──町にて起こった停電は。
 二人がそのニュースを聞いたのは、気まずさに水を差そうと休憩のために入った喫茶店でのことだった。
 流れるラジオに入った速報、ケンスケは家の近くだなと思い、マナは一瞬だけケンスケの顔色を窺った。
 引き上げ時だなと判断し、マナはケンスケに別れを切り出した。
「ごめんねケンスケ君、な気分にさせちゃって」
「あ、いや、俺の方こそ、さ……」
「ごめんね、今日はもう帰る」
「え?、あ、あっ!、送る、送るよ!」
「ううん、ごめん、良いから、じゃあ」
 ──さよなら。
「あ……」
 残念と言うよりも、無念と言うが正しい声を漏らして、ケンスケは伸ばした手をどこへともなくさ迷わせた。
 そんなことをしている間にも追いかける余裕は十分にあった、彼女は気落ちした足取りで喫茶店から出ていったのだから、あくまで、ゆっくりと。
 ケンスケはどっかりと椅子に腰を落として、呆然として、ようやく気が付いた。
 レシートの上に、彼女の分の払いがしっかりと小銭で置かれていた事に。
 いつの間に、か。


NeonGenesisEvangelion act.30
『正史《3》』


「ああもうほんっとに、大変だったんだから!」
 マナはマンションに戻るなり、バスルームに入って酷く愚痴った。
「何アイツ!、勝手に人を写真に撮ろうとしたりしてさ!、大体デートに何十枚も予備ディスク持って来るってどういう神経してるんだか!」
 スポンジを泡立て、腕を擦る、特にケンスケと接した部分を。
「とりあえずディスクは全部貰って来たけど!、ケイタ!、それもデータ潰しといてよね!」
 外から「うん……」と聞こえた、ビクビクしてる様子に激しく苛立つ。
「まあ単純な奴で良かったけどね!、ちょっと黙り込んでやったらもうどうしようって狼狽えちゃってさ!、顔色窺うだけになってくれるしっ、どうしてあんな奴を構うのよ、レイも、アスカも!」
 レイはともかく、アスカは単純に『前世』の気安さがそうさせているだけで、特別意識した感情は持っていない。
 しかしケイタが盗んで来た写真を一緒に見るにつけて、特別な感情は生まれ出していた。
『嫌悪』、だ。
「あいっつ、これって犯罪じゃない……」
 何処から撮ったものか、教室での女子の着替えを、望遠レンズで盗撮している。
 これは明らかに犯罪だ、許せる範囲を越えていた。
「しっかしまぁ、何やってるかと思ったら」
 そんなアスカの呟きに、しっかりとバスルームからでも返事をした。
「だってしょうがないじゃない、カヲル君がレイのお気に入りだって言うんだもん」
「そんなに恐い?、レイが」
「そりゃ……、アスカとは違いますよ」
 マナは風呂桶に湯を汲んで、両手で持ってぶすっくれた、その感情を洗い流すように、一気に被る。
 アスカは風呂場のザバァと言う勢いの良い音に苦笑した。
「で、一応の問題は片付いた訳ね?」
「うん……、いや、まだ、かな?」
「はぁ?」
 言い淀むケイタである。
「うん……、結局さ、根本的な問題の解決にはなってないんだよね、大体、こんな狭い街にずっと居続けろっていうのが無茶なんだからさ」
 特に日本と言う土地、それも各国の諜報員の今一番の舞台であるこの街で暮らせなどと言われれば、それは目について当然なのだ。
「まあ、相田の馬鹿がシンジを付け回してれば、また同じような事になるか……」
「とりあえず僕とマナは面がわれてるから、暫くはここを離れた方が良いって、渚君が……」
「離れてればなんとかなるわけ?」
「……考えはあるって、教えてはくれなかったけど」
「ふうん……」
 面白くなさそうに、アスカ。
「どいつもこいつもなぁんかやって、企んでるし……、あたしも何かやってやろうかな?、ほんとにもう」
 ──ちょっとシンジの気分、理解るかも。
 そんな不満をアスカは抱いて、唇を尖らせてぶすっくれた。


「これと……、これと、これも良いかな?、それとこっちも」
 ──新時計坂商店街。
 シンジを先頭に、ホリィが脇を固め、無意味にニコニコとカヲルが後を着いていた。
 今覗いているのは八百屋である、ホリィが選別しているのは玉ねぎだ。
「ほぉ?、この外人さんやるねぇ」
「でしょう?」
 ん?、とホリィは日本語の会話に首を傾げたが、気にする事でも無い様なので、今度はキャベツを握って詰まり具合を確かめた。
 この時代になると無色無臭の毒などざらにある、さらには一同が共に食事をしているとなれば、ジャガイモに毒を注入しておくだけで確実に『一家』もろとも処理出来るだろう。
 それを狙わない組織が無いとは言えない、現在のところネルフとは共存関係にあり、こうしていても最低限のガードは行ってくれているようだが、それも限度と言うものがある。
 どこまでも信じられるものでもない。
 そうなれば、結局は自分達の手で確実に確かめる他無かった、シンジは良い、手で触れれば『波動』がおかしい事から食べてはいけないと身の危険を感知出来るから、レイとカヲルは論外である、毒そのものが効きはしない。
 だがマナやケイタ、綾波レイは違った、ホリィとアスカも多少危ない、抵抗力は格段に強いが。
 一大食堂ともなっているホームである、一番確かな方法として、素材の段階で無害有害の判断をする事になったのだ、その担当者はホリィとシンジ、シンジは触診で、ホリィは視診で、毒の度合を確かめていた。
「ま、これも訓練の一貫だよ」
 シンジは夢中になっているホリィに耳打ちした。
 かなり慣れたとは言え、やはり微妙な差違は区別が付け難い、物事は単色ではないし、混ざるのだ、特に食物のほとんどは農薬に始まって、ジャガイモのように芽だけが食べられない物、虫が卵を植え付けている物、寄生虫の居る無農薬野菜と、様々だ。
 毒でありながら、処理……、調理次第で食べられるものも多い、感覚だけに頼っていると見落としがちになる問題をクリアするための課題として、ホリィにはこの試練が課せられていた。
「ま、ついでにさ、料理ぐらい覚えておいた方が良いしね」
「そう?」
「うん、なんにも出来ないと寂しいよ?、……わびしい、かな?、ま、出来ないよりは出来た方が良いでしょ」
 今ひとつ釈然としないながらも、ホリィは一応納得しておいた。
『向こう』では料理などする必要は無かった、する時間も無かったが、それ以上に施設内と言う隔離施設で、絶対確実に、安全で味も良い食料を常に供給されて来たからだ、何故に自分で作る必要などあるのだろうか?
 だが外は違うのだ、普通の店舗ですら時折食中毒の被害は出る、やはり最後に安心出来るのは自分で調理したものだけだろう。
 女性だから料理を覚えた方が良い、そんな不条理な理屈は思い付かなかった、シンジも持ち出さなかった、家で食べる料理など食えればそれで良いのだし、美味しい物が食べたければ外の店に頼れば良いのだ。
 ただ、だからといって家で食べる物がレンジ食品ばかりでは味気ない、侘しいとはそういうことだろうとホリィは適当に解釈を決めた。
 その背後で、カヲルはやれやれと肩をすくめていた、ホリィの認識のずれを感じ取ったのかもしれない。
 その両手、背中には鞄とリュックが増設されていた、もちろん中には食材が詰まっている。
「兄ちゃん、重そうだな」
「そうでもありませんよ」
「今度から配達してやろうか?」
「良いんですか?」
「お得意さんになってくれるならな」
「そうですか……、シンジ君、どうする?」
「良いんじゃないかな?、お願い出来ますか?」
「おっしゃ、じゃあこれがうちの番号だ、必要な物があったら連絡してくれ」
「はい」
「で、兄ちゃん達どこに住んでるんだ?」
「この坂の上ですよ、メゾン一刻って……」
 ざわりと通行人まで混ざって空気が変質した。
「え?、あ、なんです?」
「あ、いやぁ……、そうか、キョウコちゃんところにねぇ、へぇ……」
 そんな物珍しげな視線に、シンジとカヲルは顔を見合わせ……
「……」
 ホリィはおどおどと、この人参腐ってますよと、指摘した。


 日常と化していたものが破綻した瞬間ほど人が狼狽し、取り乱す時は無いだろう。
 ケンスケはパソコンの電源スイッチを押し、反応が返って来ない事を訝しんだ。
「なんだよ、コンセントか?」
 いや、全部刺さっている、余りの数に一応ブレーカー付きのタコ足配線をかましている、停電を考慮しての無停電電源装置まで使っている、電気が送られていないはずは無い。
 そこでふと、ビデオデッキなどのランプが消えているのに気が付いた、こちらもか、とますます慌てる。
「待て、落ち着け」
 自分に言い聞かせている辺りもうだめだろう。
 ニュースのことを思い出した、停電?、あれが原因で全部吹っ飛んだか?、ちらちらと目に入る沢山の機械、パソコン、コンポ、数台のビデオデッキ、全てが死んでいる。
 無言、無音、おかしい、あまりにも静か過ぎる、冷蔵庫の音すらしない、変だ。
 慌ててビデオカメラを手に取る、なんだこれ!、と絶叫、幾らスイッチを押しても返事がない。
 咄嗟に今日持ち出していた普通のカメラを手にしてみる、スイッチを押す、エラー音。
「へ?」
 ディスクが入っておりません、液晶部分にエラー表示、そんなばかな!、確かに入っていない、慌ててばたばたと身につけている物を探ってみる、無い、無い、全部無い!
 万が一のためにと財布の中に隠していた予備ディスクまで無くなっている、そんなことがあるもんか!
 愕然とする、そんな、何もかもを疑ってみる、しかし答えは見えて来ない、いや……
 浮かび上がる。
 霧島マナの、無邪気な笑顔。
 ケンスケは慌ててかぶりを振った、その考えを振り払った、下心から彼女へと甘い夢を見ようとした、傷つけてしまった罪悪感も手伝っていた。
 しかし、現実は厳しい物だ。
 彼の手荷物、ポケットを含めた全てからディスクをすり抜いたのはマナであった、自宅の磁気製品の全てを潰したのはケイタである、電磁波ボムだ、これによって周囲一体の磁気製品はそのメモリーを破壊される、直撃を受ければ人体にも影響が出かねない代物だった。
 直接被害を受けたのはケンスケの自宅だけではない、このマンション全てであった、隣の棟でも一部の機械に誤作動が確認されている。
 呆然と腰を落としたケンスケであったが、視線が低くなった事で、彼はさらなる大きなショックを受けた。
 本棚や、ベッドの下、見える範囲に本来あるはずのアルバムが無い、写真集が無い、写真販売のために作った見本集が無くなっている、フィルムやネガも。
 全てが根こそぎ盗まれていた。
「あ、はは……、はは」
 彼は気力の全てを無くして、へたりこんで虚しく笑った、天井裏などの隠し場所を確かめる力すらも失って……、それは何故だか、そこにももう何も無い事を、直感してしまったからなのだが。
 ──終わった。
 何かが、思いもしない何かが居る、見張られている。
 そんな気がしてケンスケは、薄れ行く何かに身を任せて気を失った。


「しかし……、幾ら作戦だとは言え、余り気持ちの良い物ではないですな」
 バルト海、ストックホルム沖に一隻の艦が停泊していた。
 海上自衛隊所属ステルス強襲巡洋艦、おとぎである。
「ふふん、シンちゃんは気にしてないみたいだけどねぇ」
 本来の艦長を押しのけて、艦長席にふんぞり返っているのはレイ=イエルであった。
「やられっぱなしってのは性に合わないの」
「それで仕返しですか」
「そ」
「ですがあなたは、JA計画には消極的であったと記憶しておりますが」
「教育ママは息子の一大事にはヒステリックになるものよん♪」
「ママ、ですか」
 面白げに笑う。
 彼らが見ているのは衛星からの映像であった、ミエル達が居た駅である、消防、警察が駆け付けているが、手のほどこしようが無いのが手に取るように把握出来た。
「これで世界の目はここに注目するわ、教団の本拠地にね?、暫くは自由に動けなくなる、大人しくはなんないだろうけど……、ちょっかいかけられると鬱陶しいし」
 レイが思い描いているのは弐号機強襲事件のことであった。
 あのような大きな横槍を入れられるのは面白くないのだ。
 事件は派手であれば派手であるほど良い、大きければそれに越したことは無い、さらにこれ程の被害者が出たとなれば、世界中が血まなこになって犯人探しを煽り立てるだろう、ここ、ストックホルムから中継して。
 当然、教団への取材も入るはずだ、表向きの顔で対応するだろうが、裏とも連携している以上、動きづらくなるはずだった、多少の牽制にはなるだろう。
「まあ、何割か程度で上手く行ってくれれば良って程度なんだけど……、で、回収の方は?」
「はい、今港を出たと、ボートでこちらへ向かっています」
「後は連中の隊長さんだけか」
 ふと、奇妙な感覚を受けて、大奈義はレイに問かけた。
「余り乗り気ではありませんか?」
「ん〜、パイロンちゃんを無くすかも知んないんじゃあねぇ」
 体をずり下ろし、体勢を崩して、ぼりぼりと頭を掻く。
「まあパイロンちゃんも、負け犬のまんまだから使い物にならないし、無くしちゃってもいいんだけどさ」
「何か?」
「おっさんを勧誘したのって、あたしじゃなくて、シンちゃんなのよ」
「それは……」
「わっかるでしょ?、あたしらが企画してる計画の要に、乗り気でないシンちゃんの選んだおっさんが居座る事になんのよね、それってちょっと、ね」
「難しい問題ですなぁ」
 二人はううむと、唸り合った。


 上下左右を冷たいコンクリートによって固められた通風孔の中を、ゴドルフィンはパイロンを従えて走っていた、音が立つ事には余り頓着していなかった。
 先の見回りは間違いなくこちらが存在しているものとして警戒していた、それならば見つかるのは時間の問題であろう。
 考えるだけ無駄だと開き直ったのだ。
 仕事のためのランプを頭に着けてひたすら走る、暫くしてゴドルフィンは、そこまで神経質になることは無いなと思い始めた、換気扇が回っている音が聞こえたからだ。
 その風がやや抵抗を生んで歩みを辛くしてくれるのだが、気配を隠すには上等だった、ただ、あまりこの『通路』に長居し過ぎると、鳥を飛び立たせていた様な、本格的な排気を直に受けることになる。
 掴まる場所も何も無い、案外通路の長さは相当あるのかも知れなかった、ここから侵入した者は、ゴールに辿り着く前に排気によってスタート地点へと戻されてしまう、飛ばされ、転がされて、そう言う事なのかもしれない。
 ストックホルム郊外には幾つもの採掘鉱山があった、似たような怪しさはどこも含んでいた、ダミーも混ぜ込まれているのだろう、その中から彼がこの鉱山を選んだのは、何も運任せにしたものではない。
 何よりもこの鉱山は異常であった、鉄が取れるのだ、考えて見ればそれはこの山が鉱物を多量に含んだ地質であると言うことを指し示している。
 その山が、緑で覆われているのだ。
 これはおかしい、少なくとも雑木林が形成され、緑で溢れるような土ではない、では一体、何がどうなっているのだろうか?
 最初、この鉱山へと到着したゴドルフィンは、普通に事務所を訪ねて人足として雇っては貰えないかと申し出ていた、しかし零細である事を盾に拒否されてしまった、もし、ここで仕事に従事している人間が全て何らかの組織の一員であり、一団であったとすればどうだろうか?
 運び出される荷、採掘された鉄鋼、岩石、それらはあくまでカモフラージュで、トラックの荷台、石の下には別の物が隠されているのかも知れなかった。
 例えば、……建設に用いられた後の、不要な資材、だ。
 ここには何かがある、鉱山を装って何かが建設されている、ゴドルフィンの勘がそう告げていた。
「風が来る」
 パイロンの言葉に焦り、壁に爪を立てようとする。
「それでは持たない、俺の腰に」
「悪いな」
 ガン!、っと壁に剣を突き立て、しがみ付くパイロン、その腰にゴドルフィンが腕を回した直後、体ごと吹き飛ばす突風が長く、二人の身へと襲いかかった。


「では、チルドレンについて聞かせてもらおうか」
 ──ニューヨーク沖、国連本部。
 もう長く話は続いているようで、ミサトは反抗する気力も無いのかぐったりとしていた。
 見かけの上では毅然としているのだが、無表情は疲れの現れだ、感情が追いついて来なくなっているのだから。
「本部ではチルドレンに対して、どのような訓練を課しているのか、説明してもらおうか」
 ミサトは機械的に答えようとして詰まってしまった。
 訓練、遥か永劫の闇の彼方に消え去ってしまっていた言葉だった、確かそんな計画書を数ヶ月前まで練っていた気がする、実際には一ヶ月から二ヶ月前だが。
 ドイツ支部から本部に移って、一週間前後で使徒が来た、本部の構造どころか、自宅周辺の地図さえ頭に入れている余裕も暇も無かった、ほとんどは本部の部屋に缶詰にされていた状態だった。
 街の兵装、エヴァと言う物について、色々な事を頭に入れねばならなかった、何せ本部ではドイツ支部と違い、エヴァの携帯火器から特殊装備品に至るまで、様々な開発が為されているのだ。
 それらについての基礎知識だけでも膨大であったというのに、予備知識はさらに多いわ、ドイツでセカンドチルドレンに対して行っていたトレーニングスケジュールを練り直し、提出もしなければならなかった。
 ──そう、提出はした筈なのだ。
 すっかり……、百万光年くらいは彼方に忘れ去ってしまっていた、なにしろ本部に着任した時には既にファーストチルドレンは病院送りになっていたし、続いてやってきたサードは『アレ』である、一体そんなものをどこで使う余地があったのだろうか?
 サード、フィフス共におそらくは教官など問題にしないであろうことは明白だった、むしろ教官が教わる立場になってしまうだろう、その上、人の動きをトレースするエヴァンゲリオンは、搭乗者自身のイマジネーションが重要との認識から、あくまで人の延長線上の技術、体術が重要視されていた、が、これもまた、碇シンジ、サードチルドレンによって忘我の果てに根底から覆されてしまっていた。
『光よ』、そんな『技』があるだろうか?、いや、ない、絶対に無い、少なくともそんな『イメージ』は人に出来るものではない、少なくとも、一般人には。
 そう言う意味では、ドイツ時代、手塩に掛けて育てたセカンドチルドレンの方がまだ理解し易かった、……この間までは。
 聞かされていたスペックを越える跳躍、滞空能力まで備えていた、不可視の、ATフィールドとおぼしき攻撃、知っていたはずの『中和』すら理解していた物とは全く違ってしまっていた。
 ミサトは先の戦自に対する己達の所業を思い出した、同じであると、自分達はエヴァを知らない、ただエヴァを運用する側にあるから優位にあると思っていただけで、実際にはエヴァの何たるかを全く把握していないのだ。
 危険を犯して戦自は情報を得ようと使徒とおぼしき生命体に接触しようとした、自分達も命がけでシンジ達へ、不明瞭な存在に対しての必死のコンタクトを試みている。
 これではまるで、変わらないではないか。
「どうしたね?」
「いえ……」
 ミサトは区切るようにして語り出した。
「訓練は……、行われてはおりません」
「……なに?」
「エヴァは……、エヴァンゲリオンは、イマジネーションが全ての根源にあります、戦闘記録をお持ちであれば確認願いたいのですが……」
「問題無い、全て目を通している」
「なら……、ご理解頂けるとは思いますが、セカンドは不可視のATフィールドを自在に操ります、特にサードチルドレンは、ATフィールドとはまた別種の、解析不能な現象を引き起こします」
「解析不能?」
「はい……」
 言葉に熱が入り出す、同時に目も生き返る。
「3号機搭乗時のことですが……、サードはエヴァより発生した高熱を砲撃として用いました、初号機では翼などと言う本来顕現不能なはずのものを生み出し、空を舞い、さらには……、これは技術部主任の私見ですが、空間そのものを崩壊させ得たのではないかと疑われる『力』を発揮しています、これらはどれも、我々の科学的見地からは全く理解不能な現象なのです」
「つまり……、エヴァは科学的根拠の無い、非科学的な能力を発揮していると?」
「その通りです」
 ミサトは言葉にぐっと力を込めて続けた。
「下手な訓練は足枷になると判断しています、トレーニングは一種自身の限界の把握である側面を持ちます、訓練による技術向上は望めますでしょうが、それ以上に、彼らのエヴァに対する認識幅を狭める結果に繋がると考えております、山岸監査官がお話しの通り、我々の仕事はなんとしても使徒を倒す事にあり、そのために体裁を気にして、チルドレンの能力……、『性能』を阻害する危険は犯せません」
「……だから訓練は見合わせていると?」
09オーナインシステムと呼ばれたエヴァンゲリオンです、単純に起動したからと言って喜べません、実際に起動した事で、ようやく我々はエヴァを研究する段に立てただけなのです、エヴァンゲリオンの何たるかがはっきりとした形で纏められるまで、搭乗者自身のフィーリングに任せるのがベストだとわたしは考えます」
 ふうむとゲンタは唸り、逆にミサトは頭がすっきりして来たなと調子を取り戻しつつあった。
 たまにはリツコ以外の人間とこういった話をするのも悪くは無い、とまで考えていた、どんどんわだかまっていた物が整理出来て行くからだ。
 そうだ、そうなのよね、とミサトはレイとアスカの違いを思い浮かべた、アスカにはセカンドチルドレンとして、対人格闘訓練を十分に詰ませた、十二歳から十三歳の成長期にだ、その聡明さから理詰めで格闘術をマスターする彼女は、肉体の効率的な運用法を実に良く理解していった、反映していった、訓練はその理解を実戦に移せるよう、肉体に刻み込んでいった作業と言って良かったのではないだろうか?
 一方でレイは、特に何らかの訓練は受けていなかった、こちらはとにかく起動に至らないことが問題であり、そんな余裕が無かったからなのだが。
 初号機とのシンクロが思った程伸びないため、急遽零号機と新しいコアが用意された程だった、これが逆に運悪く実験の失敗に繋がって、彼女に重傷を負わせることになってしまった、しかし基本的にレイは、エヴァを調べるための『研究』のために存在していたと言ってしまって良いだろう、そう思えた。
 テストパイロットにも満たない、研究、調査用の被験者、ファーストチルドレン、綾波レイ。
 そして実戦要員として特殊訓練を十分に受けた、セカンドチルドレン、惣流・アスカ・ラングレー。
 だがミサトは評価が逆転してしまっているなと感じた、レイは翼を広げてエヴァを飛ばして見せた、アスカは滞空したが、飛ぶには至らなかった。
 もし……、もしもだ、もし自分が課したトレーニングメニューが彼女に『常識』を擦り込んでしまったのだとすれば?
 気を飛ばす、と言う、弐号機の手刀による烈風がその延長のものなら、単に体術の延長と言う事になってしまう、レイの翼のような『非常識』とは桁が違う、低過ぎる。
 これは人間の既成概念が、見事に無限の可能性を抑え込んでしまった事例かもしれない、ミサトはふと、アスカがホリィと言う少女に色々と仕込んでいると言う話を思い出した。
 もしそれが上手くいくようなら、アスカであれば感覚的な物を理詰めで文章にし、メニュー化できるだろう、チルドレンの……、正しいトレーニングメニューとして。
 ただ、それを確かめるためには、アスカにやらせるためには、結果を拝むためには、ここから無事に『生還』しなくてはならないのだ。
 ミサトは気付かれないように鼻息をふんと鳴らした。
「お恥ずかしい話ですが、我々にはとにかく時間がありません、以上の理由によってマニュアルを作成するいとますらもなく、全ては実験的に行っていくしか無いのが実状なのです、その上、失敗は許されません」
「慎重になるのも、やむを得ん、か……」
「ご理解頂けて、光栄です」
 ふと、ゲンタは顔を上げて、じっくりとミサトを見てから苦笑した。
「……なにか?」
「いや……」
 かぶりを振って。
「この手の会話で、主導権を取り返されたあげく、立ち直られたのは初めてでね」
 はぁ?、とミサトは首を傾げた。
 それぐらい、ゲンタは威圧で事を運ぶ自信があったと言う話である。


 奥まで進むと、排気のための巨大なファンが、二つ、三つと連続していた。
 先の排気の直後だからだろう、今はゆっくりと回っている、直径は四メートルから五メートル、とにかく巨大だ。
 羽根は十六枚、その隙間を抜けてゴドルフィンとパイロンは急いだ、今ここで換気が行われれば、先のように堪える事は出来ない、その上、先程ならば飛ばされるだけで済んだだろうが、ここではミンチどころか霧状にされて風に混ぜられ、吹き散らされてしまうことになる。
 その焦りと、やいばのようなファンの動きに感じる恐怖心とを秤に掛けながら、ゴドルフィンは前へと進んだ。
 その後ろに続くパイロンは、気配を消そうと必死に務めているようだった、緊張している、そう読み取れるゴドルフィンには、年の功があるのだろう。
「パイロン……、何故ここに来た?」
 パイロンは今更な質問に虚を衝かれた。
「これぐらいの仕事は出来るのだろうと……、命じられたからだ」
 命じられたというよりも、馬鹿にされたのだろうと感じられる口調だった。
「仕事?」
「……護衛だ」
「……護衛?、俺の?」
「そうだ」
 顔を背けた、俯くようにして。
「俺は……、勝負に負けた、いや、逃げ出した……、これ以上、恥を掻きたくは無い」
「ふん?、それで俺を迎えに来た、か?」
「そうだ……」
「『彼』に仕えているのか?、今は」
「いや……」
 顔を上げる。
「ホワイトテイルにだ」
 ゴドルフィンは何も言わずに前を向いた、この青年が憐れに思えて来たからだ。
 パイロンは何も判っていない、ホワイトテイルの名は聞いた事がある、彼女は危険だった、『ブラックデビル』以上にだ。
『彼』は、理屈が通じる相手なのだ、話せば解る、約束も取り付けられる、それは直に会って確信した。
 そこには快楽殺人者ではないとの認識も手伝っている。
 しかしホワイトテイルは違う、今は大人しくなっているが、彼女は殺人を楽しんでいた時期があった、それは今も、本質的にはなんら変わってはいないだろう、変わるはずが無いのだ、一度持ってしまった趣味趣向と言うものは。
『楽しければ』特に罪悪感も倫理観念も取りたださず、ぽい投げする。
 きっとホワイトテイルとはそんな人物なのだと想像する。
(駒に落ちぶれたか)
 ゴドルフィンはパイロンの消沈をそう見て取った。
 そんな自分を自覚し、恥じ入るだけの心を持ったままでは辛かろうとも。
 だが自分の中の矜持が折れた人間とは、こんなものなのかもしれない、そこから立ち直るためには、自分の恥に対して開き直れるだけの厚顔さが必要なのだが、それをこんな『若造』に求めるのは酷だろう。
 第一、今の会話の中には重大な問題が含まれていた。
(どういうことだ?)
 自分は確かに『彼』に誘われた、迎えに来たのかと探りを入れてみた、『彼?』、と問い返されたのなら、まだ先の作戦の関係を引きずって探しに来たのだろうと考えようとしたのだが……、教団から、彼から、全員で逃げようと言う心理の元の行動であると。
 元々かき集められただけの繋がりなのだ、他に迎えに来る理由など思い付かない、最も納得出来るのは同じように『彼』から誘いを受けたのだろうということなのだが、そうではないと否定されてしまった、だがホワイトテイルとは繋がりがあると言う。
 何故だ?、ホワイトテイルとブラックデビルは組んでいるはずだ、なのに違う?、それはどういうことなのか?
 今の彼には判断を付けられない。
 付けられるだけの材料が無い。
 換気口を抜けると巨大な発電機などがある部屋へと出た、工場か、倉庫と言っていい、赤茶けた鉄板にボルトが打たれて外壁を成していた、錆びているのは地下水のためだろうか?
 かなり古い空間だった、それに広かった、左右に二十メートル以上、天井は五メートルほどか、パイプや配線が通されている。
 ──機関室。
 そんな印象もあった。
 奥へと進もうとして、ゴドルフィンは『そこ』に転がっているものを見付けて驚愕した。
「『A』!、か……」
 ボロ雑巾のように男が一人転がっていた、スーツは錆水にまみれてまだらになってしまっている、元の色などはわからない。
 その顔は中年のものではない、皺が取れていた、髪もしっかりとしている、短髪で、瑞々しいものになっていた、……今は勿論、萎れているが。
「……たい、ちょう」
「こんなところで、何をっ」
「へへ……、みすっちやい、やした」
 顔に似合わない言い回しだった、二十代から三十代にしては、歳老いた感じがする。
 怪我はないようだが、酷く憔悴していた、疲れ果てているようだった。
 抱き挙げ、ゴドルフィンは問いかけた。
「大丈夫なんだな?」
「こいつさえ……、はずして、もらえれば……」
 彼の左腕を見て目を細くする。
「パラライズワームか」
 手首に巻き付けられている細いリングから、一本の触手が手の甲に伸びて張り付いている、神経に直接作用して痺れを与えているのだろう。
「へぇ……、それに、もう、三日も食べて」
 ゴドルフィンは猫爪で引っ掛けるようにしてワームを切り落とした、流石に空腹は補填してやれない。
「下がるか……」
 彼を抱えようとして、パイロンに止められた。
「駄目だ」
「なに?」
「何か……、来る」
 うじゅうじゅと音がする、換気口からだった。
 気が付けばファンが止まっていた、いや、抵抗のある物が邪魔で回らなくなっていた、粘液質の、赤とピンクの狭間のものが、ぬちゃぬちゃと溢れるように垂れ流れ、床にゆっくりと広がろうとしていた。
「ひいっ、ひい!」
「くっ、ブロブか!」
 目を血走らせ、慌てて下がろうとするA、しかし腰が抜けているのか、ゴドルフィンの袖を酷く掴んだままのたうち回るようになっただけだった。
 ブロブ、スライムの一種である、その食欲は旺盛で、蛋白質で出来たものであればなんでも覆い被さり、取り込みながら消化する。
 のっぺりと広がっていたブロブが、ある一点で広がるのをやめた、今度は収縮しながら盛り上がっていく。
 直径三メートル、高さ一メートル程度の化け物に変化するまでの時間はそれ程掛からなかった、まずい、ゴドルフィンはブロブの動きが捕食しようと跳びかかる体勢なのだと読み取った。
「出口へ!」
 ゴドルフィンはAの首筋を掴んで一瞬で気絶させると背に負ぶった、跳びかかるブロブ、恐るべき事に五メートル近い距離を跳躍した、パイロンが迎え撃つ、寸断、核を切られ、本体も左右に別れながら機械にぶつかり、更に弾けた。
「触れるな!」
 無造作にゴドルフィンを追おうとして、注意を受け、パイロンは足元に散っていた組織片を避けた、危うく足をひねりかける。
 ブロブは……、生きていた、どれ程小さく飛び散っていようと、それぞれに生きて蠢き、獲物を求めていた、見た目に派手だった巨大な核も、また小さな核の集まりであったらしい。
 指でこねられるような小さな物には核は見えないが、手に乗せられる大きさになると肉眼で確認出来るコアを形成していた、やっかいなのは微小なブロブであった、小さいだけに良く跳ねるのだ、蚤並みに。
 パイロンは青竜刀の刃を横に倒して仰いだ、風を起こして払いのけ、一気にゴドルフィンの後を追う。
 ドアは……、鍵は掛かっていなかった、躊躇することなく外に出る、人の気配がやって来る、どうやら向こうは少しばかりタイミングを間違えたようだ、挟撃するならば時を合わせれば良かろうなものを。
 あるいはブロブの元気さが予想外だったのかもしれない、久々の獲物にはしゃいで、普段は見せぬ機敏さで動いたのかもしれない、どちらにしても計算が狂ったのは間違い無かろう。
 ゴドルフィンはパイロンに行けと目で命じて走らせ、ブロブの部屋の扉を開け放った。
 慌て、パイロンを抜く勢いで駆け出す、チュンとすぐ脇の壁に跳弾、しかしそれ以上は無かった、悲鳴が叫ばれた、ブロブが上手く部屋から溢れてやってくれたらしい。
 通路は機関室と同じ、古い鉄板で作られていた、高さは二メートルと少し、幅は人がなんとかすれ違える程度だった、酷く靴の音が反響する、古めかしいランプが等間隔でつりさげられていた。
 逃げる、逃げる、逃げる、抜ける、唐突に二人は巨大な空間に出くわした、通路は終わって、洞窟にぶち当たっていた、一望できるタラップに立ち、二人は唖然と目を丸くした。
「そんな……、そんな、あれは、まさか!」
 ゴドルフィンは……、見た、ここは地底湖だった、野球場クラスのドームが入るような空間、『金色』の水、やぐら……、いや、整備台が組まれて、多くの作業員が何らかの『仕事』に従事していた。
 湖に、肩と、首だけを起こし、壁にもたげて、寝そべるように力を抜き、四肢を弛緩させている巨体がそこにはあった、沈められていた。
 彼はそれが何であるのか知っていた、先日の潜入工作の退却時に、遠くから肉眼で確認していた。
 色が違う、装甲形状が違う、揚げ句融解し、どろどろに溶け、敗残兵の様相を呈していた。
 だが鎧の内側にある肉体は、それとは逆に若々しく、瑞々しい肌艶を晒していた、何よりも……、生気が感じられるのだ、肌にピリピリと来る、生理的な恐怖心。
「そんなばかな!、あれはっ、……エヴァンゲリオンじゃないか!」
 それも一本の角を持つ……
 もし仮に、この場にネルフの人間が居たならば、それこそ卒倒していたかもしれないだろう。
 その一本角の鬼はまさしく、エヴァンゲリオン初号機……
 碇シンジが駆る機体と、まったく同形のものであったのだから。


 ──世界に問う!
 彼は高らかに咆哮を上げた。
「僕だけが、みんな悪いって言うのかよ!」
 ──さよなら。
 ──なんであんたがそこに!
 ──許さないからね!
「綾波も、アスカも、ミサトさんも!」
 慟哭を吐く。
「全部が僕の責任だって言うのかよ!」
 そこに居たから?
 エヴァに乗る事に同意したから?
「嫌だって言ってるのに、無理矢理乗せておいてっ、その結果を全部僕に押し付けておいて!、だから嫌だって、はっきりと言ったじゃないかっ、なのに!」
 ──何のためにここに……
「言うことを聞かなくなったら癇癪起こして、叩いて!、それでまずい状態になったら謝って、言い返せないようにして!」
 世界に叫ぶ。
「だったら!」
 浮かぶ光景。
 セカンドインパクト。
「彼らはどうなる!、人の忠告に耳を貸しもしないで実験を強行したあいつらは!」
 ──葛城教授。
「こいつらはどうなんだよ!、結果を知っていてそれを止めもしなかった!」
 ──キール・ローレンツ。
「世界を守るためとか言って、結局自分の望みだけを叶えて!」
 ──碇ユイ。
「自分の馬鹿にしてた奴等と同じに、自分の気持ち良さだけを求めて勝手な事をした!」
 ──碇ゲンドウ。
「誰も、彼も、どいつも、こいつも!」
 複数の人物が思い浮かんでは消えて行く。
「僕に責任を取れって言うのなら!」
 声高に叫ぶ。
「まず自分で取って見せろよ!」
 赤い海が広がる地獄の世界。
「このまま生きて行くなんて許さないからな!」
 カレハナク。
「すまないとか、ごめんなさいとか、許してとか、仕方なかったとか、しょうがなかったなんて言い逃れは許さないからな!、言い訳があるなら聞いてやるよ!、けどなぁ、お前達は自己弁護するだけで、自己批判なんてしないじゃないか!、それどころかっ、反省もしやしない、そんな人間に、未来なんて、与えてやるもんか!」
 世界がこの小さな星を中心に収束していく。
「地獄の果てまでくり返せ!、この苦しみを!」
 クライン空間に囚われた世界は、出発点をジオフロントの紅い海に見定める。
 そこから始まり、そしてまたサードインパクトのこの時点へと回帰して、再び始まりの時に戻るのだ。
 終わりと始まりに継ぎ目無く。
 それは一種擬似的なパラレルワールド。
 報われない展開が綴られるだけの複写現象。
 枝分かれを許さず、全てをこの中で膨らませるだけの……
 永遠に救われない結果に向かって苦しみ続ける、それが罰。
 それこそが、彼が皆に科した唯一の……
 ──だが。
「……!?」
 愉悦に浸って睥睨していた少年は違和感を感じて目を剥いた、世界の中心たる部分に、別の光が発生し、エネルギーが世界に対して干渉をして見せたからだ。
「アスカか!?」
 はっとし、不意に大きな存在を感じて、少年は振り返り、驚愕した。
「くっ、あ!」
 力を拘束されてしまう。
「今頃、なんだよ!」
 駄目だと、聞こえた。
「助けてくれなかったくせに!、人を苦しめるだけ苦しめておいて、その憂さ晴らしも許さないって言うのかよ!」
 カレハ、ナク。
「憐れむな!、僕はっ、僕は、僕は!」
 その顔は碇シンジ。
 そしてまた現れた者も碇シンジ。
「お前なんか、壊れてしまえ!」
 渾身の力が金色の光となって吹き荒れる、しかし宇宙を背にして立つ『カレ』にそれが通じるはずも無く。
「!?」
 少年は落ちる、母なる世界に。
 自らが作り上げた、地獄と言う名の封接に。
 ──煉獄に。
「彼の心に、光が灯ることはあるのだろうか?」
『カレ』は傍らに浮かぶ者の言葉に、憂いを隠すために目を伏せた。
「人は全て神になる可能性を秘めている、光と闇を内包する『ヒト』と言う心のみが、純粋なる光を自ら生み出す事が出来るから」
 彼は『主』の様子を窺った。
「光あれ、彼がその言葉と共に心を溢れさせる事が出来た時、そこには新たな世界が創設される事だろう、彼と言う名の心から溢れ出した純粋なる光が、新たな宇宙を広げていく、きっとその時こそ、彼は真の意味で君と対等に付き合える存在になるんだろうね」
「……」
「分かっているさ、見守っていて欲しいと言うんだろう?、分かっているさ」
 銀色の髪をなびかせて、彼もまたその地へと下りていく。
「そう、彼はあなたと並び立つ可能性を持っていた、けれどあなたの焦りが彼を地獄に落としめてしまった……、だからやり直させて上げたいという気持ちは分かるけれど、彼にとってそれは苦痛でしかないのかもしれないよ?」
「……」
「わかっているよ、その時、僕はまた彼を裏切り、君の友となる……、裏切りは僕に与えられた『役割』だからね、辛くても……」
 辛くても……、その後は一体何であろうか?
 彼は言いかけた言葉をちゃんと止めたにも関わらず、そのほんの頭を口にした事にさえ嫌悪し、後悔していた。
 それは口にしても仕方の無いことであり、同時に自らをその様に生み出した『主』への恨み言にもなってしまうからだった。
 本当なら絶対的な服従を擦り込む事さえ出来た筈なのだ、なのにこの役割を断るだけの『自由』も与えてくれている。
 選択したのは自分なのだから、人を責めてどうするというのか。
「そう……、彼にも自由を与えてみよう、全てを選択して行く、自由を」
 星の名を、地球と言う。
 そして彼が見ている子供の名前こそは……


 一人の青年が丘をゆっくりと登っていく。
 そろそろ夕暮れが近い、高所であるためか、風は冷たくなって来ていた。
 彼、エリュウは目前に一本の木を認めた、酷く大きな木だった、それがなんと呼ばれる種の木なのか誰も知らない、学者にでも見せればセカンドインパクトの影響で生まれた奇形種であるとの見解が得られるだろう、何せこの木は、僅か十年ばかりで樹齢一千年近い大木に匹敵する大きさにまで育っているのだから。
 人々はその木のことを、いつしか『世界樹』と呼び、よくその木の下で眠りこけている少年を微笑ましく見守っていた。
 白い肌に、白い髪。
 見慣れない服は、学生服だった。
 その瞼がゆっくりと開かれる、赤い瞳に涙が滲む。
「ふあぁああああああ、ふ……」
 呑気に欠伸をして、起き上がる、むにゅむにゅと目を擦りながら、口の中の気持ち悪さに顔をしかめた。
「シンジ様」
 エリュウはそんな……、肌と、髪と、瞳の色は違えど、碇シンジに瓜二つな少年に対し、実に親しげに話し掛けた。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作を元に創作したお話です。