「うっほー、今日はまた豪勢っスねぇ、ナオコさん」
 そう言って涎を拭いたのはハロルドである。
「品が無いぞ」
「うるせぇ、ほっとけパイロン、こっちはお前みたいに剣さえ振ってりゃ一日潰せるような変態とは違うんだよ」
 揉み手をしながらテーブルに着く、そんな彼を見咎めたのはレイクであった。
「この間、勝手をやって来たばかりだろう」
 ふん、と鼻を鳴らして。
「嫉妬か?」
「……どういう解釈だ」
「まあ、そう拗ねるなよ、お前の出番もすぐに来るさ」
 しかし、と声が続いた。
「どういう選抜なんだ?、これは」
 頭痛を堪えて口にしたのはゴドルフィンであった。
 この場には彼ら四人にナオコと言う『アルビノ』らしい白磁の女性、そしてフェリスにムサシ、ケイタ、マナと揃っている。
 ちょっとした親戚一同が揃ったような雰囲気がある、その上、年少組こそが管理側なのだ。
 ケイタの隣に腰掛けるマナ、ムサシの視線に居心地悪そうにするケイタ、そんなムサシを不満気に見ているフェリス。
 そこまで見て取ってから、ゴドルフィンは首を傾げた。
(趣旨替えか?、フェリス)
 目をレイクへと向ける、やはり面白くないと顔に出している、ならば彼女が自発的に兄離れを選んだのは間違い無いだろう。
(どうなっているのか……)
 ゴドルフィンは溜め息を吐いた、それは現在の状況に適応しきれていない自分をなげくと同時に……
「……」
『ハシ』という使い慣れない道具を用いる『ニホンショク』に、ミエルの手料理を懐かしく感じている自分を実感してのものだった。


NeonGenesisEvangelion act.37
『変調:pro・logue −外典 第一章 第三節−』


「ふう」
 ばさっと再び布団に身を投げ出すマナが居る。
 そこから数室離れた部屋では、ムサシとケイタがノートパソコンでなにやら暇つぶしを敢行していた。
「フェリスさんだっけ?、なんだか妙に懐かれてない?」
 二人が遊んでいるのはセカンドインパクト前のゲームであった、エミュレーター上で動いているのは『大戦略II』と言う。
「だぁ!、信じらんねぇこいつ!?、普通核なんて落とすかぁ!?」
 ふっふっふっとケイタ。
「問題無い、そのための米軍だよ」
「似てない物真似はやめろなぁ」
 ぶちぶちと口にしつつ、核によって空白地帯となった数ヘックスを押さえるために部隊を展開させる。
 ケイタはさらに言い募った。
「あれでさ……」
「ん?」
「マナって、ムサシのやること見てるんだから、あんまり刺激しない方が良いよ?」
 そうかぁ?、と懐疑的だ。
「まあ、フェリスのあれは……、反抗期って感じがするだけなんだけどな」
「反抗期?」
「アニキが鬱陶しいって事」
「ああ……、レイクさんだっけ?、あそこも複雑そうだよね」
 ああ、と生返事。
「他人の家庭環境にケチ付けるつもりはないけどさ、巻き込まないで欲しいよな」
「巻き込まれる方にも悪い所があるんじゃないの?」
「お前、冷たいよなぁ」
「そう?」
「フェリスって扱い辛いんだよ、コンプレックス強くてさ、目の色とかなんとか、すっげぇ気にするし」
「目の色、ねぇ……」
「そんなことで気にしてられるんだから幸せだよ」
「まあねぇ、救いはあるよねぇ」
 二人して遠い目をする、それぐらい周囲に『特殊系』が集っていると言う事だろう。
 人間は見た目ではないのだ、きっと。
 ……ゲームに再突入する。
「でもまあ、美人だし、良いんじゃないの?」
「何がだよ?」
「まんざらでもないんでしょってこと」
「はぁん?」
「奇麗な人だし、避けなくてもさ」
 横目に見て。
「そんなに悪いわけでもないんじゃないかって」
「ばぁか」
 ターンを終わらせ、ケイタにノートパソコンを渡す。
「俺はマナだけって決めてるんだよ」
「でもマナがムサシだけってことはないかもしれないよ?」
「う……」
「嫌だよねぇ、もしそうなったらなったでさ、マナにリードしてもらうわけ?、主導権握られちゃったりして」
「おっ、俺のマナはそんなことない!」
「夢見るのは勝手だけどさ……、まあ、碇君も今は手を出さないで居てくれてるみたいだけど」
 ムサシは胡散臭そうにケイタを見やった。
「なんでそんなことが分かるんだよ?」
「分かるよ」
「だからなんで」
「だって女の子ってさ、やっぱ変わるもん」
「そうか?」
「うん、『する』前も後も同じに見えてもさ、やっぱり意識するか、馴れ馴れしくなるか、変わらないように努めるか……、微妙にでも距離の取り方変わるもんね、だからわかるよ」
 ふうんと鼻を鳴らす。
「なぁんでそう、理屈臭いんだかな……」
「そういうことばっかり考えてるからね」
「このスケベが」
「否定はしないよ」
「だったらお前が相手してやれよ、上手くいったら最後まで進めるかもしれないぜ?」
 はぁっと、嘆息して……
「そういうこと、言っちゃいけないと思うよ?」
 それに、と。
「ムサシと違って、がっついてないから、僕」
 ちょっと看過出来なかったようだ。
「……なんだよ、その余裕?」
「さあ?、なんだろね」
「……」
「……」
「……お前!?」
 にたりとケイタ、ムサシは引きつり驚いた。
「だぁ!?、信じらんねぇ!、裏切ったな!?、俺を裏切って抜け駆けしたなぁ!?」
 まさか!、っと喚く。
「マナとやったんじゃ!?」
「違うよ、残念だけどね」
「そうか……、って、くそ、いつの間に」
 仏頂面であぐらの上に頬杖を突く。
 ケイタはそんなムサシに苦笑した。
「そんなに悔しがらなくても」
「悔しがるっての」
「ムサシはマナ一筋なんでしょ?、だったら我慢するしか無いじゃないか」
「まあ、そうだけどよ」
「でも僕はムサシみたいに、我慢してなきゃいけない理由なんてないからねぇ」
 ムサシはしぶしぶながら認めた。
「……そうかも、な」
「誰でも良いとは言わないけどさ、誰かのために堪える必要なんてないからね、チャンスがあるなら行っちゃうよ」
「へぇへぇ、そういうとこ、シンジにそっくりだよ、お前」
「そうかな?」
「そうだよ」
「でも、ムサシだってそうなんだろ?」
「はん?」
「シンジ君みたいになりたいって……」
 難しい顔をする。
「あいつみたいになりたいって言うのとは、違うけどな」
「でも、だからフェリスさんを追い払わないんじゃないの?、フェリスさんってムサシにかまってもらおうとしてるの見え見えだよ?、歳のせいかな?、マナみたいに露骨には動かないけどさ、碇君に抱きついてる時のマナと、雰囲気がちょっと似てるもん」
 ムサシは難しそうな顔をした。
「……俺は、シンジじゃない」
「分かってる」
「シンジほどにはなってない、今だってマナのこと、大半は任せっきりだからな」
「……そろそろ、もう良いと思うんだけど?」
「俺は思ってないよ、まだ不十分だ、シンジなんて何人面倒見てるんだよ?、それでもまだ余裕を持ってる、けど俺なんて今の状態であっぷあっぷしてるんだぜ?、地力が足んないよ」
 ケイタはやや見定めるような目を作った。
「そんなこと言ってる間に、取り返しのつかない事になる事だってあるんだよ?」
 それこそ、とムサシはやり返した。
「その時は、その時さ……、まあ、あと一・二年は粘らせてもらうよ、そういう約束だからな」
 ケイタは、それについては触れなかった。
 約束、と口にすることは多くても、それを決して明かしてはくれない事を、もう十分に知ってしまっていたからである。


 ──気がつけば全く知らない建物の中に居た。
「あうああああああ!」
 聞こえた悲鳴は知っている少女のものだった、慌て部屋から飛び出すと、似た感じで隣の部屋からケイタが飛び出し、うろたえていた。
 も一度、今度は更に長く悲鳴は聞こえた、二人で揃って廊下を駆ける、ここが何処かなどもう関係なかった。
 ドタドタと走ると一つの部屋の戸が半開きになっていた。
「マナ!」
 駆け込み、そこに彼女を押さえつける少年と注射器を持った女性を見付けた。
 問答無用で飛び掛かろうとする、しかし寸前で邪魔された。
 ──どすん!
 一瞬だった、手首を持たれてくるりと回され、気がつけば背中から叩きつけられてしまっていた。
「ムサシ君!」
 青ざめるケイタ、動けないようだった。
 ムサシを投げた青い髪の少女の目に、完全に射すくめられてしまっていたからだ。
「治療中、だから邪魔しないで」
「治療って……」
 少女、レイは二人から目を離して組み合うマナとシンジを示した。
「肉体の崩壊が思ったより進行しててね、人ん家で死なれちゃ迷惑だから、治療ぐらいはして上げようってね」
 ほらほらと引き起こされた揚げ句に蹴り出されてしまう。
「そういうわけだから、邪魔しないでその辺で遊んでるように、分かった?、んじゃね」
 ふざけた調子で、首だけを出してそう告げた彼女は、引っ込めるの合わせてバタンと戸を締めた。
 ──主治医となってくれた女性は、名前を赤木ナオコと名乗った。
「わたしに出来るのは投薬くらいなものね、ある程度の『毒素』は中和出来るけど、健康体に戻すには自然治癒に頼るしか無いの」
 だが衰弱し切っている体にそれは期待出来ない、そこで気功治療を施していると言うのだが、納得するにはかなりの精神力が必要だった。
 ムサシぃ、と情けなく頼りそうになりながらもケイタは堪えた、だからムサシも我慢した。
 シンジの『呼吸療法』はマナの肉体を活性化させた、この治療の結果、後には健康な状態を取り戻しているのだが、それでもムサシのように『武闘派』となれるほどには結局回復しなかった。
 癒された肉体は確かに健康を取り戻したが、あくまでそこに留まったのだ。
 一度ずたずたになった筋肉は、完全には元には戻らなかった、ちょっとしたトレーニングですら苦痛を感じるようになってしまったのだ。
 眠る時、ただ横になるだけでも辛いらしい、仰向けになれば肩甲骨が血管を圧迫し、心臓が痛くなる。
 横向けば腕に脇が押さえつけられて苦しい、うつぶせなど以ての外だ、どうやっても苦しくて眠れない。
 そんな状態では気も休まらない、しかし唯一、シンジが傍に居る時だけは別だった。
 抱きしめられて眠ると、『落ち着く』のだと言う、それはもちろんシンジが彼女の苦痛を和らげているからなのだが、少年の気持ちはそんな理屈では抑え切れなかった。
 そんな時だ。
 楽園の外で、ナオコと散歩している彼を見掛け、その会話を偶然立ち聞きすることになったのは。


 ムサシの部屋を引き上げたケイタは、一人中央塔の中に居た。
 ここには楽園の中枢とも言えるメインコンピューターが収められている、楽園の北側通路から入れる仕組みになっているのだが、ここへの立ち入りが許可されているのはシンジにレイ、それとナオコと、ケイタの四人だけだった。
 ──カヲルには許可が与えられていないのだ。
 それだけでもケイタの情報処理能力がどれだけ高いか窺い知れる、実際ケイタは常人には不可能な迅さでキーの上に指をダンスさせていた。
 カチャカチャカチャカチャカチャ……、ウィンドウが開かれては、閉じられる、引き出されている情報は『トライデント』のものだった。
「さすがね、ケイタ君」
 部屋はちょっとした研究室を模したレイアウトに整えられていた、正八角形の一面はメインコンピューターである『Nornsノルン』の健康状態を直視出来るガラス構造とされている。
 奥には巨大な『菌』の塊が鎮座していた、MAGIは生体部品として人工脳を使用していたが、こちらは植物で代用してしまっているらしい、当然自立決議のための三位さんみ規格は継承されている。
 まあ、一つの人格を三つに分けるのではなく、違う性格の三つの思考パターンが登録されている点が違っているのだが。
 その窓の左右の面に、それぞれスペースが設けられていた、一つはケイタのための机であり、もうひとつは彼女、『赤木ナオコ』のためのデスクであった。


 ──2014、楽園、北、林の小道、夜。
 二つの人影が夜のデートと洒落込んでいた、もっとも、その身長差は酷いほどに開いていたが。
「ごめんなさい、あんなことまで頼んじゃって」
 シンジとナオコの二人であった。
「ナオコさん、今忙しい時なのに」
 いいえ、と彼女ははにかんだ。
「そう手間のかかることでもないわ、通常あり得ない濃度での分泌を抑えるよう、体調を整えてあげただけだから……、もっとも、シンジ君が『呼吸法』で彼女の体力を支えてくれなければ、あんな無茶はできなかったでしょうけどね」
 シンジを見下ろす目、そこにあるのは信頼と慈愛であった。
「何か……、放っておけなかった理由があるんでしょ?」
「……」
「まあ、聞かないけど」
「すみません」
「良いのよ、わたしだって、置いてもらっている立場なんだから」
 夜空を見上げる、月はなく、星だけが輝いていた。
「おかしなものね……、『あの頃』は親の真似よりも、科学者としてのわたしを選んで、最後には『女』であるわたしとして終わったのに……、今ではあなたたちのために夕食を作って、帰って来てくれるのを待っているのが一番楽しみになっているんだから」
 シンジは少しだけ意地悪をした。
「おとぎの次世代艦とか、設計しているよりもですか?」
「あれはもう趣味の域に『落とした』ものだから」
 苦笑する。
「没頭することはできなくなっているわね、いつもお昼時とか、夕方になると時計を見てしまうもの、残ったのは、母としてのわたしだけなのかもね」
「……ありがとうございます」
 シンジは素直に礼を言った。
「いくらレイが居てくれたって言っても、ナオコさんが居てくれなかったら、僕はもっと違っていたかもしれません」
「それこそ、こちらこそだわ」
 自嘲した。
「聞いているでしょう?、わたしがここに連れて来られた時のこと……、わたしが何をして、どうしてここに留まったのか」
 はい、とシンジは呟くように答えた。
 ──赤木ナオコは、かつてネルフにおいてMAGIを開発した設計主任であった。
 しかしMAGIの完成と共に、本部発令所から転落し、亡くなっている。
「あの頃のわたしは……、あの人を振り向かせるのに必死だったわ」
「……父さんをですか?」
「ええ、ユイさん一筋のあの人、そんな人に想われているユイさんが羨ましかったのね、ユイさんが妬ましくて、だからあの人の心を振り向かせようとした、けれどいつまでもあの人の心の中にはユイさんが居続けていたわ」
 彼女はその時、一人でMAGIの完成に浸っていた。
 そこへやって来たのは、まだ幼かったレイだった。
「迷ったの?」
 話しかけて、驚いた。
「余計なお世話よ、ばあさん」
「ばあさんだなんて……、所長に叱ってもらわなくちゃ」
「その所長が言ってるのよ、ばあさんはしつこいとか、ばあさんは用済みだとか」
 気がつけばレイをくびり殺してしまっていた、そして、力なくぐったりとしている彼女に恐れおののいて、後ずさり……
 ──転落。
「わたしは、確かにあの時、死んだはずなのにね……」
 数メートルの高さからとは言え、当たり所が悪かった、しかし意識の一部は死を認識しながらも、まだ存在している事を感じさせられてしまっていた。
 落下する途中で、青い髪の少女に抱き止められたからだ。
『自分』はドタンと落下して壊れたのに、『自分』は彼女の腕の中に居た、二重の認識がパニックを引き起こす、それを止めたのもまた、少女のからかうような声であった。
 ──あたしと一緒に、遊ばない?
「……」
「直感的に、レイがあの子と『同じ』だということがわかって……、だから恐くなったのね」
「レイは……」
 シンジの言葉に引き寄せられる。
「言ってました、ナオコさんは色んな事に囚われ過ぎているけど、自分の心に正直だから、好きだって」
「そう……」
「だから、一段落着いたら、ナオコさんにどうするのか、改めて訊ねるって」
「訊ねる?」
「はい、……今はナオコさんの力が必要です、けど全てが上手くいったなら、その後まで束縛しようとは思ってないって」
「そう……」
「……今ナオコさんがそんな体になってしまっているのは、レイがどうやってナオコさんを救ったかに関係しているんです」
 ナオコは知らず、真っ白になってしまった二の腕をさすった。
「どういうこと?」
「……人は、優性遺伝子と劣性遺伝子によって構成されています、レイは容姿を司る部分だけを残して、残りを『連れ去って』来たんだそうです、『魂』については、より正しく自分に近い方に帰属するから」
「だから、わたしの魂はこの体を選び棲み付いている?」
「ナオコさんをただ蘇らせるだけなら簡単なんですよ、クローンを作れば良い」
 ナオコはぎょっとした。
「シンジ君!?」
「……でもナオコさんは嫌でしょう?、そんなのは」
 綾波のことを思い浮かべてるのは分かってますよ、と微苦笑で告げる。
「クローンは記憶まで持ち越すことは出来ない、それもレイならなんとかしますよ、例え違う人格を形成させることになっても、ナオコさんの記憶さえ継続してくれていれば問題にはなりません、だから死体を盗んで保存する方法を選んでも別に良かった」
「……」
「ただ事を起こすために……、おとぎや、ノルン、そんなものを作ってもらうためだけだったなら、そうしても良かった、それをしなかったのは、レイが『赤木ナオコ』って『登場人物』にこだわっているからなんですよ」
「登場人物?、まるで物語のように言うのね」
「そうですね……」
 苦笑して護魔化した。
「一応、ナオコさんのちゃんとした遺伝子情報は保管してあります、この遺伝子設計図ジーンマップさえあれば、いつでもナオコさんの体を元通りに治せるんですよ、ううん、ナオコさんが望むなら、好きな歳からやり直す事だって」
「この知識と記憶を持ったままで?」
「はい」
「それは……、少し迷うわね」
「けれど今のナオコさんはそんなことを望んでない……、ってレイが言ってました、自分を痛めつけて、心を癒しているんだって、僕には良く分からないけど」
「そう……」
 ナオコは目を逸らした、そうでないと何か溢れ出しそうになっているものを制御出来ない雰囲気であったからだ。
「わたしは……、すまないと思っている事があるから、今はこのままで居たいのよ」
「すまない?、誰にですか?」
「あなたのお父さんに」
「父さんに?」
「ええ」
 立ち止まり、じっとシンジの目を見つめた。
「……わたしは自尊心を満たしたくてあの人を選んだわ、あの人はそんなわたしの考えなんてお見通しだったのね、だから振り向いてはくれなかった」
「……」
「最後の最後でわたしはあの人と、あの人がくじけそうになっている自分の心を保たせるために作った人形を壊して死んでしまった、あの人はそれほどまでにわたしを追い詰めてしまっていたのかと自分で自分を苦しめた……、嘘ね、それはそうであって欲しいと願っているだけだわ」
 再び歩き出す、シンジは背中を眺める様に見送り掛けて、慌てて歩き隣に並んだ。
「だからって、それが悪い事なんですか?」
「……レイちゃんを殺したのよ?」
「それは……、衝動的なものを、僕は否定するつもりなんてありませんよ」
 はっとするナオコだ、この少年が衝動的に抑え切れなくなって、人を殺してきているのを思い出したのだ。
「そうね……」
「はい、それにナオコさんは母さんを死んだと思ってた、父さんはそれを認められず、希望を繋ごうと躍起になった……、お互いに何を考えていたのかなんてわからないんだし、それに……」
「なに?」
「父さんと、母さんと、ナオコさん……、そういうのは大人の付き合いって言うか、そういうのだろうし」
 くすりと笑って……
「もしわたしの願いが叶っていたら、シンジ君は今頃わたしの子供だったのかもね」
「……そうですね」
「それに、お姉さんも出来てた」
「リツコさん、でしたっけ?」
「ええ……」
「でも……、もしそうなってたとしても、僕にはお母さんとか、お姉さんとか言えていたかどうかは分かりませんよ、その時になってみないと」
「……でしょうね」
「無意味な仮定なのかもしれませんけど、もしそうなっていたら僕は母さんよりもナオコさんに『お母さん』をお願いしてたかもしれない、けれどナオコさんがお母さんになってくれたかどうかは怪しいし」
「……」
「ごめんなさい、何が言いたいのか分かんなくなってきてるけど、僕自身は『今が良い』と思ってます」
「ええ……」
 ナオコはシンジの手を取ると、微笑んでから、空を見上げた。
「わたしも今は気に入っているわ」


 シンジとレイには莫大な『知識』があった、それらは例えば『イレーザーエンジン』に代表されるようなオーバーテクノロジーとして顕現している。
 しかし、だ、それらはいわゆる『図面』に過ぎない、膨大な『記憶』として『記録』されているのと同じだ。
 応用力、理解力がなければ利用出来ない。
 そのために確保されているのがナオコであり、あるいは時田のような請負人であった、ノルンには二人が移せるだけ移した莫大な『データ』が存在している。
 これらはナオコの手によって整理され、時には時田達へと流される、もちろんそこでナオコの存在が表面化してしまう様な事は絶対に無いよう、細心の注意が払われていた。
 科学者にとって最も重要視されるのは、固定観念に囚われない柔軟な認識力である、時には直観と思えるほどの。
『科学式』も『前例』も全てはパズルのピースに過ぎないのだ、それらをどれほど脳裏に蓄えているかは、二番目以降の問題となる。
 理解不能の現実に直面した時、それらのピースが柔軟に組み合わさって、真実となる。
『開発』も同じことである、どれ程の『ブロック』を保有していたとしても、発想力が無ければ積み木を高く上手く積み上げることは出来ないのだ。
 バランス悪く、倒れてしまう様な形にしか積み上げられない。
 それでもナオコは、それは単に自分がここに居易いようにと配慮して、用意してくれた理由であろうと考えていた、確かにシンジについてはそうかもしれないが、レイに至ってはそんなことはないのだから。
 レイは十分に、自分で物を開発することが出来る、なのに任せてくれているのは、互いに相手を利用しているとの負い目が存在すれば、卑屈にならずに対等の関係で共棲し合える。
 そのようにしてくれているのだろう……、と思っていた、実際細かな機械の設計を頼まれはしても、それを開発しろとまでは言われたことがない。
 書き上がった設計図を持って、外注するのが基本となっていた、期限を切って急かされた覚えも無い。
 自由と余裕と暇を捻出できる程度のものばかりだった、押し付けられた仕事は、全て。
 今は何よりもあの場所に……、ネルフに括られなかった事に感謝していた、ノルンによってネルフと『ゼーレ』がどのような計画を企てているか、今は完全に知ってしまっているからだ。
 それらを知ることなく、『死』を迎えた自分は幸運だったのかもしれない、そうも考えてしまっていた、下手をすればあのような倫理に外れた計画に荷担させられているところだったのだから。
 シンジには口にしなかったが、ゲンドウが自分の死を悼んでいるのをナオコは知っていた、MAGIをハッキングして監視記録から呟きを聞いてしまったのだ。
 用済みとしてネルフから離さなければ、彼女は『人類補完計画』の狂気の前にストレスで壊れてしまうだろう、と思った、と。
 確かにユイへの対抗心とゲンドウへの嫉妬から付き従ってしまったが、それとこれとは別である。
 何も知らされずに利用されていた、それは逆を言えば何も知らずに済むようにしてくれていた、とも取れるのだ。
 そして真実、そうであった。
 今はもっと純粋に、逢いたい、と思うがそうもいかない。
 しがらみは今更と彼女を縛り付けている。
(こんなことを考えられるようになったのも、この子たちのおかげね……)
 ナオコは自分の仕事をしながらも、ケイタの様子を盗み見た。
 ケイタ達が『外交交渉』などを代行してくれるようになったおかげで、随分と楽にもなったのだ。
 そして今や、この少年は自分に迫る勢いで知識を蓄えている、まだ想像力の面での成長が遅れているようだが、それも経験次第だろう。
(時、なのかもしれないわね)
 ナオコは端末にロックを掛けると、ケイタの邪魔にならないように席を立った。
 明日の朝食の下準備をしておくためである。


 あの晩……
 シンジとナオコの会話をつい盗み聞きしてしまったあの晩、ムサシは心を奪われてしまっていた。
 何がどうとか、複雑な背景はわからなかったし、会話の中ほどが耳に入っただけだったから、全体を理解するには及ばなかったが……
 ムサシは心ここに在らずと言った足取りで、ゆらりとくつろいでいるレイの前に姿を見せた。
 レイは一階の遊戯室で、チェアに腰かけて洋書を読んでいた、背後の暖炉でバキッと音がなった。
 薪が火に爆ぜた音だった。
「……言ったでしょう?、今はマナちゃんに会わせらんないって」
 ムサシは顎を引いて、こちらを見ようともしないレイをじぃっと見ていた、その視線を怪訝に思ってか、ようやくレイは顔を上げた。
「……その顔は、別にマナちゃんのことで突っかかりに来た訳じゃないみたいね」
 パタンと本を閉じ、向き直り、足を組む。
「なに?」
「……わかんねぇ」
 素直に、答えた。
「わかんない、けど」
 渦巻くものが、徐々に形を整えて行く。
 困惑したまま、湧き出る言葉をそのまま吐いた。
「頼むから……、俺達を追い出さないでくれ」
 何でこんなことを言っているんだろう?
 そんな顔をしていた。
 けれど理由はどこかで分かっていた。
 ──今はナオコさんの力が必要なんです、けど全てが上手くいったなら、その後まで束縛しようとは思ってないって。
 そうなのだ。
「俺に出来る事があるなら、やるから……」
 胡散臭そうに、レイ。
「出来る事、ねぇ?」
「覚えるから、だから」
 告げる。
「『その後』は、『自由』にさせてくれないか?」
 そうなのだ、とムサシは自分の言葉に得心がいった、それが言いたかったのだ。
 ──自由を与えて欲しい、と。
 誰にも犯される事のない自由を。
 与えてくれは、貰えないだろうかと……
「頼む……」
 そんなムサシの態度に対して、レイはにたりと、いやらしく笑った。
「良いのね?」
「……ああ」
「最低でも三年は付き合ってもらうけど?」
「かまわない」
 心が決まったのか?、ムサシは顔を上げて胸を張った。
「それぐらいは、我慢する」
 だから、自由を、と。
「おっとこのコねぇ」
 そう言って笑ったレイの真意は分からなかっただろうが。
 この契約が、今のムサシの指針の全てとなっていた。


 ──ムサシの部屋。
 ムサシは昔のことを思い出して、ベッドに大の字になり、ぼんやりとしていた。
 自由を得るために今の束縛を選んだのだ、思うよりもマナがシンジに傾倒してしまったのが、誤算と言えば誤算であったが、それはそれで良いと思っていた。
 ──自由になるために。
 あの時、心の内で騒いでいたのは、くそぅ、くそぉ!、と喚いていた、あの時の自分だったのでは無かろうか?
 成す術も無く、捕まりそうになってしまった自分、ケイタを見殺しにしてもまだ何も出来なかった自分。
 その自分が、ナオコとシンジの会話から、なりふり構わない方法を嗅ぎ取ったのだとすれば?
 例え、どんなにずるくても。
 ムサシは少し自分を笑った、そんなことはどうでもいい事だ。
 契約は、した、それも報酬を前払いで頂いた。
 ならば後は、裏切らないように従うだけだ。
 この契約はケイタもマナも知らない物だ、自分だけがしているものだ。
 その高貴な自戒と、自責と、決意があるからこそ、ムサシはフェリスの相手をしないでいた。
「それどころじゃ、ないんだよな」
 手一杯、ということであった。


「ん〜〜〜」
 ケイタは詰まった所で手を止めると、肩をコキコキと鳴らしてから、ようやくナオコが居なくなっている事に気がついた。
「もう、こんな時間か……」
 もうひとつ伸びをして、体を背もたれに預け、ぐったりとする。
 ピッ、待機モードに入った画面に、一枚のフォトが映し出される、それはマナの部屋にあった物と同じ写真であった。
 冷めた目をして、ケイタはむすっとしているムサシを見やった。
「カッコ付け過ぎなんだよね」
 嘆息して起き上がり、キーに触れて画面を元の状態に復帰させた。


「ケイター?」
 楽園の書庫で本を漁っていたケイタは、ノースリーブの白いワンピースと言う、珍しい格好をしたマナに驚いた。
「どうしたの?、それ」
「似合う?」
「そうだね」
 んふふと笑って。
「シンジにね、貰ったの」
「碇君に?」
「うん、ムサシにも自慢してやろうと思ったんだけど……」
 ねぇ、っと少々声を潜めた。
「ムサシがここに残るつもりだって、ほんとなの?」
 ケイタはぱんっと本を閉じた。
「みたいだね……」
「なんで」
「なんでって、言われてもさ」
 口篭る。
「僕にだってわかんないよ、ムサシは何も言ってくれないもん」
「そう……」
「でもかなり無理をしてるのは分かるよ、ずっと綾波さんに格闘術習ってるしね」
 くいっと親指で窓の外を指され、マナはケイタを避ける様にして移動した。
 窓のほぼ真下でムサシがレイに突っかかっていた、簡単にあやされ、のされている。
「ムサシ……」
「気にしてた……、みたいだからね」
「え?」
「あの時のこと……」
 ケイタの表情がムサシのものと重なって、マナは『くそぉ!』と聞こえた気がした。


 ムサシが寝っ転がって腐っている頃、マナもまた膨らんだお腹を抱えて苦しんでいた。
「ふぅ」
 続き部屋にはバスルームがある、バスタオルを体に巻いただけの姿で出て来たマナの行為は、無防備と言っても良いくらいだろう。
 マナは窓に映る自分の姿に動きを止めた、首を傾げるようにして髪をタオルで挟み、拭っている。
 そのタオルを放るようにしてベッドに捨てると、マナはガラス窓に近寄った。
 鏡の自分へと掌を当てる。
「女の子なんだけどね、これでも……」
 顔を撫で、その手は虚像の胸へと落ちた。


「綾波さん!」
 港の桟橋で釣り竿を垂らしていた麦わらのレイは、へぇいとぷらぷら手を振った。
 袖なしのシャツにジーンズの短パンを穿いている姿はまるっきり少年のそれである。
 近づいて、マナ。
「あの……、一応、お礼言っておこうと思って」
「礼?」
「うん……、もうすぐだから」
 ちょこんとレイの隣にしゃがみこむ。
 もうすぐ、とはもうすぐここを出て行くの意味だ。
 既にレイとシンジの二人によって、マナ達三人の新しい戸籍は用意されていた、名前も新しくなるが、それぐらいは仕方が無い。
 ん〜〜〜、っとレイは生返事をしてから、何を思ったのか付け加えた。
「礼ならムサシに言っといて」
「ムサシに?」
「そ」
「どうして?」
「さあ?」
 なんででしょねー、とはぐらかす。
「んで、シンジにはもうお別れ言ったの?」
「え」
 真っ赤になる、それを見てふうんと鼻白む。
「ま、良いけどね〜、お別れしちゃったら多分二度と会えないよ?」
「え!?」
「そりゃそうでしょ、『こういう世界』とは全く縁が切れるんだから」
 マナは困惑の度合を強めた、こういう世界、とはどういう事だろうかと。
 与えられた名前から、次の行き先が日本になるのは分かっている、なら、どうであろうと戦自の目は警戒する必要があるはずだ、再び接点が生まれる可能性はある。
 しかし、レイの物言いからはそんなことはあり得ないと聞こえてしまった。
「好きにすれば良いけどね、ムサシ君も損な役回りだわ、こりゃ」
 ひゅっと竿を上げて糸をつかみ取る、針先をてけてけと弄り、餌を付け、また放った。
 麦わら帽子で顔を隠そうとするレイに、マナは少し目を細める。
「何があるの?」
「ん〜〜〜?」
「教えてよ」
「だめだめ、男の子が決めたことだもん、あたしからは話せません」
 笑っていると感じてマナは膨れた、即座に立ち上がり、ドゲシッとレイを蹴り落として駆け出した。
 ──ぼっちゃん!


 その頃、シンジとムサシは向かい合って居た。
 楽園から少し離れた丘の上だ、シンジは右手の糸を風に泳がせている、自然体。
 対してムサシは、右半身を向ける形で拳を固めていた。
「いくよ」
 シンジの糸が突然意思を持って襲いかかった、それをムサシの拳が……
「ふっ!」
 いや、拳を軸に渦巻いた風が、シンジの妖斬糸を絡め取り、引き千切った。
「お見事」
 シンジは糸を捨てて拍手した。
「ほんとに驚いたよ、こんなに短期間で覚えるなんて」
「だけどまだ基礎だ」
「そうだけどね」
 ちょっと面白くなさそうに……
「才能の差を感じるな……、僕なんて使えるようになるまでに色々とあったのに」
「色々?」
「色々、とね」
 ゼェハァと喘いでいるムサシに苦笑する。
「けど、良いの?」
「なにが……」
「マナを守る力が欲しかったんじゃないの?、そのマナが行ってしまう……、それで良いのかなって」
「良いも悪いもない」
 息切れを堪えて、ぐっと無理に胸を張った。
「二・三年は付き合うって、『契約』したんだ……、その後でマナがまだ一人で居てくれたら、選択肢に入れてもらうさ……」
「消極的なんだね」
「違う、覚悟の問題なんだよ……」
 ぐっと拳を握り込む、堅く、堅く。
「力が欲しい……、大切な物を見捨てずに済む力が」
「だから、ここに残るの?」
「そういうことだ」
「……言い訳臭いよ、それ」
 はぁっと溜め息を吐く。
 マナは丘の下で、風に乗って聞こえて来た二人の会話を耳にしてしまっていた。
 シンジが僅かにこちらを見て苦笑した、マナもつられて苦く笑ってしまっていた。
(バカ、無理しちゃって……)
『男の子が決めたこと』
「ちょっと格好良いゾ、ムサシ」
 その言葉は、風上に居る丘の上の彼の耳には届かなかった。


「あれ?、マナ」
「ケイタ」
 喉が渇いた二人は、偶然にも食堂にて出くわした。
「マナも?」
「ちょっとね」
 冷蔵庫へと寄る。
「部屋にまた冷蔵庫置かないとね……、お風呂上がりに喉が渇いちゃって」
「そうだね、暫くこっちに戻ることは無いからって、片付けちゃったもんね、明日出そうか?」
「いいわ、ムサシにやらせるから」
「そう」
 くすくすとケイタは笑った。
「なによー?」
「ううん?、ムサシってさ、どこまで本気なんだかって思っただけだよ」
「本気って?」
「ん、だってさ、碇君に取られるのは嫌なくせに、今はまだ手を出しちゃ駄目だとか思ってるみたいだしね」
 行儀悪く、テーブルの端に腰掛ける。
「あれでマナから迫ったら、きっと駄目だって言って逃げるんだよ?、『自分』を知ってるからかな?、恐いんだろうね」
「恐い?」
「……責任を、負う事が」
「責任?、なにそれ……」
「マナを手にするということは、マナを守らなきゃいけないってことだよ、でも今の自分の限界を知ってるから、逃げてしまうんだよ」
「そんなこと言ってたらキリないじゃない……」
「マナは……、思い切って欲しいんだ?」
 まるでシンジのような物言いをする、が。
「殴るわよ」
「ご、ごめん」
 迫力が伴わなかったようだ。
 振り上げられた拳にビビリまくる。
「でもさ、マナ、嫌いじゃないでしょ?、ムサシが」
 拳を振り上げたままでマナは俯いてしまう。
「……」
「もちろん碇君が好きだって言うのも分かってるよ、でもそんな風だから、きっと碇君はマナにはなんにもしないんだろうね」
「え?」
「碇君はさ、自分だけを見てくれてない人には興味ないんだよ、惣流さんやホリィさんみたいにね」
 じゃあ、とマナ。
「あたしもシンジ一筋だったら、ちゃんとシテくれるかな?」
「へ?」
 ケイタは間抜け面を晒した後で酷く焦った。
「ちょ、ちょっと待ってよ、なんでそうなるの」
「え?、そういう話じゃなかったの?」
「あ、ええと……、そうかも」
「そうかもじゃないって」
「あ、綾波さん」
 いつの間にやら冷蔵庫を開いてそこにいた、ウインナーを口一杯に頬張りつつ。
「うまいうまい」
「それは良いから……」
 ごっくんと。
「ぷはっ、まあ、ケイタの話って良いとこ突いてるけど、根本的なとこで外れちゃってるよ?」
「そうなの?」
「うん、だってシンジって」
 ちらりと食い付いて来るマナを見る。
「おっぱい小僧だもん」
 ごちんっ、とマナは轟沈した。



続く



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作を元に創作したお話です。