人数が多過ぎるからか、あるいは後から後から増えるからか。
 面倒臭いのか、表札を掲げていない部屋の中。
 窓際にひとつ、裸に近い恰好でへたり込み、朝日を受けている少年が居た。
 シンジである、シャワーを浴びたのか、髪は濡れている。
 肩にタオルを掛けているものの、ブリーフ一枚と妙に子供っぽい、その体には至る所に『虫さされ』の痕が多かった。
 特に、首の辺りに集中している。
「抜けそうだ、腰……」
 およそ中学生らしくない呟きに、朝食を楽しんでいたアスカが顔をしかめ、同時にカヲルが吹き出した。


NeonGenesisEvangelion act.16
『賢しきは人の愚かさ』


 ちくちくちくちくと針で刺す。
「一晩に三人を相手にねぇ、英雄色を好むってやつ?、日本人の悪癖よね、男は女を同時に何人相手にできるかで価値が決まって、女の子は貞淑に尽くすなんて理想観念、最低」
 ずずっと下品に紅茶をすする。
「なんとか言ったら?」
「拷問だ」
 シンジはテーブルに突っ伏して、ストローで牛乳をすすりながら口答えした。
 マナとレイだけなら好かったかもしれない、先に気を失う事も出来ただろう。
 そこにホリィが加わると事情が変わる、本来セックスは気を発散するものであるがホリィの本質は癒しにあるのだ。
 他に対する疲れは全て彼女によって解消されてしまう。
 そうして精神的な疲労を越えた、物理的な苦痛の極限にまで追い込まれたのだから、これはもう拷問だろう、性の拷問だ。
「で、シたわけ?」
「嫉妬してるの?」
「はっ!、だぁれが、自信過剰なのよ!、一回シたくらいで自分のものになったなんて、……なに拗ねてんのよ?」
「別にィ」
 テーブルに指を立ててうにうにとのの字を書いている。
「なんとかBまでで抑えましたよぉ、僕だって男の子なんだけどなぁ、せっかく誰かさんに気を遣ってみたんだけどなぁ」
「嘘吐きなさいっての」
 つんとつむじをつついて微笑する。
「どうせ手ェ出したら後が怖いからって、逃げ打っただけでしょうが」
「まあそうなんだけどね」
 あっさりと起き上がる。
 そこへパンにマーガリンを塗っていたカヲルが問いかけた。
「そう言えば、あれ、明日じゃなかったかい?」
「あれって?」
「JAだよ」
「ああ……」
 考える素振りを見せた。
「出資者としては、見に行った方がいいのかな?」
「JAってどこぞが作ったって言うロボットのこと?」
「そうだよ」
「役に立つの?」
「見に行ってみる?」
 シンジはあっさりと言い、まだ寝ている三人を起こさぬように出かけよう、と二人を誘った。


 ATフィールド。
 その本質を知る者だからこそ理解できることもまた存在する。
 心の壁、生物が本来持っている生体磁場とも言える存在領域。
 獣は群れをなすことでこの力場を強くし、気配を大きくし、他のグループに対して主張を行い、侵入せぬよう警告に変える。
 それは対使徒戦に置いても同じことが言えた、第三新東京市、対使徒迎撃要塞都市でありながら百万を越える市民を『保有』しているのは同種の理屈を基盤に敷いているためである。
 数百万市民の持つATフィールドが使徒のフィールドに干渉するのだ、たとえ中和と言う目に見える結果は産み出せぬとも、不安定な揺れを誘発する程度の作用は期待できる。
 他の生物のテリトリーであると言う事が、使徒自身の動きにも不都合を生じさせる、現にアスカは『知って』いた。
 第三新東京市直上まで進行した使徒の中に、活動的な使徒はいなかった、と。
(矛盾ね、確実に倒すためには街に誘い込まなきゃならない、でも本当なら水際で叩くのが一番だなんて)
 ブラックバードと名付けられたシンジ専用のスポーツカーに揺られての思索である。
 ブラックバードは電気駆動ながら三百馬力と言うあり得ない数字を引き出しているエンジンを搭載していた、これはネルフ本部の技術陣でさえ一般車両のフレームに搭載出来るほどには小型化できていない、正に未知の科学技術の産物である。
 車体は乗用車よりも低く、ノーズが長めに取られている、後部はすとんと落ちる感じになっていた。
 色は純粋な黒ではなく、光加減によって闇を髣髴とさせる紫の光沢を見せている、唸り声は『ウウウウウ』と低い、早く、もっと走らせろとフラストレーションを溜め込んでいるようだった。
 実際、シンジは一速から三速までを忙しなく切り替えていた、公道ではそれ以上のギアに引き上げられないのだろう。
『気ぃつけてねぇ、いきなり吹かすとひっくり返るかもしんないから』
 そう忠告したのはこの車の専属メカニックである、オイルまみれになった作業着姿のレイ=イエルだった。


 旧東京、封鎖地区。
 日本において、ここ以上に治安の悪い場所は無いだろう、なにしろ、治安維持行動そのものの対象外地区となっているのだから。
 液状化した土地はもはや救い難い、南極大陸の消失に伴う海面上昇によって一時は水没した地区であるが、十数年も経てば水のほとんどは大気へと変わる。
 ここはそうして、再び姿を見せた陸地でもあった。
「なんにもないところね……」
 窓を開け、風を浴びながらアスカはポツリと呟いた。
 どろどろの土に埋もれたビルがぽつりぽつりと頭を覗かせ、散在している、その中を真っ直ぐに抜ける道はやけに真新しくて違和感があった。
「記録上、ここには人なんて居ないってことになってるよ」
「何があっても、問題ないってこと?」
「そうだね、……たとえ事故が起こったとしても」
 やがて広大な土地にフェンスで区切られた施設が見え始めた。
 その大きさは一辺十キロととてつもない。
 正面ゲートから、IDカードを見せて通してもらう。
 子供二人、だが警備員は詮索したりしなかった。
 慣れた様子で車を走らせるシンジに、何処に行くのかと訝しんだ頃、ようやく平坦に舗装されただけの土地の先に巨大な塔が見えて来た。
「あそこ?」
「そう、あの中にあるのが」
 ──僕らのJAさ。
 そう口元に笑みを張り付けるシンジの顔に、アスカは『親子ね』、と知られては殺されそうな感想を口篭った。


 エヴァンゲリオンのみが対使徒戦に有効な迎撃システムとするのは間違っている。
 それは先に述べた第三新東京市を例に取るように、エヴァもまたあくまで人が乗ってこそ意味が在るからだ。
 使徒と使徒のコピーによる対戦なのだと安易に考えるのは、戦いの本質を知らないが故の誤解だろう。
 エヴァンゲリオンはあくまで『装備』に過ぎない、ATフィールド、互いの我欲のぶつけ合いの果てに決するこの戦いでは、あくまで使徒対人間の構図が必要なのだ。
 だが、人はATフィールドを持ちながらも物理的な効果を発揮するほどには展開出来ない、そこでエヴァンゲリオンが持ち上がる。
 あくまでエヴァは媒体である、パイロットの持つATフィールドを拡大放出するための増幅器なのだ。
 ブースター。
 だからこそ同一化と言うシンクロシステムが存在する、エヴァという巨大な肉体を操るのではなく、エヴァを介して己を巨大化するのだ、この順序を間違えるとチルドレンはエヴァと言う存在の限界に束縛される事になる。
 アスカはもう、それが以前の自分と、今ここに居るシンジの差なのだと気が付いていた、エヴァの力など知れているのだ、さほど引き出した所で大した物ではない。
「武器ってのは放たれた瞬間にそれを用いた人間の意識とか、気とかが張り付いてて、それがATフィールドに引っ掛かっちゃうってのはわかったけど」
「NN爆弾が利くのはね、爆弾の『殻』にはその意識が纏わりついてるけど、爆風や熱にまでは意志は介在しないからだよ、そうだな……、使徒やエヴァほどの重量があったら、普通地面はへこむよね?」
「うん」
「郊外だとちゃんと足跡を残すでしょ?、大地も割れる、自重を直接かけているからね?、けど街ではそうはならない、何故か?、答えは簡単、都市には住民のATフィールドが存在しているから、互いに反発して浮いてしまう事になってしまうのさ」
「ATフィールド同士がリニアレールと同じ効果を生んでるわけね?」
「そう、そこでJAは完全なオートパイロットを目標にして開発されたんだ、そこに人の意識は介在しない、まあ、有効かどうかは実戦で試すしか無くて……」
「その点はエヴァの、ほんとに動くかどうかもわからないのと同じね」
 二人が見上げたのはJAと呼ばれるロボットである。
 首がなく、蛇腹状の手足がぷらんとしている、それを巨大な橋脚が支えていた。
「ぶっさいく、これあんたの趣味?」
「まさか、あの人のだよ」
 顎で差し示したのは、橋脚から横に伸びるはしけの一本に立っている男だった、時田と言う名の男である、如何にもプライドの高い技術者と言った感じの男だった。
「おい!、子供がこんな所で何してる!」
 怒ったのはその腰巾着らしいバーコード頭の男だった。
 少女に肩をすくめる少年の仕草に余計に怒る。
「これだから!、何処のガキだ!、親の程度が知れる……」
 青くなったのは時田だった。
「バカなこと言うな!」
 慌ててはしけを下ろし、走り寄って来た。
 十秒、二十秒……
 二人の前に来た時には、息切れして動けなくなっていた。
「大丈夫ですか?」
「わ、悪いね、シンジ君」
「いいですけどね」
 困惑している腰巾着に目を向ける。
「こういう人が、趣味なんですか?」
 時田は困った顔をした。
 裏事情を言ってしまえば、本社からの目付役なのだ、下手に機嫌を損ねるわけにはいかない。
 だから、護魔化した。
「シンジ君の活躍は聞いてるよ」
「聞こえちゃってますか」
「君達には悪いけど、ザルに近いね、チルドレン程度の情報は幾らでも拾えるよ」
 あっと驚きの声。
「チルドレン!、セカンドと、サード!?」
 ニッと時田。
「同時にJA計画の一番の出資者でもある」
「まさか……、本当に?」
 大真面目に頷いた。
「実に四割が彼の個人資産から出ている、応対には気をつけたまえ」
 しっしと追い払う。
「それで、今日は何をしに?」
「いえ、もうすぐお披露目だって聞いたから」
 二人、いや三人は揃ってJAを見上げた。
「これ、役に立つの?」
 アスカ。
「この世の敵は使徒だけじゃないって事だよ、使徒にそっくりな怪獣も居るしね」
「ああ……」
 時田が説明した。
「エヴァは確かに有効な兵器と認めるが、チルドレンの希少さから有効ではないし、何よりエネルギー源の確保に問題が大きい、こういうものも必要なんだよ」
「そのエネルギー源ですけど……」
「核はやめて、君から回って来たものを使わせてもらったよ」
 声を潜めて……
「あれ、本当は戦自の『おとぎ』に乗せる機関だったって、本当かい?」
「そのつもりだったんですけどね……、エンジンの方があの程度のシステムじゃ気に食わなかったみたいでだめでした、JAなら丁度いいですしね」
「イレイザーシステムか」
 やれやれとかぶりを振った。
「わたし達には構造さえ把握出来ないよ、継ぎ目すら無いブラックボックスの中にどれだけの科学の結晶が収められているのか、怖くて蓋も開けられない」
 だが。
「楽しみではあるよ、テストベッドであるこいつには可哀想だが、本当のフレームに乗せるその日がね」
 男は実に眩しげに、起動する瞬間を待つ『我が子の一人』を見上げたのだった。


 マンション地階のガレージで車を整備していたレイに近付く影があった。
 こちらもまた綾波レイである。
「あ、お姉ちゃん」
 整備服と制服以上に、その表情に差があった。
 なんと言い返そうか、そんな感じで開き掛けた唇を一旦閉じて。
「ここに居たのね、妹」
 ガン!、っと彼女はボンネットに頭をぶつけた。
「妹ってぇ」
 涙を滲ませる。
「もうちょっと呼び方ってもんがぁ」
 無感動にレイ。
「あなたがお姉ちゃんと呼ぶから、わたしは妹と呼ぶの」
「呼ぶのってぇ」
「そう決めたの」
 それとも、と。
「あなた、妹じゃないの?」
「そうだけどぉ」
 だけどぉ、と。
「他に呼び方ってもんがぁ」
「例えば?」
「普通お姉ちゃんは妹を名前で呼ぶとかぁ」
「……同じ名前」
「じゃあレイちゃんとかぁ」
「ダメ」
「なんでぇ?」
「レイはわたしの名前だから」
「ううっ、それはそうだけどぉ」
「だから、妹」
「ううううう〜」
「ねぇ、妹?」
「ううううう」
「碇君はどこ?」
「ううううう、旧東京だと思うけどぉ」
「そう、邪魔したわね、妹」
「うう、お姉ちゃんの意地悪ぅ……」
 にやりと肩越しに見せられた口元に悔しげにハンカチのつもりで布きれを噛んで……
 それがオイルまみれの雑巾だったと気が付いて、ぺっぺと唾を吐く少女であった。
「改名、マジで考えよー」


 −ネルフ本部、総司令執務室−
「いいのか?、野放しにしておいて」
 パチンと駒を打つ冬月。
「彼の手は借りんのか?」
「資料を見る限り問題は無い」
 ゲンドウはいつもの調子で答え返した。
「シナリオ通り、か」
 皮肉る。
「今更エヴァにこだわることもあるまい、エヴァ以外の現有戦力の強化も必要な事だしな」
 それに、と……
「エヴァと言う驚異に対する目を逸らせる程度の効果は期待出来るだろう?」
「……」
「予算縮小は問題ではあるがね」
 思った以上に損出が少なく済んでいる。
 天井都市の修復作業にてこずっているとは言え、エヴァ一体の修理費に比べれば大した額ではなく、当初の見込み予算にかなりの余裕を生んでいた。
「それより弐号機をどうするかだな、唯一こちらの予測通りに起動している機体だが……」
 それは逆に、使徒と同格である事を示している、使徒以上ではないのだ、使徒に勝つことを優先すれば間違いなく初号機を前に立てるべきである。
「都合よくセカンドチルドレンが予備役での参加を打診してくれた事だし……、シンジ君もお前のその手には同情して、『考える時間』をくれたようだしな」
 一瞬、ゲンドウの義手を見たシンジの顔が思い浮かんだ、酷く複雑な表情が。
「ま……、時間はある、考えておくんだな」


 綾波レイ’S及び碇シンジが学校を休んでいようとも、今日は間違いなく平日である。
「平和だねぇ……」
 のほほんと陽気を楽しんでいるのはカヲルであった、教室、窓際のレイの席に腰かけてのんびりとしている。
「なんや、今日はえらいすっきりしとるな」
 トウジが指したのは他の連中についてであった、この席周辺に溜まっているだけに、一度に休むと目立つのだ。
「シンジ君は旧東京の方にね、綾波さんはネルフ、レイは純粋にサボりだよ」
 何か言い募ろうかと口を開きかけるヒカリ、トウジ同様になんとなく寄ってしまっただけなのだが、周囲はそう見なかったようだ。
 カヲルが見せていない、とも言えるのだが。
「悪いね、洞木さん……、レイには言っておくよ」
「お願いね」
 なんとなく「いやん」な感じがそこはかとなく……
 誰にでも優しく微笑む渚カヲルが、もう一段階『緩い』顔を見せるのは彼女に対してだけだった。
 会話が途切れる、それでもにこにこと彼女の顔を見続けるカヲル、居心地の悪くなるヒカリ、しかし立ち去るにはきっかけが無くて困ってしまう。
 周囲の殺気が一秒と待たずに加速度的に増していく、針のむしろ、しかしなまじ美男美女の組み合わせでないだけに、周りもなんとなく納得してしまっていた。
 御曹司の錯乱というやつである、生まれ育ちの良い少年が、村娘に一目惚れするというあれだ。
 もちろん適当な妄想であるし、そんなことは全くないのだが、想像するのは自由である。
「そやけど……」
 トウジがそんな緊張の糸を切った。
「ケンスケの奴、どないしたんや?」
 そろって見やると、いつものカメラも持たずに項垂れていた、席について、そして時折溜め息を吐いている。
 微笑するカヲル。
「恋多き年頃という奴さ」
 あん?、っとトウジ、へぇ?、と興味を示すヒカリ、……にカヲルが。
「ねぇ?、そうは思わないかい?、……ヒカリさん」
 がたたたたん!、っと二十人からの女子が鬼気を放ち立ち上がった、びくりと脅えたヒカリが背筋を伸ばして卒倒しかけたのも仕方のないことだっただろう。


 −ネルフ本部第一ケージ直通エスカレーター−
「弐号機は?」
「一週間後に佐世保に到着、横須賀入りは翌日の予定です」
 乗っているのはミサト、リツコ、マヤ、マコトである、ミサトの連れとしてマコトが、リツコのサポートとしてマヤが随伴していた。
 先の質問はリツコが、答えたのはマヤである。
 ミサトが軽口を叩く。
「ほんと、神がかり的よね……、嵐にも会わずに凪続きで到着だなんて」
 ぽつりと、何気なく……
「なんか妙な力が働いてんじゃないでしょうねぇ、例えばさ、神様が乗ってるとか!」
 それはいいですねぇ、とマコトが乗った。
「弐号機、B型装備での輸送ですからね、何も無いのが一番ですよ」
「へ?、そうなの」
「ミサト……」
 呆れた声を出すリツコだ。
「あなたね、資料というものを何だと思ってるの?」
「うっ……、そんなドイツ支部のやる事なんて知るはず無いでしょ!」
「向こうから引き渡される装備品の目録に了解のサインをしたのはあなたでしょ」
 あの、とマコト。
「すみません……、代筆で僕が……」
 頭痛を堪える。
「あなた達……、どうかしてるわ」
「……先輩なんてなんにも任せてくれませんもんねぇ」
「あらマヤちゃん、やきもち?」
「少しは信用してくれてもいいと思うんですけどねぇ」
「リツコ……、こんなこと言ってるけど?」
 そうね、と。
「次のMAGIの検診を三時間で終らせる事が出来たら認めてあげるわ」
 ところで、と話題を変える。
「例のあれ、明日予定通りだそうよ」
 わかったわ、とミサト。
「怪獣退治の直後だし、延期してくれるかと思ったんだけど……」
「甘かったわね」


 翌日、旧東京封鎖地区にあるこの日本重化学工業実験施設には、多くの招待客が来訪していた。
 政治家、軍事家、あるいは各方面の企業家など顔ぶれは実に多彩だ。
「では見学会を始めます」
 時田がその解説役を務める、一行はヘルメット着用の上で施設に入った。
「ほぉ……」
 誰かが声を出す、僕らのJAとシンジが口にしたあの機体が、二次装甲を開いて最終チェックを受けていた。
「……頭が無いな」
「頭なんて飾りに過ぎませんよ、どこぞの偉い方にはそれがわからんのでしょう」
 自慢げに、後ろに手を組んで胸を張る。
 時田である。
「カメラは基本的にありません、レコーダー用に装備しているだけでセンサーのみで状況を判断します」
「整備に手間取っているようだが?」
「いえ、起動試験用の計測機器のセッティングに取り掛かっているだけです、何しろ今回の試験結果次第では、『メインフレーム』に基礎から手を入れる必要が出て来ますから」
 メインフレームの意味を曖昧にしたまま質問と応答がくり返される、そして……
「質問を構いませんか?」
 手を挙げたのはリツコだった。
「これはこれは、ご高名な赤木博士にまでおいで頂けるとは……」
 勿論事前に参加者をチェックしている、これはただの皮肉だ。
「……『外燃機関』を内蔵とありますが」
「はい、それが本機の大きな特徴でありまして、ドクター中松式永久機関を元にしております、現在の所連続で150日間の起動を確認していますよ」
「パンフレットの出力波形通りなら、格闘戦を前提にした兵器に搭載するにはあまりにも危険なのでは?」
 ふむ、と時田。
「赤木博士は……、葛城レポートをご存じですか?」
 ぎくりとリツコ。
「ご存じのようですな、二十世紀末に発表された論文ですが、この中にS機関についての概念が記されておりました、『某団体』より提供された資料より『使徒』と呼称される未知の敵性体も、これと同様の機関が搭載されているのではないかと……、まあ、ほぼ間違い無いであろうと結論が出ています」
 驚きは周囲からも上がる、どうして一企業が軍でさえ掴んでいない情報を手に入れているのかと。
「このS機関の出力と比べるに遥かに安全と判断をしております」
「危険ではあると?」
「武器を満載したビルが屹立している某都市に比べれば危険は遥かに少ないですよ、もっとも」
 にやりと。
「そのビルも大半が瓦礫となり、誘爆によって二次三次災害を出したそうですが?」
 ぐっと唸ったのはミサトだったが、リツコが続けた。
「オートメートについては?、遠隔操作では問題を残します」
「遠隔操作ではありませんよ、……完全自動化です」
 リツコは仰天した。
「不可能だわ!、これだけのものを……」
「戦闘には堪えないでしょうね、あくまでこれは後方支援兵器と位置付けております、そう……、例えば内蔵電源だけでは五分と持たない決戦兵器のためのエネルギー供給プラント、など」
 驚くミサト。
「エヴァの?」
「具体名は上げておりません」
 不敵に笑う。
「今回の起動試験は、あくまでこのサイズでの強度測定、駆動系への負担を確認するためのものです、その結果如何ではコクピットの追加もあり得ます」
「でもエヴァでなければ使徒には勝てないわ……」
「敵は使徒だけではないようですが?」
 ぐっとミサトは、こぼした言葉の揚げ足を取られて呻きを上げた。
「それは……」
「やれやれ、いつまでもネルフの時代でも無いでしょうに、某国で年間二万人の餓死者を出すような資金提供を強要出来るのも自分達が唯一であると思い込んでいるからでしょうが、それは免罪符にはなりませんよ?、確かにこの『プロトタイプJA』では使徒は倒せませんが……」
 リツコが引っ掛かった。
「プロトタイプ?」
「そう……、先にお話ししましたが、これはメインフレームのための実験機に過ぎません、以降に続くJAシリーズのための、ね」
「シリーズ!?」
「開発に十年もかかればその技術はもう時代遅れなのだと言う事をお忘れなく」


 緊迫したやり取りもそう長くは続かなかった、一方、その『JA工房』から一キロほど離れた地点にある施設棟の駐車場、そこに停められているブラックバードでは……
「部屋ぐらい借してもらえば良いのよ、まったく」
 こきこきとアスカが肩を鳴らしていた、居住性の面では最悪の部類に入るブラックバードのシートで一晩眠ったのだ、首の筋が違えそうになっていた。
「いつっ、……ほんとに」
 ルームミラーを奪い、顔を見る。
「ひっどい顔」
「大丈夫だよ」
 外に降りていたシンジが、助手席の窓からアスカを覗き込んだ。
「ミサトさんじゃないんだから、その歳で寝起きの顔に皺寄ってたら大変だよ?」
 朝食だと菓子パンと缶コーヒーを渡す。
「そりゃ化粧しないと見らんない歳には遠いけど……、あ」
 青ざめる。
「どうしたの……、げっ」
 ばんっと!、逃がさないようにシンジの両肩横に手が突かれた。
 その耳に息を吹き掛けて囁いたのは……
「だぁれがおばさんだって?」
「あはははは……、ミサトさん」
 だった。


「まったく、なんでこんなところに居るのよ!」
 それはリツコも知りたい所だったのだろう。
「ほんとに……、ミサトが見た顔があるって言った時には国連の誰かかと思ったけど」
 施設棟の一階にはここで働く人間のためのラウンジが設えられていた、今回の招待客の何人かがくつろいでいる、その中にミサト、リツコ、シンジ、それにアスカが揃っているのだから人目を引いた。
「一応、あなた達チルドレンのことは情報の規制対象になってるのよ?」
「……僕、チルドレンじゃありませんから」
「あたしも元だしねぇ」
 ふふんと笑う。
「あたしたちはあくまで臨時雇いのアルバイトなんだから」
「それに、ここに来てるような人達がその程度の情報掴んでないはずないじゃないですか」
「それはそうだけど……」
 苦渋の顔を見せる、それはミサトにとって面白くないことなのだ、組織力の違いが不甲斐なさすぎる、ネルフの保安部、諜報部など専門の組織にとってはゴミも同然であろうと。
 さらにもう一つ、正式な所属ではなくアルバイトなどと言う曖昧な『部下』を持たされてしまった苦悩もある、取るべきスタンスが計れない。
「でも」
 どっちみち、とシンジが制した。
「ネルフなんて半分『遊び』じゃないですか、本気じゃない、『ごっこ』ですよ、その上本気で守ってくれるつもりはない、逆に見捨てることを前提にしてる、寝首をかかれる可能性の方が高いのに頼れっていうんですか?」
 ミサトはまともに戸惑った。
「ネルフがあなたたちを狙うというの?」
「ミサト……」
 呆れた声で、アスカ。
「あたしを狙ったのはドイツ支部なのよ?、数百人の乗客と一緒にね」
「え?」
「あたしが乗るはずだった旅客機の事故、あれをやったのが誰なのか知らないの?」
「そんな……」
「それに」
 シンジはリツコに嫌味を向けた。
「プロトタイプJAの論理回路に細工が見つかりましてねぇ、これが元を辿ると松代のMAGIからのクラッキングだったんですよ、どう思います?、これ」


 まいったと言う顔をしているリツコ、その隣に立ってミサトは渋い顔をしていた。
 シェルターを兼ねた集中コントロールルーム、ここから発信される指令に基づいてJAはデモを行う手筈になっていた。
「リツコ……、あんたなの?」
 ミサトの問いかけは先のシンジのセリフの真偽を問うものだった。
「ねぇ?」
「……ええ、司令の命令でね」
「そう……」
 汚さはどこも同じか、とミサト。
「そこまでエヴァにこだわる必要ってなんなの?」
「……そこまではわからないわ」
「エヴァでなくてはならない……、悔しいけど、あの時田って人の言葉は効いたわ、確かにその通りなのに……」
「ええ、弐号機、3号機の輸送も国連が頼りだもの、ならその戦力増強はあっていいものだけど……」
「それがわからないのに手伝ったの?」
「……」
「なにか……、あったの?」
 それは勘だった、あるいは嗅覚になにかが引っ掛かったのだ、何だろうと思って愕然とする。
(まさか……)
 女性特有の……、理屈じゃないもの、だが誰になのか?、以前からではない、最近だと感じるが、見抜けない。
「そう……」
 深く追及するのはやめた、シンジの物言いが思い起こされる。
(同じ組織の人間だからって安心出来ない……、その通りね)
 ミサトの苦悩は、一段増した。
『JA、起動します』


 おおっと歓声が上げられる、それがどれほど不格好なものであっても、やはり数十メートルクラスの物体が屹立する様は圧巻だ。
 さらにそれが『歩く』となれば感動もする、ズシンと地響きを立てる、エヴァの様に軽やかな動きからは程遠いが、逆にぎこちなさが力強さとなって感動を引き起こした。
 思わず手に力を込めて握り込む。
「JA、大地に立つってところね」
 ミサトの言葉にはっとするリツコ、思わず魅入ってしまったのを恥じて照れ隠しに毒づいた。
「駆動系にどれだけ負荷をかけてるのかしら?」
「あそこの表示を見る限りじゃ……、そう無理はかかってないみたいだけど」
 壁……、というよりも天井近い場所に設置されているモニターに、かなりの量の情報が表示されていた、各駆動系の出力にはまだ余裕があり、フレームなどへの負荷は許容範囲内を示している。
『JA、ポイントAに到着』
『第二試験に移行します、イレイザーシステム始動』
 え?、とリツコ。
「今から?」
「ここまでは電力起動ですよ、このシェルター傍で起動して、いきなり爆発じゃ僕達も危ないですからね」
「シンジ君……」
 傍らにアスカ、アイスを舐めているのだがミサトは違和感に顔をしかめた。
 こんなアスカを知らないからだ、『男性』の後ろに『控える』など持っていたイメージの中には無いと、かけ離れていると。
『バイパス、開きます』
 −フィンフィンフィンフィンフィイイイイイイ……−
 その脈動は空気ではなく次元を伝播し、耳に入った。
 魂が直接揺さぶられる、半眼になり、アスカが口にした。
「この感覚って……」
「うん」
 自信ありげに。
「使徒と同じさ」
 ミサトがぎょっとした。
「使徒とって、どういうこと!?」
「そのままの意味ですよ、大きな力にはとかく魂が篭るものです、ね?、リツコさん」
「え?、ええ……、そうね」
「科学的には立証されていませんが、エヴァにも同じ物を感じてるはずですよ?」
 シンジの目にミサトは思い出した。
 覚醒した綾波レイが操った零号機への畏怖を。
『JA、予定消化、デモンストレーションに入ります』
 画面では順調に、首無しの巨人が『ラジオ体操第一、第二』をこなしてその場の招待客を唖然とさせた。


「見つかったか?」
 そんなふざけたデモを見ているのは何も大人しく招待を受けた人間だけでは無かった、何しろ周囲数十キロに渡って無人(とされている)荒野の続く土地である。
 迷彩のシートを被り、泥の上にゴムボートを浮かべて、男は双眼鏡を覗いていた。
 インナースーツはラバーに見える、特殊樹脂性の胸当て、篭手、ブーツは鎧にも見える、左の篭手には何かの機械があり、背中には特殊なバックパックを背負っていた、ブーツにナイフの納められている鞘が、腰には奇妙な銃が下げられている、色は全て黒で統一されている。
 男達、女も居る、彼らは皆同じ装備を身に付けていた、数は九人、ボート三つに分乗していた。
 先の男が口にしたのは、誰かに、という意味ではない、何かを捜していたのだ。
 一人が答えた。
「ありました、真下です、洗浄液の排出パイプが通ってます」
「セットだ」
「もうやってます」
 バシュッと音、何か長い筒のようなものがゆっくりと回転しながら穿孔していく、穿たれた穴の横幅は直径一メートル半、液状化している土を乾燥させ、固まらせ、周囲の泥を壁に作り変えるおまけ付きだった。
 ややあって、ゴォと風が吹き出した、気圧差が生んだ風だった、貫通し、道の通った下の世界は、相当に寒いらしい。
「長いな……」
「もうおさまります」
 言った途端に、消えた。
「行くぞ」
 カメラアイの付いているヘルメットを被って首元を触る、気密のためだった。
 足と腕のプロテクターで土壁を押さえ、ブレーキ代わりにして竪穴を下りていく、その下には日本重化学工業の開発工場から続いている下水管が存在していた、直径十メートルはある巨大な穴が。
 一行はドボン、ドボンとその穴の水へと落ちた、スーツがあるために溺れることはない、彼らはブーツの裏の爪を上手く使い、何かを捜した、それはすぐに見つかった、先のドリルマシンである、水中でアイドリングし、流れに逆らって静止していた、二名が取りつき、残りの者のために曳航用のロープを伸ばす。
 捨てられている水はこの地の地下水を組み上げ、浄化し、洗浄水として利用された水だ、それだけに異様に冷たい、それでも彼らは、その水の中を泳いで進んだ、その目的はイレイザーシステム、強奪依頼者は……、不明であった。


 ……ところで学校では。


「やぁ、ヒカリさんは自分でお弁当を作っているのかい?、美味しそうだねぇ、僕もそんなお弁当が食べてみたいって事さ」
 お昼休み、パンを手に羨むカヲルとそんならぶらぶを妬んだ周囲の殺意に、どうしてこんな意地悪するの?、とヒカリが半笑いでさめざめとしていた。



続く



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作を元に創作したお話です。