風呂上がり、アスカはんくんくと牛乳を飲む。
 彼女はいつもパックから直接一気飲み、だ、牛乳は発汗によって水分を失い、粘度を増した血液をさらさらの状態に戻してくれる。
 ついでに言えば、胸は脂肪の塊であるが、将来は赤ちゃんのための『タンク』となるのだ、そこに貯蔵される『分泌物』の原料は極めて血液に近い、と言うか、血液そのものである、それが乳腺によって成分が変換されるのだ。
 女性の胸はかように『血液』を保存する特性を持っている、その血液をより多く貯えるためには沢山の血管が必要とされる、毛細血管だ。
 それだけに血行が悪いと毛細血管は発育せずに枯れていく、また脂肪分も十分な栄養が得られずに発育する事が出来なくなる。
 胸が肥え太っていくためには、血液の流れを無視することは絶対に出来ないのである。
 もちろん、もう一つの要素、『良く揉む』も無視出来ない要因ではある、これも『タンク』としての構造に直結している、要はこれも毛細血管についてである。
 歩く事で足の毛細血管を活性化する健康法がある、枯れようとする毛細血管を刺激することで肥えさせるのだ。
 そうして、十分な栄養と酸素を送り込む。
 胸も同じことなのだ、ちゃんと刺激して、マッサージしてやれば成長する。
 ──ほんとうだろうか?
 ホリィは疑わしげな目をしてアスカを見ていた、テーブルの上に両手で頬杖を突いたいる。
「ん?、なに?」
 気付いて、アスカ。
「どうかした?」
 ホリィは頷く。
「胸……」
「へ?」
「大きいなって思って」
 はぁん?、っと疑わしげにする。
「まさかアンタって……、そんな趣味」
「そうじゃなくって!」
「冗談よ、まあねぇ、ろくに揉んでやってないわりには、良く育つのよねぇ、これって」
 ホリィはどんっとまた頬杖を突いた、今度は右腕だけで。
「アスカは……、小さい方が良いの?」
「育ち過ぎは嫌なのよ、邪魔になりそうだから」
「ふうん……」
「目の保養ぐらいはさせてやっても良いけどさ、結局喜ぶのって男だけでしょ?、直接喜ばせてやろうとも思ってないもん、だったら卑屈にならないで済む程度に、適度に育ってくれるのが一番じゃない?」
 ホリィこそ、と目を細めた、いやらしく。
「あんたこそ、邪魔じゃない?、それ?」
「邪魔……、って言われても」
「それ以上育ったら困るんじゃなぁい?、ま、あのスケベが諦めてくれたらだけどね」
 けけけと笑う、そこへその『スケベ』の言い争う声が聞こえて来た。
「だからぁ!、学校行事って言ったって、積立金とか払ってないだろう!?」
 にやんっとレイ。
「だいじょ〜ぶっ!、ちゃあんと払い込んでおいたから」
「余計な事を……」
「大体ねぇ!、空は落ちるから嫌だっ、水は溺れるから嫌だっ、我が侭ばっかり言って、たまにはちょっとくらい我慢しなさい!」
「レイがイタリアンジェラートのアイスを一ヶ月我慢出来たら我慢してやるさ!」
 ぐっ、っと唸った、ううっと苦悩して頭をぐぐぐと動かし、背け、それから勢いよく目を血走らせて戻した。
「はぁ、はぁ、はぁ、やるわね」
「毎度のことだからね」
 ふふふふふっと不敵に笑い合う。
 そんなシンジの後頭部を、ぱかんっとアスカが手ではたいた。
「あんたねぇ」
「なにすんだよぉ」
「なにじゃないでしょうが、いい加減諦めなさいよ」
 そうだ!、っとシンジは閃いた。
「だったらアスカが行けば良いじゃないか!」
「はぁ?」
「アスカ、行きたいでしょ?、スクーバがしたいって言ってたじゃないか!」
 アスカははぁ?、っと顔をしかめた。
「あんた一体、いつの話してんのよ……」
「そうだよ、それが良いよ、今から転校して」
 やだ、とアスカ。
「ぱぁす、あたし今は学校に通う気、ないから」
「そんなぁ……」
「それに、ホーリィを『あんな所』に一人にさせとくなんて危な過ぎでしょうが」
 ちぇ、っと舌打ちするシンジに、レイもまた溜め息を吐いた。
「まったくもう、こっちだって苦肉の策なんだかんねぇ?、本当はマナちゃんにでも頼もうかって思ってたのに、ぽかするから」
 背を向けて新聞を読んでいたカヲルの首をすくめさせる。
「大体シンちゃんはねぇ、我が侭が多過ぎるの!、飛行機は嫌だって言うから水上翼機をこさえてあげたのに不安だって言って『おとぎ』なんて作らせるし、ブラックバードを作ってあげれば戦自のロボットがイケてるなんて言って盗みに行って、なんでかマナちゃん達拾って来るし、その上パチくろうとした陸上戦艦は……」
「陸上巡洋艦?」
 っとアスカ。
「なによそれ」
「うん?、戦自が開発してたロボットのこと、使いみちないんだけど、シンジがでっかくて格好良いって言ってね?、足代わりにはなるかと思ったんだけど……」
 アスカはああ、と思い出した。
 それは『以前』の記憶にあった、戦略自衛隊、マナ、ムサシ、ケイタの三人。
 芦の湖で暴れた一機のマシン。
「あれね……」
「そ、陸上だけじゃなくて一応水中と水上もいけるし、それなりの巡航速度が出るからまあ良いかってOK出してあげたのに……」
 じろりと睨んで。
「施設ごと、ドン!、ってね?」
 手をぱぁっと開いて見せる。
「あれはレイがやったんだろぉ?」
「ちがうっちゅーの」
「足代わりの機体、ねぇ……」
「不経済だけど、あれぐらい大きなものでないとシンジって心許ないって不安がるのよね、まったく、なぁんでこんなに臆病なんだか」
 シンジはいじけて唇を尖らし、んくんくとアスカが余した牛乳をコップに注いで口付けていた。


NeonGenesisEvangelion act.36
『変調:pro・logue −外典 第一章 第二節−』


 ウウウウウー、っとサイレンが鳴る。
 ──2014、三沢基地。
 黒い二つの影がサーチライトの下をくぐって飛ぶように跳ねる。
 侵入者だと騒がしい声が追いかけて来る、逃げているのは少年と少女の二人であった。
 ──レイとシンジだ。
「シンジのあほー!」
「わめかないでよー」
 二人は逃げる。
「ダミーの情報掴まされるなんてまぬけー!、なぁにが間違い無しよ!、見た目で工場なんかないじゃない!」
 シンジはむっとして言い返した。
「レイだって三沢で間違い無いって言ったじゃないか!」
「なにおー!?」
「やる気ぃ!?」
 そんな二人にサーチライトが直撃する、はっと顔を後ろ向ける二人だ。
「マズ!」
「データは取ったんだよね!?」
「モチ!、いざ厚木へ!」
 ジャンプするレイ、追ってシンジも両手から出した『糸』を地に打ち付けて、その反動を利用した。
 ──飛び上がる、それも高空、十メートルへと。
 滞空していたレイは追い抜いていこうとするシンジの体に抱き付いた、失速しようとするシンジであったが、両手の糸をブンと回転させて揚力を生み出した。
「行け行けっ、人間タケコプター!」
「……竹じゃないのに竹なんだね」
 そんな下らないやり取りを行いつつ、くっついた影は月をバックに遠ざかっていった。
 よたよたと。


「……ふわぁあああああ」
 苦虫を噛みつぶしたような顔をして、少年少女達が建物から出て来る。
「おはよ」
「おう」
 まだ朝もやが晴れていない、霧雨にも感じる、視界が悪くてあまり遠くまでは見通せない。
「昨日の、聞いたか?」
「三沢の?、教官たち騒いでた?」
「侵入者、スパイらしいけど……」
「ここのデータ盗んでったらしいぜ?」
「やっぱあれが目当てかな?」
「だろ?、他にそれらしいのってないし」
 そんな雑談が交わされる。
 そしてそれは、『上の者』の間でも行われていた。
「産業スパイ、と言うには手際が良過ぎるな」
 潜入ルートの特定もまだだが、それ以上に逃げる様が異常であった。
 発見から逃亡、施設外に脱出するまでの時間、複数の人間が確認しているが、単純に計算しても百メートルを五秒前後で駆け抜けている事になる。
「強化人間か?」
「しかし、肉体の強化はそれに伴って脳内の分泌物も過剰に生成されてしまう事が確認されている、でなければ筋組織の苦痛に耐え切れないからな」
「そうだ、潜入工作など以ての外だよ、ましてや、逃走を計るなどあり得ん」
「攻撃衝動が優先されるはずだからな」
「しかし万が一にも、これが『そう』であったなら?」
 主任研究員である男が断を決した。
「霧島マナを使い、データを収集する、研究を優先し、別チームを立ち上げよう」
 ──こうして、マナの受難は佳境を迎える。
「ケイタ!」
 飛び込んで来たムサシに、左の目を中心に顔を腫らしたケイタが、縋るようにして抱きついた。
「ムサシ!、あいつら」
「マナを連れてったってホントかよ?」
「うん、でもトライデントの開発の手伝いに出たみんな、マナを見てないって言うんだよ」
「あいつら……」
 ギリと歯ぎしりをし、酷く平坦にムサシは訊ねた。
「痛いか?」
「え?、ああ、これ……」
 引きつるケイタだ。
「本気で殴られた……、痛かったよ」
「だろうな……」
「うん……、でも」
「わかってる」
 ムサシはケイタの耳に口を寄せると、ぼそりと小さく耳打ちした。
「あれ、今日から仕掛けよう」
 ケイタはうろたえたように目をさ迷わせた。
 それが造反の決意であるから、周りを気にしてしまったのだ。


「ここに居たのかい?、シンジ君」
 ベランダから第三新東京市の夜景を楽しんでいたシンジは、隣に並んで来るカヲルに対しても、非常に不機嫌な言葉を返した。
「みんなで苛めるんだもん、僕のこと」
「仕方が無いさ」
 くすりと笑って……
「それだけ今が楽しいと言う事だよ」
「そんなものかな?」
「それが壊れるのが嫌なのはシンジ君も同じだろう?」
 シンジの様子に苦笑する。
「本当は分かってるんだろう?、第一中学校がネルフの肝入りで運営されていると言うことは」
「うん……」
「その生徒達が一度に移動する事になる、これを狙わない手はないよ」
「みんなは何も知らないのに……」
「でも調べれば分かる事があるかもしれない、人の考えとはそんなものさ」
 シンジは引っ掛けるように、柵の上に体を投げ出した。
「やだなぁ、飛行機なんて……」
 その言い草がおかしくて、カヲルは柔らかに微笑んだ。
「なんだ、もう心は決めていたんじゃないか」
「そりゃね……、行くしかないだろうし」
「しぶしぶ、かい?、でもそれならここまで嫌がっているふりなんてしなくても良いだろうに」
 シンジは唇を尖らせた。
「だって、ちょっとは嫌がっとかないとね、なんでもかんでも押し付けられたらやだもん」
 カヲルは失笑をこぼした。
「人手不足なんだよ」
「そう?」
「実際、身近に動ける人材って言うのはあの三人だけだからね、でも彼らはレイが自分で選んだわけじゃない、だから無理が頼めないのさ」
「友達なのに?」
「友達だからだよ、使い捨てには出来ない、無茶もさせられない、だから使い勝手が悪い、そういうものさ」
 ふうん、とシンジは生返事を返す。
 そんなシンジにカヲルは目を細めた。
「その内、またこっちに帰って来られるようにしなくてはいけないね……、それは僕がなんとかするけど」
「頼むよ?、マナって、閉じ込められるの、嫌うんだから」
 苦笑する。
「そんなに大切なら、もう少しかまってあげれば良いのに……」
「マナを?」
「そうだよ?、知っているんだろう?、彼女の気持ちは」
 非常に複雑な顔をした。
「うん……、まあね」
 シンジは言葉を濁したが、その頭の中に渦巻いているのは『多重世界』での結末だった。
 ある時は再会を約して別れ、ある時はNN爆弾の閃光の中に消えてしまう。
 どうあっても、結局再会はならず、また、彼女はムサシを捨て切れずに、去って行ってしまうのだ。
「ムサシ君がもう少ししっかりしてくれたらなぁ」
 そうぼやく。
「そうすれば全部任せちゃうのに」
 ん?、と小首を傾げるカヲルに説明をする。
「マナってさ、憧れが強いんだよね、男の子と女の子って関係にさ、けどムサシ君って、マナを女の子として見てないんだよね」
「そうかい?」
「微妙に違うんだよ、マナに同情してるって言うか、守んなきゃってさ……、マナが求めてるのってそういうんじゃないんだよね、もっと生々しいって言うか」
 妙にべたべたとしようする彼女を思い出し、納得する。
「だからシンジ君なのか……」
「他に適当な人、いないからね」
 カヲルは怪訝そうにする。
「なら、ケイタ君はどうなるんだい?」
「ケイタ君?、……ケイタ君は僕の真似をしてるから」
「うん?」
「誤解してるんだよね、カッコ好く見えるらしいよ」
「そうなんだ」
 くすくすと笑う。
「そうだね、さり気なく支え、護ってあげる……、表層だけを取ればそう見えるか」
「違うんだけどな……」
「『本当のこと』を知れば、彼も見方を変えるだろうけどね」
「うん、まあ、だからさ、ケイタ君は女の子に対してやらしい気持ちを持たないようにしてるみたいなんだ、そんなの損なだけなのにね」


 ──あれから一週間。
『目的』のものを求めて、シンジ達は今度は厚木基地へとやって来ていた。
 フェンスの外、サーチライトの届かぬ位置で、薮に潜んでぐずっているのはレイだった。
「あのね〜、データパクッたけどぉ、ありゃあ使い物になんないよ?、やめなぁい?」
 草っ葉を口に咥えてぶちぶちと、地面に体を投げ出して寝そべっている。
 ごろんと仰向けになって、彼女は足元の方のシンジへと目をやった。
「聞いてんの?」
「聞いてるよ」
 シンジは一瞬だけレイへと目をやった。
「システムはバグだらけ、一部の機能も仮設のものでまともに動くとは言い難い……、けど、レイや僕なら扱えるさ」
 そだけどねぇ、とぶちぶちと。
「ちゃんと動くようにしてあげても良いけどさぁ〜、『おとぎ』とか『フェニス』はどうすんのよ?」
「フェニス?、ってああ、水上翼機ね」
 こちらもまたぶちぶちと。
「あれ、飛行機みたいで恐いんだもん」
「わっがままぁ!」
「大体あれってボート代わりにおとぎに積んでるじゃないか、そのおとぎも一応自衛隊所属だからそうそう呼び出せないし」
「むぅ……」
 レイが言い返さなかったのには事情があった。
 ならば自分が『ゲート』を開いて、シンジを運んでも良いことは良いのだが……
(遊びに出るのにママ同伴っての、嫌がるしぃ)
 むすっとする。
「ほら、行くよ」
「わかったよ、わかりました!」
「もう……、ちゃんとやってくれたら、はたはた捕るのに使っていいから」
「マジ!?」
「うん」
 シンジは見張り台の上を見た、交代の時間なのだろう、引き継ぎが行われている、この瞬間に一番の隙が生まれる。
 ──鰰は旧世紀時代に主に秋田県で捕れた魚である。
 天ぷらなどにして食べるのだが、これの漁獲時期は秋である、地軸の変動によって季節が夏のみとなり、その上、海流までも変わってしまった日本では、もはや捕れない魚となっていた。
 かと言って絶滅してしまった訳ではない。
 捕れる場所では捕れるのだが、漁場が衝突の激しい朝鮮側に移動してしまっているのだ、このため、今では危険を冒してまで捕りに出る漁師もいない魚となっている。
「捕れたて、天ぷらだかんね!、天ぷら!」
「はいはい」
 二人で揃って跳躍する、一瞬で高さは十メートルの高空へ、レイがシンジの腰に抱きつく、シンジの両手がこの間のように糸を回す。
 即席のヘリコプター、高度を上げられずとも滑空は出来る、こんな非常識な潜入を見咎められるような監視を行える人間は、生憎とこの基地にはいなかった。


 ──うう……、ふぅ、うう……
 複雑な装置が備え付けられたシートは、半ばベッドのように傾いていた。
 そこに固定されているのはマナだ、全裸で、電極が至る所に貼り付けられている。
 全身吹き出す汗で濡れていた、特に酷いのは股間の辺りだろう、汗だけでなく、前後の『器官』から垂れ流せるだけの分泌物、排泄物で汚してしまっている。
 しかしそれでも、この場に揃えられている研究員は、全く気にもしていなかった、いや、別の側面では、確かに関心があるようではあったが……
「やはり筋肉が弛緩するようですな」
「反応時間は?」
「約三十分です」
「十分だろう、それだけの間、力を入れ続ける事が出来たのだ、その後の崩壊はやむを得まい」
 つまり、こういうことだ。
 どんなに強固な肉体であっても力を入れ続ければ乳酸は溜まるし疲労する。
 マナはその限界を越えたために、全身に力を入れられない状態に陥ってしまっていた、言い方を変えれば筋組織がぼろぼろに千切れ掛けているのだ。
「安定させるためには、効果を薄める方向で考えるべきか?」
「それが思考の安定にも繋がるでしょうが」
「なんだ?」
「知能や知覚を残すことは余計な懸念を生みます、自己の存在への疑問、これを抑えるには別の方向性でのアプローチが必要でしょう」
「マインドコントロールか?」
「はい」
 しかし、と続いた。
「この『験体』では限界でしょう」
「そうだな、候補は何人揃っている?」
 そんな会話が交わされている時だった。
「なんだ?」
「非常警報?」
「また侵入者か?、確認しろ」
 一気に慌ただしくなる、そのため、彼らは気付いていなかった。
「うっ、う……」
 マナが彼らの言葉を耳にして、ぴくりぴくりと小刻みな痙攣を始めていた事に。


「ケイタ!」
「ムサシ君!」
 近づく二人、いつかのように周りが反応することは無かった。
 それは遠くの工房で火の手が上がっているからだ、夜だというのに空が明るくなり過ぎている。
 そこには『トライデント』と開発名が授けられている陸上巡洋艦が建造されていたドックがあるはずだった。
「ムサシ君、あれって、まさか」
「違うよ、あそこにはまだ仕掛けてない」
 二人は避難誘導を受けながら、人ごみに紛れて言葉を交わした。
 ──脱走計画。
 マナが壊されていく、それを感じ取った二人は施設のあちこちに爆薬を仕掛けていた、爆薬と言っても本物の爆弾ではない、常に監視されている彼らにそんなものを調達出来る余裕は無かった。
 第一、マナが次に戻って来た時に計画を実行するつもりだったので、長い期間潜伏させることになるかもしれないのだ、だから下手に仕掛けることは出来なかった。
 設備、施設の定期検査で発見されては元も子もない、仕掛けた爆弾とはちょっとしたプログラムであった。
 配線から直接割り込み、強引にROMを書き換える、そんな手法で『誤動作』を起こす『爆弾』をあちこちに仕掛けておいたのだ。
 監視装置も大半が電子化されている、脱出までの間は有効に作用するはず……、であったのだが。
「どうするの?」
 ケイタは訊ねた。
「きっと調査は入るよ、そうなったら僕のプログラムは見つかっちゃう」
「わかってる」
 ムサシは思い切った事を告げた。
「マナを見つける」
「やるの?」
「ああ、爆弾を起動してくれ、便乗して逃げ出そう」


「がぁああああ!」
 その頃、レイは暴走していた。
「なによこれぇ!?、バグどころかウイルスに感染してるぅ!?、ショートショートショートショートエラー、あ、ふっとんだ」
 どかんとコクピットの向こうで爆発が発生した。
 背後からのイタイ視線に、引きつりながら言うレイである。
「あたしじゃないもん」
 はぁ、っとシンジは溜め息を吐いた、ここはトライデントの艦首コクピットの中である。
 半地下ドックになっているため、艦首と言っても床は近い、それに陸上巡洋艦とは名ばかりで、ほとんどただのロボットだった。
 必要とするパイロットは三人、操舵担当、火器担当、そして索敵の担当官だ。
 レイが座っているのは操舵手席である、その足元は吹き抜けになっていて、下に火器担当の座席がある。
 シンジが座っているのは、レイの真後ろにある索敵担当席だった。
「だめなんだね、やっぱり」
 シンジはさめざめと泣いた、それはもうもったいなさそうに。
 各部モーターが悲鳴を上げて火花を散らす、スパーク、異常振動は固定具にまで伝わって、機体を支えてくれていたドックのフレームに被害を与えた。
 揺れのために固定台の金具が悲鳴を上げる、崩壊、ビスがびんびんと飛び、フレーム自体も重さに負けて曲がり始めた。
 接続されていたケーブルが千切れる、あるいは外れて暴れ始める。
 それは油圧用のオイルを供給するパイプであったり、電源ケーブルであったりした、何十万ボルトもの電流を供給するケーブルだ、これが暴れ回っただけで被害は酷く拡大する。
 ぎゃっ!、運悪く一人がケーブルに巻き付かれて感電死した、燃け焦げた被害者の体は床一面に広がっている何かのオイルに倒れ伏す。
 ボッ!、火が上がる、ゆっくりと広がって、積み上げられているドラム缶などに向かっていく、青くなる整備員達、逃げ出そうとするが遅かった。
 ──爆発、トライデントの機体が宙に泳ぎ出そうとするかの様に浮かび上がる。
 そのまま機体は炎のプールに没していく、コクピットハッチを開いて、レイとシンジは飛び出した。
「待て!」
 混乱の中にあっても職務に忠実な者はいるものだ、が、間が悪い。
 ヒシュンと何かが空を切った、シンジの糸だ、男の首は跳ね飛んだ。
「だから僕が動かすって言ったんだ!」
もふふがふがふはひはふはひっへふほひぃ!だからあたしじゃないって言ってるのにぃ!
 レイの口には光磁器メディアが一枚咥えられていた、もちろん、トライデントから盗み出したデータである。
「それ、使えるの?」
「んはっ、初めからウイルスが入ってるって分かってればやりようはあるもんよ!」
「頼むよう?、こんなバカなの、嫌だからね」
「わかってるって、はたはたのためだもんね」
「……」
 シンジは深く反省した、その時である。
「あ」
「え?」
 シンジが、逃げ出そうとしている『彼ら』を偶然、見付けたのは。


 その時、マナが医務室に引き上げられていたのは運が良かった。
 奥の施設で実験中であったなら、ムサシ達には手出しする事が出来なかっただろう。
 それ以上に、機密保持のために『処分』されていた可能性も高かったのだが。
「行くぞ」
「うん」
 二人は意識朦朧としているマナに肩を貸し、引きずるように歩き出した。
 青ざめているのは仕方が無いだろう、マナは……、自分を運び出そうとしていた所員二名を殴り付けていたからだ。
 一人はぐったりとしていた、息絶えているかどうかは分からない、そしてもう一人の上に馬乗りになって、殴った反動で動くのをまだ気を失ってないと判断してか、延々と拳が壊れても殴りつけていた。
 今のマナに自分達が味方であると判断できるのか?、それは恐い想像だった。
 入り込んだ通路をそのまま戻る、廊下には複数の白衣の者が転がっていた、やったのはムサシである。
(強かったんだ、ムサシって)
 ケイタはやや卑屈にそんな感想を抱いていた。
 一方で、ムサシは自身の運の良さにほっと一息吐いていた。
(捨てられてから、リー家の人間には必要だってやらされてたことが役に立つなんてな)
 護身術の類である、もちろん体格を考えれば専門職の人間には遠く及ぶものではない。
 それでも学者や研究員のような非力な人間の急所を突くくらいのことは容易に出来た、また、現状が混乱の中にあった事も上手く作用してくれた。
 通報されていない、ラッキーだと思う、システムは『爆弾』によって正常に作動していないようだが、監視システムを潰していたとしても、無線機までは抑え切れない。
 外に出る、二人は目を剥いた、トライデントのドックが派手に火の手を上げている、どんと爆発したのはそこから程近い発電施設だった、地下のパイプを伝ってガスが誘爆したのだろう。
「ムサシ君、こっちも爆発するかも」
「……だな、車を盗もう」
 これだけ広い施設になると、移動は車かカートになる、研究員達のものだろう、放置されていたカートはキーロック式ではなく、ただのスイッチ起動だった、施設の備品だ。
 屋根が無い事だけがただ一つの懸念事項だった、見咎められたら最後である。
 二人はマナを後部シートに寝かせると、ムサシが運転席へ、ケイタは助手席へと乗り込んだ。
 スイッチ一発でエンジンを始動させる。
 ハンドルを切りつつ派手にアクセルを踏み込んだ。
「ムサシ君!」
「黙ってろ!」
 ムサシの必死の形相にケイタは青くなってしまった、気がついたのだ、ムサシがさほど運転経験が無い事に。
 あるいは、全く無い事に。
 しかし彼らは焦り過ぎたのかもしれない。
「おい、あれ」
 人気の無い方向に走り出すカートは目立ち過ぎた、このような非常事態下での行動は厳密に定められ、同時に訓練でも叩き込まれているのだ。
 そこから外れての行動、これを見逃してもらえるはずがなかった。
 慌て憲兵隊が車で追いかける、彼らは実弾を持たされていない、それがムサシの腹を決めさせた。
「逃げ切るぞ!」
「うん!」
 どうせ捕まれば後は無いのだ。
 マナはそんな会話を、苦痛に呻きながらも聞いていた、薄目を開いて、朦朧としながら。
「フェンスだ、マナを!」
 ケイタは咄嗟に従った、シートから立ち上がって後部座席のマナに覆い被さり、彼女を守った。
「くっ!」
 がこんと、フェンスを突き破る、その先は雑木が立ち並ぶ山の斜面だ。
 横転するカート、投げ出される三人。
「くっ、う!」
「ケイタ!」
「う……」
 ケイタは必死になって顔を上げた、マナを庇った拍子に左肩が外れてしまったらしい。
「大丈夫か!?」
「うん……、マナは」
「わからないけど……」
 くっと我慢の表情を見せる。
「立てるか?」
「うん」
「マナは俺が背負うから、走れ!」
 三人は……、走るのは二人だが、斜面を必死になって登り始めた、遅れて憲兵が二人登って来る。
 その内の一人が銃を構えた、ゴム弾の入ったショットガンだ。
 ドン!、撃ち出された弾は背中のマナに当たった、「マナ!」、ムサシは体半分横向けて下を睨んだ。
「くそ!」
 逃げなければいけない、が、後ろ向けには山を登れない、かと言って背を向けていたのではマナを盾にするようなものだ。
「くそっ、くそ、くそぉ!」
 その時、マナがうめくように呟いた。
「ムサシ……」
「マナ!?」
 マナは頬肉を震わせながらも、懸命に笑みを作って見せた。
「あたしを……、置いていって」
「バカ言うな!」
「あたし……、もう、ダメだから!」
「マナ!」
 またバスンとゴム弾が撃ち出される音がした、咄嗟にマナを庇って体を曝す、けれど。
「ケイタ!?」
「ぐっ、う……」
 両腕を広げてゴム弾を受け止めたケイタは、前のめりに倒れて斜面を一メートルほど滑り落ちていった。
「ケイタ!、ケイタ!」
「行、って……」
 ケイタは涙目で訴えた。
「バカ言うな!」
「マナを……、マナを」
 訴える。
 ムサシはその目に勝てなかった、自分達はマナを助けるためにこんなことを計画したのだ、自分達がどうなろうと、マナだけは助けなければならない、自分達が助かるために、マナを見捨てることだけは出来ない。
「ムサ、シ……」
「くそっ、くそっ、くそぉ!」
 ムサシにはマナの震える声が非難するものに聞こえた、耳元で吹かれる荒い息遣いが酷く神経をささくれ立たせる。
 ぐう、と聞こえた、ショットガンの音もだ、追い付いた憲兵がケイタにとどめのゴム弾を撃ち込んだ音だった。
 次は、自分だ、そうでなくてはならない、マナであってはならない、だから……
 その時だ。
 苦しさを堪えて踏み出し続けて、その視界に黒い足が入り込んだ。
 ──タン!
 銃声、背後で人の倒れる音。
 ──タン!
 もう一度、今度もまた人が倒れ、今度は斜面を滑る音が続いて聞こえた。
 顔を上げる……、もう、そこに居るのが誰だか考えられるほどの余裕は無かった。
 黒の上下の特殊スーツを着た少年が、手に馴染む銃を握って立っていた、自分達とさほど変わらない歳に思える。
「む、ムサシ、君……」
 ずり、ずりっと音が聞こえた。
「ケイタ……」
 四つんばいになって上がって来る、ムサシは……、その場に膝を突いてへたり込んだ。
 下が騒がしい、別の憲兵か、とにかく、追っ手であろうことは想像が付いた。
「あ……」
 そこに至って、ようやく気がつく。
 目前の、あからさまに怪しい少年。
 彼が一体、ここで、何をしているのか?
 あるいは、何をして来たところであるのか?
 少年は迷う様に手で銃を弄んでいた。
 いつでもムサシにポイントできるよう、向けたままで鉛筆でも回しているかのようにふらつかせていた。
 そしてぴたりと狙いを据える。
「……自由に、なりたい?」
 その笑みは、まさに悪魔のものであっただろう、抗い難い誘惑、根拠の無い魅力。
 ムサシには、ああ、としか言えなかった、疲れていたから?、それも一つの原因ではあったのだが、それ以上に、拒否した時の対応を恐れたのだ。
「……」
 少年は……、シンジは、ひとつ微笑んだ、ザッ!、三人を飛び越えて山を駆け下りる、振り向けば十人からの兵隊が銃を向けるのも間に合わず、首を、手を、道を切り飛ばされている所であった。
「ほぉら!、なにやってんの!」
 そして、声。
「車はこっち!、自分で走れぃ!」
 青い髪の少女に蹴飛ばされ、疲労困憊しながらも必死になって歩き出した。
 迂回路を抜けて、道へ、そして気絶。
 気がつけば三人はここに居た。
 ──楽園。
 この、静かな世界に立つ、洋館に。


「ん……」
 すっかり日が落ちて、冷たくなった風が頬を撫でた。
 ──マナはゆっくりと瞼を開いた。
 久しぶりにぐっすりと眠った気がする、これほど警戒心を忘れたのは久方振りのことであった。
 深く布団に顔を埋めて呼吸をする、ちゃんと掃除がされていたのに、『シンジ』の匂いはまだ残っていた。
 ──動物を懐かせる方法って知ってる?、下着でベッドを作ってやるのさ。
 そんな風に茶化したもの言いをしたシンジをおかしいと思ったことがあった、ここで『治療』を受けていた当初、一人にされるのが恐かった。
 何故だか、シンジはそれを言わずとも分かってくれた、自分のベッドに招き入れてくれた。
 明らかに自分のことを思ってしてくれていながら、そんな風に嫌悪感を抱かせようとする、護魔化しを入れる。
 いつの間にかこの部屋を奪ってしまう事になっていた、それでもシンジは何も言わなかった、そのことだけが、アスカ達に対して自分を卑屈ならずにいさせてくれる理由となってくれていた。
 ──自分は、シンジにとても大切にされているのだと。
 それが例え愛玩動物的なものであったとしてもだ、それは自負である、『ペット』としての。
 シンジは確かに、寵愛してくれているのだと。
 いつかホリィがケイタへと口にしたように、シンジは比較的容易に人を切り捨てる、精神的にだ、もし少しでも面倒だと思われているのなら、このような『我が侭』を許してくれるはずが無い。
 マナはそのように自分に言い聞かせて、部屋の外に人気を感じ、起き上がった。
 ──ノック。
「はい」
「起きてる?、お食事、できたわよ?」
「うん……、はい、いま行きます」
 廊下の灯が強く、顔は良く分からないが、中年の女のようだった。
「ナオコさん」
 ……中途半端に髪を伸ばし、やややつれた顔をしたその人影は、酷く優しげに微笑んだ。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作を元に創作したお話です。