沸き起こるのは畏怖なのだろうか?
 彼女の言う通りだと思った、容姿や何かで選ばれたわけではないのだと思い知らされた気がしていた。
 強い弱いの問題ではなかった、背筋が寒くなり堪らなかった。
 それでも彼女が……、マナが踏ん張れたのは、シンジの影が見えたからだった、本能的に察してしまったのかもしれない、彼女は『違う』のだと、シンジと『同じ』なのだと。
 顔を上げてドキリとする。
 冷たい青い目だった、表情は無かった、その瞳は自分の全てを見計ろうとしている、芯の芯まで探り尽くそうとしている。
 そう思えた。
「くっ!」
 マナは強がり、ジープを下りた、アスカに見られているからこそ逃げられなかった、抗った、……アスカから逃げるということは、シンジをも怖れるということだから、一歩でも退いてしまえば、その恐怖心は容易に心を満たすだろう、そうして避けるようになってしまった時、シンジにどの様に扱われる事になってしまうのか?、いや……
 扱うどころか、もう構っては貰えなくなることは実に決定的だったから。
 これまでの付き合いから、シンジがそれほど情に厚くないということは、嫌というほど知っていた、他の者のように切り捨てられてしまう、それは恐怖だった。
 未だ戦自の影に脅えているマナにとって、シンジの庇護なくしては街を歩く事も出来ないのだから。
「準備、急いで!」
 だから……、マナは意気がって、強ばる体にムチ打った。


NeonGenesisEvangelion act.20
『鋼の魂』


「急げ!、連中連絡が取れないとなると別のを寄越して来るぞっ、それまでにJAを起動させて手が出せないようにするんだ!」
「時田さん!」
 時田は声を掛けて来た少女に目を細め、破顔した。
 裏事情となってしまうが、時田は戦自の非公式調査員によってトライデント計画……、マナらに架せられていた特殊軍用兵器専属操縦士育成計画を含めた、陸上巡洋艦建造計画のために拐われかけた経験を幾度か持っていた、未だ一人身を通しているのは、このことも大きく関わっているからなのだ。
 もし、下手に捕まっていたならどうなっていたのだろうか?、その可能性の一つを実際に体験して来た存在が目の前に居る。
 時田はそれほど正義感にまみれた男では無かった、シンジに与しているのもイレイザーシステムへの好奇心や、それを搭載する機体開発者となることへの名誉欲がかなり大きい、それでもその心の中には、確かに戦自への憤りもくすぶっていた。
 大量の自衛隊隊員を寄越したのはシンジであるが、それを職員として登録させたのは時田であった、彼もまた戦自に狙われ続けているため護衛は雇わねばならなかったのだ。
 その中に以前見た極秘資料に出て来た少女が居れば驚きもしよう、そして正義感にもかられよう。
 駆け寄ってくるマナに対して、彼は娘を見るような目を向けた。
「霧島君」
「遅れました」
「いや、間に合ってくれたよ、装甲歩兵を相手にするわけにもいかなくて……」
「いえ、あたしもアスカに頼っちゃいましたから」
 てへっと舌を出す。
「JAは大丈夫ですか?、おかしなことはされませんでした?」
「なんとかね」
 しかしと苦笑し、アスカの操る装甲歩兵による破壊に顔をしかめる。
「あちゃ……」
「まぁ、システムはJA内部にあるから問題無いさ、固定用のロックボルトと作業用のタラップさえ動かせばすぐにも動かせるよ」
「JAに排除させるってのは……」
「いや、それだけじゃないから」
 時田は慌てて付け加えた。
「今やってるのは観測用の機械の排除作業だよ、中枢部を露出させてまでセットしていたものだからね、そのままじゃ」
「……ごめんなさい、無理言っちゃって」
「いや、安全を考えるなら起動させたまま放っておいた方が良いからね」
「はい」
 マナは頷いた。
「戦自の目的は使徒じゃありません、JAです、降下して来た部隊って、強襲部隊じゃなくて工作兵でした、JAが狙いなのは間違い無いです、使徒が出たら撤収するのはいつものことだし、けど……」
「何かある?」
 懸念を口にする。
「変なんです……、だってこの付近の基地から出動して来たにしてはレスポンスが早過ぎます、工作兵だけならまだしも虎の子の装甲歩兵まで準備してたなんて変です、おかしいですよ、こんなチャンス、いつ来るかわからないはずなのに」
 はたと気が付く。
「JAばかりが目的じゃ……、ない?」
「違うかもしれないし……、考え過ぎかもしれないけど……」
 唇を噛む。
「JAだけなら工作兵だけで十分なのに、装甲歩兵です、だから……、JAで威嚇しておきたいんです、もし本当に使徒が出たとしても、せめてシンジが自由に動けるだけの隙を作る手駒は用意しておきたいんです」
 そうか……、と、時田は外を見ようとして、格納庫入り口で左手を腰に当てて空を眺めているアスカを見付ける。
 青い空には、追加らしい多くのヘリが滞空していた。


 そしてわりと近い場所で、同じく空へと飛び立った飛行機があった、三角形の平べったい飛行機である。
 エヴァンゲリオン専用輸送用F装備、ウイングキャリアである、縦150メートル、横は翼の両端までで実に350メートルを越えている、その後部に両肩の武器庫をロックする形で搭載されているのは黒いエヴァンゲリオンであった。
 3号機である。
「いきなり呼び出して、ろくな情報も無くとりあえず発進ですか」
 カヲルはプラグスーツに着替える余裕も与えられずに、3号機のプラグに放り込まれていた。
「ATフィールドの反応が検知されたとはいえ、パターンの判別については保留中、確認もされてない……、僕やレイのような可能性は考えないんですか?」
 それに答えたのはマコトであった。
『悪いね、渚君……、3号機を使うのは威力制圧のためなんだよ、下手な戦力じゃ小競合いを生むからね』
 戦力ね、とカヲルは皮肉る。
「ネルフに戦力と言える部隊があるとは驚きですね」
 どこに?、と暗に訊ねられてマコトは笑顔のままで口元だけをひきつらせた。
『そう言わないでくれよ』
 マコトが居るのはウイングキャリアのコクピットだった、状況の確認を急いでいる。
『向こうにはシンジ君とアスカちゃんも居るみたいでさ、万が一のことがあるとまずいだろう?』
「混乱に乗じて、ですか」
『そういうこともあるってことさ』
 さて、それはどうだろうかと、カヲルはまだ余裕をもってくつろいでいた。
 しかし口数が多くなるのは不安の現れである。
 彼には何か、大事な懸念があるのだろう。


「ひぃっ!」
 マユミは奇妙な悲鳴を上げて抗った、しかし抱きすくめる腕の力は強くて抜け出せなかった。
 ミシリと軋む音が聞こえた気がした、死ぬ、そう覚悟した、しかし助かった。
 ブッ!、そんな音と共に楽になった、シンジの糸がロイだったものの腕の腱を断って解放してくれたのだ。
 糸はマユミの体に絡んで彼女を引きずった、シンジはマユミを引き寄せるとその腰を抱いて立ち上がらせた。
 マユミは……、視線を外せずにいた、ロイだったものが変容していく、歪んで、イガ栗に似た黒い球体へと。
「そんな!」
 それはマユミにも覚えのある『波動』だった、刺を持つ殻は壁を透過して巨大化していく。
 ぐいと体を引っ張られてマユミは僅かに「あう」と喘いだ。
 抱き挙げられて、マユミはシンジの顔に泣きそうになって問いかけた。
「あ……」
 その一言を発するのがやっとだったが、表情でしっかりと返されてしまった、駆け走るシンジの首元に顔を埋める。
 三石と、三つばかりの死体を避けて通り、中途半端に持ち上げられた幾枚もの隔壁をくぐって、マユミは地上へと運ばれた。


「なによあれ!」
 ミサトはエヴァの降下地点へ盗んだ車を走らせながら叫びを上げた。
 地中から盛り上がって来たものは黒いドームとなって建物を覆い隠してしまった、その表面には、無数の突起がそれぞれに意思をもって蠢いている。
 最初に比べれば速度は落ちているようだが、それでもまだ成長しているようだった。
 直感する。
「あれが、使徒!?」
 高さは何十メートルにも達しようとしている、それが球形であるならば地下にも同じだけの大きさで沈んでいる計算になる、なら、突入していた戦自隊員達はどうなってしまったのか?
「欲をかくから!」
 舌打ちして、一段深くシートに体を預ける、より強く尻で過重を探れるように踏ん張って、ミサトはハンドルを切って行く先を変えた。


 使徒出現は思わぬ形でJA格納庫にも混乱をもたらしていた。
「駄目です!、発電システムが完全に落ちました!」
「バッテリーをかき集めて使え!」
「そこのポンコツの中身を引きずり出して!、使えるはずよ!」
 アスカの力のある声での指示に、何人かが勢いで従った、バクンと前に開かれる曲面装甲、覗いた作業員は口を押さえて顔を背けた、血と汚物が垂れ流されていた、それでも堪えて、なんとか死体と千切れた手足を引っ張り出す。
 ようやく発進準備が整ったのだ、後はロックを解くだけである、後一息との勢いが我慢をさせた。
「ぐずぐずしてるんじゃないっての」
 アスカは毒づくとまた外へと目をやった、ヘリが散開して逃げていく、目を細める。
「味方を見捨てて逃げてくなんて……」
「それが戦自だよ」
 アスカは隣に並んだ誰かに顔を上げた。
「時田さん……」
「戦自は自衛隊と違ってセカンドインパクト後の政情不安から出来た組織なんだ、力を振りかざす奴に『ゴタク』を幾ら並べ立てた所で蹂躪されるだけだ、そんな考えから成り立っているだけに怖いよ、彼らは自衛隊のように何かを守るために存在しているんじゃない、純粋に暴力のみを極めようとしているからね」
「暴力って、例えば?」
 ──ウィィイイイン、ガシャン、ウィィイイイン、ガシャン……
 肩越しに時田は三石を見送った。
「あれがどうかしたの?」
「ああ……、例えばあの三石だよ」
 時田は複雑そうに告げた。
「……三石の動力源は電気なんだけどね、そのシステムにはエヴァの電気回路と同じ技術が使われているんだよ」
「エヴァの!?」
「そう……、ネルフ以前の、ゲヒルンは無防備だったそうだからね、それに電源周りを設計した技師は行方不明になっているらしい」
 アスカは顔をしかめた。
「それって」
 首肯する。
「……戦自に流れたか、捕まったか」
 どっちにしても、とはアスカの弁だ。
「ろくな人生は送れてないでしょうね……、ネルフを裏切ってるなら待ってるのは死、逆に捕まってるならそれはそれで自由は無い……」
「それ以外の選択は」
「殺されるってンでしょ?」
「……ああ」
「ろくなもんじゃないわね」
「……JAは、そんな狂ったシステムに組み込まれないで欲しい」
 時田はこの、チルドレンを引退したがために謀殺され掛けた少女を見下ろした、ここにもまたマナのような子供が一人、だ。
 そんな想いから、JAに例えてみたのだが、アスカはくすぐったいのか無視をした。
「さあ、出番よ」
 アスカの言葉にボディが鳴り始める、JAは喜び勇んで立とうとしていた。


 使徒、『ロイ』の膨張は瞬間的なものではなく、走るよりも少し速いと言ったペースで行われた、最終的な大きさは幅三百メートル、縦百メートルに達している。
 マユミを抱きかかえたまま、シンジはどの地図にも記載されていない通路へと入り込んでいた、それは建設中に使用されていた下水道であった。
 塞がれていた入り口を蹴り開き、そして暗闇の中を危なげもなく駆け抜けて、シンジは地上に出られる場所にまで至っていた、その速さは百メートルを数秒でクリアしている。
 光が頭上から降り注いでいる、けぶるように霞んだ光だった、マユミを降ろして腕を振る。
 頭上数メートル地点にある格子に糸は絡んだ、軽く繰るだけでそれを数本切ってみせる。
「きゃ!」
 マユミはシンジの腕の中で身を竦めた、すぐ傍にガカンと格子の残骸が落ちて跳ねた。
「行くよ?」
「え?、あ!」
 シンジはわざと残した格子に糸を絡め、一気に自分とマユミの体を引き上げた。
 地上、マユミを先に上らせてシンジも這い出した、遠目に戦自の生き残りがちょろちょろとしているのが覗けた、シンジはその影を装甲歩兵二機に兵士が五人と判断した、距離は五、六百メートルか、こちらを発見する余裕は無いらしいと見る。
 壮大に広いだけの土地に黒いドームが鎮座している様は奇妙であった、その背景は底抜けの青空なのだから、これはこれで正しい光景なのだろうとつい思い込んでしまいそうになる。
 ちょろちょろとしている蝿はヘリから飛行艇に変わっていた、『本当に』、緊急出動して来た部隊だろう。
 シンジは運を信じてポケットの中をまさぐった、取り出したのはリモコンキーだった、ブラックバードの。
 ボタンを押す、反応があった、安堵する。
「すぐ車が来るからさ」
 返事が無い事を怪訝に思い、顔を覗く。
 マユミはぺたんとお尻を落としたままで泣きそうになっていた。
「……また」
 何が……、また、なのか?
 シンジはわからないと首を傾げた。
「何の話?」
「え?、あの……」
 無意識の内にお腹に手をやる、それを見てシンジはああと納得した。
「大丈夫だよ……」
「え……」
「『それ』は、山岸さんじゃなくて、あの人の中だったみたいだから」


 ミサトがJAに目を付けたのは、エヴァの到着までに時間が在り過ぎると判断したからだった。
 F装備と簡単に言うが、エヴァはその大きさから運び出すだけでも一苦労する、エヴァ専用トレインに乗せて芦の湖を越えて特設空港へ、そこからウイングキャリアにドッキングして離陸、これにパイロットを中学校から移送する手間も加わるのだから時間が掛かって当たり前だ。
 JAがプロトタイプを冠されている上に、使徒には通じないと公言されていたとしても、おとりには使える、それがミサトの判断だった、要は注意を引いて時間を稼げればそれでいいのだ。
 しかし彼女を待つことなく格納庫からのっそりとJAが歩き出して来た。
「ちょっと!」
 勝手に!、とそれこそ勝手な憤りを感じて格納庫へと滑り込む、スピンターンをかけて停止、車から飛び出して声を荒げようとして……、ミサトは言葉を失った。
「アスカ!?」
「ああ、遅かったじゃない」
 彼女はマナ運転する所のジープに乗り込もうとしていた。
「あれ、ネルフの権限で接収したから、あとよろしく」
「よろしくって、ちょっと!」
 ガシャン、ガシャンと地響きを立ててJAは去っていく。
 ──ギュルルルル!
 タイヤのスピンする音に見とれている場合ではないと慌てたがまたも遅れた。
 アスカ達を見送る事になり地団駄を踏む。
「なんだっての!」
 肩で息をし、JAの背を睨み付けた。
(でも)
 ミサトはその大きな背中に身震いを感じた、聞き流していたシンジとリツコの会話を思い出す。
『意思』、『魂』、そうとでも言わなければ納得出来ないものが立ち上って見えた、敢えて言うなら、『気迫』だろうか?。
(確かにね……)
 エヴァと同質のものが感じられたような気がしてミサトは一人納得していた、映像ごしではわからなかった、『ここまで』とは。
(案外いけるかもしれない)
 ……ミサトがそう思ったのも、無理の無い事ではあっただろう。
 アスカは荷台の上を渡っているパイプにしがみ付くようにして立った、JAを見上げる、これ程巨大な物体が歩行するのだから当然震動は物凄い、使徒を探す、数キロ先だ。
「あれ?」
 しかしアスカが見つけたのは別のものだった。
 黒い弾丸が地平の先を横切って行く。
「マナ!」
「え!?」
「ハンドル五分の方向に切って!、シンジよ!」
 反射的にマナはアクセルを踏み込み、JAを一気に追い抜いた。


 到着した車にマユミを乗せようとしていたシンジは、ズシン、ズシンと定期的にやって来る震動に気が付き、JAを見つけた。
 ついでに物凄い勢いで突進して来るジープにもだ。
 破顔する。
「マナ、か」
「え?」
 マユミも気が付き、乗るのを取りやめて視線を追った、そして異様な鬼気を立ち上げて迫って来る車にひきつって脅えた。
 ──ギキィ!
 凄まじい音を立ててブレーキを掛け、立ち上がってマナは叫んだ。
「シンジ!」
 シンジは思わず首をすくめた。
「な、なに?」
 むぅっとシンジを睨み付けるマナ、その背後でアスカが頭をさすりながら立ち上がった。
「あいったぁ……、ちょっとは気をつけろっての」
 バーに腕を置いてぐったりとする、どうやら荒い運転に転がってしまったらしい。
 アスカは涙目を向けて、マナの刺すような目に困惑しているマユミを見付け、笑顔を作った。
「はぁい」
「え……」
「お久しぶり……、ってもアンタが知るわけないか」
 だがマユミからの返答は彼女を驚かせるに十分だった。
「惣流さん……、ですよね?」
「え!?」
「お久しぶりです」
 会釈する。
「あんた」
「わたし、『覚えて』ます」
 にこりと微笑む、それで十分だった。
(こりゃ強敵じゃなくて大敵だわ)
 アスカは困り顔で後頭部を掻いた、そして瘤に触ってしまって「あいた」と呻いた。
「……JA、動かしたんだ」
 シンジの言葉に、マナは溜め息を吐いて報告した。
「……守護星を動員してケイタにバックアップさせてるの、大まかな指示は出せるけどタイムラグがあるから直接指揮は無理ね」
「守護星って?」
 アスカに答える。
「第三新東京市の直上に『相対制止』している気球だよ、レーザー回線でメゾン一刻の屋上のアンテナと繋がってるんだ」
「……無茶苦茶ね」
「それぐらいやんないとね、それよりマナ」
「なっ、なに?」
 ドキリとしたのはシンジがそれだけ凛々しい顔を見せたからだった、しかし、シンジの言葉に蒼白になる。
「……『教団』が動いてるみたいなんだ、油断しないようにってケイタ君に言っといて」
「わかった……」


 ブラックバードとジープに分乗した四人は大急ぎでその場を離れることにした、JAが追いついて来たためである。
 シンジ達が地上に出たのは使徒から一キロはある地点だったが、それでも使徒のサイズを考えれば十分戦闘範囲である、その上、JAはもう腕を振りかぶっている。
 使徒による反応は無し、パンチが炸裂した、しかし割れるかに見えたイガ栗の殻は意外な弾力を持っていた。
 ──ゲィン。
 弾き返され、たたらを踏むJA、右腕を脇に引き、二発目を放つ。
 ──ガガガガガン!
 今度は殻はたわまなかった、突然堅くなっていた。
 JAの右腕は自らの力によってバラバラに砕けた。
「なによあれ!、脆過ぎるっ」
 双眼鏡を覗きながら、ミサト。
「ATフィールドも張ってないってのに負けてるじゃない!」
「それより、……あそこに居た人達はどうなったんでしょうね」
「……知らないわよ、そんなこと」
 横目を時田に向け……、また双眼鏡を覗く。
「戦自の突入前には大半が逃げたはずだから、民間人は居ないはずよ」
 ミサトは罪悪感から逃れたいのか、冷たさの理由をそう言い訳したが、時田が心配していたのはそれ以外の人間のことだったのだ。
(逃げてくれてるといいんだが)
 振り返る。
「発電機の準備急げ!、記録装置さえ回復出来ればいい、コネクタの改造急げよ!」


「ちっ」
 舌打ちしたのはマナだった、バックミラーを弄ってJAと使徒を映し込んでいる。
 マイクを握り、周波数を合わせる。
 そしてまたシンジもJAを見ていた、こちらはフロントガラスの下半分をモニターに変えて、後部カメラで写していた。
「ああっ」
 マユミが悲痛な声を上げても、シンジは無表情を崩さない。
『ザッ……、シンジ、聞こえてる?、どうぞ』
 シンジはカーステレオ周りのボタンをひとつ押した。
 それは無線機のスイッチであった。
「聞いてるよ」
『ATフィールドの問題はクリアできてるみたいだけど、あれじゃ……、どうぞ』
「わかってるよ、武器が無いとどうしようも……」
 今度は電話だった、携帯電話を出し、コネクタを繋いでボタンを押す。
「はい?」
『そう言う問題じゃないんじゃない?、あれは』
 アスカであった。
『イレイザーシステムだっけ?、本当に動いてるの?』
「どういうことさ?」
『エンジンかぶってんじゃない?、一応動いてはいるけどって感じがするんだけど』
 シンジはじっとJAを見た、映像のために半分透けてボンネットが見える。
「……デモの時より、動きが、鈍い?」
『でしょ?、空回りしてる感じがするのよ』
 ──使徒が!
 マナの切羽詰まった声が、アスカの携帯ごしに小さく聞こえた。
 反射的にシンジはルームミラーを確認した、割れ爆ぜる使徒の殻、その破片をぶつけられて、JAがのけぞるように倒れていく。
 ──ズガガガガガァン!
 地響きに車が二台ともバウンドする、その揺り返しがおさまるまでブレーキを踏んで堪えた。
 振り返るアスカとマナ、シンジも窓越しに確認した。
 卵の上部三分の一程が割れていた、外は黒だが内側は赤かった、葉脈が張り付いて見える、破片は地面を叩いてさらに細かくなり、消えて行った。
 内側から姿を見せたのは全くの別形態に進化した使徒だった、蚊のような体で、両前足には鋭い多角形の錐を備えている。
 マユミは喚いた。
「違うの!?」
 てっきり『あの時』と同じ形態に進化するのだと思い込んでいたのだろう、しかし出て来たものは似ていても全く違う生き物だった。
 シンジが答える。
「……一種の形態、形状進化なんだよね」
「え?」
「その時の状況や環境によって適切な形を変えるんだよ、その力も別物に」
 見ていたもの全てが真っ白になった、景色もだ、全てから色が消える、それは閃光のせいだった。
 ドンと衝撃、咄嗟に伏せると爆風と衝撃波が襲って来た。
「きゃあ!」
「バカッ!」
 マナの襟首を掴んでジープから跳び下りる、車は簡単に風にめくられて横転し、滑っていく。
 マユミは車に掴まって堪えた、しかし多少押されて扉をお尻で押してしまい、前方へと普通曲がらない方向に曲げてしまっていた。
 シンジだけが涼しい顔をして立っていた。
 えぐった傷口への閃光、使徒は胴部のえぐれたJAの姿に満足したのか顔を上げた。
 そのまま空を見上げる、シンジもそれに倣って、何かを見付けた。
「……カヲル君」
「え?、……あ!」
 遥かな高みに、飛行機雲の筋が見えた。
 それが何かを投下するのも……、黒い……、人形。
「エヴァ3号機!」
「アスカ!」
「わかってる!」
 アスカはマナを、シンジをマユミを抱いて転がった、直後に。
 ──ドッ、ズゥウウウウウウウン!
 高々度より着陸した3号機の衝撃に、大地はめくれ噴き上がり、シンジ達も同じように跳ね上げられていた。


 膝を屈して衝撃を殺した3号機であったが、流石に即座に立つ事は出来ないようだった。
 足を揉むカヲルが居る、フィードバックが響いて痺れてしまったのだ。
「ふぅ、日向さんも無茶をしてくれるよ」
 見上げる、ウィングキャリアが退避していく所だった。
「シンジ君じゃないんだから、僕にまで同じものを求めないで欲しいね」
 使徒へと目をやる。
「……さて」
 機械人形を嬲り者にしていた使徒だったが、流石にこの巨大な乱入者には興味を示したようだった、ふわふわと漂いながら向きを変え、3号機に相対する。
 ──ダン!
 地を蹴って駆け出す3号機。
 ──ブン!
 拳を振るう、そして。
 ──ガィン!
 ……ATフィールドに、弾かれた。


「なにやってんのよ!」
 ミサトはようやく到着した3号機に驚喜したものの、パンチを弾かれて転げた姿に罵声を吐いた。
「早く3号機に繋いで!」
 携帯電話に怒鳴り散らす。
「繋がった?、渚君なの?、なにやってるの!、ATフィールド中和して……、はぁ!?」
 ミサトは耳を疑った。
「……中和して、と言われてもねぇ」
 立ち上がらせながら苦笑するカヲルである。
「実はATフィールドの張り方なんてわからないんですよねぇ……、生身なら使えるんですが」
『冗談言ってないで!』
「大真面目ですよ、明日の訓練で展開実験をやるって……、おや?、赤木博士から作戦部にも話が届いてるはずなんですが」
 ミサトの知らない事ではあるが、前回の出撃時はレイの活躍によってカヲルの出番はほとんどなかった、よって彼女は気が付かなかったのだ、その事実に。
 しかしリツコは起動数値が低過ぎる事をちゃんと確認していた。
 はたと思い出す。
「そういえば、赤木博士はご一緒じゃ?」
『とっとと逃げたわよ、あのマッド!』
 カヲルはシートの上で体を左に倒した。
 ──グォン!
 右側を使徒のブレードが通り過ぎる。
 左のブレード引き、次は右を。
 ──ブォン!
 これは下がって、3号機は躱した。
「しつこいね!」
 左肘で跳ね上げる、すると今度は左のブレードを、叩きつけるように振って来た。


 3号機と使徒の攻防は鈍重な殴り合いに見えた。
「まずい……」
 そんなカヲルの戦いっぷりに、シンジは珍しく焦った声を出して体を起こした。
「カヲル君……、ATフィールドを中和できないんじゃ」
「はぁ!?」
 蒼白な顔でシンジ。
 四人、砂まみれである、シンジの腕の下にはマユミが体を小さくしていた、庇われた事で赤くなっている、むぅっとなるマナ。
「シンジ!」
「え?」
「いつまでくっついてるの!」
「え?、あ、ごめん……」
「いえ……」
 ますます照れて身を捩る。
 そんなマユミに赤くなるシンジ。
 マナの頭が、ぽんっと嫉妬に噴火した。


 アスカ達にはわからない事だが、零号機から弐号機までと3号機には、シンクロするシステムに差があった、明確に誰かの魂を込めて『自我』を封じるのではなく、逆にその自我を操るシステムを取っているのだ。
「A10神経での接続では無く、人形のように操らなくてはならない……、面倒だね」
 だからこそ第一支部では気の操り方をマスターさせようとしていた訳だが。
「困ったねぇ」
 余裕をもって躱し続ける、閃光、爆発、しゃがんで避けたが衝撃までは回避出来ない、揺さぶられた。
 足元を蹴ってしゃがんだまま跳び下がる、爆発が二度、三度と起こって追いかけて来る、両腕を組み合わせて受ける。
 ガツンと骨に来る衝撃に顔を歪める。
「痛いね、これは……」
 カヲルは泣き言を言った、が、その頭はどうしたものかと思案に暮れていた。
(そう、僕がATフィールドを張る分には問題無いんだよ……)
 実の所、カヲルには使徒など怖い存在では無かった、彼の『力』をもってすれば最低限拮抗出来るからだ。
『渚君っ、聞いてるの?、渚くん!』
 しかしエヴァに乗せられたために干渉してしまい使用出来ない、裏事情を言ってしまえば3号機とカヲルは根本で同じものから生成されている、シンクロすることは同化するということで、融合してしまう可能性もあった。
 相性が良過ぎるが故の弊害である。
『渚君?、渚くん!』
 使徒のパンチを躱しながらそのようなことをテレテレと考えているのだが……
『危ない!、なにやってるのっ』
 流石にカヲルも顔をしかめた。
 避け方に余裕を無くしてしまう。
「すみませんが、お静かに願います」
『なんですって!?』
「集中出来ません」
 殴りかかって来た使徒の右腕に左腕を合わせる、滑らせ、懐に入って右拳を叩きつける。
 ──ゴゥン!
 苦悶、腹を曲げる使徒、カヲルは二発目を放ったがこれは距離が開いたためにATフィールドで受け止められてしまった。
 突き出される腕、再度合わせる、しかし。
『カウンターよ!、カウンターを狙って!』
 一足遅い忠告に集中力を乱された、ゴン!、振り回された腕をこめかみに受けてしまった。
『なにやってるの!』
 カヲルはこめかみを押さえ、頭を振りながら毒づいた。
「本当に……、邪魔なだけの人だ」
『ナギ!』
「通信、切ります」
 切った。
 即座に。
 一方的に。
 ATフィールドは一種の存在力場である、魂ほどの巨大な質量が存在すればそこには歪みが生じる、それが位相のズレとなって互いの間に横たわるのだ。
 中和、侵食は位相を合わせることで行われる、だが必ずしもそれを行う必要は無い、使徒も肉弾戦を行う時には位相のズレによる壁を展開していないのだ。
 これを利用するために誘いをかけ、近距離戦に持ち込んだというのに、ミサトのおかげで台無しである。
「距離を開いた?」
 閃光、爆発、カヲルは3号機の左の手のひらを犠牲にして防御した。
「学習したか」
 だからこそ使徒は距離を開いて遠距離攻撃を選択した。
「ジリ品だね」
 仕方が無い、とエヴァに拳を握らせる。
「相打ち覚悟で、え?」
 カヲルは信じられないものを見てしまい、驚いた様子で戸惑った。
「やるって言うのかい?」
 カヲルが見たのは……、そう、立ち上がろうと震えているジェットアローンの残骸であった。


「JA……」
「あ……」
「嘘でしょ……」
 シンジ達には呻く事しか出来なかった。
「だって……、だってメインコンピューターが無くなってるのに!、壊れてて動力部が剥き出しになって!、駆動系も制御機構も無茶苦茶なのに!」
「それでも……、動いてるなんて……」
 上半身、頭部から鳩尾に掛けて破砕され、穴が空き、機械が火花を散らしていた、鉄鋼のほとんどは黒く炭化している。
 なのに、それでもJAは震えながらも立ち上がっていく。
「やるというのかい?」
 カヲルは呟くと3号機を下がらせた。
『それ』には魂と言えるほどはっきりとした形は無いのかもしれない。
 それでも確かに『その子』は『意思』を持っていた。
 意識を持ち始めていた。
 だからカヲルは見届けようとした。
 だがそんな『事実』を、ありのままに受け入れられない人物も居た。


「なんなの……、なんなのよっ、あれ!」
 JA格納庫、その中は度重なる激震と衝撃波によって壊滅してしまっていた、死傷者が出なかったのは幸いだろう。
 外に避難しながらも、必死に観戦は続けられていた、三石のカメラを遠視モードに切り替え、手持ちのノートパソコンに接続して記録してもいる。
 ぼろぼろのJA、例え予備、補助と言ったコンピューターが生き残っていたとしても、その回線が繋がっているかどうか、そんな問題では無いとろこにまで追い込まれていた。
 なのに、動いているのだ。
 ミサトは喚いた。
「なんなのよっ、あれはぁ!」
 ミサトの全身は総毛立っていた、泡立って鳥肌が酷かった。
 暴走している、暴走して見える、そう、暴走だ。
 幽鬼のごとく立ち上がり、前に傾げる体を必死に起こそうとしている。
「JA……」
 時田は感動から声を失ってしまっていた。
 そんな彼にミサトが詰め寄る。
 半狂乱になっていた。
「答えなさい!、あのロボットに何を仕掛けたの!」
「仕掛け?」
「そうよ!」
 時田は目を伏せ、呆れてかぶりを振った。
 どうしてシンジがこのネルフの重鎮を味方に引き入れていないのか。
 わかったような気がしたからだった。



続く



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作を元に創作したお話です。