『彼等』にそれがなんであるのか、理解し得るだけの知能があるのかどうか、誰も知らない。
 加持はヘリの中、足元に置いているトランクケースの中身について思案に暮れていた、自分がただ日本に来ただけではないということ、それぐらいは『彼女ら』にも見越されているだろうとは思っていた。
 しかしだ……
 ──見逃してあげるから。
 そう口にしたアスカには度肝を抜かれた、ドイツに居た頃のアスカとは違った不敵さを匂わせていたからだ、それが地であったことは疑い様が無い。
(まいったな……)
 顎鬚を撫でる、人を見抜くことにかけては絶対の自信を持っていた加持であったが、どうやらアスカには完全に手玉に取られてしまっていたらしい、あんなアスカは『知らない』からだ。
(その上でこいつのことも知ってる、ってことはシンジ君にもバレてるってことか)
 過ったのは一抹の寂しさだった、『それでも』ドイツではそれなりに『お守』をして来たのだ、『護って』来たのだ、その彼女に敵視されるとなると、少々ならずくるものはある。
 頭が痛くなる問題だった。
 邪魔をされないということは、許されていると言う事だろう、しかし諜報員としての職も持っている加持には、シンジに対する保険を考える必要があった。
 事態が混迷を深めた場合に、シンジに鞍替えするためである。


NeonGenesisEvangelion act.27
『力無き者達の共演』


「使徒の羽化が始まりました!」
「馬鹿野郎!、あれは使徒では無く、未確認生物だ!」
「退避!、退避ぃー!」
 金切り声が上げられる、山中だけに坂は落ち葉で滑り、薮が邪魔をして機敏には動けない。
 その中を迷彩服を着込んだ野戦装備の男達が逃げ惑った、正面の黒い山は鳴動し、収縮を始めている。
 三分の二程に縮小し、鼓動めいた動きをして倍近くにまで膨れ上がる、数十回もくり返した頃に、とうとうはちきれんばかりに息を吸い込み、繭は頂点からぶつりと割れた。
 ゆっくりと白い、透明の背を曲げた何かが生まれ居出る、垂れていた羽が徐々に硬さを増してピンと張っていく。
 色が増して黒くなっていく、既存の生物になぞらえるなら、似ているものは『蚊』であった。
「砲撃、用意!」
 飛び立つ前にと、焦った指示が飛ばされる。
「ていっ!」
 ドオン、ドンと戦車砲、高射砲が弾を撃ち出す、続いてミサイルが発射される、あっと言う間に生まれ立ての怪物の姿は爆煙の向こうに見えなくなった、煙に混ざる赤い飛沫は血であろうか?
 ──ブン!
 奇妙な音と共に煙が振り払われる、ついでに砲撃によって削れた山の土砂までも吹き散らされた。
 繭の肉片や血交じりの岩塊に直撃されて兵士が死んだ、それを見てパニックを起こし掛けた男は生き埋めにされた、その傍に居た仲間は回転しながら落ちて来た木の根に圧し潰されて絶命した。
 阿鼻叫喚、しかし彼等の悲鳴が誰かに届けられることは無かった、白熱の閃光と爆発。
 瞬時に融解した大地は蒸気を上げつつ沸騰した、直径一キロ近いクレーター、その底へと溶けた岩塊が垂れ落ちて溜まっていく。
 周辺では熱波によって火災が起こり、黒い煙が空を焦がして、風に乗って広がろうとしていた。
 中央、真下からの熱に姿を歪ませながら、相変わらず『それ』は居た、これまでの『復活使徒』と違い、形状は前回をなぞらえていなかった、大きさだけでも300メートルは越えている、熱気によって陽炎立つ中を、背の羽を急ぎ動かして滞空していた、ゆらゆらと揺れて。
 だがそうしていたのも長い間では無かった、徐々に高度を上げていく、何処へ行こうというのか、雲よりは低いが見上げれば高い位置にまで辿り着くと、この怪物はドンと空気を貫く音を立てて、音速を越えて飛び去って行った。
 火の海の中で逃げ惑う、愚かな戦士達になど目もくれずに。


「使徒と未確認生物の同時襲来とはな」
 鼻白む冬月の横で、ゲンドウも眉間に皺を寄せていた。
 刻一刻と伝えられる情報は、明らかに未確認生物が加持の乗るヘリを追いかけている事を示していた、ここに至っては、その関連性に気付かない者など居ないだろう。
 しかしその点を追及する人間は居ない、出来ないのかもしれない、太平洋艦隊から逸早く逃げ出したヘリがどうして未確認生物に捕捉されねばならないのか?、勘繰ることは出来ても余計な考えだと言う意識の方が強かったから。
「速いですね」
 シンジは感嘆した声で口にした。
「どれくらい出てるんですか?」
「マッハで2、ないしってところね」
「……もしここに進攻して来た場合、捕捉出来ますか?」
「飛ぶだけが能でないのなら……、無理でしょうね」
 シンジに一々答えているのはリツコである。
「海と空、両方で高速機動する使徒、か……」
「なに?」
「いえ……、見事にエヴァの欠点を突かれてるなと思って」
 そうね、と苦しげに呻く。
「使徒……、と一概に言ってもその形状を見る限りは、相互間に繋がりがあるようには思われないわ、その関係を証明出来るのはATフィールドのパターンだけよ」
「怪獣もいますしね」
「特に洋上の使徒はエヴァの欠点全てを突いているわね、電源供給、足場、武器」
「でも最悪……、エヴァとチルドレン、それに作戦部の部長さんを失うだけですよ」
 リツコはぎくりとした。
 まさかアスカまで、そのように見ているとは思っていなかったのだ。
 もう一枚のカードで確かめる。
「あの艦隊には……、シンジ君の彼女も居るんじゃなかったの?」
「ホーリィですか?」
 薄く笑う。
「この程度死ぬようじゃ、僕達とやってはいけませんよ」
 この程度とはどの程度を指すのか?、条件の大きさを感じとって寒気を覚えさせられた。
「そう……」
 では、と続ける。
「なら、未確認生物の方はどうなの?」
「危険ですね」
「どうして?」
「使徒は明らかにエヴァを狙ってますけど、こっちのは何を狙ってるんだかはっきりしてないじゃないですか、下手をすれば無差別破壊を行うかもしれません」
「……」
「この速度なら日本を縦断するなんて簡単でしょうし、……使徒に知恵があるのなら、エヴァの運用には『人手』が必要な事に気付くでしょうね、人が居なくなれば経済は止まる、何も動かなくなる、エヴァも」
「あり得るというの?」
「さあ?、僕にはわかりません」
「赤木博士」
 頭上からの重々しい声にリツコはしっかりとした返事をした。
「はい!」
「開発中のポジトロンライフルの使用を許可する、準備を」
「エヴァは……」
「レイ」
「はい」
「零号機を使え、出撃だ」
「はい」
 レイはちらりとシンジを見たものの、特にそれ以上の態度は見せずケージへ行くために背を向けた。
 小声で、リツコ。
「司令とレイ、変わらないのね」
 くすりとシンジ。
「理不尽な命令には反発するでしょうけどね、正当な指令を個人的な感情で蹴って逆らうほど嫌ってないってことなんじゃないですか?」
「嫌う、ね……、あの子が」
「今までだって、好きだったかどうかなんて怪しいところ、あったんじゃないですか?」
「そう?」
「懐いてる理由が好きだからってだけじゃ短絡的ですよ、そうでしょう?」
 ──依存、あるいは存在価値を求めての逃避。
 リツコは思い当たるものがあったのか、沈黙して顔を背けた。


「こんちくしょー!、って、だぁあああああ!」
 吠えながら地団駄を踏むアスカである。
 二撃、三撃と不可視のブレードを手刀を振って放ったのだが、これはあっさりと躱された。
 使徒は青い海を赤黒く染めながら波間に消えた、海上での高機動をとりやめて潜ったのだ、水面下に。
「ちくしょう、こっちが潜れないのを知っててやってやがる」
「……百、二百、潜ってる、距離も離れてる、もうすぐ一マイル、速い」
 アスカはホリィの呟きに驚き振り返った、そこには険しく床を見つめているホリィが居た、いや、ホリィの目はぼんやりと焦点を結んでいなかった。
(同調してるの?、エヴァと)
 エヴァの感覚器官を通じて、ホリィは生体オーラを直接視ている、そう感じた。
「奇麗な色をしてる……」
「そうなの?」
「うん、使徒って、奇麗」
 まるで、と。
「カヲルみたい」
 アスカは顔をしかめたが、何を言うでもなく前を向いた。


 毎時百とはいかないが、それでも水中で数十ノットを保持する使徒の回遊速度は異常であった。
 その異常を可能にしているのはイオンジェット推進機構である、雷撃を操った使徒ほどではないにしても、それなりに高い体内電流を生み出せるのかもしれない、腹面下部に袋口を開いて海水を取り入れ、電気分解し、肛門に当たる部位から噴出して推進力に変えていた。
 嘴は海流を切り裂く衝角ラムとなって白い泡の尾を作った、水上では身を堅くして跳ね回っていた使徒なのだが、水中では逆に柔らかに身をくねらせて方向を定めている。
 もちろん、狙うは弐号機だ、『彼』は直感的に見抜いていた、『敵』の『殻』が水中には効力を及ぼしていない事を。
 あるいは人とは違い、見えているのかもしれない、『位相の断層』が。
 身構えるのと同様に、身を『堅く』することでその相はよりズレを大きくすることができる、この物理世界と、自分と言う存在との差異を、だ、だからこの世界の『衝撃』は自分にとっては無関係な物となる、そう、テレビの向こうの出来事のように。
『敵』はどうやら、意識しなければ上手くそれが出来ないらしい、なれば目に見えない位置から攻めればいい、間合いを計り辛い位置からかかれば良い、簡単な事だ。
『彼』は存外に狡猾だった。


 −オーバー・ザ・レインボウ、ブリッジ−
「そうよ、この艦を中央に布陣してありったけの爆雷で水の中を掻き回して、相手は水の中泳いでるんだから、多少は効果があるはずよ」
 つい指示の後に理由を説明してしまうのは、プロでは無くアマチュアのミサトだからだろう。
 使徒の出現を理由にようやく指揮権を奪ったミサトであったが、水を攪拌かくはんして使徒を翻弄する以上のアイディアを見付けられないでいた。
(しっかりしなさい!、作戦部長でしょっ、あんた!)
 自分を叱咤鼓舞するが、その半分以上は嘲笑うかの様な使徒に苛立ったものだった。
 使徒襲来に至るまでの数年、素人集団との揶揄にも堪えて、必死に軍事教練を受け、シミュレーションをくり返して来た。
 その頃はもっぱら敵をエヴァと酷似した物として行っていた。
 使徒襲来以降には、各使徒の特性を考慮して、また状況も想定し、寝る間も惜しんで学び直して来たと言うのに……
 使徒は『高速機動』と言う、これまでにないパターンを持ち出して来た。
 どうしてこの可能性を考えなかったのかと問われれば、返す答えなどなかっただろう、単に躍起になり、視野が狭まってしまっていただけなのだから。
 窓の外の弐号機を見やる。
 アスカは実に性能以上のものを引き出しているだろう、これ以上を望むのはむしろ酷だと判断する、不甲斐ないのは肩書きを持っている自分であろうと。
 それにしても、と思う部分がまたあった、本来、使徒との戦いはこういうものではないのかと思うのだ。
 前例もなく、場当たり的に対処するしかなく、揚げ句負けは許されない。
 敵の戦力も、能力も全てが不明で、だからこそ準備は万端にせねばならぬと莫大な予算が認められてもいる。
 だが、未だほとんどが準備中の域を出ていない、これは各国の危機意識の低さが原因となった遅れではあったのだが。
 今、世界中は混乱の中で一つに纏まろうとしていた、使徒以外の怪物についての報告が相次いでいる以上、次は自国であるとの脅えが走っても致し方の無い事だろう。
 そんな状況下で、このような戦闘をくり返していてはどうであろうか?
 このままで行けば、当然他の支部からの戦力集中についての批判が出るだろう。
 そして残るは物量作戦を取る事しか出来ない指揮官、あるいは本部のレッテルだ。
 ──無能。
 ミサトはミサトなりに現状を考えていた、支部は本部の事情など知る由も無いだろう、エヴァの引渡要求には、間違いなくチルドレンをも含もうとするはずだ。
 しかし、彼らがそれに応じるだろうか?
 答えは否、だ。
 忘れがちになってしまうが、彼らは生身でATフィールド、あるいはそれに酷似した力を操ることができる、エヴァでなくともATフィールドを破れるとは言え、そのためにはNN兵器並みの破壊力のある兵器を必要とする。
 強請するためには恫喝のための力が必要になる、かと言ってNN兵器をテーブルに置いて会話する事など不可能だ。
 だがそんな言い訳は、信じて貰う以前に出来るはずが無い、広がっていくのは軋轢ばかりである、なら、本部はどうしても彼らを保持するだけの有無を言わさぬ『実力』を示さなくてはならないだろう。
 ……実際のところ、エヴァの配置については総司令以上の雲上で決定されているため、ミサトの考えは杞憂に過ぎない、しかし、それもまた仕事の内であるのは確かだった。
「どう?」
「あの巨体だ、水の抵抗は相当なもののようだな、速度は落ちている」
 艦長は安堵したミサトに忠告した。
「しかしこんなものは一時凌ぎに過ぎん」
「わかってるわ、アスカ!」
 ちょっとムッとしつつ叫ぶ。
「さっきの奴、どのくらいの距離を飛ばせるの?」
『はぁ?、さっきのって……、あれなら『適当』だけど」
「適当?」
『視認出来る位置なら問題無いわ、感覚的なものだからそうとしか説明出来ないけど』
「そう……」
 幾分沈んだ声になる、当てには出来ない、そう判断することにした、あまり命中率もよろしくないようであることだしと。
「……艦長」
 ミサトは重苦しく訊ねた。
「このままじり貧で船を失っていくか、あるいは思い切った策を取るべきか、どちらが良いと思いますか?」
「……どういうことだ?」
 艦長はミサトの案に驚愕した。
「船を爆雷代わりに使うというのか!?」
「はい」
 大真面目に頷いた。
「この艦の周囲に艦を沈めて使徒を待ちます、ATフィールドの中和範囲内に入った所を狙って搭載されているNN爆雷を自爆させます、ATフィールドの中和が間に合わなくとも動きは止められます、上手くいけば目前に浮上させられます」
「それを狙う、か」
「はい、爆雷が尽きた船からミサイルに細工をして自沈を」
 ミサトの目にはこれ以上の論戦は時間の無駄だとの脅しの色が宿っていた。


 使徒を牽制しているのはあくまで海流の影響であって、爆雷そのものの破壊力によるものではない。
 ATフィールドが無くとも使徒の肉体の強靭さは折り紙付きだ、爆雷はまだ海流を乱すために使えたが、一方でミサイルは無用の長物として大量に残されていた。
 二隻の戦艦、そして四隻の巡洋艦がプログラムに従って沈んでいく、もちろん中央に位置しているのはオーバー・ザ・レインボウだ。
 六芒星を描く配置になったのは偶然だろうか?、去っていく船団を退艦した海兵達は不安げな表情で見送った、救命ボートで揺られながら。
 ……彼らを救助する船は無い、全ての艦をこの作戦に当てることにしたのは、使徒が予定外に救助艦を狙うことを忌避したからだった。
 オーバー・ザ・レインボウが生き残れば彼らを回収するし、まあ、沈んだとしても日本から米海軍、あるいは海自か海保が救助に来る。
 それがわかっていたとしても、この大海原に取り残されることは不安でしかなかった、数メートルの高低差の波に揺られれば、如何に自分達が脆い存在なのか思い知らされようと言うものだ。
「……安全圏なんてないも同然よね」
「しかし収容している暇は無い、か?」
 ふんと鼻を鳴らす艦長だ。
「偽善だな、出来る限り考えてやったなんてものは、自分に対する言い訳に過ぎん」
 ミサトは図星を差されたからか、嫌悪感丸出しの横目を向けた。
「わかっているわ、彼らへの責任はわたしが取ります」
「ぜひともそうしてもらいたいものだ」
「使徒接近中!」
「方角は!」
「南南西」
「沈降は間に合うの?」
「タイミングは合います」
「アスカ!、ATフィールド中和」
『無理よ!、ATフィールドはあんたが考えてるほど単純なもんじゃないのよ!?、固有波形パターンってもんがあんの!、近接戦闘に持ち込まないとチューニングなんて出来るわけ無いじゃない!』
 ちっと舌打ちして……
「予定通り使徒が直上を通過する所を狙って起爆させて」
 白波を立てて使徒は背中を海上へ出した、凄まじい速度で直進しながら背びれで波を切り裂く。
 ミサトがエヴァのなんたるかを、さらにはその運用法を未だに正確には把握していない事は致命的だった、これまでのエヴァの戦闘があまりに圧倒的過ぎた事もあった、指示を出す必要性すら無かった、それでも知っていれば多少の違いは出たはずなのだ。
 子供達は反抗している訳ではない、あくまでビジネスと割り切っている、エヴァの調整として話を付ければ、いや、自分が恐がってレイを避けたりしなければ。
 後悔先に立たず、しかし後になって『あの時ああしていれば』ともっと後悔するためには、今をなんとしても切り抜けなければならないのだ。
 他の兵士を犠牲にしてでも。
 しかしアスカは……
「やだな、趣味じゃない……」
『わたし達には戦い方を選んでる余裕なんてないのよ、悪いけど』
「だからって、大を生かすために小を殺すの?」
『……エヴァ一機が壊れれば国が傾くほどの修理費が必要になるわ、そのために何万人の餓死者と何十万人の難民が生まれることになる、その次では何十万人の難民の中から餓死者が出ることになるわ、見殺しにされる数は十万人を遥かに越える事になる、そうして見放された人間と救われない人間が雪だるま式に膨らんで行けば、いつかは国が崩壊していく事になるの、そして国がなくなればエヴァを運用するための資金、資材、物資が手に入らなくなる、わたし達はね、あくまで世界のバランスを壊さないように常に『最小限』の被害で事を収めるよう、努めなければならないのよ』
 わかってるわよ、とアスカ。
「あたしが言いたいのは、正論で自己弁護するのは嫌だってこと、みんなの命と、弐号機とを天秤に掛けること自体が……」
『アスカ、その話しは後にしましょう、距離二千よ』
「オーケィ、集中するために回線を切るわ」
 通信を断ち、アスカはふうっと肺から空気を抜いた。
(悲しい事に、ミサトの正論には穴があるのよね)
 それはアスカだから知っている事だった。
 戦いの果てに『誰か』が望んでいる世界。
 そこでは苦痛も、快楽も無く、ただ安寧とした時間だけが連なっていくだけなのだ。
 餓えも悲しみも無く、同時に喜ぶ必要も無い、満たされた世界。
(ゼーレだっけ?、良く知んないけど……)
 白いエヴァを思い出す。
(あっちの世界でシンジがぶつくさ言ってたっけ、ちゃんと聞いとけば良かったな)
 人が無気力に転がっている横で、何もかもに疲れ果てたようにミサトさんが、綾波が、と独り言のように勝手に語り掛けて来るシンジが嫌で、あまりちゃんとは聞かなかったのだ、興味も無かったから。
(サードインパクト、詳しいことはレイか誰かが知ってるんだろうけど……、あれが司令なんかの望んでる結末なら、世界がどうなろうが知った事じゃないはず、死人がどれ程出ようが気に止める必要は無いのよ、でも……)
 ──なぜそうまでしてサードインパクトを望むのか?
 根本的な問題だが、アスカもそこまでの理由は知らない。
「ホーリィ?」
「はい?」
「あなたは将来、何になりたい?」
 唐突な質問にホリィは困惑した。
「ごめん、忘れて」
 アスカは苦笑してから、気を引き締め直した。
 十四歳で将来のことを考えているのは、自分が老い疲れている証拠のような気がしたからだ。


 短い時間ではあったが、使徒は行動に差し支え無い程度に自己修復……、傷の癒着を済ませていた。
 傷が合わさり、薄いピンク色の皮膜が貼り出している、流石に肉で被うには時間が足りないようだ。
 数度の攻撃から水中での接近を選択した使徒であったが、その動きに迷いが生じた、『敵』の周辺、水中に黒い影が見えたからである。
 それは自沈した戦艦であった、流石に深く沈むには時間が掛かるようで、水中十メートル辺りの位置で揺らいでいる。
 図らずもミサトの作戦は『別の意味』で成功してしまった、使徒は自分の持つ潜航能力故に、『敵』にも水上から水中に潜る能力があると判断してしまったのだ。
 これを生物としての本能的な危機感から来る警戒心と見るか、それとも高度な知能から来る洞察だと考えるかは微妙なところであろうが。
 水上では確かに『巨人』の力が恐ろしく強い、しかし水中ではどうだろうか?
 のろまのように泳いで、身をくねらせる事しか出来ない、万が一目前の『影』に回避出来ないほどの『力』を発する物があったとすれば?
 それは単純な計算だった、水上の危険性はマイナスであるが、自身の足の速さと武器で十分プラスに転換出来る、と。
 逆に水中ではプラスに好転させられるだけのものは何一つ無い、と。
 だから使徒は浮上を選んだ。
 実に『賢明』な判断だった、そう。
『野生動物』としては、異常なくらいに……


「使徒、浮上します!」
「掛かった!?」
 艦長と共に双眼鏡覗くミサト、距離一千五百の位置に水を切り裂く背ビレが見えた。
 徐々に浮かび上がり、顎で水面に乗って、そのまま腹で滑るように向かって来る。
「五番と六番の準備!、タイミングは任せます!」
 ──ドン!
 火薬庫に仕掛けられていた自爆装置が発火し、船は泡の塊と成ろうとした、周囲の水が圧力を掛けてその力を封印し、何倍にも高めようとする。
 しかし水上に近かったため、爆圧のかかった玉は直上へと逃げ道を求め、噴き上がった。
 ──使徒の腹へと。


「やった!」
 アスカはエヴァの両腕を振り上げさせた、両手の平を頭の後ろで手刀の形に合わせさせる。
 さしものATフィールドもNN爆弾並みの爆発を直下で受けては全ての衝撃波を防ぎ切れなかったようだ、使徒の腹はズタズタに裂けるだけでなく、船の破片が食い込むように突き刺さって痛めつけられていた。
 ほんの一、二秒だったが使徒は宙を漂った、先の水上翼機と同じ隙を見せてしまった。
「だぁ!」
 アスカは組み合わせた手刀をそのまま体の正中線に沿って振り下ろした、半月状に光る何かが飛んでいく、ズパン!、使徒の嘴が縦に切れ、風圧によってバナナの皮の様に四つに剥けていった、その奥に見える赤いコアには、今の一撃で縦にヒビが入っていた、しかし、割れてはいない。
 ──ドン!
 戦闘機からのミサイルが突き刺さる、割れるコア、歓喜に叫ぶパイロット。
Gotcha!ガッチャ
 アスカはとどめを刺そうとしていた腕を下ろし、緊張を解いた。
「あ〜あ、最後はあちらさんに持ってかれちゃったわね」
 手を振る弐号機、ぐっと親指を立て、褒め称えるその仕草に、艦内のみならず大きな歓声が巻き起こった、もちろん、パイロットも親指を立てて挨拶を返している。
 そんな中、どっと疲れていた艦長が、思い出したように副長に命じた。
「出来る限り周辺海域の生存者を収容するよう命令しろ、燃料に余裕のある機は直接日本のベースに向かわせろ、エヴァが邪魔で受け入れ出来ないからな」
「燃料の無い機は?」
「機体を捨てさせろ、許可する」
 彼はわかりましたと返答を聞いてから、窓のすぐ向こうに居る弐号機を見上げた。
「時代が変わったと言う事か……」
 それでも最後は艦載機によってとどめをさせた事が、彼らの心を和ませていた。


 空母五隻、戦艦四隻、護衛艦隊二十隻。
 この大艦隊の生き残りが僅か空母二隻と護衛艦数隻である事からも、善戦に持ち込む事すら出来なかった現状が窺い知れる。
 その中でも無事な艦はない、空母は弐号機によって致命的な歪みを船体に受けているし、護衛艦も初期の艦隊、あるいは使徒の初期攻撃によって戦線を離脱していた艦が、なんとか浮いているだけなのだから。
 穿たれた弾痕、爆発で黒く煤けた跡、いつ転覆してもおかしくない危うい状態を晒していた。
「状況に流された、か、逆らうだけでも必死だったようだな」
 そう嘆いたのは加持である。
 軍用ヘリはそれこそ下手な航空機に負けないほどの速度が出ている、しかしそれでも戦闘機ほどには速くない。
 先程からパイロットが騒がしくしているのが耳に入っていた、このパイロットはネルフの人間だ、ヘリもまたアスカ達がオーバー・ザ・レインボウへ渡るために使ったものである。
 こちらにも使徒が向かってきている、それは聞き耳を立てていればわかる事だった。
「追いつかれる、か」
 加持は腕時計を見ると、少しだけ考え込む素振りを見せた。


 海上戦は軍配はかろうじて太平洋艦隊に上がったが、しかし丘の上ではそうも行かなかった。
「目標の誘導は」
「利きません」
「しかし信じられんな」
 −戦略自衛隊、関東方面防衛警戒管制所−
 揃っている三人は陸、海、空を纏めるそれぞれの将官である。
「報告ではどうなっている?」
「体長は三百メートルを越えているようだ」
「それで音速を突破しているのか」
「信じられんな」
「スカイセンサーはその報告を肯定している」
「Fは?」
「二機がそろそろ追いつくな」


 500ノットを越える速度で空気の壁を貫く巨大生物。
 その尖った口先、錐状に後方へ流れる形ですぼめている体、流線型体。
 その後方では通った後に空気が流れ込んで渦を巻いていた。
 使徒。
 その巨大さにパイロット達は寒気を覚えた。
『クーガー1、クーガー2、迎撃を許可する』
「クーガー1、了解」
 自衛隊との違いが如実に顕れているのはそれからだった、二十世紀後半の『ぬるい』時代には、機銃一つ、ミサイル一つ使うのにも上の許可が必要だったのだ。
 しかし戦自は違う、目標を指示された後は、独自の判断での行動を許されていた。
 あたかも人が足元を這う蟻を気に止めないように、何かを目指して直進する未確認生物、あまりにも簡単に背後を取らせてもらい、彼は機銃のボタンを押した。
 ──バルルルル!
 直撃、だが。
「こちらクーガー1、効果認められず」
『クーガー2了解、ミサイルを使用する』
 後退する機体と交錯するように、もう一機の戦闘機が追尾し、ミサイルを放つ、が。
 ──バン!
『ミサイルが!』
「こちらクーガー1!、こちらからはミサイルが目標寸前で分解したように見えた!」
 その報告に焦りを浮かべたのは管制所であった。
「解析を急げ!」
「衝撃波だと思われます!、目標周辺に異常な大気の流動を確認!」
「目標直進!、この方角は……」
 はっとし、叫ばれた。
「目標の進行方向にヘリを発見!、所属、ネルフです!」
「なんだと!?」
 やつらめ、と唸る。
「ネルフ、何をやっているんだ」
「どこからのヘリだ!」
「太平洋艦隊!、エヴァンゲリオン弐号機輸送部隊からのものと思われます!」
「餌でも積んでいるのか?」
「使徒……、その正体は先史文明の単独歩行兵器と言う話だが」
「そのためエヴァの存在するネルフ本部が最も目標とされている、それはわかるが、ヘリを目標にする理由はなんだ?」
「案外、それに匹敵する危険物でも輸送しているんじゃないのか?」
 無知とは恐ろしい物である。


 −現在第三新東京市全域に、非常警戒警報が発令されました−
 そんなアナウンスに従って人が流れてシェルターへと逃げ込んでいく。
 ──第三新東京市芦の湖南西部、湖岸域。
 レイは零号機に、ゆっくりと片膝を突かせた。
 右肩の携帯武器庫は外されて、代わりに大型の火器がマウントされている、右腕を丸々覆い尽くすような銃だった。
 −エヴァ専用重装火器、ポジトロンライフル、試作第一号機−
 その後方にはエヴァ用のアンビリカルケーブルが接続されている、陽電子作成のための専用カートリッジ、『電池』は未だ開発段階にあるのだ。
 そのため電源は外部からの供給と言う方法を取る事になった。
『良い?、レイ、陽電子は地球の磁場、重力の影響を受けて直進しないからそのつもりで』
 はい、としか答えようが無いだろう。
 ポジトロンライフルは連続照射式ではなく、弾丸のように球状化して放出するシステムになっている、距離がキロ単位までならほぼ直進するが、それ以上となると影響を受けて曲ってしまう。
「でも普通の銃と変わりませんよね、その辺は」
 言ったのはシンジであった。
「近い距離なら的に当たるけど、長距離での狙撃となると風の影響を受ける、そんなものでしょう?」
「……だけど外れた場合の被害を考えるとね、必ず当てて欲しいわ」
 リツコの言い草に苦笑する。
「苦情が来るからですか?」
「ええ」
「でも苦情の処理係はミサトさんでしょう?」
「……愚痴をこぼされるのはわたしなのよ」
 あ〜、とシンジは言い淀んだ。
「それは……、ごめんなさい」
「良いわ、本当なら初号機を使った方が良いんでしょうしね、零号機を使ってる手前、わたしの言ってることも、ね」
 う〜んとシンジ。
「どうして僕を出さないんですか?」
「予算の都合よ」
「……ほんとにここ、世界の命運をかけてるんですか?、けち臭い」
「人は水だけで生きることは出来ないのよ」
「輸送ヘリ、防衛ラインに入ります、目標、三十秒遅れで防衛ラインに到達」
 何故だがリツコが指揮を取る。
「兵装解除、迎撃システム作動、足止めを懸けて、ヘリの確保を早く、安全圏への退避を確認の後に零号機狙撃開始、良いわね?」
 命令する時は一方的に伝えれば良い、確認を取る必要は無い、さらには「はい」と返事をするオペレーターと、やはりそこら中に素人臭さが漂う。
 ミサトを筆頭に、それがネルフと言ってしまえばそれまでだろうが。
 山が動き、その下に縦列に穴の並んだ構造物が姿を現す、盛大に打ち上げられる花火が、空に灰色の雲を作り上げた。


 ──ドン!、ドド、ドン!
 突然のミサイルの洗礼を受けて、未確認生物はよろめいた、予め爆発高度を設定されていたミサイルは、直撃せずとも怪物の周囲で爆発し、その爆圧によって未確認生物を翻弄した。
 ──ドン!、ドドン!
 突き刺さるようにミサイルがその腹にブチ辺り、折れるようにして爆発した、炎の中で踊るようにして跳ね上げられる巨大生物の姿は凄まじかった。
 レイはH.M.D.ヘッドマウントディスプレイを頭から被り、そこに写されている『目標』に意識を集中していた。
 よろめきながらも虫羽根を高速で動かし、高々度へと逃れようとする巨大生物、その頭と胴体部の繋ぎ目に照準をロックする。
「撃ちます」
 静かな声は凛として発令所に響いた、一射、二射、三射、反動のせいでそれ以上の精密な連続射撃は行えなかった、が、十分だった。
 一発目は怪物の横っ面を叩いた、頭半分割れ爆ぜて、正体不明の体液を散らす、二発目は片羽根をもぎ取った、三発目は自由落下をしようと晒した腹部を直撃した。
 ──バン!
 弾ける肉片、えぐれ、内容物が露呈する、背中から落下し、怪物は山中へと墜落した。
 ──直後。
 ドドドドドン!、っと誘爆が始まる、運悪く墜落した場所にあったのは……
『迎撃ミサイル基地』
 第三新東京市建設のために削られた箱根一帯、残された山もほとんどは迎撃システムを偽装したものである。
 その一つが爆発したのだ、破片が火山岩のように噴き上がり、煙を引いては落下して、周囲に被害を拡大している。
「……どうして」
 情けない声を発したのはリツコであった。
「わざわざそんな所に落ちる必要、ないでしょうに……」
「確率的に言えば、周辺の畑に落ちる筈なんですけどねぇ」
「まったく……」
「でもあれじゃあ、死骸を回収しても無駄でしょうね」
 盛大な火葬だ、誘爆が続いている、リツコはモニターからの照り返しを受けながら、ギョッとした顔をシンジに向けていた。
(わざと?)
 そうなるようにレイにやらせた、そんな風に思わせる口ぶりに聞こえて、リツコは視線を外せなかった。


「やれやれ、想像以上の波乱で終わった船旅でしたよ」
 −ネルフ本部、総司令執務室−
 暗い部屋の中、加持はゲンドウの目前、机の上に、例のトランクケースを乗せて開いた。
 朱色のクッションに守られて、琥珀色の四角い物体が収められていた、手のひら大で、その中には胎児のような生物が封印されている。
「ベークライトで固められていますが、生きています、人類補完計画の決め手、アダム、そのプロトタイプ復元体、……弐号機をダミーに輸送を行いましたが、申しわけありません」
「いや、もう一体については不測の事態だったと判断する」
「しかし委員会には……」
「気付かれたとしても証拠は無い、今暫くは」
「護魔化せますか」
 頷く加持に、ゲンドウは書類を差し出した。
「これは?」
「辞令だ」
「辞令?」
 訝しげに目を通す。
「……諜報三課の新設、ですか、俺を課長に?」
「そうだ」
「目的は?」
「シンジらの監視だ」
 加持はこの世の終わりを告げられたような、非常に嫌そうな顔をした。


 第三新東京市の避難命令が解除されたのは、それから三時間も後になってからだった。
 一応、距離があるとは言え、誘爆の被害は相当な物だった、爆発によって飛来した残骸は、数キロを飛んでこの街にまで被害を及ぼしていたのである。
 見れば建物を削るように何かが突き刺さり、あるいは転がってもいる、それらはネルフ保安部、警察、消防、自治体の手によって、危険物としてテープで隔離されている、安全の確認されていないビルもまた立ち入りを制限されていた。
 ぞろぞろと人が歩いて帰宅しようとしている、その流れは『いつか』に非常に良く酷似していた。
「へぇ?、じゃあ旧東京って、セカンドインパクトの津波に呑まれたって言われてるけど、ほんとは違うんだ?」
「ああ、それこそ情報操作って奴さ、もちろん津波や海面上昇もあったけどね、本当はセカンドインパクトの爆心地になったのが日本が優先的に発掘を主張していた南極大陸だったからって、日本を恨んで某国が落とした新型爆弾のせいなのさ」
 ふうんと微笑む彼女に顔を赤らめる相田ケンスケ。
 その隣を歩いているのは、白いノースリーブのワンピースを着ている……
 マナだった。



続く



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作を元に創作したお話です。