「どうしたものかな、これは」
 そう呻いたのは冬月だった。
 本部発令所、指令塔の上である。
 中央、主モニターは二分割されていた、一方は使徒らしき未確認生物を映し出し、もう一方は太平洋を衛星から捉えた画像を表示していた。
 未確認生物に対しては戦自の調査団が取りついているところだった、装甲服を着込んだ歩兵が計測機器を『撃ち込んで』いる、有線式で、そのラインはパラボナアンテナへと繋げていた、数キロ離れた場所にある仮設基地へと情報を転送するためだろう、基地の位置については、使徒の大きさから逆算した安全圏の外に設置されていた。
 それにしても、幾ら蛹の状態とは言え、いつ目覚めるかわからない使徒に対して、無謀極まりない仕事である。
 そして洋上では、また別の問題が持ち上がっていた。
 UNによって組織された太平洋艦隊の数キロ先の沖合いに、所属不明の船団が姿をあらわしたのである。


NeonGenesisEvangelion act.26
『海獣』


「戦自はいい、状況だけチェックして変化があったら知らせろ、太平洋艦隊はどうだ?」
「所属不明艦隊の構成が判明しました、戦艦一、巡洋艦二、空母一です、応答はなし、目的不明のまま、二十分後には交戦域へ突入します」
「そこまで接近を許すとはな」
 冬月は苦々しく吐き捨てた。
 あるいは隣に居るべき男が姿を見せない事に苛立ったのかもしれない。
「五時間後には到着ってとこで正体不明の船団の襲来ですか?、ちと話が違いませんかね」
 −オーバー・ザ・レインボウ、士官船室−
 ベッドに腰かけ、アルミのトランクを足で踏んでいるのは加持だった、未確認艦隊に対して緊急展開しているために船が揺れて、勝手に歩き回るから押さえているのだろう。
 電話の相手は、非常に落ち着いた、しかしどこかで何も考えていないなと感じさせる言葉を返して寄越した。
『問題無い、そのために弐号機のパイロットを送ったのだからな』
「通常戦力を相手にエヴァを使えと?」
 小窓から外を見る加持、デッキからちょうど艦載機が飛び立つところだった。
「またうるさいことになりませんかね」
『……最悪の場合、君だけでも脱出したまえ』
「わかりました」
 ピッと切る。
「教団か?、まさかとは思いたいが、セカンドインパクトのせいで行方不明になった船の話は聞いた事があるし……」
 直後。
 窓が白色に染まり、次いで轟音がやって来た、ゴォオオオ、と、そして窓がビリビリと震え、船が大きく斜めに傾いだ。
「なんだぁ!?」
 慌てて外を見る、爆発した煙溜まりが空にあり、そこから放物線を描いて海へと炎が尾を引いていた、間違いなく、戦闘機が爆発し、墜落したのだ。
「さっきの光、まさか」
 加持は蒼白になって腰を浮かせた。


「嘘でしょ……」
 艦橋、ブリッジである。
 艦長席の脇に立ってミサトは唖然としてしまっていた、白色の閃光が遥か遠方から直進し、護衛艦の一隻を直撃、貫いていくのを見てしまったのだ。
 飛び立った艦載機が、電磁波の余波を食らって空中分解するのもだ。
「陽電子砲!?」
 ミサトがそう当たりを付けたのは、本部のエヴァ用射撃兵器の試射実験で、同じ光を見た事があったからだった。
 陽電子砲とは陽電子を対象物の電子に衝突させて対消滅エネルギーを生むものである、この時に発生したエネルギーが対象物を破壊する訳だ。
 鉄板に水滴を垂らしてもすぐには蒸発しない、それは外側だけが蒸発して本体を守る防護膜となるからだが、これは陽電子砲にも言える事で、『外側』の陽電子が大気と干渉する事でそれ以上の『拡散』『消失』を防ぐ膜となるのである。
 この外側の膜の発光色が、ミサトが陽電子砲と当たりを付けた根拠となっていた、しかし大気の状態などによって色は変わるものだ。
「戦自ですらプロトタイプの開発中、うちでも実用化してないってのに、なんでそんなものを」
 ミサトの焦りは先走りし過ぎたものだった。
「望遠、捉えました」
「貸せ!」
 双眼鏡を奪い取る艦長だ。
「第二射が来る前に艦載機を空に逃がせ!、オスローを後方へ、砲撃許可、急げ!」
 艦長の指揮に従って慌ただしくなる。
 ミサトはふと、ホリィを伴って出て行こうとするアスカに気が付いた。
「ちょっとアスカっ、どこへ!」
 面倒臭げにアスカ。
「決まってるじゃない、弐号機のところよ」
 こんなところで死ぬつもり無いから、とアスカ。
「その子をどうするつもりなの」
「一緒に乗るに決まってるじゃない」
 さあ、と行こうとするアスカの腕を掴み、引き止める。
 そしてミサトは、言ってはならない事を口走ってしまった。
「何考えてるの!、無理に決まってるでしょっ、異物を混入してエヴァがまともに動くわけ!」
 ──アスカの雰囲気が激変した。
 シュッと風と影がミサトの鼻先を掠めた、ガンッと音が耳朶を叩く。
 ミサトは遅れて、ひゃあっと奇妙な悲鳴を上げた、かすめたものはアスカのバックブローだった、ミサトの手を振り払うついでの。
 アスカの目を見てぞっとする。
 それはシンジ以上に冷たい目だった。
「……今、何て言ったの?」
 半眼で脅しを掛ける。
 ミサトは『アスカ』と声にしようとして出来なかった。
 舌の根が張り付いてしまって。
「異物って言った?、今……」
 恐ろしく低い声で忠告する。
「今度……、ホーリィを異物なんて言ってみなさい」
 瞳で射貫く、赤と青、左右の色が違っていた。
「……殺すから」
 行きましょう、と昂ぶりを抑えてホリィを促す。
 一連の出来事を見て、ゾッとしたのは船員達も同じだった、アスカの拳が当たったのは扉の柱だ、これは水没を防ぐための機密ハッチともなる特別の厚さと硬さを備えている。
 それが、『歪んで』いた。
 間違いなく、この船に乗っている屈強な男達の誰が挑戦しても出来ないような事を、ローティーンの少女がやって見せたのだ。
 短い時間とは言え、呆然としてしまうのは当然だろう。
 そんな彼らを正気付かせたのは、護衛艦が放った砲撃の音だった。


 マヤの邪魔をしないように塔の壁を背に立っていたシンジであったが、ふと隣に気配を感じて首を向けた。
「綾波……、学校終わったんだ?」
 レイはコクリと頷いた、その仕草や、両手をぷらりと下ろしたままで立っている姿などは、以前の、ゲンドウに従っていた頃を思わせるままだ。
 しかし顔に現われているものは明らかに違った風情を感じさせた、リツコは何かを口にしかけて……、思い直した。
 以前のレイに戻って欲しい、その気持ちはきっと、別人になってしまった事への戸惑いから浮かんだ考えだったから、強要するなど勝手であろうと。
「碇君」
 レイはシンジの傍に立つと、彼だけに聞こえるように囁いた。
「相田ケンスケ、彼がネルフ本部の正面ゲート前まで着いて来たわ」
 シンジは、へ?、とキョトンとした。
「相田君が?」
 うん、とレイ。
「何かを調べようとしている、そんな気がする」
「そう……」
 熟考するシンジに忠告する。
「彼は以前から、父親宛のメールから情報を引き出している節があるわ、……今度もまた」
「良く知ってるね?」
 レイは顔をしかめた、はっきりと。
「……こういう報告は、あの人のところに届くから」
「父さん、か」
 なるほどと納得する。
 傍に置かれていたのなら、レイの耳にも入っていて当然だから。
「でもなぁ、勝手にやっちゃうとレイがなんて言うか」
 ピクリと、『綾波』レイ。
「恐いの?」
「まあね」
「そう……」
 なんだろう?、と思ったが良く分からなくて、シンジは困った顔をした。
「まあ、後でカヲル君にでも相談するよ」
「あの人に?」
「綾波?」
 レイは上手く言葉に出来ないのか、もどかしそうにしていた。
「何が言いたいの?」
「信じているの?、あの二人を」
「もちろんさ、おかしい?」
 レイは至極真剣に告げた。
「でもこの頃、あの二人はあなたに内緒で何かをしているわ」
「そう悪い事じゃないと思うけど……」
「そのためにあなたは独りになるとしても?」
「え?」
「あなたが……、それで良いのなら、良い、けれど『あの子』が自分の楽しみのためだけにあなたを傍に置いているのだとしたら」
 おかしなことを考えるなぁと、クスリと笑う。
 そこには全く、不安や懸念など持ち合わせていない無邪気さがあった。
「大丈夫だよ、考え過ぎだって」
「そう?」
「うん……」
 二人の会話は喧騒の中へと紛れてしまう。
「海自、海保に問い合わせろ!、米軍が何か掴んでいないかもだっ、空母に戦艦だ、領海に入るまで発見出来なかったはずがあるまい!」
 真上で唾を飛ばしている冬月に顔をしかめる。
 百メートル長の艦がレーダーにもかからず侵入して来る、現実的に言ってしまえばありえないだろう、しかし実際に『出現』している。
(発見されたのは、わざと?、……でなければ、単に射程に入ったんで隠れるのをやめたのか)
 それにしてもとシンジは思う。
 レーダーの基本的な解釈は電磁の反射だ、電波を撃ち、その反射で確認する、ステルスとはこの反射を別方向へと逸らす形状を持たせるのが基本である。
 しかし『あの』船団の船は四隻ともそのような形状は持たされていない、一見して普通の船であった。
 どのようにしてレーダー網をかいくぐって来たのか?
 予想も付かない。
(まあ予想って点じゃ、戦艦の主砲に電子砲ってのも凄いけどさ)
 戦艦の足が止まってしまったのは主砲にエネルギーを取られてしまったからだろう、ジェネレーターが焼きついてしまったのかもしれないが。
 戦艦サイズのものに詰み込める最大の動力炉と言えば核エンジンだが、それにしても規模は限られる、安定した状態で何射出来るか……
「巡洋艦前に出ます、戦艦、足を止めました、空母より艦載機発進……、これは!?」
 オペレーターはがなり立てた。
「戦闘機じゃありません!、水面を走ってます!」
 ──まずい。
 シンジは気付かれない程度に舌打ちした。


「コンコード1、迎撃に移る」
 操縦桿を倒したのは発艦したばかりの一機の戦闘機だった、Su−27である、前翼が無いのが特徴的だ、彼は水上に航跡を引いて走る機体に対して機首を下げた。
 水の上を音速の半分に近い速度で敵は駆け抜けている、機首を俯角に取って機銃を打つ、放たれた弾が水柱を作って追いかける、しかし。
「畜生!、奴ァエアホッケーと同じだぜっ、ホッピングしやがる!」
 水の上を突然横に斜めに飛ぶのだ、戦闘機は構造上『正面』に敵を捉えなければ攻撃出来ない、その機動性には追いつけない。
 彼は機首を持ち上げた、水上の敵を狙うのならば当然機首は水平線より下げ続けていなければならない、だが下げ続けていればいずれは水面に激突してしまう、当然、いつかは引き上げなくてはならない、そして、それは『隙』を見せる事になる。
 ボムッと軽く爆発してSu−27は火の玉に化けさせられた、水上翼機の胴体上部に備え付けられた機銃座からの攻撃だった、旋回式のガトリングガンだ。
 水上翼機の形状は小舟にブーメラン型の翼を取り付けた様なものになっていた、水の上を駆ける彼らにとって戦闘機などはカモに過ぎない。
 サイドワインダーが放たれる、しかし低過ぎるために波に呑まれて消えた、罵るパイロット、機首を上げて離脱を計るが別方向から銃撃を食らった。
 ドン、爆発、無駄だと言わんばかりに水上翼機は直進して来る、船団へと。
『ロックオン出来ねぇ!、機体温度が低過ぎるんだ』
『波も邪魔なんだよ!』
「巡洋艦を前に出せ!、バルカンで牽制しろ!、近付けさせるな!」
『だめだ!、タッチアンドゴーで行く!、高速で接近、弾をばらまいて逃げる!』
『こちらコンコード4、フォローする!』
『……横に逃げるんじゃねェよ!、だぁああああ!』
 ガッ、ビーと無線は途絶える。
 艦長は握り込んでいた拳を震わせ、シートの肘掛けに叩きつけた。
 ──ゴン!
 戦艦に、空母、それに巡洋艦二隻、そんな馬鹿げた編成の艦隊があるものかと思えばこれだ。
 確かに水上翼機があればカバー出来るだろう、これが通常の戦闘であれば『次』を考えて撤退も出来るが、そうもいかない事情がある。
 自分達は運び屋なのだ、そして背後の『貨物』が沈もうものなら……、いや、もし万が一奪われでもしたら?
「オスローより入電!、エヴァ弐号機起動に入りました!」
 艦長は思わず叫んでいた。
「電源ユニットの準備は!」
「出来ています!」
「こちらで受け入れろ!、護衛艦に壁を作って本艦を守らせる!」
 他の全てが沈んでも、任務だけは遂行する。
 くだらないと馬鹿にしていた『宅配業務』さえ遂行出来ない無能者。
 そんなレッテルを噛みつぶして、弐号機だけでも守る所存で、腹を据えた。


 ──そこは閉塞した世界だった。
 終焉と言ってしまっても良い。
 神とおぼしき少女の流した血が、波打ち際に押し寄せる。
 浜辺に横たわっているのは一組の男女であった。
 少年の元の名は碇シンジ、少女の名前は惣流・アスカ・ラングレーと言った。
『あれから』一年。
「あたし……、行くわ」
 唐突にそう言った時、アスカは以前とは見違えていた。
 右腕には寸断された後が残り……
 左目は閉ざされたままとなっていた。
 痩せて細くなった顔は、不健康というよりも精悍さが増し。
 以前よりも格段に強い精気を放っていた。
 一方で少年は……
「ねぇ……、アスカの首を締めた時のこと、覚えてる?」
 聞かず立ち去ろうとするアスカに関係無く、独白を続ける。
「あの時ね……、こんなになっても見てくれないのかって思ったんだ……、でもアスカが僕に気が付いてくれた時に、どうしてこんな事になったんだろうって、どうしてこんな事してるんだろうって、僕は誰かともう一度会いたいって思った筈なのにって」
 それは『夢』をなぞるだけの言葉でしかなかった。
 居たくも無い生温い世界で見た夢の……
「だからね……、これもまたくり返しになるんだろうね」
 再び逢い、求め、拒絶され、傷つけ、後悔し、そしてまた求め合う。
 アスカの足が止まる。
 さくっと砂が音を立てる。
「……ねぇ」
「なに?」
「どうせくり返すなら、もっと大胆にくり返せないものなの?」
 およそこの一年で、初めてアスカは問いかけていた。
 答えを求めていた、いや。
『彼』に願おうとしていた。
「アスカが……、それを望むなら」
「はん?」
「時は常に一定に流れている訳じゃないんだ……、でも時を弾けさせるにはそれなりに大きな力が必要になるからね」
「どういうこと?」
「僕と……、一つになることが出来る?」
「一つに?」
「自我を忘失できるくらいに、アイシアウってことに没頭出来るかって事さ」
「アイシアウ?」
 アスカは肩をすくめた。
「呪文みたいね、聞いた事も無いような」
「そうだね」
「本当に、それでやり直せるの?」
「さあ?、でも時を遡ることは出来るさ、でも後は知らない、ただくり返すだけになるかもしれない、でもアスカの中にある生命の実と呼ばれる物を臨界点にまで高めれば……」
「上手くいく?」
「うん……、そして今の僕達には、それぐらいしか方法が無い」
 怪訝そうにするアスカだ。
「……なんで、そんなことが分かるの?」
「さあ?、なんでかなぁ……、まあ、僕が僕でなくなってく感じはしてる」
 気味悪く笑った。
「臨界にまで達したアスカは、アスカの望む地点に飛ばされるはずだよ、まあ、僕もある程度は導くけどね」
「あんたは?」
 少年はきょとんとした顔をした。
「僕?」
「なによ……」
「いや……、僕のことを気にするなんて、どうかしたのかなって思って」
「あんたバカァ?」
 懐かしい響きだった。
「じゃああんたなんかどうなっても良いって、そう思ったままであんたを受け入れろってェの?、愛し合うってそんな風に出来るもんなの?」
「さあ?、よくわかんないや……」
「あたしだってわかんないけど」
 アスカは歩み寄ると、身を屈めるようにして少年の首に腕を絡めた。
「でも知識程度には知ってるつもりよ、それに」
「それに?」
 口付け。
 長く、甘い触れ合いだった。
「……求めて欲しかった物と、与えて欲しかった物が分かってるのに、与えて上げれば良いものが分からないはずないじゃない」
 お互いにはにかみ合った。
「そうだね」
「そうよ」
「じゃあ」
「うん……」
 多分どうでも良かったのだろう、彼女にとっては。
 それでもキスをしている内に考え始める。
 どうしてアタシは、こいつとこんなことをしているのだろうかと。
 その答えは分からない、だが『彼』は知っていたのだろうと思う。
(シンジ?)
 唇を食み、舌を絡めているだけで蕩けていく様な感じがした。
 自分が自分でなくなっていく、心地好さと気持ち悪さと、快感と嫌悪と、そして。
 ──興奮。
 昂ぶりは次元を越えるほどに熱く心を燃えさせて、だから。
(あんたは、どうなるの?)
 燃え尽きる。
 くたりと倒れてしまった、寄りかかって、彼の腕に支えてもらうことになりかけた、だが彼は支えてはくれなかった、正しくは自分は塵となって散じてしまったから。
「アスカ……」
 そんな声が聞こえた気がする、気が付いた時はもう、自分は『そこ』には居なかった。
 それが彼女の、『始まり』だった。


 ……ここに来ると『あの世界』のことを思い出す。
 それは血の味が舌を麻痺させてしまうからかも知れない。
「LCL充填開始、システム起動、神経接続開始、拘束具解除、シンクロ、スタート」
 弐号機のプラグの中で、アスカは静かに手順を踏んだ。
 座席の後ろにはホリィが居る、二人はここまで逃げ出そうとしていた加持のヘリに便乗して渡って来ていた、ホリィはその時の加持とアスカのやり取りを思い出して奇妙だと感じていた。
『ちょうど良かった!、加持さん乗っけてってよ』
『おいおい、俺は逃げるんだぞ?』
『弐号機まで連れてってくれればいいのよ、その代わり、……見逃してあげるから』
 そう言ってアスカが視線を送ったトランクケースに一体何が入っていたのか?
 それを勘繰れるくらいにはホリィも鋭かった。
 ぐんと体が重くなる感覚にはっとする、周囲一面に景色が表示される、下から伸びて来る赤い腕が、天井を成していた帆を払う。
 ──これがエヴァの視点?、感覚!
 ホリィは身震いをした、それを察してアスカが苦笑する。
「ホーリィ?、シンジから教わったこと、覚えてる?」
「え?」
「パートナーに合わせる事、パートナーと昂ぶること、アタシはエヴァと合わせてる、これがシンクロよ、ホーリィも合わせて」
 ホリィはわかったと頷いてみたが、その表情には自信は無いとの、不安な気持ちが表われていた。


「戦自でも空自でも何だっていいから!、戦闘機に対艦装備させてこっちに……、はぁ!?、木曽の方に出払ってて回せる機体が無いって、ちょっと!」
 ミサトは盛大に毒づいた、通信機代わりの携帯電話を切って外に目を向ける。
「羽の付いたボート相手にいつまで!」
「対艦魚雷っ、来ます!、目標はっ」
「直撃します!」
 数百メートル離れた場所で盛大に水柱が上がった。
「ああ……、クレフトフが……」
 それがその巡洋艦の名なのだろう、火と煙を上げて戦列から離脱していく。
「弐号機から入電、離艦するとの事です」
「……離艦?」
 怪訝に思って艦長は、双眼鏡を覗いたままでオスローを捜した。


「それじゃ、行きましょうか」
 アスカはぺろりと唇を舐めた、それは緊張していたからだろう。
(思ったよりシンクロ率が上がり辛い?)
 それはホリィのせいだろう、間違いなく。
 最高数値が下がっている訳ではない、だが瞬間的な下がり方は激しいのに、上昇の仕方が鈍いのだ。
 シンクロすると言う事に慣れていないために、状態の作り方が下手なのだろうと察する、しかしそれを感じさせぬままに、あるいはそのような不安感を抱かせぬようにアスカは振る舞った。
 くんと下がる感覚、屈伸、次いで浮遊感。
 ──!?
 驚愕するホリィ、眼下に青い海原と船、白い航跡に、数々の……
 弐号機はたったひとっ跳びで高度一千メートルの高所にまで跳躍していた、滑空ではなく、滞空し、そして四つの目で同時に状況を捉えてもいた。
「ATフィールドはぁ!」
 アスカが叫ぶ。
「こういう使い方だってあるんだからぁ!」
 振り上げられる右腕、エヴァはその手のひらを海に向かって叩きつけた。
 ──バン!
 不可視の波動が海面を叩いて『たわませる』、跳ね上がる波に弾かれて水上翼機が宙を泳いだ。
 ──ガガガガガ!
 雑多な編成からなる艦載機部隊がその隙を逃さず叩きにかかった、水面にあってこそ自由に動ける水上翼機も、空を漂ってはただの的だ、そしてただの的を外すほどパイロット達も、そしてコンピューターも甘くは無かった。
 ──ガガガガガン!
 巡洋艦のバルカンファランクスがオートで追尾し、さらに二機を撃墜した。
「エヴァ弐号機着艦しまぁっす!」
 通信機を響かせる声、しかしオーバー・ザ・レインボウは荒れた海に揺さぶられて、乗組員は堪えるのに必死でアスカに応える余裕は無かった。
 ズンと振動、今度は縦に跳ね上げられる。
「無茶苦茶だ!」
 叫んだのは艦長だった。
 外では弐号機が背中に電源コネクタを接続するところだった、揺れる船の上で器用なものだ。
 船長はマイクを掴んで何かを指示しようとした、それより早く視界が焼かれる。
「!?」
 閃光の直撃だった、が、エヴァ弐号機の右手が、正確にはそこに展開されているATフィールドが雷撃を弾いて見せた。
 五本ほどに別れて、三本が上方へ流れ、二本は脇の、空母の両側の海に突き刺さり、瞬時に沸騰、蒸気を作って爆発させた。
「艦隊を纏めて!、アスカ!、ATフィールドで……」
「指揮権はこちらにある!、勝手な真似は許さん!」
「こんな時に何言ってんのよ!」
「敵は使徒ではない!」
 言い争うミサトと艦長に、げっそりとしたアスカの声が掛けられた。
『……誰かあの巡洋艦の存在意義を考えてくんない?』
 航空機がこれだけ発達し、そして火器が発展すれば戦艦の存在価値など無に等しい、多少射程距離の長い大砲と、大量の重火器を備えた船を建造した所で、建造費との釣り合いが取れないのが戦艦だ。
 この場合は陽電子砲か何かの雷撃砲と、それを撃つために大型の核エンジン……、あるいは小型の核エンジンを数基搭載するためにその大きさが必要で持ち出して来たのだろうと推察出来るのだが、しかし戦艦、あるいは空母などを守る護衛艦の数は、常識的には四から五倍が妥当な数だ、二隻というのは余りに解せない。
 揚げ句、主力は水上翼機だけらしい、母艦を失っては敵わないとばかりに焦ってしまったが、弐号機が起動してしまえば防衛は任せて、艦載機は全て敵旗艦を沈めるために行動出来る。
 その時、巡洋艦二隻だけでこちらの航空部隊を全て相手にできるつもりだったのだろうか?
 あり得ない。
 そんな考えは素人でも抱かないはずだ、では何のためにあの船は?
 その答えはすぐに得られた。


「アスカ……、敵が陣形を変えてく」
 ホリィの指摘は正しく、戦艦を前衛、空母を後衛に巡洋艦が左右を固める体形を取った。
「十時に並べてどうしようってのよ?」
 艦載機部隊の生き残り三機が、同時に腹に抱えていた戦術ミサイルを放出した、一端は自由落下したミサイルが火を噴いて直進していく、しかし。
 ──ィイイイイイン、ドン!
 三発のミサイルはあらぬ方向へ迷い飛び、爆発した。
 良く見れば巡洋艦を結んだ線を直径とした円状に揺らぎが見られた、海水が僅かに巻き上げられて水のドームを作り上げようとしている。
 アスカは次々と送られて来る情報から判断し、目を剥いた。
「うそっ!?、電磁バリアって、そんな!」
 逸早く立ち直ったのは意外な事にもミサトであった。
『直接砲撃を早く!』
 ミサイルでは磁界に触れて誘導コンピューターが狂ってしまうのだろう、しかし砲弾は貫通を目的としたただの弾だ。
 ──ドン、ドン、ドン!
 戦艦の主砲はよく応えた、が、これも無駄になった。
 ──ジャ!
 巡洋艦からの光線が飛来する砲弾を薙ぎ落としたのだ。
「レーザー!?」
 防御壁を作るほどの電磁界の正体は、これを使うための余波なのだろう。
 砲弾は自ら加速することは無い、飛来して来るだけの物体ほどコンピューターに捕捉し易いカモはないだろう。
 半ば融解した弾頭が勢いまで削がれて水中に没する、射程が短いからかまだレーザーを使って直接狙っては来ないが、有効射程距離に入ってしまえば……
「ATフィールドで防ぐったって……」
 距離的な問題が出る、ATフィールドは一種の生体磁場に過ぎないのだ、それほど巨大化、あるいは広範囲に渡って展開出来るものではない。
 百メートルサイズの艦隊行動を取っているのだ、その展開範囲はキロ単位になる、その全艦をフォローするなど不可能だ。
『魚雷発射!』
『近付けさせるな!』
『撃ちまくれ!、充電式かどうかは知らんが、連続して使えるはずは無い!、焼きつかせろ!』
『ハープーンを用意しろ!、チャフをばらまいて磁界に『穴』を作らせる!』
『オーバー・ザ・レインボウへ!、こちらが足留めしている間に最寄りの港へっ、弐号機をくれてやるわけにはいかん!』
 次々と交わされる交信内容に、アスカは唇を噛み締めた。
「……戦争屋じゃないのよね、あたしって」
 その呟きにどれだけの悔しさと情けなさが込められているのか?
 ホリィは感じ取って、アスカが何故自分の学習に付き合ってくれる気になったのか?
 多少なりとも、その理由を感じた気がした。


「敵艦隊は良いっ、弐号機を映せ、弐号機を!」
 怒鳴る冬月に苦笑するシンジだ。
「最近の衛星って凄いよね、こんなにクリアに写せるんだから」
「ええ」
 マヤの手元を覗き込んでいたリツコが、振り返るなり呆れた声を二人にかけた。
「落ち着いてるわね」
「心配する事なんてありませんから」
「そう?」
「はい」
「でも船が沈めば弐号機だって……」
「アスカなら飛んででも泳いででも辿り着きますよ、……最悪の場合、アスカだけで逃げ出せばいいんですから」
 薄っすらと笑む。
 その横のレイはいつもの無関心を保っているように見えたが、視線を追い掛けるとシンジとは違う物を確認していた。
 戦自の取りついている黒い使徒の映像を見ているのだ。
 呼吸しているのか鼓動を行っているのか、ゆっくりと膨らんでは、萎んでいる。
 その度に針が触手めいて動いていた、ウニそのものだが、それが蛹の状態であるのは先日の使徒と酷似している事からも想像は付く。
「……レイ、どうしたの?」
 気付いたリツコが問いかけた、どこかで以前と違った接し方をしてしまっている自分に気が付いているのだろうか?
 あるいはそれまでの付き合い方も、別段何かを意識していた訳ではないのかもしれないが、単にレイの硬質な感じに当てられていただけで……
「針が……」
「え?」
「針は……、どの方角を向いていますか?」
「向き?」
 リツコは首を傾げたが、代わりにシンジが眉根を寄せた。
「何かを……、探してる?」
 ふむ?、とリツコはマヤの横からコンソールを操作して、使徒の画像を縮小し、地図表示へと切り替えた。
「針が向いているのはこの方向ね……」
 赤いラインで直線を引く、ゆっくりとそれは、南方から東へと方角を変えている。
「太平洋艦隊……、弐号機を探してるにしては中途半端な方向ですよね……」
「むしろ艦隊から第三新東京市へと流してる?、そうね、何かに反応していると見るのが妥当ね」
「ですよねぇ?、でも……、なんだろ」
 シンジ、リツコにはわからないのかもしれないが、レイと、もう一人には心当たりがあったようだ。
 冬月は気付かれないように総司令執務室への回線を開いた、やや青ざめた顔をして。
『……なんだ』
「碇、こちらに来れんか?」
『お前で十分だろう』
「そうもいかんかもしれん……、木曽の怪物、『荷物』に反応しているぞ」
『……わかった』
 通話を切る、しかしその間もコウゾウはじっと画面を見据えていた。
(太平洋艦隊から逃れた先に使徒が配置されている……、偶然か?)
「木曽側の未確認生物に反応あり!、羽化する模様です!」
「太平洋艦隊、艦隊戦に移り……、え!?」
 長い髪のオペレーター、青葉シゲルは振り返るなり叫ぶようにして報告した。
「パターン青!、使徒です!」
 実にその通りで、直上から盗撮している衛星映像でもはっきりとわかるほど、突然の使徒の襲来に両艦隊は陣形を崩して慌てていた。


「エヴァってのはやっぱ戦争向きじゃないのよね、だからって言い訳にはならないか……、パイロットだから作戦を立てられない、なんてのは、……なに?」
 声に出して愚痴っていたのは、そうして考えを纏めていたのだろう。
 しかし、……無駄になった。
 白波を立てて獲物に襲いかかる獣の群れに、急に乱れが生じたのだ。
「なによ!?」
 海中に黒い影があった、それは中央上部の二つの目を赤く光らせると、船団の邪魔をするように真下からゆっくりと浮上した。
 ──ザァアアアアア!
 正体不明の船団は盛り上がった海にその陣を崩さざるを得なかった。
 波を裂いて姿を現す、護衛艦二隻はともかく、先行した戦艦はスクリューをやられ、後衛の空母は『せびれ』にぶつかり、航行能力を失った。
「まさか、使徒?」
「使徒?、あれが!?」
 ホリィは使徒とは一体どの様なものなのかと訝しげに首を傾げた。
 使徒と一括りに呼称されていると言うのに、その一体一体は余りにも形状が違い過ぎる、共通点は見られないというのに、それらが全て使徒として一つに分類される生き物なのだ。
 ──フイフイフイフイフイフィイイイイイイイ!
 魚のような使徒だった、しかし形状は何処か飛行機に似ていなくも無い。
 使徒は奇妙な音を立てて波を左右に吹き散らし始めた、波を蹴散らして腹の底で海面に浮かび上がる、そして。
 ──ドン!
 後方に高圧の空気の塊を噴出した、驀進ばくしんを開始する、空母は高波に呑まれ、戦艦は使徒の突貫をまともに食らって二つに折れ、弾けて壊れた。
 状態こそ違えど残りの巡洋艦も似たような状態に陥った、高波を受けて転覆している。
「来る!」
 アスカはATフィールドを展開した、ガン!、まともにぶつかって使徒は自らの勢いで嘴を折り、体からひっくり返るようにして弐号機の背後へと飛んでいった。
 バシャン!、バシャン、バシャ!、海面をバウンドして、腹が下に来た所でまた加速して曲っていった、弐号機を運搬して来ていた改造タンカー、オスローが巻き込まれて砕け散る。
 それを追いかける砲撃は使徒の起こす高波の余波で間に合わなかった。
「あいつっ、水上翼機の特性を取り込んでるの!?」
「使徒が……、学習していると言うの?」
「使徒の自己進化能力は侮れないわ、ミサト!、何か無いの!?」
「凄い……、370マイルを越えてる」
「魚雷でも何でも良いから撃って!、波を立てて防壁にしないと!」
「ああ!」
 また一艦、犠牲になった。
 ダンッとインダクションレバーに拳を叩きつけるアスカ。
「ちくしょう!」
 回遊する使徒、悠々と方向転換している、航跡を引いて。
 時速600キロを越える速度での衝撃波だ、それが立てる波と風を前にしては、船など木の葉にも等しいだろう。
 しかし使徒の攻撃はそれのみには収まらなかった。
 直進して来た使徒が嘲笑う様にして砲撃を躱した、左にホッピングして。
 巡洋艦の脇を駆け抜ける使徒、その際に嘴から水を噴くのをアスカは見た。
 ──ザ!
 船体が寸断されて斜めにずれていく。
「ジェットウォッシュ!?、嘘でしょ……」
 高圧で噴き出した潮に切り裂かれて船は沈む。
「あ、あ……」
 波間には先の艦隊戦で沈んだ船の乗組員が、救命ボートなどで漂っている、その命が蹴散らされていく、使徒は背中の過給器からエアを取り込み、腹の下から排出して一種のエアマットを作製していた、これに巻き込まれて、あるいは間接的に発生した波に呑み込まれて、多くの人間が沈んでいく、死んでいく。
 目が良過ぎるのは不幸な事だったかもしれない、腕を伸ばす者、もがく者、それでも口に入り込んで来る海水に、喘いで泡を噴きながら消えて行く者、たった一度の白い波が通り過ぎた後には、十人から数十人が一度に消える。
 アスカには堪えられない光景だった。
「あんたわぁああああ!」
 アスカの怒りに弐号機が応える、右腕を胸の前に曲げて体を左へと良く捻った。
「調子に乗ってぇ!」
 大きく振る、不可視の何かが水面を平行に走る、邪魔をする津波を上下に切り裂き、突き抜けて、それは油断していた使徒の右脇腹へと突き刺さった。
 ──ギャアアアアア!


 −同時刻、日本、木曽山中−
 戦略自衛隊が忙しなく、それで居て臆病過ぎるほど慎重に、それにしては大胆に未確認生物に接していた。
 その戦自をさらに取り巻く形で展開しているのは、急遽協力を依頼された陸上自衛隊である、戦車、装甲車のみならず、歩兵も大隊規模で展開している、使徒の姿は直接には拝めない位置だった、山が邪魔をして、それ程に遠い。
「未確認生物、か、戦自、いや日本政府かな?」
 揶揄したのは恰幅の良い男だった、安藤ヨシヒト三等陸佐だ、四十歳である。
 総白髪で、皺が濃い、しかし柔和な面持ちをしている。
 野戦服を身に纏い、彼は仮指揮所にもなっているテントにて愚痴を吐いていた。
「よほどネルフのやり口が気に入らないと見えるな、そうは思わないか?、ノギ」
「同感です」
 信濃三等陸尉は右の鉄カップを手渡した、中身はコーヒーだ、左に持っていた自分の分に口を付ける。
「日本政府は情報公開法の制定を急ぎ、各党を纏め上げるために躍起になっているようで」
「馬鹿な連中だよ、何を考えて面倒ごとの塊を引き受けるつもりなんだかな」
 コーヒーのやけに多い湯気に顔をしかめる。
「しかしこれで戦自が政府の犬だということははっきりとしたな」
「所詮は言い逃れのための存在ですからね、専守防衛を命題にしている我々には制約が多過ぎますからね、戦自と言う団体を『こさえる』ことで憲法上の問題をクリアしている……、と思っているのでしょうが」
「不遜だぞ、ノギ」
 くつくつと笑う。
「俺達も同輩だ、今はまだ、な」
「そうですな」
 喉を潤す、薄過ぎるコーヒーで。
「安藤さんはネルフから回された資料を?」
「見たよ、見事なもんだ、塗り潰されてる部分の方が多いんだからな、あれじゃあ煽ってるようなものだよ、政府も乗せられて馬鹿を見るつもりだから救い様が無いが」
「失敗しますか」
「失敗するさ、さっきから動きが見えると報告が入ってる、第一捕獲したとしても解体……、いや、解剖か?、するだけで何億使う?、何ヶ月掛かる?、使徒専門機関であるネルフと違って、我が国にはそれらを研究、検証するための基礎的な知識さえないというのに」
「良くも悪くもネルフは必要ですか」
「無くなってもらっては困るよ、ただ今のネルフは無政府状態だ、あれも困る、秩序は必要だ、そうは思わんかね?」
「目処は立っております」
「今回のこれは利用出来る、レポートはしっかりとな」
「はい」
 そんなノギの挨拶に重なるように、未確認生物の活動開始の報が届けられた。



続く



[BACK][TOP][NEXT]


新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作を元に創作したお話です。