誰も気にしたことが無かった、気にしようとしなかった、果たしてそんなことがあり得るのだろうか?
 確かに『渚』と言う姓の青年は存在したのだ、なのに誰も顔を思い出せない、そんなことがあるのだろうか?
 彼を見た者はこぞって白い髪、赤い瞳を語り上げるのだが、印象はそこに集約してしまっていて、微細なものは記憶されていなかった。
 ではメディアはどうなのだろうか?、不思議な事に彼の顔にだけ、写真も、ビデオも、全てにノイズが掛かってしまっていた。
 あくまで、自然現象的に。
 それでも確かに存在したのだ、彼は、裏死海文書をもたらし、ロンギヌスの槍を提供し、千年の幸福の時を次なる時代へと動かそうとした青年は、絶対確実に存在したのだ。
 だが、誰もその顔を、声を、思い出せない……
「シンジ様」
 話しかけて来た青年に、少年、シンジは酷く不快気な顔を向けた。
「エリュウ……」
「そろそろ……、お風邪をお召しになられますよ?」
 シンジはふんと鼻を鳴らした。
「風邪?、僕が?、……引くわけないと知っていて何を」
「社交辞令と言うものですよ」
 少しも気にせず、おどけて見せる。
「少しばかり問題が生じまして」
「問題?」
 酷く気怠げに体を起こし、シンジは片膝を立て、その上に腕を置いた。
 だらりと垂れて来た前髪を掻き上げる。
「なんだよ、それ……」
「はい、……初号機を見られてしまいました」
「ふうん……」
 愉快そうにシンジは口の端を釣り上げ、目に笑いを宿した。
「そう……、じゃあ、そろそろかな?」
「はい、時の連環が、誘いましょう」
 シンジは答えず、ゆっくりとこののどかで、心休まる景色を見渡し……
 ──憎悪した。
「……アスカが作った世界なんて、壊れちゃえば良いんだ」
 大揚に頷くエリュウが居る、大ッ嫌いな彼に同意されてしまったことが不快なのか、シンジはまたも顔をしかめた。
 風が穏やかに吹き上げていく。
 空はその憎しみを感じ取ったのか、少しずつ陰りを帯びて、くすんでいった。


NeonGenesisEvangelion act.31
『正史《4》』


 誰も気にしたことが無かった。
 何故、南極に現れた使徒の肩に、エヴァと同じ部品のような突起物があったのか?
 生物であるのなら、あのような不自然なパーツが生まれ出るはずがない、では、何のために必要だったと言うのだろうか?、こうは考えられないだろうか?、使徒は……、今はまだ無い、だがこれから生まれるものを『模写』したのでは、と。
 そう、生まれて来るであろう、エヴァンゲリオンを、だ。
 その使徒は最終的に極東の地で実に短い生涯を負えた。
 そう信じられている。
 しかし実際には違っていた。
 最も『祖』に近いその使徒は、あらゆる面において不確定であった。
 光のようなもの、使徒を構成する最も根源元素的な物のみで『存在』していたそれは、とある『情報』をその身に転写し、反映したのだ。
 槍と言う名の染色体情報は、次元も空間も超越して一つの情報を保持していた、それは初号機と、碇シンジのものだった。
 使徒を食らい、呑み、入れ代わり、成り代わることでこの次元に生まれ落ちた彼と初号機であったが、激情のままに錯乱したシンジは、全ての元凶である黒き月を破壊しようとした、これを止めるためにNN爆弾が使用されたわけなのだが、S機関がフルドライブ出来ない状態にあった事が幸いであったのか不幸であったのかは判らない。
 とにもかくにも、こうして『まだ無いはずの初号機』は撃退されたのだ。
 第一の使徒として。
 その使徒は、あまりの熱量の前に蒸発して無くなってしまったのだと信じられていた。
 しかし現実は違っていた。
 今もこうして、北方の地にて、静かに眠っていたのである。


「これが……、こんなものが教団の真実か!」
 波一つ無い湖面にやぐらが組まれ、橋が渡されている、その様はどこか工場を思わせる。
 それは事実当たっていた、初号機の『肉』はさく切りにし、ブロックとして運び出されて行く、それらはどこかで加工され、食肉となって市場に出まわっていくのだろう。
 またその特殊な血液は万能の良薬としてろ過装置を通し、パック詰めされて運び出されていく。
 これが全ての真実だった、セカンドインパクト以降、混乱期に置いても無尽蔵に食料を提供し、医薬品までも与えて回れた理由がここにあった、S機関を宿したエヴァンゲリオン初号機は、どれ程解体されようともその身を復元して見せるのだ、神の体を切り刻む事に罪悪感は無いのだろうか?、少なくとも彼らには無かった。
 何せ、神は慈悲深く、その御身を削られてまでお救い下さろうと言うのだから。
 これに感謝こそすれど、厚意を無にするなど恩知らず、恥知らずではないか、……そのような考えが彼らには根付いてしまっていた。
 ふとゴドルフィンは、剥き出しになっている初号機の腹部で蠢いている物に気が付いた、ブロブだった、肉を食い、潜り込もうとしている。
 水の中をダイバーが数名泳ぎ回っていた、手に持っているレーザーガンでブロブを焼いている、ゴドルフィンはその様子から、先のことは勘違いであったのだと直感した。
 ブロブは教団によって放たれた物ではない、エヴァンゲリオンに沸いている蛆のような、寄生虫や細菌の類なのだと直感した、その一匹がはぐれてさ迷っていたのだと。
 通路からは散発的な銃声が聞こえて来る、ブロブとの対決は続いているらしい、しかし必要なのは火炎放射器であってライフルではないだろう。
 通路に長くのっぺりと広がったブロブは、表面にぴちゃぴちゃと跳ねる弾丸には興味を示さなかった、纏めてころころと糞として排出する、彼らの狙いはあくまで蛋白質なのだ。
「こっちだ」
 パイロンがシャフトに取り付けられているエレベーターを見付けた、飛び乗り、下りる、少し先に今度はベルトコンベアがあった、切り出され、瞬間冷凍された肉のブロックを運んで行く、その先は冷蔵庫かもしれないが、他にマシな脱出口が見当たらない以上、致し方無い。
「行こう」
 ゴドルフィンの決断に、パイロンは無言で従い、先鋒を引き受けた。
 肉のブロックを盾に、剣を抜いて身を屈める、その後ろにゴドルフィンは膝を突き、Aの体を抱くようにした。


「ボートの収容、完了します」
「固定急げ、見つかってるぞ」
「はい!」
 やれやれと副官達の会話を聞きながら、艦長である大奈義はレイへと愚痴った。
「こうなるとセカンドチルドレンの回収に成功した事が奇跡のようですな」
「はん?」
「艦隊がこの海域に展開しつつあります、こちらを閉じ込めるつもりのようですが?」
 しゃらくさい、とレイ。
「アスカちゃんの時にはもっと沖合いだったからねぇ、それにこんなに長く停泊してなかったんでしょ?」
「そうですが……、しかし北方艦隊ですか?、あの装備は脅威であります」
「脅威?」
 訝しげに。
「どの辺が?」
「……電子戦の装備がこちらとは一桁ほど違うようです、その上、水上翼機など兵装も多彩です」
「水上翼機ならこっちにもあるじゃない」
「こちらのはただのボートですよ、戦闘用の彼らの機体とは大きさも装備も違います、第一、武装が無い」
「ふ、ん……」
 レイは不機嫌そうに、だが顔だけはますます面白そうに作り替えた。
 猫口になり、目を細くする、赤い瞳は光っているようだった。
「本気でこっちを止められるつもりかな?」
「わたしでもそう思うでしょうな、自信を持って」
「この船の性能を知る艦長としても?」
「過信はしません、技術レベルとしては同格でありましょうから、後は単純に……」
「数の問題、か……」
 ふうむと悩んで、ぽつりとこぼした。
「……基本的な知識は共有してんだもんね、そりゃ発想も似通って来るか」
「は?、何か……」
「なんでも無いヨォン」
 パタパタと手を振ってから、急にその表情を引き締めた。
「収容は完了した?、あ、そ、じゃあ主機関始動、最大船足、全ECM最大放出、予定の航路を真っ直ぐ突っ切って逃げるかんね!、復唱、よろし?」
「主機関作動、出力最大」
「メインエンジン稼動、通常機関停止、イオン濃度最大」
「主翼、展開します」
 おとぎの後部からごぼごぼと泡が吹き始める、超伝導推進器がアイドリングを始めた証拠だ。
 同時に舳先の脇から下に向かって、舳先を波から浮かせるための翼が下がった、T字を逆にした形の補助翼だ、連動して船の左右に短めの翼が開かれる、主翼である。
 装甲表面に尾翼のようなアンテナ板が無数に突き出された、それらが全てジャミングのための電磁波を辺り一体に放出する。
「おとぎ、発進!」
「よーそろー」
 予定航路に向かうためにまず方向が定められた、横に重力が掛かる、それがなくなった途端……
 ──ドン!
 爆発的なGにさらされた、くうっ、っとレイですら呻いた、いつのまにやら立っていた艦長は、ちゃっかりと壁を背にして堪えられる位置に移動していた。
「六十……、七十ノット、突破!」
「正面、展開中の艦隊を確認!、巡洋艦五、戦艦一、空母一!」
「全兵装解除!、第一波多弾頭ミサイル、第二波アスロック、第三波主砲長距離レーザー砲、第一門、第二門を出力三十パーセントで正面に集中!、正面突破を狙うかんね!」
「了解!」
 半ば自棄気味にノリの良い返事が返される。
 まさかこちらの船がこれほどのものであるとは思わなかったのだろう、慌てる様が丸見えだった、慌てて展開行動を取っている。
「ミサイル、来ます!、水平発射!?」
「ECMとこの迅さなんだもん、ロックしないって判断して取り敢えずって感じでしょ、手順の変更は無し!」
「はっ!」
 確かに速度だけを取っても尋常ではない船である、その乗組員もまた普通では務まらない、世界広しと言えど、全乗組員が耐G訓練を受けているなど、そうはない貴重な例であろう。
 艦フロント上部が後方にスライドし、傾斜に沿った幾つもの穴が姿を現す、ボボボボボッ、っと右上から横へと小型のミサイルが打ち出されていく、列の端まで終わる前に、その下の、さらに下の段のミサイルが発射される。
 ミサイルはかなりの高度を取って、まず尻にある第一段ロケットを捨てた、第二ロケットでさらに飛距離を伸ばし、高々度で弾頭にある小さなミサイルをばらまいた、自由落下に近い状態で、演舞で使われる蜘蛛の糸のように広がっていく、それらが敵艦に降り注ぎ、爆発する前におとぎは主翼へとアスロックを展開した。
 艦の中から、翼の下にスライドして現れる、発射、右、左、続いて第二段用意、これもまた順序良く放たれた。
 敵艦まで数キロ、その中央からこちらよりで互いのミサイルが交錯し、すれ違う。
 艦の上部、左右角の遮蔽板が摘まみ上げるように畳まれた、内側から球形の回頭砲が姿を見せる、砲頭と言ってもレンズが一つ付いているだけの代物なのだが。
 チュン、チュン、チュン、連続発射されるレーザー、集まって来るミサイルの何発かを迎撃に成功するが、爆炎の中からは多量の小型ミサイルが姿を現した。
 先にこちらが発射したものと同じ多弾頭ミサイルだったようだ、普通、上空に打ち上げる物を横に並べたらしい、放出された小型弾頭は分裂した端から波に呑まれている。
 問題は残った弾が壁を成していることにあった、高速で直進しているおとぎには避けようが無い、津波のように被さって来るそれに、自分からぶつかって行くしかないのだ。
 しかし乗組員一同には不安は見られなかった。
「バリア展開!」
 正面、左右にヘッドライトが開く、そこから放出されたのは拡散レーザーだった、微量な放射が青い膜を作り上げる、接触爆発、爆煙を突っ切っておとぎは健在な姿を見せた、その黒い船体を赤い光が照り付けた。
 正面の艦隊に右から左へと炎が上がった、ミサイルの爆発だ、多弾頭ミサイルへの対応に苦慮し、アスロックの直撃を受け、翻弄されている。
 オイルが海面に溢れて燃え広がっていく、海が盛大な火事となった。
 ドン!、揺れていた船はさらなる津波に襲われ、転覆した、それは中央を突破してのけたおとぎが生んだ高波であった。
「よおっし!、各部収納、全動力主機関へ伝達!、超高速モードで……」
「正面に新たな反応を確認!」
「はぁ!?、今更なんだって……」
「大きい!、百メートルクラス……、こちらへ向かって直進して来ます!」
「船?、速度は……」
「こちらを越えています!」
「そんな船があるか!」
「落ち着け!、憶測で現実を否定するなっ、情報を!」
 レイは深く考える様子を見せた。
「向こうの技術力がこちらを凌駕し始めた?、んなわけないか」
 ぽりぽりと、この過重の中で後頭部を掻く、酷い余裕だ。
「反応確認!、船じゃありませんっ、生き物です!」
 艦長は一瞬の驚きを精神力でねじ伏せた。
「レイ様……」
「うん」
 ちっと舌打ち。
「兵装はまだそのまま?、んじゃあ現状を維持、武器の使用に関しては各人の判断に任せます、全弾打ち尽くすつもりでやっちゃって、いじょっ!」


 冷凍された肉と共にベルトコンベアに乗ったゴドルフィン達だったが、彼らは意外なほど幸運に恵まれていた。
 その先は巨大な冷蔵施設だった、冷蔵庫の中、氷となった肉の塊が人の手によって積まれていく。
 彼らはその中から適当な三人を見繕って捕えた、この零下で作業するための防護服を奪い取る。
 まるで宇宙服のような防護服だった、おかげで安全にこの場から脱出できた、外に出るとそこは地下鉄のホームであった、停まっている列車の貨車に加工肉が搬送されている。
 真新しい駅だった、列車もだ、地上で乗って来たものとは違う、かなりの最新型であった。
 良く見ればレールが特殊な形状をしていた、リニアレール、その名前を思い出す。
「こんなものまで……」
 その行き着く先はストックホルムの工場だろう、あるいは幾つかの店かもしれない、そうやって供給しているのは疑い様が無い。
 ともかくと防護服を脱ぎ捨てる、むろん、柱の影に隠れてだが。
 どうする、ゴドルフィンの考えは様々なリスクを立体的に積み上げていった、この列車に乗るか、それとも歩くか、Aをどうするか、列車からの荷物の積み下ろしのために駅があるのか、それとも搬出口があるだけなのか、その搬出口も人が通れるサイズなのかどうか。
「レールの上を歩くのは無謀だ」
 パイロンの意見に反射的に頷く。
「そうだな……、退避場所がないかもしれん」
「列車に搭乗口はある、何処かでは降りられるはずだ、乗り込もう」
「見つかったらどうする?」
「制圧する」
「なに?」
「……リニアなら街までせいぜい数十分程度のはずだ、その間だけ見つからなければ良い、違うか?」
「そうか……、そうだな、わかった」
 ゴドルフィンはAを抱え直した、幾ら体格ががっちりしていると言っても、大の大人を延々と背負い続けているのだ。
 呆れた体力をしていた。


 レーザー兵器はそのままメインエンジンの出力を下げる、かと言ってミサイルの類は射出時の反動で船体を不安定にさせる。
 よって許可が下りたとは言え、そう無造作に放てる物ではない。
 基本的な対策は逃げることに尽きた、しかし逃がさぬとばかりにUMAは追撃をかける。
「来ます!」
「レーザーで迎撃ぃ!」
 シュピンと一発、しかし。
「弾かれた!?」
「いえ!、曲って……」
「ミサイル!」
「駄目です!、効果なし!」
 ちっとレイはまたも舌打ちした。
 爆煙の中から、さもおとぎを真似るように姿を現す怪獣、それも波の上を滑るように迫って来る。
 おとぎは船だ、あくまでも、その加速には限界がある。
 しかし氷の上を滑るように速度を上げるUMAには、まるで限界がないようだった。
 先日の使徒に酷似しているのはこれまでの通りであったが、その体表面は奇妙な事にのっぺりとしていた、シャボン玉のように、油面に似た七色の光が泳いでいる。
「あいつ!、超電磁コーティングされてる」
「超電磁コーティングですか?」
「レーザーを曲げるだけじゃない、摩擦係数もありゃゼロに近いはず……、貫通兵器の類も表面滑らされて全部アウトよ!」
「では衝撃波ですか」
「あいつらの肉体に打撃を与えられるほどの爆発物を積んでる?」
「まあ、この船を自爆させれば……」
「ダメ、パス、んなのやんない」
 レイは画面に映されるUMAの向こうに、先程沈めた艦隊を見付けて目を細めた。
「どうせあいつら、神様の遣いが仇を討ちにやって来てくれたとか思ってンでしょうね」
「手を叩いて喜んでいる様が見えるようですなぁ」
「はっ!、ばっかじゃないの?、神様がなんで仇討ちなんてむなしいことに手ぇ貸すのよ、神様はね?、こういう時にも愛をもって慈しみ合いましょうって馬鹿な事を言うだけなのよ、人の持つ破壊衝動とか憎しみとかってもんを安易に昇華するための復讐なんて方法を、肯定して下さるはずが無いじゃない!」
「お詳しいですな」
「人間は一生涯、絶対神様を理解出来ないわ、都合よく祈る対象でしかないもんね、と言う訳で鬱陶しいから、あいつらとじゃれ合ってもらってあたし達は逃げちゃおう」
「しかし、どうやって……」
 ちらりと現在位置を確認して。
「このままでは北海に繋がる海峡で捕まりますが」
 ににん!、とレイ。
「このあたしに不可能の文字は無い!」
 やおら椅子の上にたち上がり、やけに大袈裟に手を振った、左手は腰に、右手は突き出して手のひらを広げる。
ゲート、オープン!
 使徒が追いついて来る、巨大だ、余りにも、衝角らむが上下にパックリと開いてあぎとを見せる。
 ──間一髪。
 船の前方に同心円が出現した、二重になっており、内側と外側の線は逆方向へとゆっくり、スローモーに回転していた。
 歪んで細くなりながら、船はその円に吸い込まれていく、船尾を呑み込んだ時点で円は……、ゲートは閉じ、消えた、追ってバクンと、何も無い空間をUMAは噛み砕いた。


「う、あ……」
 艦長以下、流石に一同、声を失ってしまった、光が流れていく、光の粒子が、泡が乱舞し、小さな翼を生やした人間がすれ違うように飛んでいった、角を生やした馬が駆けていた、蝙蝠の羽根を持つ巨大な生き物が、その黄金色の瞳を歪めて笑っていった。
 時間にして一、二秒のことだっただろう、息を呑み、金縛りに掛かってしまっていた、ぷはぁ!、誰かが息を吐く、それを合図に全員が息を吹き返した。
「い、まのは……」
 呻いたのは大奈義だった、オイルの匂いと機械の音、ピッピッピッと、静寂に包まれたブリッジの中が、酷く無機質で現実を感じさせてくれた。
 隣を見る、レイは肘掛けに頬杖を突き、足を組んでにたにたとしていた。
「ま、この世とあの世の境界の世界、って言ったところかな?」
「境……、界ですか」
「そう……、この世はね、人間が独裁してる単純な世界一個で成り立ってる訳じゃないって事よん」
「……そんな、おかしいな、どういうことだ!?」
「どうした!」
「はい!、現在地点がっ、衛星ともリンク、やっぱり……、現在地点は日本沿岸域より二十キロの地点、間違いありません!」
「なんだと!?」
 驚愕し、またも振り返る。
「そ、まぁワープゾーン通して脱出ぅ!、ってところ、ネ?、とっととステルスモードをオンにして、でないと見つかって大変な事になっちゃうよん?」
 レイの言葉に、途端に慌ただしく、騒がしくなる。
「いやはや……、しかし」
 大奈義は制帽を被り直し、酷く重い息を吐いた。
 常識では計れない人間だと言うことは十分に判っていたはずなのに、と、どうやらこの方は本気で神代の國の御方らしい。
 ほとんど地球の裏側と言って地点に、船ごとテレポートする、あるいはそれに酷似した現象を引き起こす。
 そんな真似を生身で可能とする少女。
「早く一番早い港への航路を割り出せよ」
 それ以上は考えてはならぬ事を思ってしまいそうで、大奈義は命令を出して護魔化した。


 国連本部から数機の大型ステルス爆撃機が、スクランブル体勢で飛び立っていく。
 それを窓から見送りながら、ゲンタは痛烈に舌打ちした。
「学ぼうとせん連中だ」
「はぁ?」
「ネルフを当てにはせんと言うことだよ、どうやらATフィールドを持たぬタイプのようだな」
 ゲンタはミサトを残し、窓から離れてソファーへと戻った。
「ここで国連軍としての意地を見せて、士気を高めようと言う腹積もりらしい」
「お気に召しませんか?」
「当然だ、今回の出動で見込まれる弾薬の消費量が想像出来るか?、エヴァを持ち出した方がまだ安く付く」
「しかし……、エヴァは汎用とは言え得手不得手があります、水上戦では」
「対潜爆雷でどうにかなる相手か?、それならネルフなどいらんな」
 ふんと鼻を鳴らして嘲った、それはUNとネルフのどちらを嘲笑したものかは判らなかったが……
 音が鳴る、ゲンタの机の上のパソコンだった、メールが着信したらしい、ゲンタは立つとそれを読むために歩み寄った。
「ほぉ?、……使徒だけでなく、先日の謎の艦隊と同形艦が浮かんでいるらしい」
「え!?」
「その上、何隻かは沈没寸前だそうだ、上手くいけば拿捕……、乗組員を捕えられるな」
 しかし、それも……
「海の怪物の泳ぎ回る海域での救助作業が行えればの話だが」


 ──ストックホルム郊外。
 丘の上にある城の中、エリュウは一人の男を前に立たせていた。
 彼の書斎だ、あまり豪奢とは言えないが、質素とも言いにくい。
「あなたは何も解っていらっしゃらない」
 エリュウはつくづく、と溜め息を吐き、両手で作った橋の裏に顔を隠し、項垂れた。
 彼の前で縮こまっているのは、司祭服を身に纏った老人であった、本来は矍鑠かくしゃくとしているのだろうが、今ばかりは顔を髪よりも蒼白にして、エリュウの顔色を窺っていた。
「……お言葉ですが」
 沈黙に堪えかね、訴える。
の者共の所業は看過致し難く……」
 その言葉を横から遮る。
「使徒……、神よりの遣い、それを敵とする組織……、貴方の言いたい事はわかりますよ、使徒が真実、神の遣いであるかどうかはともかく、神の遣いの名をわざわざ与え、それを殲滅しようとする団体を見過ごすことは出来ない、そう言いたいんでしょう?」
 ギッと、音が鳴るような視線を司祭は向けた、窓枠に腰かけて、シンジ少年が不機嫌そうに睨み付けていた。
「そのために……、あなたはみんなを無駄に殺した!」
「これは神に対する挑戦である!、我らが正さねば……、ええい!、お前のような餓鬼が!」
「だったら自分で行けばいいじゃないか!、みんなにやらせることは無い!」
「そうですね……」
「エリュウ殿!」
「貴方のお気持ちはお察ししますが」
 ふうと溜め息を吐いて……
「今回のことで、国連は間違いなく我々に目を付けるでしょう、最悪あの艦隊が我々に属する物であると証拠を固められた場合」
 それこそ、と司祭は嘲った。
「望む所ではありませんか!、我々の力を持ってすれば、あのような不遜の輩など」
 処置無し、とシンジは呟いた。
「それより早く、みんなを助けないと……」
「そうですね、彼らは理由となりえますから……、この地をNN爆弾で丸ごと焼却処分するための理由にね」
 シンジは不快な顔をした、そう言う意味で助けようと言っている訳ではないのにと。
 とにかく、自分の意志で関与するのならば見放しても良かった、それはかつての……、碇ゲンドウ、冬月コウゾウ、赤木リツコ、葛城ミサト、加持リョウジ、綾波レイ、惣流・アスカ・ラングレーなど、彼の知る、彼を知る、断罪すべき人々を確定するためのガイドラインでもあったから。
 しかし今回は違う、この目の前に居る男の勝手な理屈によって発せられた理不尽な命令に従わされて、先日来、百人近い人間が死んでいるのだ。
 UN軍と合わせれば一千人近いだろう、これはとても容認出来ない事だった。
 ──とても堪えられない事だった。
「しかし、助けると言っても、どうなさいますか?」
「……」
 シンジは考える素振りを見せた、これまで必死に、人を助け、なるべく汚い真似を避けて来たのは、咎に対する相応の罰を与えることに、他人を巻き込みたくは無かったからだ、他人の手を汚させたくはなかったからだ。
 それを……、この馬鹿がふいにした。
「まったく……、あの怪獣とかが神の遣いかどうかなんて判んないじゃないか、それを有り難がっちゃってさ……、神様の名を借りて説教するならともかく、神罰だって暴力振りかざして、そういう司祭様が一番神様を馬鹿にしてるんじゃないの?」
「貴様!、不敬だぞ!」
「なら、神様に会って来なよ」
 ぐっと顎を引いてシンジは睨み付けた。
「なに?、うっ、あ!?」
 四肢が霧状に分解して霧散していく、パン!、弾け、金色の飛沫となったが、それもまた室内の空気に紛れ、さらには窓からの風に吹かれ、空調ための換気扇へと消えて行った。
 衣服だけがその場に落ちた。
「まったく……」
 うざったく髪を掻き上げる。
「シンジ様……」
「わかってるさ、……わかってるよ、だけどね」
 酷く剣呑な目を作る。
「許せないじゃないか、なんの罪も無い人達に、自分の願望のためだけに殺し合いをさせたなんて、許せないじゃないか」
 それはかつてのネルフと、自分との関係を言っているのだろう。
 だからこそ、同じにはなれないのだ。
 ……許してはならず、救わねばならないのだ。
「しかし、何も貴方様が直接手をお汚しになられることはありませんでしょうに」
「なら僕の前にあんな不快な奴を立たせるな」
「御意に……」
 教団の中での認知度と地位は、確実にエリュウの方が上なのだろうが……
 シンジは目を閉じ、顔を仰向けた。
「カヲル君……」
 遠い記憶を呼び起こす。
 彼は確かに、遠い時よりこの地へと舞い戻って来た、しかしそこは、他人の希望が全てを形作っている世界だった、都合よく、塗り変えられようとしていた世界だった、
 全てからの脱却を願ってジオフロントを目指すも失敗、今に至っているのだが……、その途中、力尽きたシンジを助け、解放したのはエリュウであった。
 彼の言葉の元、もう一人のシンジの影響を受ける前にとカヲルを『生産』したはずだった、しかし生まれでた彼は……
『お別れだよ、シンジ君』
『どうして、どうしてなんだよっ、カヲル君!』
 少年の赤眼が開かれる、狂気の光をそこに宿して。
「……裏切った、裏切ったんだ、僕を裏切って、『僕』の元へと行ってしまった」
「シンジ様……」
「僕を騙す奴、裏切る奴、嘘を吐く奴、利用しようとする奴……、汚い奴は許さない、例えそれが、『僕』であっても」


『こちら』のシンジは『あちら』のシンジと違い、酷く人命を尊重する性格らしい。
 しかし根底においては、許せぬ者には相応の罰を与える辺り、激しく似通った物を宿していた。
 彼もまた、間違いなく『碇シンジ』なのであろう。
 そのシンジが考えた策は、実に単純なものだった。
 国連軍が到着するよりも早く、乗組員だけでも回収してしまえば良いのだ、ならば現地の教団の民間船を救助船として向かわせれば良い、他のボランティア団体、または平和活動団体と共に。
 反戦を場違いに叫ぶ彼らが盾になるだろう、そして収容された乗組員達は、教団の信者達に混じって『解散』する、方々に散って。
 後の逃走は各人に任せるしか無いが、この周辺各国には教団の支部が多数存在している、どうとでも協力を仰げるだろう。
 国連側には、救助に向かった信者と戦闘艦に乗っていた乗組員との区別は付くまい、これがシンジの計画だった。
 そこにエリュウの、実に現実一点張りな補強が入って、この案は実行に移された。


Shit!シット!、やつら正気か!?」
「怪物が何であるのか判っていないんでしょう」
「それ以前の問題に思えるぞっ、俺にはな!」
 そう喚いているのはステルス航空爆撃機のパイロットと副操縦士の二人であった。
 目標地点一帯に漁船、クルーザーと、雑多な種類の船が浮かんでいた、まるで沈没しようとする軍艦を取り囲むように。
 一部はオイルの流出を広げまいと、バリアを張り、凝固剤をばらまいている。
 そうして彼らは、漂流している船員達を拾い上げていた、救助活動だと口にして、退去命令に従わないのだ。
 これに戦争反対のスローガンが加わると下手に手が出せない。
「怪物の方はどうなってる?」
「西に向かってます、海流も無視ですね……」
「先日の使徒のデータじゃ水の中に潜ったそうだが?」
「まあ、暗くなるから考えないでおきましょうよ……、イギリスからも機体が上がって来てるそうですし」
「お前のそういうところ、羨ましいよ」
「恐縮です」
「馬鹿にしてるんだよ!」
 大型爆撃機が五機、空を飛んでいく、他にも機影が見えた、それはこの海域に展開していた艦隊の空母からの機影であった。


 戦闘は苛烈を極めた、ただ、それは一方的な殲滅戦であった。
 UMAは高速で海上を進行するも、高々度にある機体を攻撃する能力を有してはいなかった、これを幸いにありったけのミサイル、爆弾が投下された。
 超電磁コーティングも爆圧だけは回避出来ない、その上、この能力故にUMAは潜水能力を失っていた、超高速機動するために電磁力で浮力を得てもいたのだ、つまり、潜るためには防御のための盾を捨てなければならなくなる。
 ちょうどそこへ、潜水艦が間に合った、未確認生物は上空以上に、海中に対する攻撃能力を持ち合わせていなかった、魚雷が次々と突き刺さる、噴き上げられる怪物、立ち上る水柱。
 それでも怪物は頑丈だった、可哀想なくらいに、頑丈だった。


 席を立った隣の男に、冬月は怪訝そうな目を向けた。
「碇?」
「これ以上は付き合うだけ無駄だ」
「そうか?」
「ああ……、どれ程強靭な肉体を有しているとしても、回復する時間を与えなければいつかは倒せる、時間の問題だ」
 その言葉を示すように、一瞬弱った隙を突いて傷口にミサイルが叩き込まれた、突き刺さり、爆発する、肉片が飛び散った、UMAは伸び上がるように口を開いて絶叫した、痛いと、悲鳴を上げて悶絶した。
「……」
 ゲンドウは目を背けるようにしてこの場を離れた、余りに残酷で無残だと思ったからかも知れない。
 ──使徒の真実を知るが故に。
 ふと、廊下に出て、ゲンドウは通路を真っ直ぐに……、と言っても、口笛でも吹いている様な足取りでやって来るシンジを見付けた。
 向こうも気が付いたようで、実に気さくに片手を上げた。
「や、父さん」
「ああ……」
 眼鏡をくいと押し上げる。
「ここで何をしている」
「何って言われても……、使徒らしいのが出たんでって召集かけられてさ、今待機が解かれたんだよ」
「そうか……」
「それでさ、綾波と一緒に帰ろうと思って……」
 おっと、とシンジは慌てた。
「もうすぐ実験終わるらしいんだ、じゃあね」
「シンジ……」
 通り過ぎ掛けて、シンジは呼び掛けに振り返った。
「なに?」
「レイは……、元気か?」
「は?、……ああ、うん、まあ、元気だけど」
 訝しくて小首を傾げる。
「父さん?」
「いや、良い」
「そう?、じゃあ……」
「シンジ」
 またか、とシンジは振り返った。
「なにさ?」
「……お前の所に、第一支部から連れて来た娘が居るな」
 シンジは態度を堅くした。
「……ホーリィのこと?」
「ああ」
「ホーリィがどうかしたの?」
 ゲンドウは顎を引いて、シンジを威圧的に見下ろした、そう言うつもりは無いのかもしれないが……
「明日、俺のところに連れて来い」
「父さんのところに?、なんで……」
「葛城一尉が、国連に査問の名目で呼び出された事を知っているか?」
「ミサトさんが?」
「そうだ、……よって、現作戦部は責任者が不在の状態となっている、統括責任者不在の状態では指揮系統が確立できん」
「あ、嫌な予感……」
 ゲンドウは渋い顔をするシンジをニヤリと笑った。
「ホーリア・クリスティンをネルフ本部中央作戦司令部付きエヴァンゲリオン部隊統括管理官に任命する、正式な辞令は明日となるがな」
「はぁ!?、そんな無茶な!」
「無茶ではない、少なくとも彼女は葛城一尉以上に戦術、戦略についての学習を受けた経歴がある、実戦経験も先日付いた、エヴァとのシンクロも確認されている、これ以上の適任者は他におるまい」
「いやっ、でも!」
「彼女は現在でもネルフの管轄下にある、強制はせんが、お前が判断して良いものではあるまい、彼女自身の意思の確認はさせてもらう」
 シンジはくっと顎を引き、恨めしげにゲンドウを見上げた。
「……わかったよ、でも、僕も一緒に話を聞くからね」
「ふっ、よかろう」
 ちえっとシンジは毒づいた、にたりと笑われた事に、敗北を感じたからだ。
 行ってしまうゲンドウの背中をしばし睨み付ける。
「けど、どうしてまたホーリィを?」
 シンジは本気で首を傾げた。


 ストックホルムのシンジの元に、無事船員を救出出来たと連絡が届いた頃。
「くっ……」
 港に近い駅では、瓦礫を押しのけてゴドルフィン達が姿を見せていた。
 ──運が良かった。
 リニアの最終目的地はストックホルムの港であった、当然だろう、そこからさらに世界へと荷は運び出されていくのだから。
 しかしその手前の、大きな駅の真下で停車する事になった、落盤のために進めなくなってしまったのである。
 ゴドルフィン達はその隙に列車を降りて、歩きで出口を探した、まずは上にある駅に出た、そこはテロにでもあったのか、あらゆるものが焼け落ちていた。
 混乱に乗じて抜け出し、消防車と救急車の内からAを急患に見せ掛けて車を奪った。
 この頃にはAも息を吹き返していた、車の中の栄養剤を自分で点滴する図々しさも見せていた。
 緊張が一旦はほぐれる。
「街に戻って、空路で第三新東京市を目指すか……」
 パイロンの刀に目を止める、溜め息、また一悶着ありそうだと思ったのだろう。
「……ミエルのことか?」
 パイロンはその溜め息を誤解した。
「問題無い、彼女ならハロルドが保護しているはずだ」
「ハロルドか」
 何となく先程の惨状と彼が結び付いてしまって、まさかと彼は頭を振った。
 短い付き合いだったが、そこまで酷い人間ではないと信じたかったのかもしれない。
「行き先は同じか?」
「ああ」
 頷く。
「第三新東京市だ」
 そのためにも今は車は、資金などを調達するために、市内を目指してアクセルを踏んだ。


 二人のシンジの元、それぞれに時が動き、進んでいく。
 徐々に噛み合う歯車が、歴史を確実に動かそうとする。
 そんな中、ようやく彼女が到着した。
「よっ、と……」
 ぼすんと重いバッグをホームに落とし、彼女はふぅと、眼鏡を避けるように短めの前髪を払いのけた。
「やっぱり暑いですね、ここは……」
 黒く長い髪がさらりと流れる。
 ──第三新東京市駅。
 黒いぴっちりとしたシャツにパンツ、山岸マユミ、ようやくの彼女の到着であった。



続く



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作を元に創作したお話です。