シンジが語ってくれた事については納得も出来るし、理解だって出来る。
 けれどこいつの知らない事もある、こいつの理解してない事もある。
 それがあたしの、一番に感じたことだった。
 あたしとシンジの違いは、シンジの言う通りあたしは自分で自分をケア出来る所にある、いや、ケアでは無くて、納得する事で感情にケリを付けられると言う点だ。
『以前』のあたしは自分の価値を作り上げる事に必死だった、ママが見てくれなかったから、誰でもあたしを見てくれるくらいに光り輝きたかったんだと思う。
 その結果の一つが大学の卒業だった、年齢の割に早い卒業、でも研究者としての道は選ばなかった、その理由は一つ、エヴァがあったからだ。
 地道に研究を積み重ねて、何かしらの論文を発表して結果を、成果を上げて脚光を浴びる迄には、果たしてどれほどの時間が掛かったんだろう?
 本能的にその計算をしてたのね、だからあたしはエヴァに逃げた、もっとずっと簡単で、一番楽に人に誉められ易かったから。
 今考えれば、これほど安易なことはない。
 でも今度の卒業の理由は違う、あたしはどうして『あんなこと』になったのか、どうしても納得出来なかった。
 だから調べた、一生懸命調べた、その結果が卒業に繋がってしまっただけのことだった。
 だから価値なんて感じてない。
 エヴァに近かったこと、それにママの研究資料を盗み読み出来たこと。
 それに低いレベルとは言え、マギへのアクセス権を与えられていた事が幸いした、もっとも時にはママのコードでアクセスしたし、拾えた情報の中から『真実』を拾い出すには、相当の目が必要になったけど。
 結果から告げてしまおう。
 シンジとの一番の差は、補完計画、サードインパクトからの『復帰』の順序、そこにあった、鍵になる言葉はそう、ガフの部屋、だ。
 この世界は大きな海だ、あたし達人間はそこに浮かぶ小瓶で、中に閉じ込められた水こそがあたし達、パーソナルとなる魂なのだ。
 この瓶の中がガフの部屋、栓の名前をガフの扉と言う、サードインパクト、補完計画はこの栓を強制的に抜いてやろうと言う計画だったようだ。
 でもミサトが居た。
 当時十四歳だったミサトが、セカンドインパクトで生き残った経過が記述された記事に、エントリープラグに似た物の写真が残されていた。
 つまり、栓を抜かれても流れ出た水を閉じ込めておける『方舟』があれば、魂と言う名の液体は海と言う名前の『生命の源』に溶け出してしまう事はない。
 あたしとシンジは、多分同じ理由で生き残ったのだろう、方舟の中に閉じ込められて、混ざる事を良しとされなかったのだ。
 ……その世界において、あたしは奇妙な夢を見た。
 いや、本当は夢だったのかどうか分からない、本当はシンジと何かしら交感していのかもしれない。
『何か役に立ちたいんだ、ずっと一緒に居たいんだ!』
 −じゃあ何もしないで、もう側に来ないで、あんたあたしを傷つけるだけだもの−
『アスカ、助けてよ、ねぇ!、アスカじゃなきゃダメなんだ!』
 −ウソね、あんた誰でも良いんでしょ?、ミサトもファーストも恐いから、お父さんもお母さんも恐いから、アタシに逃げてるだけじゃないの−
『アスカ助けてよ!』
 −それが一番楽で傷つかないもの−
『ねぇ、僕を助けてよ!』
 −ホントに他人を好きになったことがないのよ−
 ……その後だ、あたしはシンジに首を締められた。
 シンジは奇妙に笑ってた、シンジはあたしが悪いんだって顔してた。
 ううん、そんな事は本質じゃない、あたしはその時に理解したんだ。
 ママが、あたしに本当に求めてた物を。
 あの時シンジが語ってた事は、全部ママと同じ泣き言だった。
 周りの人もパパも恐いからって、あたしに逃げ込もうとしてたママそのものだった。
『一人にしないで!』
 耳が痛い。
『僕を見捨てないで!、僕を殺さないで!』
 ……あたしはイヤだって、そう告げた。
 答えた。
 シンジなんかと馴れ合うのはもうゴメンだって思ったから。
 でもシンジの顔がママに重なってようやく分かった。
 あたしは……、パパと同じことをやったんだ、シンジに。
 シンジの言う通りだ、シンジは愛されたいのに愛されるためにはどうすれば良いのか知らなかった。
 それがシンジの限界だったんだ、ママもそう。
 どうすれば愛されるのか知らなかったのね、だから無条件に自分を求めてくれるあたしに縋ったんだ。
 どこまでも一緒に居て欲しいって。
 なのにあたしはそんな事にも気付かないで、これもまたあたしと言う人間の限界だったんだろう。
 あたしはあたしの気持ち良さと都合のみを優先して、実に楽な選択を行っていた。
 あたしはその後……、そんな自分を嫌悪しながら、自分を取り戻していった。
 だから還った時、首を締めるシンジを許容した、それは当たり前の行動だった。
『一緒に死んでちょうだい』
 二度も間違ったから、『今度』は間違える事なんて出来なかった、でも、その事はあたしをシンジと同じにした。
 どうすれば良いのか分からなくて、ただ流されてしまっただけで……、本当は他に受け止め方があったんだろう。
 あたしはまだ、知らないけれど。
 ……そんな、閉鎖された世界でのあたしの感情の推移と分析を知る者はあたししか居ない、だからもし、シンジの話し通りにカヲルが……、あいつが来てくれていたとしても、あたしは受け入れはしなかっただろう。
 あたしはあの世界で理解した事への裏付けを取ることだけで精一杯だったから。
 強迫観念と後悔から自分を失えなかったあたしと、……これだけはレイから聞いた。
 自分から自分で『歩く』ために『階段』を上ったシンジ。
 カヲルとシンジの言ったことは的を外していたけど、言ってる言葉そのものは正解だった。
 二人の言う通り、あたしは知りたい、シンジの様に自分から階段を上り、歩いていく方法を。
 シンジとあたしは、今、同じ場所にこうして居る。
 家族風呂、湯船というには小さな形、まるで小型のエントリープラグ、二人だけの生命の海。
 あたしはシンジの膝の上に居る、背中から抱き締められるように座っている。
『痛み』はほとんど無かった、シンジが指でもって『下準備』をしてくれたからだろう、爪である程度『破って』おいてくれたんだと思う。
 ああ、と歓喜の声を上げる程度には、わざと痛いようにしてくれた、でもその後に来たのは虚しさと寂しさだった。
 やはりという感覚、あたし達は同じ場所には居なかった。
 シンジの居る『階層』は『多岐』の『次元』に渡っている、この世界にいるシンジもおそらくはレイとカヲル同様に、『あの世界のシンジ』であり、『この世界のシンジ』でもあり、同時に『あの時だけのシンジ』ではない、あたしが繋がっているのは、彼のほんの一部に過ぎないのだ。
 あたしに還ったあたしと違って、シンジはあまねく世界に影を落とせるほどに大きくなった、その影の一つがここに居るシンジであって、あたしのようにただくり返しているだけの存在ではない、『あの時のシンジ』をパーソナルにしている、もっと別種の存在なのだ、それこそあたしを包み込む……、ううん、飲み込んでしまえるほどに大きな。
 でもあたしにはここにいるシンジを見ることしか出来ない、それが多分限界、今のあたしの精一杯で、それはシンジも感じているはず。
 あたしじゃシンジの全部を慰めてやれない、それが現実。
 シンジは有り余る物を持っているのにその使い方が分からずに悶えてる。
 あたしはやってやりたい、してあげたい事が沢山あるのに、その力が無い。
 この大き過ぎる存在感。
 シンジはあたしを飲み込んでいる、でも、あたしはシンジの小指ほどの大きさも無い。
 けれど、本当に上手く出来ているなって、そう思う。
 カヲルやレイがあたし達をくっつけたがっているのも、その辺りに理由があるんだろう。
 あたし達はそれぞれに欠けている物があって、あたしに欠けている物をシンジが、シンジに欠けている物はあたしがちゃんとこの手にしているのだ。
 それがシンジでなければ我慢出来ない理由なんだと思う。
 あの日……、シンジが訪ねて来た日、あたしはやっと来たかって思った、待ちくたびれてた。
 ある程度の結論はもう出ちゃってたから、後はシンジの元へ行くだけだったから。
 シンジがあたしから何かを学びたいって言うのなら、あたしもシンジから何かを得たい。
 それぐらいはきっと許されるはず、でも。
 あたし達は本当に、いつの日か虚しさよりも愛を感じて、こうしていられるようになるのだろうか?
 あたしの中をシンジは満たす、満たしてなお余りあるほどのものであたしを大きく包み込む。
 シンジと繋がってようやく分かった、こいつ、何も変わってない。
 それでいいなら、満ち足りたいだけなら、マナや、マユミのようになってしまう、あたしはせめて、ホーリィにはなりたい、だってシンジが求めてるのは『それだけ』じゃないから、だからこいつはマナにもマユミにも、ホーリィにだって手を出さずにいたんだから。
 傍に居る他人との間に親近感が生まれ、それが失われる事への恐怖感。
 あたし達は嫌というほどそれを知り過ぎているから踏み出せない。
『僕を助けてよ!』
 シンジの叫びがまた聞こえ始めた。
 抱き締めてもらいたいのに、みんな抱き締められる事に満足して、誰も包んでくれないからって、今の自分を作ってる。
 だから今に満足しないで、あたしはこのシンジを抱き締めてやれるくらいに、ううん、抱き合えるくらいに『大きく』なる事を、当面の目標にしようと思う。
 シンジに縋って、支えてもらってでも。
 いつかはそのお返しをするからと、心の中でシンジに侘びて……
「あっ、は!」
 今のあたしは嬌声を上げる。


NeonGenesisEvangelion act.15
『白濁』


 翌朝、カヲルは階段の上に姿を見せると、歯を磨きながら階下のリビングを見下ろした。
「誰も眠らなかったのかい?」
 ギンッと血走った目が三組み動いた。
「おっと、誰か来たみたいだねぇ」
 カヲルは逃げるように洗面所に戻って口をゆすいだ。
 首に掛けたタオルで拭いながら戻って来る、青に白の縦縞のパジャマは少し大きめで、袖で折り返しているようなデザインをしている。
 スリッパもまた大きめのものだ。
 ぱたぱたと鳴らしながら玄関に向かう、すると丁度と言った感じでインターホンが一つ鳴った。
 −ピンポーン−
「はい」
 戸を開いてギョッとする。
「相田君?」
「お、おはよう……」
 そこに居たのは、気まずそうに下げていた頭を上げるケンスケだった。
「どうしたんだい?、こんな時間に」
「いや……、渚に頼みたい事があって」
「頼みたいこと?」
 ケンスケは勢いよく頭を下げた。
「頼む!、ネルフの偉い人に会わせてくれよ!」
 一応訊ねる。
「……何のために?」
「参号機、今ネルフにあるんだろう?、乗りたいんだ、パイロットになりたいんだよ!」
 はぁっとカヲルも、流石に呆れた。
「それは無理だと思うよ?」
「どうして……」
「参号機のパイロットは僕だからねぇ」
「え……」
 愕然とした顔を上げるケンスケだ。
「渚が?」
「それに君は勘違いをしているよ」
「勘違いって……」
「漫画か何かじゃないんだからねぇ、乗りたいと言ったからと言って乗せてもらえる物じゃないんだよ」
「それは……、そうだろうけど、でも俺は!」
「気持ちは分かるけどね」
 溜め息を吐く。
「昨日のことが堪えているんだろう?、だから強くなりたいと願ってる、安易な事だね」
 ケンスケは歯ぎしりをして呻いた。
「そんな言い方ないだろう?」
「なら言い方を変えようか?、君はエヴァに乗った、誰にも負けなかった、でもそれは錯覚だよ、現実にエヴァから降りている時の君は弱いままだ」
 くっと歯噛みするケンスケ、正論とは言い返しにくい物だ。
「それに君が強くなったからと言ってどうなるんだい?」
「ど、どうって……、それは」
「アスカちゃんに振り向いてもらいたいのかい?」
「そんなっ、俺は!」
「下心で近付いても無駄だよ、……夕べ、アスカちゃんはシンジ君と出かけたまま帰って来なかった」
「!?」
「この意味が分からないほど鈍くは無いんだろう?」
 驚愕の上に駄目押しをされてケンスケはよろめいた、だが納得は出来ないらしい、カヲルならともかくと。
 もちろん、カヲルはそんなケンスケの心情も見透かした。
「嫉妬しているのか、それが君の本心だ」
 微妙に言葉遣いに変化が見られた。
「自分の力不足を認識してなお、自身を磨く事よりも目の前にある安易な力に頼ろうとする、甘いんだよ、結局自分は何も変わらないのに、錯覚してアスカちゃんに惚れられる事を望んでる、アスカがそんなに馬鹿だと思ったのかい?、……さあ、もう帰った方が良い、アスカに知られたら本当に嫌われてしまうだろうからね」
 項垂れたケンスケの口から、分かったと聞こえたような気がした。
 見送って、カヲルは苦笑しながら振り返り……、硬直した。
「な、なんだい?」
 レイとマナが究極な目つきで睨んでいる、一方でホリィも妹の方のレイに通訳を受けて憤慨していた。
「面白いこと言ってなかった?」
「なにかな?」
「碇君……、アスカと出かけたの?」
 ぎくりとする。
「聞いていたのかい?」
「ええ」
「ちょーっと話しがあるんだけど、こっち来てくれる?」
「いやっ、僕はこれから、ああ!」
「さっさと来なさい、聞く事が多いから」
「たっぷり時間を掛けても、全部話してもらうわ」
 両脇を固められて引きずられつつ、カヲルは恨めしげな目を向けた。
「謀ったね、レイ」
「自分で墓穴掘っただけじゃない」
 実際全く、その通りだった。


 カヲルが自分でけしかけた事で口を滑らせてはまっていた頃、シンジは布団の中に居る少女の体を揺すっていた。
「アスカ、朝だよ……、起きて」
「ん〜〜〜」
 懐かしい呼び覚まし方に、アスカはむずがるように布団の中に潜り込もうとした。
「後五分〜」
「だめだって、……もうお布団上げに仲居さんが来ちゃうよ」
 布団の中のもそもそと言う動きが停止した。
「そっか……、ここ、旅館だっけ」
 今度はうにうにと頭が出て来た。
「おはよう」
「おはよ……、ちっ、こういう時、昼まで寝てらんないってのは堪んないわね」
 掛け布団を肩に引っ掛けたような状態で座り込む、裸だ、至る所に夕べの痕跡が見て取れた。
「疲れた?」
「疲れてる……、それにまだなんか入ってる気がする」
 シンジはちょっと困った顔をした。
「やりすぎたかな?」
「そうじゃなくて……、なんかシンジのが固まってるみたいな、お風呂の時が一番残ってたかな?」
 ああ、とシンジは納得した。
「お湯で固まっちゃったかな?」
「……そんなもんなの?」
「蛋白質だからね」
「そっか、溶けたり固まったりするんだ」
 何やら科学めいて来たが。
「しっかしあんたも加減しないんだから、サル?」
「ごめん」
「……ま、謝んなきゃいけないのはアタシも同じか」
「え?」
「まぁたあんたに甘えちゃったから……、あんたの気持ち、分かってんのに」
 シンジはそんな気遣いを笑って済ませた。
「しょうがないよ、……将来のアスカには期待してるけど、今のアスカにはしてない、今はただ傍に居て欲しい、それだけだからね」
「怒るベキなんだか照れた方が良いんだか」
 ちょっと困ったようだ。
「初めてなんだから、手加減してくれたって良いでしょうに」
「僕だって初めてだからね、ちょっと焦ってたし」
「へ?」
「だから初めてだって」
「だだだ、だって!」
「加持さんには色々教わったけどね、手とかそんなのばっかりだよ、本番なんて恐くて出来るもんか」
「どうして?」
「子供が出来たらどうするのさ?」
 ああ、と納得する。
「そっか……、じゃあ、なんで?」
 アスカは気を抜けばどろりと出て来そうな物に首を傾げた。
「アスカだからね……、子供が出来ても良いと思った」
「中学生の発想じゃ無いわね」
「仕方ないよ」
「ま、あたしだって十四年分まるっきり考えを煮詰めて来たもんね……、無駄にした事なんて無かったし、その日出来なかった事を次の日にやって、ロウセイもするか」
「まあね、アスカが嫌がったりしたならやめてた、産みたくないって言うなら堕ろしてもいいし、育てるのが恐いって言うなら」
「怒るわよ?」
「ごめん……、結局は夕べアスカに言った事に繋がるんだよな、マナ、マユミ、ホーリィ……、それにアスカ、愛するとか、そんな大層な事は分かんなくても、愛しいって言える程度には好きなんだ、なら、その子供だって可愛がれるはずだ」
「だから?」
「トラウマなんだよ、僕は父さんの子供だって言う……、似てるって言うね?、だからその『壁』を越えるために、僕は自分の子供を愛してみたい」
「乗り越えるために、ね」
「そういうこと、そうやって一つ一つのことを克服して階段を上っていく、不器用でも僕にはそう言うやり方しか分からなかったから」
「ま、言いたいことは分かるわ、あたしだってこのお中に子供が出来たら、……それが大きくなって、重くなっていくのを毎日感じて、出産の痛みを味わえば、ちょっとは自分も変わるんだろうなって思うもん」
「じゃあ?」
「ばぁっか、この歳でママになって堪るもんですか、……まだ自信ないし」
「そっか……」
「昨日は大丈夫な日ってことよ、でなきゃそんな簡単にヤラせるわけないじゃん、マナやマユミとは違うんだからね」
「しっかりしてるよ、……考えてる余裕無かったな、上手く出来なかったらどうしようって、そればっかりだったし」
「だから慣れて来てからサル化したってわけね」
「限界を越えるきっかけにしたかったんだけどね、上手く子供を育てられたら、きっと自信に変わるから」
 だがそんなシンジの言葉の中に、アスカは落胆よりも安堵を見て取ってしまっていた。
「ほっとしてるの?」
 シンジは頷く。
「結構ね、強がりなんだよな、結局、自信が無いのは僕の方か」
「ま、その方がシンジらしいけどね」
 アスカは立ち上がると、浴衣を体に巻き付けた。
「お風呂行って来る、汗、流して来るわ」
「うん、帰って来た頃には朝食来てると思うから」
「はぁい」
 ちょっとだけひょこひょこと変な感じに歩いていくのはどうしてだろうか?
 それはともかく。
「やっぱり女の子って度胸あるよな、あんな状態なのに行っちゃうんだから」
 そう言ってシンジは、背中を軽くぽりっと掻いた。
 アスカの爪の痕が残っている、その背中を。


「来るような気はしてたけど、こっちに来ちゃったか」
 こぼしたミサトにリツコは苦笑してしまった。
「アメリカに行ってくれると思った?」
「願ってたってのが本心ね」
 −ネルフ本部第一発令所−
「……人類を守る正義の味方の言葉じゃないわね」
 揶揄したリツコに横目をくれる。
「皮肉?」
「ここならエヴァがあるわ」
「そのエヴァを動かしたくないから言ってるのよ」
 肩越しにちらりと塔を見上げ、また戻す。
 画面、正面メインスクリーンには、大写しで強羅絶対防衛線を越えようとしている第五使徒の姿が映されていた。
「第五、か……」
「二匹ずれてるわね」
「司令からの通知、あんたも目を通したんでしょう?」
「ええ」
 それは第一、第二使徒に関するものだった。
「南極で消滅したのが第一使徒、エヴァは第二使徒をクローニングして造った、ね、だから使徒は向かって来るのか、ここに、エヴァを倒すために」
 言葉尻からは、明らかにそれも胡散臭いとのニュアンスが受け取れた。
「ま、今は現実に対処するしか無いのよねぇ……、で、状況は?」
 オペレーターが答える。
「UNについては指揮権を早々に譲渡、静観に入っています」
 その事を一番悔しげにしたのはミサトであった。
「使徒の戦闘能力については未知数か」
「ミサト?」
「形状が同じだからってその性能まで同じとは限らないわ、……エヴァと同じくね」
「そうね」
 リツコの脳裏を過ったのは、0.11%の差違の事だろう。
「決めた!、ダミーバルーンと十二式自走臼砲を準備して、反応を見るわ」
 その指示は結果的に正解であった。


 映像がくり返される。
 エヴァンゲリオンを実寸大で模した風船が、比べて余りにも小さな船によって曳航され、芦の湖を使徒に向かって浮かんでいった。
 問題はここからだった。
「なんなのよ、あれは……」
 呻くミサト、使徒は八面体の中央接合面で、上下のパーツを左右逆方向に回転させ始めたのだ。
 そして閃光、薙ぐような光はまるで鞭のごとく伸ばされ、バルーンダミーを破壊した。
 十二式自走臼砲はいわゆる列車砲である、乗っているのは光学兵器だ。
 使徒の背面(進行方向を正面としてだが)に回り込み、発射。
 この光線に対して、やはり使徒はこれまでの通例に倣って、ATフィールドを展開しなかった、だが。
「曲がった……、曲げられたの?」
 光線は使徒の起こす旋風に巻き込まれたかの様に方向をねじ曲げられて彼方へ消えた。
 勿論自走臼砲は、これまた薙ぎ払うような光にやられて、大地ごと爆砕しながら吹っ飛ばされた。
「どういう事なの?」
 リツコに問う。
「おそらくあの回転によって生み出されている歪みのせいね、上下を逆方向に高速回転させる事で一種の強電磁界を形成しているんだわ」
「あの光線はやっぱり加粒子砲なの?」
「いいえ、荷電粒子砲よ」
「違うの?」
「システムの一部は発電にも利用されているようね、加速粒子砲は確かにATフィールドを撃ち抜けるほどに強力だけど、その出力を得るまでに掛かる時間が致命的だったわ」
「そこで荷電粒子砲になるわけね」
「ええ、仮説になるけど、本来あれの目的は粒子への帯電活動にこそあるんでしょうね、荷電粒子砲を制限無く照射するために行っているんだわ」
「そしてその時に発生している電磁波を身を守る結界として利用している、か、まさに攻防一体とはこのことね」
「ええ」
「荷電粒子砲については?、どうしてあんな撃ち方を」
「周囲の磁界の影響を受けているのよ、ほら見て、僅かだけど自走臼砲の着弾直前、通り過ぎたんで戻そうとしてるわ、撃ちながら修正しているのね」
「そこの所が狙い目か、でも」
「下手に避けると被害が増えるわ」
「接近戦は不利ね……、となると長距離射撃になるか」
 あら?、とリツコは驚いた。
「シンジ君には頼まないの?」
「頼めないのよ」
「予算不足?」
「違うわよ……、昨日からロスト中、アスカと一緒にね」
「アスカと?」
 ミサトは苦々しく口にした。
「昨日ね、アスカ、襲われたんですって」
「アスカが?」
「強姦、輪姦で済めばいいような状況だったって」
 襲われた、の言葉からどこかの諜報関係かと訝ったのだが、外れたようだ。
「その報告、どこから?」
「シンジ君がメールで知らせて来たのよ、どうなってるんだってね、あたしも諜報部が監視してたのは知ってたから確認してみたけど……、驚いたわ、あいつら、アスカを助けようともしないで、ただ見てただけだったのよ」
「で、……どうなったの?」
「アスカが自分で片付けたそうよ、メールはこう締めくくられていたわ、大した正義の味方ですね、ってね、世界の存亡をかけてるなんて良く言えたものですね、ともね」
「……耳が痛いわ」
「メールでの話しはここまでよ」
 嫌な予感がした。
「まだあるの?」
「……諜報部のね、詰め所の机の上に人差し指と目玉がワンセットずつ、丁寧に並べられていたそうよ、十何人分、確認でもしろって言うんでしょうね、許さなかったんだわ、あの子」
 リツコはごくりと……、いや、リツコだけでなく、会議に参加していた全員が生唾を飲み込んだ。
「網膜と指紋で照合しろと言う訳ね……、信じられない事をするわね」
「信じられないのはこれからよ」
 げっそりとするリツコを見ながらもやめはしない。
「そのテーブルの下なんだけどね、腸詰めにされたソーセージが同じ人数分の重さだけ、ごみ袋に入れて放置されていたのよ、信じられる?」
 うっ、げっと、えづく音が聞こえた、マヤだった。
「今度のことで良く分かったわ、シンジ君がどういう子なのか」
「危ないって事?、そんな事なら」
「違うわよ、もっと具体的によ、あの子、至極まともなんだわ、物の考え方と捉え方が」
 は?、と言う顔をする。
「そんなことをする子が?、まとも?」
 正気なの?、との言葉にかぶりを振る。
「考え方が酷く当たり前で正し過ぎるのよ、あたし達は世界のためだと言ってあの子達に強要してる、自分の未来のためだろうと言って責任を押し付けている、そのために将来一生拭えないほどの苦しみを負わされるんじゃ意味なんて無い、あの子はそういう事にまで考えを巡らさない人間が嫌いなのよ、吐き気がするのね、生きてる事が許せないくらいに、常識とか、理屈なんて言葉で都合の良い論理だけを打ち立てる人間なんかと馴れ合って生きて行くつもりなんてさらさらないんだわ、あたしに撃てと言った時もそうだった、見極めてたのね、あたしがどういう人間なのかを」
「その結果の行動が、あれ?」
「そうよ、目の前に苦しんでいる人が居る、助けて上げるのが普通でしょう?、苦しんでいる自分が居る、助けてもらいたいでしょう?、でもあたし達は『任務』と『職務』の一言でそれを圧殺し、見て見ぬふりをする、でもあの子は普通の人間としての倫理観や道徳観念の方を優先してるから、そんな酷い人間を許さないのね、きっと」
「許せないんじゃなくて、許さないのね」
「おかげで今回は二人抜きでやる事になっちゃったのよ、まったく!、パイロットの機嫌損ねてどうしようってのよっ、メンタル面に左右されるシステムだってんならしっかり守っとけっての、ほんとに!」
 だが憤慨してももう遅いのだ。
「落ち着きなさい」
「わかってるわ」
「零号機は改修中よ、どうするの?」
「初号機の使用許可を取り付けたわ、参号機もね」
「参号機を?、パイロットは」
「渚カヲル、あの子を使うわ」
「あの子を!?」
「フィフスチルドレンだそうよ、正式に認定されたわ」
「フィフス……、あの少年が、フォースはどうなっているの?」
「さあ?、それはあんたの分野でしょう?」
 ミサトは考えないことにしたようだ、先日のレイの発露を見てしまったからかも知れない、それにカヲルとの組み合わせ。
 最悪だ、気分的には。
「とにかく、使えるエヴァは二体、これで立てられる作戦は一つよ、長距離からの間接攻撃」
「電磁バリアを相手にして?、……エネルギー兵器じゃ役に立たないわね、となると質量兵器、それも相当の加速力によって撃ち出された……、うちにはそんな兵器は無いわよ?」
「エヴァがあるじゃない」
「え?」
「使徒をぶち抜けるだけの硬度を持った物質があればいいのよ、野球で使うようなボールでも良いし、槍でもなんでも」
 ソニックグレイブの事を暗に示唆する。
「ATフィールドのない奴が相手ならそれでいけるわ」
「二機ともそのプランで使うの?」
「一体は防御を担当させたいんだけど?」
 目だけで方法を問いかける。
「……SSTOのお下がりがあったから、その底部を流用すれば盾くらいは作れるわね」
「結構、オフェンスはどちらにするべきだと思う?」
「出来ればレイは温存したいけど、こればっかりはシンクロ率を確かめてからのことね、高い方がオフェンス」
「理由は?」
「精度を高めるためよ、照準機能のことは知ってるでしょ?、エントリープラグ内部に映されている映像はエヴァの目で見た光景よ、当然自分の手足を動かしてるつもりのパイロットとの間には感覚的な誤差が生じるわ、近距離ならともかく、長距離ではね……、そこで出て来るのがヘッドマウントディスプレイ、エヴァからのフィードバックと映像、それに対するパイロットの目線を計測して得られたデータから誤差修正し、照準の位置を確定してくれるシステムよ、お望みならこの計算に地球の磁場や自転の影響だって組み込めるけど」
「機械によって正しい狙い目を教えてもらっても、その位置に正しく銃身を固定したり投擲するためには精密な動きが要求される、か、エヴァが思い通りに動いてくんなきゃ、どうにもならないってことなのね」
「ええ、これが銃器なら銃身に誤差修正用の駆動部を設定する事も可能だけど」
「今回は諦めるわ、参号機のシンクロテスト、急いでね」


 昼間に見る景色は一層の違いがあって、街と、湖を一望出来、それは満足するに実に十分な光景であった。
「退去命令、守らないの?」
 アスカの言葉に、シンジは首を巡らせただけだった。
 まだ宿に居る、一室の窓際で頬杖を突いていた。
「何処に逃げたって一緒だからね」
「そ」
 その傍に腰を下ろすアスカである。
「恐くないんだ……、当たり前か」
「あの程度の奴に負ける様じゃ、どうしようもないさ、……僕の戦っている相手とあれは違うからね」
「相手?」
「使徒だよ、みんながそう呼んでる、あれは違うからね、レイやカヲル君、綾波だけでもなんとかなるさ」
 ふぅんとアスカは鼻を鳴らした。
「自惚れてるんだ?」
「違うよ、使徒を相手にするなら僕の方が良い、でも僕には一番……、人として大事な事が出来ない、そう言う事だよ」
「大事な事って?」
「人を救うこと、守ること、支えること」
 なるほどねぇ、と納得。
「そのために居るのが、あいつらって訳か」
「そうかもね、僕の至らない部分を補ってくれている」
「あれはどうなの?」
 アスカが示したのは、遠くに浮かぶ使徒と、そこからかなり離れた場所に姿を見せたエヴァンゲリオンのことだった。
 二機居るように見えるのだが、遠くて形状までは判別出来ない、それぞれを視界に収められたのも、ここが第三新東京市と湖を一望出来る山の上であるからだった。
「あれって、どっちかはどっちかなんでしょう?、下手すると両方」
「うん、まあ、カヲル君だろうね、後は綾波かな」
「なんで?」
「焚き付けた責任があるから、かな?、知ってるんだよ、僕が怒ってて今度の戦いじゃネルフを見殺しにするって事をね」
「え……」
 怒ってる、の意味が分からず困惑する。
「見殺しにするほど、なんかあったわけ?」
 呆れた、とはシンジの表情だった。
「見殺しにされたのアスカじゃないか」
「ああ……」
 納得し、ちょっと嬉しくもなったのだが、同時に少しは呆れてしまった。
「あんたまだ怒ってたんだ」
「なんだよ……」
「しつこい男ねぇ、人がもう忘れてるってのに」
「だからその分、怒ってるんじゃないか」
「はいはい」
 微笑する。
 −カッ−
 しかしその笑みは閃光によってかすれてしまった。
 遠くに拡散する真白い光があった、それを裂いているのは二翼の翼だ。
(初号機……、綾波だよね、この感じ)
 シンジはちゃんと判断した。
(翼が中途半端に重なったままになってる、開けないのか、あれ?、でもリミッターが付いてるはずなのに、よく翼なんて)
 その光をさらに寸断するようにして、何かが使徒を貫通せしめた。
 ぐらりとよろめいて湖に落ち、津波を立てつつ使徒は着底する。
「終わったみたいね」
 シンジはアスカを無視して立ち上がった。
「ちょっと、どうしたの?」
「帰る」
 はぁっと溜め息、シンジの様子から、区切りを付けられてしまったのだと諦めた。
「あたしも帰るわ」
「うん……、あ、でもネルフまでは着いて来て欲しいんだけど」
「何する気?」
「アスカの立場をはっきりさせるのと、仕事だけをやるようなサラリーマンには用はないってね、脅しとく」
 こいつは、とアスカは思った。
(結構女の喜びそうな事、やれるようになってんじゃない)
 ま、キスした時ほど自己嫌悪と後悔に浸らずに済みそうだと、ひねくれた安堵感を覚えてしまったアスカであった。



続く



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作を元に創作したお話です。