシンジは、アスカの発案通りエントリープラグに入っていた、と言うか邪魔なので放り込まれてしまっていた。
「謀ったなっ、レイぃいいいい!」
「ぽちっとな」
 搭乗直後、レイはエントリーを勝手にスタートして圧縮濃度を限界にまで引き上げたLCLを注入したのだ。
 おかげで非常に静かである。
「謀られてんじゃないわよ」
 とは呆れたアスカ。
「いっくらなんでも空の上に居る間、ずっとママのオッパイ咥えてるわけにゃいかないんだから」
 レイの厭らしい目つきに縮こまるホリィである。
「でも、初号機は空を飛んだって聞いたけど……」
「うん、初号機は飛べるの、でも参号機には翼が無いから」
「翼?」
「そ」
「ふうん、初耳」
「あれ?、アスカちゃんも知らなかったっけ?」
「あんたらみたいに怪しい事やってないもん」
「そっか、まあ向こうに戻ったらねぇ、ホリィちゃんにも教えてあげる」
「はぁ……」
「けどさぁ、ほんとに良いわけ?」
「何が?」
「何がってシンジよ、シンジ!」
「気持ちよさそぉに寝ちゃってるじゃない」
 すぴーっと……
 端末に経由されたエントリープラグ内のシンジの映像である。
「うなされてる様な……」
「そうじゃなくて!、シンジは初号機に乗る予定なんでしょ?」
「参号機の強襲着陸はお姉ちゃんに任せちゃう」
 うふっと意味もなく可愛子ぶる。
「……ようするにシンジに怒られそうだからってんでしょ、あんた」
「だってシンちゃんしつっこいんだもん、ねちねちねちねち言うし、拗ねるし、カヲルが居たら別なんだけどねぇ」
 ぴくんと反応したのはホリィだった。
「あの……、カヲルって?」
「シンちゃんの彼氏」
「ええ!?」
「違うでしょうが」
「似たようなもんよ、シンちゃんってばカヲルカヲルって、もうカヲルの言うことなら何でも聞いちゃうんだから」
 ぷうっとむくれる。
「あんた妬いてんの?」
「ふんっだ!」
 その様子に、アスカは腕を組んでぬぅっと唸った。
「これは……、マジね」
 ホリィは本気でシンジの趣味を心配した。


 沿岸部程ではないにしても、いや、むしろ第三新東京市郊外の方が人口比率は低いだろうか?
 ともかく、田畑が示すようにそれなりに人の住む気配がある、しかし今は夜の闇と相まって、ひたすら静寂に包まれていた。
 空気が澄んでいるのだろう、満点の星空が広がっている。
 レイの乗る零号機と無人の初号機は、既にこのポイントに特殊車両列車によって移送されていた、ただし起動はされていない。
 レイは……
 恐ろしくて、インダクションレバーに触れられずに居た。
(分かる、何が?)
 零号機を起動した時。
(守護者……、守る、誰を?、何を守るというの?、わたしが、何を)
 守れるというのか。
(わたしには、何も無いもの、何も)
 碇シンジ。
 彼の笑顔が蘇る。
 ただなんとなく、仕方が無いなぁと果物を剥いてくれた彼のことが。
 そしてもう一つ。
(わたしの、笑顔)
 同じ顔、同じ造りの存在が笑っていた。
 −存在−
 それは小さな、そして決して看過できない疑問符だった。
(何故?)
 わからない、だが自分は人形のようだと表現されるのは嫌だと思う。
(なのに認めていない?、わたしは、あの子を)
 それが不思議。
(どうして)
 わからない。
 分からないことだらけだ。
(それが分かると言うの?)
 これを握れば。
(でも)
 やはり握ることは出来なかった。
 それはとてもとても、とても恐い事だから。
 自分が何者であるのか。
 特に気にしたことは無い。
 生きている。
 生物である。
 人は自分を神である、家畜であると錯覚することはままあるが、だからと言って何だろう?
 根本において人であると言う意識は根付いたままだ。
 だのに恐れている。
 本能的に。
 何を?
 分からない。
 分からない事が全て分かってしまうこと。
 それは恐怖そのものだった。
(知りたくないのね)
 そう結論付ける。
 自分の心を知る。
 碇ゲンドウ。
 彼の優しさの理由。
 碇シンジ。
 彼の気遣いの訳。
 綾波レイ。
 彼女の愛情。
 渚カヲル。
 その微笑み。
 自分に自分の知らない秘密があって、それが暴き出されるのだとすれば?
 彼らはそれを知っていて、彼らが求めているのはその付加価値であって、自分と言う個性では無いのだとすれば?
 知らない内はいい、人形のように見えたとしても、その様に振る舞っているのだと自分に言い訳が出来るから、だが真実を知るということは逃避を封じられると言う事だ。
(わたしにはエヴァしかないと思ってた)
 前回試験の事を思い出す。
 不安だった、動けばいいと皆が祈ってくれた、気遣ってくれた。
 だがそれはエヴァが動く事への期待でしかない。
(わたしへの期待も同じだった)
 エヴァを動かしてくれとの願い。
 動かせれば誰でも良いのだ。
 綾波レイと言うパーソナルでなくても。
(嫌いたくない)
 碇シンジら、同じ価値を持つ存在を、敵として。
(辛い)
 その意識を断ち切らせるかの様に。
『レイ、来たわ、良いわね?』
 作戦部課長の声が聞こえた。


「それじゃあ……、参号機のパイロットって決まってないんですか?」
「そう言う事」
 レイは何処から取り出したのか、煎餅をバリバリ齧りながら答えた。
「あたしにも頂戴」
 袋に手を突っ込むアスカだ。
「言っちゃったら悪いかなぁって思って黙ってたけどねぇ、あんたら、支部に居たってエヴァにゃ乗れないわよ?」
「え……」
「ん〜っとね、チルドレンってのはぁ、マルドゥク機関ってとこが探してるわけ、そこから報告されない限り、チルドレンとしての認定はされないの」
「ま、そう言う事ね」
「じゃあ、どうして候補生を……」
「そういやそうね、レイ、知ってる?」
「うん、本部に対しての牽制、エヴァが完成して起動が確認されたら、こっちはこっちで自衛すっから、そっちはそっちで勝手にやれやってねぇ、そのための候補生ってわけ」
 ホリィは少々ならず落ち込みを見せた。
「そんな……、わたし達は」
「けど洗脳は出来ないっからねぇ、脳神経による接続システムを取ってるエヴァだから、洗脳しちゃうとパルスに異常が出ちゃうから」
「だからあんた達みたいにねじ曲がった価値観植え付けとく必要があんのよ」
「じゃあ、じゃあ!」
 −ジュン−
「エヴァへの、こだわりって……」
「そういう風に意識誘導されてたってとこね」
「そんな……」
 項垂れるホリィに手を伸ばそうとするアスカ。
 だがレイのからかいの方が先手を取った。
「さっすがってとっこかな?」
「何よ」
「う〜うぅん、おんなじように操られてただけあって、気持ちがよく分かるんだなぁって」
「え……」
「あ、あたしはっ、別に……」
 バツが悪そうにする。
「見てらんないってのは分かるけどねぇ、そのせいでシンちゃんと殺し合いまで行っちゃったんだから」
「殺し合いはしてないわよ、……殺されかけただけで」
「アスカちゃんだってぇ、殺してやるって喚いてたくせにぃ」
 ホリィは二人の会話から思い出した。
『僕達はお互いに独りぼっちだった、お互いに求めるばかりで奪い合ってた、居場所をね?、その結果相手が邪魔になって憎み合ったんだ』
 何故邪魔になったのか?
(エヴァを奪い合ったの?、二人で)
「あたしはジュンだっけ?、あの子からは離れた方が良いと思った、それだけよ」
「傷つけ合う事になるから?」
「そうよ、周りもエヴァを中心に物事を考えて押し付けて来るもの、ちょっとだけ……、ホンのチョットだけ、一歩だけ下がって見れば、こんなにバカバカしいことは無いのに、無かったのに……」
 左の目を押さえる。
 痛むのか、顔を歪めて。
「アスカ?」
「そろそろ時間ね」
 手を下ろす、金の髪が前に流れて隠してしまう、しかし一瞬だけ……
 青い瞳が、真っ赤に見えた。


『レイちゃんどぇえええええええっす!』
 発令所内いっぱいに響き渡る声、その後でキィイイイイイインとご丁寧にもハウリングが起こって皆の耳を痛めつけた。
「ああ、っつ、レイちゃん?」
『ほぉい、現在地点はトレースしてますわねぇ?、ではでは作戦を通達しますぅ』
「しますぅって、ちょっと!」
『現在伊勢湾上空を通過中、強羅絶対防衛線合流作戦ポイントにて参号機を高々度より投下』
「投下って!」
『お姉ちゃん聞こえてるぅ?』
『ええ……』
『そいつぁ結構!、参号機のエントリープラグ内にシンちゃんが居るんだけどぉ、のびてるから後よろしく』
「のびてるって、どうして、何があったの!」
『飛行機は落ちるから嫌だってダダこねるから黙らせたのよ!』
 ミサトは聞き覚えのある声に目を丸くした。
「アスカ?」
『久しぶりねミサト』
「アスカ!、なんでっ、どうしてそこに!、あなた墜落事故で」
『ああ、ドイツ支部が仕掛けた奴?、あんな間抜けな工作に引っ掛かるわけないじゃん』
 けけっと笑う。
『はいはい、時間が無いからアスカちゃんは黙っててね、赤木博士居ますぅ?』
「ここに居るわ」
『参号機と初号機のエントリープラグの仕様は確かめたけどプログラムが一部変更されてるから修正願います』
「……なにを、まさか!」
『その通りッス!』
 音声だけなのに敬礼してる姿が思い浮かんだのは何故だろうか?、しかも意地悪く笑って。
「またっ、無茶を!」
『でもマギを使って全部書き換えちゃえば数分でしょ?、参号機のシステムのバックアップデータはあるんだからさくさくっと上書きしちゃって』
「分かったわ」
『ども!、じゃあお姉ちゃん?』
『なに?』
『お姉ちゃんが受け止めてくんなかったら、シンちゃん、多分死ぬから』
 驚いた雰囲気が伝わって来た。
『何を……、言ってるの?』
『LCLの圧縮濃度最大にして気絶させちゃったから起動してない、ATフィールドも勿論張ってない、そんなものが高々度から落下すれば衝撃だけで死ねるっしょ?、じゃ、そういうこってして、んじゃねぇ』
 一方的に切れた、これがミサトなら「あ、ちょっと!」、などと追いすがれただろうが、レイにそんな焦りを表面に浮かべる事など出来なかった。
 ややあって代わりに溜め息を漏らしたのは……
「無茶苦茶ね……」
「リツコ?」
「あの子、参号機のエントリープラグをそのまま初号機のプラグと差し替えろって言ってるのよ、パイロットの交換時間短縮のためにね」
「出来るの?」
「理論上は」
「……不確定要素を考えなければって事ね」
 ミサトは寒気を感じつつ指令塔の上を見上げた。
 ゲンドウと冬月コウゾウ、それに渚カヲルが居るのだが、特に今の会話について指示を挟んで来ない所を見ると。
(やれると思ってんの?、本気で)
 そう疑うしかないだろうが、実際はそれほど穏やかでも無い。
「良いのか?、碇」
「かまわん、弐号機がいずれ届く」
 ちらりとカヲルを見やる副司令だ。
「いいのかね?」
「構いませんよ」
 カヲルはここでも勝手にパイプ椅子を持ち込んで、ポットからコポコポと紅茶を注いでいた。
「飲みますか?」
「……頂こう」
「紙コップ、消費文化の極みとも言うべき製品、だけどプラスチックのコップはさらにその処理に困る事になる、土に還せる物と、返せない物、果たしてどちらが本当に地球に優しいのか」
「何かの啓示かね?」
「お気遣いなく、からかっているだけですから」
「……」
「砂糖はお幾つで?」
「一つ貰おう」
 どうやら本気で心配してはいないらしい。
 しかし当の本人としては、実に心配して欲しかっただろう、もっとも。
 気を失っていては、自分の状況など分かるはずも無かろうが。


「本当に大丈夫なの?」
「心配症だねぇ、ホリィちゃんは」
 何をどうしているのか分からないが、パイロット席の後ろにある待機ルームは引っ張り出されたコードや機械の類が散乱し、そのリード線は剥かれて別の配線が横繋ぎされ、全てレイの端末機に向かって収束していた。
 しかもその端末機がどうやら本部の発令所と同程度の指揮能力を発揮しているらしいのだ、不思議であるが。
「LCL一時排水っと、入れ替えて、起動シーケンスのロック確認、マギと接続、プログラムドラーイブ!、じゃなくて書き換えスタート!」
 衛星回線を通じて圧縮された膨大なデータが送られて来る。
「後は待つだけっと」
 顔を上げる。
「それじゃあ、この間にもう一つの問題を片付けちゃおうか?」
「もう一つの?」
「そ、アスカちゃんとホリィちゃんの立場って奴」
「へ?」
「え?」
「分かってないなぁ」
 ちっちっちっと指を振る。
「言ったっしょ?、候補生なんて正式には認められてないの、アスカちゃんも死んだはずなのにここに居るし?、その上とても合法的とは言えない方法で日本に来ちゃってんだから」
「そっか、そうね、ヤバいわ」
「でがしょ?、それにアスカちゃんもホリィちゃんも適格者としての資格があるとなると、どうやったって取り込まれるんじゃない?」
「シンは……、どうしてるの?」
「シンちゃんは傭兵扱い」
「はぁ!?、あいつそんなんでエヴァに乗ってるの?」
「そうよぉん、一回ごせんまんえん、どう?、良心的でお得でしょ?」
「ほんとに馬鹿ね……」
 心底呆れて……
「もっと高く売り付けてやりゃ良いのに」
「アスカ……」
 呆れるホリィに、レイは笑う。
「モノホンの契約傭兵のお値段なんて天井知らずなんだから、アスカちゃんの方が正しいんだけどね」
「そうなの?」
「だって兵隊さんは御国のためだけど、別にあたし達には戦う理由が無いもん、だったらお金ぐらい」
「無いわけ?、ほんとに?」
 意地の悪いアスカの言葉に、レイは珍しくうろたえた。
「いいっしょ!、もうっ、ほら、投下時間だよ、もうすぐカウントダウンだからね!」
 レイは書き換え終了の文字が表示された画面を消して、今度は使徒と零号機と初号機と本機の位置関係地図を呼び出した。


 レイは半分停止していた。
 思考が働かない。
(死ぬ?、彼が、碇シンジ、彼が?)
 −ナゼ?−
(受け止める?、エヴァを、エヴァで?)
 作戦は着々と進行している、既にプラグ内部はLCLで満たされ、電化までは進められていた。
 エヴァとの回線は開かれていないが、それでも状況表示は出来る。
(高度……七千、六千、五千)
 ぞっとした。
 急降下爆撃を行うわけではあるまいし、どうしてそこまで加速する必要があるのだろうか?
『レイ、急いで!』
 ミサトの言葉にビクリと脅える。
「あ……」
 レバーを握ろうとして……、指が、いや腕が硬直し、動かない。
(駄目!)
 今やらなければ、死ぬのだ、彼は、間違いなく。
(でも!)
 自分と、彼と、どちらを取るのか?
 蘇る。
 −君はもう、零号機に乗れるよ−
 硬直が解けた。
 グリップを握り込んで空を見上げる。
『エヴァンゲリオン零号機、起動します!』
 オペレートがスタートしている。
『何これ?、シンクロ率上昇、止まりません!』
 パシッと、脳の中で火花が散った。
 脳神経が焼き切れる音が聞こえた、パシ、パシっと何かが……、解放されていく。
 それは封印。
 誰が掛けたものでも無く……
 あるいは神によって施された、禁断のブラックボックスを締める帯紐が、切れ弾けていく音だった。
(あ、あ)
 膨大なイメージが溢れ出す、人の許容量を遥かに越えて。
 人工の街溢れ返る人孤独な自分はしゃぐ子供達学校のプール微笑む人貫かれる巨人雄叫びを上げるエヴァンゲリオン血を流す使徒悲鳴と慟哭青い空と閃光赤い瞳ATフィールド落ちる首。

−光と水のイメージ、それが指し示す物は太陽−

 はっとなる、同時に頭の痒さが取れていた、そう、もどかしかった、自分の中には何かがあって、それを思い出せそうで思い出せなかった。
 知らないはずのこと、デジャヴ、だけど知っているはずのこと、不思議な感覚。

−そう、わたしはエヴァを知っていた−

『レイ!、……駄目か、シンクロを強制カット』
「だめ……、碇君が呼んでる」
『レイ!?、……正気なの?』
 虚ろな瞳で空を見上げるレイである、その口元に浮かぶ薄ら寒い笑みは、果たして発令所の全ての者に息を呑ませた。
「ただいま」
 それは最後の封を破る、無意識の内の発露であった。


 声が聞こえた。
 懐かしい声が。

−ナニヲネガウノ?−

 はっと目を見開くと、浮き上がりそうになっている体をシートの吸着システムが固定してくれていた。
「この感じ、落ちて……、うわあああああ!」
 がしんと震動。
「落ち……、止まった?」
 レバーを握ってがちゃがちゃと動かし、通信だけでも機能させる。
「え、っと……、どうなってるんだよ、レイ!」
『碇君……』
「え?、綾波?」
 無言。
「綾波?」
 震える声で。
『ごめんなさい……』
「え?」
『こんな時、どんな顔をすればいいか分からないの』
 シンジの体に電撃が走った、痺れはあるいは歓喜の声。
『本当は、嬉しいはずなのに』
 それは確認でしかない。
「笑えば……、良いと思うよ」
 まるで合言葉の様に組み合わせられる一連の演劇。
 通信ウィンドウが開く、微笑んでいる綾波レイが居る。
 鍵掛けられていた禁断の力の目覚めと解放、とでも言うのだろうか?
 レイは『理解』していた。
 己が『肉体』で受け止めた『器』の中に居る少年との間に繋がる、言葉で語るにはあまりに長い、短い期間に交わした全ての出来事が生んだ『絆』の全てを『内包』していた。
 溢れ出して来る物がとめどなく手足の先まで満たして行く、温かな欲望が沸き起こる。
(一つになりたい)
 その気持ちを鎮めにかかる。
(いいえ、もう一つなのね)
 微笑みを消す、いつもの顔に戻る。
 参号機を抱き受けたまま、ゆっくりと降下していく零号機、その装甲は一部内側からの力によって吹き飛んでしまっていた。
 夜の闇に広がっているのは六枚の金色の翼であった、大地に降り立つオレンジ色の機体の背中から生える……
「なによ、あれ」
 ミサトは震える声を漏らしていた。
 零号機の背中、その翼。
 彼女はそれに見覚えがあった、枚数こそ違えど見覚えがあったのだ。
 初号機より顕現した二種の翼とも違う、黄金の輝き。
 フラッシュバック。
 カプセル、それは方舟、命を乗せた儚い船、木の葉のように不安定に揺れる。
 凍えるほどに寒かった世界が、汗が流れるほどに暑かった、海は蒸気を噴き上げ、空には金色の光り達が舞い踊って居た。
 遠くには屹立する柱が見えた、それは余りにも巨大過ぎる翼であった。
 南極大陸が消失した大災害、セカンドインパクト。
 その正体たる第一使徒と呼ばれる存在の覚醒と解放。
 そう。
 −覚醒と、解放−
 ぞっとする、悪寒が走った、それは直感だった。
 綾波レイ。
 その容姿、白い肌、髪、目、唇、うなじ、細い腕。
 歯がかち鳴る、恐ろしい、寒気が走り、震えを堪え切れなかった。
 力が入り過ぎ、首に筋が浮く、堅くなって曲げられない、振り向きたくないのかもしれない、それでも仰ぎ見てしまった。
 高くそびえる塔、その最上段に居るはずの……、使徒と同じ力を持つ……
『……エントリープラグ、排出』
 レイからの報告にビクリと跳ね上がってしまった。
『初号機へ移送します』
 翼が消えて行く、徐々に弱まり、小さくなって、霧散する。
「あれもATフィールドの一種かね?」
 訊ねたのは冬月だった。
 主モニターでは零号機がエントリープラグを捧げ持つようにして、初号機の元へと運んで行く。
 特送列車の荷台に乗せられていた初号機であったが、その上半身だけが直立に起こされた。
 首が倒れ、背中のハッチが開く、レイはそこにプラグの先を押し当てた。
 −シュイン……−
 後はオートで挿入される。
「レイ、下がりなさい」
 リツコである。
「初号機の起動の余波に巻き込まれる可能性があるわ、念のためよ」
『……了解、参号機を確保、移送します』
 リツコの物言いはレイが固執するのではないかと訝ったからだったのだが、レイはそれ以上の判断をしてみせた。
『赤木博士』
「なにかしら?」
 シンジは訊ねる。
『改善しました?』
「リミッターは設置済みよ、オーバーフローしなければ……、許容範囲内に収まるよう努力して見せて」
『……ガンバレって事ですか』
「そうね、……給料泥棒と言われたくなければね」
『分かりました』
 言ってふとリツコは思った。
(支部戦の時の払い込みはしてないわね、今回も)
 気になる、いや、気になった。
(払わなければ怒る?、いいえ、そんな雰囲気……、空気じゃない、じゃあ、何?)
 それはきっと……
(ここに留まるための、言い訳?)
 かぶりを振った。
「まさかね」
「なに?」
「なんでもないわ」
 反射的にミサトの問いかけを受け流していた。
 画面の向こうで零号機が、参号機に肩を貸して引きずりながら、一度だけ初号機を振り返った。
「さあ、行こうか」
 シンジはレイの『気配』が遠ざかるのを待って瞼を閉じた。
 口元に笑みを浮かべて、体をシートに深く委ねる。
 インダクションレバーを、握ったままで。
 静かに……、静かに瞑目する。
 全ての音が聞こえなくなるまで。
 −キィンキィンキンキンキンキンキン−
 初号機の目に光が灯る。
 今はただ、それだけだ。
「初号機、起動します」
 正しくは出撃します、だ。
 この時点で既に起動している、発令所は沸き出す歓喜にみな気を緩めた。
「やった!」
「初号機、シンクロ率41.3%、ハーモニクス、誤差0.3%以内で終息、暴走、ありません、リミッター、正常稼働中」
「シンジ君!」
 ミサトは叫ぶ。
「取り敢えず、歩く事だけを考えて!」
「ミサト?」
「……あの初号機が正常稼動したからと言って、どの程度能力が抑えられているのか分からないわ」
「試してから、と言うこと?」
「ええ」
「でもそんな暇は無さそうよ?」
「え?、あ、使徒!」
 まだ遠い、だが後数分で加粒子砲の射程圏内に……
「使徒、周円部を加速開始!」
「なんですって!?」
「まさか、加速時間を増やして砲撃距離を伸ばすつもり!?」
「いけないっ、シンジ君避け……」
 はっとする。
 シンジと使徒の直線上には。
「レイっ、左右どっちでもいいから移動して!」
「ミサト!?」
「射軸線上に並んでるのよ!」
 はっとして見て、さらに慄然とする。
「まさか、狙いは第三新東京市!?」
(最悪!)
 そう心の中で毒づくのと、加粒子砲の光がモニターを焼き付けたのが同時だった。
 光度と照度が下げられる、焼きつきが直る頃になってもまだ閃光は伸びていた、そして。
「シンジ君避け……」
(笑ってる!?)
 シンジの口元にはっきりとしたものを見つける。
 −カキーン……−
 余りにも簡単な音を立てて……
 雷の矢は空へと軌道を変えて消えて行った。
「AT……、フィールド?」
「あの……、加粒子砲を、こんな簡単に」
『リツコさん』
「え?」
『感謝します』
「感謝?、何を……」
『ちゃんと努力してくれたみたいだから』
 誰も気が付かなかった、余りにも自然過ぎて。
 シンジが……、リツコと名で呼んだ事に。
『だから……、今度は僕の番ですね』
 初号機はゆっくりと両手を持ち上げた。
 そして何かを捧げる様に天へと伸ばした。
 ぼそりと一言。
 直後。
 閃光。
 使徒の雷撃など話にならないほどの、爆発的な光であった。
 もしマギが使徒の加粒子砲に対する対策で光度を下げていなければ、モニターは既に役に立たなくなっていただろう。
 一瞬の光は光度と照度の下げられたモニターをも、実に真っ白に塗り染めたのだから。
 リツコは、ミサトは……
 渇いた喉に唾を飲み込もうとして、舌の根の乾きから、引きつれたような痛みを感じて咳き込んだ。
「あ、あ……」
「使徒……、消失」
 誰かが言った。
 殲滅ではない。
 撃退でも無い。
 消え去っていた。
 その場から。
 風の揺らぎ一つ起こさずに。
 存在そのものに破滅の二文字をもたらされて。
 もし……、もしも、もしもだ、もしシンジのその一言を聞き逃せていたのなら、使徒は姿を消して逃げたのだと、そう思い込むことも出来たのだろうが……

−光よ−

 確かに……、確かにシンジはそう、呟いたのだ。
「なんて……、なんて、なんて」
 なんて、なんなのだろうか?
 リツコはその先を見付けられなかった。
 それは指令塔の上に居る二人も同じことであった。
「こんな力は……、俺のシナリオには無いぞ、碇」
「ああ……」
「第一階級……、六枚の翼を持つ天使、エヴァンゲリオンプロトタイプ、零号機、セラフ」
 カヲルだった。
「第二階級、『四枚』の翼を持つ『使徒』、エヴァンゲリオンプロダクションタイプ、弐号機、ケルプ」
 そしてモニターに分割表示された、崩れ落ちたように寝かされている参号機に目を向ける。
「第三階級、地を這うもの、エヴァンゲリオン同プロダクションタイプ、参号機、ソロネ」
「何が言いたい」
 ゲンドウの言葉にニヤリと笑う。
「上級三体がこの街に集う、その上でエヴァンゲリオン初号機は果たして大天使長となるか、あるいは悪魔の王に堕ちるのか」
 本当に、愉快げに……
「これは楽しみな事ですよ、ね?」
 カヲルはこの馬鹿者共を、嘲った。



続く



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作を元に創作したお話です。