「あれ?、久しぶりじゃないか碇、どこ行って!?、うわわわわわ!」
「はよぉん!、ひさしぶりぃ、ケンスケくぅん」
 背中に張り付いて耳に息を吹き掛けつつわさわさと体をまさぐる。
 その手つきは玄妙にして巧妙……、ではあったが、やはり中学生としてはただくすぐったいだけのことだった。
「離れろって、綾波!」
「酷い!、ケンスケ君!、あの時のあれは遊びだったのね!?」
「あれってなんだ!?」
「ううっ、胸、触ったくせに」
「うええ!?」
 派手に驚くが、ここはリアクションをすべきでは無かっただろう。
「相田君って……」
「違う、誤解だ!」
「誤解も六階もないわ!、責任取りなさいよ相田君!」
「委員長!?」
『そう、相田君はシャツをたくし上げるとしぼるように掴んでその先端を摘まみころころと弄んで、あん!』
 かぴーっとハウリング。
 頭を小突いて止めたのはシンジであった。
「どっから持って来たの、この年代物のスピーカーとアンプとマイク」
「その前にどっから出したんか、そっち気にせぇよ」
「ああああ、破滅だぁあああああ!」
「ひどぉい相田君」
「ただのカメラオタクじゃなかったのね」
「最低」
「そんなことまでしてたのねぇ」
「うわあああああ!」
 キラリと涙を光らせて出ていった。
「あ、逃げた」
「レイ……、やり過ぎだよ」
「てへ☆」
「笑って護魔化してないで、後で謝って……、いいややっぱり、謝らなくても」
「どうしてぇ?」
「……これで許してとか言ってパンツ見せて余計に追い込みそうな気がしたから」
 ちっと舌打ちが聞こえたのは、決して気のせいなどではないだろう。


NeonGenesisEvangelion act.13
『紅に染まる青』


「リツコぉ、居るぅ?」
 問答無用で入室して来た女性に、リツコは深い溜め息を吐いた。
「あなたね、仕事はどうしたの」
「ん〜、ちょっち息抜き」
「また?」
「悪い?」
 よほど頻繁なのだろう、リツコはいい加減にしてと針でつついた。
「そんなに恐いの?」
「だっ、……そうね」
 ミサトは叫びかけたが、素直に認めた。
「恐いのよ、一人でいると、いつの間にかあの子達が立っていそうで」
「あら?、あなたが恐いのはレイじゃないの?」
 ミサトは先日の零号機起動以来、どうしてもレイに向かい合えないでいた。
「……かもね」
 以前に感じた、レイがシンジ達を恐がらなかった訳。
 それは今では明確だった。
 勝手にコーヒーメーカーに手を伸ばす。
「冷めてるけど?、それ」
「いいのよ、なんでも」
 苦みに顔をしかめる。
「でも実際んとこ、シンジ君のおかげでそれ程被害が出なかったし、暇なのよね、やることないし」
 ちらりと見やる。
「そっちはどう?」
「同じよ」
「同じ?」
「そう、シンジ君のおかげで使徒は消失、欠けらも残らなかったからデータ検証も出来ないわ、せいぜい今までの情報を整理するだけよ」
「零号機の整備は?」
「改修も行う事になったの、ドイツからの新装甲待ちよ」
「ふうん……、それで?」
「それでって?」
「使徒のこと、何か分かったの?」
 カコッとキーを押して何かを表示する。
「何?」
「使徒の固有波形パターン、構成素材の違いはあっても、人間の遺伝子と酷似している事が分かったわ、……99.89%ね」
「それって……、エヴァと同じ?」
「とかくこの世は謎だらけよ」
「誰かが謎にしてんじゃないのぉ?」
 横目で探りを入れるミサトである。
「司令に聞いてみないの?」
「あの人達は何も教えてくれないわ、必要な事以外はね」
「弱気ねぇ……、ここで一番司令に近いのはあんたでしょうに」
「それでもその間には大きな壁があるのよ」
「壁ねぇ」
「ええ、碇ユイ、って名前の壁がね」
「碇ユイ?」
「知ってるでしょ?」
「ええ、シンジ君のお母さんでしょ?、確かエヴァのシンクロ実験で死んだって言う」
「そうよ、……その人を直接知っていることが、身内と同じ意味を持つみたいね」
「リツコは仲間に入れない、か」
「ええ」
「シンジ君も?」
「さあ?、それは当人に聞いてみれば?」
「やめとくわ、恐いし」
「臆病ねぇ」
「臆病にもなるっての、あの初号機を見せられた後じゃ……、ううん、あんなことをして見せられてはね」
「そうね」
「でも不思議ねぇ……、どうして電源の供給も無しに、あんな力を」
「渚君は魂の力だと話していたけど、多分……、本当はS機関ね」
「S……、って使徒が持ってるって言う?」
「そうよ」
「でも初号機にはないじゃない、あんな光球」
 深く溜め息をつかれてしまった。
「なによぉ」
「あれはコア、S機関じゃないわ」
「へ?」
「使徒は粒子と波、両方の性質を持った光のようなもので構成されているの、核を中心としてね」
「核?」
「単細胞生物と同じよ」
「ゾウリムシにしてはきつくない?」
「ものの例えよ、S機関だけど、Sの意味、知ってる?」
 コーヒーを口に含んでいて返事が遅れた。
「んっ、スーパーソレノイド機関の略でしょ?」
「じゃあソレノイドの意味は?」
「……」
「ソレノイドって言うのはね、電流を流すと磁力を発生させる円塔状のコイルのことよ」
「DNA?」
「当たりよ、DNAの集合体のこと、染色体って言うのはスーパーソレノイドの集積体なのよ」
「じゃあ、人間も持っているって言うこと?」
「ある意味ではイエス、ある意味ではノーね」
「どういう事?」
「人間は思考から肉体の操作に至るまで電気信号によって行うわ、けれどこれだけではエネルギーが不足するから、糖質をグリコーゲンに変換してカロリーとして消費したりもするのよ」
「けど使徒は……、物を食べない」
「その通り、食べる必要が無いほどに完成された染色体を持っていると言うことね、脂肪が無い事と自己修復したことから、『自家発電』によって供給されるエネルギーのみで分裂増殖可能な体細胞によって構成されていると想像出来るわ」
「細胞分裂の限界も無く、自己修復、進化を限りなくくり返せるってこと?」
「そうね」
「まるで化け物じゃない……」
 まるでじゃないかと嘆息する。
「それがS機関の正体、か、それで?、エヴァはどうなの?」
「人造人間だもの」
「……遺伝情報体が不自然だって事?」
「ええ、だから電力供給が必要なのよ、物を食べて、脂肪に変えて、エネルギーを蓄積しておくような機能はないから」
「使徒にも人間にも及ばないのね、でもそれなら、使徒の遺伝子を解析していけば、いずれは?」
「S機関を搭載したエヴァが誕生するでしょうね」
 ミサトは苦く口にした。
「初号機だけでも手に余ってるって言うのに、まだ増やすつもりなの、エヴァを」
「……なりふり構っていられないのよ、余裕が無いもの、世界にはね」


「ふぅ」
 その頃アスカは暇を持て余していた。
 ちらりと店内の時計を見やる、喫茶店の窓際の席は、この少女のための空間と化していた。
 それほどまでに、憂鬱で気怠げな雰囲気が良く似合う。
 年中夏の日本、だが第三新東京市はとても涼しい、何故か?
 地下にジオフロントがあるためだ、輻射熱を溜め込むはずの大地が無く、逆に冷えた空気が上って来る。
 そんな街の住人にしては、アスカの恰好は派手に薄着であった、キャミソールの脇からは見せブラによって生まれる胸の盛り上がりが覗けてしまう。
 頬杖を突いて窓の外に虚ろな瞳を向けている、エアコンの風が肌寒いだろうに、ちっとも気にした様子を見せない。
 赤い髪はガラス越しのけぶる陽射しによって金色に透けて見えていた。
 可憐、にしては気が強く見えるし、可愛いと口にするには凛々し過ぎる。
 彼女が見ているのはすぐ傍の曲がり角だった。
 そこから暫く上っていけば中学校がある、シンジ達は今頃楽しくやっているはずだ。
(乱入……、ってまずいわね、やっぱ)
 アスカはちらりと正面の席に目をやった。
 髪の色を抜いた青年が何やら爽やかに喋っている。
 相席してもよろしいですか、と言うのでOKしたのは、モーニングタイムに重なっているというのに、席を占領してしまっている事への罪悪感からで、決して顔が良いから了解したわけではないのだが。
「ね、聞いてる?」
 何で聞かなきゃなんないのよ、と、ちらりと目を向ける。
「それでさ、暇だったら、どうかな?」
 何がどうなのか聞いていなかったので分からないが、アスカはちょうど良いものを見付けて立ち上がった。
「悪いけど、先約あるから」
「あ、ちょっと!」
 待たず、レジに向かって支払いを済ませる。
 続いて清算を行う青年、その僅かな時間にアスカは逃げるようにして外に出てその名を呼んだ。
「相田!」
 もう立ち直ったのか、あるいはレイの性格をもう把握したのか。
 間を置こうとして学校を抜け出しただけだったのだろう、呑気に歩いていたケンスケは、ん?、っと言った感じで振り返った。
 見た事の無い少女が笑顔で駆け走って来る、その背後に慌てて飛び出してくる青年、余り良い雰囲気ではない。
「ごめん!、あいつしつこくってさ」
 演技しろ、というのはすぐに理解出来た。
「良いけど」
「上手くいったらデートしてあげるからさ」
 耳に息を吹き掛けるようにして囁く、腕に組み付いて。
 背中越しの青年から見れば、アスカの髪が邪魔で妄想が膨らんでしまっただろう。
「ちょっと待ってくれって、ね?」
 あくまでも爽やかに追って来るのだが。
「もう、しつっこいわねぇ」
(うわ……)
 内心、ケンスケは逃げ腰になってしまった。
 憤怒、とはこういう物を言うのだろう、凄まじいばかりの怒気だった。
「じゃ、行きましょうか?」
「あ、ああ……」
 また楽しげに腕を取って、跳ねるように引っ張る。
 硬直した青年は置き去りだ。
「あの、さ……」
「なに?」
「なんで、俺の名前知ってるんだ?」
「ああ」
 にやりと笑う。
「レイにねぇ〜、彼氏の写真見せてもらったのよねぇ」
 それは劇的な効果を生んだ。
「綾波の関係者か!?」
「ま、そう恐がらなくても遊んであげるわよ、たあっぷりとね」
 ぞっとするくらい、その微笑みはレイに似ていて……
「嫌だぁああああ!」
「っさい!、往生際が悪いわよ!、あ、ところで財布の中身、あるんでしょうね」
 たかりではない、これは断じてたかりではなく、強請だと。
 ケンスケは心の中で、号泣した。


 −碇家、そのリビングにて−
「……」
「……」
「マナぁ……」
「近寄らない方がいいって」
 無言でカヲルの残していった紅茶を飲み合うホリィとマナが居て、それを柱の陰からこそこそと覗いているムサシとケイタの姿があった。
 −閑話休題−
 いつもの暗闇において、老人達が会合を開いていた。
「初号機、既に我らの手を離れたな」
 疲れ切った議長の声に反発が上がる。
「馬鹿な!、今更」
「啓示だよ、これは」
「啓示?」
「そうだ、参号機をソロネと認定するとの事だ」
「参号機は弐号機と同じプロダクションタイプ、ケルビムの属だろう!」
「時として座天使は智天使と混同される、そう間違いでもあるまい」
 意見を統括する。
「量産型エヴァの建造を急ぐ」
「量産型の?」
「さよう、ヘブライの父祖のごとく、我らは我らの手により」
「座天使となる、か」
「神の玉座を掲げ上げる者は血肉を持つ地が属でなくてはならん、そうあるべきだとわたしは考える」
 一同は一様に頷いた。


「平和だねぇ〜」
 ぼやあんと綾波レイ。
 自席から見える青空にふにゃふにゃと口の形を波打たせる。
 猫口にも見えるが、眠いのだろう、目が閉じかけていた。
「そう言うたら、今度は渚と綾波が居らんのぉ、何処行ったんや?」
「ネルフだと思うよ?」
「あん?、なんや渚もか」
「綾波のことは知ってるんだ?」
「ケンスケが調べて来おってなぁ、自慢しとったわ」
「なんで相田君が?」
「機密情報を盗んだった言うてなぁ、アホが、バラされとおないから黙っとるんやろうに」
 へぇ、っとシンジは驚いた目をした。
「優しいんだ、鈴原君って」
「アホか……」
 ちょっと声を潜める。
「お前もパイロットなんやろ?」
「それも聞いたの?」
「見てみい、ケンスケの言うことやからなぁ……、信じられんのやろうけど、みんな聞きたそうにしとるやろうが」
 シンジは今更ながらに視線を感じた。
「ま、気にするほど大したことはないけどね」
「そうなんか?」
「綾波みたいに大怪我するほど大変だったことはないし、カヲル君みたいに強くもないしね」
「そやなぁ、渚はそやけど、碇はそんな感じやないもんなぁ、似合わんわ」
「鈴原!、失礼じゃない」
「なんや委員長、用事か?」
「……」
「なんや?」
「……」
「なんやっちゅうねん……」
 ヒカリの何とも言えない目に気圧されていく。
「どうかしたの?」
 シンジのとりなしにやっとヒカリは溜め息を吐いた。
「みんながね、渚君はどうしたのか聞いて来いって言うのよ」
「……大変だね」
「別に、そんなんじゃないのに」
「あれ?」
 わざとらしく言う。
「カヲル君のこと嫌いなんだ?」
「きっ、嫌いってわけじゃ」
「じゃあ好き?」
「そう言うのは……」
 逸らす様に顔を伏せる。
「乱暴じゃないかなって思うんだけど」
「そっかな?、まあ、カヲル君ってカッコいいから結構好かれるんだけど、やっぱり時々居るんだよね、洞木さんみたいに鋭い人って」
 へ?、っという顔をする。
「鋭いって、何が?」
「勘……、かな?」
「勘?」
「うん、雰囲気とかを見抜いちゃうんだよね、カヲル君がどこか洞木さんとは違う世界で生きてるって言う事を」


「ここに居たのか、レイ」
 暗闇の中に淡く姿が浮かび上がる。
 レイが見ていたのは巨大な脳に見立てた機械と、それに繋がっている円筒形のシリンダーであった。
 オレンジ色の液体はLCLだろう、満たされている。
 −ターミナルドグマ、最下層−
 ゆっくりと振り向いて、レイはゲンドウを視界に収めた。
 ここに居たのかも何も、この男は自分の全てを監視しているはずだった、その居場所も手短なターミナルですぐさま確認が取れるようになっている。
 確信をもってこの地の底まで追って来たであろうに、白々しい。
「何をしていた?」
 再びシリンダーを見つめる。
「気になるのか?」
 レイは答えず、逆に問いかけた。
「わたしに、何を求めているの?」
「なに?」
 振り返る。
「わたしを通して、誰を見ているの?」
「なにを言っている」
「わたしの事を気遣ってくれているようでも、話すのは仕事のことばかり……」
 ポケットに手を入れる。
「もう、わたしを見るのはやめて」
 ゴウンと思い音が響いて、周囲の壁が持ち上がっていく。
 その奥に見えるのは……、綾波レイだ。
 レイと同じ顔をした者達が、裸体を晒してLCLの溶液の中を漂っていた。
 幾つも、幾つも。
 −うふ、うふふ、うふ……−
 かすかな笑いが静かに響く。
「なにをするつもりだ」
「さよなら」
「レイ!」
 手を伸ばす、遅い、ピッとポケットの中で何かが鳴る。
 同時にに崩れ始める綾波レイの『予備パーツ』達。
 組織が崩壊して骨が、神経が離れる肉に引きずられてずるずると姿を見せる。
「レイ……」
 レイは冷たく男を見た。
「自分の足で……、地に立って歩くといいわ」
 その物言いが、男に誰かを思い出させたのだろうか?
「何故だ」
「わたしは、あなたの人形じゃない、わたしはわたし」
 優しく微笑む女性のイメージがレイに重なる。
「頼む!、待ってくれ、レイ!」
 肩を掴もうとする。
「!?」
 手が……、右手が手首から吹き飛んだ。
「くっ、あ……」
 手首を押さえ、膝を突いて悶絶する。
「恐がるのは勝手、でも人を傷つけてまで身を守るのは身勝手、ねぇ?、そうでしょう、『あなた』」
 まなこを開く、瞳孔を丸くする。
「お前は……」
 振り返る、遅い、レイはもうその場を後にする所で……
「ユイ……」
 彼女の顔は、見られなかった。


 −碇家リビング−
 一触即発の空気はぴりぴりと肌に痛みを感じさせる程にまで高まっていた。
「シンジ、いつ帰ってくるんだろ……」
 ピクリと反応。
 日本語は分からずともシンジと言う名詞は分かるのだろう。
「早く帰って来ないかなぁ……」
 何やら意味ありげに、親指ですっと唇をなぞって、マナは厭らしい横目をくれた。
 ホリィのこめかみに引きつりを見て優越感に浸る、しかし。
 −ポリ……−
「シンってば歯、立てるから……」
 ぼそりと呟き、左胸を指で掻く。
 もちろん英語だ、聞き取りさえ出来ないマナに意味が通じる訳が無いのだが……
 −ヒキッ……−
 そのほぅっと惚けた様子に明確な悪意を感じ取ったのだろう、マナは盛大に口元を引きつらせた。
 −バチバチバチバチバチ……−
「火花が散ってるよ、凄いね」
「マナぁ……、って何やってんだお前?」
「ビデ録、綾波さんに頼まれたんだ、後でからかうから、ちゃんと撮っとけってさ」
 何故やらテレビ局が使うようなハイビジョンカメラ、ハンディタイプを肩に担いでいるケイタであった。
 −深くは追及せずにおくとして……−
 エスカレーターを上がって行くと、その上に人が待ち侘びていた。
「やあ」
 カヲルであった。
「なに?」
「君を待っていたんだよ」
「そう」
 そっけなく前を通り過ぎるレイに肩をすくめて、カヲルは後を追うように着いて歩いた。
「話は終わったのかい?」
「ええ」
「つれないねぇ、君の夫であった人でもあるのに」
 立ち止まり、肩越しに睨むレイだ。
「『今の』わたしの連れ合いではないわ」
「君も結構勝手な人だね」
 苦笑する。
「君のパーソナルになった人のためにも、優しくしてあげることは罪ではないさ」
「でも許せない事もある」
「……もう少し、ゆっくりと歩かないかい?」
「嫌」
「何故?」
「わたし、あなた嫌いだもの」
 カヲルはからかった。
「君を捨てて新しい彼女を作ったからかい?」
「何を言うのよ」
「僕は君の『素』であり、『元夫』だよ?」
「昔のことは、忘れたわ」
「そうだね、この肉体の構成素材を霊的で即物的な話へと比喩した場合の戯れ言だからね、でも」
 笑みの質が変わった。
「君は神の決めた予定通りに、この『黒き月』と共に地に堕ちた、そして今やなぞるだけの神話から、新たな先へと紡ごうとしている少年の傍にある、地下にある『本体』のことは良いのかい?」
「今は、まだ……」
「ロンギヌスの槍とS機関のことかい?」
「ええ、『この次元』での『分身』はまだ『不完全』だもの」
「初号機か……、神は全ての次元、あらゆる場所、全ての時に同じくして存在し、最初と最後を同時にその目に収めている……、シンジ君は「光よ」と呟いた、「光あれ」ではなく、この差は些細に見えるけれどもやはり大き過ぎるね、存在を想像するものと、創造されたものをただ操るだけの少年、シンジ君は勝てるのかい?、神に」
 レイは答えない。
「レイ?」
「……何もしないことには、何も始まらないわ」
 立ち止まって、振り返る。
「それでは死んでいるのと同じことよ」
「だから?」
「『今度』は、『間違えない』、それだけよ」
 カヲルはその返答に、何処か満足した様だった。


「なぁにシケた面してんのよ」
 アスカは上機嫌でくるりと振り返ると、ぴんっと彼の鼻面をつま弾いた。
「さ、次行くわよ、次!」
「うう……」
 気をつけろ、胸の押し付けと熱い吐息、と言ったところだろうか?
 騙されてると分かっていつつも逆らえない。
 二人は何でも無く街中を歩いていた、実際にはアスカが引きずりケンスケに払わせお腹を満たしと言った状態であったが。
「あんたねぇ、なぁにがそんなにつまんないワケ?」
「あのねぇ、綾波の関係者ってだけで十分だよ」
「……あんたってよっぽど酷い目に合わされてんのね」
「うう……」
「つまんないことは、忘れて、ぱーっと息抜いといた方が良いんじゃないのぉ?、どうせ学校戻ったら、また苛められんだから」
 本当にケンスケは泣きそうになった。
「俺、そんなキャラじゃないのに」
「じゃあどんなキャラよ?」
「もっとクールな……」
「あんたがぁ?」
 胡散臭げに見る。
「どう見たってオタクじゃなぁい」
「……なんでそんな日本語知ってんだよ」
「で、なんのオタク?」
「……カメラかな」
「カメラねぇ?」
 クスクスと笑う。
「おっしいわねぇ、今日だけなら好きなだけ撮らせて上げたのに」
「何で今日だけなんだ?」
「決まってんじゃん、シンジならともかく、そうそう簡単に……」
「シンジって」
 ケンスケはきょとんとした。
「碇か?」
「そうよ?」
 首を傾げる。
「なんで?」
「何でって何よ?」
「いや……、渚なら分かるけど、なんでシンジなのかって」
「カヲルねぇ……、まあ顔は良いけど」
 アスカは夕べのことを思い出した。
 ホリィとアスカの歓迎会と称しての宴会、乱入したマナ達三人、その角隅に居たにやけた笑みをしたエプロン姿の一人の少年。
 給仕をしていたために、結局二言三言の挨拶を送ってきただけであったが。
「なぁんか信用出来ないのよね、あいつ」
「そうか?」
「シンジ見てみなさいよ、ボケボケっとしちゃってさぁ、わっかり易いったら無いじゃん」
 ケケッと笑う。
「朝だってワケ分かんない男に引っ掛かるしさぁ、あんなのばっかに寄り付かれてるとねぇ、シンジの方が肩の力が抜けていいのよ」
「はぁ……、そう言や、朝の誰だったの?」
「知らない」
「へ?」
「勝手に相席させてくれって言って来てさぁ、無視してんのにべらべら喋って、鬱陶しいから逃げようとしたら追いかけて来るんだモン」
「そ、そう……、って、へ?」
 アスカの雰囲気が変わったと感じた。
 それもやけに剣呑に。
「ったく、ホントにしつこいったら……」
「へ?、へ?」
 いつの間にか道の前後を……
 あまり見た目のよろしくない連中によって囲まれてしまっていた。
「な、なんだよ、お前ら……」
 ちっと舌打ちするアスカだ。
 少年達の恰好は思い思いのものだが、統率が取れているかの様に周りを囲んで通行人を脅し遠ざける。
 そのまま輪を移動させて……、路地に連れ込もうと言うのだろう。
「あんた……、逃げんのよ?」
「え?」
「いいわね!」
 アスカは言うと同時に正面の少年に跳びかかった、間合いを詰めて腹を蹴り飛ばす。
 そのまま裏拳を隣の少年に、だが。
「あっ、ぐ!」
「相田!」
(トロ過ぎんのよ!)
 捕まって押し倒されてしまっていた。


「相田!」
 後ろ手に腕を捻り上げられながらもアスカは叫んだ。
 −ゴッ!−
 頬に当たって異音が鳴る、転がされるケンスケだ。
 第三新東京市と言えどもやはり少年少女の犯罪まで管理監督が行き届くわけは無い。
 こういった犯罪予備軍と呼ばれる、表面化していないだけの犯罪者集団も当然のごとく存在していた。
 その数十人、男が七、女が三、内一人は朝アスカが袖にした青年だった。
 彼らはビルの谷間の袋小路に待ち構えていた、しかし連行して来たアスカを見る目つきを確かめれば、これからの陵辱のためにまだまだ呼び出しそうな気配があった。
「ざっけんなよ!」
 ケンスケの腹に蹴りをくれる。
「く、う……」
 わざわざ靴底で顔を踏み、眼鏡のフレームを引っ掛け引っ張る。
 そうして無理矢理外させて。
 −グシャ!−
 踏み潰した。
「相田!、この、離しなさいよ!」
「へへ……」
 無視して、アスカを押さえていた少年は彼女のキャミソールを引き下げた、胸の大きさの割りに小さなブラが露になる。
「相田!」
 だがだからと言ってアスカは特に反応しなかった。
 アメリカで語った話しは伊達ではないし、今はケンスケが第一だった。
 何よりケンスケさえ居なくなれば、この場などどうにでも切り抜けられるのだから。
「大人しくしてろって」
 後ろから胸をまさぐるように触れる……
 だがこの行為は迂闊であった。
 アスカは嫌がるように装って体を沈ませ、少年の突っ張っている腰をお尻に乗せて跳ね上げた。
 −!?−
 一本背負いに見えただろう、一回転して背中から叩きつけられる少年、自由になったアスカは素早く倒れた少年の鼻面に蹴りを入れた。
 −ゲキッ!−
 目測を謝って口に入れてしまった、鼻の骨が折れるのと歯が折れるのと、果たしてどちらが幸せだったか。
「相田を!」
「動くんじゃねぇよ!」
 ケンスケの体を横に引き起こして、少年はその首に膝を当てた。
 そのまま膝を軽く落とせばケンスケの華奢な首など、簡単に折れてしまうだろう。
「あんた……」
「大人しくしろって」
 ギリと歯を噛むアスカだ、失敗だったと思う、本部の自分に対する対応を待ってからなら護衛でも監視でも付いただろうに、それを待たずに『勝手知ったる』と楽観的になったのが間違いだったのだから。
 だが青年はそんなアスカの葛藤になど気が付くはずが無かった、ただアスカの白い滑らかな肌に、再びスケベ心を持ち出した。
「それ……、邪魔だな」
 どれか、は言うまでも無いことだろう。
「外せよ……」
「……」
「外せって!」
「ううっ」
 膝に力を入れてケンスケを苦しめる。
 意識が無いのか、呻いている。
 少年達が動いた、アスカを取り押さえようと言うのだろう。
 少女達が笑っている、アスカへの嫉妬だろう。
 恫喝としてケンスケの首をゆっくりと曲げていく。
「あ、げ」
 ケンスケがうなされた。
 アスカは俯いた。
 震え出した。
 死のイメージがフラッシュバックし始めた。
 朽ちた体、ミイラ化した顔、沸き出す蛆。
 それらが全て。
 ケンスケに重なる。
 −!!−
 アスカは苦しむように左手で目を押さえた、左目を。
 爪を立てて、顔の肉を掻き掴む。
 指の隙間から目が見えた。
 青かった瞳が、染まっていた。
 紅く。
「なんだ?」
 ざわりと。
 髪がざわめき。
 うっすらと……
 首に手の痕が浮き。
 そして持ち上げて伸ばした右腕に。
 指の谷間から肩へと伸びる痣が真っ直ぐに現われた。
 紅く。
「……あんたらが、そんなだから」
 何かが、弾け。
 腕を振るった。
「!?」
 何が起きたわけでも無い。
 だが何も起こらなくなった。
 少年少女達はその場から一歩も動けなくなった。
 声どころか息さえ、何かによって禁じられた。
「殺してやる……」
 ビルの谷間にアスカの声が重く響いた。
「殺してやる」
 顔半分を覆う手の隙間から……
 どこから流れた物か血が伝いこぼれて行く。
「がっ、は」
 窒息させられ、顔が青ざめていく子供達。
 アスカはシンジほど人の命を軽んじたりはしない、出来る事なら手加減もする、だが。
『敵』に対しては何処までも苛烈になることができる、それがシンジとの違いであった。
 どんな相手であっても冷静に淡々と『処理』するシンジと違って、感情に歯止めが利かなくなった時のみ行動に出るアスカは、その分、残酷でもある。
「殺してやる!」
 駆け出す、窒息死などさせない、許さない、そんな簡単な死は与えない。
 −ブチャ……−
 指二本で目を潰し、踵落としで跪付かせ、回し蹴りで鼻を潰す。
 倒れた所で口に手を突っ込み、舌をぶちぶちと引き抜いた。
「erst!」
 ケンスケはアスカの『力』によって強制的に気絶させられていた、それはある意味、とても幸せな事だった。
 二人目、手刀を肩に叩き込んで鎖骨を折る、横蹴りをくれてあばらを折って肺に突き刺す、正面から掌底を入れて内臓を破裂させる。
 倒れかけた顎に蹴りを入れる、顎が割れ、下の歯が上の歯とぶつかって両方折れ、さらに頭骸が潰れて目が剥けたように飛び出した。
「でぇえええい!」
 獲物はまだ居る息が出来なくてもがこうとしている、だが安易な死など許さない。
 三人目、抜き手を助骨の隙間から心臓に向かって突き入れた、破れる心臓、だが即死には至らない。
 かと言って痛みに呻く事さえ許されない、アスカが『禁止』しているからだ。
 その体を持ち上げるようにアスカは彼の股間を握り掴んだ。
「いらないでしょ?、もう」
 ズボンの生地ごと生殖器を引きちぎる。
「あんたにあげるわ!」
 女に向き直ってその口に突っ込む。
「嬉しいでしょ!」
 恐怖のために血走った目をしている少女の目尻に、酸欠のためか涙が滲んでいた。
 その透明さがまた、アスカの神経を逆なでする。
「生意気なのよ!」
 −ゴン!−
 頭上からの手刀によって、べしゃりと首が胴体に陥没し、頭も奇妙にひしゃげて割れた。
 四人目。
「次は誰?」
 同情しないし酌量も考えない。
 アスカは笑うでも無く悲しむでも無く、ただ冷めた目をして事を行う、これほどの事をしてのけたと言うのに、まだ息の一つも乱れてはいなかった、汗も激情によって流れる前から渇いて見える。
 その左の目からはこんこんと血が染み出していた。
 まるで人の原罪に泣く聖母マリア像を思わせて。
 アスカは青い瞳と紅い瞳の両方を持って、彼らに罪の贖いを求めた。
 彼女の逆鱗に触れた事。
 それが罪の、全てであった。



続く



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作を元に創作したお話です。