──ガシャン!
 点灯されたスポットライトに顔をしかめる。
 眩しさにくらむ目、彼女は一端瞼を閉じた。
 一、二、三……
 十数えて再び開く、既に捕えられているのだ、今更目を閉じた所で殺されることはなかろうとの判断だった。
 胆力が備わっているのか?、肝が座って見えた。
 女の子だった、十五か……、六、肌は白、髪は黒、瞳は右が青、左が金のオッドアイ。
 彼女が転がされているのは真っ暗な部屋だった、床は冷たいが硬くは無いと、後ろ手に縛られた手のひらで確認した。
 手首、足首をテープのような物で固定されていた、顎を支点に足を胸に引き寄せ起き上がる、ぺたんとした姿勢で。
 女の子座りになったまま腿を磨り合わせる、白いライトに裸が奇妙にまぶし過ぎた、ただ右の腿にかさぶたが小さく出来ていて、それが美を損なってしまっていた。
 これから訪れる運命は彼女を絶望に陥れるだろう、というのは甘い、彼女の目は肉体的な陵辱になど屈しない……、とも語っていなかった。
 目は不安で一杯になっていた、唇も震えている、ここまでなら演技出来るだろうが、その唇は青くなっていた、生理反応まで操ることはできないだろう。
 結局、やせ我慢をしていただけだった、絶望に陥る以前にもう参ってしまっている、ライトの前に立った男を見上げて、彼女は小さく悲鳴を上げた。
 最初はそんな体勢だったからだろうか?、やけに大きな男に見えた、しかし実際に前に出て来たのは少年であった、自分と同じくらいの、その黒い肌が特徴的で、すぐに誰だかあたりがついた。
 自分が負けた相手だと。
 彼女はムサシに捕えられた潜入工作員の一人だった、ナイフ使いの女だ。
 お尻と足の裏を使って後ずさる、膝を立てて体を隠そうと身を捩る、……揃えて膝を立てれば相手から丸見えになってしまうのは当然なのだが、羞恥心では無く恐怖から命を守ろうとしての行為であった。
 彼女が脅えているのは食らった薬のせいだった、媚薬による生殺しなどまだ甘かった、絶頂に浸されたまま一晩近く放置されたのだ、涙、鼻水、涎を垂れ流し、糞便をこぼし、汗をかき、脱水症状と心臓にくる負荷から正に死にかけた。
 気を失う事も、自分を見失う事も許されなかった、性経験のない少女には過酷過ぎた、そしてその責め苦を味合わせた相手が目前に居るのだ。
 怖れない方がどうかしている。
 ……ムサシが動いた、彼女は身をすくめた、覆い被さるような屈む仕草にギュッと目を閉じる、しかし。
 ──ブツ。
 テープを切って解放された、手と、足の両方だった。
 ばさりと肩にかけられたのはシーツだった、少女はぽかんとした顔でムサシを見上げた。
 ムサシの目は、感情を押し殺すように、無理矢理固定されていた。


NeonGenesisEvangelion act.22
『運命の連環』


「人型ロボット第二案ね……」
 ふうむとレイ=イエル。
 ちなみに学校から帰って来たばかりのレイはと言えば、カーペットに直座りしているシンジの背中に背を合わせて眠りこけてしまっていた。
「うん……、どうしようかと思って」
 パチンと音、シンジが足の爪を切った音だった。
「良いんじゃないのぉ?」
「……簡単に言うんだね?」
「ま、あたしは直に見てないから」
 カロリーメイトをかりかりと食べる。
「シンちゃんもカヲルも妙に気にしてるしねぇ、やだやだ、これだから男ってのは」
 へっと蔑み。
「ロボットとか男のロマンとかに弱いんだから」
「悪かったね」
 爪を切り終え、敷いていた新聞紙を畳む。
「大奈義さんも信濃さんもよく考えてると思うよぉ?、それに教団が動き始めてるんじゃ、役に立たない物は早い内に役に立つ物に交換しとかないとね?」
 例えば?、と訊ねたシンジに厭らしく笑う。
「そうね、何と言ってもまずはJA、あれだけお金かけてイレイザーシステムまで積んで暴走が切り札じゃエヴァと同じじゃない?、次に自衛隊、戦自が来たからって尻尾巻いて逃亡?、そんな頼りになんない連中いらないっての、次にネルフ、特に作戦部長さん!、喚いてるだけで居ても居なくてもおんなじ!、っていうか前線に居る奴より情況判断がニブイってどゆこと?」
 シンジは苦笑した。
「そこまで言わなくってもさ……」
「シンジもよ!、……今回はたまたまマユミちゃんが居たから良かったけど、油断してるから罠にはめられたりするんだから」
「罠?」
「そうよ」
 レイはぶすっくれるとテーブルにどんっと頬杖を突いた。
「良い?、使徒にはひとつのルールがあるの、例えば第三新東京市を目指すと言った様な、ね?、じゃあどうしてあんなところで発現したんだと思う?」
「僕がトリガーになった?」
「それも違う、本当は別のタイミングで発現するはずだったんだと思う、けどマユミちゃんが居たでしょ?」
「そうか、山岸さんのせいで全てが狂ったんだね?」
「そゆこと!」
 我が意を得たり、とコップに手を伸ばしてジュースをずこーっとストローですする。
「本当ならちゃんとした場所とタイミングで発現する予定だったはずだよ?、戦自の配置は多分彼らを追い詰めるためのものね、その証拠に不自然に死人を出したがる人間が選択されてたから、テロ専門の工作員でいいはずなのに、どうして暗殺要員なんて混ぜて潜入部隊を作る必要があんの?、つまりそゆこと、事態を重く見た戦自は強制的に介入する、どうもあの日に何かあるって情報が流されてたみたいよ?、そんでもって交戦状態に入って被害は拡大、その過程で使徒は解放され、こっちの『手駒』ごと全てを呑み込んで」
「けどそこに山岸さんが居てしまった」
「そう、マユミちゃんと『因縁』が深過ぎたのねぇ、マユミちゃんの話だと動悸が激しくなって興奮しちゃったって、好意と勘違いしてたみたいだけど、本当は……」
 わかってるよ、とその話題は止める。
「運が好かったのか……、あの程度で済んだのは」
「一応こっちの被害は人的にはないけどね、人的には」
 あ、怒ってるな?、というのが一目でわかってシンジはひきつった。
「……ごめん」
 ピクッと反応。
「ふうん?、シンちゃんは何が悪いかわかってるんだ?、ふうん?」
「ごめん……」
 助けてよ、とカヲルに視線を送るのだがカヲルは気付かいふりをしてストローを咥えている。
「はぁ……、金額的には?」
「それほど負担にはなってないけど小さくも無いからね、資金は無限じゃないんだからね、次にポカやったら」
「なにさ?」
 目をキラキラとさせて、意地悪く……
「またこのカッコさせて駅前コントやらせるからねぇ」
 そう言って、ほぉれほれとどこからか持ち出してぶら下げ見せたのは、二十世紀にその名を轟かせた伝説のコメディキャラの衣装であった。


 黒い全身タイツに黄色い大きな耳と、赤い玉のぶら下がる触角が二本付いている特殊な衣装。
『ブラック、○ビル』
 きっとこのキャラのことを知っていれば、外国人の方々は何故シンジがそう呼ばれるのを極端に嫌がるのか、容易に察する事が出来ただろう、そう、シンジがその名を呟く人間を許さないのは、単に『性格矯正訓練』と称して駅前コントをやらされた経験があるからである。
「なぁにやってんだか」
 隣の部屋では、床一面に服を広げてアスカが困っていた、傍にはホリィが下着姿のままで、所在無げに立っている。
「だめ!、ぜぇんぶ駄目っ、やっぱりアンタに合うサイズの服って大負けに負けてカヲルのくらいね」
「そう……」
 ホリィはどうしようかと訊ねた。
 この家で一番背が高いのはカヲルだ、その次にアスカで、ようやくシンジが来る。
 カヲルに匹敵する背丈があった、その上で胸とお尻の『膨らみ』があるわけだから、たとえ借りたとしても苦しいだろう。
「やっぱ買いに行くしか無いわね、シンジでも誘っていってくれば?」
「でも……」
 ちらりと隣の部屋への扉を見る、僅かに隙間は開けられていて声は聞こえる。
「今……、忙しそうだから」
 アスカはふむ、とあぐらをかいて、膝の上に頬杖を突いた。
「あんたも損な性格してるわねぇ……、それじゃここまで着いて来た意味無いじゃない」
 ホリィはぽりぽりと胸先を掻いた。
「だけど……、夜は一緒に寝てるから」
「レイ達も一緒に、でしょ?」
 不機嫌そうに言う、ちなみにアスカはレイ=イエルのベッドで眠っていた、カヲルは専用で一室使っている、残りは全員、シンジとひとつだ。
「何て言うんだっけ?、釣った魚に餌やるな?、……違うわね、ああもうどうでもいいから、もっと構ってもらえって言ってんのよ」
 でも、とホリィ。
「なんだか悪い気がして……」
「なにが?」
「結構、好き勝手にさせてもらってるのに、これ以上シンに甘えるのって、なんだか……」
 くっ、と腹を抱えてアスカは笑いを必死に堪えた。
「それっ、考え過ぎ……」
「そう?」
「ええ」
 目尻の涙を拭いさる。
「だってそうでしょ?、ここに何人女の子が居ると思ってんの?、それでもアタシはシンジと泊まって来たわ、でもね、アンタが遠慮するならアタシも遠慮しなくちゃならなくなる、違う?」
 何か違うと思うのだが、上手い言葉を見付けられない。
「……それで良いの?」
「こういう言い方はなんだけど、シンジを本当の意味で好きな人間っていないのよ」
「え……」
 アスカの顔から温かな物が消えた。
「……レイ、二人ともだけど、シンジとは『因縁』があるの、だから惹かれ合ってる、あたしもそう、シンジとは切れない縁があるから頼ってる、甘えてる、マナは本気で好きみたいだけど」
 寂しげなものに表情を翳らせる。
「無理してる部分があるから……、あたし達が、怖い、はずなのに……」
「アスカ……」
 ホリィは自然な動作でアスカに近付くと、膝を屈してアスカの頭を胸に抱き締めた。
 今のアスカは幸せを享受している、ただそのために大事な何かを無理矢理切り捨てている。
 そう感じての行為であった、が。
「なぁにやってるんだか」
 それを覗き見てレイ=イエル。
 しっかりちゃっかりと言い返した。
「そっとしておいてあげなよ」
 その首根っこを掴んで引きずり戻す、レイをどうしたのかと思えばカーペットの上に横倒しにして見捨てていた、しかしレイも気付いていないらしい。
「ぬぅ〜〜〜」
 寝返りを打って涎を垂らした。
「それよりお遣いに行ってきてよ」
「ほえ?、お遣いって?」
「ムサシ君のところだよ、……時田さんの案を受け入れるんなら、ムサシ君に預けてる人達と交渉しないとね」
 はいはい、とレイ=イエル。
「それよりほら、禁断の花園が佳境に入って」
「ないっつーの」
 ゲシッとアスカに顔面を蹴られてしまったイエルであった。


 彼女の名前はフェリスと言った。
 肩に掛かる程度の髪は丁寧に洗髪されて光沢を取り戻している、一週間も正しい生活を続ければ癖も消えるように思われた。
 真っ新な白いノースリーブのワンピースに着替えさせられ、彼女は長いテーブルの真ん中辺りの席に座らされていた、しかし困惑しているのは彼女だけではない。
 正面にはパイロンが居た、パイロンの右手にはハロルドが居る、マナに囚われた彼だ。
 フェリスの左手にはレイクが居る、数人がかりで取り押さえられた長い髪を持つ青年である、彼は憤慨しているようだ。
 右手の、テーブル先端の席には主としてムサシが腰かけていた。
 テーブルには料理が並べられ、果物が飾られている。
 そこからリンゴを取り、ハロルドはかしゅっと音を立てて齧った。
「うまいぜ?、これ」
 パイロンに睨まれて肩をすくめる、パイロンはパイロンでそれで八つ当たりになってしまっていると自戒したのか、深呼吸をした。
 自分達は任務に失敗したのだ、負けた、捕まった。
 これみよがしに逃げて下さいと言わんばかりの隙が逆に怪しくて、現在は大人しくしている状況だった。
 部屋はどこかの城なのではないかと思えるような豪奢さだ、くぅと可愛らしい音が鳴った、赤くなって縮こまったのはフェリスであった。
「……食べてから出て行った方が良いんじゃないか?」
 ムサシの声が静かに響く。
「手持ちの路銀も無いんだ、辛いだろう?」
 パイロンは顔を向けた。
「何故……、このような『面倒』なことをする?」
 ムサシはフォークとナイフを置くと、ナプキンで口を拭った。
「捕まえた事なら、俺の命令じゃない」
「なに?」
「問題は、そちらの作戦が成功するか、阻止出来るかだ、今回は敵だったようだが、こちらも味方として雇う用意がある、本物の仕事人を育てるには時間が掛かるからな、資源は大切に、そう言うことだ」
「……ふざけた話だな」
 仏頂面で、レイク。
「だからって捕まえるために、フェリスに!」
 バンッとテーブルを叩いて立ち上がる。
 フェリスはびくっと首をすくめた。
「お兄ちゃん……」
「……妹を同伴する方がどうかしてると思うけどな」
「お前に何がわかる」
 ギリと歯を噛む。
「わかるかわからないかは話してみないとわからないな」
「誰がお前なんかと話させるか!」
「……強要はしない」
 ぼそりとパイロン。
「後はどうなった」
 ムサシはパイロンと目を合わせた、暗殺者とだ。
 だが眼光では負けていなかった。
「二人逃げた、一人は処理した」
「そうか」
 黙祷する。
「一人、足りないな?」
「使徒に食われた」
「使徒?」
「そう……、ここに居る人間は運び出せたけど、その後に使徒が出現した、施設は全部破壊されたよ」
 ぬぅ、と呻き、しかし彼らは使徒を知らないのだろう、名前だけ耳にしているからか上手く想像できなかったらしい。
「まあ、暫くゆっくりとしていけば良い……、使徒の資料が欲しかったら資料室を訪ねてくれ、ここには俺と、後一人、身の回りの世話をする人間が出入りしているだけだから、出て行きたい時に出て行けばいいさ」


 ──ドォオオオオオオオオン!
 −第一次直上会戦−
 ──ゴォオオオオオ……
 業火を纏いて舞い上がる者。
 エヴァンゲリオン初号機。
 古い調度品で固められた部屋にしては、映写機だけが最新過ぎて似合っていなかった、思い思いに豪奢な椅子に腰掛けているのはパイロン、レイク、それにハロルドだ。
 自由にしていい、それを真に受けてこうしてライブラリを鑑賞していた。
「ハロルド」
 パイロンが訊ねる。
「事実か?」
 ハロルドは頷いた。
「ああ……、戦闘記録は知らないが、第三新東京市の傷痕は俺の記憶と一致してる」
「そうか」
 続く使徒、あるいは怪物達の映像に言葉を失い掛ける。
「なるほど……」
 ハロルドは口の端を釣り上げて笑った。
「確かにな、こんなことをやらかしてるんじゃ、『資源』は大切だ」
 頭の後ろで腕を組み、椅子を傾けてぎしりと鳴らした。


 三人が情報の収拾に勤しんでいる頃、フェリスは一人で探険していた。
 広い屋敷だった、ロの形に建物があり、中央に尖塔が一本立っている、屋敷の北側と繋がっていた、南側は玄関である。
 屋敷そのものは三階建のようだが、天井裏にも部屋があるように思える、塔は五階建ほどもあった、中身はなんだろうか?
 彼女は二階の西側を、北に向かって歩いていた。
 陽射しが差し込んで赤い絨毯を焼いている、ガラスケースや、甲冑が飾ってあり、武器は豊富だ。
 フェリスはそのひとつを何気なく歩きながら触ってみた、手のひらを返しコンと叩く。
 ……ただのガラスだった。
 銃に、弾薬、刀剣の類。
『あの時』負けたのは剣のせいだと言う負け惜しみがあった、けれど良い武器を支給してもらえる組織に属するためには、それなりの能力が要求されるものだ。
 だから見苦しい言い訳に過ぎないと自制していた、第一……
 フェリスが思い出したのは、あの時、諦めたように目を閉じたムサシの姿だった、あの時確かに自分は迷った、隙を突いたのに、あの極限の状態でさらに隙を誘われてしまったのだ。
 未熟だったのは自分だ、だから陵辱も敢えて肯定しなければならない。
 そうでなければ……
 フェリスは膝が震えそうになるのを堪えた。
 心理的な恐怖を乗り越えられるだろうかと思う、でなければ二度とナイフは握れないだろう。
 やがてフェリスは一つの部屋に迷いこんだ、寝室だった。
 どうやら使われなくなって久しい、人の気配は無いが、ベッドも何もかもが痛んでいた。
 壁際、中央に天蓋付きの大きなベッドがあった、薄いカーテンが揺れている。
 窓の横に小さな机があった、写真立てを見つける。
 少年二人と、少女一人が写っていた、前で胸の谷間を作るように体を前に倒しているのは栗色の髪の女の子だった、後ろの二人の内の片方は、ムサシだ。
 マナとケイタと、共に撮った写真である。
「仲間だよ」
 突然聞こえた声にどきりとし、振り返る。
「あっ」
 手元を誤り、倒してしまう。
「あっ、あのっ、ごめ!」
 ムサシはそんな彼女の傍に立つと、写真立てを元の位置に戻して目を落した。
「戦自に居た頃の仲間さ」
「……え」
「薬物と心理誘導を続けられて、心と体がばらばらになってた」
 トンとマナの顔を突く。
「薬物を抜くために手荒い事もした、発汗、脱水作用を増進させる薬で無理矢理抜いたんだよ」
 フェリスを見つめる。
「君に使ったのと同じ薬だ」
 それからベッドに目を向ける。
「薬には同時に、……未発達な器官を刺激したり、機能不全に陥って分泌されていない物質を補う効力もあった、ただその負担が激しくてね、マナの時には気功を併用して治療が行われたよ、全身を活性化させてね」
 フェリスは思い切って訊ねた。
「あなたが?」
「俺?、いや、あいつだよ」
「あいつ?」
「『彼』さ」
 フェリスは意味を掴みかねたのか小首を傾げたが、すぐに思い当たって目を丸くした。
「ブラ……」
「っと」
 その口に軽く手を当てて塞ぐ。
「せっかく助かったのに、あいつに殺されたくないだろ?」
 他人の手が唇に触れる、それをこんなにも意識したのは初めてだったかもしれない。
「ここはあいつに貰った俺達の家だ、新しい住所、名前、戸籍、全て貰った」
 さあ、と腰を押して促した、フェリスは逆らわなかった。
 ここで『彼』が出て来るとは思わなかったからだ、逆らうなどとんでもなかった。
 廊下に出て、歩き出す。
「君にあの薬を使ったのは、戦闘薬を飲んでる可能性があったからさ、っていうのは、言い訳になるけど」
「戦闘薬?」
「さっきも言っただろ?、薬物を抜くためにって、……彼女を元にして作られた薬さ、今じゃ世界中に出回ってる」
 吐き捨てる。
「投薬された人間は、自律神経が破壊されておかしくなるんだ、目前の存在を根絶やしにするまで解放されない、無限快楽の中に落とし込まれる、最後の一人を殺した瞬間に、ようやく絶頂を迎えられるんだよ、戦闘……、いや、惨殺だな、それが終わるまで解放されない、解放されたらされたで、興奮状態が治まってしまって、死ぬことになる、良くても頭が壊れて廃人だ、その顔は至福に満ちていて……、あれは気持ち悪いよ」
 身長にそれほど差は無いのだが、男女の違いなのか、ムサシの方が歩みは早かった、半歩ほど先に出る。
「君は……、何故あんな仕事を引き受けた?」
 フェリスは堅い顔をして答えた。
「……他に生きて行く世界が無いから」
「そうか」
 強い口調で、自棄気味にフェリス。
「笑ったらいいじゃない」
 立ち止まって喚く。
「あなたもみんなみたいに思ってるんでしょ、そんな事をしてちゃいけない、ちゃんと生きなくちゃいけないって」
 ムサシも立ち止まる。
「でもね、あたしみたいなのが普通に暮らしていけるはず無いじゃない、みんなこの目を見て言うわ、気持ち悪いって、悪魔だとか言って殺されかけた事だってある、あたしはね、赤ん坊の頃に殺され掛けたのよ、お母さんに、首を締められてね!」
「……」
「不思議でしょ?、赤ん坊の頃のことなのにはっきりと覚えてるのよ、セカンドインパクトのせいで苦しくて、育てるのが苦痛になったとかなんとか、知るもんですか、他の連中と一緒になって、あたしが世界を滅ぼしたんだって、滅ぼすためにあたしは生まれたんだって言ったのよ」
「……」
「あなただって!」
 ムサシは何も言わず、体を傾け、手刀で何かを叩き落とした。
 振り返る。
 怒気を纏わりつかせてレイクが立っていた。
「……俺が避けたら、この子に当たると考えろよ」
「うるさいんだよ」
 レイクは別のナイフを抜いた、その辺から手に入れたのだろう。
 ムサシはその短絡さに呆れた、何かしたと思っているのだろうが、それにしてもだ。
 だったら、彼女など見捨てて当然なのだから、ナイフは彼女に当たらないように投げるべきだ。
 感情に支配され易いのは馬鹿の証拠だ。
 レイクに相対する、と、ムサシの背後に突然パイロンが現れた、それまで完全に気配を立っていたのだろう、まさに空間から沸いたように、その手には刀を握って振りかぶっていた。
 ──ビュン!
「!?」
 全員が驚いた顔をした、左肩に食い込んだ刀は、そのまま骨を砕いて心臓に達するはずだった、しかし実際には。
 弾かれた。
「馬鹿な!、俺の打ち込みを生身で!?」
 たたらを踏み下がるパイロン、それを避けようとしてフェリスもまたよろめいた。
 ムサシは……、面白くも無さ気に振り返った、体半分だけだが。
「……硬気功、肉の袋を気で満たす事により外圧に耐える外気功の一種だよ、極めれば刀くらい弾き返せるさ、それくらいのことは知っているだろう?、ウジャール・リー・パイロン」
 驚愕する。
「俺の名を!?」
「当然知っているさ、ウジャール・リー・パイロン、『外』の血が混ざっている事を理由に才能を妬まれて排斥された、リー家暗殺衆白龍筋の刀術士」
 パイロンは目を丸くした。
「お前は……、そうか、その黒い肌、ムサシ、ムサシ・リー、死んだと聞いていたが」
 ムサシは自嘲気味に笑った。
「同じだよ、外の血が混ざっている事を理由に道具にされた、日本政府への服従の証しとして売られたんだよ」
 ムサシの邂逅は、苦渋に満ちた物だった。


 ムサシ・リー・ストラスバーグ。
 何気に過ごしている彼であるが、その生い立ちは実に波乱に満ちていた。
 彼の父親はリー家の御曹司であった、リー家は華僑の中ではさほど大した家系では無かったために、かなりの自由が許されていた、それ故に、黒い肌の女性と結ばれる機会もあり得た。
 ただ彼にとって不幸だったのは、些か正義感に溢れ過ぎた事だった、セカンドインパクト以降の混乱期には、連絡役を買って出て、華僑の繋がりを維持し続けた、この功績は『長老』の目にかない、リー家は一躍大家として名を馳せる事になったのだ。
 その妻はセカンドインパクトにより書面的な手続きを踏んでいなかった、このため一族は彼女を排斥した。
 これを嘆いた御曹司は、失意のままに流感にかかり、あっさりと他界する、そして亡者達の手は残された長子、ムサシへと向けられた。
「セカンドインパクト後の経済的影響を上手く乗り切るためには、国に対して恭順の意志を示す必要もあったということさ」
 日本政府は幾つかの財界に対してその証明を求めた、経済崩壊を起こした時期にあって、国からの保護は何よりも必要だったのだ。  そして彼らは自らの子供を差し出す事で癒着した、ムサシ同様に戦自へと収監された子供は数多い。
「……そこまでして華僑の代表格にまで上り詰めたまではよくてもな、俺が起こした脱走騒ぎのせいで、結構な迷惑を被ったらしい、ま、自業自得だな」
 薄く笑う。
「そして俺は、生憎とこうして生きている」
「何のために」
「強くなるためさ」
 その眼光にパイロンは僅かに後ずさった、気圧されたのだ。
「……お前は、強い」
「だけど女一人守れない」
 ムサシの顔は歪んだ悲しみを張り付けた。
「そうさ、俺は戦自から女を一人連れて逃げた、その女に何をしてやれた?、薬で犯された体を癒す事も、温かな食事とベッドを与える事も、人前で堂々と名乗る自由すら与えられなかった」
 同じようにレイクが顔を歪ませた。
 その主張には痛い物があったらしい、その目はフェリスを見ていた、しかしフェリスの目は……
「強い、というのは屈伏させるための力じゃない、他者をねじ伏せるための力じゃない、ましてや、屈しないために抗う力なのか?」
 ムサシはパイロンに問いかけた。
「暴力が力なのは認めるさ、だがそれだけでは通用しない、総合的な強さとはなんだ?、人を殺す力だけか?、パイロン、答えてみろ」
 威圧、とも違った迫力はパイロンを圧倒した。
 それは説得力だった、ムサシが垣間見、感じて来た物から来る真実だった。
「パイロン……、自分を拒絶した者達に自分の価値を主張しているだけじゃ、お前は魂を囚われたまま、嘲笑され続けるだけの道化だぞ」
 その言葉はそのままフェリスをも打つ。
「自分がなる、『何者か』の存在価値は、自分で作り上げるんだ、何者と問われて答えられなければ、自尊心ばかりが強い、ただの自意識過剰だぞ、ついでに劣等感からも永遠に逃れられることはない」
「……あなたは」
 震える声で、フェリス。
「あなたは、何者なの?」
「ムサシ」
 堅い声で答える。
「今はムサシ、それ以上になりたいと願っているもの、だ」
 しかし、とその頭は酷い苦悩に見舞われていた。


 凛々しく決めればそれなりに決まるムサシではあるが、その内心ではいつ本性がバレやしないかと冷や冷やしていた。
 恰好付け過ぎじゃないのか?、と思うのだ、恥ずかしい。
 実はこれ、全てレイ=イエルの策略であった。
(こいつらが何者か知ってるってわけだ)
 おそらくはその過去、生い立ちですらも。
 そう言う事に関して、ムサシは全く疑っていなかった、何しろ自分はともかく、出生不明であるはずのマナの生まれ故郷について、さらりと口にするのがレイなのだ。
 パイロンが自分が捨てたリー家の人間であるというのは驚きだった、リー家は前述の通り、セカンドインパクトで混乱した社会を背景に、他家との連絡役を務める事で『長老』の信頼を勝ち得た一族であった。
 長老をバックに経済進出を果たし、その過程で出た軋轢を解消するためには人質さえもさし出した。
 その内の一人がムサシであった。
 当時出来たばかりの戦略自衛隊は、正に政府にとって自衛隊では成しえなかった、ご都合主義の塊であった、そんな場所に、人質などと言う扱いの面倒な存在が放り込まれたのは、一種の倣いでもあったのだろう。
 ムサシのような子供は大勢居た、マナが受けた『特殊軍用兵器専属操縦士育成計画』のための予備として分類されていた、そう、もし『返却』となった時に、何かしらあるようなら問題となるからだ、ムサシ達は永遠に使用される事のない予備だった。
 そんな彼らの中に、育成計画の練り込みのための人柱とされているマナ達を見下す気持ちが生まれたのは、別段おかしな事ではないだろう、ただ、ムサシは特権的な階級意識が薄かった、その事が彼を救わせる要因になった。
 女の子以前に、人として扱われてないマナが不憫に思えてならなかったのだ。
 そんな彼女に同情して実家へと連絡を取ったのは自然な流れだったかもしれない、が、実家からの返答は彼を失意のどん底へ叩き落とすようなものだった。
 相手にもされなかったのだ。
『人質として差し出すなら不要なモノを』
 他国の血が混ざり、その上長子でもある自分が如何に邪魔なだけの存在だったのか思い知らされた、日本には長男を重要とする風潮がある、上手く利用された、それを知った瞬間でもあった。
 義憤からマナに接するようになったとは言え、それから暫くは意固地になっていたと思う、勢い脱走計画を立ち上げ、準備し、時を見計らっていた矢先にそれは起こった。
 陸上巡洋艦の破壊工作事件、この不測の事態に好機を見て取り、準備していた脱走計画を実行に移した。
 シンジに拾われたのは、思いの他早く見つかり、諦め掛けた時だった。
 実際のところ、ムサシは彼らに語った程には悔しさを噛み締めてはいなかった、何から何まで備えているシンジが羨ましいとは思っているが、それで卑屈になるほど余裕を無くしているわけでも無い。
 なら、何故こんな猿芝居に興じているのか?
 ……ぶるりと震え上がりそうになってしまったのは、思い出したからだった。
『死刑、なんちて』
 そう言って、こまわりくんの真似をして見せたレイ=イエルのことを。
『そりゃあ?、状況が状況だったってのは理解しますけど?、でも未成年になんてもの使うかな?、それも男の子とエッチしたことも無いような子に』
 マナにバラすぞ、バラすぞと脅されれば、このような仕事も避けられなかった、そう。
 彼にとって重要なのはマナがシンジにいちゃついていないかと言うことであり、リー家に縁があるというだけで説得力を買われ、こんな猿芝居をやらされる事になど少しも義務感を感じてはいなかった、責任感もだ、ムサシにとっては生涯を掛けてマナを守ることこそ第一であり、一生を賭すということはつまりそう言うわけなアレだから。
 碇シンジのような毒牙そのものの傍に無防備に置いておくなど、とんでもないことなのである。
 ──さっさと帰りたい。
 そんな風に、三文芝居をこなしつつ、心で涙しているムサシであった。


 こういった内容の話しは、本を読まない人間ほどほだされやすく、また共感出来るほどに騙されやすいものなのかもしれない。
 この世界、この年代では文字の読めない、俗に言う文盲の人間は多かった、日本が文字を読めるのが当たり前と出来るのは、前世紀での『頑張り』が継続維持されたからである。
 フェリスはそんな環境には無く、本の世界など知らない、殺伐とした人間だった。
 フェリスはこの屋敷の外を散策しながら考え込んでいた、外は広い草原だった、丘の上の。
 少し離れて森がある、遠くはどこまでも山だった、いや、東の、山並みの間に見えるのは海かもしれない、空とは色合いが違っていた。
 どちらがより不幸なのか?、それが不幸な人間の考えの根底にある、それはフェリスも同じであった、優しくされたがり屋なのだ、根本において甘えたがりなのである。
 誰にでも優しくされたいのは、やせ我慢していても彼女も同じであった、しかし、ムサシと言う彼には、彼にとって自分よりも不幸に思える大事な誰かが居ると言う。
 ならあのような仕打ち……、女の子としては、とても許容出来ないものではあったが、相手が女の子だからと言って躊躇しないだけの必要性があったのだろうと想像出来る。
 敵に手加減を望む事こそどうかしている。
 不安……、なのかもしれない、その心情は不思議なくらいマナに酷似していた。
 シンジに強さを感じ、庇護を求めながらも彼の心が別に在る事を知って、捨てられないよう必死になる。
 後一歩の後押しがあればフェリスはそうしただろう、本能のレベルでレイクよりもムサシを選んでしまっていた。
 しかし、心情がそれを許さない。
 フェリスの生まれは幸せでは無かった、その目が問題だったがこれの原因は親にあった。
 親は……、近親婚者だったのだ。
 兄妹で愛し合った、その結果がフェリスだった、この親もまた姉弟であったと言うのだから、コンプレックスが意識させ合ったのかもしれない。
 キョーダイでのくり返しが生んだフェリスは、護魔化しきれないほどに、医学的な証拠を見せ付けていた。
 色違いの瞳、オッドアイ。
 血が近過ぎることで補完し合う遺伝子の弊害である。
 螺旋を描く二つの遺伝子の内、父と母のもの、どちらかが優性となり、劣性となるのが普通なのだが、その両方が似た物で構成されればそのようなことも起きるのだ。
 補完し合った結果、原初の人間に近付いてしまったと言っても良い、もう一段階くり返されれば、性の未分化もあり得ただろう。
 フェリスは歩きながら右目だけを押さえて隠した、自分は女の子なのだろうかと思う、あれだけの恥辱に醜態を晒しながらも、そういうことを考えてしまう。
 心が壊れなかったのは、『男の自分』がいたからではないかと思えるのだ、女ではないから、快楽に没頭し切れなかったのではないのかと。
 そんな自分の苦悩を知っているのか、レイクは自分を妹として扱ってくれている、幸せにしようと教えられる限りのことを教えてくれている、と思う。
 寂しくさせないように連れ回してくれているとも。
 だから、逆らえない。
 しかし何かが引っ掛かっていた、だから迷いが生じていた。
 それは、選択肢だったのかもしれない、目の前に開けてしまった、たくさんの道だ、これまでは選べる立場には無かった、選べる道筋などどこにも無かった、しかし、ここにはそれがある、あるような気がする、見えるような……
 だから、彼女は迷っていた。
 そんな迷いが、助長された。
「ヘリ?」
 風に髪を弄ばれる、空を見上げると、ダークグリーンのヘリが草原へと下降して来る所であった。


 明らかに軍用と思われるヘリが下りて来る。
 それは彼らに焦りを抱かせるには十分だったはずだった、しかし、この男だけはそのことに気付けずにいた。
 ハロルドである。
 彼は爆破のプロだった、JA関連の施設において、事前の資料から爆発物の設置ポイントを決めたのも彼だった。
 彼でなければ無差別テロの様相を呈して、死傷者の数は最初の誘爆で二桁に達していただろう、そんな彼がパイロン達と別れて館を散策していたのは、職業病からくる性癖故のことだった。
 建物の構造を頭に入れて、いざと言う時のために備える、非常口、脱出経路を残して、いかにこの建物を崩壊へと導くか。
 行動に移すかどうかは問題ではない、単に落ち着かないから調べていただけだった、知らない建物の中に居るとのんびりと出来ない性格なのだ。
 そんな彼だったが、中央塔への扉の前に来て、そのまま人影を見つけ、硬直していた。
 最初はムサシの口にしていた『もうひとり』かと思った、しかし容姿を見るにつけ、そんな生易しい相手ではない事を知ってしまった。
 チェシャキャットと呼ばれる独特の笑み、ハロルドは知っていた、彼女が獲物を見付けて興奮した時には、白い尻尾が揺れて見えるのだということを。
「ホワイトテイル……」
 ハロルドは彼女の名を口にした事で、ようやく口の中が乾き切っていたと気が付いた、腕を組み、右肩を扉に預けて立っている、しかし彼は知っていた、それが誘いなのだと言う事を。
 利き腕が使えない状態を演出し、襲いかかって来るのを待っているのだ、だが彼女の得意とする技は足技であるし、第一、ホワイトテイル、綾波レイ=イエルには物理兵器など通用しない、絶対不可侵の障壁がある。
 ブラックデビルは見た事が無くとも、ハロルドは彼女を知っていた、過去に彼女を罠にはめ、ビルごと生き埋めにしたことがあったからだ。
 それはまだ彼女が碇シンジを迎えに行く数年前のことであった、ブラックデビルも、シルバーフォックスもおらず、独り者であった彼女を旧ロシア施設のビルに誘い込み、爆破し、生き埋めにしたのだ、しかし彼女は生きていた。
 瓦礫の下から、燃え盛る炎を纏い歩み出して来たのだ、『真っ正面』から。
 一瞬で人など灰にしてしまうはずの轟火が、彼女を怖れて道を開いたその様を覚えている、赤を背に歩み出して来た白い彼女が恐ろしくて、股間を濡らしてしまったのを覚えている。
 彼は呻いた。
「どうして、ここに……」
 ふん?、っとレイ。
「そんなにおかしい?」
 いやらしく笑う。
「イレイザーシステムがブラックデビルと繋がってる事くらい、あなた『なら』調べがついていたんでしょ?」
 扉から離れて手を下ろす。
「ならあたしが出て来ても不自然じゃないと思うけど?、それに、あなたには貸しがあったと思ってね」
「……」
「いつか役に立つと思ったから見逃してあげたの、わかる?」
「……JAの、ことは」
「ああ、あれはブラックデビルの趣味だから、あたしには関係無いもん」
 趣味っ、と驚く。
 では彼らはその趣味を暴くために苦心し、失敗してしまったと言う事になるのだから。
「あたしの裏をかいたその実力を評価して上げてるんだけど?」
 ハロルドはまずいと感じた、彼女のスカートの向こうで何かが揺れるのが見えたからだ。
 尻尾に見えるそれがなんなのかはわからない、しかし知りたいとも思わなかった。
 ハロルドは降参とばかりに手を挙げた。
『あの時』から、生きていてこその何かなのだと、悟りを開いていたからである。



続く



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作を元に創作したお話です。