──館にはジャミング装置らしいものまであったとレイクは告げた。
ワイヤーを張って作ったパラボラアンテナはそのためのものだろう、それがこの一帯を……、獣達の村などを衛星から隠していたのは、疑いようの無い事実であった。
NeonGenesisEvangelion act.39
『変調:pro・logue −外典 第二章 第二節−』
──二匹の獣が絡み合う。
血まみれになって肉をえぐり合う原始的な争いを前に、レイクは手をだしあぐねて、ただ傍観する事しか出来なかった。
「ふぇい、やめろ!」
「だめ!、悲しいこと、増やすっ、だめ!」
もみ合い、注射器を奪い合う、拍子に飛んで、部屋の隅へと転がった。
馬乗りになったふぇいの両腕を掴み、ぎりぎりと締め上げ、腹筋だけで起き上がろうとする。
「なら、俺達はどうなる!」
「それじゃあ、わたしたち、こんなにした人達と同じになる!」
喉笛に噛みつこうとするふぇいの体を、膝を使って押しのけた。
「っ!」
立ち上がり、身構える、ふぇいもだ、腰を落として彼を睨み上げた。
「どうせ、もう、わたし達、死ぬ」
「だから、種は残す」
「種ではない、不自然、こんなの……」
「作り替えは、寿命を縮める!、細胞の急激な変質は、命を確実に削り取る!」
その叫びにレイクははっとした。
細胞には通常、分裂回数に限界がある、これほど酷い変質を与えられた肉体が、そう長く保つはずがないのだ。
(第一世代なのか!?)
その子供達であったなら違うだろう、生命として安定し、それなりの寿命を得ているはずだ。
テロメアと言う、二重螺旋を描くDNAを結び付けている物質だ、これは細胞の分裂と共に消耗し、減っていく。
卵子が分裂を始めて胎児へ、赤子へとその形態を確定させて行く時と同じほどに、体の形状を変革させられたのだとすれば、いったいどれほど浪費させられている事になるのか?
「急激な細胞の分裂が俺達を老いさせた!、ふぇいっ、お前だって!」
ふぅっと猫のように吹いて、その言葉を遮った。
余りにも不自然な威嚇と、ちらりと肩越しに様子を窺おうとしたその仕草に、嫌な予感が膨れ上がった。
体を作り変えるためには過激に細胞を分裂させる必要がある、それこそ旧い細胞と全て入れ代わるくらいにだ。
それは同時に成長を意味する、老化だ、ならばまだ交尾した事が無いほど若いこの雌の獣が、本当の年齢は幾つであるのか?
ふいに、あの誘拐犯の言葉が思い出された。
──ちっ、こっちはでかいな。
てっきり、運ぶのが面倒だと、そういう意味だと思っていたが、あれがもし、依頼主の意向であったのだとすれば?
ぞっとした。
ふぇい、と言った、妹と同じ名を名乗った、とても優しく看病してくれた、介抱してくれた、好意を見せてくれた、だが交尾には青い顔をしていた、まるで……、まるで?、それは道徳に反する禁忌を強制されたかのように。
「フェイ……、なのか、まさか」
信じたくない、そう思った、しかし彼女が見せた一瞬の震えが、問いかけを如実に肯定していた。
「フェイ!」
結果から言えば、レイクの叫びは揺さぶりとなってしまった。
「……おにい、ちゃん」
震える声で呟いて、『フェイ』はレイクへと振り返り、そして……
──ゴッ!
殴り飛ばされた。
「フェイ!」
ガコンッと棚にぶち当たる、次いで棚が倒れ、フェイの上に大量のディスクとファイルがばら撒かれた。
幸いにも棚は机に引っ掛かって、フェイの上には倒れ切らなかった。
慌て助け起こそうとするレイクの腕を獣は掴んだ、引っ張るように持ち上げ、レイクを爪先立たせ、その顔を覗き込んだ。
「殺してない」
獣臭い息を吹きかける。
「だが、殺しても良い」
獣は迫った。
「薬を、打て」
「……」
「そうすれば、見逃す、でないと、殺す」
ぴくりとフェイが動いた、呻きを発した。
その苦悶の声が、レイクの心を決めさせた。
「……わかった」
満足げににぃっと笑うと、獣はレイクを解放した、逆らわれても即座に殺せると、余裕を見せいてるような態度であった。
何処に行ったかと、レイクは注射器を探した、そしてフェイの倒れている辺りだと思い浮かび、ついでにとフェイの体を軽く揺すった。
「……」
獣は何も言わなかった、その程度のことは許したようだ。
レイクは注射器を見付けると、それを手にしたところで硬直した。
腕に押し付けて、頭を押せば、直接皮膚に浸透するようになっていた、その後はウイルスが片端から細胞のDNAを分解し、この液体の中のものを強制的に結び付けていくのだろう。
「どうした?」
獣が焦れる。
「それを打て……、そうすれば、俺に勝てるかもしれんぞ」
誘惑のつもりの言葉、しかし……
その注射器は、既に空となってしまっていたのだ。
──ドシュ!
脇腹を貫かれて、獣は驚愕に目を剥いた。
「なっ……」
ごぶっと、喉に熱い物が込み上げてしまう、それは致命傷を負った証しであった。
「そ、んな……」
獣に手刀を突き入れたのは、黄金の体毛を今までよりも更に輝かせているフェイであった。
腹側の毛が金から白へと変わっていく、尾てい骨が伸びて不格好ながら長い尾を形作り始めていた。
ビキビキと異音を鳴らしつつ耳が長くなっていく、顔も一層張り出して、唇を向き、牙と歯ぐきを剥き出しにした。
──獣。
さらに獣臭い、ケダモノへと変異していった、空になっている注射器を手に、呆然としているレイクを見付けて獣は悟った。
「ばっ、かな、薬、使った?、変異、の、それ以上の、促進、自滅……、崩壊覚悟で!」
その間にもごきごきとフェイの骨格は異音を放って変わり続けていた、一回りも二回りも大きくなる、黒の獣に匹敵する大きさへと膨張していった。
──ズダン!
獣を投げ出し、ついに自重に耐え切れなくなったのかフェイは四つんばいとなった。
「……」
レイクは……、唖然としてしまっていた、そこに居るのは巨大なオオカミに似た生き物だった、黄金の。
──ドン!
フェイ、と呼び掛けようとして、出来なかった、突き上げるような激震にさらされて転がされた。
「なっ!?」
廊下から火炎が吹き込んで来た、爆発だ。
一瞬で視界を真っ赤に染め上げられてしまった。
──フェイ!
手を伸ばす、しかし赤く照る金毛は炎と見分けが付かず、彼女は火の中に溶け込んで……
「気がつけば、俺は森の外に放り出されていたのさ」
ゴドルフィンは聞いた話の異質さに、正に言葉を失っていた。
長く沈黙の帳が下りる。
しかし、煙草をふかすレイクの様子から、心の何処かでは現実にあった事なのだなと認めていた。
普通なれば、そんな出来事があったと思い込む事で心の均衡を保っているのだろうと、彼の正気を疑うだろう。
しかし今のレイクには、信じるに足る十分な『説得力』が垣間見えたのだ、彼の言葉には、嘘偽りはないと。
「しかし……」
ゴドルフィンは、知っていた。
「あの森は、もう……」
「ああ」
ふう、と紫煙を立ち上らせる。
「予定通りNN爆弾で焼き尽くされたよ、次の年だった……、跡形もなく、灰になった」
ゴドルフィンは、そうかと纏め掛けて、慌てて口を噤んだ、何故ならまだ、フェリスが話に登場していなかったからである。
帰国したレイクを待っていたのは、連邦高裁の出頭命令だった。
軍警察も彼の周囲を嗅ぎ回っていた、十数名の死者を出した先の事件、その唯一の生還者。
疑われても仕方が無いだろう、……レイクは何も見なかったし、何も分からないと言葉を濁したのだ、言い訳もしなければ、その時の経緯全てを語らなかったのである、秘したのだ。
それでは何かあったと言っているようなものである。
しかしこの事件については、死体の解剖結果が全てを解決してくれた、死因が獣の牙だと証明されたからなのだが、だからこそ余計に軍はいきり立っていた。
──未知の生物とおぼしき、比較できる生き物の存在しないその咬み傷。
「それをあの男が知っていると?」
「さあ、どうかな」
レイクのアパートを、車から見張っていた二人の会話である。
「だが限りなく怪しいだろう?」
「知っていたとしても、どうかと思うわ」
助手席側の女の膝の上には、『X』と銘打たれたファイルが一冊載せられていた。
それを開く、そこにはワーウルフの写真が挟み込まれていた、ピンぼけであったが。
「狼男ねぇ、確かにウイルスの突然変異説よりは現実的だけど?」
「千九百年代のことさ、湾岸戦争のどさくさに紛れて、一つの研究所が潰された、その時に研究者と実験体が多数逃亡したらしい、彼らがセカンドインパクトを生き抜いたのは、その強靭な肉体があったからさ」
「イラク軍の究極兵器、究極兵士製作プロジェクト……、モルダー……、やっぱりでっち上げよこんなの、出所も怪しいし」
「じゃあどうして圧力がかかるんだ?、それも軍からFBIの閑職に」
「……」
「何かあるのさ、ほら」
男、モルダーは彼女に顔を寄せて道の先の角を見ろと教えた。
「軍警察だ、向こうもマークしてるんだよ」
でもねぇ、と押し返す。
「あの森は人工のものよ?、あなたがいつも言うような伝説も伝承も無い更地に作られたの」
「ならあの森だけ衛星写真が撮れないのはどう説明するんだい?」
「それは!、……森の土壌がテラフォーミング用の苔の影響で磁場が」
「それなら全体に影響が出ているはずだよ、映らないのは中心から数キロの範囲だけだ」
「……」
反論の糸口を探す彼女に、モルダーはたたみかけた。
「スカリー、確かに僕はいつもUFOや異星人だって胡散臭い事を言ってるけど、今度のは君の専門分野の話だよ、頭ごなしに否定することは無いだろう?」
「でもそれだけ高度な遺伝子の改造なんて……」
モルダーは静かに口にした。
「ゲヒルン、知ってるだろう?」
「ゲヒ……、ああ、ネルフね」
「酷く『その方面』の研究者を集めてるそうだよ」
スカリーははっとした。
「まさか、ネルフが?」
「分からない、けどそれなら上からの圧力も納得出来るんじゃないか?」
スカリーは口篭り、そのまま黙り込んでしまった。
米国はネルフに対して多額の出資を行っている、その前身であったゲヒルン時代からだ。
しかしこれは余りにもおかしなことだった、米国は国連に対して多額の滞納金を抱えているのだ、なのにそれを払わずに、国連の一組織であるネルフへと直接に協力を行っている、自国に二つも支部を作ってだ。
特需でもあるのかと思えばそうでもないらしい、未だに還元されるどころか、逆にその技術や研究内容については完全に秘匿されてしまっている、一応建設当時に土木関係で株価が高騰したはずであったが、それでも元は取れていないだろう。
「非公開を好い事に、人体実験をしてるって話も?」
最後が疑問系になってしまったのは、アパートからレイクが出て来たからだった。
──下はジーンズ、上は黒の皮ジャケットを羽織ったラフな格好。
そんなスタイルでレイクが訪れたのは、裏路地にあるいかがわしい店であった。
カウンターで一人ちびちびちとスコッチで唇を湿らせている、その背後のステージでは股を『紐』で隠した『少女』が踊っていた。
……それだけではない。
各テーブルには女の子達が、胸のトップとお尻の半分を隠せるだけの衣裳を着て、いやらしい男達の相手をしていた、抱くように腕を回され、胸を揉まれ、あるいはスカートの中に手を入れられて、指で弄ばれ堪えている。
中には少女と呼ぶのもはばかられる幼女が混ざっていた、時折悲鳴のような声を上げては、びくりと痙攣し、跳ねていた、お酌をしている時にそんな悪戯をされてしまっては、当然酒をこぼしてしまうことになってしまう。
それをすみません、すみませんと謝っては、必死になって拭おうとしていた。
──別にそれで怒る者はいない。
彼らはその様子もまた楽しんでいた、しゃがんだりと忙しなく動けばそれだけちらりと『覗ける』のだ。
スカートの下の秘裂、あるいは性徴が来ているのか怪しい胸が、服の襟元、脇、下から盗み見える様を楽しんでいる。
余りにも下劣で、下品であろう。
レイクの隣に、人が来る。
「ウイスキー」
無愛想な黒人のバーテンが、やけに繊細な手つきでグラスを置く、コースターを敷くようなサービスはないが、接客に対しては気をつかっているようだ。
ちらりと目を横向けたレイクに、彼、モルダーは手帳を広げて見せた。
「FBIのフォックス・モルダー、そっちはスカリー」
「どうも」
やや投げやりな調子で、彼女は空いているレイクの左席へと座った。
「外で軍警察が睨んでるわよ、あなたやっぱり、チャイルドプレイヤーと繋がりがあるんじゃないかってね」
「……」
レイクは黙り込み、何も口にしなかった、スカリーは肩をすくめる。
「だんまりね……」
処置無し、とモルダーに役目を渡す。
「君はこの三年の間に色々な所へ渡っているね、共産圏、ヨーロッパ、あるいは名前も『無くなった』島国にまで行っている」
モルダーは間を空けて待ってみたが……
「……」
相変わらず、彼はぼんやりとしているだけだ。
手に持ったグラスをゆっくりと揺らしている。
「……あなたの動きって、見方を変えると彼らと接触しているように見えるのよね、軍に同行して、進んで部隊に混ざってたって話もあるくらいだし?」
「それに何度かは姿が見えなくなり、はぐれている」
「軍ではあなたが妹を彼らに売ったと見ているわ、それ以来の付き合いじゃないかって」
「あるいはミイラ取りがミイラになったか」
「……なんとか言ったらどうなの?」
肩を掴もうとしたスカリーの動きをモルダーは牽制した、彼がグラスに映っている背後の少女を眺めていると気がついたからだ。
十歳前後だろうか?、髪は黒く短い。
左右の瞳の色が違った、右が青、左が金だ、一目でそれが買い取られた理由だと察しが付いた。
今は慣れない手つきで、客のためにステーキを切り分けていた。
「お気に入りかい?」
「呼んだらどうなの……」
彼女はややげんなりとして揶揄した。
「……妹さんが行方不明だから、探しに来てるの?、それとも……、想い出に浸りに……」
レイクの動きが静止する、気がついた、少女が近寄って来たのだと。
モルダーとスカリーが戸惑う中、少女はレイクのジャケットの袖をくいと引いた。
行こうと、そう誘っている、口に出さずに。
ぽんと頭に手を置いて、くしゃっと撫で、レイクは椅子を立ち上がった。
またもモルダー達は顔を見合わせる。
流石に奥の部屋までは、押し掛けることはためらわれた。
流石にゴドルフィンも、困惑してしまったようだった。
「チャイルドホスト?、そんなところにあの子は居たのか」
しかしゴドルフィンが心配したような事は何も無かった。
──フェリスの痩せ過ぎの体は、栄養失調や発育不良では片付けられないものだった。
両眼が示す通りの遺伝子不良が害を及ぼしていたのだ。
そのため『身体による奉仕活動』からは除外され、給仕の役割を与えられていた、珍しい両目を『ウリ』として。
──表向きは。
三階、個室。
……二階より上の階は、安い作りのベッドルームになっている、子供達を買い、それぞれの部屋で遊びに興じているのだろう。
昔はフェイが居るのではないかと、このような店を覗き歩いていたレイクである。
しかし今は、この少女に会いに通っていた。
「悪いな、フェリス」
フェリスはふるふると頭を振った。
そうすると短い髪がばたばたと揺れる。
「あたしは、大丈夫……」
勘の鋭い彼女のことだ、事情を察してくれているのだろうとレイクは思った。
「悪いことはさせられてないか?」
「うん」
「そうか……、話したっけ?、店長とは知り合いだって」
「うん」
「一応、『客』は取らせないようにって話は付けてある、本当なら引き取ってやりたいんだけど」
ベッドに腰かけ、うなだれる。
「……俺にはまだ、養子を取るために必要な『経歴』がないからな、って言っても」
自嘲する。
「今度のことで……、駄目になったかもしれない」
「駄目?」
「ああ……」
顔を上げ、空ろな目をしてフェリスを見やった。
「……フェイに、会ったよ」
「!?」
フェリスは目を丸くした。
「フェイに!?」
「ああ……、けど」
顔を逸らす。
「あいつ……、いなくなっちまった、もう俺と一緒に居られる『姿』じゃないからって、行っちまった」
「お兄ちゃん……」
フェリスは床の上に膝を突くと、そっとレイクの膝に手を乗せて顔を覗き込んだ。
──フェリスを拾った軍人は名をカナートと言った。
しかしカナートは『戦死』している、アメリカ空軍による『ネバダ』へのNN爆雷の投下によって。
その時、彼は運悪く逃げ遅れたのだ。
カナートの家はレイクの家の傍にあった、レイクは一人残されたフェリスを引き取った、余りにも周囲の扱いが酷かったからである。
カナートが何やら妙な任務を負っていたと知ったのは、三度自宅に不法な侵入をされた後のことだった、目当てはフェリスだと判断し、このままでは危険だと、レイクは彼女をこの店へと放り込んだのだ。
自分も彼女の養父と同様に、家を空ける事が多かったから。
「なぁ、フェリス……」
「?」
「フェイのこと、覚えてるか?」
フェリスは申し訳なさそうに俯いた。
「ごめんなさい……」
「そっか……、いや、良いんだ、そういや、フェイが嫌いだったもんな」
フェリスは顔を背けた、確かに彼女のことは嫌いだったからだ。
明るく、元気で、みんなに好かれて。
自分にまで分け隔て無く接してくれたその姿勢が、あまりにも自分の幸せを見せつけて当て付けているようで。
嫌いだった。
「フェリス……」
レイクは訊ねる。
「お前って、ピノキオが好きだったよな、本……」
こくんと頷くと……
「まだ、人間になりたいか?」
くつくつと笑われて、嫌な気分になってしまった、が。
「十分人間じゃないか」
「?」
「人間じゃないってのは……」
酷く嫌な顔をしていた、眉間に皺を寄せて苦しげにしていた。
あたしのことを言ったんじゃない、他の誰かのことだ。
しかしレイクの纏うものが余りにも暗過ぎて、とても訊ねることは出来なかった。
──堕ちていく、堕ちていく、堕ちていく……
フェリスは心の奥底で褪せてしまっていた気持ちが涌いて来るのを感じていた。
ある日、お遣いを言い渡された、紙の包みをバッグに入れて背負わされた、それが何であるかなど興味は無かった、地図を与えられ、その通りの場所へ向かった。
外の世界は怖かった、けれども同じ歳の子供達がスケートボードで走り、バスケットをしているのを見ると、何故だか憧れに似た気持ちが沸いてしまった。
それと同時に、寂寥感も。
フェンスの向こうとこちら側、楽しげなはしゃぎ声と孤独を感じさせる車のエンジン音。
フェンスが二つの世界を区切っているようだった。
「あっ」
気を抜いてしまったからか……
地図が風に飛ばされる、しかしフェリスは気にせず、その行方を空しく見送った。
「……」
歩き出す、地図は頭の中に入っている。
手に無くても、ちゃんと歩けた。
──そんなフェリスを、影から見ている二人が居た。
「モルダー……」
「……行こう」
呼び止めるために、二人は急ぎ足で歩み寄った。
「……」
余計な事をしてくれたな。
レイクはそんな、苦虫を噛み潰したような顔をして三人を迎え入れた。
モルダーとスカリー、それにフェリス。
モルダーの手にあるのは、フェリスが持たされた白い粉だった。
「麻薬か?」
「もっとタチが悪い」
「化学兵器よ」
げっとレイクは口にした。
「そんなものを無造作に持たないでくれ!」
「大丈夫よ、この状態だと無害だから」
「ある薬品と混ぜると毒性が激的に上がるそうだよ、缶ジュース一本分で十万人規模の死者を出せるそうだ」
「……分からないんだが」
レイクは訊ねる。
「どうしてそんなものを店長が?」
「それはこれから調べる事になるわね、州警察がいまごろ踏み込んでいるはずよ」
「それで、取り引き相手の方は?」
「FBIと州警察が……、なに?」
シッと人差し指を立てるゼスチャーに、FBIの二人は警戒心を強めた。
玄関側に目を向けるレイク、その顔には誰か来たと注意するものがあった。
「急ぎ足、慌ててるな、配置に着こうとしてる」
「よく分かるのね」
「でないとシールズから同行許可なんて下りないさ」
こっちだ、と寝室の窓へ移動する。
一階下に非常階段の踊り場がある、飛べない高さではない。
「用意周到だな」
「偶然だよ、管理人のじいさんと話せば分かるさ、この部屋しか貸してもらえなかった」
「……良い部屋だと思うけど」
「その分、家賃が高いんだよ、俺なら払えると思ったんだろうな」
跳び下りようとしたレイクの肩を、モルダーががしっと掴まえた。
「なんだよ……」
手短に。
「チャイルドプレイについて、君の知ってる事を教えて欲しい」
「どうせ信じやしないだろ?」
「だから話さなかったの?」
「あんたらの聞きたい話ってのは、どこぞの組織のせいでみんなが死んだとか、俺が罠に掛けたとか、そういうことだろ?」
「いや……、獣に噛み殺されたそうじゃないか」
「……突然変異の獣にでも襲われたの?」
「突然変異?、……そうかもしれないな」
モルダーが畳み掛けた。
「例えば、狼男のような?」
ギシッと固まったレイクの様子に、スカリーも少々驚いた。
「嘘でしょ……、本当なの?」
「見たんだな?、狼男を」
違う!、とレイクは叫んだ。
「あれは……、あいつはそんなんじゃない!」
言ってから、しまったと言う顔をした、一気に冷めたのだろう。
「どけよ!」
跳び下りる、ガンッと音が立ったが、さほど気にする程度のものではない。
次にフェリスだ、モルダーに手を借りて、さらに下からレイクによって支えられた。
そしてスカリーが続こうとして……
──バン!、ドタドタドタ!
踏み込む音がして、次いで銃声が鳴り響いた。
──バン!、ババン!
応戦している。
「行くぞ」
レイクはフェリスの手を引くと、階段を慌てて駆け下りた。
「……後は泥沼だよ」
細かな話はそこまでだった。
「あの店は反政府テロを裏でやってたんだな、それを知らなかった俺が馬鹿だったが」
苦渋を滲ませて、レイクは告白する。
「マークされてる俺が出入りを続けるもんで、バレるんじゃないかと焦ったんだろうな、店の子達全員にあの『荷物』を持たせて配達させた、……軍は幸いだって、俺達を指名手配するよう働き掛けたんだ、逃亡中のテロリストだとしてな」
「それで、この道に入ったのか?」
「他にあの国を出る方法が無かったからさ、賞金まで掛けられたらどうしようもないだろう?、カナートの知り合いを頼って傭兵として出国した、幸いフェリスの『物覚え』は良かったからな」
「……人は殺せなくても、熟練者には見せ掛けられる、か」
「そういうことさ」
うけけけけけけけけっと奇妙な鳴き声が辺りに響いた。
「なっ!?」
レイクは驚いた、自分が休んでいた木の頭上、枝にレイが腰かけていたからだ。
それも、とても彼女を支えきれないような細い枝に。
「いつから!?」
「金色の狼になっちゃったって辺りから、かな?」
よっとっと跳び下りる。
ザッと踏まれた草が鳴った。
前屈みになった体を引き起こし、胸を張る。
「どうもねぇ、フェリスちゃんがムサシに懐いてる理由がよく分かんなくて困ってたんだけど、これで納得」
「なんだと?」
険悪な空気が間に流れた。
「どういう意味だ」
「そのまんまの意味よ、……フェリスちゃんは感じ取ったわけだ、ムサシが『敵』じゃないってね」
負けず、不敵に睨み返した。
「時々頭ごなしに爆発するレイクちゃんより、ムサシの方が大人だってね?」
「なんだと!?」
「いっつも口出しばっかりして来て、見張ってるみたいに目ぇ光らせてるレイクちゃんが傍に居ると気が抜けない、お兄ちゃんだからね、嫌われたりしないように身構えてなくちゃならない、それだけじゃない、喧嘩もできない、それじゃあ気詰まり起こすだけ」
ねぇ?、っとゴドルフィンに振ってみる。
「そう思わない?」
ゴドルフィンは口元を歪めて笑いを堪えた。
「夫婦仲を円満にする方法は、不満を解消するため定期的に喧嘩することだと言うな」
「ミエルちゃんにでも言われたの?、それ」
照れて苦笑する。
「まあな」
「ふうん?、そういうとこ、大人だと思わない?」
ねぇ?、っと今度はレイクに振った。
「『受け止める』余裕が無いって言うのかな?、切羽詰まってるって言うか、張り詰めてる?、それが分かるから何事も相談出来ない、打ち明けられない、『ガス抜き』が出来ない、けれどムサシなら大丈夫、……その差が決定的、まあ、フェリスちゃんは自分でわかってないでしょうけどね」
レイクは唇を咬んでレイを睨み付けた。
「好きなように言ってくれる」
「ふうん?、なら、どうするの?」
レイは両手を下げて力を抜いて見せた。
「ここで死んでみる?、そうすればフェリスちゃんの本心が引き出せるかもよ?」
「おい」
止めようとするゴドルフィンを目で制した。
「泣いて、怒って、自分を忘れて、仇を討とうとしたら、それはフェリスちゃんがお兄ちゃんを本当に大切に思っていたって事、でも仕方が無いって喧嘩を売っても負けちゃうだけだからって、自分に言い訳して逃げようとしたらそれは諦めがつけられる証拠、その程度の重要度だったって事になる、どうする?」
顎を引き、前髪で顔を隠す。
くすくすと笑い出す、昏く。
右の拳を口元に当てた。
「もっとも、それを確認出来るのは生きてるあたしで、『死人』じゃないけどね」
レイは返事を待たなかった。
「!?」
──浴びせ蹴り。
躱せたのは僥倖だった、誰がどうして、数メートルの距離を零とする浴びせ蹴りを行えようか?
はっきりと見てしまったゴドルフィンでさえ、出来の悪いSFXのようだと感想を残した。
──バキィ!
ヒットしたのは幹にだった、皮が弾けて中央が窪む、そのまま折れ倒れていく。
──バキバキバキバキバキ!
枝が周囲の木々を巻き込んで騒音を立てた。
「な、あ……」
ゴドルフィンは戦慄した、レイの浴びせ蹴りはレイクを狙ったものである、そんなヒットポイントの外れた蹴りが、木を倒すほどの威力を見せたのだ。
──直撃しては原形も残らないだろう。
レイクも唖然とはしていた、しかし心が悲鳴を上げて、この『猛獣』を一瞬たりとも視界から見失うなと叫んでいた。
がくがくと震えが走る、それでも逃げ出せなかった、逃げれば確実に『引き裂かれる』、それは確信だった。
「……フェリスと、あなた、役に立つのはフェリスのようね」
声質が変わっていた、口調までも。
「あの子を解放してあげる」
顎を上げる、酷薄な表情、赤い瞳があざ笑っていた。
「心を軽くしてあげる、あなたは重荷なだけだから」
跳びかかる、一歩、二歩、身を低く、しかし跳躍に近いその走りはまさに猫そのものだった。
「ホワイトテイル!」
叫び、レイクはどこからかナイフを取り出した、握る。
しかし握力が着いて来ない、どこかあやふやだった。
──やられる、そう感じたのだが。
「なに!?」
バキバキと音が響いて大量の木が一度に倒れた、ドォン!、地響きを上げて何かが降り立った、ぬぅっと首を伸ばして遥かな頭上に姿を見せる。
「あ、あ……」
レイク、ゴドルフィンもだ。
声を失った。
「あたたたた……、なによもぉ、こら!、邪魔すんじゃないって!」
レイはいつもの調子に戻って、手をぶんぶん振って抗議した。
「なにぃ?、やりすぎぃ?、本気で怖がってる?、からかうならもっと分かり易くやれ?、余計なお世話よ!」
ぷんぷんと頬を膨らませて腰に手を当てた。
空を被うほどに巨大な何かの大きな瞳が、ぎょろりと三人を見下ろした。
長く伸ばされた首、十メートルはあるように感じられるそれは、まさに『亀』のものだった。
──ガメラである。
「で、何しに来たの?」
ガメラは顎を開くと、ゆっくりと下向けた、極太の舌が伸ばされる。
やはり巨大だからだろうか?、グロテスクな生々しさがあった、食べ物を擦り下ろすためのぶつぶつも超巨大だ。
「フェリス!」
レイクが叫ぶ、その舌の上に彼女が横たわっていた。
「ああん?、海で溺れてたぁ?」
レイは首を傾げた。
「なんでそんなとこに?」
ま、いいかっと頭を掻く。
「白けちゃった、後よろしくねぇ」
ぽんとゴドルフィンの腕を撫でるように叩いて去っていく。
彼は触れられた部分を、無意識の内に撫でさすっていた。
フェリスを地に転がしたガメラは、首を持ち上げるとふいと横向け、去っていった。
ずしぃん、ずしぃんと地響きが続く、しかしやがて聞こえなくなった、揺れも無くなった。
ゴドルフィンは足で雑草を払った、あれ程巨大な生物が去っていくのに、たった十秒程度の時間しか地響きは続かなかった。
それは余りにもおかしなことだった。
それに、現れた方も唐突だった。
頭を振る。
「常識に囚われていては、役立たずと呼ばれるな」
そう判断して、呼び掛けた。
「フェリスを運んで、風呂に入れてやろう、臭くてかなわん」
確かに、ガメラの唾液だろうか?
生臭さを何十倍にも濃縮したような刺激臭が、フェリスの体に染み付いていた。
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作を元に創作したお話です。